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Journal -坂口恭平の毎日-

2007年6月30日(土)

 成田に二時半ぐらいに到着し、そのままNEXで新宿まで。メイがずっとマッサージをしてくれた。で、午後5時過ぎに西荻到着。そのまますこしゆっくりして、大学の同級の原裕介の結婚式へ。恵比寿で三次会に合わせる。恵比寿に行き、馴染みの店「TEPPARA」でお母さんに交渉し、予約する。大学の同級が集まる、あと同級じゃないのにタンゴも来る。久々の会合。それぞれ頑張っているようだ。結局僕も吠えまくってしまう。旅の疲れを見せない勢い。おーい大丈夫か?午前1時頃終了。そのままタクシーに乗り込む、運転手が若い頃の安藤忠雄がすきとかいうもんだから話が盛り上がり、料金も大幅に安くしてもらった。

2007年6月29日(金)

 朝、ホテルにバスが迎えに来て、そのままバンクーバー空港へ。何の問題もなく、お土産を買い、ハンバーガーを食べ、飛行機に乗り込む。また機内で「バブルへGO!」を見ながらほぼそのまま7時間以上寝る。起きたら後二時間ぐらいですぐに日本に到着。

2007年6月20日(水)~6月28日(木)

 カナダへ旅行中。Banff Journalにて記録。

2007年6月19日(火)

 午前中、コーネリアス聞きながら、半寝でベッドの上。昼飯は、西荻の蕎麦屋「鞍馬」で甘皮蕎麦を食す。初めて行ったが好感が持てる店。胃のこと考えて蕎麦にした。午後6時に品川で、神さんと佃さんと打ち合わせ。その後、プリンスホテルの和食屋に場所を移し、堤さんも合流し、寿司をごちそうになる。話は大いに盛り上がる。7月にまた会う事にして、別れる。大きな事が動きそうな興奮。ぶるっとする。家に帰ってきて、明日のカナダ旅行の準備。よし、行ってきます。

2007年6月18日(月)

 午前中、母ちゃんの病院の結果。大丈夫だったようだ。ほっと胸なで下ろす。これで、楽に東京に帰れる。午後5時の便で東京に帰る。夕食は鳥雑炊。胃は大分いいが、今度は頭痛。なんか体おかしいな。アンソニーと展覧会についての打ち合わせをメールで。僕のスペースが増えたようだ。現場に行って色々変更がありそうだ。早く行って確かめたい。

2007年6月17日(日)

 午前中、服部胃腸科に行く。日曜日なのに空いていたが、41人も並んでいた。どうした?熊本人!雑誌MUSICAのくるりインタビューを読みながら、ソファに横になりながら、うっと来たので便所で嘔吐。大丈夫か?一時間待って医師と話す。胃カメラを撮りましょうといわれる。初胃カメラ。まず喉を麻酔して、腕に麻酔剤を打たれる。気持ちよくなり、2分後爆睡。そのまま4時間も寝ていた。起きて、医師と話す。胃カメラの画像を見せながら、暴飲暴食による胃潰瘍一歩手前ですね、との事。薬を飲んで安静にしていればすぐ治るようだ。麻酔でぼーっとしたまま帰ると、レイ君夫妻が結婚のお祝いを持ってきてくれていた。熊本マンゴーと芋焼酎。すぐマンゴーを頂いたが、美味すぎた。ありがとうございます。まだぼーっとしている。今日は安静にしていよう。明日、東京に帰る。

2007年6月16日(土)

