戸塚で蟹鍋、豚しゃぶ。今年は紅白見ながらゆっくり年越し。昨日妹が出産。
年越しはVAN MORRISON 「ASTRAL WEEKS」。これ初めて聴いたが本当にやばいかも。
最近のTHE BANDに傾く僕の耳が広がって、VAN MORRISONに行った。68年の作品。ロックを離れていこうとする力が強いあまり、あまりにもロックな作品。年越しにふさわしいと勝手に思う。 COLDPLAYのライブを見ながらいつの間にか酔っ払って寝ていた。
中野、私、遅刻しつつもホルモン焼き肉「味楽来」。豚カルビ、ハラミ、シビレ、馬過ぎ。栄吉、マコ、集合。その後、タクシー高円寺イワン。寛さんにも挨拶。HIRO来て雀荘。徹麻。僕勝った。ひさびさの麻雀。
新大久保カボチャにて忘年会。J、Jの友達でシドニーから遊びにきたCON、鍋、タム、タジマックス、Y。チヂミに舌鼓。豚三段腹に舌鼓。あとスープもうまかった。それで食って飲んで2000円ちょっとってちょっと安すぎる感。conがやっぱりパチンコが見たい!というので海物語。すぐ飽きる。そのご荻窪立ち飲み処で芋焼酎七夕黒ロック。
帰宅。年末に近づき、アルフレッド・ジャリの本がキテいる。電車で立ち読み。
スペクテイター原稿提出。渋谷、ケイちゃんの事務所。色々話す。原稿についても二三意見。このズッコケの絵はどういう風に捉えられるか。
青唐辛子の料理にハマっている。白菜としめじ。
「惑星ソラリス」タルコフスキー借りる。やっぱりこの映画は冒頭の湖シーン。いつみても地球上の風景にみえない。それなのにそこはロシアのとある湖と最後に分かる。どこにもないような水の映像、草の映像。すごい。そのあとの宇宙に行ったシーンよりも宇宙っぽい。
午前中目黒駅、林試の森、薬用植物園見学。薬用植物園内にあるかなり小規模の温室に引っかかる。守衛のオヤジが「なんにも参考にならんでしょ」と問いかけるが、こちらは「いやいやあの温室はいいと思いますけど」といったら不思議な顔していた。
東京の中のジャングルを見つけようとするが、やはり植物園や公園ではないところに東京ではジャングルが生育するらしい。公園なんて動物の形したバネでビョンビョンするやつしかない。それを見ているとそれらも逆に妄想の熱帯の匂い。それにしても目黒も平日は人がいない。どこにいっているんだ。人は。でも向こうからすると平日ふらふらと歩いてカメラ持っている人間は不審者となってしまうので用心用心。
3時に帰ってきてエッセイ書き込む。もっとペースを上げたいがなかなかはかどらず。読書。白菜と小しめじとオクラを青唐辛子味噌で炒めたら素晴らしいものになり、それで白米、昨日のモロカンカレーをスープにして黒霧島。いい気持ちになったところでセブンイレブンに駆け込み、コピー。帰って製本作業。
PINK FLOYD「狂気」聴いている。なんかタイミングがいいような気がしている。
午後1時、川崎駅でAP通信の田淵さんとカメラマンの方と待ち合わせ。そのまま多摩川沿いへ、この間の取材の続き。とにかく自分の嗅覚に反応する家を探し歩く、なかなか見つからずでも歩く。橋わたって、少しづつ何か見えてくる。そして、見つかった一軒。また見た事がない家だ。高床式住居。入り口は八十年代風の堅固な玄関。
声をかけるとひょいと出てきて、こちらの言葉を待つまでもなく「いい家だろ。」とにかく中に入れとその真っ暗闇に飛び込む。部屋の天井からいくつものコードぶら下がりそれにラジオやオタマがくっつけてある。「こっちのほうがやりやすいもんな」無意識の意図。珈琲ごちそうになる。とにかく神戸贔屓、姉歯建築とMY建築の違いを語る。AP通信側は写真撮ろうとする。しかし、それを拒否するショージ。話は盛り上がり、停まらない。二時間半喋りっぱなしだった。
こういう風に少しづつ焦点があってくるとどんどん凄い家に出会う。次は門もある、柵もある、野外筋肉トレーニング場もある、野外に釜もある、倉庫には看板が貼ってあり、「日本史上初完全木造マンション」。そりゃそうだ!家の内部は積水ハウスのようだ。おじさん、話も嫌がらず、何事も否定せず。終始ニコニコ。しかし、本棚にはニーチェとタンパク質に関する論文が並ぶ。とかなんとかで4時間ほど。
