午前11時に有楽町へ。喫茶店で週刊朝日の取材。幻年時代について。なかなか今度の新刊について話すことに戸惑っている。かと言って、それは今までの自分の仕事と全く違うものになったというわけでもない。むしろ、自分が書こうとしている感覚には一番近いものができたような気がしている。それでも不思議な気分なのは変わらない。自分の幼い頃を思い起こさせたと言われたが、僕は書いたのは、とにかく忠実に四歳のときに感じた空間そのものだ。大体の形はもちろんずっと昔からあったのだが、それを細かく採掘してみると、全く違う代物だった。言葉になかなかできない感覚と言われるものは、言葉にしていない。それよりも、ただその時に見た情景と人間の動きを描いてみた。すると、その言葉にできないものが、頭の中にくっきりと形として見えてきた。日常的な風景であるはずだと今では思うのだが、そこには冒険が忍びこんでいる。耳の裏あたりの岩壁を上っている。
そのまま、近くのニッポン放送へ。明日午後7時から放送される「誰だ!」という番組のための収録。一時間パーソナリティは生まれて初めてだ。これまでの活動、躁鬱、そして新刊「幻年時代」などについて支離滅裂に話した。お相手をしてくれた新保アナウンサーの読後感想が興味深かった。また違う方面での反応がありそうな予感がする。
その後、ゆっくりお茶をして、最終便で熊本に帰ってくる。今日の夜は、近所の地蔵祭り。フーの友達が子連れで二組やってきて、三家族で祭りを楽しみ、そして皆で我が家で雑魚寝。三日休んだら、再び東京でトーク、そしてサンフランシスコへ行き、映画「モバイルハウスのつくりかた」プレミア上映、無印良品に展示されるモバイルハウスをつくるワークショップを行う。
本当にいつも訳の分からないことばかりやっているなあと思う。それで仕事として成立していることが謎である。これしかできない、というのではなく、あらゆることに手を出すことしかできないのが自分である。こういうケースをあまりというか全く見たことない。幻年時代を書き終え、また次は全く違うことをやろうとしている。一体どこへ向かうのか。全く分からない。しかし、幻年時代を書く前も全く分からなかった。そして、突然これを書こうとはじまった。覚束ない進行方法であるが、二手に別れたら、これまでの体験と勘で木の実がありそうな茂みへと歩いていく。まさに採集生活のようである。
ハワイ大学から「Three-Dimentional Reading」が送られてくる。これは上智大学のAngela Yu教授が編集した1911年から1932年までの日本近代文学短編集の英語翻訳版である。僕はその挿絵を担当した。著書名にもあるように、僕の「立体読書」という絵のシリーズが使われている。ほとんどリアクションがないままやっていたこの絵なのだが、4年程前にAngelaから佐藤春夫の短編を描いた僕の絵が興味深いと突然メールがあり、それではじまった企画。長い時間が経ったが、無事に実現した。ハワイ大学出版から出ることになった。
この「立体読書」というのは、僕が本を読んだときに感じた、その文字から浮かび上がってくる空間を絵に描いたものなのだが、これは僕の仕事の主流に関係なさそうで、しっかりといつも戻ってくる。今回の僕の新作「幻年時代」でもその片鱗は残っている。立体読書から一坪遺産、そして幻年時代が僕の中では繋がっている。それはもしかしたら、ファミコンよりもさらに大きな空間を作り出しつつ、小さく閉じ込め、しかも自分の手で実現しようとしたペーパーファミコン「サカグチクエスト」とも繋がっているのかもしれない。一体、なぜこんなことをいつもしようとするのだろうか。やろうとしていることは自分の中では理解できているのだが、なぜやろうとしているのかはよく分からない。とにかくできるだけ小さなスペース、極小の動作だけで、より広く、立体的に感じられることに興味を抱いているのである。それをずーっとやっている。今も。もちろん、それは僕のやろうとしていることの一つで、しかも、ほとんど関心も持たれていないところでもあるのだが、僕としては気になって仕方がないし、そこに興奮を持つ。空間さがしばかり、しているのだ。一体なぜ?
昼過ぎ、家族で散歩しつつ、図書館で本を借り、喫茶店で苺とバナナのかき氷を食べ、夕方、熊本空港へ。東京の書店では幻年時代がいよいよ並び出したようだ。夜、恵比寿で、シンゴと一緒に酒を飲む。
今日は仕事をほとんどせずに、一日家で家事などをする。起き上がったフーは弦と一緒に三ヶ月検診に行った。僕とアオはランチを食べに、近所のニュースカイホテルへ行く。コーンスープを食べたが、どうやらフーのコーンスープのほうが美味しかったらしい。夕食は僕が作った。野菜がグリーンコープからたくさん送られて来たので、和風パスタにする。梅山から電話があり、幻年時代が東京の書店の一部では並び出したという。読者はどのように読むのか。今回ほど予想できない本はない。初めての体験だ。今まではなんとなく予想できた。そのような本だった。しかし、今回はちょいと違う。僕の微妙に揺れ動く精神状態が反映された通底音が鳴り続ける不思議な本だ。
前回の鬱が明けてから、約二週間が経つ。「あなたは大胆かつ、繊細なのよ」とフーは笑いながら言うが、僕はその笑い声に、人のことだと思って気楽に笑いやがって、と思いながらも、その大半は大いに助けられている。それくらいこのあっけらかんとしたフーは、方位磁石のように僕に方向を与える。不思議なもので、僕は毎日、同じ風景を見ているのだが、毎日、その空間が持つ、色合いが違う。毎日幼稚園に送り迎えをしながら、それを感じる。こんな繊細な35歳はいるのだろうかと思ってしまうほど、そんな移ろな状態に、焦り、コンパスを手にする。しかし、そんな人間がよくこんな全くの独立状態の、しかも、肩書きも何がなんだか分からない仕事などをやっているものだと自分でも冷や汗を掻くが、結局、それを選択したのだからとそうでしかない、と言われるので、なるほど、そうなのだろうと誤解することにする。このあたりのざわざわする感覚を言葉にしたいなと思う。いい歳こいて何をやっているのかとも突っ込む。
しかし、頭の中にはまた新しいアイデアがいろいろと飛び込んできている。こういうときはまず作品を作った方がいいということが、最近また学んだことだ。というか、それは以前からやっているとフーは言うのだが、それを自然とやるのと、意識的にやるのとではちょっと違うのだと思いつつ、だからといって、対処法のようにやっても仕方がない。コツのようなものからはいつも抜け出る。それが僕という機械である。
次号ポパイ用に作った色画用紙とアクリルの地図は、僕としては興味深い作品に仕上がった。絵もまたどんどん描いた方が面白いなと思う。アオを自転車に乗せて、文林堂へ行き、様々な色のコットン紙を買ってきて、切り絵みたいなものをアオと二人で励む。アオと遊ぶふりして、僕は完全に自分のための試作を行っているようにみえる。アオも楽しそうだから、まあいっか。アオも実験的な作品を作り出していた。王と鳥を一緒に観る。しかし、アオはやはりジェルペットのほうがいいらしい。ちょいちょい自分の趣味を染み込ませようとしてしまうが、アオはその辺の管理はしっかりとしており、基本的に全て自分の趣味を通す。それでいいと思う。ヒールっぽいのがくっついたサンダルにはまっているアオを見ながら、納得する。林明子作品で共感を得ているからいっか。アオは独自に突き進んでいるようである。僕のことは「変でおかしい」、けどパパであるという認識である。
翼の王国用の原稿「BAUをめぐる冒険」に取りかかる。月末までに30枚。ド鬱のままに羽田空港へ行き、そのままドイツへ到着し、躁鬱界の大先輩ゲーテの街ワイマールへ向かい、ゲーテの散歩道と言われる、緑が綺麗な公園を歩いていたら、抜けた。そして、その後のさまざまな作品に繋がりそうな着想を得た。バウハウスについての原稿である。これは僕としてもただの取材原稿ではなく、次に繋がりそうなものなので、落ち着いて書いてみたいと思う。「躁鬱の彼」という40枚の短編もここで生まれた。いつも摩訶不思議だ。先のことが本当に分からない。どこでどう面白いものと出会うか分からない。それは至極当たり前のことだけど、やはりいつも奇跡的に感じられる。どうやって作品が生まれてきたか、いや、どうやって生き延びてきたのか、それがいつも分からない。
今日からアオは夏休み。とりあえず僕は〇亭で仕事をする。幻年時代を書き終えて、とりあえず落ち着いた僕は、また次なる仕事へ。長編の前にまずは目の前の原稿を。ポパイ8月10日発売内での「熊本特集」用の原稿3000字。震災後、熊本に来てから、高校生以来久々に地元に戻ってきたものの途方にくれつつ、新政府という幻を立ち上げ、行動しながら、原稿書きながら、街と馴染んでいったことを思い出しながら、勢い良く書いた。二時間で執筆完了。送信。これにてポパイの次号の原稿は全て完了。長編仕事はもちろん楽しいが、こういった毎月の連載仕事も僕にとっては重要である。どれも一本に絞らない。様々に思考がざわめいている状態が僕には心地よい。僕はとてもじゃないが職人のような人生は歩めない。一本の道をひた走る人々を見ると、涎がでてくるほど憧れるが、僕には到底無理だ。僕はうるさくなきゃ駄目だし、集中できないくらいいろんな色で煌めいている必要がある。そのことに最近、ようやく気付いてきた。気付いてきたといいつつ、自分のこれまでを振り返ると、そうやってきたのだ。僕は、建築家を志しながらも、高校生のときから写真が好きで、絵を描いていきたいと思いつつ、本を読むことは下手だったが、本の目次や装幀を眺めるのは大好きで、ああでもないこうでもないとさまざまに浮気しながら生きてきた。写真集を出しては、日本だけじゃ面白くないと思い、パリ、ロンドンへ営業、さらにはフランクルフルトのブックフェアで世界中の本屋に営業。その結果、ブリュッセルで現代美術の展覧会に参加でき、バンクーバーに本は飛んだおかげで個展をやることになった。そこで僕が描いていた絵が気に入られ、それが売れ、バンクーバーでは本を書く人というよりも、建築家というよりも、現代美術家になった。日本に帰ってきてから、写真集はあんまり売れずぱっとしなかったものの、欧州やカナダ、さらにはアフリカで活動するなかで元気をつけていった。そんな中、今度はテキストが頭の中に飛び込んできて、本を書き始めた。ノンフィクションを書いたら、すぐにその年小説を、さらには空間自体の興味を本にしたくて、路上生活者の調査からは離れて、一坪遺産というフィールドワークの本、立体読書という近代文学の中に描かれている空間の絵を描くというシリーズ、雑誌コヨーテでは生業にスポットを当て、路上生活者の仕事の連載、0泊3日のバス旅の連載もやった。賃貸物件で興味深いものを探す光文社での連載などもやってたなあそういえば。
