機内泊。ドローイングを猛烈にアタック。リベスキンド観て、もっと多くの芸術に触れたいと思った。クルト・シュヴィッターズ、ロバートラウシェンバーグ、ポロック、クレーの原画を観たい。ミース、フィリップジョンソン、プルーヴェ、ピエールシャロー、イームズの建築が観たい。今回の取材は大きな収穫であった。世界中の作品、建築を、ちゃんと体験していかないと次に進めないと思った。家に帰ったら調査をはじめよう。三日間寝ていない。フーが怒っている。早く家に帰ろう。僕の旅は1週間が限度だな。。小説のプロットの詳細は詰めていく。面白いことになってきた。早く書きたい。次を書きたい。次は「711」。真剣に生きようと思った。
結局眠れないまま、というよりも眠りたくないまま朝を迎える。これが熊本だったら、今頃看護師であるフーにサイレースを注入され、僕は安眠しているはずだ。しかし、いるはずのフーがいない。化学物質を注入されることを免れた自由を感じるのであるが、同時に、監視、そして優しく包み込んでくれるフーがいないということにようやく一週間たったところで気付き、さみしくなって泣いてしまった。35歳の男が、4歳と0歳の子どもを持つ、この男という生物が、妻が一週間だけいないだけでホテルの部屋で泣いていいのだろうか。今はいいと思える。そのような弱さでさえも、色彩を持ち、その善悪、ダサいクールの判断を超えた、その色そのものをみることができている。僕はさみしくてフーにSkypeをした。例によって、フーは元気な顔でSkypeに登場する。Skypeのようなものを80年代のころからやっていたという親父の会社は秘密探偵サーカグッチ=キョームズである僕には、何か匂う。でも、匂っていても、Skypeでフーと出会わせていること自体は喜ばしいというか、幸福そのものであり、その実現の感動を、しかも僕はフーに見せることはできずに、なんとなくSkypeをしてみたというような素振りをしてしまい、罪悪感を感じた。その罪の意識を感じたことをフーに伝えると、フーは「だはっ!もー、繊細なんだからと」全然困っていないような顔をしたので、あと一週間はしっかりと前を向いて生きていけるはずだと思った。フー、おれはいつも嘘をついてしまう。しかも、その嘘は、僕が嘘なんかつかない、とても健康な、いや、躁鬱病であるかぎり健康なんてありえないという、ハンディキャップを、己の利点と確信してしまっている狡猾な鼠、つまり舟鼠である僕は、心優しい船員であるフー食料管理士が与えてくれる、笑顔といくばくかの穀物を食べ、毎日、労働もせずに暮らしている。もちろん、舞台は海の上だ。このように日常のことを書きながら、僕は小説の世界に入り込んでいく。そして、小説なんて虚構の世界なのだと言い張る人が横にいたので、なるほどそうかもしれません。そして、同時に、僕なんて、現実であってもただの嘘つきなので、つまり、現実ですら虚構の世界でございます、と伝えた。だけど、幻年時代という次の新作はその中でももっともリアリティとは何かを僕なりに追求した作品を作りましたのでぜひお読みくださいと言ってしまった僕に、当然ながら、その男、中林は、
「だから、そうやって、宣伝するんだろ。躁鬱病という蓑虫めが」
と笑いながら言った。だから僕も笑った。僕はSkypeのフーを途中で置いてきていることに気付き、慌てて、MacBookAirのディスプレイに照射されているはずのフーのアカウント画面に戻ると、フーは掃除をしていた。僕は掃除が嫌いである。フーが見ている前では和室の場合、い草の目に合わせて、台所もちゃんとゴミ箱を後ろに引いて、隅々まで入念に掃除しているが、僕一人で注文され、フーアオと弦が外出中に掃除をするときは実は、ほとんど手抜き掃除であった。適当にやっている。目で見て、大きなゴミがあるかないかしか見ず、見えない微細な埃は存在していないことにしている。しかし、陽の光が埃を照らすので、その微細な運動が確認されるわけだが、部屋に一人だけの僕はまったく気にしない。できるだけ早く終えて、それで、午前中にもかかわらず、Badjojoもしくは、Xvideoなどのポルノ動画の検索にとりかかる。そして、また罪悪感を感じてしまう。坂口家の他の三人は活発にユメマートというスーパーマーケットになくなったバナナと玉葱ドレッシングを買いにいったのに、僕はBadjiojoなんかでJapaneseと検索している。本当になんの工夫もない、その猥褻な行動に、僕は自分は虫には永遠に及ばないと落ち込む。
しばらくすると、フー一家三人が帰ってくる。なにやらバナナやドレッシングだけでなく他にも収穫物があったらしい。充実した買い物になったようだ。僕はデパートやスーパーマーケットで買い物していると、急に眩暈を感じ、不安になってしまうので、ほとんど行くことができない。それがなぜだか考えたこともあるが、まだ結論には至っていない。靴を脱ぐフーに、
「フーちゃん、ごめん、僕は適当な掃除をして、Badjojoを見てしまっていた」
と告白すると、フーは意外な言葉を口に出した。
「うん、もうね、わたし、分かったの。Badjojoみまくったり、落ち込んだり、布団から出られないとかいいながら寝ながら電気羊の小説が読めたり、ちょっと外に写真を撮りにいくといってはすぐに駄目だった、なぜかホームシックを感じると言って帰ってきたり、ときおり泣いたり、中学生並みに、アコギで曲を作っていたり、もう昔は、本当にこの人、何やっているのだろうか。さぼっているのか。いや、それならば何をさぼるのか、恭平にはさぼることなど何もない、恭平が考えて続けていることは、さぼることなどできない。つまり、これでいいのだ。こうやって生きていくのが坂口恭平の道だと分かったの。だから、Badjojo観たければ観ればいいし、私に触りたければ触ればいいんじゃないの。もう、なんでもいいのよ。動いていること自体が、次の作品を生み出すんだから」
そんなフーは掃除を丁寧にやっている。僕が観ていないのにもかかわらず、である。そんなこと坂口恭平世界では考えられないことである。僕は人が見ていないときは、掃除もしたくなく、皿も洗わず、本もほとんど読むことすらできず、鼻糞を食べている。すると、フーが、
「あなたは、人が見ている前でも鼻糞を堂々と食べているわよ」
そこには2つの事実があった。鼻糞を人前で食べてないはずの坂口恭平と、フーがご存知の堂々鼻糞イーターとしての坂口恭平が。フーは、恭平、大丈夫よ、もうなんでもいいんだから。あなたは新政府総理大臣かもしれないけど、繊細ちゃん、でもあるわけで、しかし、そのどちらでもでないかぎり、絶妙なバランスでの坂口恭平は存在せず、「そんな奇跡のカクテルとしての坂口恭平が好きということなのか」と僕が聴くと、
「恭平、奇跡とか、超知性の高いとか、半端なくかっこいいとか、あなたはいつもそんなことに引っ張られているけど、私はね、ただあなたが好きなの」
とフーは母乳を弦にあげながらSkype越しに坂口恭平に伝えた。ベルリンの僕は熊本に帰りたくなるが、どうせ明日帰ってくるんだから、最終日の今日は思いっきり楽しんでらっしゃい、とフーが言うので、出掛けた。AMANOホテルの一階カフェで何が美味しいと聴くと、おれのマティーニ半端ない、とバーテンが言うので、注文。午前11時。坂口恭平はAMANOホテルの外のテーブルと椅子に座っている。目の前にはJRの写真グラフィティがぶちかまされている。ベルリンに住みたいと思った。ここに秘密の探偵事務所を作ってタンタンみたいに暮らしてみたい、そして、誰にも知られることなく、洋介とたけちゃんとヒラクとおれの四人で、劇団ベルリンでも興して、しかも誰にも見せずに麻雀でも打ちながら、19世紀末の上海みたいな生活を送りたい。日本じゃ、おれは少しだけ動いただけで警察に睨まれたりして面倒臭い。熊本県警の目もちらりと感じる。なぜ言葉を吐くだけなのに、人は気にするのか。だから、僕はもう人前には出ない。洋介とたけちゃんとヒラクの四人で、とんでもないことを考えて、それを秘密裡に出版するほうがおれには面白そうに見える。話したくない人間とも関わらない。ポルトガルの夕日を夢に浮かべながら、おれはフーとキスした。アオとキスしたい。弦とかけっこしたい。
朝から、そのバーテンが、カフェオレでもなく、エスプレッソでもなく、マティーニを飲めと言われたので、午前11時に僕はマティーニを飲む。無茶苦茶綺麗な緑色のオリーブがついてきた。目の前を子どもが通る。僕の前の道路標識の土台の上に飛び乗ったので、僕は、
「climb mountain.」
おれの目の前に石川直樹と化した金髪の3歳児がヒマラヤ登頂している。僕のiPhoneが鳴る。相手はもちろん石川直樹。
「日本に帰ってきたよ」
「おー、石川直樹じゃないか。ローツェ登頂おめでとう。しかし、おれはそれがどれくらいすごいことなのか分からないんだ。僕はおめでとう、というか、お前が死ななきゃなんでもいいんだよ。だから、ローツェとかどうでもいいけど、おれは人間が入れない隣のカイラス山に住む毘沙門天だからなおさらどうでもいいけど、早く熊本こいよ。というかさ、ベルリン、なんかおれらの小学校みたいな感じもあるよ」
「なんかまた統合失調症ぎみになってきてるっぽいな。大丈夫か?」
「うん、とりあえずうまく調整できているはず。梅山は今のところ、オッケーだって言っているよ。でもさ、」
「どうした?」
「昨日、一気に7本の長編だか短編だか分からない小説群のプロットが天から降ってきたんだ。。。それをメモっていたら、まるで昔、メキシコの呪術師を巡るJTBツアーに参加したときに、最後に希望者だけが食べることのできるペヨーテを食べたときと全く同じ変容が視覚に生じたんだよ」
「笑、、」
「ま、とにかく梅山は長編とか短編とかはおれが全部決めるから、お前はプロットを書け。お前の愛読書を思い出せって言っている」
「お前の愛読書って何だ?幻のアフリカ?レーモンルーセル?熊楠?」
「違うよ。クーンツの名作『ベストセラー小説の書き方』だよ」
しばらく石川直樹は沈黙し、そして、こう言った。
「熊本に今度行くよ。クーンツのその本は読んだことない」
「書名がダサすぎて、ほとんどの充足した人間を避け、鬱に苦しみ原稿が書けずに困っている一番質の悪い、つまり言ってみれば、僕の大好きな映画であるコーエン兄弟の「バートンフィンク」の主人公みたいな人生を送りたいと思っていたら、フーから「あなたは人の人生なんて追わなくても十分ユニークな存在よ。そのままで良いのにって言うんだ」
「だから、熊本行くよ」
「おう、じゃな」
目の前にタクシーが止まった。僕は久しぶりにベルリンフェストシュピエールへ。昨年、モバイルハウスシアターを作った場所だ。二階には、僕のモバイルハウスno.6が置いてある。作品はまだそこにあり、ぼくは一人で泣いてしまった。
大好きな日本料理屋「だるま」へ行った。いまこ先生と久々に再会し、ハグし、もちろん僕の世界のどこにいても好物である、コロ助のコロッケ、ドラえもんのどら焼き、のところの坂口恭平のカツ丼を注文。あまりにも旨すぎて、また泣いてしまった。いまこ先生と話す。
「ワイマール、デッサウと来て、建築の旅、終焉の地ベルリンへ。取材も残すところあと一つとなりました。長く大変な道でしたが、どうにか完遂できそうです。僕はいつも絶望の淵に陥れられ、いくつものピンチが来るのですが、映画のように、結局最後はいつも周辺の仲間の協力のおかげで完遂できるんです。いまこ先生ありがとうございました」
「だるまでのカツ丼は、坂口恭平さんにとって『はばきぬき』ってことですね」
「はばきぬきって何ですか?」
「脛布脱ぎ(はばきぬぎ(き))というのはですね、長旅から帰って脚紐を外して楽になるということなんです。今でも岩手の方言として残っています」
「いまこ先生は何でも知ってますね。本当に感服します」
いまこ先生は書道の先生である。僕が最近、墨、筆、硯、和紙の文房四宝に興味があると言うと、喜んでハグしてくれた。僕は二週間以上家を離れることができない。それくらい、寂しがりやの弱虫である。エベレストに三ヶ月以上いく石川直樹が信じられない。だから、僕は文字の山を登ることにする。家族といないと頭がおかしくなりそうになるんだ。
坂口家はなぜかくもベルリンで歓待を受けているのか。僕はベルリンに住みたいとフーに伝えた。
「私も住みたいよ。でも、それは家族四人が揃ってから熊本で考えようよ」
「零亭を熊本からベルリンに移そうかと思っているんだ。名前も坂口恭平探偵事務所と変えて……..」
「あなた、それこの前みたスピルバーグのタンタンの映画に影響受け過ぎでしょ。とりあえず早く帰ってきてよ」
「早くお前に会いたいけど、ベルリンから離れたくないよ」
「笑、ほら、仕事、仕事」
そう言うと、フーはSkypeを切って、僕の目の前にはまたJRの巨大なグラフィティが出てきた。JRにも再会したい。そうだ、違うおれは今度はニューヨークにいくのだった。ニューヨークで256億円を獲得するためにジョージソロスに会いに行くのであった。フーは、お金なんかいらないと言う。しかし、躁状態の僕は、時々、ゴールドラッシュ期の荒くれた一攫千金狙う狡猾な鼠のような男に生まれ変わってしまう。フーはなぜ、いつも穏やかなのだろう。そして、飛ばし続ける僕と一緒にいて、なぜあんなに幸せそうに笑っているのだろう。僕は他の女の子とデートしたこともあるが、そのとき、三人の女性が、僕と会話を続けているときに、意識を失いふっと倒れた。。僕はついつい人に向けて、何時間も自分の思考の軌跡を話す傾向になり、それが独立国家のつくりかた。や、ゼロからはじめる都市型狩猟採集生活の元ネタになっていったのだが、その過程で、意識を失ってらっしゃった。もちろんフーも例外ではなく、三度意識を失っているのだが、それは僕の言葉というよりも僕のしてしまったことなので、数には入れていない。
僕はバウハウスはほどほどのして、取材を終わらせ、最後に観たかった、ダニエル・リベスキンド設計の「ユダヤ美術館」を観に行く。
僕はこの建築を観た瞬間で好きになった。そして、こんな恐ろしい建築はないとも思った。もちろん同時にとても安息できる建築でもあるのだが。僕はまずは外周から確認することにした。接合部分はどんなものを使っているか。やっぱりリベットだった。細部しか興味がない僕は、顔を壁につけて鉛筆でノートにメモっていった。
しばらくすると、警官がやってきた。
「What are you doing now?」
どうやら怪しまれたらしい、僕は警官にこう言った。
「I'm stand-up spacer, interested in the architecture's construction of poet. So I research now」
しかし、彼は僕の英語を理解してくれない。怪訝な顔をする。
そんなとき、ユダヤ美術館の裏手のほうから、自転車にのった女性がやってきた。ドイツ人らしい。その朗らかな顔と振る舞いにフーの面影を感じてしまった僕は、つい、助けを求めてしまった。男はどーんとかまえている必要があるが、僕はいつもうろたえる。
「助けてくれない?」
彼女はいいわよ、と即答してくれた。そして、僕が建築学科の卒業生で、卒業論文ではダニエルリベスキンドの建築観を書いたこと、そして、この建築が、フランクゲーリーが近代美術を無茶苦茶に破壊した後に、世界で一番重要な建築物だと思っていると彼女に伝えると、彼女はそれを警官が分かりやすいように、固有名詞ではなく、僕の建築に対する態度そのものを伝えてくれているようだった。しかし、ドイツ語なので、それが全く分からない。それでも警官は後ずさり、30メートル先から監視することになった。僕は実測を続けている。
「ありがとう」
「いいえ、何の問題もないわ。ちょうど仕事が終わってリラックスしているときだし」
「お礼にお茶をごちそうしたい」
「いいえ大丈夫よ。こんなことおちゃのこさいさいだもん。でも、あなたのそのノート、狂ってるねw」
「見る?」
彼女はうんと頷き、僕の無印良品のノートをぱらぱらとめくれた。その姿はフーそのものに見えた。でも、まだあどけないころのフーであった。まだ知らない何かがあった。昨年の鬱での欧州旅行を坂口家四人で体験したあと、フーはさらに前身し、このあらぶる、精神障害者である坂口恭平の操作に磨きがかかった。彼女にはまだその嵐は訪れていないようだった。
「僕は躁鬱病なんだよ。だからついつい熱中しちゃう。言葉がほとばしるので、精神分裂状態にもある。でも、結構、楽しい本を書いているんだよ」
「ええ、とても素敵なノートよ。やっぱりあなたとお茶することに決めたわ。ユダヤ美術館にはもう入ったの?」
「いや、まだなんだ。外壁から実測しようとしたら、もう二時間も虜になってしまって。建築って、こんなに魅力的なものだったのかと思ったよ」
彼女は本当に僕の幾分過剰気味な英語表現を笑って交わす。引いていないのだ。
「面白い人ね。美術館のカフェに行きましょう。裏庭がすごい綺麗なの。静かで。私は静かにしていたいとき、いつもここにくるのよ」
「そういう、ここベルリンで生きている人の生の声が好きなんだ。ありがとう。行こう行こう、そこに行こう」
「坂口恭平といいます」と僕は彼女に伝え、右手を出した。
握手した手はフーに似ている。優しい顔をして、まっすぐ僕に向って彼女はこう言った。
「はじめまして。私はマリアよ。私もあなたとあなたの奥さんと同じ35歳。そして、同じ35歳で躁鬱病の彼氏がいるの。あなたと奥さんが作り出した、ツレが躁鬱になりまして攻略本をいつか読みたいものだわ。なんか不思議な出会いね」
僕はそこで、ピンと閃いた。
「えーーーー!そうなの??彼も躁鬱か。。。だから助けてくれたんだし、だからフーに似ていると思ったのか。。なるほど。いいよ、じゃあ、僕が目の前でライブライティングしてあげるよ。ツレが躁鬱になりまして、を」
「ありがとう」
マリアはルイボスティーを、僕は麦酒を注文し、彼女に連れられて裏庭に出た。丸い鉄製のアーチには藤棚が。ちょうど花が咲いていた。薄い紫色をして、仄かな薫りを漂わせ、僕はベルリンのフーと一緒にいるのではないかと誤解したままにしていた。どうせ、違うし、それはどうせフーに勘違いされる類のデートである。これは後に口で伝えたら、きっと怒られるだろう。だから、秘密のままにしておこうと思った。物質と物質が縁によって邂逅したときに起きる、ショートによる花火の跡に、僕は藤の花の匂いを火薬の糟のように感じた。テーブルと椅子が並べてあり、天気がよく幸福な午後である。洋介は待ち合わせの時間を大幅に遅れている。彼もまた僕と一緒にユダヤ美術館をみたいというので来ることになっていた。とりあえずなんでもいいやと思い、僕はホテルから持ってきていたメモ帳に、ボールペンで書き込んだ。
「The Textbook About Maniac Depression( Boy Friend ver.) For You, by Kyohei Sakaguchi」
その瞬間、天から電撃が落ちた。これを小説に書けばいいんだと天命が落ち、8本目の小説のタイトルが浮かんだ「躁鬱の彼」。これは短編かもしれないな。梅山の言う通り、確かに、天命小説には2つのパターンがある。長くなりそうものと、人生の生活にひょっこり登場した不思議な空間や人との出会いを描きたくなる短編の2つだ。僕はそのままちょっと待ってと伝え、東京中野の梅山へ。
「おーどうした。ベルリンどうだ?」
「最高だ。しかも、今、また短編のアイデアがうかんだ。タイトルは「躁鬱の彼」だ」
「旦那、いいね、いいね。楽しそうだね。ここらで、腰を落ち着けて、一度ちゃんと平面図を描けよ早く。建てない建築家、坂口恭平よ」
「そうか。分かった。しかし、内奥から言葉が溢れ出してきて止まらない。まずはこれを安定させないと小説家にはなれないな」
「大分、落ち着いて考えられるようになってきたね。帰ってきたら幻年時代のゲラ、そして次作『711』のプロット&平面図&初期設定に取りかかれ」
「ラジャ」
電話を切り、僕は彼女と話しをした。途中で洋介も混ざり、とても素晴らしい午後だった。その後、洋介とユダヤ美術館へ。その後、さらに天命が落ちる。だから、この先が書けない。なので、ここで終わる。夜は、もちろん、たけちゃんとようすけとヒラクと僕の四人と、昨年やったトークショーで出会った二人の綺麗な女性の6人で、マスカットの発泡酒をシャンパンと言い張り飲んだ。午前1時まで。素晴らしい夜だった。ベルリンは僕を高揚させる。熊本と繋げてくれる。僕は熊本から車で一時間行けばベルリンがあればいいのになと思った。東京、バンクーバー、熊本、ベルリン。僕の砂場だ。ニューヨークで二ヶ月ホテルを借りて家族で暮らしながらジョージソロスに出会い256億円融資してもらうというプロジェクトを心配したワタリさんと東京へ電話すると、
「フーちゃんがかわいそうだから、もうお金は使わないこと。ニューヨークだったらJRがレジデンスを持っているから、そこを借りなよ」
人の言葉に耳を傾ける。
今日、夕方、ウエディングで、快快の篠田が演出して演劇してた。ベルリンのゲイ友達GOクンもいた。なんか、不思議なことが起きた一週間だった。僕の鬱は完全に抜けていた。こうして、僕は家族へ向う。次は熊本へ。思考都市のアートディレクションをやってくれたミネちゃんが、4日から三日間熊本にやってくる。なんかとんでもないことが起こっているような気がしている。もう僕はこのまま突き進む。人前には出ることなく、世界中を飛び回り、ニューロンネットワークを拡げ、小説を書き続ける。サル・パラダイスのように生きたい。子連れのケルアックみたいな感覚で、おれは熊本に帰る。ベルリンの仲間とはまた来月、ベルリンで会うことにした笑。
家族と共に行き、仲間とクリエイションを続ける。あとは人と関わらない。ネットもしない。何もしない。目の前の大事な人間だけに集中し、徹底して、世界中のネットワークを作り出す。それしか道はない。それでも新政府の修行にももちろん意味があった。いのちの電話にも。でも、僕はもう違う。ただ生きることにした。ただ移動し、ただ定点で深く潜り、ただ、文字に幽閉されればいい。仕事中以外はアオとゆっくりしていればいい。弦が大きくなったら、なにしよう。そして、フーと今すぐ、キスをしたい。
今、ANAの機内の中。フランクフルト発羽田空港行き。そのまま乗り継いで熊本へ。フーがSkypeで言った。
「アオはいつもパパと会えるまで何回寝ればいいかを数えるんだけど、なんか一日間違ってしまったらしく、今日、帰ってくると思っていたんだって。だから、朝から泣いて大変だったのよ。早く帰ってきてね。まっすぐ」
僕は機内で原稿を書いている。様々な思いでが。サウダージベルリン。
HomesickというBarで、仕事も何もしておらず夢はタバコ屋の女将さんだからモバイルハウスで煙草屋を作ってくれという女性が僕に言った。