京急線で帰る。神戸の話を聞いていきたくなった。そういえば僕はあまりというか全然神戸には縁がない。
笙野頼子初期短編集購入。極楽読む。これは京都のボロ家に住む画家が部屋に引きこもり、地獄絵を描き続けていく話なのだが、氏がSFに影響を受けているというのが分かる気がした。SFといっても未来的な描写を描こうというとかそういう事じゃないのだ。この小説は画家が地獄絵に対して思考していくその動きそのものが表現されている。
物語が重要ではない。動きを、微細な動きを文章化していく作業そのもの、その事自体を追求していこうと感じさせる。それはホックニーが誰の目にもポップに映る取っ付きやすい絵を描きながら実はプールサイドの絵では水そのものの運動を表現しようとしたことに似ている。「建築」とは違うもの、つまり空間そのもの空気そのものということはこういうことだったかもしれない。
夜地獄の黙示録特別完全版視聴。オープニングのドアーズとジャングルの絵、そして爆発。戦闘機の飛ぶ映像。ジャングルの中のストリップ巨大野外劇場。主題とはズレたところに潜む何か
近所にベーグルがむちゃんこ美味いところがあるのですが、なかなかそこのポムシナモンという看板商品が買えず困っていたが、今日念願ゲット。最近本当に杉浦繁の猿飛佐助ばりに買い食いばっかりしている。そこで昼飯食べようとしたが、子供達がたくさん集まってなんかお祭りしてたので、ポモドーロでパスタ。ここは結構味もうまくてイタリアで修行してきたらしいオヤジがいる雰囲気も変な感じでおそらく田舎のイタリアかなんかを僕にイメージさせてしまう妙な店。
その後花園神社で骨董市やっているというので行ってみるともう終わっていた。つげ義春の無能の人のような雰囲気。そのまま新宿6丁目散歩。ここら辺は取り残された感ばっちりなので好む。茨城に住む熟女3人組から納豆をたくさんいただいたので、それに賞味期限が妖しく光ってきたので手巻き寿司にする。鰤の刺身、サーモン、卵。十年ぶり。
「地獄の黙示録/特別完全版」見ようとするが、知らぬ間に眠。
夕食は荻窪クール・ピュ。今日はここもクリスマスなので特別メニュー。商売っ気たっぷりの高くて美味しくないディナーは御免だがここは美味い、安い、混まない。いつもは前菜とスープとパスタかリゾットだが、今日はそれに一口パイ、エスカルゴの包み焼き、肉もむちゃくちゃ柔らかい。デザートだけで三品あり、カスタードプリンはクリームのようで絶品。
その後タルトタタンというリンゴを薄く切って重ねて重ねて重ねて焼いたものでこれも美味い。最後にチビマドレーヌと生チョコ。カタツムリなんか絶対食べないけどここでは食べてしまった。しかも美味い。それで3300円。富士川食堂の「ノリ」を持っている。普段がランチもディナーも1000円以下なので3000円も払ったらドンなものが出てくるのかというこちらの期待を越える勢い。そういう気持ちがたまりませんよ。
お店がそうだとやっぱり色々うまくいきますよ。
その後タムタムのライブ見に阿佐ヶ谷へ。新しい感覚の予感。
最近家の近くにセブンイレブンが出来たのだが、そこが前どんな建物だったか全く憶えていない。思い出せない。駅前で家前でよく見ていたはずなのに。でもこんな事はよくある。僕が上京してから熊本の風景も帰ってくるたびに変わっており、しかも前の風景も思い出せない。逆に久しぶりに見る実家の風景はどこがどうというわけではないのに懐かしくすこし寂しいのとゾクゾクするのが入り混じったあの気分になる。 街の記憶、空間の記憶というのは、もしかすると記憶自体が、ある固定のものを憶えている事から生じるのではないのかもしれない。そこに僕は今誰かの作品のような建物が新しく建ち並んでいる状態に首を傾げてしまうのかもしれない。古びた建物でいいと思える時はそのものがいいというわけでなく、「そこら辺全部」がいいのだ。それには電線一本も堂々と空間の中の要素なのだ。隠すなよ、電線を。
