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Journal -坂口恭平の毎日-

2005年2月28日(月)

昼過ぎまで睡眠。午後4時に巣鴨に向かう。今日はロンドンの出版社PHAIDONの取締役ロバートさんと会う。ドラム缶の家の写真集に興味を持ってくれていて、しかも運が良すぎる事に来週、本社の会長にプレゼンするのだそうだ。作品の印刷を送ると約束。ここでそれが出版されたら大変なことだ。しかし、まだ何となくだが予感する。人間は思い込みがすべてである。ドラム缶の家の写真集に対するロバートの目が気になった。これは面白い事になる。
ここ最近はようやく僕も波が乗ってきている。ずっとサーフィンしているようだ。海に落ちないようにバランスを取る。この時期、これが一番重要だ。ただ今確実に次のステージに向かっている。その世界はどんな姿をしているのか、僕はワクワクしている。高円寺3rdプラネットでビール。

2005年2月27日(日)

昼一でクミちゃんに髪を切ってもらいに六本木にいく。美容室って本当にきもちいい。DJのレコード聞いてるみたい。
その後、菅ちゃんの家に言ってウイスキー飲みながらジェイムズブラウンのビデオを見る。初めて見た。これヤバいよ。ダンスには意味がある。ダンスは太古からある、人間が創造したコミュニケーション手段なんだなと直感してしまう。ハワイから帰って来たらバンドも活動開始する。
その後、新大久保韓国料理屋「かぼちゃ」で打ち上げ。カラオケでウルフルズ「ええねん」歌う。あれはいい歌だ。グルーヴがあるんです。

2005年2月26日(土)

バイトが終って深夜、大学の同級生Uと、音楽エンジニアのツカダさんと高円寺で待ちあわせ。ツカダさんには以前、僕が作った音楽を渡していて凄く気に入ってくれて会って話しをいつかしたいとお互いで言っていた。今日が初顔合わせ。そのまま居酒屋「イワン」へ。入った途端わかった、ここはヤバい。ツカダさんとの会話もいきなり最初からヒートアップ。僕の聞き方とシンクロしている。途中で東京FMのカジさんも混じってくる。 イワンのマスター、カンさん、そして陽子サンとも話しは絡み合い。飯はうまいし、バックではカエターノベローゾかかっているし、いいよいいよ。そのあとツカダサンと二人で2軒目。隣りの客が取り出した音楽はジミースミス。おいおいみんなおもしろいねえ。そこのバーでもツカダさんとの話しは止まらず。僕の2ndアルバムは協力してくれるといってくれた。そしてきちんと売ろうとふたりで語る。 彼は0円ハウスも買ってくれていて、しかも、スゴイいい事を言ってくれた。写真と絵と音楽と、更には一人で宅録している時の音楽と、バンドでやっている踊る音楽、など僕の中では統一しているが、他の人がみたら分裂しているようにしか見られない所を判ってくれた。これには救われた。もっと僕はやっていこう。
最後は一蔵の塩ラーメンで締める。

2005年2月25日(金)

夜、ししょうが訪ねてくる。熊本の同郷の友人。久しぶりに色々語る。尺八演奏者も連れてきてた。ししょうも色んなアイデアがあるらしくそれを今実現しようといるらしく、同じ世代の人間でちゃんとやろうとしている人をみると、嬉しくなるし、こっちも負けずにもっともっとエンジン全開で行かなくてはと思う。やっている人はやる。その中でも一生やってくれる人はなかなかいないけれど。一生とにかく一人で作り続けると決めるとなかなかイイものである。
決めればいいのである。勿論、最後はお好み焼きや「最後の2ドル」で締める。

2005年2月24日(木)