「私は穴丑なの。味方でさえも知らず、その街に溶け込み、ただ溶け込んでいる忍者のこと。そう、私、忍者なの」
その女の子とは、ベルリンで出会った。
このように、僕の人生は全て小説への粒子として、放射していく。
僕は人と会い、建築と空間と触れ、街を歩けばいいのだ。ポッケにディケンズねじ込んで。
僕は生きるままに作家でありたい。
僕は描きたい。
僕は書きたい。
詩の構造で、文字により音楽の建築を作り出す。
それがおれの仕事だ。
おれは人間が好きだ。
心が好きだ。
飛行機は、エカテリンブルグの上空を飛んでいる。あと5691kmでアオに会える。
結局昨日は一睡もせずに行ってしまったので、翼の王国の取材は眠い。もっと眠りたいというと、お前はいつから有名作家みたいな物言いをするようになったんだ。そんなことでは、雑誌の仕事はできない、お前を解雇するなんて誰も言わず「あー、いいよ。昨日まででもうある意味到達したもんね。今日はゆっくりしなよ」と優しい卓郎をおれは透明の腕で抱きしめた。ということで、木立のなかで昼寝をしようと試みる。
すると、一本の電話。
「藤村龍至です」
僕は今、グロピウスが設計したマイスターハウス、クレーとカンディンスキーの家の前にいる。藤村さんは僕が国内にいると勘違いしているらしく、面白いから、そのまま話を進めてもらうことに。
「どうしたんすか?」
「えーっとですね。今度、新しい都市の形のマスタープランを展示するちょいとでかいコンペがありまして。そこで、私は当然建築家であるのですが、都市計画の首長として専念し、様々な建築家に設計を依頼するということを考えていまして、ちょいと相談が」
「藤村さんが電話するなんて珍しいね。いつもおれが勝手にかけて思ったことをしゃべって突然切るということばかりしてたもんね。あっ、いっすよ。おれは総理で、藤村さんは国土交通大臣なんだから。僕に断りなんか入れずに、勝手に提出しちゃってくださいよ」
「あー、了解しました」
「ところで、藤村さん。僕はなんと今、マイスターハウスに来てるんですよ。デッサウの」
「なるほど」
「で、この地方に蔓延してしまっているデボラ熱よりも爆発力が半端ない、バウハウス、という熱病がパンデミックになっているということを聞きつけ、日本人初のシャーロックホームズになってグロピウス、バウハウスの謎を追い求めて、石塚ワトソンくんと、全部金を出してくれる、しかも待遇すごくいい僕のパトロンである卓ちゃんと来てるんですよ。バウハウス半端ないっすよ」
「きてますね。。」
「脳味噌には血管と神経系の2つの道がある。藤村さんは血管の軸線、僕は神経系の軸線を見ている。バウハウスを再認識し、新しい2020年の都市計画を行うというのは僕もよだれがでるかも。やばいね。でも、おれは金なんかかけずに0円で頭だけでさらっとしちゃうけどね」
「というのをよろしくです。コンペなので、採用されない場合があるのでご了承を」
「コンペというのは競争ではないよ。ただの政治なので、負ける戦はしないようにお願いします。全面協力するので」
「それでは、また」
電話を切る。藤村龍至氏とはどんな関係なのか。面白いところだ。僕は夏頃に零塾を再開したい旨などを話したりする。しかし、僕はやると鬱になる。なので、絶対に精神的に参ることのない、フーみたいな存在でもある藤村龍至氏は僕にとっても重要なサポーターである。
原稿をもっと書きたいが、今日もまた眠れない。新しい本のアイデアがどんどんと出てきている。ノートにはさまざまな言葉が羅列している。
新しい坂口恭平:小説連作アイデア
ということで、もうすでに7冊分の計画が完了。プロット化してはいないが、イメージは固まっている。はじめのアイデアも決まっている。講談社現代新書の川治くんとSkype。全て面白いとのこと。梅山と電話。イメージは浮かぶと言ってくれた。早く図面に取りかかれとの依頼。幻年時代のゲラを受け取るのは6月1日。それまではちょいと遊びのつもりで真剣に、プロット、平面図を書こう。
今日は、芸術家の小金沢健人、たけちゃんと、ミナペルホネンの青ちゃん、ベルリンの右腕洋介、そして、映像作家の土屋くん、そして子どもたちとみんなで白ワインを飲む。楽しくなって歌う。ベルリンで坂口恭平事務所ベルリン支店をつくることにした。洋介とその後、ホテルで2時まで飲んで、今、朝7時。。。結局今日も徹夜をした。二日連続である。もう眠いので、書きたいけど、書けない。
ドイツのデッサウにいる。デッサウなんて言っても誰も知らないかもしれないが、ここにバウハウスの校舎がある。設計はグロピウス。もちろんとんでもない建築だ。ここで書きたいことはたくさんあるが、翼の王国の連載で書くことになりそうなので、ここでは言わない。ANAの飛行機に乗るか、坂口恭平の親戚なんですが、機内誌を読みたいので一部送付してくれないかとお願いしてほしい。さらに言えば、そんなことできればしないでほしい。しかし、人間は勝手なものである。やらないでと言われていることしかやらない。おれがまさにそうだ。バウハウス博物館の館長と熱く語る。涙流した。バウハウスという熱病はパンデミック状態で、蔓延している。みなが狂い始めている。パキスタンからローンしてまでここの学校に来てデザインを勉強している40歳のバーバラと出会う。ラホールは今、キチガイ若手建築家たちが実験的な建築を建てはじめているらしい。なんか、70年代の日本みたいだな、気をつけろ。建物を建てると、バウハウスみたいな幸福な熱病ではなく、デボラ熱みたいな悪魔に取り憑かれるぞ、パンデミックに気をつけろ。楽しいパンデミックを、グッドラックと言い別れた。でも、ラホール面白そうなので、今度行ってみたい。
500年前から麦酒を作っている半端ない麦酒工場で夕食を。デッサウは今、見ると、新興住宅地のようだが、実は第二次世界大戦で85%も爆撃された、それこそ重要な文化の都市で、5000機の軍用機が作られた場所でもある。音楽と演劇が栄えた、かつエンジニリアリングも備わっていた。おそらく、ライプツィヒよりもベルリンよりもヒップであった可能性があることが取材を重ねて行く中で判明してきた今、あまりにも退屈な街は、おれにヴァージニアウルフの言葉が突き刺さる。
町や港や小舟の放つ光の群れは、そこに何かが沈み果てたことを示す幻の網のようだった。ーーヴァージニア・ウルフ「灯台へ」
その後、写真家石塚元太良と二人で飲む。そしたら次の新作のアイデアが降臨してきた。気付いていたら、僕は梅山に電話していた。まるで、高円寺から公衆電話で吉祥寺付近で飲んでいる梅山にかけるかのように。しかし、おれは今、デッサウで、梅山は日本にいて、しかも、朝7時であった。そこで、下りてきたプロットを話す。つまり、小説になる。タイトルも決まった。しかし、まだここでは言わない。幻年時代が発売されたら教えます。というように、狡猾な資本主義野郎でもある僕は、とにかくお金のことしか考えていないただのインテリヤクザの風貌にも思えてくる。でも、そんな僕を、あなたは心が優しい人なのにね、と言うフーを僕は信じていいものかと悩む。これは何かの暗号なのか。フーよ、お前は果たして本当に人間なのか。僕の味方なのか。いや、フーは味方ではなく、見方である。つまりvisionである。この女の持つ芸術性に少しずつ気付き始めている僕がいる。僕は、ノートを開き、さらにプロットを進め、梅山に電話。
「また、プロット進んだよ。ラストシーンはこういく」
「よーしよし、いいぞ、恭平。プロットは後で詰めよう。今、登場人物たちの輪郭がはっきりしてきたから、次は平面図を描け」
「平面図か。良い言葉だな。分かった。プロットという時間軸は置いといて、まずは空間構成から始めよう。お前、しかし、面白い編集者だな」
「あんまり電話しちゃうと、また電話代かかるぞ。フーちゃんに怒られてしまうぞ。昨日、ホテルからかけて結局いくらかかったんだ?」
「2万円だった。40分話して2万円って。しかし、製作費と思えば安いものだろう。昨日は梅山に電話しなくてはいけない天命だったのだから」
「フーちゃんからの苦情はおれが対応する。だから、お前は平面図だ。とにかく。プロットはさらに固めちゃ駄目だ」
「小説というより、なんか建築作っているみたいだな」
「だって、お前の肩書きは建築家/作家なんだろ?新政府の総理はもういいよ。やることやったよもう。なんか、総理とか言ってくる、お前の本なんか真剣に読んだことないやつなんてもうどうでもいいから放っておいて、お前は文を書け。作文しろ。早く。お前は自殺するかもしれないけれど、それでもお前が本を残したら、本は残る、よ。本は死んでからが本番だ。生きているやつの本はどうもいけねえ。新政府作ったと思ったら二年経ったらやめます、なんて、すぐに心が入れ替わる。死んだ作家は心が入れ替わらない。入れ替わるのは読む、つまり生きている人間だ。だから、お前が死んでも残るものを書こう。というか、お前、発狂寸前かもしれないけれど、それはそれで、羨ましいよ。もちろん、自分が坂口恭平にはとてもじゃないけど、なりたくないけど。フーちゃんはとにかくおれがフォローするから、お前は原稿を書け。ツイッターは完全に止められたっぽいな。よーしよし。いい子ちゃんだ。他者となんか関わっても限界があるぜ。生者と関わるだけじゃつまらんだろう。遠い未来の子どもたちへ書いたほうが飛距離半端ないぜ。人のことをあれこれ言う人間は結局のところ、寂しいだけなんよ。もっと沈黙を保て。あ、でも今書いている坂口恭平日記は結構いい感じだと思うよ。土佐日記とかちゃんとチェックしておけよ。じゃあな。バウハウス楽しそうだね。いいね。ドイツ」
無印良品の「再生紙・ノート・6mm横罫 NOTE A5・100枚・ベージュ」。これがおれのドローイング帳であり、設計図であり、取材ノートであり、ネタ帳であるのだが、その税込210円の手帖に平面図を書き込む。おそらくこれが躁状態であることは分かっている。みんなは躁状態は楽しそうでいいねと言っているが、ほとんどの医学書には「躁状態はしばしば周囲の人間から楽しそうだねと思われる傾向にあるが、多くの場合はそれはそれできつく、本人は苦痛を感じている場合がある」などと書かれている。果たして坂口恭平の場合はどうか。確かにきつい。でも、マラソンランナーはきついのか、幸福なのかを考える。つまり、口頭での問診でしか病状を診察できないこれらの精神障害たちはそれ自体が文学であり、哲学なわけで、つまり、何もあてにならない。ジャングルみたいなものだ。羅針盤すら効かない。だから、僕は書くのである。それは分からないからであり、しかし、一瞬一瞬では感じているからだ。
さらに、次のノンフィクション、というか、もうすでに何がノンフィクションでフィクションなのか分からなくなっているし、そもそも経験してもないのに、図書館に通い詰めて、フィクションを書いている、現行のほとんどの小説群たちが本当に大嫌いな僕は、小説を書くなら、ただ人間を躍動させればいいと思っている。人間を躍動させるにはどうすればいいか。文字の中の人間たちに生命を吹き込むには、それはつまり、体験しなくてはいけない。ダニエルデフォーを評した松岡正剛さんの言葉は僕の羅針盤になりうる。
デビュー当時の作家の多くは、最初のうちは自身が体験した貧困や差別や苦悩や快楽を描いて文学賞をとったり、話題になったりするものだ。それがデフォーの時代では、実生活そのものが文章だった。
しかし、デフォーはそこに仕掛けを装置した。自身の日々を実験台にして、それがあらかたケリがついたところでノンフィクションをフィクションに切り替えた。いや、もともとルポルタージュやアジテーションそのものを虚実皮膜で実験しつづけていたわけで、それがアン女王の死によって時代の落着がおこったことを見届けると、デフォーはまったく新たな「物語作家」という職業の確立に向かったのである。
その物語は同時代に生きる極端な人間の一代記というものだ。そのためにデフォーは自身のすべての体験をフィクションに仕立て上げた。これはダニエル・デフォーだけが、デフォーの編集能力だけがなしとげたことだった(のちにはチャールズ・ディケンズがこれに再挑戦した→407夜)
ーーーーー1173夜『モル・フランダーズ』ダニエル・デフォー|松岡正剛の千夜千冊より
僕は果たして、この在野の人間であり、現行の政府に全く抵抗もしなければ、政府の存在すら全くないものと思って生きている坂口恭平が、バウハウス並みに熊本の都市計画を、もちろんリングネーム通りに「建てない建築家」としていかに再生できるかを考えている。僕の概算はざっと200億円が必要だということになった。もちろん、これはおれのギャラの話ではない。僕はお金が余っているので、一円もギャラがいらない。こういう僕の試みに対しては、であるが。製作費として200億円とみた。すると、先日、その200億円という数字を、僕の新政府、ではなく、坂口恭平、その人間自身の数学大臣である浦安家麗という才女から国際電話。これに出ると、着信であってもまたお金がかかるのかと考えているふりをしながら1コールで受信。
「恭平、数字でたよ」
「麗!まじで!お前、まじで最高の女だな。フーもすごいけど、麗、お前もすごい。接吻をしたいくらいだが、あいにくおれにはフーという世界最高の嫁がいて、これ以上、何か不穏な行動をすると離婚されるかもしれないし、離婚された時点でおれの人生はおそらくリセットボタンのように終了するから、とにかくおれはお前に金を振り込む」
「あんた馬鹿じゃないの。あたしは男性としてのあなたには全く興味がないし、あたしも二人子どもいるんだし、ま、なんでもいいんだけど、あたしは数字は全部理解できるけど、旦那の働き悪くて金が無いから、キスはいらないから、即金でお金を払ってよ。あんた今、デッサウにいるんでしょ?あたしライプツィッヒの大学でポアンカレの研究やってたから知ってるよ。あそこ最高だよね。ま、とにかくドイツから明日即金で35万円振り込んでおいてよ。Swift CodeはBOTK1P1T、三菱東京UFJ銀行西荻窪支店
普通1071008だからね。請求書はフーに送っとくから。あの人、好きよあたし。フー、かわいいよね。あいつ菩薩だぜ、絶対。だから、恭平、もう他の女の子にキスとかしたら駄目だよ。次はないよ。まじで、捨てられるよ、あんた。あんた、なんか新政府とか言って一般人から金巻き上げてるらしいじゃん。酷いよね。だから、金あんでしょ?即金でお願いします」
「はーい」
とりあえずこの鬱陶しい女は、数学さえできなければ、友達ではない。しかし、この女のは数学ができるばっかりにおれのブレーンとして、友達になっている。facebookなんて友達申請を受諾しているどころか、二人で、同一人物になりすまし、その人物をつくりあげ、二人でアカウントを共有し、新しい数学と人類学との架け橋を研究しているDr.Mizumotoになって、日々、ウルグアイの滝の下にある小さな集落に閉じこもり、計算式を書く傍ら、旅行客のコーディネーターをやっている。それは僕にとって楽しい遊びであるし、小説がかけない僕の新しい趣味となっている。僕は32歳ごろまで、趣味という概念を知らなかったので、人々が例えば、サーフィンの話などをすると、仕事の合間の悦び、いや、むしろ仕事はサーフィンのためにやっているなどという僕からしたら常軌を逸した熱中している姿を見て、僕には趣味がない、つまり、悦びというものがない。束の間の休息という概念がない。ティーとマドレーヌみたいな愉悦を知らない、無知の、というか、結構面白いこと考えているし、トークショーとかでもその野蛮かつ繊細な振る舞いを見せるから、気になって付き合ってみたけど、趣味ないじゃん!毎日毎日机に向って原稿しか書いてないし、バレンタインデーとか全く忘れているし、なのに、他の女とは白金高輪のラビラントとか行くし、意味分からんし、つまらんと言って、逃げていった女など一人もいないが、というか、実質的におつきあいをしたことのある女性は、中学一年生から22歳まで一緒にいた中学生の同級生の女の子と、フーしかおらず、フーの前で、
「おれ、趣味がないんだ。机の上で苦悶することが趣味と言えば趣味です」
と自虐的に言うと、
「っていうか、あたしも趣味なんてないんだけど!ははははは」
と大声で笑うフーをとりあえず後ろから強く抱きしめた。抱きしめれば、今までの過ちが全てチャラになるんでしょうとはフーは言わない。フーは絶対に言わない。フーとSkypeした。
「鬱のときの自分、もう忘れたんでしょ」
「うん。ごめん。鬱のときなんか言ってた??」
「ははははっは!」
「で、今、考えているプランが今日、三つ出てきたのよ。一つ目は幻年時代に続く、新作のタイトルと、プロットの一部分、そしていくつかの平面図が完成したので、次の本の執筆を開始します。梅山にはもう伝えたよ。百点!とは言わなかったけど、プロットのノリとラストシーンの映像を伝えたら、うん、見える。平面図を描けってなぞなぞしてくるもんだから、必死に今平面図を書き上げたところ」
「いいじゃん。原稿執筆に関しては嘘でもなんでもいいから、とにかく狂気のその向こうのブルゴーニュの森まで行っちゃっていいよ。ってなんか言い回しが、恭平みたいになってきた。はははははははっは!」
「で、2つ目が、おれが革命するとしたら………」
「恭平!」
「革命のためには……..」
「おーい、恭平」
「ん?何、何?」
Skypeの向こうにはフーはいない。テープルにiPhoneを置いてSkypeをしているらしく、そのかわりに、坂口恭平の所有するMacbookAirの画面上にはフーの乳房とそれに動物のようにしゃぶり付きながらも、素っ気ない顔をしている弦の姿があった。久しぶりに自分の息子の顔を見た坂口恭平は、にたりと頬の輪郭が歪み、しばし茫然とした。それに続き、フーの乳房から声が聴こえる。
「恭平。革命を起こすことを目論まないと、あなたのこの前の誕生日にあなたと梅山と私で約束したじゃん。革命は起こすんじゃない。革命は「書く」「命」なんだって、ユリーカー!って叫んでたじゃん。それは酷いギャグセンスではあるけど、つまり、あなたは今後、一切人前には出ずに、私の横でずっと原稿を書き続け、それを黙読する人たちへ自由を歌うって、言ってたよ」
「なんか、すごいこと言ってるな。。。。なんでそんなに覚えてるの」
「いやいや、あの、あたし、この前も言ったけど」
そう言うと、フーの乳房の映像はフーの顔に変化した。彼女はオレンジ色のLIFE!社のB5ノートブックを持っている。それは坂口恭平が弟子たちに、書物の描き方を教えるために原稿用紙を近藤文具店で購入した際についでに、フーが好きそうだからと買って手渡しておいたものだ。
「坂口恭平日記つけてるからじゃないけど、梅山が言ったから、そして、あなたの躁鬱の具合を試験的に観察するためにあたしも日記書いてるもん」
「フー日記か」
坂口恭平は、すぐ人のあらゆるものを覗き見する性癖を持っている。鍵さえかかっていなければ、それは見てもいいものだと判断しているのだ。フーのタンスの四段目の奥の方のビニール袋の中に何が入っているかすら知っている。しかし、坂口恭平はそれをフーに伝えたことはない。しかし、フーも狡猾で坂口恭平が様々なものを覗き見することは当然ながら把握していた。フー日記は、その意味で坂口恭平のためのプライベートな手製の本を書いているような気持ちでもあったのだ。どうせ坂口恭平という男は覗く。全裸など全く興味のない坂口恭平は常に覗く。だからこそ、フー日記はつまり手紙として、無言の暗号としての手紙として成立させていた。しかし、不思議なことに坂口恭平はその日記の存在を一度見たことがあったので知覚していたはずだが、それを開いたことがなかった。当然ながら、その気付かなさは故意であった。坂口恭平は自分に関する秘密を覗くことを恐れていた。他者の秘密にしか興味がなかった。秘密というものはそれ自体で小説である。しかし、その小説の中には坂口恭平は登場人物として出演することを恐れていたのだ。
「忘れてた。で、そこにおれが言ったこととかが克明に記録されてるの?」
「いや、そういうわけじゃないけど。印象に残った言葉だけ残している。鬱のときもあなた十分面白いよ。ま、もちろんいつ死ぬか分からないという恐怖とこちらは常に向き合わないといけないからきついけど。でも、わたしより絶対、恭平のほうがきついよね。分かるよ。でも、躁になったら忘れてるもんね。はあー、鬱の恭平が懐かしい。あの人、私好きよ。目が異星人みたいに澄んでるもん」
そう言うと、フーは日記を閉じた。
「お前、異星人みたことあんのか?」
「いや、そういうわけじゃないのよ。なんであなたはちゃんと言葉を受け入れちゃうの?例えばってことよ」
「いや、だから比喩というのは、体験してないと使えないはずなんだよ。村上春樹の小説が僕が最近好きじゃない理由が比喩の精度が落ちてきているってことなのよ。つまり、体験してないことを書こうとしている。もしくは体験していることを書くことが果てたのかもしれない。なんか村上春樹って、最近、人と話してないんじゃないかなって思うくらいで、比喩から立体が浮かび上がって来ないんだよ。つまり、あれは体験していない。しかし、今、嘘をついたことがないフーが異星人みたいって言ったってことは、と考えるとぞっとしただけだよ」
二人は沈黙している。つまり、何の話をしていたのか分からずびっくりしている。革命についての話をしていたはずだが、と第三者の筆者もついこの二人の枕の長さに冗長だとツッコミをいれそうになるが、大抵のフィクションで、筆者の視点が入ったもので古典として残るものは存在しないので、とりあえず筆者は引き下がる。いや、そんなことを言ったら、ハックルベリーフィンの冒険だって、エルマーのぼうけん、だって、あれは筆者の言葉が入ってきている、いや、むしろ、そのまま突き進んでいるべきじゃない?と筆者が今、Skype越しに会話している坂口涼子が言った。
「革命って言ってたよ。また変なこと考え出したんでしょ?」
坂口恭平が作り出した幻影である落ち着いて、いつもどんな要望にも快く応じてくれるという人物設定としているはずの、落ち着いた佇まいを持つフーが思い出して伝える。Skype越しの坂口恭平は、実は原稿をそのMacBookAIrで書きながら、ほとんど上の空で、フーの言葉をきき、また新しいセンテンスを思いつき、それをタイピングしている。
「あっそうだ。革命の話だった。あのさ、おれの友達の浦安家ちゃんがさ、、」
「聴いたことがないけど、その人、女の子なの?」
「いや、男だよ。数学マニアで、いつもすげー計算式導き出して、おれに新しい数を教えてくれる人なんだけど」
「恭平の友達って、とりあえず真面目に会社とかで働いている人一人もいないから、いつもあなたの狂気につきあってくれて、ほんとあなたは幸せものね」
