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Journal -坂口恭平の毎日-

2005年6月30日(木)

島忠でハーブ購入。ペパーミントとバジル。かわいくなったな。部屋も片付いてきた。部屋の掃除以外に余念なしの様子ですなこれは。

2005年6月29日(水)

京都精華大学講演会用にプロフィールを作成。幼少期からの正確な情報を送る。担当の須川さんに伝われば万事オッケーと思って出したら、やっぱりそうで須川さんが上手にまとめてくれた。大学の講師だもんね。まあとにかくこれはがんばるよ!

2005年6月28日(火)

岐阜から林さん来京。新居に泊まる。岩ちゃんも遊びに来て、みんなでハンサム食堂へ。熱いトークが灼熱となり、火花が飛んでしまい、僕も止められず。あーやりすぎた。といってももう遅い。寝る前は林さんとクールダウン。

2005年6月27日(月)

西荻の風呂や、玉の湯は凄い。まだ残っているんだね。自宅の風呂が壊れていて、いきなり銭湯。
フランスから滝田さんがメールをくれる。今度のフランスの雑誌は国立風景学校というところが発行している、雑誌で、ディレクターがジャン・クリストフ・ビリーというひとで著名な哲学者らしい。その人が気に入ってくれたみたいで、雑誌に10ページほど載せたいと言ってきた。しかも、ギャラもきちんと払うつもりらしい。これは、またうれしい。滝田さんに感謝。
NYで会った、トモから電話。近いうちに遊びに行くと約束。
リトルモアに行く。最近の近況を話し、さらに営業について意見を提出。今度の京都精華大学を絡めて関西ツアーにしたいというアイデアを出す。大阪、三重、神戸。さらに関連して東京でもスライドショーをしたいと。
そのあと、わいわい話してたら孫社長登場。そして、僕がホテルを作りたいという話をすると、興味津々。さらに何かアイデアがあるらしく、密談。ふむふむ。次は本物の建築をやろうではないですか!!

2005年6月26日(日)

西荻のピザ屋が美味しくて、食べていると、熊本弁が聞こえてきて、単純に反応してしまい、熊本話。しかも、高校も一緒で、彼は上智で教えているという。専攻は西洋美術史。しかも、ピカソ。

2005年6月25日(土)

引越し当日。真と亮太と親父とノブが手伝い。感謝。
一日で終了。いよいよ新しい場所。みんな気に入っているみたいだ。

2005年6月24日(金)

原宿ラフォーレのプライベートパーティーでライブ。お客さんはすんごい数集まっている。僕たちはなぜか浴衣を着せられている。それを見た、マーりーンが浴衣に魅せられている。浴衣欲しいの?うーんちょっと待って。
ライブは即興JPOPのようなものに仕上がり、良かったのかな。でも、しっかりギャラまで頂き、大満足。ケイチャンも見にきてくれて、スペクテイターのデザイナーの峯ちゃんとも会う。毎回、僕は面倒かけているので挨拶する。僕の作品を気に入ってくれているみたいで話はもりあがる。
そのまま、まったり。そのあとオジヤをやっている店でオジヤ。
そのあと、代官山のUNITでHIFANAのライブがあっているというので行ってみる。明日は引越しなのに・・。HIFANAのライブはこの前見たのが凄かったので今日はまあまあだった。
朝まで踊って帰る。

2005年6月23日(木)

三鷹でケンケンとケイスケとレン君の4人で明日のライブの練習。一回だけの練習だけど、もうこうなったらやるしかありません。

2005年6月22日(水)

けいちゃんに原稿渡しに、行くとケンケン、ルパート、ナンペイ、ワイがいたのでみんなで代官山の300円飲み屋さんへ。
明後日ケンケンとライブすることになった。しかも、原宿ラフォ-レで。
紅さんから電話。なんとフランスの国立の学校が出している面白い雑誌に10ページ分僕の写真が載るらしい。ギャラもきちんと払いたいといってるみたいで安心。滝田さんが見せてくれた人みたい。その編集長はかなり面白い人のようで、重要。これからどういうひとなのか聴かないと。

2005年6月21日(火)