というわけで、このような分裂状態で今までやってきたわけである。そんな中、7月20日に僕はまたまた全く違う毛色の本「幻年時代」を出す。これは4歳の記録ではあるが、なんというか、SFのようでもあるし、文学に近いような代物にも見える。もう僕は何だか分からない。が、気にしない。僕が感じたそのままを出していけばいいのだ。そのことに気付いたのはとても大きいと思う。この分裂は僕にとってはあんまり良いものとは捉えられていなかったからだ。これが僕の病の根源であると思っていたくらいだ。しかし、フーからも、あなたはそれでしかできないし、それだから面白いのだ、と言われたように、それでいいのだと思う。今のところは。
路上生活者支援の会の方が来訪。〇亭を炊き出しの場所にという依頼だが、そのNPO団体は年間2億円近く市と県からもらっており、僕のやっていることとは大きく外れるような気がした。現政府に依頼する人はやはり現政府内で解決していく必要があるだろう。置かれている状況が困っていることは把握したので、何らかの協力はしたいと言って別れた。
NHKのディレクターが来訪。以前から何か番組を!という話になっているのだが、なかなか番組にはならない。でもこういうのは変に焦っても仕方がないので、時がくるのを待ちましょうと言うことに。新刊「幻年時代」も読んでくれた。しかし、これをNHKで紹介するのはなかなか難しいっす、とのこと。新政府よりもやりやすいと勝手に思っているのだが、幻年時代のほうが内面えぐっていると言えばそうなので、そういうダイレクトなものもNHKでは無理か。。。まあ、焦らずやっていこう。
医学書院の白石さんから「坂口恭平日記」書籍化に関してのアイデア、原稿のまとめが送られてくる。「幻年時代」を書き終えてから、また僕の原稿、文体、書こうとしている主題が変化してきている。こういう変化は怖いけど、楽しみである。やはり変化に富んでいないと生きた心地がしないというのが僕の特質なのだろう。もちろんこれは躁鬱とも関連があるのだろう。どうなるのか分からないが、やはり前に進む。後ろはやはり振り向けない。いや、幻年時代で言えば、後ろを振り向いたはずなのに、そこにもやはり穴を見つけ、全く別のレイヤーへ飛ぼうとする。諦めればいいのだ。僕はそういう人間なのだと。定まらないことが安定の素なのである。大事なことはその変化に応じて、後に確認できるように作品を残すということだ。やはり僕は何かものを作るということでしか、生きれないのだと最近強く自覚する。フーからは、えっ?君はまだ自覚できていなかったの?と言われた。
朝からアオが調子が悪そうなので、幼稚園最終日で明日から夏休みなのだが、休むことに。僕一人で幼稚園へ向かい、手紙を渡す。アオの担任の先生は、絵本作家になる夢があるらしく、本を書いている僕にいつもいろいろと聴いてくる。どうにか福音館書店から絵本を出せないものかと打診してくる。そんなわけで、僕が躁鬱で困っている姿を差し出しても、変な目で見ることなく、優しく、むしろそのような波を持っているからこそ、作品がつくれるんですね!などと言ってくれる。僕にとっても先生みたいなものである。僕は幼稚園児とはよく話が合うのだ。幼稚園児の扱いに慣れている先生は僕の扱いにも慣れている。そのような位に僕は存在している。鬱のときにはとてもじゃないが会えないが、鬱が明けると、僕は先生のところに走っていって、昨日閃いたことを先生に滔々と語る。先生は笑っている。
〇亭へ。行くと、ブリュッセルから来たという女性三人組が玄関口にいた。昨日電話がかかってきて、日本をテントで旅しているのだが、熊本に行ったら〇亭を訪ねなさいとお母さんに言われたそうだ。どんなふうに世界中に拡がっているのか。面白すぎて了解したのである。二階の僕の仕事部屋で寝てもらった。お返しに、今度、ブリュッセルにいったら泊めてねと伝えておいた。文化人類学と音楽学を専攻している大学生であった。このように〇亭は熊本という、日本の外れに位置しながらも、世界中の人々と交流がある。これは興味深い。つまり、自分で勝手にどこでもそういう場所を作ることができるのだ。やってみればいい。やったら面白いことばかりではなく、大変なことももちろんあるのだが、それを遥かに超える驚きの人生がはじまる。僕はなんでもまずやってみるのだ。失敗するかもしれない。いや、ほとんど必ず失敗する。僕は自分の失敗を失敗ではなかったと言い訳するのがとてもうまいと思っている。どうにかしてそのなかでいいところを見つけるのである。多少無理があってもいい。面白いことをやればいいのだ。人に迷惑さえかけなければなんでもやっていいのである。刑務所に入らなくてはいけなくなるようなこと以外は何でもやってみる。これが僕の躁鬱には一番効果がある気晴らしのようだ。新政府、ゼロセンターなどはそんな気晴らしから始まっている。最近では「君に期待しているのだから、そんな適当にやってはいけない」などと言う人もいたりして、それもまた興味深いのだが、人の期待に応えるということは、大衆迎合であって、それはつまりただのアトラクションであって、つまらないのである。それを続けると僕はおそらく死ぬだろう。つまらないけど、やらなくてはいけないので、やる、みたいな行動を続けていると僕は自殺したくなるほどの深い鬱になるのである。まあ、行ってみれば自分勝手なのである。しかし、人間はみな自分勝手である。人に期待することなど一番自分勝手な行動である。まあ、分からなくもないが。それくらい、今、人間は好き勝手なことをするのが困難であると思い込まされている。僕はむしろ、その縛りを解きたいと思っている。それくらい適当に無茶苦茶生きていきたいなあとおもうである。
仕事場でポパイ連載用の絵を描く。今日は色画用紙とアクリルとインクのミックスメディアで挑戦してみてうまくいった。ポパイ編集部に送信したら概ねオッケーとのこと。楽しい見開き2ページになりそうだ。僕の熊本特集はなんと5ページの大特集。8月10日発売号をお楽しみに。
前回のまたこれまでよりもより深い鬱を体験してから、自分自身が変化しているのを感じている。僕は躁鬱を公開してはいるが、それでも鬱のときには公開できない苦しい。体の動かし方を忘れてしまう。しかし、フーから鬱の自分に手紙を書けという助言をもらって、実際に書いてみて、なんだか気が楽になった。そして、原稿を書くということに集中しそうになっていた僕に歯止めをかけた。ツイッターとの付き合い方にも変化が見られる。本当に僕は過剰な人間なので、いつも間違いを犯す。もう少しメリハリをつけていこうと思えた。このまま少しは長く安定状態が続けばいいが、、、。そうは簡単にいかないところがこの病気なので、かと言って慎重になりすぎるとつまらなく退屈になるので、すぐに鬱になる。適当にいろんなことを弾けていく、それやりながら、静かに幹の部分である書物を書くという行為を自分をすり抜けて、時には騙しながら、書き進めていく。こんな感じで攻めていこう。自分自身がまさに社会であることを感じる日々である。
起きて、早々とニュースカイホテルへ。雑誌ポパイの連載「ズームイン服!」原稿。すぐに書き終わり、送信。そのままトレーシングペーパーに青ボールペンで連載用のドローイングも書き上げる。躁に入ると、本当に仕事が早い笑。。そりゃそうか。その後、坂口家御用達の料亭「Kazoku」へ。僕ら坂口家と、熊本県副知事小野泰輔一家と料亭主ひろみさんと娘さんのひでよさんと熊本福祉界のドン武将とたかちゃんとで食事会。ワタリガニとちらし寿司と蛸などを食べる。鳥海山を飲みながら。僕はスペインのスパークリングワインDOBINの白とロゼを買っていった。このメンバーで前回は天草へ。躁鬱病のキチガイで新政府内閣総理大臣になってしまった坂口恭平一家と、異例の早さ若さで熊本県副知事になった小野さんと細川護煕元首相の食事をずっと作っていたひろみさんがいつも一緒に御飯食べてるなんて、楽しい話だし、社会も変わってきたなあと思う。面白いことがあんまりないんだろうなあと思われているこの世界にはまだまだとんでもなく笑ってしまうことが無数にあることを最近強く感じる。そうやって生きようと思う。twitterをはじめると、今度は日記原稿が書けなくなる。小説はもちろん。今は販促のためにやっているので、仕方がないが、やはりある程度で、twitterのほうはやめようと思う。僕はそれよりも原稿を書きたい。消えてなくなってしまう言葉ではなく、じっくり面と向かって読めるような言葉を書かなくてはいけない。
起きて、恵比寿駅前へ。幻冬舎の竹村さんと落ち合い、近くのカフェへ。ハフィントンポストの取材。インタビュアーは友人のチン前田くん。幻年時代に関して、初めてインタビューを受ける。初めて言ったこともたくさんあって面白かった。その後、ワタリウムへ。みんなに幻年時代を贈呈。えっちゃんが「園子温さんが来てるから紹介する」と言うので、行ってみる。園子温さんは僕の本を全部読んでくれていて、CDまで持っていた!そして、一つ話があるといって聞いたら、ちょっととんでもないことで、ここでは言えない。でも嬉しかった。その後、和多利家の面々とワタリウム特製かき氷を食べる。twiggyに行ってシャンプー買って、羽田空港へ。熊本に帰ってくる。さすがに疲れた。しかし、今回僕は頭の中は躁でも外へ力を出さないで、抜くという技術を身につけたのではないかと思えた。それは大きな進歩だ。いいぞ、坂口恭平!今から、ジャックケルアックのon the roadの映画をフーと観る。最近、フーが穏やかで幸福そうで、それを見て、少し安心する。僕の波は、波のフーへも確実に影響を与えている。刃となったり、綿毛となったり。フーが笑っていると、僕は安心する。