 昔、よく行っていたうどん屋「吾助」に行く。カツ丼セットをいつも頼んでいたのだが、ココ最近無茶苦茶食べ過ぎていて、胃が痛いため肉うどんを注文。これもうまい。その後、夏目漱石が熊本にいた時に住んでいた家を見に行く。近くにあったのに全く知らなかった。久しぶりに故郷に帰ってくると、違う目で見れる。漱石は熊本時代に6回転居しているのだが、この坪井の家は5軒目で一番でかかったらしい。ののか、美帆、オヤジ、母ちゃん、おねえちゃんとボク大集合で見学。庭と家との絡み合いが凄く気持ちいい。なぜ、こういういい昔の民家は周りが騒がしくても、家の中は静かな空気が充満しているのだろう。このような家を建てたい。その後、次いでに徳富蘆花と徳富蘇峰の生家にも行く。蘇峰は19歳でこの地で大江義塾という学校を開いている。それで14歳からの学生に教えていたそうだ。その後,上京してからは新聞社も作っている。僕は盧花しか詳しく知らなかったが、蘇峰の方も調べる必要がありそうだ。帰ってきてから、家の隣に建っている謎の銭湯に行ってみる。「くすりゆ」という銭湯は、なんと江戸時代から同じ場所でやっているそうで、建物も全て木材。何だかすんごい雰囲気。しかも、風呂につかっているのは、みんな入れ墨入っている方ばっかり。オヤジとボクは二人で少しビビりながら、でも興味津々丸で、中に入る。風呂が無茶苦茶熱いらしく、舎弟が騒いでいる。親分は奥の方でそれをゆっくり黙って見ている。オヤジが「熱かですか?」とか聞いている。みんな朗らかに対応してくれる。入れ墨軍団と坂口家だけの昔ながらの銭湯。リラックス。夜は亮太が東京から駆けつけて、二人で料理を振舞う。トマトとベーコンパスタ、鶏肉のオリーブオイル焼、きすの塩焼き、水菜とキャベツのサラダ。ジャーマンオムレツ。皆で食べる。しかし、胃が痛い。夜過ぎから激痛が襲う。眠れず。なんで見舞いに来て、自分が病人になっちゃうのよ。明日朝一で病院に行くことにしよう。

2007年6月15日(金)

 午前6時半に起きる。白米、味噌汁、目玉焼き、醤油ごま。ノノカと遊ぶ。メールの返信。色々な仕事が熊本にいながらも動いている。京都精華大学の講座について須川さんからの話。これからの事を考える。でも受講生はみな相当気合い入っている。それはとても凄い事だ。今週のインタビューもカナダから帰ってきてからに移動してもらった。これはとても楽しみにしているわけである。ようやく自分が何者かという事を言わないでも仕事ができるようになってきているのかもしれない。そんなこと関係なくなってきているこの世にゾクゾクしている。もう一つとても大きくなりそうな仕事も着実に進んでいるようである。これはいつかきちんと発表できるだろう。ベランダで家にある監督椅子で、シェイクスピア&カンパニイ書店の店主ビーチの本を読んでいる。この店は1919年にオープンしたパリにある英米書専門店である。しかも貸本屋。ここは開店と同時にサロンとなり、文化の中心となった。その感覚は読んでいて、パリにあるサラという女性がやっているcoletteを思い起こす。どちらも女性が一人で始めた。しかも、そこまで発展していない通りで、しかも、不安のなかで。しかし、オープンした途端にみんなの場所となった。てぶらになって、やりたいと思っている事に集中してやりなさいとのメッセージ。そん時人は初めて真剣に自分自身について考え始めるのかもしれない。考え出したら最後、その集中は途切れる事は無いのだ。午後は「龍の子」という中華料理屋でタイピーエンを食べる。熊本オリジナル麺料理のこと。その後、夕方からは河内に住んでいるおばあちゃんの家へ。僕はなぜかおばあちゃんの事を「おねえちゃん」と小さい頃から言っていて、それがいまだに続いている。たぶん、僕が赤ちゃんの頃、家にはおばあちゃんとひいおばあちゃんがいて、ひいおばあちゃんを「おばあちゃん」と言っていたので、おばあちゃんの事をなんと呼んだらいいか分からんくなって、「おばあちゃん」より若いので「おねえちゃん」と言ったのだろう。だから僕にとっておねえちゃんという言葉が持っているイメージはなんか変だ。そのままおねえちゃんの家に近い那古井館の温泉に入りに行く。気持ちいい。ここら辺は、夏目漱石が「草枕」を書いた土地。なんかまた年とってこういうところに来ると、そういう漱石の話しとかを見ながら感激してしまう。僕は勝手に漱石にシンパシーを感じているのでなお一層嬉しい。彼は、建築家志望でありながら、小説家という道を歩んだ。その動き方に僕は「分かる!」と思ってしまう。久しぶりに井元健之(祖父)とトキヲ(曾祖母)さんに線香をあげる。じいちゃんは、ギターを僕に教えてくれ、戦後は俳優を目指し上京し、ハーレーダビッドソンを戦後当時乗り回し、じいちゃんになってもオレンジ色のフォルクスワーゲンに乗りながら都はるみを聴きていた。僕にとってカリスマだった。あんまり実家に帰って来なかったことを変えようと思った。今回の母の件で色々と心境が変化した。ナイロビもいいが熊本にも帰り続けよう。カナダもいいが、それと同じ角度で自分の家族に対しても接していこう。おねえちゃんは、切り布絵を始めていたり、たくさん読書をしていた。クリエイティブというものの重要性を身に沁みて感じる帰熊である。