今日は非常に重要な日。カナダ、バンクーバー市立美術館のシニア・キュレーター、ブルースが高円寺に来る。一時に待ちあわせて、環七横のギャラリーがランデブーの場所。
僕は一つ一つ説明した。英語で!ブルースは本当に喜んで聞いてくれる。2時間喋り続ける。ブルースも鳴ってくる。乗ってくる。あと30分喋りたかったが、ブルースの時間がなく解散。プレゼンは完璧だった。後は運に任せる。個展ができたら本当に面白い事になるでしょう。数年後にブルースは建築の展覧会を企画しているらしく、そこでも協力して欲しいと言ってきた。これは面白くなってきました。この出会いを連れてきたキュレーターの原さんに感謝。

2005年2月23日(水)

午前中神保町の小学館本社へ。児童編集長の桑原さんと会う。僕の作品を1ページ1ページ熱心に見てくれる。スゴイ興味を持ってくれているみたいで、質問が飛び交う。僕もその一つ一つに答える。1時間半喋りっぱなしだった。今度はなんと僕は絵本のようなものを出そうとしている。そのアイデアに興味はもってくれた。しかし、僕が持っていったのが量が多過ぎて困っていた。もう少し短いものを今度持ってくる事を約束して別れる。 来月までにもう一つ書くことを決めた。
そのまま近くの白水社へ。この出版社はアフリカの印象を出している所。編集長の及川さんと会う。挿絵を書きたいといったが、それより0円ハウスに興味を持ってくれてその本を長く見てた。それはそれでうれしいが。ここではまだちょっとというかんじ。次は「ロクス・ソルス」というレーモン・ルーセルのアフリカの印象の兄弟的存在の本の挿絵を描いて持っていく事を決める。
疲れたので焼酎飲んでそのまま寝てた。

2005年2月22日(火)

昨日から完全にスイッチオンなので寝ずにジルベルトジル聞きながら、午前中で庭の本をまとめる。今週のバンクーバー美術館のプレゼンに間に合いそうだ。今週は何かが起こる。そんな予感がする。というかもう実感している。すべてうまく行く。心配するな。ただ自分は作ればいい。それが判ってきた。でもこうゆう時はホントに寝なくなるのでそれをコントロールするのが難しい。しかし、それはコントロール次第で凄い力を発揮する。 創造力の持続時間が長くなってきた。

2005年2月21日(月)

朝はI田の同居人がご飯を作ってくれた。ごちそうさま。ひじきご飯。肉サツマイモ。とか色々。うまい。そのまま四谷からふらふら歩きながら帰る。
その途中にアイデアをひらめき段ボールを拾って家に帰ってくる。そして途中になっていた、アフリカの印象のスケッチを箱まで作って完成させる。
昨日群像編集長石坂さんと話していて、これは僕はもっと何でも作って色んな所で本を実現していかなくてはと実感したからだ。これからはどんどん行く。人が止めてもドンドン行く。人が馬鹿にシテも、無理だと言われてもドンドン行く。押し出し。写真家でもない、建築家でもない、音楽家でもない。でもそれがどうしたよ。じゃああんたは何者?そこが最近完全に吹っ切れた。石坂サンにも言われた。この前飲んだときより吹っ切れたなと。
ちょっと新しい自分が現れてきている。武者震いしてる。

2005年2月20日(日)

昼過ぎに護国寺の講談社へ。今日はコブケ君との群像企画当日。玄関で村上サン待っててくれる。二つの部屋が用意されていてそれぞれ部屋に別れて絵を描きあうようだ。まだ様子が掴めない。でもまあいいか。向こうの部屋でコブケ君が書き始めたようだ。僕はマイルスのライブ盤を聞いて待っている。巻き寿司の差し入れも入る。頂きます。コブケ君から絵が出来上がる。いつものノリの絵だ。さあこっちはなんにも考えてないので少し困る。 でもほんの少しだった。僕はそれに対してマンガのコマをかいてストーリーを作りその中の一コマとして彼の絵を入れる事に勝手に決定した。とにかく2ページ分書いて村上サンに渡す。村上サン失笑。まあいいか。それに続いてまたまたコブケ節の絵が返ってくる。こうなったらマンガで通しましょう!そんなこんなで4時間位お互いで書きあう。こんな自由な仕事だったらいつでもしたいです。その後は群像編集長石坂さんも交えて対談。 はじめの方はお互いのってこなかったけど、徐々にいい会話が始まって僕も乗ってきた。
打ち上げは四谷の韓国料理屋。プルコギ5人前注文。うまい。うまい。他の人はバイクだったので僕だけ飲む。食べる。ごちそうさまでした。これは結構面白い企画になればと思う。10時半頃別れる。しかし、勿論僕は飲み足らず、一応I田にTEL。「今から来れば」と一言。四谷の家に直行。同居人の皆と話し、朝方寝る。

