坂口 恭平 エッセイ

Mr.Tambourine Man

 大学生の頃だ。僕の友人が彼女にフラレて落ち込んでいた。で、とにかくそっちにいくよと言われ、友人は僕が住んでいた東武東上線の上福岡に向ってきていた。その時、僕は風邪をひいており、ちょっと調子が悪かったのでタクシーで病院に行った。その時に、帽子をかぶった変なやつが歩いていた。それは友人だった。髪が長かったそいつは髪をなぜかばっさり切っており、しかも中途半端な切り方だった。その姿があまりにも幻のようで、タクシーのウィンドウ越しの友人が友人には見えなかった。物語の登場人物のように見えた。

 その後、無事に病院から帰った僕は、友人と話した。で、髪を切ってくれと言われ、残りの髪をすべて落とした。それしかできず、何も出来なかった僕は、突如ギターを取り出し、ボブデュランの「くよくよするなよ」という歌を歌ってあげた。その後、「ミスタータンブリンマン」も歌ってあげた。友人は感銘を受けてくれ、ボブデュランに目覚めたらしく、その後少しは気持ちを盛り上げて帰っていった。

 そして、その後友人から「ボブデュランのミスタータンブリンマンを聴いたけど、ちょっと違ったなー」と言われた。僕は英語の歌詞をほとんど憶えなかった。だから、たくさんの曲を知ってはいるのに、全部カタカナだった。出鱈目であったとは思わない。自分の耳にはそう聞こえたんだという音をそのまま使用していたのだ。ミスタータンブリンマンの時は、僕は「ヘイ!ミスタータンブリンマン」という言葉をとにかく連呼していた。その音がかっこ良かったからだ。で、その時も恐らくそう歌っていたのだろう。「くよくよするなよ」の時も「ドンシンクトワイスイッツオーライ」という言葉を永遠に繰り返していたと思う。彼はそれを聴き、感銘を受けてくれ、ボブデュランを聴いた時に「違う」と思ったそうだ。

 人は勘違いする。そして、勘違いした人はそれを訂正されてしまう。その時、勘違いした人は、ガラスが割れるように、それまで持っていたイメージを失ってしまうことになる。そして、その勘違いを知ってしまった以上、今まで勘違いしていたあの世界はもうどこにも見当たらなくなってしまうのだ。ミスタータンブリンは名曲である。僕はそれが好きで好きでたまらなくなってとにかく歌いたいけど、サビの部分は簡単だけれど、ヴァースの部分はなんか語り口調でとにかく歌うのが難しい。だから、全部タンブリンマーンと叫んだのだが、それは大きな勘違いで、本当は違う歌詞があることを友人はボブデュランのCDを借りて聴いて、勘違いを訂正されるのであったが、その時に、「あの時に歌った歌の方が良かった」と言われ、僕は何ともいえない気持ちになったことが忘れられない。勘違いが訂正されたあとも、その勘違いの世界のほうが良かったといわれているように感じて、なんだか知らんが、異常に自信をつけた瞬間があった。

 しかし、その勘違いの世界は意図して作り上げることができない。僕には永遠に届かない空間のように見える。それでも、時折、人から間違いを訂正された時にだけ、一瞬、僕が届きたいあの空間の端っこだけを垣間みる事ができる。間違いよ万歳。「ねぇタンブリンマン、一曲歌ってよ」

2007年10月11日(木)

0円ハウス -Kyohei Sakaguchi-