宮武外骨に関する、吉野孝雄の本を読む。
ガイコツさんはとことんである。ちょっとこれはマイルスに似ていてかっこいいの一言。
彼は明治期の人で東京大学の予備校に通いながらそれを止め、出版の世界に入り、というか自分で雑誌を勝手に創刊し、しかも部数をがんがん伸ばす。
ほぼすべてを自分で編集し、アートディレクションも彼の手によるもの。
社会風刺の極めみたいなものであるが、いつのまにかそれを超えていってしまってなんといったらよいのか「真空の笑い」のような状態になっている。
自分までもとことん風刺しているのだ。しかも徹底的に。
さらに読み進めると、そのあと「滑稽新聞」「スコブル」といった名作を彼は生み出したが途中で日刊の新聞「不二」を刊行。
これは営業的には散々だったようだが、ここになんと南方熊楠が執筆している。
うーん。すごい。明治すごい。
マイルスの1969年頃の様子読む。
シュットック・ハウゼン、バッハなどのクラシックを研究している。
そして、3,4つの違うリズムを同時に演奏するアイデアや、マイナーコードでの新しいメロディーの開発、削除という演奏方法などを思索するマイルスの話しは読みながら、こっちも興奮する。
「オン・ザ・コーナー」聴く。もうここでは実現されたそれらの音の数々。
彼は69年を境にしてエレクトロを取り入れていくが、当時は新しいものをただやっていくだけだと批判されたらしい。
しかし、彼は突っ走る。
「機材は関係無い。自分の音を追い求め、それを提示するためだったら俺は何でも使う。」
この周りのウルサイ声を一蹴りするような言葉には勇気をもらう。
レスポールの自宅の写真。
初めてエレキを作るという作業。アコースティックギターを使っていた人間が、初めて電気を使う瞬間。
目に見えないその電気が彼の周りを取り囲む。まるで科学者だ。
しかも扱っているものが、音。音科学者。
彼はさらに、8トラックの録音技術も発明した。
メロディーではなく、新しい音質だけを追い求める。そこが非常に気になるのだ。
ディレイも発明した。興味が音そのものだけになっている。音楽ではなくて・・。
それはそれはすごくクリエイティブな作業だったんだろう。
今までの歴史を振り返り、それとは違う事をしていくというスタンスではなく、今までの歴史とは「ねじれ」の位置にあるただ一つのものに向かってクリエイティビティを全開していく。
ここには新しいものの見方が含まれている。
マルセル・デュシャンと同じ創造の源泉を感じる。
阿波踊り最終日。
メイとユメが祭り見にくる。1歳児と一緒に踊る。
今度は徳島か?子供は瞬間にだけ集中するね!
自分の作品をどうやってアウトプットしてゆけばよいかがナカナカ難しい。
一回一回書籍にしていく余裕もなかろう。第一金が無いモンデ。
でも作品は溜まっていく。マイルスは自叙伝の中で暴れまわる。もう一回「路上」読んでる。
彼らの奔放さに惹かれつつ自分のものをちょこちょこ作る。
ここのところ音楽にもって行かれている。
今度の作品は少し音楽的な要素を入れていこうとしている。構成の点で。
違うリズムを同時に鳴らし、物語を作らず、ものそのものが表現されるように!
しかし、抽象的なので掴み損ねる。
高円寺阿波踊り初日。
糸井重里「ほぼ日刊イトイ新聞の本」。赤瀬川原平&尾辻克彦「路上観察探検記」。マイルス・デイビス自叙伝。
庭の写真もだいぶ溜まってきたので、一回編集してみる。アッジェに見えた。
AAスクールのディレクターから連絡。検討してみますだそうだ。
今度ヨーロッパに行くときはせっかくだから色んなところで展覧会をやってみたいと思っているのだが・・。どうなることやら。
AAスクールはロンドンの建築学校。
ホウにもDVDが手違いでまだ届いていず、ちょっと不安。
マイルスデイビスの「IN A SILENT WAY」聴く。
1969年のちょうど彼がエレクトロニクスを入れだしたころのアルバム。
初めて聞いたのだが、このあとのエレクトロニック全開のマイルスより断然いい。
まだ使い始めたばかりで、彼も周りのミュージシャンも探りながらやっていて、ちょうどジャズとロックの真ん中を綱渡り状態。
ねじれの位置に聞くほうも持っていかれ、これは不思議な体験。
あーやっぱり音楽は強い。意味から逸脱しているもんね。説明不可だもんね。
僕の作るものもこう、それだけで十分!というものにしたいね。
午前中池袋撮影。そのまま立教大学に行く。
ここには江戸川乱歩の家が保存されており、しかも書庫のいわゆる「幻影城」も残っている。
彼も立体的な作家だった。
さらに東武百貨店で乱歩展を見る。
彼は、作家になる前も自分で装丁から編集までやった本を自費で作っている。
表紙まで自分で書いている。文章だけ書きたいのではなかったのだ。
ちょうど東京の町並みが変化してきた時で、浅草には、花やしきや十二階と呼ばれる展望レストランのような空間を彼は愛し、その匂いを文章に焼き付けた。
さらに彼は兄弟三人で「三人書房」という書店も開店している。(すぐつぶれたが・・。)
驚いたのが「貼雑帖」というスクラップブックを作っていたことだ。
ここには彼の書いた文章から、スケッチやら、いろんなチラシ、入場券、住んでいた家の見取り図などあらゆる物が等価に置かれている。
まるで大竹伸朗の本のようだ。
後年、彼は印税で買った建物で下宿まで開業している。
その後も少年向けの企画をフィーバーさせたりと、彼の動きは曼荼羅模様!