2007年6月14日(木)

 午前6時半に起床。朝食はパン食べて、白米、味噌汁。新しい家は窓がでっかくて、眺めがいい。テーブルで午前中執筆作業。でもほとんどはノノカと遊ぶ。お昼は、「てんてまり」で広島風お好み焼き、関西風、一銭焼、焼きそばをオヤジ、かあちゃん、美帆、ノノカと僕で分けながら食べる。なんか全員腹へった学生みたいに食べてた。その後、鶴屋デパートで、子供用おもちゃを見る。西荻のおもちゃ屋で見ていたピタゴラスィッチみたいな、ボールがチューブを通って落ちていくおもちゃがノノカも僕も気になっていて、叔父馬鹿で購入した。自分で喜んでいた。帰ってきて、馬刺と焼馬肉と鯵の刺身で、芋焼酎を飲む。熊本行きは突然の全く計画にないものだったが、いいリラックス効果を与えてくれる。カナダの準備もしなくちゃならんが。ブライアン・イーノのAMBIENT 1を聴きながらゆっくり。

2007年6月13日(水)

 午前6時半に起床。ノノカも起床。朝食は僕が、クラブハウスサンドを作る。その後、昼過ぎに熊本の街を徘徊しにいく。で、いつも帰ってきたら行く、友人のミトのおばちゃんがやっているブティック&サロンへ。ここは熊本のマダムたちの集まるサロンとなっている。知らない間にお茶くみ係をやっていた。奇人変人が集うこのサロン。最後に来た、ガクちゃんと呼ばれる女性に僕は吹っ飛ばされて、ずっと4時間ぐらい付き合った。30万円の買い物をしながら、ちょっと散歩言ってくるといいながら、帰ってきたらまた新しい買い物をしていた。バロウズのような女性。少し心配になったが、勢いあります。おばちゃんとは仕事の話で盛り上がる。夜9時に帰る。家で皆で夕食。麦酒、芋焼酎。THEME MAGAZINEというNYの雑誌社の編集長のジョンリーからメール。0円ハウスに興味を持ってくれていて、来月号に載せたいらしい。そろそろNY,ヨーロッパからも反応が出てきたようだ。やりますやります。データと図面などを添付して送る。

2007年6月12日(火)

 朝起きて、ノノカと遊んで、午前中ふうと一緒に三鷹の病院へ。これは問題無しだった。お昼は、美帆とノノカと、ふうと僕の4人で西荻「夢飯」へ行く。マレーカレーと、エッグライス。ノノカは、特製ベビー粥。その後,羽田空港に向かう。午後4時の飛行機に乗り遅れ、エクセルホテル東急のラウンジで、石焼ビビンパとカフェラテ。ノノカはおにぎり。二時間ゆっくりして、午後6時に熊本に向けて出発。午後8時前に到着。オヤジと母ちゃんが迎えに来てくれた。母ちゃん、大分大丈夫なよう。少し安心。ノノカに会って気持ちもほぐれたようだ。木山のおばちゃんと、マイちゃんに会いにいく。結婚のお祝いを貰ったので、お礼も。そして、初めて新しい家に帰る。熊本の真ん中に建つ、マンション。凄くイイ感じの家である。僕に設計頼めよー、とは思っていたが、いい家である。ハートランドで乾杯。久々の実家。帰ってきて良かったな。大騒ぎで夜が更ける。知らない間に、テーブルの上で寝ていた。KUMAMOTO JOURNALでも書こうかな。でも、執筆できるいい機会にもなりそうだ。