「いや、おれもそうだと思っていたが、どうやら、自由っぽい人でも実は意外と忙しいらしく、かなり無理して僕に付き合ってくれていることが最近判明したんだ」
「あ、そうなんだ。でも、付き合ってくれるんだから、幸福だね」
「うん、たぶん、僕は幸福なんだと思う。自殺するかもしれないけれど、幸福なんだと思う。僕はそれでいいと思うんだ。死ぬなんて一度も考えたことがないけれど、不幸だと感じるよりも絶対にいいよ」
フーは涙を流している。
「自殺は本当にしないでね。死ななきゃなんでもいいから」
坂口恭平は精神分裂者の演技をしていた自分を反省し、突如、トロンと故意にちらつかせていた自分の2つの眼球を、しっかりと直線的な視線に変換し、頭を下げて謝罪した。坂口恭平は自分がもうすでに自殺をしたいとは思わない、つまり、彼の言動によるところの不幸という概念とぶつかっている最中であった。過ぎ去った幸福への望郷が彼を精神分裂病を患う人間の演技を、Skypeという舞台上で行うという演劇活動を呼び起こしていた。坂口恭平はSkype上のフーと思わしき、画素の荒い女性型の人間へ謝罪の視線を送った。同時に、キーボードを静かに動かし、
「自殺は本当にしないでね。死ななきゃなんでもいいから」
とタイプした。
「思い出した。で、256億円あれば、革命が起こせるという数字を浦安家ちゃんが出しちゃったんだよ」
フーは涙を拭いている。乾いた頬をフーは両手でポンポンと叩いている。アトピーで痒かった皮膚が安定し、綺麗になった皮膚がこの男の発言により再発するのではないかという不安を、静かに鎮めるように、頬をポンポンと叩いた。
「今年は弦ちゃんがいるから無理だけど、来年の夏に、256億円を獲得するために旅に出ようと思うんだけど、どう思う?」
「もう意味分からないし、やっぱりあなた地球人じゃないでしょ」
フーは全くの冗談を言わない女である。その女から発せられた地球人という第三者的に地球を見るという視点は高揚を続ける坂口恭平の冷静さをつんとはねとばした。
「いや、そういう問題じゃなくて。。。だから、今から説明するから。僕は、現行で言われている政治の世界で行動するのは得策ではないと言っているわけじゃん。いつも。それなのに、躁状態になるといつも市長選でるとか言う訳よ。そうすると、本当に適当だと僕はいつも思うんだけど、うおー、すげー!市長選立候補!絶対投票します!とかいう、本当にこの人馬鹿なのかな、冗談で投票しますって言っているんだよな、もしかして本気じゃないよね、と思う人が最近、いっぱいいることに気付いた。この人たちは絶対、一坪遺産とか読んでないと思う訳よ。ま、別にそれはいいけど」
「ということは、市長選なんて立候補しないのね。。。あー、よかった。本当に市長選に出るのだけは恭平やめたほうがいいって。あんな恭平にとって退屈な仕事はないよ」
「言うねえ、フーは。市長なんかなっても、結局使える金って、2億円もないと思う。絶対に熊本市の金が好きな地元有士とかヤクザに流れているだろうし、おれのパターンは、昔の女の子の話が浮かび上がり、フーは済んだ話なので、って怒っていないのに、マスコミで叩かれ当選後三日目で辞任というギャグにしかならんしね。ぶっちゃけ、オバマ米大統領と同じく、アメリカでは大麻も吸ったことはあるし」
「やめとけって。本書いているほうが世界変えるっしょ」
「でも、バウハウス見る限り、そうとも言えない。政治では変わらないが、教育の中にカオスをぶち込むことができれば、つまり、おれの躁鬱のような解決のできない闇と立ち向かうための教育施設みたいな時間長く考えられる暇な場所があれば、社会いいかんじに適当になって、自殺するのも馬鹿らしくなったり、結婚したからって、愛し合ってもいないのに、無言で一緒にいなきゃならない世界なんてものから大脱走できるとおもうのよ」
「ほんと、あなたって大雑把で危険きわまりないわね。それでまた人を焚き付けるだけ焚き付けて、飽きたら逃げるパターンでしょ」
「だって、おれはフランス映画の「穴」ってのが好きなんだ。あれを一生ループで見ながら、原稿を永遠に書いていたいタイプなんだもん」
「ま、どうあれ、人間は何をやろうと自由だから、なんでもいいんだよ。恭平がやりたいことをやれば。恭平が好きな人はそれでいいと思うだろうし、怒る人もたまにいるけど、そんな人たちとは今喧嘩しなくても、どうせいつか喧嘩するから、早めに手を切っといたほうがいいよ」
「お前はギリシア人みたいに合理的な弁論述を持っているな、フーよ。ギリシア哲学専攻してたの?」
「いいや、わたしは立教の社会学だからね。差別問題に興味をもってたわ」
「なんか、お前の好きかも」
坂口恭平はそう言うとおもむろにズボンを弄り、陰部を、出し、手に持ったMacBookAirの角度を変え、Skype上でフーへ親愛の情を伝えた。
「馬鹿じゃないの。だから、それで256億円はどこにあるのよ」
坂口恭平は思い出したのかのように、陰茎をしまい、そして、こういった。
「256億円はニューヨークにある」
隣の部屋の宿泊者が僕の壁を叩いている。どうやら、Skypeをしすぎて、眠れずにその怒りの感情を壁を叩くという行為、つまりほとんど、その向こうの坂口恭平には加害することができない行為を繰り返している。坂口恭平はとっさに静かな声に戻り、ヘッドフォンをして、フーの声を無音にし、こそこそ話をはじめた。
「まずニューヨークにいる、親友であり、尊敬する、芸術家JRのアトリエに行こうかと思うんだよ。しかも、JRが涎を垂らしてくれた、僕のドローイングを持って。あの5メートルのやつ。あれ、500万円の値をつけているんだけど、しかも、買いたい人ってのが今、現実にいるんだけど、もうお金いらないよね?」
「いや、あればあるだけあなたはお金を使うから、やっぱり少しはあったほうがいいわ。500万円で売っちゃえばいいじゃん。その買いたいって言っている日本人の人に」
「違うんだよ。わらしべ長者っていうのがあるだろ。ああいう感じでいきたいのよ」
「何するの?」
「JRにそのドローイング、あげちゃおうかと思うのよ。覚悟決めて。アーティストだけど、ちゃんと売らずに保存してくださいって契約書だけ書いてもらって。そして、JRにJRが知る限りの一番の金持ち、というか、おれの言っていること、つまり、熊本市を完全に、政治部門ではなく、教育部門だけに限定して、完全に日本から独立させる新しい都市計画を建築を建てずに実現するというコンセプトを理解できる、半端ない金持ちの人を紹介してもらおうかと思うのよ」
「また・・・」
フーは呆れている。
「一体、どうやるのよ」
「だって、今、おれは500万円自由に使えるお金があるんだよ」
「って、あなた、それ、新政府の国民が入金したお金じゃない!!」
「なんだよ、新政府って笑。まさかお前までおれのイリュージョンとしての政府の国民になっちまったか笑」
フーは怒っている。
「じゃあ、パスポートを見せてみろ。新政府憲章は果たして第何条まであるでしょうか?」
「持ってないし、知らない」
「ふん、無知め。知らぬのに、それに加担するなど、人間の行う行為ではない」
「本当にあなた躁状態になると理屈っぽくなるよね。ま、面白いから、いいけど。で、つまり、500万円もってどうするのよ」
「ニューヨークで256億円を稼ぎに行くんだよ。一人で旅すると、鬱になるから、フーも、アオも、弦も、みーんなで。ウィリアムバーグの裏手に誰も知らない、最高にかっこいい、しかも一日30ドルという破格のツリーハウスのホテルがあるから、そこに行こうよ。おれは毎日、タイムズスクエアの真ん中で、路上に「256億ドルまであと◯ドル!恵まれない芸術家のために愛の金を!1ドルにつき1分間、はんぱなくぶっとぶ最高のコンセプト、実地計画書をプレゼンテーションします!」とか書いてさ、ギター持って、流しやるから、たまに、アオとか汚い格好してもらって、恵んでください的に、古事記的に、いや乞食的にやれば、すぐ256億円集まるんじゃないかと思って」
「あなた、、、、とうとう狂ったの?」
「いや、狂ってないよ。その証拠に、今、電話したんだけど、講談社現代新書の担当川治くんにこの企画を話したら、うん、いいよ、それやろう、と言ってくれたよ。しかも、お前に、幻年時代の次の作品、二作目の小説作品の出版の企画もやりたいって言ってくれたよ」
「本当に、あなたは何から何まで準備万端でむかつくよ。いいよ、楽しそうだから、ニューヨークいこうよ。でも、500万円持っていくけど、500万円以下になったら承知しないよ」
「大丈夫だよ。そのときは事情を話して、JRに500万円に到達しなかった分のお金だけ、つまり、50万円とかそれくらいでいいからくれって、自分の絵を安売りするから。安売りしないおれがいうんだから、これはマジだぞ」
「あと、弦がいるから、ニューヨーク行きたいけど、今年は無理です。来年の計画にしてください」
「来年やっていいの?」
「だってニューヨーク家族で行けるんでしょ?」
「うん、行けるよ」
「ウィリアムバーグのあの半端なく美味しいスペイン人の英語喋れない綺麗だけど幸薄そうな美女が焼いてくれるチーズケーキ食べれるんでしょ?」
「うん、行けるよ」
「行きたいかも、それちょっと」
「ま、そこまで揺れてるなら、どうせ来年絶対に行きたいっていうから、もうその話はいいや。よし、企画完了」
「どうせ、鬱になるしね笑」
「チェルフィッチュの岡田利規さんなんてさ、、、坂口恭平の予定は未定であり、紙のみぞ知る、なんて洒落たこと言ってくれたんだよ!おれはどうせ鬱になるし、どうせ、上がって、今日みたいに企画書書き続ける人生もある。人生楽ありゃ苦も有るさ。人生山あり谷あり。鬱躁はウッソーとも読めるしね。ま、どうせ適当な人生なんだよ。おれは。原稿だけは血吐いてでも書くけどね。しかも、今、もう朝7時だし、集合時間だし、昨日一睡も寝てないし。
「サイレース飲んでねなさい」
「いや、それがもう仕事に。今日もデッサウ取材なんだもん」
というわけで、坂口恭平はSkypeを切り、同時に書いていた、原稿も止め、今から歯を磨く。
時は、もうすでに2013年5月29日。
何かの物語が轟音を立てて坂口恭平を襲う。恭平は充電しているiPhoneを持ち、SMSでフーにメールを打った。
「幻年時代の次の小説のタイトルは『711』と決まったんだ。かっこいいだろ。」
ベッドの上で煙草を吸った坂口恭平は、慌てて、飛び起きた。ドイツのホテルはどこも禁煙である。灰が、白いベッドのシーツの上に落ちている。慌てて吸ったので咽せて、ごほごほと乾いた音を出す。台所で水を出し、火を消した坂口恭平は、持ってきている。そこに昨日酔っぱらって置いてあった、本を見つけた。その本は「西遊記」だった。原書をいつまでたっても読めない坂口恭平は、毎日、1ページずつ破り、それを捨てるくらいなら覚えようという強引な昔、ジーニアスという英和辞典を全て記憶しようとしていたときに使った荒技に躍り出ている。しかし、捨てるのは忍びなく、1ページずつだと読みやすいことも分かり、毎日、珈琲飲みながら、西遊記の破ったページを一枚ずつ解読していくのが趣味となった。坂口恭平は趣味という一般社会と呼ばれる腐敗の世界が作り出した魔法にかかっている。趣味を持てば高等な人間であるということが認定されて、安定した人生が送れるという情報を獲得した坂口恭平は西遊記を破り、1ページずつ毎日読むという珈琲&シガレット&西遊記、というジムジャームッシュへのオマージュという意味合いも含めた趣味を展開している。解説のため、絵とか、文字とか、かいていると、次第にト書きのように見えてきた。それはまるで、演出家が書いているコンテのような感じにも思えた。
「やばい、これ脚本じゃん」
坂口恭平は驚き、SMSで再びフーへメールを送る。
「ごめん、狂人でごめん、でももう二度と、お前と離れない。離れない方法を見つけた。毎日一緒にいればいいんだよ。西遊記読めずに奮闘していたら、それが脚本に変化していることに気付いた。孫悟空はもちろんおれ、さごじょうは、パーマは、ちょはっかいはタイガース。そして、玄奘は…….」
「嫌だよ」
「いや、問答無用、フーだよ。悪役はアオちゃんに毎回違うお面かぶってもらうから。で、白い馬が必要だから、50万円くらいで、白いポニーを阿蘇の牧場から買ってもいい?」
「なんだか、あっぱれだよ。よくそんなこと思いつくね。我が旦那ながら、あっぱれ。たいしたもんだよ。ばか、なんでポニー買うんだよ」
「だって、映画を今からつくるんだぜ!製作費0円で。初期投資で50万円は安い」
躁状態のときは金の計算しかできなくなる。0円ハウスの成れの果てがポニーを50万円で買うとなるのである。それがこの脳障害者の問題点でもあり、フーがあんまり好きじゃない点でもある。しかし、それによって坂口恭平は自ら必要ないと言い張る、日本銀行券の獲得のために日々命を削り始め、坂口家が連動し、稼働できていることは否めない。坂口恭平は坂口家にとって諸刃の剣なのである。
「…っていうか、あんたなんで、自分で坂口恭平は坂口家にとって諸刃の剣である、なんて言えるわけ? きみはナレーターか。ポニーじゃなくていいよ」
「ポニーよりも欲しい乗り物がある」
フーはぼそっと言った。坂口恭平はとっさに思い出す。
「あ!ブリジストンの電動自転車HYBEE!が欲しいって言ってじゃん!あれ10万円くらいだろ!」
「そう。あれだと、幼稚園の送り迎えに行けるし。。。」
「決まった!」
「映画西遊記で。玄奘であるフーは電動自転車にまたがる。おれとパーマとタイガースと四人で、天竺目指して旅をする」
「どうやって撮るの?」
「この前、フーの母ちゃんに、あなたたち、ちゃんと子どもの晴れ姿くらい動画で残しなさいって、買ってもらったソニーのデジタルビデオあるじゃん」
「うん」
「あれで、撮る。脚本はおれが毎日趣味としてやっている西遊記の脚本がもととなる。1ページ15分にする。これがNHKの朝の連続ドラマ小説を踏襲する。原作は西遊記。これは著作権がないから0円。しかも、普段、原稿執筆でオリジナリティの追求は一応、やっているから、ここでは創作したくない。適当に自動的に作品が生み出されるのがいい。どこかいくのが面倒くさいから全部、ゼロ亭がロケ現場。撮影時間は長くても一日30分。でも毎日したい。これはルーティンにしたいんだ。両津さんみたいなことしたい。もちろん、おれは毎日狂っているほど原稿を書けている。しかし、それでは孤独で死にそうなんだ。かといって、人がいる中で原稿書いていると人を殺しそうになるから危ない。だから、原稿執筆の孤独は諦める。しかし、毎日30分間家族みんなで演劇をやりたいんだ。それをホームビデオ的に撮る」
「あなた、西遊記って何ページあるの?」
「岩波文庫で、全訳があって、333ページの全10巻、つまり3330ページ」
「……..あなたそれって全3330話の連ドラってこと?」
「そうだよ」
「公開するの?youtubeとかで」
「馬鹿な。もうネットの人間なんか人間じゃないと思っているからUPなんかしないよ」
「上映は?」
「そんな馬鹿なところいないと思うよ。だって、これは趣味だから、創作に終わりがあってはいけないんだよ。終わっちゃいけないの。完成しちゃ行けない。でも未完の美学いうやつってなんかかっこわるいじゃん。だから、3330話だったら、いいじゃん。終わらないけど、いつかは終わるかもしれないってのがいいじゃんん」
「もう分からんけど、一緒にいれるなら、いるよ。アオも喜ぶし。公開しないなら、出演もするよ。玄奘は私でいいわよ。孫悟空。果てしない旅へ今すぐ向いましょう!」
「おっ、いいねー、いいかんじいいかんじ、新政府きっての名女優であり、新政府一狂人である坂口恭平総理のファーストレディであるフーよ。いや、お前は今日から、玄奘だね」
石塚元太良がホテルの部屋をノックする。
「恭平、出発するぞ。えっ、寝てないの?」
と、ここまでで14570字。こういうのをいい仕事したとおれの世界ではいう。翼の王国ではキチガイと呼ばれるのかもしれない。
しかし、今日今、この瞬間書いた原稿30枚は旅のファンファーレとしては最高だ
坂口恭平は玄奘と旅を始めることになった。
昨日の夜作ったMIXTAPE。
天候が晴れて来たら、あとは音楽で調整する。今、基本的に最後の調整はSLYのSMALL TALKというアルバムで行っている。それを聴いて、耳がどういう反応しているかで、現状の精神状態が把握できる。ということで、最初と最後はSMALl TALKから。今日は、引き続き、躁鬱の聖地みたいなもんであるワイマールにて、バウハウス取材。しかし、バウハウスまじやばいっす。。。宇川さんから電話。FREEDOMMUNEに瀬戸内寂聴さんが来ちゃうそうで、なにやら、狂った会になりそうで素晴らしい。では取材行ってきます。
取材が終わり、散歩してる。ワイマールの街が気に入りました。アンホルンの家の協会のおっちゃんとまじで真剣に語り合った。バウハウス。これは僕が構想、妄想している、そして、妻フーに、もう今後オーガナイズするなと止められている、0円大学なる実験都市計画とリンクしてきた。危ない危ない。もう人のことは考えないでいるという約束をしたものの、まだ、まだ会っていない、才能の塊、芸術を試行しようと勇気を持って生きている若い人間へアクセスしようとする思いの火は消えずに、静かに炭となり、燻っている。それでいい。実行に移さなきゃいいのだ。妄想はタダだ。夢のある妄想をしよう。そして、それをテキストにぶち込むのだ。お前のその構想を、3Dを遥かに越える二次元の文字によるイリュージョンで、立体化するのだ。そうすれば、フーも泣かずに済むし、アオも僕と一緒に遊べるし、第二子弦をリラックスしながら、ちょっとだけ過ごせるくらい金も稼げるのだ。だから、蓄財しろ、ゆっくり安静しろ。よく分からない命令を己に下し、ところがノートブックには坂口恭平版バウハウスをつくるとしたら、どのような教師陣を呼ぶかという周辺の才能の塊の集合を、二次元のノートの上に実現させようとしている。ノートブックをとじ、街を歩こう。お洒落なカフェがあり、桃のシャンパンを飲む。森の中を歩く。飛ぶ。そして、見つけた骨董屋でフーとアオのお土産を買う。アオはリスの形のヘンテコなぬいぐるみみたいな小さいおもちゃ。フーには、マイセン買いそうになるが、それでは高すぎて怒られるので、というかここでマイセン買ってもつまらないということで、ワイマール製の骨董をくれと言うと、おばちゃんが奥から、1950年代の金色のドット模様のクラシックなお皿を出してきて、惚れて即買った。大きな平皿です。なので、フーの要望にも応えているのではないか。くるりのブレーメンを聴くと、同時に、キースジャレットの僕が一番好きなアルバム、即興の一枚目、ソロ・ブレーメンを思い出す。
完全にさらっと交わすつもりだったワイマールに引っ張られている。ついつい、延泊することに、デッサウは明日向う。部屋が変わった。三部屋くらいある気品のある寝室。r.kelly聴きながら、そして、集英社新書から8月頃に発売予定のモバイルハウスのつくりかたのゲラを読んでいる。ガイ・フォークスと同じ誕生日であるこのキチガイ坂口恭平は、このあと、猛進撃をはじめることになる。ーーーーーのだろう。
これがおれの人生なのだ。絶望と阿片のような快楽の両方に挿まれ、その間に見つけた蜘蛛の糸を人を踏みにじり上り続ける、狡猾な烏のような人間なのか、鬱のときの潤んでいる人の良い優しい人なのか。分からないあなたは二人いるの?とフーがSkype越しにおれに話しかけるも、やはり調子があがっているので、顔は笑顔だ。しかも、アトピーでパニクっていたが、どうやらその発作もおさまり、綺麗な肌に落ち着こうとしているらしい。家族はそれはまた一つの有機体である。かといって、夫の鬱が家族の鬱ではないのだ。とフーは僕に言い、アオはとにかく鬱でもソウでもなんでもいいから、遊びに行こうと言ってくる。それでいい。そのままで。バウハウスの新事実たちが僕の扉を開けていく。このまま進むと、危ない。でも今はオーガナイズしなければいい。原稿書いて、梅山に送ればいいのだ。梅山からメール。
「幻年時代のゲラ、楽しみですねえ!!」
そうだ。帰国したら、幻冬舎から7月21日発売予定の「幻年時代」のゲラが届いていることになる。今後、僕の仕事はこれまでと決別し、全く違うものになるだろう。その予感を感じさせてくれた作品だ。最後までじっくりやっていこう。デザインは鈴木成一氏に5年ぶりに依頼することになる予定である。TOKYO0円ハウス0円生活、つまり原稿執筆としては処女作である本以来である。人生はとても怖い。退行したくなる。変化が怖い。それでもおれの脳は天国と地獄を僕に日常を使って照射し、僕に二股の存在を知らせる。ならば、選ばなくてはいけない。選択したくない僕はそこで苦悶するのかも。選択したくないのだ。それでもトイストーリー3のように自動ベルトコンベアで僕は運ばれていく。というか坂口家自体が運ばれている。でも、一発屋といつも笑われている僕ですから笑。おれもお前もゼロだよ。ゼロからやっているんだから。構築するな。安心したら終わりだよ。どうせ霧となって散ったって、そこが僕がいた場所なんだから、損得なしだ。だから、原稿を書けと、相棒の言葉が、怖すぎるよ。でも、それは放射能おれもお前も吸ってんだからだいじょうぶだよみたいな不思議な落下共同体とははっきり違うと断言できる。僕は違うと思えた。そんなのは嫌だ。絶望を隠すのは嫌だ。グロピウスもそうだったはずだと勝手にシンパシーを。バウハウスのことを人は誤解している。間違いなく、おれは誤解していた。僕は無知であることに気付いても気付いてもまだ気付いたりない。そして、それをまだ学ぶことがたくさんあるってことじゃない、というフーのような余裕は僕には存在しない。焦ればいい。同時にフーは焦ってもどうせあなたはやめないんだから、それでいいのと言う。この女は一体、何者なのだ。僕は何者であるかは判別できる。しかし、このおれの周辺の光線のような、言葉を吐く、周辺の人間たちは果たして人間なのか。と言うと、そろそろリチウムを飲む時間です、と放送が鳴り、僕は青明病院の袋を開ける。さて、また始まったな。えんやこらさと運ぶこと。もっと官僚的にやれ。己にだけは官僚的に指図せよ。己の城に届かぬKは、誰だ。持ってきた文庫本が風に吹かれ、ありゃりゃ、お前、城なんか読んでんの?大ジョブ?病んでんの?と言葉が光線として富んでくる。はっ、いかん、とりあえず本日の執筆を中止する。
日常に満足できるほどに絶望を無視できる人間などいない。
だから僕は書いている。
慰めるくらいなら、僕は自閉し己の城に閉じこもり誰が読むのか知らぬ日記を書き続けるぞ。
これが幻年時代を書き終えた、おれの次なる新作なんだ。
建築の家=BAUHAUS。
僕は「日記の家」を書いている。
