12.November,2006
現在ほとんどの住宅で冷暖房機が取り付けられているだろう。
それに付随しているのがこの室外機だ。
これの置き場所に困ることがよくある。
それは、意外に大きいからだ。
見た目もいいとは言えないのでどうにか人目につかないところに持っていきたいのだが、
東京ではなにせ庭がないくらいなので、室外機を隠せる場所まではない。
そんなこんなで結局室外機は玄関横なんかにしか置く場所がなかったりする。
そうやって街を歩きながら見てみると、
玄関先に置いてあるケースがかなり頻繁にみられる。
玄関先に脈絡のないアイボリー色の装置が、
いきなり置かれている姿はお世辞でも綺麗とはいえない。
企業はもっと室外機のデザインを真剣に考えたら面白いのではないか?
それでもそんな付随品のデザインなど改められるわけがなく、
相変わらずあの室外機は道端に転がっている。
しかし、やはりみんなどうにかしようとしているようなのだ。
それでも装置自身を改造したりは素人にはできない。
で、どうするのか?
そうだ。
室外機に植物を飾ったのだ。そこをまるで庭のように扱ったのである。
そうすることで今まで邪魔者だった場所は変化した。
大事な庭の一部となったのだ。
しかしそれにしても企業のデザインはなんでこういうところに目がいかないのだろう。
それでも使っている人たちはそれをどうにかしようとしている。
改造なんかできないので植物と協同して環境デザインを実行する。
こういうことこそ「デザイン」というのだと思う。
人はこういう既製品のデザインを「やれやれ」と思っているのではないかと思った。
独創性がないからである。
無難だと思われているような形、色は実際にはあまりまわりの環境とは脈絡のないものである。
やはり手が触れたり、目によくつくところはプラスティックではなく自然な素材の方がいいのである。
それはこの室外機だけでなく、住宅の材料全てに当てはまることだと思う。
既製品をただ使うだけでは我慢がならない人間のデザイン本能を感じる。
今回はそんなペットボトルガーデンの考察に入ります。
この庭は盆栽と室外機の間に木を敷くことで、機械と植物を巧く融合させている。
この庭がなんだかシャキッとしているのは通気部分のところの格子の窓が、
上に木を敷いて、盆栽を置くことでまるで、京都の格子戸のように見えているからだろう。
4次元ガーデンの庭師達は、機械すらも、反転させて自分の庭の大事な要素と変化させる。
室外機の上に飾っていた植物は繁殖を、増殖を続け、
ついには玄関先全体が庭と化していく。
こうやって見ていくとこれらの庭の共通点はまず、すごく不利な条件があり、
それをどうにか克服しようと試みていくうちに、
いつしかその当初の目的を超えてしまっていっているようだ。
不思議なことに「室外機」という変なものが生まれてきたおかげで、
新しい庭ができているということを考えると、
そういう既製品もまた東京の庭の発生の要因となっているわけで、
もうこれではなんだかわからなくなってしまう。
どうやら単純に自然を守ろうとかそういうことだけの話ではないようである。
これは前頁までの室外機とは様子が違う。
何か植物が置かれているわけではない。
上には人工芝が敷かれ、それを緑のテープで留めているいる。
円形の排気口の真ん中まで緑に塗られている。
まわりに植物を置いて庭にしていく方法ではなくて、
室外機そのものを植物のようにしようとしている。
よく見ると後ろの箒まで緑のテープが貼ってある。
これはまたさらに緑化が進んでいる室外機。
今度は人工芝じゃない。
本物の植物だ。室外機から生えてきているように見える。
ボサボサの髪の毛のようにも見える。
新製品でこういうのを出してみるのもいいかもしれない、と思う。
機械と植物が合体しようとしている。
これはなんだか凄い風景だ。まさにサイバーガーデン。
機械と植物の区別がなくなる。
人工物と自然物の区別がなくなる。
人間のちょっとした思いと植物の生存本能が合わさり狭い土地の上で、
巻き起こるこれらの姿は新しい庭の姿かもしれない。
そしてさらにそれを見ている鑑賞者の目も手伝って、
東京で見られる庭は頭のなかで壮大に広がっていく。
三次元のこの私たちが普段目にしている空間プラス、
頭で創造する空間を加えて感じるこれらの庭はまさに「四次元ガーデン」といえる。