小山ちゃんと愛ちゃんの二人とベルグ。ふう途中参戦
そのまま神楽坂くるみ。
京都精華大学の方と話す。とても興味深い人。僕についても知っているようだ。それで京都の講演にあわせて、今行きたい所が関西に何点かあるから、そこにいって講演会ツアーなるものを企画しようと。原さんにも話すと、神戸にいくから見つけてくるって行ってくれた。NYで会った三浦君は彼女が三重のMERRY GO ROUNDという面白いお店で働いているらしく紹介してくれそうで、大阪のグラフとかでもやらしてもらったりしたらどうなるのかな?なんて構想。
ツアーをしたい。

2005年6月20日(月)

けいちゃんと会う。スペクテイター次号用の原稿の話。タイジ君も会う。彼はオーディオメーカーで働いていて僕が考えていた試聴機についての話をする。

2005年6月19日(日)

飛行機の中で日本人のおばちゃんと話す。自分の息子はバイリンガルで、僕がそれはいいですねといったら逆に日本にいながらアメリカンスクールいっているからアイデンティティを形成するのに結構大変なのではないかといっていた。でも、その横の息子が爆睡してるのをみたら大丈夫だと思った。
今回はかなりゆルーい旅行だったが、アメリカで僕にとってデカイつぼだった。PRINTED MATTER と NEW MUSEUM ときちんと仕事ができるように日本でまたがんばろう。

2005年6月18日(土)

今日ブルックリンの先のほうで迷って彷徨してたら、チーズケーキを売っている店見つけ、食べたらうますぎたのでお土産として持ち帰り分も買って、しかも、自分で食べた。
そのあとウィリアムバーグという最近発展しているというところ行って黒人のおばちゃんが駐車所でライブしているのを聴きながら、すごく雰囲気のいいカフェでツナサンド。ビール。
そこの店員さんがとてもかわいくて微笑ましい。裏庭があってとてもきもちいい。鳥がたくさんいた。
明日は帰国。

2005年6月17日(金)

今日も、イーストヴィレッジとウエストヴィレッジいく。いくつも店は行ってはただ一服。自分も見せしたくなってきた。創造しながらビール飲む。
レコード屋、OTHER RECORDSすごくいい。そこでかかっている曲が良くて聞いたら60年代のバンドで新しい音楽と思ったのでびっくり。
帰ってメール見たら京都精華大学からメール着てて、なんと講演会の申し込みだった。やった。ありがとう。またお話ができる。なんかただの講演会では終わらせたくない感が伝わってきてNYで熱くなる。

2005年6月16日(木)

今日はぼーっと過ごす。部屋に入ってくる光が気持ちよすぎる。洗濯。インターネット。
近くの行きたいと思っていたカフェでパニーニ&コーヒー。
そのあと絵本とスウィーツを売ってる店見る。
また帰って寝る。
夜はウエストヴィレッジに行く。ルーリードが住んでいるところ。そしてディナーはスペイン料理。パエリア、とサラダとテカテ。

2005年6月15日(水)

五番街のかわいいサンドイッチ屋でブランチ。気取らずおじさんたちに愛されている名店。味もよい。
そのあと、このまえフランクフルトのブックフェアーで会った。凸版アメリカのローリとミーティング。僕の話を聞いて興奮してくれた。協力してくれそうだ。今度の展覧会の時のカタログを全世界で発売できるようにするつもりなのでその件について話す。充実したミーティング。こういうのは後で効いてくる。僕はもうそれは分かった。いずれとても面白いことをローリともすることになるだろう。僕がもっと大きくならなくてはいけませんな! これは!!!っ
そのままホイットニー美術館行って、ホッパーとカルダー見る。しかも、僕が見たかったカルダーのサーカスまであった。これは、彼のデビュー作で、小さなミニチュアのサーカスを彼が動かしながらやる変な演劇。とにかく僕は笑いまくった。美術館で腹抱えて笑う。これはとてもすばらしい。僕もそうでありたい。
また木内とちょっと会う。
そして待ち合わせ場所で友部正人さん、奥さんのユミさん、三浦君と会う。地下鉄でブルックリンへ。
リッキリーのライブはかなり本格的な場所であった。なのに3ドル。やさしいね。本当に寒かったけど、ライブは最高。ヴェルヴェットみたいだった。かっこよすぎ。

2005年6月14日(火)