久しぶりに石山修武氏のホームページを見ていたら、デュシャンとMALEVITCHについての文章があってびっくりする。僕の机の上には巨大な二冊の画集がある。デュシャンとMALEVITCHなのだ。まあ特には意味はないだろう。でも直感を感じる。この二人の画家は共通しているところと全く違うところがある。そこの間が自分には何かの鍵になると思っているのだが。
また懲りずにピザを作る。今回はかなりうまく焼ける。でもうまいところはまず生地だけを表裏焼いてから具材を乗っけてまた焼くのかと気づいた。そうしないと具材がのってるところの下地のパンがあまり焼けていないのでカリカリ感がないのだ。
尾辻克彦「肌ざわり」を読む。これは赤瀬川原平のペンネームである。この作品は氏の処女作であり、ここから小説を越えて、路上観察へと、新解さん、老人力へと続く。その中の内部抗争という作品には参った。これはもう路上観察等で見られる文体に近い。小説という枠組みに自分の世界をうまく忍びこませることに成功している。もう初めての作品で出ている。 小説なのか、ルポタージュなのか、エッセイなのか、SFなのか、俳句なのかわからなくなるこの手法は氏が新しく見つけたものではないのだ。元々自分の中にあったものなのだ。新しいことなどないのではないか。自分の中で混沌と動き回っている思考の電子にきちんと焦点を合わせていく作業だけがあるんじゃないかと思った。
午前、スペクテイター原稿。途中で案浮かびそのままぶっ通しで3時には完成する。今回はあまり文字で説明せず、絵一枚で勝負。つげ義春とアンリルソーの従兄弟みたいになる。マーリーン同居人の調子が悪いらしく、会わない事に。
午後7時半より青山。いい君のライブ。久しぶりに会うが、眠くて早退。シュトーレン購入していたので帰宅後食べる。やっぱりシュトーレンは旨い。
総ページ1000ページにもなる、大変なマルセル・デュシャンのカタログレゾネ入手。有名な作品から、全く知られていない、どこの画集でも見た事がないペン画のようなものからとにかく1000ページ静かに並べられていて、こちらは穏やかではない。とにかく思考の動きが見たい。見たい。カラーページは勿論いいが、モノクロページの方がぐっと引き寄せられる。ちょっとした写真も見逃せません。
最近またまたデュシャン熱が高まりすぎていたので心配したが、ここに落ち着いたか。はは。
スペクテイター用立体読書原稿作成。いまだうまく行かず。でも方向性確認。執筆した本送付されてくる。まあいいのではないかな。
富士川で食す予定をたてるが、結局家でオムレツと焼き鮭。
オーネットコールマン VIRGIN BEAUTY
プリンス AROUND THE WORLD IN A DAY
青山の喫茶店「香咲」に久々に行く。勿論香咲ブレンドとホットケーキ。僕はとにかくホットケーキが好きなので普通の森永ホットケーキミックスでも大興奮ものではあるが、ここのホットケーキはまた訳が違う。店内の雰囲気も珈琲も旨いので言う事なし。さらに変に洒落ているわけでもないが、食器棚や時計をみるとセンスがいい。クラシック音楽の中でロックっぽい曲を見つけた時のような気分。
近くの書店で画集眺める。ホックニーの2000年代の新作の絵を見ながら不思議になる。
新宿伊勢丹に行く。georg bensenというところでトールンという人がデザインしたジュエリーを拝見。この人のは以前、森美術館で展覧会も見ているのだがいい。デザインの殻をかぶった作品のようだ。ボタンというシリーズがいい。変だが。
コインマジック事典書見。僕はマジックといってもそんな大げさではなく、コイン一枚とかですぐ簡単に出来て、ちょっと練習すればできるんだが、初めて見る人には大変なものに見えてしまうマジックだけに興味をもっている。クラインの壷のように焦点をずらすだけで違う世界が簡単に表出してしまうマジックは時たまアートなんかでは表現できないような領域の事までも見えたりするのだ。そんな事考えながらマジックの練習。年の瀬に何をやってんのか。
marevitch について。白い画面に黒い四角の絵が描かれている絵が有名なロシアアバンギャルドの画家ですが、僕はそれよりも前に描かれていた農夫をキュビズムと未来派の間の感覚で表現した一連の作品に魅入ってしまう。魚の目を取っている絵なんかがあって、しかもそれは宗教画を元ネタにしていたりでかなり複雑な絵です。