昼から幼稚園へ。今日は幼稚園の夏祭り。アオの幼稚園は素敵なことに、全てのイベントを全ての親がみんなで協力して実現する。ただ見物しにいくのではないのだ。小さい幼稚園だからこそ、協力が必要で、智慧が必要で、親達はそのような集団へと変貌する。その中に久しぶりに僕も参加。提灯の飾り付けと入り口にズベさんのへのへのもへじライトを飾りたいというアイデアを思いつき、実行、成功!一度、家に帰り、家族で向かう。親父の車で。午後5時半から浴衣着たアオの盆踊りを眺める。弟子のパーマとポアンカレ書店店長ウッシーもやってきた。一時間一緒にいて、僕は親父の車で離脱。羽田空港へ。幕張で開催されているFREEDOMMUNEヘ。梅山景央と磯部涼と会う。すごい盛り上がり。しかし、僕は大トリだったので、体力消耗しないようにと緊張してたら、なかなか踊れなかった。でも楽しかった。都築響一さんと玉袋筋太郎さんと梅山と四人でネパール話に花咲かせ、津田大介さんとたまたまお会いし、熊本での再会を約束する。21歳のときに伊豆でぶっとんだパーティーをやったときに会っていた、昔の音楽の友達とも久しぶりに会ったりした。鎌倉のジュンペイとも久々に。など仲間と会えた。幕張はとんでもない空間になっていた。宇川さんがなんか化け物に見えた。
僕たちは午前4時から5時の終わりまで一時間。梅山と磯部涼と。なんか最近、大きな変化が僕を襲っている。力が抜けていっている。変態するときなのだろう。身を任せようと思う。朝、恵比寿ガーデンプレイスに帰ってくる。二時間寝る。
朝から自転車でアオを送りにいく。今日は、前回鬱で中止になった雑誌ポパイ八月号での「坂口恭平による熊本の街地図」特集5ページのための取材。まず、自転車で幼稚園の送り迎えを行っている僕の自転車で疾走する写真を。その後、〇亭で仕事をする姿を。ギターを弾く姿を。さらに最近、〇亭内に新しくはじめることになった木の上の本屋「ポアンカレ書店」の本棚を。こちらは先日、届いた忍者武芸帖を〇亭の玄関前に置いた人間が牛島、僕がウッシーと呼ぶ、親が日本でのヒッピー第一世代「部族」の一員である、引きこもりの友達であることが分かり、ウッシーにお前、嫁さんにいつも働かせて、自分がニートなのも良いが、そのままではやはり辛いだろうから、そろそろ独立せよ。お前に本屋をあげる。その名を「ポアンカレ書店」という。お前にあげるから、ちゃんと育ててくれ。仕入れも自分でやり、稼ぎも自分で持っていけ。場代はいらない。僕が置いたものは僕がもらうけど。木の上の本屋なんて、世界中探してもなかなかないだろうから、評判なること間違いなし。熊本でも坪井地区はまだなかなか発展していない場所だが、ここはいずれ、超熱い場所になるから、早めに手を打っておこう。そのかわり365日、一日も休まずにやってみなよ。どうせニートで引きこもりだからずっと家にいたんだから、それならこのポアンカレ書店に引き蘢れと命じた。ウッシーは「いいっすよ」というから、はじまった。この男は僕よりも多くのことを知っている。しかも、ツボは僕と似ている。つまり、僕としては彼からの情報源が0円で頻繁に入る可能性があるので、ありがたい。だから0円であげる。もう僕は自分の部族以外の人間には一切手を触れない。僕と同じ血ではない人間とはほどほどの付き合いにする。僕は同じように創造することしか考えることができない馬鹿野郎たちとこの〇亭で狂ったことばかりやろうと思っている。
ベルリンのサオリからメール。穴丑を紹介してくれた恩人だ。サオリはダンサーである。来年の春から熊本に行ってみようかなとも思っているというので、サオリは同じ血を感じたので、〇亭をいつでも使えと伝えた。来年は今いる二人の弟子たちも独立するのだろうか。一応、一年限定にしている。来年はサオリだけでいいな。それとポアンカレ書店のウッシー。こういう感じで進めていこうと思っている。
ポパイの特集の写真は、熊本在住の写真家富山くん。僕の一つ下。彼は熊本にいながら、東京でもどこでも仕事をしている強者である。こういう身軽で気持ちのよい若い人が最近増えている。これは朗報だ。僕も熊本に来てから、年収が倍増した。本当はそんなものなのである。しかし、人々は変化を恐れている。人々が今が駄目だと分かっていても、違う場所へいくことができない。それはなぜなのだろうか。僕には理解ができない。僕は一カ所に停滞していると死にそうになるので、仕方なくというよりも、喜び勇んで外へ出る。もちろん不安がないとは言えない。どうせ鬱には陥る。しかし、それでも、僕は変化してきて悪いことは一度も起きたことがないという体験がある。その体感を知っている。それが智慧としてしっかりと刻印されている。だから僕は怖くないのだ。変化が、僕に風を吹かせる。しかし、間違ってはいけないのは、これは僕の場合だけだということだ。僕は移動していないと死にそうなんだ。採集民としての人生なのだ。富ちゃんもリラックスしたいい男だった。つまり、同じ血だということだ。これはまるで黎明期の任侠だ。僕は野坂昭如さんが撮影していたザ・ヤクザに出演していた元組長の方と話をしていて、坂口恭平のやっていることは黎明期の任侠に近いと言われた。へー、と思った。僕はもちろん親分みたいなときもあるが、それよりも、僕には力強い仲間がいる。さらには年長の力強すぎて人に紹介すると卒倒してしまう兄貴分たちがいる。とにかく坂口組はハンパない。坂口組なんてかくとまた誤解されるからやめときなさいとフーが言うので、そーっと仕舞い込む。フーから禁止されていることは、国会議事堂を爆破すること、である。どうせ、その人たちをやっても仕方がない、そういう問題ではないのだから、あなたはちゃんと「文の人」らしく、言葉を人々に届けて固まった心を解凍させてあげなさいよ!と言われている。フーも内面は恐れているのかもしれない。坂口火山の大爆発を。僕はいつ死んでもいいと思っている男だ。だから、ぶち切れたらおそらく危ない。危険度はかなり高い。フーはそのあたりを重々承知している。爆破しないように言われているのは、今始まったことではなく、結婚してからくらいだから、かれこれ5、6年くらいになる。それくらい、僕には今の国家が分からない。僕は自分の近くの人間を命をかけて助けていこうと思っている。
富ちゃんと僕は、僕の親分であるサンワ工務店の山野さんの秘密基地、新政府都市の幸リサーチセンターであり、僕の遊び場でもある秘密の巣窟へ。鉄工所にいるズベさんをパチり。珈琲もらって、ウニモグなどの軍用車、軍用機を撮影。さらに日本国で捨てられてしまった味のある窓枠などを集めている場所もパチり。人が見捨てたものにしか興味を抱けない僕は、親分の血がしっかりと入っている。血が繋がっていないこの親父と僕はいつか一緒に仕事をしたいと思って生きてきた。最近、ようやく肩を並べるまではいかないが、同じ大気の中で動くことができている。まだまだ甘いなオレと調子に乗れない自分でいさせてくれる一人である。
その後、Permanent Modernへ。もう一人の親分である世界最高の目利きである有田さんと一緒に撮影したかったのだが、いなかったので、僕が有田さんに教えてもらってハマってしまったJames Hockの男性用スカートを試着している姿を撮影。すると、それが欲しくなったので、印税が月末に100万円入ってくる、ということをフーに念を押したあと、だから、この狂った7万円のスカートを買いたいと言った。フーは「それは躁だよ」と言うが、おれも「そんなこと分かっている。でも買いたいんだ。フー、日本銀行券なんか信じるな。金なんか楽しく全部使い切ればいいのだ。借金はないのだから、宵越しの金なんか、、、、、」
フー「恭平!そこまで言うな。分かった。とりあえずその7万円のスカートは許す。しかし、それで満足しろ」
坂口恭平「分かった」
そしてクレジットカードで購入しようとしたら、そこはフーが一枚上手だった。フーは僕のクレジットカードのほうの預金をしっかりとおろしており、僕が大金を使えないように初期設定をしていたのだ。ぬかりない女だ。おれは焦ったが、同時にフーという多層な女を誇りに思った。どんなにおれがうまくいっても、油断しない。どんなに金があったとしても、贅沢しない。タクシーには絶対に乗りたがらない女を誇りに思った。しかし、同時にこの女は本当におれの妻なのか、もしくは看守なのかと思ったよ、あはは、いけね、カードが使えないんじゃ、、と言って、でもスカートをはきたかった。はいて帰りたかった。有田さんに電話すると、
「金は明日でいいよ。着て帰りなよ。最高じゃん!」
と信用貸しで着て帰る。熊本、特に有田さん!は気合い入っているなあと思った。
そんな素晴らしい親分がおれには熊本に二人いる。
スカート姿のまま、街のなかをおれは闊歩して、上を向いて歩いて家に帰った。
朝から自転車でアオと幼稚園へ。〇亭でポパイの原稿を仕上げる。幻年時代の本が完成して、見本があがってきたと幻冬舎担当の熊本出身竹村さんから喜びの電話。嬉しいことだ。やっと、この昨年の夏の終わりから始まった、長過ぎる、躁鬱の津波が抜けたような気がした。今、死んだとしてもそれはそれでよかったなあと思った。もちろん、僕はすこぶる元気なのである。鬱の僕としては悲しいことに、躁の坂口恭平としては当然ながら!7月11日幻年時代が完成したというのはなんというか符号のようにも見える。今書いている本が、711というものなのである。不思議だ。さらに、先日は川治豊成と独立国家のつくりかた以来の新しい仕事をしようと決めた。なんというか、新しい僕の人生がはじまる日。それが7月11日のような気がした。
近々雑誌仕事。
長編
短編 60枚→40枚に削る
企画連載アイデア練り。
このように、これからの自分の仕事をまとめる。僕は自分自身をグラフや表や思考都市として描かないと、まとめることができない。なぜだか知らないが、書かないと駄目なのである。だから、紙に、これからの僕というテーマで書いていた。なんだかすごい分量である。しかし、それをやれると思えるのがこの時だ。このようにまとめると、すごくすっきりするのである。
そんなとき、雷鳴が僕の脳天に落ちた。
一人の人間を思い出した。2009年に一度会ったことのある編集者医学書院の白石さんである。医学関係のことを担当しており、僕の躁鬱病の当事者研究のような本を出さないかと数ヶ月前か一年前頃か忘れてしまったが、お手紙を書いてきてくれた方である。そのとき、僕は当事者研究というものが躁鬱にできるわけがない、躁鬱は内省ができないのだ、だから、無理かもしれないと伝えたように記憶している。そんなとき、メモ書きの長編の項目の「坂口恭平日記」と企画連載アイデア練り「躁鬱をめぐる冒険」の企画ではなく、タイトルだけが繋がり、坂口恭平日記を当事者研究というか、当事者の手記、当事者による操縦の苦闘、飛行機を操縦するための説明書、もしくは映画「酔拳」のような操縦できるようになるまでのビルディングスロマン、グッピーの飼い方、花の育て方、そのようなイメージが繋がっていった。そして、僕の中で、世界のどこにもないけれど、本が読めない僕でもつい興奮して読んでしまうようなそんな読みたい本、が浮かび上がった。そこで、出版社に電話をして、編集者の名前を伝えた。彼はそこにはいなかったので、伝言を伝えた。