NY2日目。朝6時に起きて、ビール買いに近所のタバコ屋に行く。だけど、パスポート持っていってなかったから買えないと言う。1ドルあげたら、大丈夫だった。しかも、彼らとはなんか馬が合いそう。
朝飯はその近所のOPEN24HOURSというお店。名前がヤバイ。ホットケーキとオムレツ、フレッシュジュース、アメリカンコーヒー。やっぱアメリカの食いもんは多いな。ひたすら。
昼過ぎからチェルシーのギャラリーを回る。そこにはPRINTED MATTERという書店もある。ここからこの前興味を持っているというメールが届いた。ディレクターのブロンソンに会いたかったが、あいにくヴェニスに行っているそうで、マネージャーに見てもらう。面白いからさっそく本を遅ってくれと。
その次はその向かいにあるNEW MUSEUMに行く。ここが僕が次に展覧会をやろうと狙っている場所だ。2007年に日本人建築家SAANAが作ることになっているらしい。僕が2006年にバンクーバーでやる個展の巡回を企てているわけである。ここも、またディレクターはヴェニス。しかし、書店のバイヤーと話したらすぐ注文するといってくれた。リトルモアの本はかなりあった。なんか僕はここでするような直感がある。まあ素敵な勘違い。 でも素敵な勘違いって本当に素敵なんだよなーー。
終わって、日本茶カフェで一服。そのまま歩いて街ブラ。本当に高円寺と変わらない。高円寺の次の町がチェルシーみたいだ。よい。歩きまくって、ついたら LITTLE ITALY にいた。だから、パスタ食べた。
帰って少し寝る。
起きてユニオンスクエアのヴァージンの前で石山さんの所にいた時の同僚木内に会う。そのままカフェにいく。バドワイザー。彼は今インターンでこっちの建築事務所にいる。がんばってるな。
帰ってきたら三浦君という人に会って、面白そうだったから話したら、明日、リッキリージョーンズのライブがブルックリンの公園で3ドルであるというから一緒に行くと約束する。しかも、ミュージシャンの友部正人さんも一緒に来るらしい。

2005年6月13日(月)

NY一日目。コンチネンタル航空でいざニューヨークへ。座席に座ると、横には日本人とアメリカ人の夫婦がいて、子供がいる。よく泣いてた。僕はただただ寝てたら、起きたときに、夫から「後ろにあなたの席を取ったから、移動してくれないか?」といわれたので移動。移動したところにはアメリカ人が二人。僕が移動してくるとのっけから興味津々。なんで?話をすると、とにかく日本オタクの二人でとにかく日本人としゃべりたい様子。 ジョーとジョン。二人は兄弟。話は漫画。またまた彼らも漫画。しかも、それだけでなく料理の達人や、トリビアの泉なんてのも知っていてすごい。コンチはビールが5ドルもする。やっぱりマレーシア航空がいいな。そんなわけで彼らと日本文化の本質とは?みたいな勝手な議題で大いに盛り上がる。今度日本に来たときは家に泊めてあげる約束をする。
ニューアーク空港に到着。そとでようやくハイライト吸おうとおもったけど、コンチはライターが持ち込めないので、火を日本人に借りる。彼は加島トモ君という人だった。そのまま一緒にマンハッタンへ。彼は自由が丘で古着屋をしているらしい。そのままバーにいってビール2杯。二人でニューヨークに来た実感なく、熱くビール飲みながら話す。日本で会おう。
そのままチェルシーのほうへいく。あっチェルシーホテルだ。入ろう入ろう。中はサンフランシスコな感じ。でも適当でよろしい。でも値段を聞くとやっぱちょっと高いのでやめる。
その裏にあったチェルシーインターナショナルホテルに滞在することにした。一泊35ドル。
今日はそのまま寝た。なんか高円寺と変わらんぞ。

2005年6月12日(日)

マコトの演劇見に行く。その後、ロンドンのケンケン、ナンペイ、ルパートがライブの練習に家に遊びに来る。
英語で語り合うのが最近の僕の趣味。宇宙人と聞いている音楽の話で盛り上がる時とほぼ同じ感情が得られる。0円ハウスとCANの音楽の共通性などを話す。やっぱり会話は音楽だ。ふと、次は小説を書かなくてはと思った。朝まで語り合う。しかも、明日はNYだ。NY。

2005年6月11日(土)

西荻の不動産で契約済ませる。その後、尾道のえっちゃん(悦世)と勿論イワンへ。イワンの寛さんも相変わらず元気。ロンドンタイムスや最近の動向を話すと、感心してくれた。彼は本当にわかってくれる。