wiki::: 日記の家(にっきのいえ/にきのいえ・日記之家)とは、先祖代々の手による家の日記(家記)を伝蔵した公家の呼称。 「日記の家」の代表格は小野宮流藤原氏及び高棟王流桓武平氏である。他にも勧修寺流藤原氏が同様の家柄であったとされ、皇室や摂関家などにも同様の機能が存在していた。10世紀に外記局や弁官局などが持っていた律令制における公文書管理組織が解体していくと、儀式や公事の作法・判断の典拠として日記に記された先例故実の校勘に求めるようになり、そうした日記を多く所持していた家系がそれを理由として先例故実の家柄として公家社会において重要視されるようになった。こうした家々は院政期の頃から音楽の家柄である「楽の家」や武門の家柄である「弓馬の家」に倣って「日記の家」と呼ばれるようになった。
目の前のワイマールのアンホルンの家の帰りにみた巨大な松に平安時代の風が吹く。先日、僕の鬱でトークショーに出られなかった沖島勲さんと会いたいと思った。でも、フーは首を振っている。まだ、企画はしないようにね。でも、いい。原稿を書けばいいのだ。そうすれば会える。
つまり、会う、とはそういうことなのだ。
会えない人と会うために僕は書けばいいのである。
書くとは出会うことである。
将来、アオが育ち、未知の生命体となるであろうアオを種にして育った女性と出会うため。今は亡き、僕に命名してくれた死者祖母坂口サイと出会うためなのかもしれない。まだ実現化するのは具体的な人々の手を握るのはやめておこうと思う。家族の手を握ればいい。
扉は開かれている。まっすぐ歩けば良いんだよ、間違っているとか間違っていないとかがそもそもないもん。過去も未来もないよ。
ただやってきたんだし、これからもやるのよ。
坂口恭平という国は、男王制では火山がたびたび噴火することによる住民の大移動などが発生し、統治が行えなくなっていたが、フーという女子を坂口恭平に共立させることによって、治めることが可能になった。実質的な政治は坂口恭平そのものが行い、フーは社会的な活動はせず、というよりも人と会わず、坂口恭平の人生相談的な、つまりある意味では呪術的活動、鬼道に限定している。
8日間、完全に止まっていた。で、今、ドイツのワイマールにいる。ANA機内誌「翼の王国」の取材。バウハウスの特集。ワイマール、デッサウ、ベルリン。毎日、できるだけ書こうとは思うものの、というか、実は書いているのだが、それはほとんど現状の辛さの記録なので、こういうときはとても小心者になる僕にはまだできない。それでも毎日10枚くらい書いていた。記録のためというよりも、書くとすこしだけ大脱出できるようだ。しかし、今日は少し書けるようになってきたようなので、書いてみる。頭がようやく動くようになってきた。転地療法ができたのか。編集は卓ちゃん、写真家の石塚元太良と三人で。同行してくれているのが気楽になれる仲間でよかった。というか、こんな天候荒れ放題の予測不能の僕が仕事できているのは、本当に周辺の人々のおかげである。荒れるとみんなのありがたみを思い出し、晴れになってノリノリになるとまた忘れてしまう。本当に都合のよい生物である。だから、こういうことこそ書き残しておいたほうがいい。フーは、あなたには完全に別の人格の人間がいるという。やっぱりそうなのか。。坂口恭平日記が、ほとんど狂人日記と化してやいないか不安である。
機内でウェスアンダーソン監督の映画ムーンライズキングダムを観るも、なんだかかわいい、雑貨が大好きな女の子とかが好きそうな映画のフリして、僕にとってはただの狂気映画であった。息苦しくて、体勢を変えて気持ちを切り替えようと思ったとき何度も肘でコントローラーの停止ボタンを押してしまい、映画が消えるのだが、それでも結局、もう一度スキップして続きを観るのであった。間違って三度も停止させた。でも、結局終わりまで観た。天候が荒れてどん底に落ちると、親としての機能を果たせなくなってしまう。それでも、子どもは待ってはくれずにどんどん成長していく。あのときにいつも感じる、なんとも言えない、絶望感に似た感情を映画を観ながら感じた。その絶望感がフーにはないらしい。本当にフーは強くて芯のある人間だなあと思う。
興味深い映画だったが、しかし、それだけ観ては落ち着かず、もちろん眠れないので、ハートロッカーを観ようとするも、爆弾処理のシーンでもう駄目だった。不安で押し潰されそうになった。これではもたないと思い、ハリウッドボタンを避け、ワールドボタンを押して、ドキュメンタリーコーナーに移動した。そこで見つけたアートコレクターのハーブ&ドロシー夫妻のドキュメンタリー映画を見始め、大いに励まされた。全く知らなかったのだが、僕が、バンクーバーのジャック夫妻に初めて絵を買ってもらったときを思い出し、なんか忘れてはいけないことを思い出した。少し元気が出る。ドロシーを観ていたら、フーに似ているなと思った。僕ももっといろんなところに一緒に連れていったほうがいいのかもしれないと思った。そろそろ、僕は自分の仕事が僕だけの仕事であると思い込むのをやめたほうがいいのかもしれない。と思った。
と機内映画で少し変調できて、その後、いくつかすごいアートピースをワイマールで見たら、完全に別れているらしい(フー談)二つの人間がツートンカラーで混ざっている状態が今。こうなると書ける。フーにSkypeで現状報告し、今からゆっくりワイマールで夕食を皆で食べにいく。
そういえば、ワイマールと言えば、躁鬱の大先輩、ゲーテ先生の街である。ゲーテの家はみたいなあ。
朝起きて、午前8時外出。熊本駅へ。今日、開催される磯崎新さんとのシンポジウム参加のため。阿蘇を超えて大分へ向おうとしたが、洪水で線路が流されているため、到着時間が曖昧で、それならばと新幹線で行くことにしようかと思って、主催の大分市の機関に電話したら、ギャラが交通費込みで二万円でと言われ、それだと電車賃だけでオーバーしちゃうんですけどと伝えると、他の方もそれで納得してもらってますという。さらにユーストリームで流してもいいですかと言われ「?」を感じた僕は、今日はやっぱりやめときますと伝えた。こういう機関とは、やったあと抗議するよりも、関わらないほうがいいと判断しました。僕のことに興味を持っているとおっしゃっていたが、だからといってボランティアで働いてくれと言われても。。磯崎新さんが来るシンポジウムだからと安心してた僕が馬鹿でした。というか他の建築家の方々は大丈夫だったのか。
ということで、朝からいきなりオフになる。熊本にDJ Harveyが来るらしい。しかも、毎回まぼろしをやっている「Navaro」に。なんか熊本も面白いことになっている。音楽の街になればいいな。次回のまぼろしは7月上旬です。詳細は後日。
今日、アオは午前中で終わることになっていたらしく、そのまま自転車で迎えにいく。白川河川敷へ。最近、よく会っている路上生活者木村雄一、雄ちゃんのところへ。アオが行きたがっていたので。以前、出会った橋の下からは移動しているらしく、二人で白川沿いを自転車で走り、探す。結局見つからなかった。外出中なのだろうか。仕方がないので、二人で野花を摘んで、それで花束を作ってフーに持っていく。花屋で花を買わなくても、河川敷には今、すごい数の花が咲いているから、それを摘めばいいのにと僕は思っている。紫色、黄色、ショッキングピンクなど色が豊富だ。ふと、自分が平安時代の人だったら、このような鮮やかな色を見て、なんと思うかと考えた。文林堂の岩絵具を見たこともあり、最近、色が気になっている。絵の具などのどこから作ったのかよく分からないものではなく、岩絵具などの由来が分かっている色が気になる。鼠色だけでもかなりの数があった。
アオが白川お昼御飯はサンドウィッチを食べたいというので、上通りの外れにあるデコラーレへ行き、パンチェッタのサンドウィッチを購入。ポテトを買いたかったので、モスでも少し買って、家に持って帰ってきて、ベランダに木の折り畳みテーブルを出し、椅子を並べ、ベビーカーまで出して弦も寝かせ、みんなでベランダでランチを食べた。こうやればベランダでも優雅な気持ちになる。どんな腐ったようなアパートであっても、かわいい鉄のL字を壁に取り付けて、無垢の板でも置いて手製の本棚を作れば、そこに気持ちのよい風が吹く。僕はそれを小学四年生のときに、近所の神社のバザーで、手作りでダンボール製の自動販売機の中に潜り込んで、人に顔を見せずに、お金を挿入口に入れたのを確認してから、人動でオレンジジュースを注ぎ、それを受け取り口で出したときに、感じた。自動販売機は別にあってもいいけど、そのおかげで、僕は段ボール製の人動販売機を創り出せて、しかも、そちらのほうが、ある意味での「自動」感は編み出せていると確信した。
僕はいつもこの感覚なのである。別に、全てを手作り品で身の回りを埋め尽くしたいのではない。むしろ全くそんな気はない。相変わらず勘違いされることも多いのだが、手作りなんて、逆にあんまり好きじゃないくらいだ。そうではなく、ファミコンという製品を見て、それを模して、自分の手で、デジタル感を表現するのが好きなのだ。サンリオ商品の真似をして、サカリオという商品を模した商品のようなものを作るのが好きなのだ。自分の作った適当なものを透明の袋に入れるだけで商品化してしまう、その透明の袋や、額縁が好きなのだ。なぜ一枚硝子を通すだけで、写真は、作品になるのか。その膜が気になっている。0円ハウスもその精神で捉えている。僕は60年代に流行ったようなセルフビルドなんか実は全く興味がない。むしろ、自らの創造性を減退させるものなので、避けている。0円ハウスはそうではない。あれは、製品だったものが家の部材に変化している、トランスフォームしていることが興味深いのだ。その違いを言語化するのって、なかなか難しいものである。
今度は、僕が幼い頃から作ってきたものを書き出し、そのあたりの言語化が難しいため、今まであんまり言えずにきたところを、かゆいところに手が届くように書いてみたいとも思っている。幻年時代は元々、そのような精神で書き始めたはずだった。しかし、気付いたら、またまた全然違うところに辿り着いていた。そのことも僕は今まで言語化を試みていたが、できていないところだった。世の中には、そんなことばかり転がっている。簡単に理解したとは思いたくない。簡単に記憶の世界であると判断したくない。記憶も一つの空間である。銭湯の絵画のように平面的なものと捉えるのではなく、深く生い茂る森の中に入り込むように、立体的に表現したい。それが僕にとっての言語化という行為である。それは知覚を越えるものであると思っている。記憶覚というか、思考覚というか、まだよく分かっていないけれど、そんな世界の細部を描きたい。なぜならば、書いていて、単純に心が躍るからである。書くという行為そのものが「坂口恭平の冒険」と化している。じっくりものを観るという思考の変遷が、移動に感じていくときがある。旅日記ではなく、日記の旅。
お昼食べ終えて、フーが外出したいというので、家族4人で久々の外出。チンチン電車にのって街まで。鶴屋で修理をお願いしていたベビーカーを取りにいく。4人家族になって、また僕の行動方針も変わってきたのだが、今回は初めて子どもができたときとは違って、そんなに負担にはなっていないように思える。慣れたのかもしれない。最初、子どもができたときは、僕は大変だった。過去最高の鬱状態に陥り、初めて精神病院にいったときでもある。仕事もそんなにうまくいっていない。お金もない。子どもの育て方も分からない。そんな状態であった。2008年の後半から、2009年は本当にきつい時期だった。TOKYO0円ハウス0円生活と隅田川のエジソンを書いたあと、次に何を書けばいいのか分からなくなってしまっていた。そんなぎりぎりの状態で、TOKYO一坪遺産が春秋社から出版されている。この本を書いているときは、一度も高揚していない。ずっと暗く、沈鬱だった。僕の本を好きな人で、結構読んでくれている人は、一坪遺産が好きだと言ってくれる人が多い。僕はなんとなく、あの頃を思い出すので一度も完成した後、読み返したことがない。今思えば、立体読書のことも言語化しようとしていたし、それと0円ハウスからはじまる僕の建築観とを統合しようと試みていたので、その後、仕事に繋がっている。しかし、あの時はただの綱渡りだった。綱があるのかすら分かっていなかった。
そこから考えると、二人目の子どもができても、結構へっちゃらだと思えるようになってきたのは嬉しいことだ。アオだけのときは、僕は自分の仕事に集中できないからと子育てと仕事をとにかく必死に分けようとしていた。仕事中は扉を締め切っていたし、それか家を出て、夜まで帰って来なかったり、仕事が終わって食事をしていても、思考したいので、早く食べ終わって読書を開始したりしていた。集中する技術がそこまでなかったからなのだろう。そのあたりは最近は改善されている。時間を決めて、そこに集中して執筆することができるようになった。一日に何時間も書かなくても、自分の考えていることを言語化することができるようになってきた。今は、朝9時から午後2時半までの5時間半である。その間に原稿用紙10枚は最低書く。幻年時代執筆中は40枚くらい行くときもあった。指の力と思考の連続をリンクさせることができるようになっていたのかもしれない。そうすると、子どもからの一緒に遊ぼうコールに瞬間的に応えることができる。そうすると、自分の精神状態もよくなるのである。子どもは僕を疲れさせようとして、遊ぼうと言っているのではないと最近知覚できるようになってきた。子どもと遊ぶと、確実に想像できないランダムな思考や体験と出会う。それは次への実は旅なのだ。しかし、それはやることやってからでないと向えない。もちろん、これは僕の場合であるが。子どもとちゃんと向かい合えているときは、フーとも向かい合える。とはいいつつ、フーは、アオと遊びまくる僕にたまにこちらを観ろとの助言を言ってきたりしているから、フーの心中はよく分からない。
その後、プールでアオと一緒に泳ぎたいので、水着コーナーを見て、帽子を買って、家に帰ってくる。家に帰っても、まだ遊ぶというので、アオと自転車で近所を走る。今度は、アオは自分の自転車に股がっていくという。早川倉庫へ行き、れいぞうおっちゃんに、グミの赤い実をもらい、帰りに果物屋で苺まで買ってきて、家に帰宅。夕食後、アオとお風呂。さらに弦もお風呂に入れる。最近、弦も風呂桶に入れるようになった。今日は休日みたいな日だった。
ハワイ大学出版社から、7月31日に全世界で発売される、僕が挿絵を描いている「Three-Dimensional Reading: Stories of Time and Space in Japanese Modernist Fiction, 1911-1932」のカバー画像が送られてきた。僕が描いた立体読書、佐藤春夫の「のんしゃらん記録」の絵の白黒反転バージョンだった。いい感じである。こうやって、また世界中へ種を蒔くのは喜びだ。
僕は今まで理解されなかったことがないと勝手に思い込んでいる。日本だけに限ると、そんなことがあるのかもしれない。しかし、僕は、日本で駄目なら他国で生きよう精神なので、そういう気持ちでやっていくと、世界のどこかに絶対に気付いてくれる人がいるのである。僕の人生はずっとそうだ。処女作であるビデオ作品「貯水タンクに棲む」と次作「移住ライダー」は、早稲田大学では少しだけ理解されたが、もちろんその後は建築関係の誰からも気付かれずに放置されていたが、2002年にフランス帰りの美術評論家小倉さんと、インディペンデントキュレーターだった原さん、つまり現代美術領域の人に理解された。それを日本で上映しても無反応だったが、原さんが紹介してくれた中国人キュレーターに出会い、ブリュッセルで上映することになった。そこでも反応はいまいちであったが、その後、2006年にはバンクーバーで上映され、昨年はベルリンでも上映された。そして、映像の断片は昨年公開された僕のドキュメンタリー映画「モバイルハウスのつくりかた」にも挿入された。今年は「モバイルハウスのつくりかた」はサンフランシスコでも上映される。こうやって、少しずつ世界中へ広がっていくのである。だから、誰からも評価されたことがありませんと嘆く若い青年たちを僕は同情することができない。
夜は渡辺京二さんの書いた評伝「北一輝」を読みながら、寝てしまっていた。合志市の政治家野田さんから電話があり、ハンセン病の療養所にまた連れて行きたいと言っていただく。ここで起きていることはとんでもないことだ。僕がそれを書くのかどうかはまだ分からない。しかし、そこに生きた人々の言葉を残すというのは重要な仕事であると思っている。方法論を考えて、向っていこうと思っている。熊本にもアウシュヴィッツのような収容所があったのである。
ギリギリにフーに起こされて、急いでアオを自転車の後ろに乗せて、幼稚園へ。その後、零亭へ。原稿を書く。その後、パーマと話す。23歳のパーマはいつも本を読んでいる。午前中に一時間ほど、周辺を歩き、暇そうな人に話しかけ、近所の人というテーマでフィールドワークを行っている。気楽なもんである。タイガースとパーマ、どちらも眩暈持ちで、どうやら毎日、体調が悪い。零亭が完全に療養所と化している。一体、何なんだ。ということで、パーマと話す。
「お前は何するの?」
しばらくすると、パーマがようやく口を開けた。
「はい、東大に行こうかなと思ってます」
そんな話は聞いたことがない。パーマの話はいつも初耳のことばかりだ。
「なんだよ。そんな話は聞いたことがないよ。しかも、お前が受験勉強している姿なんか見たこともないよ」
「はい。なんとなく思っただけなんです」
奇跡の人、パーマくんである。彼は学者になりたいと言う。社会学者になりたいらしいのだ。宮台真司さんのことに興味を持っているらしい。じゃあ、僕のところではなく、宮台さんのところに行けばいいのにと思うのだが、よく分からん。僕のところで毎日、零亭の掃除をして、気持ちのよい光を浴びながら、縁側で本を読み、眠たくなったら寝ているのだ。しかも、働く気もほとんどない。しかも、それで自信持って生きちゃっている。お前もたまには働けよ。おれも毎日書いているんだからさ、とつい親父の発言してしまう。弟子なのか何なのか。
と、働けと促した後に、零亭内にある2畳間のツリーハウスを本屋にしたいなと思っていたことを思い出す。木の上の小さな本屋って楽しそうだもんなあ。僕が持っている本を適当に並べて、パーマも本だけは読んでいるので、売ればいいのではないか。そういえば、以前「ポアンカレ書店」をやると言っていたのだ。やってみようかなと思っている。フーは「新しいことをやるときは、フーと梅山に相談するって言ってたけど、ちゃんと守ってね。そして、幾らぐらい使う気なの?ちゃんと見積もり出してね」とちゃんと手厳しく言ってくる。ということで、この話もまた立ち消える可能性大である。お店をいつもやろうとしてしまう。山頭火でもあるまいし。山頭火は熊本で古道具屋をやっていた。今でも古道具屋とか、なんかわけのわからんお店をしたいと思ってしまう。しかも、どうせお店を始めたら最初はいいけど、すぐに飽きて、放置するだろう。だからやめておけばいいのである。はじめから。という風に考えることはできるようになっている。ということで、完全に遊びでやろうと思う。やめたくなったときに、すぐ止められることをやろう。永続的に行う仕事を限定しよう。僕はそのようにただの気分屋なのである。と自分で自覚することように。
その後、年金事務所へ。強制徴収班に面会。紙で送られてきて、払っとけと言われるのすごい嫌だから、せめて払う側の顔を見て払おうと思い向う。払っていなかった分数回分を支払う。今度、払わなかったら銀行口座差し押さえますよと言う。じゃあ、口座の金下ろしとこっとと言うと、裁判で訴えますからと言う。差し押さえは誰の判断でやるのかと聞くと、私の判断ですと言う。延滞の金利はどれくらいなのかと聞くと年14%という。なんかすごい団体だなと思った。しかし、それをみんな払うということが日本国民なのだな。僕の口座にいくら入っているのか、しっかりと知覚しているような口ぶりでございました。毎月、顔を出すことにした。年金も興味深い対象である。別の年金事務所に働いている友達は、いやああれはヤクザとなんにも変わらないですよ、と自分の会社のことを言っていた。そういう国から委託されている仕事って面白そうである。そして、何もかもが、ただ「お金」が問題であることに、僕はなぜかほっとした。お金なんかどうにかなるもんな。お金さえコントロールできていれば、逆に言えば、この国では操作されないということになる。それは一見、束縛されているように見えて、実は自由なのではないかと僕は思う。お金はしっかりと稼ごうと思った。どんどん良い本を書いて売れるようになろう。ちょっと顔が知れて、中身もつまらないのに売れているようじゃ長続きしないので、しっかりと内容のある、そして、毎回ちゃんと技術を向上させた本を書こうと思った。かつ、お金なんかどうでもいいと思える生活環境を整えていくこともさらに進めていかねばと思った。お金に関しての捉え方にだけ「二足の草鞋」の思考が必要なのかもしれない。そんなとき、相談したいと言って、知らない人から電話があり、やりたいことがあるのだけれど、技術もなく、結局はやりたくない仕事をお金のためにやっているような気がして、それが辛い、というような主旨であった。話を聞く限り、試したことも実行したこともなさそうだったので、聞くと、そうだと言うので、一言、試せと伝えた。試した人は相談しない。試した人は分かるのだ。実行しない人間だけが相談する。つまり、それは実行していないという自分の不安な感情を、第三者によって、いやそれでもいいよと慰めてもらいたいということなのだと僕は思っている。だから、試せとしかいいようがない。慰めは、もっと顔見知りの、ハグでもしてくれそうな人にしたほうがいい。僕にももちろん時々は慰めが必要であり、フーには頭が上がらない。ま、みなさん、がんばろう。僕もがんばります。
アオを迎えにいく。幼稚園になっていた桑の実をアオが食べたいというので、黒く熟れているものを三つとってアオにあげた。アオは口の中、手の指が紫色に染められてしまい、魔女みたいになっていた。家に到着すると、料亭Kazokuのひろみさんと、熊本県副知事小野さんの奥さんが、遊びにきてた。二人ともお昼御飯をフーに持ってきてくれたみたいでありがたい。僕とアオが好きな西瓜まで。僕の母ちゃんからは、沖縄産のスナックパインが。美味。なんだか、お届けものが満載の熊本での生活。果物がおいしい。それが何よりの力になっている。僕は幼稚園の夢が果物屋だったくらいの果物好きなのである。しかも、23歳のときに、築地の高級フルーツ仲卸「遠徳」に勤めたことがあり夢を一度僕は叶えてしまっている。
