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Journal -坂口恭平の毎日-

2004年11月26(金)日

デビットホックニーの版画集。またまたホックニー見ている。
今回は全部版画、彼はやっぱり黒一色のエッチングが最高だ。
油絵だけでなく、本の挿絵に使われるような小さな版画にも同じくらい探求している。
それでいて入り込みすぎず、メッセージ強すぎず、するりと抜けていて、見ているだけでいい。
考えなくていい。

2004年11月25(木)日

0円ハウスを実際に建てることができるかを今雑誌用に考えているところであるが、なかなかこの牙城は崩せずじまい。
素人でも家を建てる可能性というのはある。問題は土地だ。
東京では土地がない。空き地がない。
そんな中で今注目しているのが家庭菜園。
これは15平方メートルぐらいの敷地を一万円もしない値段で二年間借りれる。
そこの半分を家にして、残りを菜園にするとか考えているのだが。
今は難しいだろう。でも可能性はある。
もっと人が家について思いを馳せれるようにならないものか?

2004年11月24(水)日

駿氏の本のなかに縄文の話が結構載ってて、そのまま藤森栄一の「古道」を読む。
この人はよく知らなかったけど、いわゆる学者タイプの考古学者ではなく、在野の人だったようだ。
奥さんと妹さんなんかと一緒に掘っていたそうだ。
この人は本当に考古学が好きで、学問を超えたところでやっている。その姿勢がいいのだ。
そのために、縄文期の話なんかはとても創造に溢れ、しかもそれがフィールドワークに裏打ちされていて、田舎の職人さんに似ている。
彼は史跡というよりは道を追っていて、そのようなオリジナリティ溢れる追求は、子供時代からの延長がなせる技だと思い、私ももっとがんばらなと思った。

2004年11月23(火)日

ロイド・カーンからのインタビューが帰ってきたらしく、けい君のところに行く。
フラーについてちょっと興味深い返答が返ってきていた。
さらに僕の記事についてまとめ。細かく詰めている。
なかなか僕にはできない作業。勉強になります。
ようやく形が見えてきた。

2004年11月22(月)日

宮崎駿氏の著作集「出発点」読む。
修行時代からの様子が克明に書かれている。
氏は機械は好きだが、壊れないようなピカピカの機械が好きなのではなくて、すぐに壊れてしまうような、でも修理すると持ちこたえて期待以上の動きをするようなものがいいという。
しかも、それが作品に表現されている。
これはすごいことだ。
僕も街の建物について似たような思いを抱く。
そんな完璧にデザインされたものなどではなく、もっと自分なりに考えて、工夫されたような家が並ぶような街。
そこにはある動きが生まれると思う。
勝手にシンクロさせて考えてみた。

2004年11月21(日)日

日記をだいぶ休んでしまった。二週間も。
たまにはこうゆう時もくるもんだ。でもまた書こう。

今日はうらわ美術館にフルクサス展を見に行く。
うらわ美術館は「本」をテーマに掘り下げて展示をしている珍しく、重要な美術館だ。
フルクサスとネオダダというアメリカと日本の二代前衛芸術運動には学生時代私はとてつもなく入り込んだ。いつの日か抜けていったが・・。
今回の展示はものすごい量の作品が収集されてあって、全部見るのに3時間ぐらいかかった。
それで630円。いいねえ。
特にボクが気になったのは、フルクサスの主唱者であった、マチューナスという人物。
かれは商業デザインをして生計を立てながら、 そこでの稼ぎを全部フルクサスの活動に捧げた。 彼は芸術作品を作るというのではなく、それらの作品のカタログ、紹介、フライヤーなど「媒体」を作り続けた。 彼は凄くピュアだったのだろう。
そのために彼が作るカタログはすばらしいものだったが、工期は遅れ、アーティスト達は苛立ちを隠せなかったのではないか。
そのうちに他の手際のよいものたちがフルクサスを編集しはじめ、彼は嫉妬し、内部分裂を引き起こしていく。
しかし、遅れながらの彼の作品はどれもすばらしいものだった。
そこに1つの表現の鉄則を感じる。自分にとっても勉強になる。

NHKトップランナーでは、リップスライムが登場。
そのインタビューを見る。面白い。
脱力しながらエネルギーを集中していっている。
日本語ラップとかそうゆうのじゃなくなってきている。
おじいちゃんが便所に平家物語の序文を書いていて、それが気持ちよかったらしい。