セザンヌの言葉「自然は我々人間にとって表層ではなく、深さにあるのです。」
なんかやはりこのころのキュビズムと後期印象派と未来派とかダダとかシュールレアリスムとかが生まれてきて渾然一体となってきて、でもいろいろ迷ってそれぞれ自分の手法を捕まえていく過程はどの画家をみても興奮する。
マーリーンがNYからまた来ているみたいだ。月曜日に「くるみ」に行こう。
寄生獣という傑作漫画を書いた岩明均さんが新作を書いていると知ったので、本屋にいってみると第三巻まで出ていたので、迷わず購入。最近購入多いな。「ヒストリア」という歴史もの。というか歴史物とかじゃないな。
アレキサンダー大王の側近で記録を続けていたエウメネスという人物が主人公。奴隷制度なんかがかなりリアルに描かれていて、それは今の状況とはあまりにもかけ離れていて、いわゆる歴史物から遠くはなれてしまって、むしろSFに寄っているという離れ業。この独自に世界を見つけてくるあたり、かなり気になります。今回もそうとう独自の世界観あり。次がみたい。
iTUNEについての本が出る。僕も執筆しています。テーマは「貧乏」。ってよくわかりませんが。なんとか書いてみました。他の執筆者は名だたるミュージシャンばっかりでなんでそこに0円ハウスのキミが?という感じで入っています。不思議な感じです。
世田谷線でボロ市会場へ。いつも感じるこのボロ市の匂い。去年のボロ市に繋がっているかのような時間の流れ。チゲ鍋とじゃがバター購入。いざ物色。額縁あった500円。ゲット。ハイライトの記念パッケージあった。っていうかこれ初めてみた1971年もの。100円。漆器屋でみそ汁お椀の形がへんなやつがあったので購入。げんきなおばちゃんが売っていた、っていうか作っていた青唐辛子味噌二つ500円。キュウリにつけて食べたらキュウリがキュウリじゃなくなった。
この祭りはいわゆる日本の伝統の祭りとは違うような気がする。それよりも僕が思い出すのはマレーシアのクアラルンプールの中華街に似ている。日本臭くなく、かといってインド、タイのようなアジアっぽいわけでもなく、クアラルンプールっぽい。説明になってないか。話は変わって、京都の東寺の年末バージョン弘法さん市にもまた日本伝統の祭りから抜け出てしまったような感覚を受ける。
その後は下北沢にワープ。まず、高円寺から移転した最高のスニーカー売りの店を覗く。ここは独自の仕入れ方をしていて、ほかではあまりみないメーカーのものや、有名なメーカーでもあまりみたことがない色ばかり仕入れていたりして面白かったのだが、下北の駅近くに移動してしまった。で、行ってあいさつすると向こうもびっくりして、喜んでくれた。そこでチェコの靴が2900円だったのでカーキ色購入。後ろに貼ってあった60年代のヨーガのポスターがかっこいい。
そして夕食今日はもみじ亭、かどまえと二大下北広島お好み焼き屋を抜け「おたふく」へ。うまかったはずだが、神楽坂の「くるみ」を知ってしまっている今の僕にはやはり「くるみ」がうまいと確認するに至ってしまい、でも次の広島お好み焼きを見つけていかねばならない立場なので挑戦あるのみだね。「くるみ」はさらに安いんです。750円。まあ「最後の二ドル」なんか350えんだもんね。これも安くて旨い。
亮太から新潮が面白いと情報が入り、購入。磯崎新氏が「極薄」について書いている。デュシャンのいうところ「アンフラマンス」だ。コールテンの話も、煙草が結婚する話もでている。座席を離れた後のぬくもりは極薄であるという文章にひっかかる。やっぱりみんな気になっているのだなと感じる。しかし、デュシャンについてこの空間認識についての見地からはほとんど言及されていないのではないとも考える。建築家が興味をもつところではあると思う。
後ろの方に都築響一氏のエッセイ。変換ミスについての話。そこに載っているサイトに行ってみる。気になったもの。ソフト部→祖父飛ぶ。なんか凄い。SFじゃないか!