アオを家に置いて、僕はまた執筆に。早川倉庫へ。ボリビアの歌手の音楽を聴きながら、常夏になってきそうな熊本を南米のようなラテン色に変えようと試みる。ダニエル・デフォー、つまりロビンソンクルーソーを書いた、あの小説家というか、とんでもない人物のことを調べている。ジェイムスジョイス全評論集に入っていた「英文学におけるリアリズムとアイデアイズム」という講演の文字起こしにもデフォーについてのことが書いてあった。描写というよりも、徹底したフィールドワーク。しかも、そこに自分の歴史の躍動を、絡ませる。僕が今、やりたいと思っていることに近いと勝手に思っている。マルクスたちが読んだようなロビンソンクルーソー読解は全くできなそうだが、つまり、これを経済小説と捉えるのではなく「自分の描き方」みたいなことを学びたいと思っている。疫病日誌という著作もあるらしい。デフォー、なんだか気になる存在である。
弟子のヨネに頼んでいた、坂口恭平ウェブサイトの日記等の原稿のデータ化が終了したらしく、送られてきた。2004年から2011年までの日記で、原稿用紙4400枚分あった。一冊分350枚として考えても、これだけで単行本13冊分もある計算になる。確かに、これは文筆の練習になっていたかもしれない。しかも、日付がついているわけで、これは一つの長い物語とも言える。土曜社の豊田さんにも送信。一体、どのような形になるだろうか。楽しみだ。まあ、これはもうすでに書き終わっている原稿なので、できるだけ手直しはしないで、生のまま仕上げたいと思う。しかし、よく書いたな。今、書いている、坂口恭平日記も、また十年くらい書いてみようと思う。とにかく、毎日続けることだ。一日も怠らないようにしたい。また鬱になったら休むと思うけど。そういう日がまた来ると、思うと寂しいものがある。それくらい、鬱じゃないときは鬱の自分が信じられない。今、坂口恭平日記のページには一日2500人くらい観に来ているとデータが出ている。ツイッターのフォロワーの35000人よりも、僕には強く感じる。長い文章だが、それでも付き合おうとしている読者の人がいると思うと、こちらもやる気になる。つまり、この坂口恭平日記は2004年から、独白ではない。秘密の記録でもない。はじめから未来の自分が、そして、同時代の人間が読みながら、少しずつ冒険を進めていけるような物語として書いているところがある。僕はこういうのが好きなのだ。磯部涼はそんな僕のことを「お前は物語だ」と言っていた。何か、その感じが最近、しっくりくる。
夜、コーエン兄弟の「未来は今」を観る。明日は、朝一で大分へ。磯崎新氏の出世作である大分県立図書館にて8人の九州出身の若手建築家とのシンポジウム。僕がまた建物一軒も建ててないのに参戦します。磯崎新さんにお会いするのは初めてなので、楽しみ。処女作「空間へ」を読んでたら、たまに言っていることが似てたりして、そこから、今の建築の世界へ向っているのはどのような精神によってなのか、聞いてみたいと思った。しかし、大分まで電車で4時間30分って。。早く寝よう。
朝から自転車でアオと幼稚園へ。その後、零亭で原稿。鬱明け頃に突如現れてきた新作落語らしきよく分からない断片を、原稿として書いてみている。コヨーテで書いた「毘沙門天放浪記」の続きのような感じか。意外にも進んで、20枚ほど書く。全部で80枚になった。しかし、これは習作のような感じかもしれない。とりあえず、毎日、ずっと書いて筋力トレーニングを行うことを続けていこうと思う。今年は、思考都市、幻年時代、モバイルハウスのつくりかた、一坪遺産文庫化、英語版立体読書、映画モバイルハウスのつくりかたDVDと、作品が6点も出る。だから次は来年ごろに向けてゆっくり準備と訓練をやろう。何かをもっと書きたい気がするのだが、幻年時代を書き終えて、当然だが、まだぼんやりとしている。ぼんやりとしてはいるのだが、それでも何か落ち着かない。これを以前だと、外へ拡げようと発散していたのだが、そのエネルギーをさらにまた内側に持っていき、原稿執筆に集中させてみたらどうなるんだろう実験を今年は実践してみたい。今のところ、無駄な力の発散はないように思う。その発散はトークするよりも、歌うことのほうに使ってみたりしているが、それも結構面白い。なんか今までにない動きをしようとしているが、意外と今のやり方は悪くなく、創作に向えている気がする。
僕は、2004年からほぼ毎日日記を残しているが、その2004年から2011年までの間のウェブ上でのjournal、旅日記を坂口恭平全集として書籍化してみないかとの話が来ている。こちらは自分としては記録に残るのはありがたいことなので、進めていきたい。8年間の記録なので、興味深い。全く食べていくことが出来ない中で、どうやって生き延びていったかの記録でもある。リトルモアから0円ハウスが出版されることが決まった2004年、今から9年前、25歳のときから日記は始まる。はじめから、日本では全く理解されることはないだろうと断定しちゃっていた。欧州にいくことばかり考えていた。しかし、そのおかげで活路が見出せたと思う。日本にこだわっていたら、今、何をやっていたのだろう。当時、日本で、何の仕事をすればいいのか分からなかった。建築をやろうとしていたが、本質的に建築を建てないで行動している人はいなかったし、欧州には建てない人もアーキグラムなど60年代、70年代にはいたが、それでも後に彼らも建てるようになっていった。そうではなく、どうやったら本当に建てないでやれるか。考えてもほとんど結論はなかった。そういうとき、文章を書いている人たちの仕事を見ると、僕もそちらのほうへ進めば何か可能性があるようには感じていたが、当時、というかそれは今もだけど、本を読むことができない僕は、文筆で食っていけるようになるとは想像もできなかった。それでも、建築を建てるというよりかは、美術というフィールドよりかは、本なのではないかという本当にただの勘であった。日記はそのように悩む僕の、練習と宣伝を兼ねた行動だったのだろう。文字を書き始めたのも2004年が初めてである。それまでは一切の原稿を書いていない。論文も僕は大学で書いていない。作ったのが写真集なので。だから、今の自分の状況が不思議でもある。しかし、同時に、本を書くという方法以外で、このようなわけのわからぬ混沌とした思考のまま、どこにも属さず生き延びようとしている若者の生きる道はなかったのかもしれないとも思う。しかし、僕が文字を書くようになるとは。僕が一番驚いている。
昼過ぎ、アオを幼稚園に迎えにいく。アオと零亭に戻り、パーマとタイガースを呼んで、アオがやりたいと泣いていた「エルマーのぼうけんすごろく」をみんなでやる。これ完全に、子供用で、途中のイベントのところでは、みんなのまわりをワニになったふりをして一周する、とかあって、大人たちが恥ずかしがりながら、やっていた。アオは大満足だったようで、何よりで、でも恥ずかしいので、一回で終わらせて、家に帰ろうとすると、今度は「温泉に行く」と言う。幼稚園、零亭の近くに「城の湯」というスーパー温泉があるので、そこに寄る。幼稚園でどろんこ遊びしているので、帰りに温泉に入るのは気持ちよいだろう。僕も午後3時の温泉は最高なので、喜んで入る。そして、風呂上がりの自転車の風がまた気持ちよいことを知る。アオはいつも面倒くさいことをやりたいやりたい言うので、僕としては新しい知覚の扉が開くきっかけとして重宝している。時間の感じ方が変化してきている。アオのおかげである。娘は時間を拡張している。むしろ創り出している。
家に帰ると、アオがまだ遊ぼうと言うので、しばらく一緒に行動し、福岡でライブを今日の夜にやるCINEMA dub Monksの曽我ちゃんから、観に来るように、さもないと、7月のまぼろしに呼ぶようにと脅されたので、それならばと、こちらも脅しをかけて、福岡行くから、一曲歌うから、ということで、アンコールで一曲歌わせてもらうことに。夕方、外出し、再び福岡へ向うも、アオが泣き叫ぶ。もっと遊びたかったらしく、ベランダから外出する僕に向って、叫び続けている。見えなくなっても、フーの携帯のSMSで攻めて来た。恐るべき4歳。しかし、忙しすぎるときは、家のお風呂にも入らない。パパは髭臭いと言われていたことを思えば、今の状態は僕としては嬉しくもある。やっぱり家族は一緒にいるほうがいいなと単純なことを思う。対外的なことに忙しいのと、創作に忙しいのはまるで違う。創作に忙しくいれば、時間は拡張する。それは子どもと同じような原理でだ。対外的なことも確かに、楽しく、有益なことも多いのだが、それは時間の喪失に繋がる。しかし、人間は孤独が恐ろしい。だから対外的な、社会的な行動をしようとする。僕もある意味、そうだったのだろう。今は、その孤独であることを、しっかりと観ることが出来ているのかもしれない。そして、その中の面白さに気付き始めている。
夜、福岡の大名、ガレリアへ。福岡在住の、タンゴ、なかじ夫妻と向う。建築家の井手くんも来てた。ゼロセンター時代に関東から避難してきて、福岡に移住した家族の旦那さんもやってきて久々に話した。CINEMA dun Monksのライブ。ジプシーみたいなノリで、僕は初めて見たのだが最高だった。ちょっと綺麗なところだったので、みんなが踊りにくそうだったが、これ「まぼろし」でやったら、みんなでクストリッツァの映画みたいに踊りまくるのになあと思った。やっぱり今度のまぼろし、呼んじゃおうかななどと妄想を抱く。どうなるか。
僕は最後に参加させてもらい、曽我ちゃんフルート&ハーモニカ、ガンジーさんがウッドベースで、僕ガットギター。最高の布陣でライブ。魔子よ、オモレダラ〜寿限無、そしてトレイントレインを歌わせてもらった。いやー楽しかった。最近、歌うことが原稿を書く時と同じような、拡散ではなく、己の拡大する混沌思考を抑制する装置として稼働しはじめている。そのままむきだしで三次元世界に出しちゃ面白くない。歌い書く。この二つが僕にとってのこれからの強力な道具になるのかもしれないと感じている。
アオの命令通り終電で熊本へ帰る。12時過ぎても熊本に帰れちゃうのは嬉しいな。
朝、早く起きて、アオが双六しようと言ってくる。僕が以前買っておいた「エルマーのぼうけんすごろく」である。これ、クオリティ高い。でも地図風の双六盤が、グロスがかかったテカテカの紙なのが惜しい気がする。もっと古い地図風の味わいのほうがよさそうな。双六が僕は大好きで昔から自分で作ってた。双六を本気でもう一度作ってみようかなどと考える。しかし、アオは、本当に早く起こす。9時には寝ているので、朝6時半ごろ起きてくる。それで、自分が暇なので、僕を起こし、一緒に遊んだり、絵本を読んだりすることを強要してくる。眠いので勘弁してくれと言っても、一向に叫び声がやまないので、結局一緒に遊ぶはめになる。こういう子どもの行為は、こちらとしてはとてもきついのだが、おかげで朝早く時間がつくれるので、その後、事務処理など行うことができるのは利点であると、起きてからは考えることができる。アオは僕が鬱のときもこういう行動をする。和室の部屋に襖を閉めて、閉じこもって、布団を被って、寝込んでいても、こそこそと襖を開けて入り込んでくる。あそぼー、と小さな声で言ってくる。僕が無視していると、次第に声が大きくなって、終いにはやはり遊びに付き合わないといけなくなる。しかし、その強引な遊びに付き合わされて、外の空気を久しぶりに吸うと、意外と体調が治ったりする。そういうことを意外と考えてたりするのかな、アオは、と思ったりする今日この頃。今日は、福岡へ行き、建築家井手健一郎くんが主宰しているデザイニング展でのトーク。登壇者は、東京から建築家藤村龍至さん、福岡・能古島からは若い建築家水谷元くん。午前11時頃外出し、新幹線で博多まで。さくらに乗って30分。もう隣町の勢いである。車内で煙草を吸っていたら、知らぬ間に着いている。
久々に藤村さんと会う。みんなで打ち合わせ。午後2時から警固公園でトーク開始。参加者は85人。さらに立ち見の人もいたので、100名以上来てくれた。テーマは「居場所を作る」。テーマに沿っていたのか分からないが、面白い話ができたので有意義であった。
まだ実作はなく、いくつかのインテリアデザインを手がけている31歳の建築家・水谷元くんは、藤村龍至さんが小学校のときに憧れていた都市である神戸市の都市計画を主導した建築家/都市計画家である故・水谷頴介氏の息子さん。藤村さんは独自で水谷頴介氏のことをずっと調べていたらしく、その縁で元くんという息子さんが建築家として活動していることを知り、話すようになり、今日のトークが実現したようだ。安藤忠雄氏も水谷氏の元で建築を学んでいたようで、都市計画の手法の大部分を水谷氏の理念から拝借して実践しているようだ。そのことに対し、憤りつつも、それでもやはり水谷氏の思想が今もしっかりと安藤建築として生きのびているところに尊敬もしているという揺れ動く感情が水谷元くんにはあるのかもしれない。最近、僕は建築をやっている人で、言葉を持っている人がほとんどいないなあと思っているところに初めて今日会った水谷元くんはその可能性を持っているように感じた。単純に、これからも観察したいと思う人であった。藤村さんに引き続きである。藤村さんよりも、もしかしたら、行政の中に入っていく能力はあるのかもしれない。どちらかと言うと藤村さんは実践型というよりも、書斎型だと思う。言語を作る人としては藤村さんは有能であると思う。しかし、政治の中に入りながら、都市の在り方を問うようなガチンコの仕事はあんまり向いていないのではないかとは、僕の勝手な認識であるが、水谷元くんは言語を作り出すことはまだ落ちるものの、親父さんという過去のデータベースはたっぷり蓄積しており、そこから参照する能力、そして、それを頭が固い役人の人や、知識が無いけれどやる気があるみたいなおばちゃんたちともがっぷり四つでやっていけそうな気がちょっとした。とか、言いながら、一体、僕は何者だろうとも思った。藤村さんが「たまに、けれども定期的に、気付いた時に電話してくる人間が批評家であるという建築家坂本氏と批評家多木さんを例にとると、自分にとっては坂口くんかもしれない」と言っていて、ある意味、そういうことなのかなあとも思った。みんなあんまり否定的な意見とか言わないしね。僕は人間を否定することはないと思うが、そのやりかた、作品に関してはいつもぼろくそ言う。そして、同時に僕にも批評家はたくさん周りにいて、その人間からもぼろくそ言われる。そうやって切磋琢磨していくべきだと思うが、あんまりそういう空気みたいなものを建築の中に感じない。僕は無知な人間でもあるので、今、建築の世界で興味を持てることをやっている人を藤村さんくらいしか知らないので、とりあえず藤村さんの監視役になろうと思っている。でも、水谷くんも面白いので、偵察を続ける。水谷くんが、僕が彼のツイートを全部読んでいることをびびってた笑。そりゃそうだよ。トークするんだから。僕は言っている内容よりも、話し振り、その振る舞いに興味があるので、それはいつもチェックする。もちろん本を出していればそれを読むが。話す内容よりも話し方のほうが大事だと僕は勝手に思っている。言語は死んでからしか分からないところがある。
水谷頴介氏は神戸の都市計画を終えた後、福岡のシーサイドももちに取り組み、その過程で能古島と出会い、そこの環境を気に入り、家族でゆっくり過ごせる場所だと思い、移住する。シーサイドももちは、水谷頴介氏と水谷氏の親友でもあった建築家宮脇檀氏と共同で設計を行っているようだが、そこで少し僕のバックグラウンドともシンクロした。僕が今度、出版する「幻年時代」の舞台になる福岡県糟屋郡新宮町には僕が住んでいた電電公社の社宅の横に、セキスイハウスの高級住宅街があった。どちらも元々米軍用地だった場所を転用したものである。新宮は朝鮮戦争時に、米軍の軍事的な要所であったのだ。朝鮮戦争の後、それらの軍用地は国、そしてセキスイハウスという企業に払い下げられ、僕たちの住む団地群が建てられ、線路を隔てた向こうには4歳の僕の憧れだったセキスイハウスの住宅群「コモンハウス新宮浜」が設計される。このコモンハウス新宮浜の設計者が宮脇檀なのである。コモンハウス新宮浜の竣工が1982年。僕の新団地が完成したのも1982年。電電公社は僕が産まれた1978年から1982年の間に第六次5ヵ年計画を発表し、画像通信(テレビ電話)サービス提供、光ファイバー・高度情報通信システム (INS) の開発を行っている。シーサイドももちの埋め立てが開始するのが1982年。1982年が、つまり僕が4歳のときなのである。次の本はこの時が主題となっている。なぜか地面に対する人間の行動に違和感を感じていた僕は、電電公社という社宅に住みながら、不思議な感情に揺さぶられていた。幸福であるが、何かどこかの危ない蓋をずっと閉めて生きているような、それでも家族を観ていると、幸せそうで、またその幸福に舞い戻り、というループを繰り返していた。そこに水谷頴介氏がやってきたことがもしかしたら関連があるかもしれない。それは藤村龍至さん、水谷元くんがある意味、参考にし、尊敬もしている世界でありながら、それは僕が一番恐れていた人間でもあるかもしれない。建築家たちのある側面だけが、楽観主義者に見えてしまうのも、そこに起因するのかと勝手に物語を考えてしまう。彼らは敵かもしれないぞ笑。
僕の次の本は、まるで今までの本と違うと感じられるかもしれないので、おやっと思うかもしれないが、僕としては完全に繋がっている。そして、そこをもっと深く潜ってみようと思っている。都市とは何か、開発とは。それ以外の方法はあるうるのか。しかも、それを詩情ではなく、思いではなく、ちゃんとした具体的な論理を通して書けないものか。その実験である。学習意欲は湧いている。それは自分にとっては道として間違っていない証拠である。梅山からの一言が時折、頭を通り過ぎていく。
「恭平、お前は元々どこの馬の骨か分からぬ零野郎だろ。構築するな。駄目ならまたゼロからはじめりゃいいんだよ。いいから早く潜れ」
そうだ。時々僕は忘れる。言語というものはだから怖い。いつしか自分の中の論理で王国を作ろうとしてしまう僕がいる。ぶっ壊せ。どうせお前はゼロの無人なんだ。
今日は幼稚園も休み、僕も仕事休み。零亭でみんなでバーベキューをする。僕とフーとアオと弦、早川倉庫のユウゾウと奥さんのアッコちゃん、息子の健太、幼稚園のママ友まいちゃん、娘のもみ、まほ、移住してきたフーの親友、いまは幼稚園も同じ、アヤちゃん、息子のブン、餅つきでいつも美味しいもの持ってきてくれる西瓜農家の娘ふくちゃん、の娘ののの、かの、弟子のタイガースの総勢16人で、バーベキュー。雨もやみ、天気もちょうどよい。熊本産、鹿児島産の最高級牛肉、豚肉を食べる。桜チップを使って、鶏肉のスモークも早川ユウゾウがやってくれた。旨かった。西瓜も食べた。酒飲んだ。零亭で今度は、テント張って、みんなでキャンプしようかということになった。絵本ばばばあちゃんじゃないか、それじゃ。フーもパーッと友達とあそんで、楽しそうであった。12時から夜7時くらいまで。
家に帰ってきて、フーが寝ちゃったので、アオと一緒に自転車で外出し、いい品物が置いてあるスーパーで、フー用の栄養のあるお菓子、オクラ、ドレッシングを買ってくる。途中で「益雪」の美味しい竹輪も買う。そして、僕が夕食を作った。オクラとトマトとキュウリと竹輪を切って、讃岐うどんを湯掻いて、全部混ぜて、ドレッシングかけただけのサラダ饂飩を作り、みんなで食べた。夜はアオと「ドラえもんのブリキの迷宮」のDVDを観てたら、知らぬ間に寝てた。
それにしても熊本の野菜をはじめとした食材は、本当に美味しい。それらは東京で食べていたものとは比べ物にならない。同じ野菜でもこんなに違うのかと思う程、違う。しかも安い。東京で仕事をすることがほとんど無くなった今、豊かな都市とは何かを考えている。10年後には熊本のほうが人が集まる都市になるのではないかと思ったりもしている。やはり食べ物が、水が、空気が美味しいところが住み良い場所である。熊本は町のサイズ、食料自給、水など、いろんな観点から眺めても大きな可能性を秘めている。というか、今、地方都市と認識されているくらいでいいのかもしれない。開発がされないくらいでいいのだろう。かつアジア都市とも近い。どのような都市と付き合っていくのか。それがこれから生き延びていくなかで大切になってくる要素であると僕は2006年ごろから考えてきた。今、僕の要所として、バンクーバー、ベルリン、そして熊本という三都市がある。この三角形を中心とした面白いことをやってみたいなと思う。これは僕にか成立しない三角形であり、それがあらゆる人々それぞれに存在しているのではないかと考えている。
アオは定期検診のため、フーと一緒に熊本大学病院へ。僕は家で弦をみてた。その後、アオを幼稚園へ送ってきたフーと家でざる饂飩を作って食べる。ポパイ連載「坂口恭平の服飾考現学」のためのスケッチ。書き終わり、送信する。そして、外出。今日は僕も毎月一回の定期検診。市内の精神病院へ。前回、本当に鬱が酷くて、とんでもないことになっていたので、主治医(女)はとても心配そうにこちらを診る。が、僕は4月13日の誕生日以来、また転回し、真ん中に戻ってきたので、その旨を伝える。 「それでまた鬱が終わると、直感が降りてきて、終わらせることができないと思っていた新作の原稿を一気に書き終えました」
主治医はえーっ!っといつもの驚きの声を上げる。ほんと、あなたは面白い人だね、と。躁鬱病の人もたくさん先生のところに来ているらしいが、あなたに対して行っているような処置はできないと言っていた。普通、躁鬱病というものは苦しい病であるとされているので、どうにかその躁鬱の波を消そうと試みられるのである。だから、大量の薬を投入し、上がりも下がりもせず、いや、どちらかというと、少しだけ下がっているような気分で落ち着かせるというような治療がされているらしい。躁鬱にとって、少しだけ下がっているような気分はとてもきついのではないかと僕は思う。しかし、それでも躁になって、暴れてしまい枠を飛び出た行動するよりかましということなのだそうだ。
「だって、あなたの場合、躁鬱の波を利用して、仕事をしてお金を稼いでいるからね。。」
それでも僕は鬱で辛いときには、もうこんな大波に乗った状態で生きていくのは辛い。だから、真ん中に持っていってくれと懇願する。しかし、先生は笑いながら、
「あなた、この躁鬱で飯食べていってるんだから、駄目よ、真ん中にしちゃ」
と逆に、僕の創造性を潰すとしない笑。もっとやれと言うのだ。おかげで、僕はあんまり薬も飲まずに、そして、躁鬱も押さえ込まずに、できるだけ自然な状態で、己の野生の精神が赴くままに、脳味噌を発動させ、それにより、生きている。