小説、少年雑誌、テレビなどメディアを縦横無尽に利用しての動きにはこちらも非常に参考になる。
書庫を「幻影城」と名付け、自分で盛り上げていくところにも私としては興味を持つ。
日本人にはこの手の何でも自分で構築していく立体的な感覚が本来あるのではないかと思ったりした。
ロシアのタルコフスキーの映画「ストーカー」観る。
この人は「惑星ソラリス」を作った人。「ストーカー」を見て、本気でびびった。
惑星ソラリスで感じてたこの人の映像感覚が、この映画をみて確信であることに気づいたからだ。
この映画には一切セットが使われていない。全て、既にそこにあるものである。
しかも、今回は植物が大々的に映像化されている。
惑星ソラリスの冒頭のすごく綺麗な水辺のシーンの延長のような映画。
普通の風景をSFのセットのような感覚でとっていく手法に衝撃を受ける。
彼にとってはカメラを通じてみた世界は、生まれて初めて地球を見たときのような不確かな鮮明さを感じる。
ただの木一本が、いきいきとした生命体に見えてくる。
うまいよ!ほんと!勉強になります。
今日発売の「週刊朝日」に自分が載ってた。うまくまとめてくれていて、よかった。
午前中弟から、読売新聞に0円ハウスが書評に載っているよという電話があった。
買ってみてみると、なんと赤瀬川原平さんが書いてくれている。
全然聞いてなかったので正直嬉しいです。
その後、今日は車に乗って逗子へ。
一色海岸の近くに神奈川近代美術館 葉山館が出来ており、その周辺を歩くが見晴らしがよく普通に気持ちよかった。
僕は海に直接入るより、車で海沿いの色んな店がある小道を行く方が好きだ。
どうしてなのだろう。海に行くまでの、あの細い家と家に挟まれている道が好きだ。
海と公道の間の小道の方が海っぽいのである。
それは、昔福岡で育ったときによく言っていた有明海っぽいということなのかと思った。
海は海でも。あれはよかった。
僕は近所の排水溝の蓋を開けてよく友達とドブ探検をした。
そこをまっすぐ行くとなんと最後にはその有明海にでるのである。
海に行くまでの道には何かあるぞ!!久しぶりのドライブは素敵である。
ジャック・ケルアックとトマス・ピンチョンの二人が作ったものの間の感覚が気になる。
ケルアックは承知の通り、1950年代の「ビート・ジェネレーション」の命名者であり、先駆者である。
トマス・ピンチョンという作家はそのケルアックの作品に影響を受けながらも、更にそこに科学的な感覚、僕が思っているのは電気的な感覚。
いわゆる、ケルアックがアコースティックで、ピンチョンがエレキギター。
そしたら次はエレクトロニクか?ピンチョンは小説にまたもう一つの次元を作った。
その頭の新しい部分を使って読むという快感がたまらない。
しかし、ケルアックのような昔の「ブルース」も読むごとに毎回違う感動があることにも意味がある。
そこの不思議な間が僕はなにかひっかかるのである。
ジョナス・メカス監督「リトアニア旅の追憶」を見る。
これは非常に不思議な映画である。
彼が日頃映写機で撮っている映像を元にドキュメンタリーのような、自分のためだけの日記のようなゆらゆらで映画は進む。
メカスは、全くもって普通の風景を映像化する。
家族の食事の風景。みんなで海に行ったときのもの、など。
なんてことのない映像を彼は愛着だけで繋いでいく。
これを見たときの僕のはじめの感想はその個人が感じた愛着や喜びを映像化することに成功しているということだ。
ここのところは非常に難しいように思える。
誰しもが反応しやすい一般化しやすい物語というものは存在しないのではないか?