突如偏頭痛に悩まされ深大寺で買ってきていた草団子をフライパンで焼いて食べるという最近のヒット食品を食し、就寝。
明日は毎年恒例「ボロ市」だ。今年の狙いは額縁いろいろである。いろんなおもしろい額縁あればいいけど。
スペクテイター執筆用にズッコケ三人組シリーズを読む。ズッコケ探偵事務所、マル秘大作戦、心霊学入門と初期の三作。僕は、ズッコケの放課後の感覚が好きなのだが、今回読んでみてまだそれが実感できた。内容がそれほど面白いという訳ではないが(とはいっても面白いが)、あまり秘密基地秘密基地していなくて、ハチベエの家の八百屋のレジの裏でハチベエが店番しながらカメラの手入れをするところなどに興味が行っている。
そういうところをどういう風に表現すれば良いか少し模索中。
気分転換に「デュシャンの紙の上の仕事」という本を読む。これは芸術家デュシャンの文字通り、紙に描いた作品、メモなどを集めた企画本でかなり面白い。作品よりも、それを作るに至る、習作や、メモや、注文書のほうが興味をそそる。想像力が湧いてくる。というかそういうものを一式残したデュシャンの手法が凄いと言える。そこまで自分の作品の一部だと見なしている訳だ。
メモの仕方とかが本当に嫉妬するほどうまい。うまいといっても何がうまいかはわからんが、とにかくいちいち想像力が湧いてくるのだ。
ズッコケ三人組とデュシャンの間にしばし揺れる。うーん。
ジムキャリーの「マンオンザムーン」という映画を見る。知らない映画だったが、ビデオ屋の推薦文に反応し、借りてみた。これが面白い。というかストーリーは別段面白くはないのだが、それはほとんど関係なく、これはアンディ・カフマンというアメリカの38歳で亡くなったコメディアンの話なのだが、このカフマンの考えていた笑いの境地がかなり前衛的で、まるでデュシャンのようだと思ってしまった。
そこに反応した監督がいいと思ったら、カッコーの巣の上での監督だった。裏の裏をかくと、元に戻ってくる。360度回転する。そうすると冗談は真実となる。なにが本当の世界かわからなくなる。常識、良識、善悪、右左、上下・・・様々なものの区別の仕方の根底を揺るがそうとする。なんか観ようと思っていなかったものにビデオ屋であって面白いと、爽快でうれしくなる。
今日も製本作業。20冊目突入。カフカの生涯中盤を越える。盛り上がってきている。
古本屋でアルフレッド・ジャリの「馬的思考」という文庫本を購入。版元はサンリオSF文庫と書いてあるのだが、ダダの父、ジャリとサンリオとSFが結びつかない。しかし、それがますますジャリがもつダダパワーを高めているような気がして1200円もしたが購入。内容は短編や極端に短いエッセイを無秩序に編集したもの。ますます興味をそそる。
僕は、好きな作家が書いたこういう短編集や雑文集を読むのが好きだ。また画家や音楽家など違うジャンルの人がかいた本も同じ感覚で好きだ。要はこれらの文章からは長編のような作品や画家だったら絵から伝わらないものが伝わってくるからだ。
そのひとの書斎やアトリエを覗いた気になると言うか、一緒に珈琲を飲みながら雑談しているようになる。あともうひとつ興奮するのが、作家が小説なので町などについて書いてあるものだ。萩原朔太郎の猫町や佐藤春夫の美しき町、梶井基次郎の檸檬も空間の匂いがする。つげ義春も僕には懐かしさなんかよりも空間の匂いがしてくる。「李さん一家」の二階の窓辺の絵なんかたまらない。デュシャンのインタビューも立体的だし、なんなのだろう。一体!