主治医は、僕が毎月書いていた熊本日日新聞紙上での連載「建てない建築家」を楽しく、かつ、毎月の僕の状態のチェックのために読んでいてくれていた。面白い病人のケースの一つとして楽しんでくれている様子だ。こんなケースは体験したことがないとも言っている。だから、病気として診てもらっているというよりも、僕の特徴をいかに活かして、生き延びていくかの、相談役といったところだろうか。
僕は障害者手帖を申請していたのだが、熊本市長につっぱねられて、申請許可が下りなかったですよ、と先生に伝えると「そりゃそうよ。あなたはしっかりと稼いでいるし、普通の生活が送れているんだし」というので「でも、一年の3、4ヶ月は布団で寝込んでいるわけですよ。7.8ヶ月は元気満々で世界中のどこにでも明日から行けそうなエネルギーに満ちあふれますが」と返すも、そんなこと気にしないで、いいから、どんどん作品作りなさいと諭され、本日の診断終了。
家に帰ってきた。カフカの城を読み進める。今日は雨降っていたので、仕事のやる気はなし。アオと作曲活動。弦はギターを聴けば泣き止む。
夜、池田ちかお、に呼ばれ、酒を吞む。熊本大学病院の看護婦さん三人と。今日はやたらと病院がらみだなあ。上通りのカフェでテキーラ入りの麦酒を飲み、沖縄スナックへ行き、夜12時に帰宅する。久々のお酒だった。最近はほとんど吞む気になっていない。酩酊したくなかったので。でも、たまには楽しいものである。
アオと自転車で幼稚園へ。今日も雄ちゃんに会うかもしれないとアオが言っている。が、会わずに幼稚園へ。その後、零亭へ。まぼろしの打ち合わせを弟子たちと行い、午前10時にPAVAOへ。場所を借りてタイ古式マッサージをやっているユキちゃんに90分のマッサージをしてもらう。これが3500円だから安い。しかもユキちゃん無茶苦茶うまくなっている。僕の体は酷使しすぎて、ガチガチになっているとのこと。これからどんどん執筆したいと思っているのに、このままじゃ体のほうが先にバテそうだ。どうにか対策を練らないといけない。走り続けている村上春樹さんの気持ちが少し分かったような気が。新刊を読んでいるが、使う単語がどうも合わずに、途中で断念している。代わりにカフカの「城」をうまれて初めて読んだが、無茶苦茶面白いじゃないか。入り込んでいる。読書体験でしか味わえない空間体験ができている。僕がやりたいと思うのはこのような文字による空間の創出である。幻年時代と似たところもあるのではないかと思った。今回は文体も変化しているので、読者にどのように映るかは不安でもあるが、それでも自分の持っている技術ではないところで勝負しているので、その恐怖心がとても心地よかったりしている。幻年時代は第3稿目でようやく入稿する。僕の作業はとりあえず一段落したのであるが、僕の執筆意欲は衰えず、次の作品に今、着手している。長い本を書きたいと思っている。今、取りかかっているのは、その準備になりそうな短編集である。
午後3時にアオを迎えにいく。帰りに、フクちゃんとアヤちゃんに会う。今から、僕の家に子ども連れて、弦に会いに遊びに行くと言う。フクちゃんは西瓜農家の娘で、特大のもぎたて西瓜まで持ってきてくれた。フーとフクちゃんとアヤちゃんは、話が盛り上がっている様子なので、僕だけ抜けて、早川倉庫へ。書斎で原稿執筆。4月15日からはじめた日記も、気付いたら原稿用紙230枚になっていた。これくらいの勢いで、一年間続けたら、面白いなあと思っている。まだ不確定ながら書いている新作も25枚書いた。なんだか知らんが書きまくっている。今日は、毘沙門天放浪記の続きで「虹のさんぽ」という何を思ったのか突然できあがった新作落語の言語化をやってみた。書き終わり、家に帰ってくる。途中、キキヤでいきなり団子を紫芋、蓬、黒糖と三個購入した。
福音館書店の印南さんから送られてきた昔の対談記事「宮崎駿×林明子」が面白すぎた。宮崎駿氏が童画作家は、すぐかっこいいスタイルで商売をやろうとする人が多い。ただよく見て描けばいいのに、と書いてあって、そこ同感した。トトロの製作に入る前に、宮崎駿氏は林明子さんの絵本をたくさん買ってきて、それをスタッフに提供している。メイの、子どもっぽい動きではなく、リアルな動き、しかも、それは本物の子どもを模写したというようなリアルさではなく、アニメのセル画が動いて映画になったときにだけ、発生するリアルさは、林明子さんの絵本から来ていると考えると興味深い。林さんは逆に若い頃、アニメーターになりたかったのだそうだ。そして、トトロの後、ジブリは、林明子さんが挿絵を書いている童話「魔女の宅急便」の製作に向う。通俗なものの中にある普遍性に向うのではなく、通俗なものの中にある細部を解像度高くしたときに見える、複雑な世界、僕もそこに興味がある。なんか、この対談は短いものだったのだけど、興奮した。フーにも読んだらと薦めた。フーは今、坂口恭平日記と併行して「フー日記」を書いている。中は読んでいないけど、手書きでこの前買ってあげたLIFE!の方眼ノートに書いているらしい。旦那の躁鬱具合のメモなのだろうか。よくわからんが、でも記録に残すのはいいことだ。
僕は2004年からほぼ毎日、日記を書いている。それはもちろん自分の記録になるのだが、別に僕はほとんど読み返さない。最近、アオを見ていて、この日記はどうやらアオが後に確認するための文書なのではないかと考えるようになった。僕としては日記は、原稿を書く訓練以外の有用性を感じない。2004年から原稿を毎月50枚から100枚くらい書いてきている。twitterも含めれば原稿用紙1万枚以上は書いていることになる。これが僕にとっての訓練になった。そして。2008年から原稿を書き始めることになる。それまで、文字なんて書いたことなかった。いつか書きたいものだとは思っていたが、人の本を読んでいても、自信を失くすだけで、自分が書くようになるとは思えなかった。しかし、日記を書くのは得意であることが分かり、それを続けてきた。そのうち、息の長い原稿を書くことができるようになってきたようだ。練習しないと文字を書くことなんて無理だと思う。しかも、意識した文字を書く練習なんて、つまらなすぎて続くわけがない。しかも、毎日続けないと執筆が上達しない。そういうわけで無意識にはじめていた思ったより楽しくてすらすらできた日記執筆は自分にとって本を書くためのただの地道な練習になったのだ。そして、これは今、アオや弦が、自分が小さいころに自分たちが生きてきた環境がどのようなものだったのか、その細部を知るための資料を作成していることに繋がってきている。書くという作業はこのように文字の表面だけではなく、様々な捉え方、読まれ方、意味を包含している。その空間性に僕は惹かれているのだと思う。それは目の前の現実であると思い込まされている世界に実際に建っている建築よりも、僕には空間として、肌に感じられているのである。僕には4歳のときの記憶は、ぼんやりとしてでしかない。もちろん今回の幻年時代で描いた幼稚園までの道程など、いくつかは鮮明に記憶している。しかし、ほとんどはぼんやりでピントが合っていない。そのためにも親による日記というのは、とても役に立つし、むしろ、義務のようなものとして僕は感じているのかもしれない。
そのおかげか知らないが、アオは「記憶する」ということに関して、独自の一家言を持っている。4歳の記憶を言語化することができたら、どうやら、1歳や2歳の記憶までちゃんと覚えられるようなのだ。記憶を持っていることがいいことかどうかは分からないが、ほとんどの人間が小さい頃、何が起きていたのかを判別できずに生きている、という事実も不思議なことのように思える。僕はそのあやふやな世界が好きだ。親になりたての男と女が、一緒に、仕事もまだ不確定なまま、不安も感じながら、それでも楽しく、みんなで一日を過ごそうと藻掻き、それを二人の子どもが見ている。こんな涎が出そうなシチュエーションは、後にも先にもこの時しかないのではないかと思っている。だから、僕は見た目は専業主夫くらいの勢いで、絡んでいるが、その実、ただの創作意欲である。今、一番注目したい世界が、隅田川の鈴木さんのような相手が、アオであり、フーであり、弦であり、己のその姿なのである。というつもりで、やっているフィールドワークとして、真剣にやっているつもりだ。だから、今までよりも執筆したい。もちろん、育児で突然の仕事の停止などもやってくるが、それはそれとして、素直に受け入れて、それ以外はとにかく原稿を書くんだ。メモを残せ。なんならスケッチまでと思っている。そして、それに関しては確信がある。どうせ、後で、いやー、残してきて、記録にとっておいて、複雑な感情まで、言っちゃいけないことまで、言葉にしておいて、よかったと思うのである。僕は今までそういう人生を送ってきた。苦しいけれど、書くのである。不安で仕方がないけれど、創作をやめないのである。後で、よかったあと思えるのを知っている。写真に残すのは少しでいい。写真やビデオでは残せない、心の動きを、意識の流れを、それを残す。それこそが僕にとっての思い出である。思い出すよすがになる「思い出」は、僕にとっては文字なのかもしれない。十年前の日記の文字を読むと、そのときの自分の吸っていた息の匂いすら感じるときがある。それは他の何ものにも代え難い。写真でもビデオでもない。絵でもない。やはり文字なのかもしれない。自分が集中しようとしている、創作の方向性を決めようとしている自分がいる。しかも、そこに歌も出てきた。僕は文字と同じく、歌を聴くと、そのときの大気が体中に迫ってくる。こんなところで、絵を抜いて、歌が出てきたことにびっくりしている。しかし、出てきてしまったのだ。それを見捨てるわけにはいかない。こうやって、突然の停止と突然の表出が、ありながら、創作へ集中していこうとする意欲、その間を、駆け回るアオと、泣き叫ぶ弦。フーからは日常的な作業の依頼。そして、ふっと息をつけたときの夫婦の楽しい対話。その抜けた先に、自分の仕事がある。その冒険は、静かだが、やはり激動だ。
朝起きて、アオと幼稚園へ。今日も自転車で。いつもの市役所前を通る熊本城前のお堀沿いの道ではなく、裏道の桜並木を抜ける小道のほうへ向う。今日も、アオは郵便ポストに三通の手紙を書いて投函している。アオも僕の今、継続している創作のルーティンに刺激を受けているのかもしれない。毎日毎日、地味かもしれないが、少しずつ創作を続ける、それを積み重ねていくという作業は大人には地味すぎて、とてもおすすめできないし、人からは酒でも飲もうよとか言われるのであるが、子どもたちからしてみれば、なんらかの黄金色に見えているのかもしれない。アオは僕のことを地味であるようには言わず、むしろ、創作に溶け込んでいることに嫉妬してくる。その気付いている風のアオの態度が面白いし、もしかしたら後に良きライバルになるのかもしれないとこちらは勝手に時計を進めて、アオの顔を見る。見ると、言っても、本当は見れていない。僕は前を向いて自転車に乗っている。少し横を向いたふりをしただけだ。それでアオの顔をみたことになるのだ。自転車の上では。アオもそれを了解している。このように自転車上の会話のような、身振りみたいなものが僕とアオの間で交わされるようになってきた。とにかく楽しいとアオは僕に伝える。風が、とまた詩を吐く。葉桜の緑の中から光線が落ちる。アスファルトの上に衝突した光の上を、僕とアオは車輪に跨がり駆け抜ける。それくらいの躍動感を感じている。地味かもしれない。しかし、その中に自信のようなものが出てきた。それはアオが背中を押してくれている自信でもある。アオがいなければ、僕は自転車には乗っていないだろう。そして、アオも僕が自転車にはまらなければ、幼稚園児であり、弟が産まれてきたばかりの、愛情を二分割した瞬間の寂しさに浸っていたかもしれない。この二人は、どうにか、ぎりぎりのところで、お互いの創造をぶつけるライバルになりえた。だから、必死に僕は自転車を漕ぎ、物語を語りはじめ、アオもそれに乗っかって、ジャングルクルーズに怯える観客の一人の役目を果たそうと、しかも自然なようにして、演技をする。僕はアオの演技を見て、ペダルをさらに強く踏む。アオは、もう何にもいらない。自転車さえ有れば何にもいらない。おもちゃもいらない。自転車でどこまでも行こうと僕をけしかけてくる。自転車を漕ぐ二人という演技が、おもちゃに勝てるかもしれない、トイストーリーの映画に勝てるかもしれない、というのは僕を興奮させた。そうやって、僕のことを盛り上げようとしてくれているのかもしれない。おかげで僕は創作意欲が湧いている。それに、喜びながらも、やはり嫉妬し、その新しいルーティンを獲得できた僕のように、自分も何か創作したいと思い始めているアオがいる。その闘いが興味深い。
そんなことを考えていたら、目の前に、これまた自転車に乗った男が、こちらに向って会釈をしている。一体、誰だろう。コンタクトレンズをしていない僕はよく見えていない。すると、アオが後ろから小さな声で、
「あっ、雄ちゃんだ」
と、呟いた。えっ?雄ちゃん?目を凝らしながら、自転車のスピードに合わせて近づいていくと、あれ、本当だ。そこには白川で先月出会った、造園家、農家、大工でありながら、今は白川沿いで路上生活を行っている39歳の木村雄一であった。彼は僕らを発見し、満面の笑みで、そして、礼儀正しく、こちらに向って会釈をしている。
「おはようございます。坂口恭平さん。アオちゃんもおはよう」
僕とアオも雄ちゃんに向って会釈をする。自転車をお互い止めて、話しかける。雄ちゃんの自転車の前かごには白いビニール袋に紙の束が見える。
「今日は、紙ゴミを集めてるの?」
雄ちゃんは躊躇無く、
「へい、そうでっせ。今日一日でもう2600円分も稼ぎましたよ」
仕事の調子はいいようだ。雄ちゃんは、僕が浅草で出会った貴金属拾いの佐々木さんに少し似ているところがある。どちらも妖精のような佇まいで、普通の日常には存在しないような軽やかなファンタジーに入り込んでしまった錯覚を感じる。
「伊豆の件だけど、、」
僕は、先日伝えた、伊豆での0円生活圏の開拓者として雄ちゃんを任命したことを覚えているかと尋ねた。
「へい。坂口さん来ないから、あれは夢だったのかと思っていたところですよ。いつでもこちらは行く気満々です」
また電話します!と言って、雄ちゃんは仕事に戻っていった。アオは朝から自分で紙ゴミを出したばかりなので、それを雄ちゃんが集めているという事実がいまいち飲み込めていない。ゴミでしょ?と僕に聞いてくる。
「紙ゴミと言っても、ゴミと言っているのは人間だけで、雄ちゃんみたいな妖精にはただの紙にしか見えないわけよ。つまり、紙ってのはアオは文房具でお金を出して買うでしょ?ということは、これを集めたら、お金になるってことなのよ」
アオは「へー」と言った。まだ完全には意味が分からないんだろう。しかし、その雄ちゃんの勇姿は見ている。それでいい。それだけでいい。意味なんかどうでもいい。考えなくていい。人間が躍動する、その動きの軌跡を見てればいい。人間だけ見てればいい。それが良いのか悪いのかなんか判断しなくていい。動いている人間を放っとくな。雄ちゃん、かっこいいなあと僕が言った。アオは、
「雄ちゃん、優しいよね」
と言う。アオにはどうやったら、仲間を見つけることができるか、それを一緒に藻掻いて体験したいと思っている。どうやったら、分け隔てなく、人間を見ることができるか。そんなこと難しい、無理だ、やはり人間は分け隔てするものだと僕はいつも周りから言われてきたし、自分でもそうだとは思う。それでも、分け隔てせずに人間を見るという試みはやめてはだめだと思っている。それをアオと一緒に体験することで、アオも人間に興味を持ってくれるのではないかとちょっとだけ希望を持っている。今、人間は人間のことを無視している。それが僕は嫌だと思っている。時間をつくる。暇でいる。いつも呼ばれたら登場できるようにする。家族に何かがあったらすぐに瞬時に一緒に動けるようにする。これは僕の人間に対する興味からきている。人間が一番面白いよ、と僕は思う。
幼稚園に到着する。いつもは零亭のほうに自転車を止めてから、一緒に幼稚園まで行くのだが、今日はアオが幼稚園の駐輪場に止めてほしいという。どうやら、自転車で一緒に来たという姿を幼稚園の先生や同級生の園児たちに示したいようなのだ。微笑ましいのでその誘いに乗る。これからはちゃんと零亭という隣に家を持っている人ではなく、遠くから幼稚園まで自転車で来た親子として演技するのも悪くないなと思ったので、これからは幼稚園の駐輪場に止めようと思う。アオはこのように細かい精神の持ち主なので、それに乗っかってみよう。僕も細かかったしな。細やかさに気付かれないと、落ち着かなかったしな。
零亭に到着。今日は、原稿仕事ではなく、零亭の庭の杉の木の上にあるツリーハウス「猿庵」の改修作業を僕がやることに。坂口亭パーマに依頼したが、いつまでたっても作らんので、自分でやることにした。パーマは最近、茫然としている。以前、脳出血したことがあり、それが原因かもしれない、と言っているのだが、その割に治療しようという気もないので、怒る。まずは体を治せと伝える。そして、守れない約束はしてはいけない。できないのなら、早めにできませんと言わないといけない。と叱る。病院に脳を見てもらってから仕事に取りかかるように伝えた。今、22歳。一ヶ月後までに、零亭周辺の地図を作るように注文した。次それさぼったら破門するぞ。しっかりしろ。
坂口亭タイガースは、療養を仕事にし、幼少のころから眩暈が続いているという自分の治療記を書くということを命じている。「歩く虎」というタイトルで本を書け、と。今、僕が紹介した、熊本の杉田玄白がやっている天真楼(仮称)という危ない医学塾のような病院に通わせている。その主治医がこれまたとんでもない人で、僕はアオの喘息のときに連れて行ったのだが、ほとんど薬を出さない、凄腕の医師である。しかも、偶然、タイガースと同じような眩暈の病気であったらしい。だから共鳴してくれているのだろう。タイガースは週三回病院に通って、記録を執筆させている。月に一週間ほど阪神タイガースのウェブサイトをつくるために大阪に戻って金を稼いできている。それでどうやら足りているようだ。あと、タイガースは貼り絵をしたいというので、ずっと貼り絵をしている。
もうこの訳のわからん、ほとんど病人でもある、二人の弟子は、今、7月のまぼろしのチケットなども担当してもらっている。僕は何のために弟子をとるのかと考えた結果、それは本を書くという行為だった。それであれば、僕は教えることが出来ないが、縛り上げることはできるかもしれない。どうやって、ルーティンを作り出し、どうやって己を統制すれば執筆という行為に集中できるかを伝えることができるかもしれない。ということで、それを実践している。一番目の弟子のヨネは、建築家になろうとしているが、それでも言語化を本当はまずしないといけない。みんなすぐに楽しようとするから、気をつけよう。言語化するのは時間がかかる。その時間を待てるように生活環境から設計しなくてはいけない。そこで、みんなついつい簡単に仕事に結びつきそうなことをやってしまう。そこを我慢しないと上のステージに入ってきた時に、どうせ苦しむ。そんなこと気をつけていこう。僕だって、恐れながら、やっている。それでも動きは止めてはだめだ。やりながら、その地獄を見つつ、日常生活を実践しなくてはならん。だから創作は面白いというか、いつまでたっても飽きないんだよ。
ツリーハウスはいい感じでできた。結局一人で作った。そして、アオの迎えにいく。アオと一緒に、サンマルクで誘惑に負け、チョコクロを購入、フーからの依頼で蜂楽饅頭を四つ、そして、お堀沿いの木陰でアオと二人で休息。デザートを食べながら、お水を飲む。涼しい風が吹く。気持ちがよい。はじめは休息に、懐疑的だってアオも、その風の心地よさに打たれ、僕が自転車に乗ろうとすると止める始末。気持ちよいことを知ることは重要なので、ということで、二人でさらに休息を。その後、家に帰る。親父と母ちゃんがおやつを持ってきた。みんなで、おやつばっかり食べて。尾道の大将から24日に熊本に来ることに。山野さんと夕食を食べようとセッティングする。NHKのディレクターからアフリカ船の旅の番組やろうと思ってるんですよという、乱痴気企画を受ける。もちろん即断してオッケー。この方、いつも企画通らないけれど、それでもいつも楽しい企画をしてくれるので、グーニーズみたいな気持ちになるので、それだけで十分。僕のところに来るNHKのディレクターは二人、狂人がいる笑。
集英社新書の担当の千葉さんから電話とメール。「モバイルハウスのつくりかた(仮)」は集英社新書から8月発売予定。ドイツに行くまでにゲラ持って熊本いきますとのこと。こちらも始まってきた。
西瓜を食べたくなったので、アオと再び自転車にノリ、まずは蔦屋書店三年坂店へ。幻年時代の次にまた長い本を書こうとしているので、その息継ぎのために重要になりそうな養分を買う。「ハックルベリイ・フィンの冒険」マーク・トゥエイン作。「城」フランツ・カフカ作。「デビット・カッパーフィールド」ディケンズ作。その後、LOVE LOVE KIKUCHIで美味しそうな西瓜も買って、夕方の風を浴びながら。自転車に乗る前に一緒にお風呂にも入っていたので、二人で眠そうになりながら、帰ってくる。
韓国に取材旅行後、帰国したばかりの梅山から電話。幻年時代の本の話、最近来ている依頼仕事の件の打ち合わせ。本を書きたくなっているし、本を書くことが自分の仕事なんじゃないかと強く思えるようになってきたことなどを話す。それでも、絵や音楽などももちろんあることはあるのだが、建築だって、梅山が、絵や音楽も、それも本の中であれば、詰め込んで空間化することができるもんなあ。建築はいつか壊されるけど、本だったら何百年も残っちゃうもんなあと言う。確かにそうだなと思う。一度、全てを閉じて、執筆だけで完結するような生活をしてみたほうがいいのかもしれないと最近どんどん思い始めている。坂口恭平日記を書き始めてからは本当にそうだ。他の何事もしたくないのではない。むしろその逆で創作意欲は無限大に広がっていて、漫画、建築、音楽、絵画、彫刻、などどんどんやりたくなっているのだが、それを全て言語で実現してみようという試みである。そこまで抑制してみたら、どうなるか。試してみたい。そういう勇気を持てるようになってきたとも言える。あらゆることを実践しようと試みるのは、僕の不安によるものが大きかった。技術の穴埋めの要素もあった。そして、病状をそのまま即物的に対応しているという姿勢でもあった。でも、今は、それらを統合して、総合して、一つの形に結晶化することができるのではないか。そのような試みは今までしたことがなかった。それは恐怖だった。でも、今は怖くないわけではなく、怖かろうが、千里先に光明があるのなら、突き進めるようになってきた。そのような段階に入ったということなのかもしれない。