それぞれ個人の感情というものは他とは全く違い、それを表現することがひとの感情も揺れ動かすのではないか?
撮影。今回は浅草、上野周辺。
ここはまた新宿近辺とは趣がかなり違う。東京人風。
あまり僕の好きな雰囲気ではない。
しかし、いいものが幾つか見つかり満足。
そのあと、リトルモアで0円ハウス10冊受け取る。
ヨーロッパの取次が50冊買ってくれたらしい。
これでヨーロッパには出回ることになる。
午後7時からは初台の東京オペラシティーのICCで展覧会のオープニング。
懐かしい面々にも偶然会えて喜ぶ。森美術館の学芸員の金さんに会う。
彼女は0円ハウスを非常に興味を持ってくれた。なんかうまく話が弾まないかな。
さらに群像編集長の石坂さんにも会う。
みんなで近所の居酒屋「こころ」へ。石坂さんと話が弾む。
今度の群像9月号で0円ハウスのことを原さんが書いてくれたらしく、期待している。
今日はまた何かの序章のような匂いがする。
ホウの所にDVDが届いたらしく安心する。今日も引き続きマイルス。
あそうだ忘れていた。伊藤ていじ著「庭」読む。
その中の「枯山水」という章に非常に興味ぶかい話が書かれていた。
南北朝時代、庭造りはなんと河原者の仕事であったそうだ。
河原者というのは賤民のなかでもその当時一番差別されていた層の人達である。
なぜ彼らが担当していたかというと、その当時河原者は(勿論河原で生活をしている者のこと)屠殺が本職であった。
しかし、それだけではなく土木作業員としての一面もあったそうだ。
そんなわけで彼らは庭作りを始める。
そして戦国時代に入ったころにはその技術はすさまじいほどの成長を遂げ、ついには庭師のようになっていった。
日本の庭の歴史にはそんな彼らが差別から立ち向かうために成長していったクリエイティブがある。
しかし、皮肉にも枯山水という手法が江戸時代頃一般にまで浸透していくにしたがって、いわゆるモダニズム化していくにしたがって河原者が去っていった。
そこに残った枯山水は名前だけの創造性が全く無いものと成り下がってしまったそうだ。
その歴史を蘇らせるためにこの話を書かなくてはいけないと伊藤テイジは書いた。
午後撮影。自分の家の周辺、高円寺近辺を歩く。
自分の本職、歩く。今回の庭は全部自分で歩いて探しているのだ。
いわゆる西芳寺の苔庭とかではなくてだ!
今回見つけたのは、アパートの周りに作った庭なのだが、瓜とぬいぐるみが同じ位相でならんでいる庭だ。
こうやって文章にしても何の事か分からないので作品が出来上がるのを待つとしよう。
撮影はうまくいっている。これをアウトプットする場所をきちんと見つけなくては。
まずはフランクフルトのブックフェアーで、海外の出版社に売り込んでみようと思っている。
帰ってきてからは、NHKのドキュメンタリー「ジャズの帝王、マイルス・デイビスの伝説」をまたまた観る。
久々に観てまた鳥肌が立った。
彼は、音楽を手段として表現そのものをしようとしていた。
彼の音楽を聞いていても私は何の風景も見えてこない。
あるのはただの音の世界だけだ。ものそのもの。
なにも想像力を掻き立てない。真空パックの表現。
そのままSPANISH KEY聴きまくる。
昨日の怒涛のフリートークから帰ってきて、この会話の瞬間を記録できないものか?と考えた。
普通、対談というものは録音してきたものを抜粋して文章化していくが、そうではなくてもっと全部を記録する(声質、人の表情、二人の距離・・。)ことはできないものか?
そうなると映像として残すことになるが、撮影を意識する途端にあの不思議な会話の空気は消えてしまう。
でもこのことにはボクが興味をもっている空間の、建築ではないもうひとつの側面をもっていると思っているので、かたちにしたい。
とにかくいろんな人に体当たりでインタビュー(inter view)してみるか!
そろそろ盆休み終わり。
今日は昼ごろから、九十九里浜へ。
翻訳をやってくれた佐藤さんの実家に遊びに行きました。
佐藤さんのお父さんが面白いと話を聞いていたので、ぜひ会ってみたいと思っていたのでした。
実際会うと予想通りの展開が!