2005年6月10日(金)

早朝からホテルでモーニングの仕事をしまくって(3時間)そのまま、電車で南千住。ロンドンタイムス取材当日。カメラマン、通訳、支局長、リトルモア松本さん、僕。まずは南千住のまだテーブルがインベーダー!の喫茶店でインタビュー。僕、勿論のっけからエンジン全開。リチャード支局長の質問もすごくいい。僕の知らない僕がどんどん溢れてくる。
熱くなったところで、隅田川へ。リチャードの質問の中に「あなたの本のなかには幸せが感じられるが、それはあなたの編集によってであって、実際に住んでいる人たちはやはり違うんじゃあないか?」というモットモな意見があった。だから、僕は彼らに実際に連れて行くといった。会って話せばいいのだ。
だから彼らは会った。そしてすべてが変わった。彼らはすべてを理解した。僕がインタビューした隅田川のおじさんは言った。「なにも不足してない。この生活が一番いい。」リチャードが通訳を聞いてうなずく。
この時間が今まで僕一人で体験していたんだなあと改めて思った。そして、今は横にロンドンタイムスである。この巨大メディアも僕と同じような真空体験をしているのである。とうぜん彼らは興奮した。ここはいわゆる人から見たら未知の世界である。しかし、僕という媒介の存在のために、彼らもダイレクトにその場を体験した。しかも、彼らは会社に帰って、この出来事を600万部発行する新聞の記事として書く。
僕は創造者ではないのかもしれない、出会わなくてはいけないもの同士を結ぶことのできる媒介者なのかもしれない。しかも、僕の媒介はとびきりである。

2005年6月9日(木)

ふうと高円寺でピザが旨いといわれている、人形茶館という店に行く。本気でうまかった。手作りピザ。
高校生の餓鬼だったころ、僕もピザ作っていた。バイク便ピザと手作りピザの間で蠢いている何かに、感じてしまう。今日頃。

2005年6月8日(水)

親父と母ちゃんと新大久保で待ち合わせ。もちろんいくのは韓国料理屋「かぼちゃ」
親もはじめてきて、喜んでいるようだった。最近は僕はこうゆう類の店が好きなんですよ。しかも、親は僕にNYのカンパをしてくれた。
またもや!
ありがたい。有効に使います。親にロンドンタイムスの話なんかしてもようやく容易に信じるようになった。僕にとっては親はいわゆる大衆の代表としていてもらっている。僕のアイデアが彼らに伝われば、僕が自分の考えを一般化することに成功したというメッセージになる。だから、本気で自分が今製作中のものを説明する。最近は結構聞いてくれるようになっている。ヴァンクーバー行きたいなぁとかもいっていた。
じゃあ連れて行きますよ。親も見たほうがいい。そうゆう現場で僕が何をやっているかを。何を喋っているから、こんなにいろんな人間が痺れているかを。見せてみたい。僕の現場。僕の現場はちょっと違うんです。

2005年6月7日(火)

渋谷でスペクテイターけいちゃんと打ち合わせ。昨日書いたヤバイ僕の絵を見せると、「いいね」けいちゃん。これはうまくいくと連載に発展するだろう。
今回の内容は、読書をして思い描く映像を立体的に紙の上に描きだすというものだ。一回目は江戸川乱歩。パノラマ島奇談。仮題は「立体読書」!!
その後、ヘアクリエイターのくみちゃんと音楽家いいちゃんとふうと僕とで代官山のトキヤというお店でランデブー
とにかく今は作る時間がなくなるほど人と会うこと。しかも、それでも一人になったら作ること。
これが今月の目標。

2005年6月6日(月)

原宿ラフォーレでロンドン在住のナンペイたちの展覧会オープニング。ロンドンでがんばっている日本人たちにいっぱい会えた。ケンケンとも久しぶりに会えた。彼らもやっている。実際に。そのことでしか表現できないのだ。人間の考えは。胸の内で蠢いているその真空で暗黒で誰も知らない、創造の電気を、アウトプットしなきゃならないのだ。
ケンケンが今月の末、ラフォーレでライブをやるらしいが、一緒にやろうといってくれた。面白いね、やったろうじゃん。

2005年6月5日(日)

ホテルのバイトで仲良くなったシンガポール人と遊ぶ。神楽坂に連れて行く。ワインを流通している会社の売り込み隊長らしく、気前が良過ぎてびっくり。でも僕の連れて行く所はいつも安い!美味い!の店なので、リーズナブル!& リラックス!と喜んでいた。彼はなんと偶然にもアートギャラリーをシンガポールとマレーシアと香港に持っているそうでこれは熱い!
途中でふうと亮太も入ってくる。
君にプレゼントだとくれた物をみるとトランクスだったので「ん?」と思ったが。IT`s OK!!