とくに僕は小説が好きでもないし、読書もそうでもないのである。長いものは始めから読まない。しかし、そういう空間的な1行はたまらなく求めていて、とにかくそれを欲して僕は本を読んだり、映画観たりするのである。
午前中三鷹芸術文化センターに行く。メイのバレエ発表会。
その後、深大寺に行き、そば屋玉乃屋で食事。なめこそば。うまい。食後、深大寺周辺の団子屋街にて買い食いしまくり。草餅、そばぱん、みたらし団子、そば饅頭。杉浦茂の世界。
帰ってきて製本作業少し。生地作って、ピザ焼く。魚のグリルを利用して焼くと、石釜で焼いたような感じがでるとか。試すと、かなりいい。コンビーフとポテト、ツナとトマト。試してガッテンの情報は本当にためになる。うまい珈琲の入れ方とか。
「カフカの生涯」面白くて読み続ける。読んでいくうちにカフカがそだったプラハの空間が頭に浮かび上がり、それを考えながら、カフカの短編を読むとまたいっそう膨らむ。僕の中ではカフカの文章は、かなり空間的な、四次元的でもあると思っている。情景をことこまかに書いているというのではない。読んでいるものが、想像できるのだ。しかし、映像化しようとするととたんにそのイメージは消えていくというもの。つまり、感じる空間だけなのだ。
hanae*の中学生日記のなかの「ひとりで待っていた日のこと」を読む。小学生3年生の時にお母さんを駅前で待っていたときの話。これもカフカににていると思った。
Jとマーと新宿のアイリッシュバーで話す。
その後、AP通信の田淵さんと待ち合わせ、近くの一人もお客さんがいなくて静かだというカフェへ。本当に一人も人がいない。インタビュー。0円ハウスの話から途中からはかなり脱線し、かなり抽象的な話になってしまったのだが大丈夫だったのでしょうか?再来週、今度は多摩川、隅田川どちらかに行ってみることに。
古本屋で「カフカの生涯」購入。家で製本作業。
フランス映画「穴」を久しぶりに見る。脱獄の映画の古典だが、本当に久しぶりに見たが、ゾクゾクした。人物描写がすごくうまく、その中の登場人物に入り込む。ロラン、ガスパール、ジョー、大僧主かつモノクロの1シーンごとが、狙っていないのだろうが目に焼き付く。脱獄の方法が興味深いのはそうなのだが、それよりも人間模様のほうが面白くて入り込むのは、とてもうまい方法だ。
リリーフランキーさんがラジオでジョンレノンの海賊版の「be my baby」をかけていた。プロデューサーのフィル・スペクターが作った曲で、この演奏がベロンベロンで凄かった。あとは、starding over の原曲になった曲もかけてた。ベルグで飲む。AP通信のインタビューある予定だったが、向こうの都合で延期。
ロシアの前衛芸術が19世紀始めにでてきたとき、そこには科学と芸術が溶け合った非常に曖昧でかつエキサイティングな瞬間があった。それで、ロシアの画家が向かったのが、未来的な絵ではなく、農夫などの回帰的な絵だったというのは興味深い。
ラリオーノフという画家は光線主義というジャンルの絵を描きだすが、それはキュビズムの延長のようだったが、主題は牛など自分の周辺のものを描いていた。そこには、「四次元」という思想が元になっていた。科学が今のように現象を説明するものではなく、もっと何かを追求するものとして存在していたことを考えると興奮する。
午後から製本作業、今度は20冊目。いちいち紙をカッターできって、糊はって、折ってハードカバーつけての作業。何も考えず、ひたすら没頭。麻婆豆腐作る。
六本木でクミちゃんに髪切ってもらう。
帰ってきてイワシの揚げ物食べる。中沢新一氏の「四次元の花嫁」を読む。この文章、何度読んでみても頭がマッサージされる。ヒントンという人が気になる。いわゆる四次元に興味を持った人で、大学教授だったらしいがここら辺のことに没頭してしまって出世はせず、しかし、ピッチングマシーンを作り出した人で四次元超立体を理解するために一辺が六つの正方形で出来ているキュービックみたいなモノを作り出した人らしい。調べてみよう。