2005年2月19日(土)

夕方からフランス人のセバスチャンと会う。彼はフランスで哲学と建築を勉強していたらしく、今は東工大で留学生をしている。先日、いきなり僕のところへ電話してきた。0円ハウスを見て気に入ったから会いたい!といってきたのでいきなりそんなに言われてもどうしようもないとおもったけど、セバの勢いに押されあうことになった。高円寺4丁目カフェであう。
話してみると、彼は非常に面白いことが判明して、話は盛り上がり、ついでに僕の家に招いて、送られてきている博多明太子を使ってまたパスタ作って、食べさせ、ワインも少々、ついでに銭湯まで入って、彼は家に泊まって帰っていった。
また面白い人間が現れたもんだ。

2005年2月18日(金)

昼頃、岐阜の友人から電話があり、出版社に持っていった写真集のリアクションが返ってきたらしく、興味を持っているそうだ。まだ現実的には進んでいないようだが脈ありとの事。彼の写真集の編集をボクは担当しているので、これは非常に嬉しい事。うまくいけばよいが・・。近くの人間が同じような場所でやっているのはとても面白い。しかし、あの当時二人とも写真なんか全く知らないで、ボブ・デュランばっかり聴いていたのに、不思議なもんである。

2005年2月17日(木)

昼間、庭の写真を本にまとめる。第一部はこれぐらいでよいとする。次はもうちょっと深く一件ごとの調査に入る。
作家のI君が訪ねてくる。新しい作品も持ってきていた。今日は実家から博多の明太子が送られてきたので、近所のリサイクルショップのおばちゃんに少し分けて、残りでメンタイパスタを作った。ワインも2本購入。久々に会い、話しも盛り上がる。しかし、飲み過ぎた。
I君帰って、早朝彼の小説を読む。また変化しているようだ。

2005年2月16日(水)

メールがいろいろ入っている。懐かしい人からも入っていた。
キュレーターのHさんから、カナダのバンクーバー美術館での展覧会をしないかとの連絡。プレゼン次第では個展も可能だそうだ。ブルッセルのリベンジと思うと燃えてきた。ココ最近美術館での発表はどうかなと思っていたのだが、個展なら話しは別だ。俄然やる気が出る。2006年の春予定らしい。よし一丁やったります。来週カナダ人キュレーターにあって話す約束を交わす。なんかココ最近やっぱりなにか蠢いてきたな。他の仕事もどんどん続けよう。こうなったら。

2005年2月15日(火)

マイルスデイヴィス「SPANISH KEY」聴いている。そのまま寝たのだが、朝4時46分。いきなり家が揺れる。この揺れ方は半端じゃない。とうとうきたかと思った。熟睡していたが、一瞬で起きて、裸足で家の外に出た。他の人も出て来ている。周りを見るとこのアパートの人しか出てきていない。杉並区は震度4だった。5弱で潰れたな、と思った。

2005年2月14日(月)

アフリカの印象の挿絵、100枚仕上がる。誰から注文されているわけではないので、どこにも行きようがないが・・これを元に一冊の本を作って、今度は絵本などの出版社にも顔を出してみようと思っている。またまた分裂してきている。まあいいか。
庭のプリントが出来上がったので取りにいく。仕上がりは上々。でもまだ足りない。これからは、写真だけでなくスケッチに取りかかる。家で写真並べながらあーだこーだする。レイアウト決まる。
古本屋でキリコの絵立ち読み。買いたくなるような画集がない。もうちょっと見つけよう。