「天命がようやく下りました」
すぐに白石から電話がかかってきた。
「とうとうきましたか!」
「はい、下りてきました」
「で?」
「坂口恭平日記読んだことありますか?」
「いえ、すみません、最近ネットから離れておりまして」
「じゃあ、すぐにメールで4月からの650枚の原稿送りますので、読んでください。当事者研究の枠からははみ出ておりますけど、むしろ、当事者研究というよりも、ただの「当事者」みたいな原稿になっていると思うんです」
「分かりました。読んでみます」
今、取りかかりつつも、短編をあと数本書き上げないと、終えることは不可能であると梅山に断言されている長編小説「711」。そして、数日前に天命が落ち「独立国家のつくりかた」担当編集である川治豊成に伝えた、書き下ろし新書。そして、4月からせっせと書き連ねていたこの650枚の原稿「坂口恭平日記」この三つの長編が次の僕をまた作るのかもしれない。僕には先が全く読めない。ただの冒険である。やるしかないのである。というよりも、やらない人生は退屈で死にそうなのだ。おそらく、僕は執筆を止めたら、死ぬだろう。死なないために書き続けるしかないのである。しかし、それは今だけ感じることができるのであるが、幸福なことである。僕は幸福ということを、鬱の坂口恭平に伝えるために動いている。いつも、それは裏切られる。昨日の手紙が、何か口火を切ったような気がする。
7月11日。711。僕は新しくできたばかり幻年時代を手に取る日を心待ちにし、これまでの人生とまた別れるというわびしさを感じている。またその時間の流れの虚しさにしてやられるのだ。そして、気付いたら、鬱に入り込むのだろう。運転は大分巧くはなってきている。
ところがフーは、
「巧くなってくると、またその巧い自分が、恭平は嫌いだからね。。悩むのが好きなんだよ!たぶん!」
僕は好き好んで、鬱に陥っているのだろうか。。そんなことはないはずなのだが、フーにどのように見えているのか知りたいので、説明してくれといいたいが、フーは食事を作っている。忙しい。二人の子どもができて、フーは少し忙しい。彼女はプレッシャーやストレスなどを発散することができない、という。というよりも気付くことができないのである。しかも、僕はフーが落ちたりしている様子を、一度も観たことがない。イライラしているところも見たいことがない。こんな女初めてである。といいつつも、僕は公称では生涯で二人しか付き合ったことがないということになっているので、そんなにケースを知らないわけであるが、フーってもしかしたら異星人なのではないだろうか。と問いつめると、
「そういえば、恭平がさ、昔、ホテルで働いているときに、エレベーターでばったり会った女の子に恋をしてしまって、その人に告白したいから私と別れるって言ったときあったじゃん」
「あったね、あ、なんか今、おれこの話、失敗してるよね、不要な思い出を、、、」
「あのとき、こんなに簡単に別れることができて、ニコニコでテンション高く話してる恭平をみて、びっくりしてると、『おい、フーさん!地球人!実はさ、おれ、宇宙人なんだよ!』って言ったよね」
「しかも、それをお前信じたよね、、、どこ星の人なんですか?とか聞いちゃってたよね」
「だって、口うまいから恭平、、」
「口がうまいっていったって、宇宙人であることを騙されるってあんた相当、すごいよフー。尊敬するよ。伝記にいつか書かれると思うよ。ナイチンゲールやヘレンケラーやマザーテレサのように」
「なんの話してたんだっけ?」
「忘れた、、、」
「というか、あなた、その告白した後、その女の子にフラレて、またわたしのところに戻ってきたよね、、、」
「その子から、さっきからフーちゃんの話ばかりしているけど、たぶんあなたはフーちゃんのことがやっぱり好きだろうから、戻った方がいいよって、アドバイスしてくれたんだよ。あの子、本当に優しかったなあ」
何の話をしようとしていたのか僕も忘れてしまったが、フーは僕に本当の姿を見せていないのかもしれないと思った。ここまで尻の穴まで知り尽くしていると思っていたフーが僕は世界で誰よりも知らないのかもしれない。と思うと、怖くなり、僕はフーに抱きついた。
「今、料理しているから、アオと遊んでなさいよ」
フーはなぜかくも強いのか。僕はフーの母親などにインタビューなどの取材をする必要性すら感じている。
こうやって躁状態のときはどんどんどんどん仕事が生まれる。もちろん、多くは失敗する。
そんなとき、18歳ごろのとき、一つ下の弟は、
「おんちゃん、ずりーよなー、おんちゃん、下手な鉄砲数撃ちゃ当たるをずっとやってるもんね。成功多い人っぽく見られているけど」
「白鳥みたいなもんよ」
僕はふっと江戸川乱歩の白鳥の模型の中に裸の美女が入り込み、それで湖の白鳥として棲息している風景などを描いた「パノラマ島奇談」という僕が一番好きな乱歩の小説を思い出した。
あっ、そうだ、僕はそんなところから始まったのだった。
鬱の花が咲いたな。今日は。
早川倉庫で乾杯をした。
朝から原稿書いてたら、フーが寄って来た。
「恭平、あのね一つ提案があるんだけど、、」
「なに?なに?今なら調子がいいから何でもやってあげるよ!」
「あのね、、」
「うん?」
「今、あんた幸せでしょ?」
「うん、まさに幸福の塊だね、むしろ幸福そのものかもしれないね」
「でもね、」
「うん、なんだか変だよ最愛の美人妻フーちゃん!」
「つい五日前くらいまでは、死にたいって言ってたの覚えてる?」
「、、、うん。。。そうだね、言ってた。でも、感情の記憶がないから、言ってたことは記憶しているけど、なんで言っていたのかは分からない」
フーはがくりと肩を落した。
「で、提案があるんだけど、、」
「うん!なに!なに?なんでもやるよ!おれは!やるよ!できる男だもん!」
「鬱で死にたくなってしまっている可哀想なもう一人の恭平くんにお手紙を書いたら?」
「なるほど」
「鬱の時には、今の躁の恭平がいなくなってしまうのよ。覚えてるって聴いても、何にも覚えていない、おれは生まれてからずっと不幸だったって言うのよ」
「笑、、、最高だね。そいつ。名前なんて言うの?」
「恭平」
「えっ!?一緒の名前なんだ?」
「坂口恭平、あなたよ。ばか。また馬鹿にしてるんでしょ?そんなこと鬱の恭平はしないわ。あの人は死にたくなって暗いけど、本当に純粋ないい人なの」
「お前、もしかしてオレよりも、そいつのことが好きなのか?この不倫女!」
「不倫はお前だろ」
坂口恭平はフーから頭を叩かれた。そして、鬱状態のときの坂口恭平のために、手紙をしたためることにしたのである。
鬱の恭平くんへ 2013年7月10日
君には全く理解ができないかもしれないが、私は今、とてつもなく幸福である。それが躁状態の坂口恭平の気分なのだ。君はきついよね。分かるよ。本当は分からないけど、なぜなら躁と鬱とでは坂口恭平は二手に別れており、現実に起きた事実の映像自体の記憶は等しくあるけれど、その時の感情が完全に二つに分裂している。つまり、鬱の君には今の私の多幸感は全く理解できないだろう。鬱の君はいつもともだちがいない、才能がない、金がない、小さいときからずっと悩んでいた、人と心を通わせられない、などと嘆いているとフーから聞いたよ。それはただの鬱の症状なんだ。君の性格や生き方や精神の問題ではないんだ。そこをまずは落ち着いて理解してほしい。つまり、今、超死にたい気持ち満載なのは理解できるが、やめたほうがいい。今すぐその金物屋で買ってきて机の引き出しに隠している工事用のロープを捨てるか、他の有効なことに利用することだ。首つりと決めているということもフーに言い放ったらしいが、配偶者、しかも天下のフー様にそんな死ぬかもしれないなどという脅し(いや、脅しじゃないのは分かってるよ)みたいなことをしないでほしい。二人でフーを守ろう。フーは我らの神だ。しかし、神でありながら、人間の体を持っている。つまり、彼女には神でありながら死の可能性が包含されている。だから、躁のときはおれがとにかく金を稼いでおいしい御飯とか食べさせてあげたり、可愛くてセクシーな服とか買って、アオの送り迎えを毎日して、アオと弦の両方をお風呂に入れる日課までやっておくから、君はとにかく寝てた方がいい。フーには、君がしたいと言ったときにはなんでもしてあげるようにとお願いしたから(頻繁に行為に及ぶのは疲れるので、君を果てさせるだけなら、どうにかいいよと言ってた)。君は不幸かもしれないが、僕は幸福だ。幸福という塊をしっかりと両手で掴んじゃっているんだ。本当に君には信じられないだろうが、そんな坂口恭平も存在するということを、理解するのではなく、この文面だけをとにかく読んでくれ。そして、伝えたい。
「とにかく希望を捨てないこと」
死ななきゃなんでもいいよ。どうせ前回も前々回も前々前回も約一週間で鬱は抜けている。毎回同じというわけではないから、今回も一週間じゃないかもしれないけれど、今までのことを学習して、まずは一週間は何もせずに寝てよう。死にたくなっても、そこをぐっと我慢しよう。死にたくなったら、中島らも先生の言葉を思い出すんだ。
「死にたくなったら、明日死のうと思って、先延ばししろ」
とにかく無駄に動かないでいいから。寝てて。でも、分かるよ。毎日寝ているのは辛いよね。退屈だもんね。ついついネットで「躁鬱病 克服」とか「躁鬱病 原因」とか調べてしまうよね。「躁鬱病 芸術家」と調べて、名だたる芸術家たちが同じ境遇に置かれていることを感じ、自分もどうにか選ばれた人間であるかもしれないなどと、淡い希望を抱くよね。分かる。でも、携帯充電したままベッドで検索しはじめると疲れるし、ろくなことにならないし、結局苦しくなるだけだから、その一週間はネット禁止でお願いします。それだとさらに退屈だもんね。本を読むのも辛いしね。DVDもなんとなく不安になるよね。そこで、漫画はどうかな?と思うんだよ。君の介護者であり、僕の担当編集者の梅山って男は知ってるよね?彼は漫画のことなんでも知っているから、長くて、そこまで小難しくなくて、それでも何かを探求しているような類の漫画を教えてくれって電話してみよう。そして、その漫画を買ってもいいように、フーには伝えといたから、アマゾンで注文しよう。本屋に行きたくないのも分かる。人に会えないもんね。会わなくてもいいから。フーの手伝いもしなくていいってフー様は言っているから。アオの送り迎えも親父に一任しよう。外にも出なくていいよ。どうせいつか出たくなるから、出たいと思うまで出なくていいよ。トークなどのイベントもとりあえず一週間分は全てキャンセルしていいから。キャンセルは自分でしなくていいよ。梅山が全部やってくれるから。大丈夫だ。君はただ寝て漫画でも読んでいればいい。全ての失敗に見えているものは、どうせ、躁になったときに僕が取り返すから、何も気にするな。僕を頼ってくれ。そのかわり、君がそこで海底まで行ってくれないと、次の着想がないんだ。次の本を書くためにも、君は落ちなくてはいけない。だから、僕は君にお礼を言いたい。本当にありがとう。そのような創造の苦しみを一手に引き受けて。僕は創作をしているときに一切迷いがないんだ。それも全て君のおかげだから。君が突如の絶望、意味の分からない、永遠と思われるほどの苦しみを背負ってくれるからこそ、僕が新幹線のようなスピードで創作に打ちこむことができる。つまり、僕と君は分裂しているかもしれないが、作品の中でだけ一体化しているんだ。僕と君の共同制作、なんではなくて、僕と君、その統合そのものが作品なんだ。それが言葉となって人々に届くんだ。苦しいかもしれないけれど、たまには夢も抱いたりしていいよ。その夢は君の助けにはならないが、僕の発想にはなるんだ。
