4次元ガーデン

21 WATER GARDEN

09.November,2006

今日の庭はズバリ、ペットボトルです。
そういえば、今回のバンクーバーの旅で、講演をしたときに
「ペットボトル」という発言を連発していたら、
「?」という顔。
そうです。PET BOTTLEとは言わないらしい。
PLASTIC BOTTLEかWATER BOTTLEというそうです。」

でも、今日はペットボトルの話です。
写真のような風景、東京では稀な風景でもありません。
むしろ結構よく見ることができるといってもよいかも。
昔、テレビで見た説明によると、
なんでもペットボトルに水を入れて庭先に置いておくと、
中の水が日光に照らされて反射してできた光を猫が嫌がるのだそうです。
だから、このペットボトルの整列は猫除けの為にあるということになる。

しかしですね・・・。
僕は見てしまいました。
猫がそのペットボトルと戯れあっている姿を。
全然猫除けになっていない。
むしろ、隙間がないほど並んでいるから入れない。

さらにペットボトル一本一本にはそれぞれ水が入れられている。
(おそらく、これは定期的に入れ替えている)
その姿はまるで、水の庭のようでもあります。
この家も、ペットボトルの裏にはきちんとした庭があるのに、
それよりも手前のペットボトルガーデンの方がミニマルで、
なんか現代的な庭じゃないかとか、考えてしまいそう。
これもまた現代の枯山水。

今回はそんなペットボトルガーデンの考察に入ります。

アスファルトに囲まれた貴重な僅かな庭を、
守ってます、守ってます。死守してます。
庭というよりは、ただの芝生なんですけどね。
でも、あそこたぶん猫は大好きでしょうね。
真ん中のところだけ、6本分キャップが青いのは
意味があるんでしょうか?

ここまで、窮屈に並べていてはさすがの猫も中には入れないでしょう。
効果はテキメンのよう。
しかし、そのペットボトルの城壁の手前には、
腹いせにでしょうか、オ○ッコが確認できます。
見えないヒトとネコの攻防が、
物質によって具現化されている例です。
これはもう、コレ全部ひっくるめて「庭」と呼びたい。

そんなにネコが入るんでしょうか。
とにかく、必死さが溢れてくるベランダです。
ベランダの柵も白のプラスティックボードで閉じています。
しかし、右のボードの下の方に見える、穴はナンでしょう。
これは凄く気になります。

見て行くと、だんだん気になってきたのは、ペットボトルです。
なんだか暗号のようにも見えてきた。
ポカリスウェットのパッケージの向きとか意味があるんでしょう。
少しづつ変えたりしています。
大きいのと小さいのも微妙にブレンドしていて、意図を感じる。
深読みでしょうか?

もうここまできたら、これはコンセプチュアル・アートでしょう。
ネコはもうどこかに行っています。
ネコをどうしようとかどうでもよくなっているんでしょう。
壁の上に永遠のようにならぶペットボトルがむちゃくちゃ綺麗なガラスのような素材に見えているのは僕だけじゃないでしょう。
しかも、これらを毎回水の入れ替えをしていると思うと、
これは絶対に作品のはずです。

本日最後の庭です。
絶対そうだ。絶対天延記念物のはずだ。
天然記念物までいかなくとも、
それに相当するほどのよっぽど由緒正しき植物なのだろう。
そうでないと説明がつかない。
でもそんなものをこんな道端に置いていて大丈夫なのか。
これでは上から簡単に取れるではないか。
大事なら頼むから家の中にでも保管しておいておくれ。
そう願いたくなってしまう。

あっ、でもペットボトルはなにも人間から守るものではない。
猫だけだ。
ということはこれは猫だけにとって相当価値が高いものなんだろう。
人間にとってはただの植物、
でも猫にとっては天然記念物級の代物。
こういう視点は創造力を飛躍させてくれる。

植物よりもペットボトルの方が多い。これも猫除けなのか。
これは私に対する何かの問いかけなのか?謎解き?
子供の時にやったスタンプラリーみたいなやつか。
もしかしたら。
だんだん、一人、長考が始まっている。
なんで、東京の庭にはこんなに謎が入り乱れているのか。

究極のペットボトルガーデン。
むしろ植物がペットボトルを映えさせている引き立て役になっている。
いよいよ東京の四次元ガーデンは、
普通の三次元空間では認識するのが不可能になってきた。
これまでのどんな法則も通用しない。
完全に新しい世界なのかもしれない。

0円ハウス -Kyohei Sakaguchi-