2004年11月8(月)日

ロイドカーンさんに送る用の質問をケイ君に渡す。
カーンさんは60年代にホールアースカタログの編集に携わり70年に入ってからは「シェルター」という世界各国の小屋を集めた図版集を作ったひとだ。
今現在もシェルター出版社を運営し、年に数冊出版してそうだ。
今回はスペクテイターの紙上でインタビューが出来ることになった。
やはりカーンさんたちの編集や生活の考え方には19、20歳の時、衝撃を覚えた。
0円ハウスをどう見るのか興味がある。
僕として一番興味がある点は、それまでフラーの思想に傾倒していた彼が、その後ある限界に気づきその時に小屋に向かっていったところだ。
小屋という一見するとノスタルジーだけのようなものになりそうなものにどうゆう感覚で迫っていったのか聞いてみたい。
先日の吉阪隆正についての話に寄ってきている。

2004年11月7(日)日

鎌倉散歩。
今日は鎌倉近代美術館に「ジャン・プルーべ展」見に行く。
家具や模型、写真などてんこ盛りで大満足。
プルーべの家具にも最近僕がなんとなく感じていることが含まれていて非常に興味深かった。
それは何だとはなかなかまだ説明できないが、彼の作品もデザインとはまた違うものだった。
それよりペンキの塗り具合、溶接部分のちょと不器用な点、スチールパイプの折り曲げ部分の皺とか。
コルビジェのユニテを見たときもそうである。
今和次郎のモデルノロジオの吉田謙吉が書いているスケッチもそうだ。
笑える部分がある。最後の最後にぽっと抜ける穴があるのだ。

夜、テレビで栗原はるみさんの特集があった。
料理研究家で主婦に絶大な支持をうけているあの人だ。
この特集はかなりよかった。
そして彼女がすこし、イームズに見えた。
自分の身の回りの生活品、料理、人が一番重要だということ。
それを彼女は誰にもわかりやすいように表現している。
誰にもわかる言葉で、料理で。
彼女の言葉で
「料理は音楽と一緒である。」
というところがすごく気にかかった。
すごくこの人はわかっているなぁ。

2004年11月4(木)日

吉阪隆正「住居学汎論」。
彼の処女作であり、異例の本である。
建築家である前の住居学者であり、今和次郎の下で勉強をしていた時の作品。
コルビジェに学ぶ前である。
ここには住居をデザインの視点からではなく、なんというか人間学のような視点で描いている。
時折はいっている図版のセンスもズバ抜けている。
そこにでてくる震災後に残った納屋を改築して出来た自邸と終戦後の本棚を並べて壁にして、屋根をかけただけの書斎の写真。
これが彼の元になっているのだろう。
それだから他の建築家とは全然違う進み方をしたのだろう。
その後、彼はフランスに留学し、予定に入れていなかったがコルビジェの所で学ぶことになり、帰国後建築家として活躍する。
それは洗練されたデザインではなく、あの二つのバラックのような自宅が元になっているようにみえる。
そしてそれは懐かしい。
しかしその懐かしさは、昔を思い出すようなものではなく、実在しない自分のなかにある風景を思い起こすものだ。

2004年11月3(水)日

ケイ君とスペクテイター打ち合わせ。
もう期限がせまっているようで・・。
来週までにスケッチと文章を仕上げると約束。
ちょっと他とは違うように書きたいので考えるがなかなかまとまらず。
今までの自分が追いかけてきた建築等も絡ませていけると非常にいいものができるような気がするが。
ケルアック読む。読んでいると気持ちいい。

2004年11月2(火)日

ジャック・ケルアックの「DHARUMA BUM」購入。
原文で読んでみるという荒業 試みる。
朴さんから、AERA用の原稿届く。結構面白いページになるのでは。

2004年11月1(月)日

今度、もう一回ドラム缶の家「河合健二邸」に行こうと。
次に出す立体の第一回目に登場してもらうためだ。
何回も出すといってナカナカ出せませんが・・。今年中には絶対出す。
ドラムカンの家はいつ見てもいい。
これをどう形容してよいかいつもよくわからなくなるが。
見ると、鉄なんだけど、古い木造の建築みたいで。
懐かしいんだけど、それは今の今まで見たことのない住宅ではあるわけで。
だけど、なんか「間違いない!」とはっきり言えるものなのです。
これをぜひ僕は立体の一号めに持ってきたい。
やっぱりこうゆうものこそが家だ。

0円ハウス -Kyohei Sakaguchi-