2005年6月4日(土)

スタジオヴォイスの小濱クン、高円寺に来て打ち合わせ。雨が降り出したので、僕の家でする事に。彼は、すぐ近くに最近まで住んでいたそうで、富士川も2$も知っていて。それだけでも最高で。僕が音楽をかけると、
「TIM BUCKLY、久々聞きますよ。」と!!!
何?
電気グルーヴの虹のドイツ盤の話をすると、
「あっそれ持ってますよ。今度焼いてきますよ。」
何?
「じゃあCANは?」
「大好きです。」
色んな話すればするほど分かって来た。これはシンクロしてます。それで、スタジオヴォイスの連載の企画の話も、やりたいのは二人で一致。
「東京に家を作る!!。」
分かりましたよ。もうこれは本当にやらなくてはいけません。こうゆう編集者も生まれているのか?とびっくり。この連載、おもしろくなるぞ。セルフビルドという言葉が、もう息苦しくなっていて、それは本当の意味を表さないとは、弟が言っていて、僕もそれは分かっていたが、亮太が言葉で表して、ぼくもよおくフォーカスする事ができたのでそれを話すと、やっぱりオハマ君反応し、「なんかそうゆうのをこえたいですよね~。」と。 そうです!こえなくてはいけない!よし、そこまで通じたらいけるでしょ。後は家を立てる土地を探すぞ。その後、池袋のベース橋本の家に行く。今日はMAN音源のマスタリング。みんなで聞きながらつくっていった。
そして完成。いやあー案外長引いたけどイイモノできましたよ。今度はこれを売っていく方法を見つけないと。いやいやどんどん動いているぞ。自分自身が自動的に動いているのが分かる。僕の意志を越えている。何ものかに突き動かされている。ちょっと勘違いしすぎかな?とまだまだ完全に自動的ではないようだ。大丈夫か?と聞いてくるもう一人の自分がいる。まあ、これが消えたらやばいよね。

2005年6月3日(金)

恵比寿でバンクーバー美術館のブルースと原サンに会う。今日、個展の決定を聞く予定だ。出会ってから、駅の近くのしゃれた焼き鳥屋へ。乾杯してすぐ、個展はどうなったと聞くと、「決定した。」と。
やった。
その後は、とにかく個展のプランを熱すぎる程話す。ブルースもヒートアップ。みんなで興奮状態。ブルースと僕はホントに肌が会う。
そして、ニューヨークに行くと言うと、NEW MUSEUMという今、NYで一番熱い美術館のディレクターを紹介してくれた。もう最高です。こうやってどんどん人の輪が、倍速で増えていく。いままでやって来た事がここにきてどんどん花を咲かせていく。今週はまさに777、しかも、確変です。なんか、無駄じゃあなかったとホント思えて来たよ。もう突っ走るだけだ。突っ走って、弾けて、飛び散りたい。これでロンドンタイムスでも、個展のお知らせができる。 そして、また他の何かに繋がっていく。それは縁であり、必然である。とは、熊楠の弁。よくいったものである。まあたまにはクールダウンも忘れずに。ここら辺が、最近やっぱり変わって来た。

2005年6月2日(木)

今日は母ちゃんが東京旅行に来ているので、新宿で会う。CAFEにはいって、僕もちろんビール。最近の状況をはなす。そして、これからの家族についても語り合う。
そのあとは歌舞伎町の「母屋」という居酒屋へ。ここに5年前位にいったことがあって、もう一回行きたかったから。焼き飯が絶品。焼酎飲む。

2005年6月1日(水)

親父と夕飯を食べる。天丼!っていうか「てんや」。
そのあとは珈琲貴族で一杯飲む。
おやじも最近の僕の破竹の勢いに一緒に乗っている。楽しそうだから、まあいい事にしよう。
「金はどうでもいいから、儲けようとはせず、 ただただやりなさい。」
とは親父の弁。
そうです。ただただやりましょう。

0円ハウス -Kyohei Sakaguchi-