4次元ガーデン

04 東京ルソー

19.October,2006

東京の街を歩いていると、たまに出会うものがある。
庭などほとんどないのに空間の隙間という隙間全てを植栽で埋めているような家である。
偏執狂のごとく、草間弥生のごとく、なにか強迫観念に囚われているがごとく・・・。
僕はそれらの家を、そこに住む庭師のことを、「東京ルソー」と呼んでいる。

ルソー、それは19世紀の後半に現れた日曜画家で税関吏だったアンリ・ルソーのことである。
彼は行ったこともないジャングルの絵を生涯描き続けた。
幾つもの図鑑や各国の風景写真などをもとにだ。

彼にとって、芸術とは、そのころ流行りだしたシュルレアリスムなどとは一線を画していた。
つまり、彼にとって芸術は自分にとって「リアル」なものでなければいけなかったのだ。
彼は冬のパリのアトリエの中で、
部屋を閉め切ってジャングルの世界を描きながら汗をかいていたという。
彼はそこにいたのだ。
そのため、葉っぱ一枚一枚を入念に描く必要があった。

そして、21世紀の東京にもそのルソーの末裔はいる。
東京がアスファルトで埋まろうが、家に庭のスペースがなかろうが、
自分の世界のジャングルを作り出そうとしている。
彼らの行動が、どういうきっかけで始まったのかは詳しくは分からない。
でも「緑を大切に」とか「自然にやさしく」とか「エコ」じゃないということは感じることが出来る。
そうじゃないんだ。
なぜルソーはジャングルを描いたのか?
僕はこう空想する。
太古の記憶だと。
太古の人間の体験が、人間それぞれに未だに消えずに残っているのではないか?
それにたいする憧憬が深くなっていくと人はモノを作り出す。
あの記憶を現実に体験するために。
その記憶というものがおそらく、緑に囲まれたジャングルの風景だったのではないか。
ぼくもちび黒サンボの絵本を見た時に、
小さいながらあそこの絵本の世界が昔体験したことがある場所だと分かった。
つまり、東京ルソー達も自然を取り戻そうと考えているのではなく、
あの記憶のジャングルを再現するために、植物を使っているのではないか。
そうすると、フランスの郵便配達夫シュバルは石を使って太古の記憶を具現化し、
ルソーは油絵を使って、レーモンルーセルは文章によって再現しようとした。
こうやって考えると辻褄が合う。

東京ルソーは現代に突如現れた変な人なんかじゃなくて、
人間の太古の記憶を組み立てようとする、人間の建築的本能の原点であるように見えてきた。

この家は中野の個人タクシー運転手の住宅である。
一階で育て始めた藤の木がグングン育ち、二階にまで到達し、二階をぐるりと一周した後、
三階にまで伸び、二階から三階に行くまでの階段の手摺はこの藤の木である。
伸びていく藤の木のために増築を重ねる。
一本の木によって出来た庭である。
スタートは微々たる一階部分の地面から始まった。
ジャックの豆の木も彷彿させる。
空中庭園の様子は天空の城ラピュタか?

今日も東京の小さな家の中で、原始的な人間の営みが行われている。
そういった本能の建築作業に希望を感じている。
人間は植物と共犯関係にある。
人間と植物は自然の繁殖力と人工力とを掛け合わせ、
お互いに共通する憧憬の風景をもう一度再現しようとしているのかもしれない。

0円ハウス -Kyohei Sakaguchi-