そうやって一週間経ったら、おそらく、外に出たくなっていると思う。いつもの場所には行かないように。前回は新宮、前々回はドイツ:ワイマールと僕は外に出て行った。すると治っている。つまり、行ってみたい、遠くの場所へ旅をするんだ。日帰りでいいよ。それでも観たことがない、そして、周辺に知り合いが誰もいないところへ一人旅をしよう。そのときはきついかもしれないが、帰宅してフーと抱き合ったとき、少しだけ体が軽くなっているのが分かる筈だ。
それではまとめるね。
それでいってみよう。僕は今、確かに幸福であると実感している。だから、心配しないでね。坂口恭平にはそういうときも訪れるから。必ず。それでも、僕は君が現れたときはいつも不幸を感じていることに同情する。そして、いつか君も幸福を感じてくれればと思うよ。僕は君のことが好きだよ。フーも君のことが好きらしい。この三角関係って不思議だね。僕は君とフーの交わりに嫉妬したりもしているんだ。ま、それはいいや、それではまたね。健闘を祈る。
躁の坂口恭平より
「これでいいかな?」
「笑、、、いいんじゃないかしら。さっ、台所のわたしの銀箱から封筒を持ってきて」
「はい」
フーに言われるままにかわいい水色柄の紙封筒を持ってきて、三枚に綴ったその手紙を封筒にしまった。すると、フーはスティック糊で閉じ、私が保管しておくからと言った。次に鬱になったとき開こうということだ。フーは僕の分裂をどのようにして統合させるかのアイデアマンだ。僕はフーのことが好きだと思った。
「成海璃子さんが対談をしようって言ってくれて、、、SPURで、、、、」
「へー、いいじゃない!また変な気にならなければいいよ」
「僕、テレビを見ないから、成海璃子さんを知らなかったんだけど、グーグル画像検索してみたら、とても素敵な人だったの」
「そうよ、すごい綺麗な人だよ。、、、っていうか、あなた頼むよ。ちゃんと対談をしてくれば、いいんだから、また勘違い野郎になったら承知しない、というかもう次はない、、よ。もう離婚だよ」
「それはまずい。フー様、あなたはわたしの神様なんですから」
「ならば、真面目に仕事をしなさい。別に私は他の女性と一緒に食事したりするなとか言わないでしょ?」
「うん、言わない」
「それなのに、あなたがついとか言っちゃって、躁状態に身を任せて、盛り上がっちゃったりするからおかしなことになるのよ」
「なるほど、フー、お前なんだか冷静で明晰だね」
「何イッテンのよ。フツー!フツー!」
「はい、分かりました。じゃあ、この対談の仕事は受けていいってことですよね!」
「いいよ」
フーは溜息をつきながら、鬱の頃の坂口恭平はかわいいのになあとぼやいた。僕には嫉妬の念が湧いた。僕は鬱の坂口恭平くんを殺すしかない、とまで突然何を思ったのか、思ってしまった。しかし、それでは作品に味わいや、揺らぎ、深さが亡くなってしまう。それはまずい、僕はその殺意をさっとしまい込み、ライフオブパイという映画を観た。幻年時代みたいな映画だった。メタファーが多すぎるような気もしたが。僕はメタファーを好まない。必要ない。僕は生きながらの分裂を統合することに必死で暗喩や伏線を作り出す暇がないのだ。
フーは僕が借りてきた映画が好きだ。フーは自分で選ばない。
フーはいつも僕の横にいる。
まるで空気のように。
そう思っていたのに、鬱の坂口恭平のことも好きだというフーを、僕は高校時代に付き合っていた女の子に抱いた嫉妬のように、すごく単純な感情で、鋭く見つけた。
朝から自転車でアオを幼稚園へ。送ったあと横の〇亭で仕事をする。今日も原稿執筆。朝から何やらインスピレーション。人間は自分がやっていることが間違っていないとすぐに誤解するので、進んできた道をついまっすぐその道の延長線上を歩く。歩いてしまう。そこから離れるのが怖くなる。というか、実はただ面倒くさくなる。しかし、新鮮だったその道が面倒くさいように感じるようになるということはつまり、退屈している。死にそうなくらい退屈している。僕もそうだった。これまで路上生活者の家を調査して0円ハウスとして発表すれば、路上生活者の家についてばかり取材を受けたり、仕事の依頼が来たりして、とにかく退屈する。だから絵を描きはじめた。はじめはおれ、こんな具合で大丈夫なのかな?と不安になった。それでも退屈よりかは幾分ましだった。そうやって変化してきたわけだが、独立国家のつくりかたが、これまでの執筆生活の中で最も多い6万部も売れ、もしかしてこのやり方で間違っていないんじゃないか、このまま進めば面白いことがもっとできるんじゃないかと思った。つまり、油断した。しかし、坂口恭平という機械は嘘をつかない。そこがいいところだと今では理解できるが、その時は苦しんだ。つまり、すぐに鬱に入るのである。退屈になっていくのである。もちろん、書いたものは自信がある。しかし、それを引き延ばしたところで、その末路は見えているのだ。もうすでに我が目の中に。見えていることをやるのは簡単だ。しかし、簡単なことは面白くないのである。人間とは複雑さを愛する生物だ。ハンミョウという〇亭の庭に繁殖している、忍者が毒をつくるのに使用していた毒液を持っているツチハンミョウの仲間の飛び方みると、四方八方完全にフラクタルな飛び方をしているので、おそらく虫はさらに複雑な人生を歩んでいるのだろうと予想できるのだが、いや、人間だって負けじと複雑なのだ。だから、簡単なこと。つまり、手が記憶しているために無思考で行える行動ばかりしていると死にそうになるのである。死にそうな人の話を聞くと、大抵、簡単な思考になっている。僕もそうだ。複雑さが不安で怖くて手を付けられないのだ。今いる場所が退屈で死にそうなのに、それに気付けないのだ。それが坂口恭平だ。しかし、おれは諦めない。諦めなすぎの、伝え過ぎであると母ちゃんに昔から言われ続けている坂口恭平は諦めない。だから、鬱になるのだ。鬱とは新しい花(アディズアベバ)を咲かせようと、やはり再び思ってしまうその蕾なのだ。蛹なのだ。虫は蛹でいる間、その殻の中で液状化しているという。それくらい僕も溶けている。おれのベッドで溶けている。歯磨きもできぬほど溶けている。退屈さに輪をかけて忘我の状態に達している。しかし、そこから抜けるんだと勇気を持つことを決める。勇気とは自然に湧かない感情なのだ。勇気というものは本能を忘れてしまったと思われたり、書かれたり、言われたりしているヒト科ヒト亜科の動物である人類が、本能に気付く出会いなのである。そうか、僕は空を飛ぶ鳥と同じだったのかとイカロスは飛んだ。つまり、人間にとって勇気は、本能そのものではなく、本能を再び、あの幼年時代を再び取り戻そうとする人間の手で新しく創られる動物へ向けての橋なのである。イカロスは失敗した。そう、勇気を使っても失敗することはあるのである。それがたとえ本能に近似値のものであっても。いや、本能によって逃げ惑う蚊を掌で潰した僕は、その潰れてしまった、いや殺してしまった蚊を眺めながら、この蚊もおそらく本能のままに逃げようとしていたのだろうが、それを勝る殺傷意欲に燃えた人間である僕に殺された。本能で動こうが、死ぬこともある。つまり、勇気を振り絞って動こうが、失敗することもある。あれ、やっぱり不安だ、怖い。勇気を振り絞って行動したとしても失敗するのであるならば、おれは動物になることを拒否する。社会という妄想に化された人間という動物を忘れた生物になる。などと逡巡する。苦しい。けど、やっぱり楽しいことやりたいじゃん、みたいな軽さで、最後は乗り越える。そんなとき、いつも僕はなぜか次へ行くためのインスピレーションが落ちてくる。空から振ってくる鯛を桶で受け取るみたいに。いつもぎりぎりではある。しかし、ぎりぎりのところでいつも出てくる。だから心配するこたあないよ、とはフーの言。フーは特段強い女というわけではない。しかし、坂口恭平を盾としたとき、とてつもない力を発揮する。そんな坂口家という構成員を含めてが、坂口恭平という人間なのだ。人間というよりも巣なのだ。坂口恭平そのものが巣なのである。そんなイメージを元に僕は幻年時代を書き始めた。そして一週間で書き終えた。独立国家のつくりかたのインスピレーションは躁のとき、タイトルが浮かび、その後鬱に陥り、明けてアルゴリズムがバージョンアップされ執筆が開始された。そんなとき、それらはいつも延長線上にはない。それはむしろ壁抜け男のように、その世界の常識では壁として屹立している不可能な行動が実現化された瞬間に訪れる。つまり、そのレイヤー上では発見する方法論すらない。しかし、何かのとき、つまりそれは鬱で酷く苦しみ、突如の絶望によって目の前のレイヤー界が全て暗闇となったあとの晴れ間に潜んでいる。だから僕はここから抜けられないし、抜けたとしてもそこで待っているのは退屈である。夢は持ちたくない。夢そのものとして生きたいと子どものような考え方で生きている坂口恭平は退屈は嫌だ。だから僕は今日もまた躁として羽ばたき、鬱として潜る。落ちる、のではなく潜ると言い換えるのだ。ワタリガラスとなる。神話の一部となる。そのとき、世界がぐらつく、そこに勇気を振りかけるのだ。闘え、いざゆけ、坂口恭平。そのようにして自由戦士としての生を全うするのだ。人々は暗闇の世界であることを知り、さらに強い光を人工的に作り出そうとしている。そうではない。煉瓦壁をすり抜けるのだ。壁抜け男としての坂口恭平は、レイヤーを飛び越えた先に巣を発見した。そんなインスピレーションを講談社現代新書の川治豊成にiPhoneで伝える。