今日は昼頃まで寝ていて、起きて作業。
この製本作業もなかなかシムテマティックになってきて、僕も機械のように動く。だけど、一冊ごとに全然違う顔になっていてそれがならんでいる姿はそれはそれでかわいいものだ。作業後、新宿に行き、羅針盤、空気公団、小沢健二、ビーチボーイズのサンフラワー、ゴールディー、シュガーベイブ、レンタル。
帰りにまた高円寺に行く。今日は久しぶりの富士川食堂。おっちゃんとおばちゃんに久しぶりに会うが、ふたりともとくに驚かず、また来てくれてありがとうねと言われ、ホロリ。店の佇まい、味ともに何か失ったまま気づいているのに放っといている店が東京に限らず増えている昨今、ここは何かが残っている。かつ成長している。それを客も実感し、店をでるときには充実した気持ちでいる。
デザインとか、メニューがおしゃれにすればいいとかじゃないんだよな。店を出して30年が経つのに懐かしい感じはむしろせず、それは、北口のイワンにも(ここは32年)共通する、新しくもないんだけど、常に回転しているけど、止まって見える、あの昔よく遊んでいたおもちゃー口にくわえて空気を送り出して発砲スチロールの玉を浮かせるやつーにみたいだ。
帰って利休の茶室の写真見たらそれも同じ光出していた。変わらないんじゃなくて、回転している。しかも、それが止まっているように見える。
夜、亮太が来る。今日のDJプレイは、THE BAND, JOHN SAIMON, JAMES TAYLER,HIRTH MARTINEZ,と最近とにかくハマっている宝探し風アシッドフォークなるもの。
今日は下地が終わっていた本10冊分のハードカバーをつける作業。10冊分終わる頃には表紙作りがかなり上達していた。この調子だと結構早く100冊でき上がるかもしれない。なんとなくこのやり方で本を作るやり方に可能性を見出してきた。
夜10頃にこの作業を終わらせ、高円寺イワンへ。久々にカンさんとヨウコさんに会う。いつもここの雰囲気は最高だ。ズブロッカとポテトとコンビーフ、なすの地中海風、ハムが入った塩味パウンドケーキ。うまい。
この前、アメリカ人と話していて、何の漫画が好きか?と聞かれて、僕は、自分で描いてばっかりでほとんど影響を受けてはいないのだが、唯一、「はだしのゲン」は小学校2年生の頃に全巻買ってもらってそれがいまだに影響を受けていると言ったら向こうも翻訳版を15歳の時見て日本の漫画を調べるようになったらしく、熱く話す。
今は「うずまき」と「monkey king」という漫画にはまっているらしく、帰りに古本屋に行ってみると「うずまき」があったので買う。
新宿コパボウルにてボウリング。今日もやってしまった。9ゲーム。これが普通になってる。ハイスコア172。今回から横回転でまっすぐ投げる方法に切り替える。終わってそば屋で焼酎と19歳の坊主と2時間喋る。
MOODMANの横浜でのライブ盤聞きながら、ずっと本製作。10冊分うまくまとまる。MOODMANだとはかどる。昭和30年に発売された講談社アートブックスというシリーズのモジリアニを見る。文庫本サイズのこの古い画集は、紙質といい、紙の色合いといい、途中に紛れ込んでいる折り込みページといい、なかなかこっちの本製作魂をくすぐる。
今は近所のコンビニでは両面焼きできないので、片面づつやって糊で貼るという大変骨の折れる方法でやっている。次のやつは両面で行きたいと思う今日この頃。
藤子不二雄のまんが道の中にでてくる彼らの一番初めての本は、二人で作った架空の雑誌で手描きで一冊しかない直筆版だ。それを学校の友人たちに回していたらしい。そんなところに向かっている。それはどこだ?so what?