物語を書きたいと思っている。でも僕はファンタジーは書こうと思わない。僕は自分が体験してきたことを書こうと思っている。坂口恭平の冒険、を書こうと思っている。
朝起きて、幼稚園にアオと向う。もちろん自転車で。アオが昨日買ってきたお土産である猫のポストカードを使って手紙を、僕の弟夫婦から送られてきた弦の誕生祝いのお返しとして書いたので、その葉書を通園の途中に中央郵便局のポストに投函する。その後、熊本城を横目に見ながら、坪井川沿いを自転車で走る。4日ぶりの幼稚園。そして、今日から午前中までではなく通常通りの午後3時まで通うことに。アオは、幼稚園が無茶苦茶楽しいらしく(僕にはそう見えるし、アオもそう言っている)、僕が幼稚園なんかさぼってどこか遠くへいこうよと誘っても、断る。僕としては断られても、一緒に行きたいと言っても、どちらでも面白いと思っている。いつも、僕はこうやって人に話しかける。どちらでも面白いと思うことを、さも、突然人を動かすような、突然の決断で、とんでもなく遠いところまで行くみたいな非日常なきっかけを、提案したりする。僕としては、そのどちらもが、同じくらい奇跡的な世界であるということを伝えようとしているのかもしれない。幼稚園なんて、共同体に入っていることも、僕にとっては、そして、アオにとっても、突然シチリア島に行くくらいの面白き冒険であると思っている。なんか、うまく説明はできないが、僕は時々こういうことを言う。そして、実行する。フーにもこういう行動を、提案を、実行をしていた気がする。それは一番近しい人間であるからやるのかもしれない。この目の前の自転車に乗っている二人という光景が、僕にとっては地球の上空、宇宙の果てくらいから、見たら、とんでもなく、ユニークな存在だなといつも不思議になる。あの感じをいかに常に新鮮に持つか。それが僕にとっては楽しい作業なのだ。意味はない。ただ楽しいとは何かを考えると、僕はこのような思考回路をとおりはじめる。この道が好きだ。
アオと別れて零亭へ。零亭で、次回の7月の熊本での音楽祭「まぼろし」の打ち合わせを弟子たちと。今回は坂口亭パーマとタイガースに任せてみることにしている。大原大次郎くんに電話して、まぼろしのポスター意匠の依頼。快諾してもらった。
その後、原稿。日記を書いて送信し、昨日取材したポパイの連載「ズームイン服」の原稿に取りかかる。2000字。すらりと書けた。担当の井出くんに送信。外出。キャッスルホテルへ。アオが好きなアンパンを購入。田中屋へ行き、ミニクロワッサンも購入。PAVAOへ寄り、ミントソーダを飲みにいく。ヨネとたっちゃんは今日も作業していた。ANA機内誌「翼の王国」の卓郎から連絡。5月25日の深夜から6月1日の早朝までドイツに行くことになった。これでアオの誕生日である6月1日に間に合うことになり、ほっとする。昨年、海外旅行にずっと行っていたので、アオもキャリーケースを買いたがっており、今年のプレゼントは指定済みで、子ども用キャリーケースである。しかし、今年は弦がまだ首が座っていないので、いろいろと連れていけないかもしれない。とりあえずドイツは無理で、7月末にサンフランシスコに行くが、それもやめておこうと言うことになった。11月のミュンヘンは僕が断った。今年は無理かな。もしかしたら、コスタリカ大使館からの依頼で、南米旅行に行くかもしれないが、まだ日程は未定である。
今回のドイツ行きは雑誌の取材のためである。バウハウスの特集をする。ワイマール、デッサウ、そしてベルリンに行く予定。ベルリンに行ったら、昨年はまった日本料理屋「だるま」のカツ丼が食べたい。オーナーのイマコ先生からメールが来て、早くカツ丼食べにいらっしゃいとのこと。楽しみである。ベルリンは案内人の洋介のおかげで、本当にすごしやすい町になった。友達もいろいろ増えた。僕にとってバンクーバーみたいな都市になりそうだ。いつか家を借りて、家族で数ヶ月暮らすみたいなこともやってみたい。僕の考え方はこの都市ではしっくり行くのである。
バンクーバーのキュレーターの原さんからも連絡があり、なんとなく繋がっていっている。原さんともまたバンクーバーで仕事をしてみたい。5月末に東京にくるらしい。会えるように日程を調整することに。
坪井のちょぼ焼きでお好み焼きを食べて、アオを迎えに行く。あやちゃんと会って、5月11日にみんなで零亭でバーベキューをしようと伝えた。14人くらいで宴をやろう。今、熊本はとても気持ちのよい気候である。零亭の花たちも咲き乱れている。枇杷もいいかんじに実がなっている。もう少しで食べられるだろう。幼稚園の先生たちからも狙われており、なったら、もぎとりに来ます!と言っていた。子どもたちが零亭に来ると、空間が変容するので、どんどん遊びにきてほしい。アオと自転車で家に帰る。
部屋で作曲。なぜかどんどん歌が産まれている。5曲分、採譜する。その後、本を読んでいたら、知らぬ間に寝ていた。
尾道の大将から電話。熊本で屋台の祭りをやろうとしていて、その協力をしてほしいと今依頼を受けており、5月20日周辺に熊本にいくから打ち合わせしようとのこと。サンワ工務店の社長とも再度、会わせたいし、白川沿いの屋台を復活させるのは興奮する。5月も仕事はゆっくりする予定。12日は福岡で建築家井手健一郎くんがやっているデザイニング展で三年連続のトーク。もちろん藤村龍至さんと。水谷元さんという方も入り三人で。15日は大分県立図書館にて磯崎新さんとトーク。20日は熊本・人吉高校で全校生徒の前で講演。そして25日から一週間ドイツ。あとは、ゆっくり読書と、新刊「幻年時代」の準備、今、また書き始めたまた新しい原稿と向き合おう。どうなるのかね。
朝起きて、風呂に入って、恵比寿駅の構内に入場券持って入り、構内の讃岐饂飩屋へ。ここの饂飩が好きなのです。入場券を見せれば、一つトッピングが無料なので、120円のちくわ大のトッピングをして、かけうどん並を喰らう。その後、日比谷線で小伝馬町駅へ。カバン作家のカガリくんと出会い、彼のアトリエでインタビューを行う。ポパイで連載している「ズームイン!服」の取材のため。この連載ももう14回目になる。一年以上やったのか。まあ、そのうち2回分は鬱で僕の代わりに水道橋博士氏と建築家藤村龍至氏に代筆を依頼したのだが。しかし、躁鬱病を全面に出してからは、ある意味楽になったのだが、その代わり、症状が出てしまうことが前より多くなったのではないかという疑念も残っている。とはいえ、それを出さずに生きるのも大変そうなので、これで良かったはずなのだ。毎日、会社に行ける人々はすごいと思う。僕にはとてもじゃないが、できない。季節と共に、体の調子、精神の調子がぐらぐらと変化するのです。それは自然の営みのように自分には思えるのだが、この世界じゃなかなかキチガイ扱いされてしまうよね。昆虫たちの体が大きくなってこの人間の世界と同じように生きたら、みんなキチガイ扱いされるのだろうなあ。僕は人間よりも昆虫に似ていて良かったなと思っている。
インタビューは無事に終了。その後、渋谷へ。東急本店で、朝、戎亭を提供してくれているデザイナーのミネちゃんが見せてくれた絵本が気になったので、それを買いにいく。ヨックム・ノードストリュームさんという現代美術作家が描いた絵本「セーラーとペック、街へ行く」である。丸善+ジュンク堂にあったので、アオの土産に購入。しかし、ペックは犬で、アオからの今回のお題が猫だったので、隣の文房具屋で猫のポストカードも購入。そういえば、僕も小学生のころ、親父が東京に出張に行ったときのお土産をお願いしていたなと思い出した。あの東京からのお土産がなんだかとんでもない宝物に見えていた。基本的にファミコンのカセットだったので、よく考えれば地元のおもちゃ屋でも買えていたはずだが、僕にとってはファミコンカセットというものは東京という未知メガロポリスで製造されていると勘違いしていたので、なんというか、そのカセットは未来の世界の切片という感覚で、僕にはその都市空間を包含しているようなカプセルホイホイのようなものとして感じられていた。1985年頃である。スーパーマリオブラザーズが発売された年。僕は7歳であった。福岡県糟屋郡新宮町に住んでいた。「いっき」もその年である。マイティボンジャック、迷宮組曲、アトランティスの謎という坂口恭平のファミコン三元素は翌年1986年に発売されている。僕がビルディングスロマンとか冒険物語風の執筆の仕上げにするのはここらへんの影響が大のような気がする。
当時、僕が読んでいた漫画は「はだしのゲン」である。全巻セットを、母親がやっていた生協の宅配便で注文してもらった僕はゲンと自分を、死んだ進次、その後出会うことになる進次似の隆太を僕の弟に重ね、一人でウジ虫わいている画家と接しているゲンに憧れた。そういう人間になりたいと思った。はだしのゲンの全巻セットは、あまりにも感動したために僕は新宮小学校に小学3年生のときに寄贈する。あの寄贈した漫画がまだあるのか確かめたい気分にちょいとなった。本は、芥川龍之介のポプラ社から出ていた全集を読んでいた。あと、ねずみが主人公のドブ川とか水道管とかを旅する冒険小説みたいなものにはまって図書館で借りていたのだが、その書名は失念している。ゲームブックも好きだった。ドラクエ1とか、ツインビーのゲームブックなどをやっていた。僕はいつかゲームブックを書きたいと思っている。今、全く求められていない市場かもしれないが、ゲームブックで都市を0円で旅する世界とかを描いたら、楽しいだろうなあと思う。
その後、ワタリウムに寄って、ワタリさんとちょいと会って話して、そのまま羽田空港へ。夜7時に熊本に到着。アオが待ってて、早く遊ぼう、自転車に乗ろうと言ってくる。僕の家の前の、チンチン電車新町駅の交差点、そこには大正時代の建物である長崎次郎書店、その奥には江戸時代からある吉田松花堂というシーボルトの弟子がやっていた漢方屋が並ぶ交差点があるのだが、夜の信号待ちをしながらこの交差点を観て、僕は、明治時代くらいの栄えていたこの風景が見え、そして、同時に未来に僕も協力して、この交差点が文化の薫り漂う素敵な交差点になっている風景まで出てきた。起きてまた夢を見た。心から落ち着いた。僕はこれから熊本を舞台にさらに深くかかわり生きていくのだろうと確信を持った。とんでもないことを、同時に心から落ち着くような世界を、実現したいなと強く思った。そんな気持ちのまま、アオと会い、強く抱きしめた。絵本とポストカードセットを渡した。
朝からバスで熊本空港へ。午後12時羽田空港着。そのまま代官山UNITヘ。午後1時からライブのリハーサル。今回は僕のソロだけでなく、坂口恭平と新しい花、というバンドでも演奏することに。ドラムはceroなどで叩いてたり、自分でもソングライティングをはじめている、あだち麗三郎くん。ベースは親友川瀬慈の元バンドメンバーで紹介してもらった、ひさもくん。エレキギターでやろうとおもって合わせていたが、やっぱりアコギのほうがいいということで、変更し、僕は全編アコースティックギターで行くことに。
偏頭痛が酷いので、一度、戎亭に戻り、休息。午後6時からライブを観に行く。EXPOが狂ってて、そしてPUNPEEのライブも良かった。次が僕の出番。最近作った「じゅげむ」という曲、そしていつものTrain-Train、10年前の曲である雨の椅子を歌い、anokoeまでを一人で歌う。その後、バンド編成になって、魔子よ、S.L.A.C.K.のカバーhotcake、そして最後は牛深ハイヤを歌い30分のライブが終了。今までさんざん唄ってきたのに、一度もいいよと言わなかった仲間たちには意外にも好評で調子に乗る。弟も嫁さんと観に来てくれたらしい。その後、七尾旅人くんのライブ。喉の調子が大分良くなったようで、素晴らしい歌が聴けた。途中で、僕は抜けて、代官山駅前でフランスとドイツ共同の国営放送ARTEのVINCIと、収録のための打ち合わせ。今回は東京の自然がテーマであるらしい。ナチュラリストやランドスケープの専門家、明治神宮や四季を彫った入れ墨なども特集するらしいが、そこに僕の「都市の幸」のアイデアも入れたいとのこと。とても細やかな精神を持っている人で好感持てた。5月下旬、僕がドイツに行く前に撮影をしたいとのこと。面白そうだ。
打ち合わせが終わって、目黒川沿いの居酒屋大樽へ。磯部涼、あだち麗三郎、七尾旅人、ささお、粟ちゃんたちと打ち上げ。ずっと前に僕にいのちの電話をかけてきた音楽家も六本木のライブを終えてやってきた。なんと5月下旬にニューアルバムをだすことのこと。嬉しい限り。いのちの電話をかけてきた人が少しでも元気な顔をしているのをみるのは本当にうれしい。もう僕はいのちの電話をやめてしまったが、それでもやってきたことは間違いではなかったなと思った。先日も死にたいとは思わなくなったという手紙が送られてきた。大体、死にたいと思うときってのは、僕に関していえば、変化し新しい作品を見つけようと藻掻いているときだと断定することができたので、みんなも似たようなものではないのかなと思っている。だからどんどん死にたくなればいいのである。死ななきゃいいのである。死にたくなるというのは僕にとってとてもよいことなのである。だって、変化するのだから。もちろん、それは大概の場合は、周辺との意識の隔絶で、絶望的になる。創造的な思考や活動というのは、日常的にははしっこに追いやられているからだ。僕はそれはまずいと思って、完全に創造しかしない生活を22歳のときからどうやって作り出すかばかり考えてきた。創造していても、文句を言わない現実的ではない夢見心地な嫁さんを見つけることに執心してきた。いのちの電話を聞いていて、多くの人がそのような時間をつくりたいと思いつつも、やはり周辺と同調するのだというほとんどそれは妄想に近いのだが、そのような考え方によって、別に周辺は同調など実は求めていないのに、勘違いして、自らそのような平均値を作って、その世界に飛び込んで、結局創造ができなくなり、絶望的な状態に陥っていた。時間を作り出す。生きる環境を作る。こういうことは誰も教えてくれないから、なかなか難しいのが現状だろう。僕は周辺に友達がほとんどいなかったし、けれども遠くにはキチガイな仲間はいたので、そのアンバランスが、僕に自分の環境をゼロから作り出すようにしむけたのだと思っている。22歳から試し始めて、28歳に僕はあらゆる労働と離れた。それでも7年かかった。これは理解者がいないとなかなか実行するのが難しい。そして、面白いのは、別に完全に創作だけ行える環境に持っていったとしても、僕に死にたくなる精神状態が無くなるわけではなく、むしろ多くなっていくということだ。だから、楽になるというよりは、よりきつくなっていると思う。それでもそのことに集中できる環境のほうが僕にとっては生きやすい。極度のプレッシャーをたまに感じないと死にたくなってしまうという性質なのだろう。
打ち上げ後は、磯部夫妻と歩いて恵比寿駅まで。別れて、僕は戎亭へ戻り、即寝。午前2時。ライブ楽しかったなあ。今度はビックバンドでもやりたいなどとまた妄想がはじまっている。フーからは、あなたは鬱のとき趣味がないなどとわけのわからない嘆きをするが、そもそも執筆に集中すればいいものを、音楽をやればそれが仕事に、絵を描けばそれを仕事に、宴会で楽しくお噺をすればいいのに、それも仕事にするもんだから、いつも追い込んでしまうのよ、と言われている。なるほど。最近は、大分、自分でも緩め方みたいなものを覚えてきているような気もしているののだが、音楽もほどほどにしたほうがいいのかもしれん。あなたはいつもフル回転のサービス精神旺盛のミラクルマニアなので、ミラクルなんて起こさなくていいから、落ち着いてやってごらん、落ち着いてやっているくらいでちょうどいいよ、フル回転だとトゥーマッチでうるさいもん、と言われた。おれは子どもか。落ち着いてやってみようかな、今年は。
朝起きて、幼稚園が休みのアオに引き連れられ、朝から自転車ツーリング。ついでに川上酒屋へ寄り、PAVAO新装オープンのお祝いにシャンパンを購入する。この酒屋さんは本当に品揃えが良く、落ち着く。近所にはもう一つ木村屋というこちらも品揃えが素晴らしい酒屋がある。熊本には小さいが、品揃えは世界中探してもどこにもないようなお店がところどころにあって、それが街をちゃんと構成している。洋服屋のパーマネントモダン、寿司屋の魚よし、酒屋は今書いた二軒、書店は叙文堂、長崎書店、骨董屋はさかむら、料亭Kazoku、温泉は辰頭温泉、文房具は文林堂、紙屋は森本、劇場は早川倉庫、八千代座。廃材はサンワ工務店、博物館は熊本国際民藝館。酒場はBilly's Bar。僕にとってとても大事な街の要素になっているお店たち。僕はお店が大好きである。お店はやるのではなく、利用するのが好きである。自分の脳味噌と接続し、脳内を都市へ拡張するための装置。それがお店なのだ。だから、僕はいつも街を歩き、お店を探す。それは都市を自分の家だと認識を変えるための僕なりの行動である。
川上酒屋の横にある早川倉庫では、アースデイマーケットが開催されていたので、立ち寄ってみる。早川親子に挨拶。11日に零亭でバーベキュー大会をやろうと思っているので、ユウゾウと打ち合わせ。その後、マーケットをぶらりと眺める。おっ!総理!と言われ、フェアトレードのチョコレートを0円で頂く。新政府は、表に出さず、それぞれの脳内に閉じ込めて見えない自治空間として存在させたほうが効果的なのかもしれない。今のところこれで行ってみよう。熊本・植木産の小麦で作った饂飩麺、熊本・八代産の大豆で作ったホットケーキミックスを購入。福島0円サマーキャンプでもお世話になっている苓北の福田果樹園の清美ジュースをアオに。
その後、アオとまた自転車でぶらり街を周遊し、古道具屋二軒立ち寄り、アサヒペンタックス用の木製の三脚を500円で購入。薩摩琵琶、筑前琵琶を発見したが、25万円だったので手が出ず、と思ったら、もう一軒では筑前琵琶が39000円だったので、思わず考えたが、確実にフーに叱られるので、諦めた。桑の木と象牙でできた琵琶。最近、楽器ができるまでに興味がある。琵琶法師に吟遊詩人に興味がある。アフリカの弦楽器を弾きながら紀元前からの歴史を物語る楽団などに興味がある。舟鼠の筆を調べていると、絵画と音楽には動物の毛や皮が使われていることを再認識する。それがどうやって作られているのか。そんな仕事に興味を持っている。路上演奏家を調べようとしているのと少しずつ混ざってきている。これが次の僕の本のテーマになるのかは分からない。世界中で楽器と路上演奏家、吟遊詩人、楽器を作る人、作る人の身分、仕事、そんなことを調べたいと思っている。というか、アフリカに早く行きたい。エチオピアに。川瀬慈と一緒に行きたいなあ。映像人類学者である川瀬慈の映画作品は僕に確実に大きな影響を与えている。彼と一緒に夏、アフリカに行こうとしていた。フーに、弦生まれたばっかりでアフリカはきついかも、と一言言われて、それでとりあえず延期されたが、それでもいつか行きたい。できることなら、川瀬家と坂口家みんなで行きたい。などと妄想をする。僕がアフリカに行ったのは2007年。あれから、いろんなことが変化してきた。僕のメタモルフォーゼはケニア・ナイロビでの体験が引き金となっている。
家に帰ってきて、フーが頭が痛いというので、僕が昼飯を作ることに。といっても、和田かまぼこで買って来たゴボウ天と人参天と、早川倉庫で買った、国産小麦の饂飩麺で、ざる饂飩を作っただけだが。武将に頂いたメロンをデザートにした。美味。
昼過ぎ、アオが今度は自分で自転車を漕ぐというので、ピンクのブリジストンに乗るアオにお供して歩く。ついでに1964年製のアサヒペンタックスSPを持って写真でも撮りながら。最近、写真を撮るという行為が戻ってきた。僕が写真を始めたのは16歳、高校生のときである。そのときはオリンパスペンだった。で、処女作0円ハウスも写真集だ。とは言っても、僕は写真を自分の表現方法としては捉えていない。どちらかというと記録のためだけである。だから、気楽で楽しい作業でもある。で、また僕の街は写真も古い街で、1869年からやっている富重写真館というのがある。坂本龍馬のあの肖像写真を撮った(現在は上野の弟子が撮ったと言われているが)、日本最初期の職業写真家であり、日本初の戦場カメラマンである上野彦馬に写真術を学んだ富重利平が開いた写真館である。ラーメン屋こむらさき本店の壁に飾られている、熊本城の明治期の写真も富重によるものである。そんなことを知り、もう一度、デジタルをやめてフィルムで写真を撮り始めた。今、僕は自分が住んでいる街でしっかりと自分の仕事を成立させようと練習しているのである。熊本の街を歩いて、材料を購入し、題材を獲得し、それでもって作品を作るようにしようと思ってる。どんなところでも仕事ができる。その技術をさらに向上すべく精進せねばと思っている。
アオは自転車がほんとうに上手になってきた。楽しいみたいだ。僕の後部座席に乗るのも、自分でピンキーに乗るのも。好きなことを好きなだけやればいい。アオに関してもそう思う。やりたくないことはとりあえずやらなきゃいい。それでもやらなきゃいけなくなったら、一緒に協力するので、それはそれで諦めてやろう。そうじゃなければ、やりたいことだけ徹底してやろう。僕とアオの合い言葉はこれである。起きたい時間に起きればいい。しかも、僕とアオは根っからの朝型人間である。朝早く起きるのはいいことだらけだ。徹底して朝早く起きよう。僕は小学生のとき、朝早く起きて、勉強も終わらせ、さらに漫画も作ってた。学校に行く前、休みの日の朝。とにかく朝が僕の創作の時間だった。それが今でも変化していない。TOKYO0円ハウス0円生活は、バイトをやめて無職になり貯金0円で結婚して不安だった僕が、毎日朝4時から昼の12時まで8時間かけて、それを一ヶ月半休まず続けて完成した。数ヶ月も執筆に時間をかけるほど生活に余裕がなかったからだ。朝は僕を強くする。アオもしっかりと受け継いでいる。面白い。でも本当に夜は遅くなったら体壊すけど、朝はどれだけ早く起きても、健康のまんまだから、どんどんやっちゃっていいよ。アオは通っている幼稚園の合い言葉「早寝早起き朝ご飯!」を叫んでいる。僕は朝ご飯は食べないけど、アオはその三点セットでお願いします。
その後、シャンパン持って、また自転車に乗ってアオを後ろに乗せて、PAVAOへ。途中、熊本城のお堀に船を浮かべて周遊している催しを見る。僕の家からアオの幼稚園まではお堀である坪井川で繋がっているので、いつか船で通いたい夢が僕にある。いつかどうせきっと叶うんだろう。と思い込む。PAVAOで、コロリダスのライブを聴く。これが無茶苦茶よくて、アオと一緒に踊り出す。ライブ終了後に聞いたら、アルバムの録音技師が塚田さんでびっくり。なんと僕が出したアルバム「Practice for a Revolution」の録音技師も塚田さんなのである。奇遇である。