おじさんは自分で製薬会社を経営しているのだが、そのやりかたのパワフルなのりに相通じるところを感じ、いろいろ話してみると年は離れているはずだがドンピシャ合っていく。
そのまま、昼から深夜まで話しまくる!
そのままおじさんの書斎に寝かせてもらう。
朝方、起きて書斎にならんでいた糸井重里著「インターネット的」という本を勝手に読む。
これが面白かった。インターネットではなく、インターネット的な発想という本なのだが、彼はボクが今想像していることを随分前から分かっていてホームページをやっていたのかとショックを受けた。
しかも、インターネット的な感覚をきちんと文章に具現化している(当たり前か・・。)。
すごいと思いました。
午後一時から新宿でAERAの取材で朴さんと待ち合わせ。
そのまま総武線、日比谷線乗り継いで南千住へ。久しぶりの隅田川。
家たちがどうなっているのか少々不安げに向かう。
一番会いたかったのはソーラーバッテリーの家だったが、その家はもう無く、住人は福祉にお世話になっているという。
しかしだしかし!!彼の残した業績は大きい!!!
ソーラーバッテリーを使用して電気を供給している家が他に2軒も増えていたのだ。
これは驚くべきことだ。
しかも、彼らはそれらを1万円程で購入しているらしい。
朴さんもびっくり興奮気味でインタビューを試みる。
非常に充実したインタビューができこちらとしては安心安心。
帰りは朴さんと熱く話が盛り上がる。
その途中の道で次のテーマである「庭」も見つける。
しかし、ちょうど電話が鳴る。
曾祖母が死去した。享年95歳。大往生。
9月の頭に実家に帰る。
伊藤氏がargos festival用のDVDを制作してくれたので取りにいく。
仕上がりはばっちり。そのままパリのホウに送付する。
彼はまだこの映像を見ていないのでどうゆう反応が来るのか?期待しよう。
作業後、下北沢のもみじ亭で広島風お好み焼き食べる。
久しぶりだったが旨いよ!
午後から新大久保、百人町で撮影。
今日はかなりの収穫。
場所場所で庭園の姿が変化するのには何か意味がありそうだが・・。
8時から出版の打ち上げで中華料理屋へ。孫さんも来てくれる。
これからの出版の事情など話し、どうしていこうかと少し止まって考える。
そのためにも今度のフランクフルトは重要な行動だ。
ここでうまくやれば日本だけでない流通の可能性もでてくる。
しかし、出版は以前非常に厳しい。
やるだけやらねばと思いつつも、どうすればいいのかとも思う。
せっかくヨーロッパに行くので、ちょうど写真月間にあたるパリでも展覧会がやれればとも思うのでホウに相談しなきゃ。
そのまえに庭のほうも一冊本を製作して持っていく予定。
アサヒカメラからリアクションが来て、大竹昭子さんが面白がってくれているらしい。
庭論の参考文献を漁る。
庭園は人間の永遠のテーマであったようだ。
紀元前のバビロンの庭、イタリア北部のイビザ島の階段状の庭園。
インドの日時計庭園。ボロッツァの森。バベルの塔。
それは昔から様々な作家たちによって憧れとともに描かれてきた。
しかし、私としては今回はそれを現代の具体的な庭を通して表現していきたい。
昔を思い描くのではなくて・・。
午後は井の頭公園をあるく。周辺の料理屋で、久しぶりに家族大集合。
中野で撮影。今日は弟から教えてもらっていた凄い庭を撮る。
行ってみると前に見た事がある庭だった。
これはやっぱりすごい。空中楼閣のようだ。
その後も中野を歩き回ると、出てくる出てくる。
ここら辺は狭い区画に家が立ち並んでいるので、皆狭いスペースの中で少しでも充実しようと思っているのだろう。植物を植えまくっている。
やはり、土地土地で似たような傾向があるのは不思議である。
もっとたくさん調べると何か分かるかもしれない。
実家から母來京。親父と母と久しぶりに一緒に食事。
伊藤ていじ「日本の庭」、今度借りよう。澁澤龍彦の「黄金時代」も。
多摩川の0円ハウスにインタビューをしようと思っていたので、全く居ないのでどうしようか?