「次の本の方向性が決まった」
「いいね!よろしく頼むよ!なんか、それ、いいよ!面白そうだよ!」
人々に幻年時代を届けながら、僕はまた壁抜けを試みなくてはいけない。それはプロ根性でもなんでもない。ただの己の逃走なのである。
月曜日になったので、アオが目を輝かせながら、寝ている僕の腹に乗る。
「パパ、ウツなおったんだよね?自転車のれるって言ってたよね、昨日!」
そうだ、おれはまた充電が完了した。一週間ぶりのアオの送り迎えができるのだ。本当なら一年中したいよ。しかし、おれは社会化された人間ではなく、ただの野生のヒトだ。ホモ・マニアックディプレッシャスだ。だから、30日間稼働したら一週間己の原発を一時停止し、肉体の中の、脳内の機材調整を行い、稼働目標を少しだけヴァージョンアップしなくてはならない。しかし、心配するな。日本の原発と同じだ。おれは必ずや再稼働する。一度はじまってしまった坂口恭平という経済は止まりはしないのだ。それがいかに、馬鹿げている行動だと思われていたとしても、ただ金のための稼働なんだろうと思われても、もしくはバックに強い権力や金を持っているパトロンに囲まれていて実は動けない環境置かれていたとしても、坂口恭平は再稼働する。それは必然であり、自然なのだ。自然界に偶然など存在しない。もしやなど存在しない。あわよくば純粋な心を獲得し、人々を苦しめるこの己という原発を廃炉にすることなんかできない。坂口恭平はむくりと起き上がり、アオと手を繋いだ。朝一と言えば、そう、便所である。排泄をしなくてはならない。休眠している間に擬似的に停止していた膀胱が破裂しそうなのだ。しかし、突然アオはよろしくメカドックの夢幻的な動きをした。つまり、スリップストリームによって空気抵抗を前方を走る僕を壁にすることで抑えた小振りの娘という赤い車体が、おれを涼しい顔ですり抜けていった。おれは娘に負けた。排泄をするものだと思い、ついバルブを緩めていた油断まみれの父親である僕は、負けた。ここはまずいピットインする必要がある。立っているよりも、座る必要があった。そこで便所横の我が書斎の椅子、ハーマンミラーの16万円の安楽仕事椅子なわけなく、2000円で購入した小学校の技術工作室の50年前の素椅子にへたりこんだ。前を疾走するアオが先にピットに入った。まずいこの時間の遅れはあとに確実にひびく。ピットインしリラックスしたアオが一言おれに放つ。
「パパ、拭いて!」
ウォシュレット世代であるアオは朝一は自分で拭くのではなく、パパという機械が自動的に拭くものだと思い込んでいる。しかし、ここで世代間のギャップなどを口にし、自分のことは自分でやれ、などという大人的な言葉を放つことができない坂口恭平には当然理由があった。鬱期に入ると、食事をするとき以外、ほとんど寝ており、時々、むらむらと性的に興奮すると妻であるフーを口で呼びつけて、なんらかの行為に及び、アオを風呂に入れることもできないばかりか、ゲンを風呂に入れることもできず、さらには己は風呂にすら入れず、パンツも替えず、ただ臭い物質と化してしまう坂口恭平をチラ見しているアオは、このおれが社会化された人間ではないことを既に知ってしまっている。つまり、おれは下等なヒトという生物である。アオには日本銀行券を使うことは、鬱屈した欲望を満たす効能があることを知っているような智慧がもうすでに身に付いている。そんな中、車が欲しいと言えば、段ボールで車みたいなヘボなものを作ろうとするおれはまさにチンパンジーより少し下の生物などと認定されており、おれがチンパンジーは社会化してしまった人間なんかよりもよほど高尚な生き物だ、などと怒号をあげても聞かぬフリ、というよりもそれは政界の文句を、何もできるはずのないサラリーマンたちがああでもないこうでもないと居酒屋トークしている、そんな人間たちを含み笑いしながら介抱する怪しい心の優しさをもつ自民党議員のようであった。お前に、政治という概念がもうすでにあるのかと絶望した坂口恭平の膀胱はさらに膨らんでいるので、ここは一つ、目を瞑って、アオの排泄後の処理を手伝うことにした。我慢しきれず、足は先日アオと一緒にみたピンクフラミンゴのように片足でえらいことになっていた。それをみながらアオは笑いながら、もう必要のなくなっているであろう便器にいまだしがみついている。そして、社会っていうのは大事なんだよといわんばかりに、このただのヒトであるおれに、便器をゆっくりとありがたみを感じなさいというような素振りで譲った。突然社会の仲間入りしてしまったヒトである坂口恭平は空腹のあまりスプーンやフォークや箸などの道具を使うことなく犬食いするような格好で、便器にくっついた。そして、排泄をし、この世で一番おれは幸せな人間なのではないだろうかというほどの、快感を得た。その過程をすべて、妻フーに伝えると、
「あなた、ウツが終わったと思ったら、また上がってきたねーー、まずいまずい」
と僕の新しい発想の提案を無視し、早く朝ご飯食べなさいと言っている。あっ、そうだ、自転車でアオを送らないといけない。
幼稚園へ自転車で向かう。アオはこころなしかご機嫌だ。もしかしておれが良くなったことが嬉しいのではないかと思い、純朴に、
「アオ、もしかして、梅雨明け、そしてパパの鬱明けが嬉しいの?」
と子どもの質問をした。アオは「いいや、全然嬉しくない」とそっぽを向いた。ヒトであるおれにはその愛情を直接は見せないけど、一緒にいるんだから、嬉しいに決まっているじゃん、みたいな社会化された雌の人間が使うOTOMEといわれる概念による行動の意味が分からず、怒り出した。
「なんだよ、嬉しくないなら、もうここで下りてよ。おれ一人で〇亭行くから。アオちゃんは歩いて幼稚園にいってよ」
つまり、坂口恭平は拗ねた。見かねたアオはただ一言、
「はいはい、ほんとは嬉しいよ。もー」
と言った。突如喜びだしたサル科の生物で種族はいまだ判別していないホモ・キチガイ坂口恭平は、足に力を入れ、ペダルを漕ぎ出した。幼稚園に到着すると、先生たちが、
「あっ、アオちゃんのパパ、元気になった!」
と鬱明けを祝う言葉が並ぶ。なんて度量のある幼稚園なんだ。あっ、言ってみれば子どもたちも統合失調症の人間となんらかわらないところもあるもんな。そうか、やっぱり先生たちからしてみれば、おれの子どもなのか、とか思っていると、
「あのね、パパ、もういいから、〇亭に戻りなよ」
と冷たくあしらう。子どもはおれなのであって、アオは子どもではない。僕は自分自身の生き方に疑問を感じ、それを消し去るために、子どもという言葉を使ってしまったのだ。おれは子どもでもなんでもなくても、ただオレ自身であり、そのおれが、ただ、故障が多い、不良品の機械なのだと思い、フーに携帯でそれを伝えると、
「もう、いいよそんなに落ち込まなくても、あなたはあなた。みんなはみんな。ヒトと比べないの。みんなちがって、それでいい!」
フーは励ましてくれる。なんて素晴らしい生き物なのだ。フーは。フーがいればこの世に躁鬱で自殺するヒトなんかいなくなるのではないかとノーベル賞並みの閃きを伝えると、
「いやいや、、、、、わたしはいのちの電話はやらないよ、、、、ちょっと待ってよ」
と大人の判断。人間にはやれることとできないことがあるの。でも、ホモ・キチガイの恭平はそのへんを全く理解しておらず、なんでもやるべきと思ったらやるから故障するのよ。でも、故障していいじゃん、やめなくていいよ。やりたいようにやればいいよ。どうせ、あなたは躁鬱のAB型なんだから、基本的に一切ヒトの意見は耳にいれることはできず、集団では行動ができず、ヒトの指示で働くみたいなサラリーマン的な、毎日、同じ場所に通うなんてことはできないのよ、でもそれでいいじゃん、金がなくなったら、わたしが夢マートでレジのバイトするから大丈夫だよと言ってくれた。菩薩様。わたしを救ってくれてありがとうございます。坂口恭平には確実に宗教心のようなものが芽生えている。フーを教祖とした新興宗教のカルト信者である。それでいいと言われれば、それでいいと思ってしまうのだ。なんとなく、世のカルト信者たちが仲間に思えた。ヒトから何言われても気にするな。どうせ、ヒトなんか他人のこと心配なんかしないんだから。だから、なんか文句言っているときは自分が嫌なことやっていたり、嫉妬してたり、きっとそんな理由なのよ。あっ、でもそれもつまらないといっているわけじゃないよ。みんなそれぞれかわいいなって思うの。
フーは一体何者。
今日は送ったあと、そのまま精神病院「青明病院」を予約していたことを忘れていた僕は、急いで自転車に乗って精神病院へ。今日の番号札は22番だった。そうか、ニコニコってことか。そこで、僕は顔を緩ませて、ニコニコ笑顔で寝椅子に座り、呼ばれるのを待った。
「番号札22番の方、2番の診察室へどうぞ」
院内放送が流れ、僕はその真っ白い廊下の奥から2番目の診察室へと入る。
「。。。。それで、どうでした今月は?」
僕はまた30日間の創造集中時代、その後の7日間のアイソレーションタンク状態が三ヶ月連続で回ってきていることを正直に伝えた。
「やっぱ、サイクル早いね。でも、鬱が7日間だったら、ま、いっか」
「死にそうですけどね。死なないとノートに書いてるので、それをずっと眺めてます」
「笑、、いいね!最近はまた創造的にはすごいんですか?」
「はい、やっぱり7日間のウツの後にはとんでもないインスピレーションが襲ってきます。今は文字です。何万字でも一日に書けます」
「死ななきゃなんでもいいよ!」
「神田橋篠治先生とか知ってますか?」
「はい、知ってはいるよ。あのヒト独特だもんね」
「はい、ウツのとき、おのヒトの語録で結構救われますけど。ネット上にPDFで上がっているんですよ」
「へー、躁鬱の取材を坂口さんがやったら良さそうね」
「中井久夫さんは知ってますか?」
「知ってるというか、働いたこともあるわよ。あの人は、浮き沈み激しいよね。あなたみたいに」
「そうなんすか?だから、躁鬱の気持ちが分かるんだ。。。。」
そんな会話をしてた。躁鬱の本を書きたいと思っている。フィールドワークをしたいのだ。おれの病気の話なんか書きたくないけど、どうすれば死なずに済むかってのをいろんな先生や患者たちに取材してまわるのは面白そうだ。
薬を受け取ると、薬剤師から、
「坂口さん今月末アメリカに行かれるそうですね」
「はい」
「サイレースという睡眠薬が米国では覚醒剤のようなものと捉えられていまして、持ち込みが制限されてます」
「まじっすか、おれ、そんな薬を毎日飲んでるんですか?ポン中ってことですか?」
「ま、そういうことになりますね笑。アメリカは医療大麻がありますもんね」