2005年2月13日(日)

昼から日記更新。1週間に一度の更新でいいリズムできている。富士川食堂で昼飯。近所の古本屋で吉田謙吉「考現学の誕生」を見つけたので1000円で購入。考現学は今和次郎が創設者ではあるが、謙吉の存在は切っても切れない。彼がいなかったら、ここまで広がりのある学問として成長しなかっただろう。
菅ちゃんからTELメンバーを色々考えてくれている。こっちもやらなくては。
その後、今日は布団の中で読書。寝る。

2005年2月12日(土)

ライブ当日。代官山マンゴスチンカフェにて。
今回は初めて会うDJが多い。日本語ラップの曲にビックリ。近田春夫しのバンドらしい。
僕のライブはチューニングが狂ってしまい、驚いたが、なんかエレキギターとベースの絡みには今までやった事のないような音が出てたのでOK。だけどこれからはビックバンドなんだ。
TOMMYのテリーライリーとジョンケイルのセッションはいつ聴いてもいいもんだ。

2005年2月11日(金)

弟と練習。ついでに持ってきてくれたCDを聴く。そのフェラクテぃが他のとは違うのりだったのでサンプリングしてみる。
カエターノの「テーハ」が入っているアルバムも秀逸。朝まで。
謎のフランス人から電話。言っている事はよく分からないが、要は会って話したいらしい。来週高円寺に来てもらう事にしよう。しかし、いきなり電話して本見たから会おう!とはラテン系の人間は不思議だ。だけどその勢いに感心した。そうやって人間は色んなひとと話すといいのにな。そこには遠慮はいらない。

2005年2月10日(木)

昼過ぎ神楽坂で翻訳の佐藤さんと会う。おばちゃんも一緒だ。「くるみ」でお好み焼食べたかったが、ランチタイム過ぎていて閉まっている。残念。
その近くのそば屋さんへ。ビール、おでん、カツ丼ごちそうになる。
4時間程喋りまくる。
僕だけそのまま新大久保へ。RとFUとNOVと会う。韓国料理屋「カボチャ」へ。ここも行きつけになりそうだ。
自慢のチジミ、そして今回は「豚の3段バラ鉄板焼き」に挑戦。馬すぎ。
その鉄板焼きは食べ終わったら、ご飯を注文してキムチと玉子入れて炒飯を作る。鍋のあとの雑炊みたいな感じだ。これがまた美味い。ビールはもちろん200円。
12時に家に帰りビデオが見たくなったのでデビットリンチの「マルホランドドライブ」借りて帰る。リンチらしい映画。僕はそれだけでも満足。

2005年2月9日(水)

夜、終電でドラムの菅チャンが僕の家に駆けつける。また新しいバンドを結成しようとしている。今度はちょっとおおきなビックバンドのようにしたいと構想中。フェラクティを聴きながら話す。
菅田君は僕の話しを聞くと頷いてくれてその他メンバーを二人で色々考える。だいたい10人位。女性コーラスも入れたいね。
ちょっとこれは面白くなりそうだ。
SHUGGIE OTIS 菅チャン聞いてはまり、借りていった。

2005年2月8日(火)

今日、バイト先の女の子が0円ハウスを買ってくれていたらしく、本を持ってきていた。ありがとうございます。
その森本哲朗氏の親戚の子は、僕の本をみてなにか冒険をしているようだと言っていた。
0円ハウスを資料集としてだけでなく、冒険紀行としても見られたというのはとても興味深い。
今日はいくつか今まで置いてあったアイデアがいくつかまた吹き出してきた。

2005年2月7日(月)

写真現像出来上がりを見る。だいぶいいものが集まってきた。
キリコの絵が気になる。
自分もスケッチしてみる。

2005年2月6日(日)