アオが眠くなったので、夕方から白ワイン飲んで気持ちよくなって、第二部のライブもみたいと思ったが、しぶしぶ家に帰ってくる。家に到着したら、料亭Kazokuのヒロミさんがまた来てくれている。もちろん夕食を持ってきてくれた。今日のメインディッシュは砂糖、お水を使わずにお酒と醤油だけで煮込んだ天草大王とメークインと熊本の新玉葱の煮込み。これが本当に美味しくて最高だった。たまたま親父と母ちゃんも来たので、7人で食事。御飯はたくさんで食べた方がおいしい。八代の有機農法の日本酒「宗薫」が残っていたので、みんなで飲む。大掃除していたら、オスカーピーターソンの好きなアルバムが出てきたので、それ聴きながら。ヒロミさんが気に入ってくれたので、アルバムをあげた。夜は、原稿。明日は東京へ。久々の東京。久々のライブ。初めてのバンドで。弟も明日来るって言ってた。5日、6日だけの東京滞在。5日、到着したら、すぐにリハーサル。午後7時半からライブ。夜9時からフランス・ドイツ合同国営放送ARTEの打ち合わせ。6日、午後1時からポパイ連載取材。そして夕方の便でとんぼ返り。
ヤマトに自宅へ寄ってもらい、段ボール二箱分、吉祥寺の古本屋バサラブックスへ送った。7月に熊本で坂口恭平主催で開催される「まぼろし」の打ち合わせ。今回はceroと前野健太のダブルメインイベントです。危ない祭りになるだろう。楽しみだ。今回は弟子二人が制作として実践している。うまくやれるかどうか。
朝起きて、すぐに福岡へ行こうかと思っていたのだが、フーが大掃除をしたいというので、急遽変更し、家で大掃除をすることに。今回、僕が張り切っているのは、物置だった部屋を坂口恭平専用の執筆部屋に変える許しを得たからである。ということで、坂口恭平主導で大掃除を行った。
お昼過ぎ、熊本県職員で、元荒尾市副市長だった山下さんから電話があり、坂口くんの家の近くにいるんだけど、会わせたい人がいるというので、掃除を一時中断し、近所の婦人服屋へ。そこにいたのは謎の男性で、平井靖志さんという方。どんな人なのか説明も受けずに、しかし、どうやらとんでもない人らしいのだが、僕にはさっぱり分からない。しかし、このちょいと寂れた婦人服屋で謎の会合が開かれているというのは、狂っていて楽しかった。僕の全く礼儀を知らない態度に対して、平井さんに注意を受けた。煙草もやめなさいと言われた。別に政治家になろうと思っているのではないと言いそうになったが、こうやって意見を言ってくれるというのも、今ではあまり無くなってきているので、しっかりと受け止めることに。しかし、氏は一体何をやっている人なのだろう。と思いつつ、こういうことを知らないのが僕にとってはとても自然なのである。誰か、何をやっている人なのか、そんなことを詮索してもつまらない。それよりも不思議な気持ちでいれていることがとても貴重で、そのことに興奮していた。
掃除は無事に終わった。見違えるほど綺麗になった。模様替えもできた。僕の個室もできちゃった。空家(あきや)という名前をつけた。翼の王国の編集卓ちゃんと、5月下旬のドイツ行きのことについて電話。ベルリン、ワイマール、デッサウの三都市を回ることになりそうだ。11月の二週間現地製作のミュンヘンの仕事は、フーに言われたので、断ってしまった。サンフランシスコは7月26日から30日まで行くことに。フーアオ、弦の三人は、弦がまだ首がすわっていない可能性もあるので、大事をとって行かないことにした。一週間までであれば海外出張もオッケーということに今年はなっているようだ。息子が生まれたので、坂口家のルールもまた変動している。その時々に応じて、変化していけばいいと思う。水道橋博士のメルマガの原稿を(と言っても、送っているのはこの坂口恭平日記)送信。ポパイの次の連載の取材相手を見つけ、電話でアポをとる。6日に東京で取材することに。鹿児島の若潮酒造に毘沙門天の絵を送る。同時に、若潮から特別な焼酎が3本届く。感謝。ARTEというフランスとドイツが共同で作っている国営テレビ局から取材の依頼。新政府の活動は日本語ばかりで行っているのだが、深い注目をしてくれるのは日本ではなく、他国であるのはとても興味深い。wikipediaに携帯電話番号を掲載されているから気に入ったとのこと。掲載してみるもんである。ヒマラヤで登山中の石川直樹からメール。今、7300メートルのところにいるという。ベランダで7300メートルにいる人間を想像してみたら、笑ってしまった。あの男は何をやっているのだろうか。嫁のいうことしっかりと聞けとまで書いてあるし。死ななきゃなんでもいい。無事を祈る。
今日は原稿仕事は全くやらなかった。たまには書かない日も重要とも思うが、やはり毎日やっていないと手がすぐ鈍るのである。だからできるだけ毎日書いたほうがいい。日記はそういう意味でも自分にとってのエクササイズにもなる。コーエン兄弟の映画を借りてくる。アオはまたポニョを観るといっている。この津波映画、やはりとんでもないな。
夕食は広島風お好み焼き廣のお持ち帰り。アオと一緒に自転車にのって白川沿いを走り、気分転換しながら。「磯崎新の『都庁』」平松剛著を読んでいるが、これ、無茶苦茶面白い。見立ての手法も手に入った。五月は磯崎新氏の著作、そして、下旬に向けて翼の王国用のバウハウス。仕事でもない限り、掘らない世界の本を読んでいる。しかし、このランダムな線が、新しい角度の創造性をくすぐっているような気がする。夜はギターを弾く。5月5日の夜はUNITでのライブ。がんばろうっと。といいつつ、ただ愉しみたい。
朝からアオを幼稚園まで自転車で送る。アオは一昨日つくりあげた自作の絵本「あおときょうへいのものがたり」を持っていった。担任の先生はいつか絵本をつくりたいんですと僕に先日熱く語っていたが、そんな先生を鼓舞するのが目的なのだろうか。アオは最近、めきめきと創作意欲が湧いている様子。僕が毎日、原稿書いているのが焚き付けたのだろうか。僕が彼女にできることと言ったら、一緒にいて、自分の作る行為を見せることだけなので、いつも鬱のときに落ち込んで絶望して死のうと考えている人間の姿を見せてしまって本当にすまないと思いながら、元気なときはとにかくひたすらに創造をおこなっている姿を見せれたらと思う。といいつつも、僕は籠らないと書けないので、基本的に作っている現場は見せられないのだが。見せられるのはその気配だけである。ま、それでいいのではないかと思っている。なんでもやりすぎはいけない。それはフーからの助言である。大分、マイルドになってきたのではないか。もう対外的な部分はマイルドでいい。むしろ、全く波風立たないくらいでいいのかもしれない。そうすればするほど、原稿の中で、文字の中で暴れられることができる。今年はそちらの方向で行ってみようと思っている。どうせまたすぐに方法を変えようと試みるはずだ。そのときが勝負だろう。できるだけルーティンを作り出す。とにかく膨大な原稿を生み出す。これが今の自分への初期設定である。そうすれば、心が少しだけ落ち着くことが分かってきた。幼少のときから、この爆発するエネルギーをどのようにコントロールすればいいのか、それが大問題であった。そして、大抵はどこにもエネルギーが向うことができずに、なにかとっちらかっていき、びっくりするような行動に結びついていった。それはそれでよかったところもあるのだが、今はそれを集中して、具体的なブツに変換していきたいし、それができるようにもなってきている。ただの精神分裂者の叫びとして、ポイと捨てられそうな想念を、どうにか空間化できるようになってきたのではないか。それが今の僕の実感である。苦しんだが、今はその苦しみですら、空間化する段になると、少しだけ愉快な気持ちになることができる。
その後、零亭へ。パーマと少し今後のことを話し合った後、原稿を書く。新作書き下ろしはとりあえず最終稿を梅山に送ったので、放置するとして、そのまた次の作品へと僕は向うことにした。次は仮タイトルで「舟鼠(ふなねずみ)」と付けて、もちろんこれはただのコードネームであるのだが、coyoteで書いた毘沙門天放浪記からのさまざまな出来事を原稿化している。今日は4000字書けた。おれは短編集のような形になるのだろうか。よく分からないし、しかもまだ出版社も決まっていないので、どうなるのか不明であるが、面白いからどんどん書いちゃおうと思っている。今、様々なアイデアが頭を渦巻いている。完全な躁状態はようやく抜け、少し落ち着きを取り戻してきたが、それでも観念奔走は続いている。これが躁状態の僕の症状である。別に借金することもないし、車を猛スピードで突っ走らせるというような行動もないが、観念奔走だけが止まらない。そのまま、人に喋ろうとすると、24時間続けることができる。で、今回はiPhone使用禁止令まで勝手に自分に作り上げた。人に喋りたくなると僕は携帯電話を使いまくる。月に10万円を超えることもあり、よくフーに怒られている。その反省をふまえた上で、iPhoneで電話する行為を自力で禁止し、つまり機内モードにし、話したいことがあれば、それを全て原稿化してみるという療法を行うことにした。しかも、これであれば、それが原稿になるわけで、書き下ろし単行本になるわけで、どこか出版したいと考えてくれる人もいるかもしれないわけで、今度の「幻年時代」の初期衝動は完全にそれだったわけだが、今年になって生まれて初めて「推敲」という行為があることを知り、生まれて初めて推敲をしたというとんでもない執筆初心者の僕なのだが、その躁状態の初期衝動と推敲というもっと落ち着いた精神状態での冷徹な自分が混じり合うと、「執筆」という創作活動に落し込むことができるかもしれないという希望を感じたので、それを実践してみている。この坂口恭平日記もそうだ。twitterで書散らしているよりも、まとまりのある息の長い原稿に変えていったほうが可能性があるかもしれないという考えからそうした。今日は、新しいベクトルの力が出せて少し満足した。また長い原稿を書くルーティンのはじまりである。今度は500枚くらい書いてみようと思っている。
お昼頃、今度20日に全校生徒の前で講演することになっている熊本の人吉高校の先生と先日、糸島でお会いしたイギリス文学の研究者の女性が講演の打ち合わせがてら零亭に遊びにくる。人吉名産の工芸品をお土産に頂く。女性からはハラムシの絵本とまつぼっくりまで頂く。我が家にはさまざまな人からのおみやげがどっさり届く。本当にありがたい。毎日、献本が届く。感謝である。大学時代に僕はサンワ工務店の元社員だった藤田さんから「お前はごっつぉさん人生だな、こりゃ」と言われていたが、その癖がいまだに治らない、というか僕はそんな人生なのだろう。ありがたく受け取り、その返礼義務とは何かをいつも考えるようになった。僕は本当に怠惰な人間でもあるので、直接お返しできてなかったりする。しかし、返礼義務とは直接的な物の交換ではないと勝手に考えている。むしろ、僕は頂いた人ではない、また別の三者に、返礼するのではないか。そして、それは如何に行うのか。そんなことを考えている。気前の良い人生でありたい。悲しき熱帯を読み、さらにそう強く思うようになった。
人吉高校の先生はいい意味で狂っている感じで、楽しみになった。人吉は沖縄の読谷焼きを復興させた上村さんが開いた民藝屋「魚座」というお店があったり、球磨工業高校には古建築という学科があったり、銘木屋のいいところがあったりと、何かと僕にとっては文化の風を感じる素敵な場所である。久々に行くので大いに楽しみ。高校時代の恩師である黒田先生が教鞭をとっていることも判明し、さらに何かを感じさせる。一時間打ち合わせし、別れて、僕だけアオを迎えに行く。
アオと二人で自転車で家に帰ってくる。原稿をもう少し書きたくなったので、最近、坂口家にも書斎を作ってもらったので、元物置部屋的な扱いだったところに籠って、しばし原稿を書く。手持ち無沙汰になったり、観念奔走したり、とにかく暇さえされば書くようにしよう。そのルーティンを作り出そう。と自分という猛獣の使いである僕は思った。DJ Shhhhhのavexから出ているMIX CDを聴きながら。みんないい作品を作り出している。素晴らしいことだ。
坂口家に素敵な料理を作ってくれているKazokuのヒロミさんが、今日も食事を持ってきてくれた。今日は「ばら寿司」!酢飯の上に金目鯛、穴子、烏賊、比目魚の刺身が綺麗に並んでいる。しかも、下の段には、蟹がまぶしてあるちらし寿司があるという二層構造。半端ない美味しさ。穴子の刺身は生まれて初めて食べたが、これが美味であった。金目鯛も無茶苦茶柔らかくて、アオと二人で頬っぺた落ちそうになりながら、頬張った。途中から、熊本市内の福祉のドン(笑)である、武将こと、宮川女史もいらっしゃって、楽しい夕べ。日が落ちる前から、みんなで、仏蘭西の白葡萄酒やら熊本県八代市の自然農法の日本酒「宗薫」などを飲みながら、食事を楽しむ。フルーツはメロンと晩柑のお裾分けを。僕は大学芋アイスも買ってきた。フー手製のみそ汁も美味しかった。自宅でありながら、みなで持ち寄って贅沢な時間を。坂口家+ヒロミさん+武将は珍道中の仲間である。先日はこのメンバーに熊本県副知事小野さん一家も加わって皆で天草でイルカと温泉の旅に行った。再来週は松島へまた旅することになった。楽しみである。ヒロミさんはお金を使わずして、最高の贅沢をする方法をよく知っていて、それを無償で僕たちに教えてくれるので、本当にありがたい存在である。秋篠宮殿下が育てていた混じりっけなしの鶏の卵も六つ頂いた。僕のところにはなんだかとんでもないものが送り届けられる。前回の鬱はこの卵を五ついっぺんに卵焼きにして食べたら、治ったのであった。もちろん、それだけで治ったというわけではないのかもしれないが。素直な卵である。素直な食事が一番体にはいいのだと最近思う。どこかに行って、食べるのはちょっと違うのではないかと思っている。僕が信頼している人の料理を食べる。それがただ素直に一番美味しい。フーの料理、ヒロミさんの料理、魚よしの大将の寿司。それだけで僕はもう十分なのである。かつ、駄菓子屋のジャンクフードも好きなので、みんなには駄目よと言われるが、自分の中では同じ美味しさでもあると思ったりもしている。ただそこにあるものをありがたく食べる。どこかに食べにいく、とかはあんまり興味がなくなっていっている。だからこそ、毎日会う人、そのものに注目が向っている。毎日の行動が、自分にとっての面白い採集ネタになっている。娘や息子が、完全にフィールドワークの対象物になっている。それで家庭的なパパ、とか言われるなら、一石二鳥である。ジャングルの奥地を旅しているような精神で、僕はチャイルドシートにアオを乗せて、近所を自転車で猛スピードで走り、人々と対話を続けている。
夜は網野善彦さんの「無縁・公界・楽」を読む。読書が最近少しずつできるようになってきた。本当にまだ小学生くらいの状態なのである。文を書いたりするのも、本を読むのも、絵を描くのも。技術向上の努力を全くしていなかったので。別にその必要性も感じていないのだが、今は、ただ勉強してみたいと思っている。やりたいことをただひたすらにやる。これだけを追求するのみである。それがわが人生。それが一番金になる。だって、やりたいことが一番力を入れられる。命をかけられる。それが一番人々に伝えやすい。だって、やりたいことだから、寝ずにやれるもん。それを高校生にちょっとでも伝えられたらいいなと思う。もちろん、そこは魔界でもあるんだけど。その話も。僕は地獄があるからこそ、行動ができている。もちろん、天国も知ってるけど。
朝から自転車でアオと幼稚園へ。その後、零亭で原稿。お客さんが来訪し、イギリス人のショーンとやたらと話す。僕はいつも英語を使いたくてたまらないので、英語がしゃべれるとなると、どんどん今度、海外へ行ったときのトークの練習として、喋る。向こうは普通に世間話がしたいかもしれないのに、僕は自分が考えている空間についてのアイデアや、レイヤーとは何かということを必死に英語にして、説明する。という会話なのか、シャドーボクシングなのか分からないが、そのような遊びにつきあってもらう。近所に住む、都市計画家の冨士川さんのところへ。事務所には都市住宅という70年代の雑誌も全て揃っていて、建築図書館といった体。磯崎新さんの著作を何かお持ちではないですかと尋ねる。71年刊のハードカバー「空間へ」が二冊あったので、一冊を分けてもらった。ありがたい。そして、磯崎新さんと今度15日に、大分県立図書館で話をするにもかかわらず、一冊も著作を読んだことがないことに気付き、そんな無学な自分を情けなく思いながら、ここは一つ勉強をしてみようと思い、空間へ、をまず読んでます。都市破壊業なんて、僕みたいな感じじゃないかと勝手なことを思う。しかし、ここから、今の建築の仕事を考えるに、その分裂が存在し、それを埋める、もしくは橋を架けるために著作があるのだろうか。僕の師である石山修武氏は、まるで磯崎新さんを師のように仰いでいるように、僕は感じていた。僕はその意味がよく分からなかった。そして、今もよく分かっていない。こういうことを分かっていないと、何かとてつもなく自分が頭が悪いのではないか、よく知りもせずに、よくぞ建築の世界なんぞで、お前も飯を食っていけてるな。やはりお前は、偽物だ、と、勝手なおれの中の誰かが耳打ちしてくる。そんな僕の妄想の根源に、磯崎新さんはいるのかもしれないと思った。僕は磯崎さんの建築をほとんど知らないことに気付いた。ほとんど見ていない。雑誌などで見るに、全く興味をそそられなかったのだ。しかし今、文章を読んでいると、僕と同じころの30歳代の原稿なのだが、いろいろとシンクロすることも多い。だが、それと氏が設計している建築が結びつかない。本当に僕は馬鹿なのだろう。そして、それでもいい、理解不能なことは別に悪いことではなく、理解不能なこともあるのだと認識すればいい、拒絶しなければいい、それが存在していることは知っておけば、いつか、もしかしたら理解できるときがあるかもしれないし、別に理解できなくても、いいのだ。そんな感覚を持ち、僕は自分の仕事をはじめた。いまだに、良さが理解できないが、確かにずっと気になっている人ではある。空間へ、はなるほど、その後の建築家たちが文章を書くようになる起爆剤になったものなのだろう。つまり、僕もそういう意味ではしっかりと無意識に受け継いでいるところがあるのかもしれない。などといろんなことを考えながらお昼の読書。
家に帰ってきて、アオと二人で自転車でまたでかける。あんまり気持ちのよい陽日なので、フーに電話し、弦をつれてこいこい、みんなで「さい藤」に行って、茶でも飲もうよと誘う。弦用のおしゃぶりと脱脂綿を購入し、四人でさい藤へ。フーは中華めん、僕はふな焼きを注文。さい藤のおかあさんの自然食品話に耳を傾ける。二週間ほど前に、アオと話をしていて、美味しいものを食べたら「すごい美味しい!」って言ったらもっと喜ぶよ、と僕が言うと、アオが「美味しくなかったら?」と聞くので、僕は「美味しくなかったら、美味しい、だけでいいんじゃないかな。美味しくないと言うと作ってくれた人も悲しむから。でも、それじゃアオも落ち着かないだろうから、オレにだけは小さい声であんまり美味しくなかったと言えばいいんじゃないかな」なんて話をしていた。今日、中華めんを食べたアオが「すごい美味しいです!」とおかあさんに言っていたあの本気で旨かったのが伝わった感じはとてもよい風が吹いた。子どもは美味しいものが分かる。人が心をこめて作ったものが分かる。4歳のこの理解度の深さはやはり、僕の4歳の記憶とも繋がるところがある。全てを子どもは知っているのである。午後4時の気持ちのよいシャワー通りの茶屋でのひととき。
帰ってきて、アオと風呂に入る。最近、早くお風呂に入ると気持ちがよいことが判明して、もちろんそれは春、初夏だからだろうが、なんとなく時間が増えたような気がする。こうなったら、幼稚園の帰り道にある「城の湯」という温泉に入って、帰ろうかなどという計画まで飛び出る。僕と一緒に入るのを嫌がっていたアオも、今では一緒に頭を洗わせてくれるようになってきた。やっぱり、一緒にいる時間が少なかったことのアオなりの抵抗のようなものだったのかもしれない。仕事の仕方、時間のつくりかた、そういうことをちゃんと考えていきたいと思った。フーも、別にお金はそんなに稼がなくてもいい、と言う。太っ腹な人たちである。とりあえず今年一杯はこの調子で、作品をとにかく家で作り続けて、家族との時間を作ることに専念しようと思う。そっちのほうが自分も楽しいことに気付いた。アオが幼稚園終わったり、休みの日にはしっかりと父親の役を演じよう。そして、アオが幼稚園に通っていたり、寝ている間は、しっかりと作品を作ろうと試みる芸術家の役を演じよう。そのメリハリが、今年の練習目標である。
上智大学の教授であり、漱石を中心とした日本近代文学の研究者であるAngela Yiuから電話。一緒に企画している僕の立体読書の絵と日本近代文学短編集の英語翻訳を合体させた本がいよいよ完成するとのこと。7月31日発売予定。幻年時代と同じ頃だ。出版社はハワイ大学出版である。タイトルは「Three-Dimensional Reading: Stories of Time and Space in Japanese Modernist Fiction, 1911-1932」立体読書を英訳したような感じになっている。僕が描いた佐藤春夫の小説「のんしゃらん記録」の立体読書ドローイングに対するリアクションを初めてしてくれたのが、Angelaである。あれから、もう4年ほど経ったと思う。立体読書はいまだに、ほとんど知られていない僕の仕事なので、世界中で発売される可能性をもつ英語翻訳版はとても興味深い。もうamazonでも予約は開始しているという。楽しみだ。映画「モバイルハウスのつくりかた」のDVDも5月下旬ごろ発売予定でこちらもamazonでの予約は開始している。今年は出版ラッシュ。昨年は一冊も出していないので、その分、いろんなものが溜まっている。
また頭の中で次の作品を作りたい思いが渦巻いているが、なかなか集中できていない。書き終わったばかりなので、ゆっくりすれば、とはフーの一言。そりゃそうなのかもしれない。早まってもどうせ形にはならない。明日の夜は「ばら寿司の会」。3日はどこかみんなで行楽しようと提案されたので、ここは一つゆっくりと休日をすごすことにする。そうだ、こうやって、一つ一つ相談して、暴れそうになっている頭を抑えていく。こうやって、集中できるポイントでドンと力を出す。まだ、僕は自分の暴れ馬を乗りこなせていない。