「じゃあ、この薬は持ち込まずに、サンフランシスコではハッパでも吸っとけってことなんですか?」
「ほほほ」
変な薬剤師であった。その後、〇亭に帰り、うどん屋「野崎」でフーとランチデートして、アオ迎えにいって、アオから賄賂を渡され、崩落饅頭屋の絶品かき氷を食べ、向かいの長崎書店で開催されている林明子エスキース展を見て感動し、涙を流し、家に帰ってきた。
とりあえずまた次のターンがはじまったようだ。
夜は前野健太とずっと電話してた。いつか二人で弾き語りツアーやりたいね、と。
今日は僕とフーの7回目の結婚記念日でありながら、僕は鹿児島にポパイの連載の取材をすることになっていて、つまり多少忘れていて、ぎりぎりで思い出し、僕がそうだということはつまりフーもすっかりと忘れており、記念日的なことにまったく興味のない二人思い出してしまったので、これは何かしよう、ということになり、じゃあ鹿児島に一緒に行くか?と誘うも、フーは明日は月曜日でアオが幼稚園行くので、鹿児島で盛り上がるのも疲れるなあというモード。なので、とりあえず電話した。鹿児島のゼンに。
「おっ、恭ちゃん、どうしたの?」
「今日、鹿児島にいこうと思ってるんだけど」
ゼンは朝っぱらなのにもかかわらず盛り上がっている。
「おー、今日は、おなじみグリーンゲストハウスでなんだかパーティーやってて、今もテキーラショット四杯目で、楽しくなってるから来なよ」
「そのノリだと、フーは連れてけないな」
「えっ?フーちゃんも来なよ。ていうか、フーちゃんに変わってよ、おれが説得するから」
狂人である、親友ゼンは軽薄な本当にどうしようもないやつなのであるが、愛嬌がある。フーともなぜか気が合う。しかし、朝っぱらからゼンの電話によって鹿児島行きを決めるなどという作戦にはもちろん打ってはでません僕は、さらりとゼンにとりあえず車、なんとかしといてくれない?とお願いして、フーアオ弦の三人が寝ている布団に戻り、
「今日は鹿児島へ行く。取材を兼ねてはいるが、結婚記念日を祝うために。疲れたら明日の幼稚園は休むか、遅刻すればいい。そういうことが問題ではない。重要なのは、坂口恭平の鬱が明けたこと、そして、この浪費家でありながら、月に一度きっちり鬱が来てあらゆる仕事をドタキャンし、稼げるところの金も稼がず、かと言って、人前ではええかっこしいのため、大量に日本銀行券を使い切る夫をサポートするために、ほとんどタクシーなどの高級な作業はストップさせ、外食もせず、歩いたり、市電に乗ったり、バスに乗ったりしながら、鬱で寝転んでいる坂口恭平を横目に、二人の子どもをしっかりと育てている我が菩薩であるフーを祝うために、今日は何か買おう!」
「えー、わたし何もいらない。外食もしなくていい」
フーは相変わらずなので、とりあえず僕はアオに旅行に行くぞと小耳に挟ませ、テンションあげさせ、既成事実を作り出し、アオとパパで行くと言い出した坂口恭平を振りほどき、パパだけとは嫌だ、ママもお願いというスルー後のバックパスをアオに委ね、見かねたフーは、この攻防はよく考えたら、わたしが何かを買ってもらえるということなわけで、別に断る必要もない。今日だけは、坂口家という、躁鬱病の、しかもラピッドサイクラー、つまりしょっちゅう落ち込むこの男を主体、大黒柱とした経済圏の元締めである己を一瞬だけ忘れ、ただ坂口恭平の妻、つまり、ただの傍観者である自分自身を思い出させたのか、アオが誘うと、
「あっ、そうだね。いこっと」
と準備をし出した。熊本タクシーに電話し、家族四人で午後12時、熊本駅新幹線口へ向かった。さくらに乗って、鹿児島中央へ。
一時間後、早くも鹿児島に到着すると、新幹線口改札に天然パーマでほぼ仏陀かサイババと化しているキチガイゼンが、男二人と待っている。
「おーーー!新政府総理。キチガイ恭平、よくぞ鹿児島へおいでなすった。こちらがカワハラくん。うん、友達でもなんでもなく、グリーンゲストハウスで今日さっき知り合ったばかりの友達で、駅まで車で送ってくれた優しい人。そして、こちらがチャッピー。僕のトランス仲間で、今日、時間があるってんで、一日運転手やってくれることになった優しいトランス野郎。かつ、僕の介護担当です」
そんなわけで、僕ら坂口家四人は、狂人ゼンが連れてきたチャッピーという40歳の本職も介護士でありながら、ゼンの介護もやっているという優しい男性の火山灰がちらほらついた車にのって、いざ、ってどこへ?
「何処行くの?」
ゼンが聴く。今日は、僕の鹿児島のもう一人の親友タビトと会うことになっていたので、タビトに電話する。
「はいはい、恭ちゃん、着いたの?」
「着いたよ。しかも、予定が変更して家族四人で。今日は結婚記念日なのよ」
「ほー、良い話しだね。じゃあ、楽しいことしよっか?」
「いいね、何?」
「そうめん流しにいくぞ。慈眼寺公園の駐車場に集合ってゼンに言っといて」
と、そんなわけで慈眼寺公園へ。車で20分ほど行ったところにある。タビトも、今日取材することになっている坂口順一郎、ともう一人男性と三人で来ている。さらに、先日、高級豚シャブをごちそうになった納豆屋の女社長もやってきた。慈眼寺そうめん流しは、江戸時代から続く、由緒正しき、そうめん流し屋なのである。渓流の横で、桜島を模したここだけの特許をもったそうめん流し器の周辺に狂人だらけで、10人。そうめん、鱒の塩焼き、鯉こく、うなぎの蒲焼き、などを食べる。千と千尋の世界であった。興奮したゼンは、そのまま全裸で、日曜日の昼間にもかかわらず、渓流に飛び込んでいった。アオはそれを見て、笑っていた。教育としては間違っているだろう。しかし、人間そのものとしては間違っていないのかもしれない。人間はいつから、日曜日などという一週間などという日々で生きるようになってしまったのか。その体たらくは何だ。渓流を見つけたら、飛び込む。これが人間である。ゼンはそう言った。僕も、うん、お前それで間違いない。おれらはその人間とは何かを考えながら、日々実践することに人生を費やす運命にあるのだから、やるしかないのだ。やれやれ、もっと。といいつつ、僕はその脇の喫煙所でずっと煙草を吸っていたのだが、アオは介護士チャッピーに連れられ、川沿いへ向かっていった。笑い声が聴こえる。我が娘はやはり目の前ではなく、遠く離れたところからの笑い声が素晴らしいなあ、生きているという感じがするなあと思った。フーは納豆屋の女主人と九州産の納豆を送ってくださいと依頼している。抜け目なさに磨きがかかってきているな。僕はタビトと二人で煙草を吸っていた。そうだ、今日は僕はポパイの取材で来ていたのだ。思い出し、川遊びもそれでまでよ、おれは一週間で生きている世界にしばし、戻って、毎月発行している雑誌の取材をやらないかんので、みんな服を着て、取材先である順ちゃんの花屋へ戻るぞー、と言って、二台の車でいざ花屋NOGLEへ。
今日の取材対象である坂口順一郎は今年40歳のフローリストである。デンマーク、コペンハーゲンにいる、今、世界で一番狂っていると言われている花人TAGE ANDERSENのところで二年間修行し、そこから東京でちょいと洒落た花屋でもやればよかったものの、鹿児島市内の、しかも郊外にNOGLEというサイトもない、謎の花屋を先月オープンさせたばかりの、意味不明男である。しかし、ヨーロッパで生き抜いてきたキチガイの風が吹いているので、なんだかしこたま強い。竹のようにしなる強さ、順応性を持っている。彼の取材を二時間ほど。徹夜明けで疲れたゼンは車で寝ていて、アオはタビトと一緒に庭仕事。フーはゲンに授乳し、チャッピーは茫然としていた。ゼンが金がないから、金くれというので、千円渡すと、しろくま、という鹿児島特産アイスを買って来た。これにて取材終了。タビト、順一郎と別れ、坂口家とゼンとチャッピーは、まずは駅前へ戻った。
今日は結婚記念日である。僕は、先月ポパイの連載で取材した絶世の美女ヒロミちゃんが近頃オープンしたお店があるので、そこへいくことを思いつく。綺麗なお姉さんに出会ってしまったならば、それを独り占めしてしまってはいつものように坂口家では問題になってしまう。そうではなく、フーに紹介するのである。フーとも親しくなれば、僕がそこに立ち入る可能性は明らかに減る。ということで、そこへいく。素敵なお店ができていた。フーはそこでヒロミちゃんがデザインしたリネンのノースリーブのシャツを気に入った。15000円。悪くない。手元の財布にはちょうど15000円入っていた。なので、記念日ということで、それを購入した。こういうことをやってみるとそれはそれで楽しいものなのかもしれない。僕は買わないし、フーも欲しがらない。それが坂口家のスタイルであったが、たまたま思い出してはじまったこの記念日の旅は、なんだか知らぬが楽しかった。家族だけで味わっているのではないからだろう。こういうのは、みんなで祝ったほうが楽しいのだ。恋人だけとか、そういうのが嫌いなのだ、僕は、たぶん。すると、退屈したアオが、
「温泉」
と一言言った。ゼンは待ってました!と温泉、そしてそこからのディナーのセッティングまでヒロミちゃんと一緒に組み立ててくれている。ということで、まずはゼン好みの「湯乃山」という温泉へ。
ここがまた狂ってた。入浴料500円払うと、なんとなくジャングル、しかもスラム街横のジャングル風の空間が拡がり、ゼンに案内され、坂口家は家族湯へ、脱衣所は電気がついているものの、湯のところは真っ暗。そのまま、入れという。気にするな、ぼろいとか、汚いとか、そんなこと気にせず、目を瞑って、とりあえず入れ、と。で、入ってみた。お湯がとろとろしてて、僕は石鹸でお尻の穴を綺麗に洗いながら、お湯で洗い落しながら、それでも滑りがとれないので、ずっと洗いながしていた。結論としては、穴に染み込んだ石鹸はもうすでに落ちているはずであるが、おそらくお湯がとろとろしているから、そんな感じがするのだろうということになった。で、はっ!と言っていたら、フーも「あなたもなの?わたしもよ!」とでも言っているかのような顔をしてこちらを振り向いた。アオも、建築的にまずいと乗らないアオが、今日はなぜかその汚い湯船に入って、きもちいいー!とか言っている。本質が分かる女になれ、と願った。アオはそのようにうまいものとか、きもちがいいこととかが好きである。ゲンも入っていた。
そして、焼き肉行く?と言うと、ゼンが「焼き肉ではなく、炊肉ってのがあるのよ、牛ちゃんという店。もう予約してっから」