今度は隅田川に行こう。
0円ハウスは常に動いている。常に変化している。
午後1時より炎天下なのに多摩川歩く。
以前に撮影した家のその後を調べるためだ。
なんとボクが撮影してきた家たちはほとんどが撤去されてしまっていた。
撤去されてない人に聞いてみると、多摩川の地下に今後トンネルが(!)通るらしく、羽田空港も国際空港になるので、水中トンネルを作ろうとしているらしい。
それで来年ごろには羽田空港付近の0円ハウスは全て撤去されそうなのだ。
前にいた人はまた違う場所で生活をしているらしい。
僕の写真集をみせると、当時を懐かしがっていた。
しかし、どうしたらよいのだろうか。
何もない緑一面の多摩川をひたすら歩いた。
午後二時よりリトルモアでAERAのインタビュー。
朴さんというフリーの方が聞き手。
非常に建築に興味をもっているらしく、話しは弾む。
今回は0円ハウスを発端にして建築の新しいあり方の提案に発展させるような紙面にするとのことで、石山氏にもインタビューするらしい。
面白くなりそうだ。
澁澤龍彦の庭園についての文章を読む。
庭園にたいする重要な視点をもっている。参考になりそうだ。
秋になると、植物も変わってくるので8月いっぱいが勝負と思っている。
庭園についての文章も書いていこうと考えている。
朝から浜松町に行き、フェリー乗り場へ。
今日は夢の島探検。
都に電話をするとクルーザーに乗って、東京湾を一周して埋立地を観覧するというツアーが無料である。
それを知って参加してみた。
まずは東京湾クルージング、午後からは埋立地の中をバスで散策ツアー。
これで無料であるとはなんとも充実してます。
よくわかったのは僕がイメージしていた夢の島、粗大ゴミが散乱しているような風景はもう見れません。
それは僕全く知りませんでした。
今は中間に粉砕施設があり、こなごなに粉砕した後に土を被せて埋め立てしていきます。
しかも夢の島と言うのは過去の埋立地の名前で、今はそこは熱帯植物園になっています。
現在は新埋立地に埋められており、さらにそこも満杯状態で次のブロックに移動中とのこと。
これからの僕の建築のテーマとしては「ゴミ」と「アウトサイダー建築家」なのでしっかり東京のゴミ事情が知れてよい体験でした。
しかも今は東京ではかなりの割合でリサイクルされており、後は私たちが分別しなかったりしたものがリサイクルできないだけのようでした。
さらに建築廃材はかなり深刻な問題で東京のゴミの中でも一際目立ってました。
理由はUり分けしにくいためです。
なんか今日はすごいゴミの量をみて興奮しよう!といきこんでたのですが、社会科見学みたいに勉強させられた一日でしたとさ。
今日は午前中から撮影。
新宿から歩き始め、大久保、高田馬場、早稲田、九段下、飯田橋まで行く。
庭を撮っているのだがあることあること!
やはり狭い空間の連続である新宿のようなところのほうが面白い庭が多い!
夜は文章に専念。
ちょっと詰まったので岐阜の相談役林さんに電話。
するといきなり彼はチャールズ・ブコウスキーの事を挙げ、彼の小説は物語ではなくて、場面の描写だけに集中しているというようなことを話す。
そして、僕のことについても「0円ハウス」という本だけでは表現しきれないのではないか?それを作る過程、売り込みにヨーロッパに行く過程をも含めての僕の表現ではないのかと言うようなことを話す。
その場面そのものを表現として出す。
きましたきました。そうこなくっちゃ!
なるほど、自分の行動、目に見えない思考の動きをも絡ませ、さらに多層的な表現にしていく・・。
今日の会話は乗ってた!会話は自分の頭の中で曇っていたものが晴れる瞬間がある。
なんかまた違う方向のアイデアも見えてきましたぞ。
横浜のみなとみらいに行く。
大花火大会。
ここの花火は初めて見に行ったのだが、打ち上げする人それぞれの手法が変化に富んでいて、飽きずに大満足。
いままでの花火は、最後に白熱灯のような色の巨大な枝垂れ花火で終わることが多い。
今回は、異常に色に対して執着心を燃やしている職人や、キャラクター(ドラえもん、アンパンマン、キティ)を表現することにだけ集中している職人。
などキワモノと思われるようなものを主軸にもってきて(さらに毛虫など)いて勝負しているなと感心しながら見ていた。
一瞬だけ巨大なビックバンのように光るものが私は気になった。
枝垂れ花火がこちらに向かって落ちてきているように感じるとき、平面が立体に空中で変化しているといつも興奮してしまう。
まあ単純に花火が好きといえばそうゆうことであるけど。