起きて近所のネットが使える喫茶店でビールと日記更新。昼、隣人の豊ちゃんと焼きそば作って食べる。夜は弟と今度のライブの練習。
DVD:FEMI KUTI LIVE
BGM: HERBIE HANKOCK  FAT MAMA
森達也氏の「A」読み切る。この本はオウム真理教の広報副部長荒木氏を中心にしたオウムのドキュメンタリー映画のメイキングブックのようなもの。忠実にドキュメンタリーを作っていくものとテレビなどのマスメディアとのズレをよく捉えていて、勉強になる。

2005年2月5日(土)

中野の中華料理屋「百洞」で麻婆豆腐。ここは本当の中国みたいだ。要するに適当。日本の店とは一味違ってリラックスできる。だから日本という場所が悪いわけではない。店員が悪いんだ。もっと適当にしてほしい。
寝る前に三谷幸喜作「みんなのいえ」のビデオを借りる。笑って寝る。
僕の貸家が、老朽化に伴って壊される事になった。最近地震が多くて、ジャマイカのゲットーのようなこのアパートをさすがの大家さんもビビったのか?

2005年2月4日(金)

弟の家でジョンコルトレーンの「Mr KNIGHT」という曲を聴く。イントロが凄過ぎて、思わず電話する。
アルバムのタイトルは「BLUES」。大竹伸朗氏の絵本「ジャリおじさん」では、ジャリおじさんは美味しい食べ物を沢山くれるという青い王様に会いにいこうとするが、ジャリおじさんは王様を通り過ぎてしまい、結局は行き止まりの青い海に到着する。海でシーフードを彼は沢山食べる。
コルトレーンのBLUESにそれを感じた。

2005年2月3日(木)

朝から目黒で撮影。今日は大物が一件見つかる。
東京の自分の歩いた痕跡を地図に残す事をふと思う。
ウォーカー・エヴァンズという写真家がいる。彼は戦前のアメリカの貧民街などの写真の記録を残した人だが、彼は政府の政策の一環として写真活動をしていた。表面上は。しかし、彼は実際はやはり表現としての写真をとっていて、そこのズレがココ最近の僕の考えている事に引っ掛かってくる。
彼の作品の中でフロリダを撮ったものを今日見た。アメリカのリゾート地を、まるでアフリカのどこかのように撮っている。僕は驚いた。

2005年2月2日(水)

「ユリイカ」を初めて見た。これは昨日言ってた事とシンクロしている。
まるでジャジュカじゃあないか。話しの筋は、九州を舞台に起こった一つの事件を元に展開していく人間模様をドキュメンタリー風に追っている。そこに、セピア色ではない色。懐かしさとはまた違う感覚を呼び起こす。映像はそれだけで独立して、直感に訴える。

2005年2月1日(火)

WATER MARCHの曲を聴きながら、ポルトガル語を日本語に置き換えている。といっても翻訳をしているわけではなく、ただ音を聞いてその音に似た日本語を見つけて照らし合わせている。
・東京の街の中でのフィールドレコーディング。
ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズが死ぬ前に作ったレコードで「ジャジュカ」というものがある。僕は5年位前に、熊本のよく行ってたレコード屋で3000円で売っていたのでビックリして買った。これはモロッコのベルベル人達が祭りの時に演奏する民族音楽を録音したものを、イギリスに帰って彼自身でさらに処理を施して仕上げた、只のフィールド・レコーディングとはいえない不思議なレコードだ。今は友人の家にある。
その後、僕はモロッコから帰って来た日本人と出会い、しかも彼は沖縄三線を使い、ベルベル音楽を弾き(ベルベルの楽器も構造は沖縄三線と同じ)、しかも、友人のベルベル人まで日本に連れて来た。
それはどうでもいいのだが僕はこのレコードにドキュメンタリーとそれを越えていく何かを感じているのである。それを次作るものでなんとかしようとしているのだが、それはなかなか難しい。

0円ハウス -Kyohei Sakaguchi-