と謎の発言。というわけで、言ってみる。炊肉は、読んで字の如く、オリジナルの鉄板(特許を持っている)でもんじゃのように炊く、肉料理屋であった。これがまじでうまかった。アオがライスおかわりした。五歳児が。。。うまいものには目がないアオ。途中から、工場でライン関係の仕事しかすることができないというラインマニアのキチガイ女、ミーがやってきた。この前、一緒にDJ HARVEY踊りにいったが、踊るのが大好きなパーティーピーポーである。ミーも入り、さらに炊き肉を味わう。
ゼンとミーとチャッピーと坂口家四人で、八月、阿久根大島の海にいこうぜーということになった。ここ、昔、家族できて衝撃を受けた素晴らしい場所。西瓜もって家の隣の玩具問屋で巨大な花火買って、島の民宿に止まって、西瓜割りしようぜーということになった。子どもがいると、このように何かをしたくなる。それで楽しむのは結局大人なのだが、それでもきっかけを作ってくれるのはいつも子どもである。
深夜12時、ようやく坂口家は熊本駅へ到着した。アオは明日、自転車に乗って幼稚園にいくだろうか。送った後は、僕は精神病院へ定期検診である。こうして、坂口家は8年目が明日から始まる。貯金はフーが確認しているが、まだどうにかいけるぜ、ということだ。この躁鬱のキチガイを再稼働させ続け、坂口家は生き延びてきた。一週間、くそったれ、毎日通勤くそったれ、そんなの人間じゃない。人間は渓流があれば飛び込むんだ。鬱になれば、誰とも会わずに一週間寝込んだっていいんだ、というようなほぼスヌーピーのようなライフスタイルでやってきましたが、どうやら、8年目もフーは僕と契約更改を行った。やる気があるようである。8年目、すぐに新刊「幻年時代」が出る。これは僕にとっては大きな変化なのだ。今までとまるで違う本を書いたのだ!しかも、フーに何度もゲラを見せるタイミングがあったにもかかわらず、やはりフーは一行も読んでいない。おれの超自信作なのに、まるで何も普段通りである。いや、それでいいのだ。もう。どうせ、坂口恭平は再び奈落の底に落ちる。その底に落ちた小銭を、人々は落ちたものとして、普段であれば、お釣りの小銭は受け取るのに、水の底の小銭はとらない。しかし、フーはその小銭を拾う。まだ使えるんじゃないかと試す。なにが休職だ。なにが障碍者年金だ。なにが鬱病だ。そもそも渓流があるのに入らない社会になんかおれはつきあいたくない。おれはいつも、動いていたい。虫を見つけたら、それをどこまでも追いかけてたい。時間をとばせ、一週間よさらば、おれはこの罰当たりのお賽銭の渓流の底に落ちていた小銭である僕をいつも拾うフーと、とにかくこの社会で試してみようと思う。僕は試すのが好きなんだ。試すのはいつだって怖いんだ。だから、みんなで集まるんじゃないか。集まるってのは、強い力になるんじゃない、集まるってのは、怖さを自覚しているってことだ。集まるってのは、だから、避難所なんだ、つまり、それは巣、なんだ。僕は今、巣を、巣とは何か、を、追いかけている。僕はおそらく馬鹿だろう。それもなんとなく理解している。でも僕は自分がやってきた仕事を、次の誰かにバトンを渡すみたいな、違う部署にうつるんで仕事の引き継ぎしますとか言いたくない。分からない、と言いたい。僕は知らない、と言いたい。それよりも、そうめん流し、行かないっすか?と言いたい。
などと思った、よい結婚記念日でございました。キスもせず、足早に記念日は駆け抜けていった。
先月終わりに、僕は吉阪隆正賞の授賞式、及び新刊「幻年時代」の打ち合わせ、秋に刊行予定のTOKYO一坪遺産の文庫化のための取材などを行うために東京へ来ていた。で、そこで、なぜかまた鬱の波に飲み込まれてしまい、吉阪隆正賞の記念講演ではまさかのホワイトアウトしてしまいほとんど喋れず、その後もぐったりした状態のまま28日に熊本に帰ってきて、そのまま7月4日まで寝込んでいた。文字通り、自宅の書斎のベッドでずっと寝てた。食事もほとんど食べれず、風呂に入るのも面倒臭く、当然、アオを幼稚園に自転車に乗って送ることもできず、ただ寝てた。これが僕の鬱期の過ごし方である。24時間、完全な絶望状態に陥り、陥る前までの気分の良かった記憶は完全に抹消され、生まれてこのかたずっと哀れな人生を送ってきたと思い込んでしまう。いやー、きつかった。また死ぬかと思った。デンマークで36年間にわたる調査で、自殺の原因、男女ともに第一位はこの躁鬱病であるそうだ。実際の名前は双極性障害というらしいが、これじゃなんのことやらよくわからんので、僕は躁鬱病と言っている。あの永遠に続くと毎度誤解してしまう絶望トリップは、そりゃ死ぬしかないと思うだろう。僕もいつも思うもん。抜けたらけろっとしているのに、真っ只中では冷や汗かいて毎日過ごすことになる。最近は、30日通常の生活。その後に、やばい鬱が7日間。三周目。。。抜けた途端に、新しい発想と次への仕事のやる気を見せる笑。かなりしんどいが、それでも昔の全く付き合い方が分からない状態から考えると、少しは見える存在にはなってきた。他の人、どうやってるんだろうと疑問に思っていると、フーから、躁鬱会みたいなものないの?オフ会とかに顔出せば?躁鬱仲間がいると、絶望期に入っても少しは助けになるんじゃない?と提案があるが、僕はあんまり乗り気じゃない。
しかし、よくできたものである。この病気というか特質を持っている僕は、おかげで、サラリーマンのように毎日、定期的に働く、生きることができない。毎日、同じ場所へ行くことができない。毎日、同じ人たちと顔を合わせることができない。毎日、同じ格好をすることができない。一週間のスパンで生きようとすると死にそうになってしまう。目先の興味をあっちふらふらこっちふらふらと変えないと駄目らしい。眠りたいときには眠れないと駄目らしい。今からサンフランシスコに行きたいと思ったらすぐ行ける環境にいないと駄目らしい。僕がこれまで自分を見てきてそう思う。だから、僕は会社に行かない。行かない、というよりも行けないのだ。本来であれば。僕は元々、こんな世界で生きていけるとはとても思えなかった。みんな会社に行くのが当然のこの世界が恐ろしく、やばいなあと思っていた。僕はすぐに躁鬱の波に揺られて、ふらふらとするのに、なんだ、この世界の硬さは、と驚いて周りを見るんだけど、意外とみんな絶望もせずにけっこうよくやっている。どうやら、毎日同じことをするのに絶望を感じない種族がいることを知った僕は、どうやら、そうじゃない自分たちの種族のほうが圧倒的に数は少ないことを知り、茫然とした。これはやばいと思った。しかし、毎日同じ場所へは行けないのである。基本的に一人でぶらぶらしたり、適当なこと考えたり、時々は世紀の発見だ!と興奮して朝まで寝ずに作品を作りたいなあと思った。
そこで、会社に行けないというのではなく、行かないと言い換えた。僕は困るとすぐにこうやって言い換える。そうしないと、すぐに圧倒的多数に染み込まれてしまうからだ。僕はこの圧倒的多数の人間たちがほとんど敵に見えていた。とても優しい僕の仲間もいたのだが、毎日同じことができる、ことをいとも簡単にやっているその姿を、自慢気でもなく、さらりとした作業として見せられると、瞬間、その人間たちは僕の敵になった。結論、仲間はほとんどいなかった。僕の周りで躁鬱で苦しんでいる人間はいなかった。でも、会社に行かない人間は何人かいた。彼らは毎日同じことをやることもできるが、才能があり、独立しているような人間であった。つまり、彼らも敵ではあった。しかし、敵でありながら、さらにもっと強大な敵を倒すためなら致し方ない、というようなドラゴンボールで言えば、ピッコロやベジータたちと仲間になる感覚であった。
会社にいかないだけでなく、僕は建築家を目指していたのに、世に言う、建築家的な仕事、つまり、人から発注され図面を描き、それで施工する、みたいな建築家の仕事を平気でしている人間たちをみながら、僕にはできないと思った。つまり、建築家で独立している人間はみな敵だった。僕はそのような、ルールに則った中で行う仕事、みたいなものをしようとすると、また鬱になるのであった。つまり、別に僕は建築家という仕事を軽蔑しているのではない。むしろ、本当は設計とかやれるもんならやってみたい。しかし、僕は生理的にどうも駄目なのである。建築家として建築建てたり、音楽家として音楽を演奏したり、小説家として小説を書いたりするのが、てんで駄目であった。別に彼らは敵ではあるが、彼ら自体の仕事は尊重している。ただ僕の生理的なものと合わなかったのだ。会社に行けない僕は、独立を目論むも、そのようなわけで、なんの独立をすればいいのかわからない、ただ一人で、かと言って孤独でもなく、躁鬱らしく、あっちふらふらこっちふらふらと混沌こそが安定であるという信条をもとに、果たして生きていけるのか、という大問題は、フーに言わせると、大問題とかそういうことよりも、あなたそれしかできないじゃん、だから、そのまま、進んできたのよ。でも、よかったね。今の仕事で。これ、会社に言ってたら、大変だったね。奇跡じゃん、というか、それしかできないのよね。生理的に駄目なもの全く駄目だもんね。で、それで坂口家、やっていっているから、すごいかもね、税金昨日もすごい20万円以上払ったから、金は減るばっかりだけど、それでも、まだ残っているし、あっ、そうだ、7月21日、新刊でるんでしょ?「幻年時代」!やった!また印税入るじゃん!、えっ?8月21日も「モバイルハウス」の新書出るの?おーいいじゃん!また坂口家サヴァイヴ今年もできそうじゃん!もうなんでもいいよ、躁鬱でもなんでも、生きてればいいよ、あなたはインディ・ジョーンズなんだから!ギリギリで這い上がる。そして、結局、作品を作りたいのよ。新しいものを見たいのよ。ぼーっと過ごせないから。作品を作りたいのよ。自信がなかろうが、金が無くなろうが、どうせ、やめられないから。
フーは、鉄人なのだろう。僕はこれからも、ずっと作品を作っていきたいと思った。本を、絵を、スケッチを、フィールドワークを、モバイルハウスを、彫刻を、音楽を、絵本だろうが、新聞だろうが、雑誌だろうが、なんだろうが、よく分からんが、とにかく作り続けようと思った。そうやって、どうやら生き延びてきたらしいのである。鬱のときの記憶はまた僕の中にはない。これは悲しいが、それが我が人生。
とうとう、幻年時代がでる。ぼくがうまれて初めて、推敲した原稿。文字を読むという行為の中に、空間を作り出せたのではないかと思う本。梅山に久々に電話し、モンスターズインクの本日公開の映画をアオと弦とフーと観た。フーが前売り券を購入してくれていたのだ。
「梅山さん、また抜けました」
「おっ、待ってたよ〜。本の宣伝いっちょうおねがいしまーす」
今回は、一ヶ月以上伸ばしたい。
さて、体を動かしはじめます。再び。