4次元ガーデン

10 二つの緑

25.October,2006

人工芝から本物の植物が生えている。
この姿はなんだか頼もしい。
なんだか人間のようだし。
人工も自然も東京では変わりがないのである。
二つは両極ではない。
すぐ横のご近所さんのようなもの。

都市には二つの「緑」が溢れている。
植物の緑と、植物の色を模した人工の緑。
人工の緑は、偽物であって、模造品であるはずだ。
でもこの写真を見ていると、人工が偽物だとは言い切れないような気がする。
0円ハウスのブルーと同じように、グリーンも巷には溢れている。
ホース、人工芝、信号機、住所表示、掃除用具・・・。
色んなところに人工の緑が存在している。

都市の中では、大昔と比べて、当然植物の量は減っている。
しかし、人間に緑が必要なのはずっと変わらないはずだ。
緑の必要量は一緒であるはずだ。
それを人間は人工の緑を無意識につくって補っているのではないか?
グリーンは植物、そして、ブルーは空、水を表している。
さらに僕が興味を持つのは、英語でも日本語でも、グリーンとブルーは同じ意味も持つことがある。
緑はしばしば青いと言われる。
そこら辺は今はちょっと詳しくは分からないが、なんらかの意味をもっていると考えている。

人工と自然が相反するものでなくて、寄り添うものとして存在している。

それが今までの僕の価値観を180度ひっくり返した。
それまで都市には自然を排除するものしかなく、また自然のあふれるところでは人工物を避けるべきだと考えていた。
しかし、実はちがうのかもしれない。
そしてそれは人工物と自然物の捉え方として新しく、可能性をもつものであるように見える。

どんなところにも人工と自然の割合は保たれるはずだ。
都市では、自然の緑が少なければ、人工の緑によって補われる。
新しい共存が生まれている。
僕たちは二つの緑を分けてはいけない。
素材は違うが、要素としては一緒なのだ。

しかし、人工の緑はやはりまだ足りない。
ただ空いた空間を緑で埋めるというようなことしか出来ない。
処理能力に優れたコンピューターのようだ。
しかし、本物の緑は脳みそを持っている。
そのランダムであるが、創造性に富んだ姿には、まだまだ人工の緑も学ぶところあり、である。

そこには「お笑い」とは性質の異なる、「笑い」が存在する。

0円ハウス -Kyohei Sakaguchi-