2007年6月11日(月)

 美帆がノノカと家に泊まりにくる。亮太も夜、来る。豚肉とピーマンのパスタとクリームシチュー。ハイネケン。母ちゃんの調子があんまりよくないようだ。明日から急遽熊本に帰って元気づける事にした。美帆とノノカも、一緒にいくと言い出した。やっぱりたまには実家で家族全員集まることも重要だもんなと。亮太も今週、九州出張で熊本にも寄れるようだ。これをキッカケに集まれることを喜ぼうと思った。今週いっぱい帰って、帰ってきたらカナダだ。

2007年6月10日(日)

 体は意外にも調子いい。でもこういう時が危ない。ちゃんと布団着て、寝よう。今日は夕方から、新宿伊勢丹で旅行用の服を買う。ZUCCAで、見ていたらいいのがあったので、赤のパーカーと、変なかたちしたベージュのズボン購入。いいねぇ。ベルクで麦酒飲む。旅が近づいてきた。興奮と、展覧会に対する少しの緊張。夕食は、さばのイタリア風パン粉オーブン焼、クリームシチュー、南瓜のサラダ、玄米。絶品。夜、母ちゃんと電話する。

2007年6月9日(土)

 午前10時起床。そのままチェックアウト。タロー、りょうへいと、喫茶店「浅沼」へ。ブレンド珈琲。そして、彼らと別れて、地下鉄で京都駅へ。新幹線のホームで、熊倉さんと小山田さんとばったり偶然出会う。僕は午前11時39分こだまで東京へと向かう。電車の中で、ほとんど爆睡。起きたら小田原だった。東京駅に午後3時半。山手線に乗り換えて、上野駅へ。上野公園を抜けて、東京芸術大学の中にある、美術館へ。「見えるもの/見えないもの」展を見に行く。ここに今回知り合いの写真家中里和人さんの写真が展示されていて、それを見に来た。他の写真はウーンという感じ。何かを巻き起こそうというものではないかもしれない。その後、お腹がへって、歩くが、この大学の周りには何にもない、仕方なくデニーズへ。ハンバーグを食す。しかし、ハンバーグがちっちゃい。びっくりした。午後5時から芸大内の正木記念館というところで、畳にみんなで胡座をかいて座談会。中里さんも参加していた。写真家の鈴木理策さんも。司会は以前リトルモアから出版した時に話をした事があった前田さん。テーマは写真とはなにか?ということだったが、いま、そんなこと問いかけてどうするのだろうという疑問を持った。予想通り、議論は空を切り、なかなかうまく具体的な会話へと結びつかない。ぼんやりしてきた。中里さんも途中から黙っていた。うーん。しかも、3時間もあり、くたくたになる。中里さんと出会うのが目的だったので良しとする。挨拶を済ませ、そのまま神楽坂へ。ふーとノブと中華料理屋「大吉」へ。炒飯大盛り。最近は炒飯にハマっていて、こればっかり頼む。今日はさすがに疲れたので、僕だけ先に帰る。今帰りながら、電車の中で日記を書く。帰って寝よッと。来週は怒濤の1週間になりそうなのでしっかり寝とかんと。

2007年6月8日(金)

 午前中、スライドをまとめて、東京駅へ。新幹線こだまに乗り込む。京都へ。こだまはゆっくりなので、読書ができる。「絵のなかの魂 評伝田中一村」を読む。絵というものを純粋に追い求めようとすればするほど、厳しい状況になっていく。その日常が書かれてあった。それでも何人かの周りの支援者、パトロンとの交流に可能性を感じた。京都駅に着く前に読了。京都に三時過ぎに到着。クレッシェンドの神さんからメールがある。近いうちに会合が開かれそうだ。これも少しづつ進んでいる。チェックインして、おにぎり食べて、丸太町の京都精華大学交流センターへ。今日は主に僕のトークということなので、スライドで話そうと思っていたが、だんだんと話しが乗っていき、スライドはほとんど使わない口だけのスタイルに。うまく熱が伝わっただろうか。その後、受講者との話し合い。しかし、何かやりたいと思う人と、そういうところに現在悩んでいる人がいて、それらをどういう風に講座として、まとめていくかに少し課題が残る。今後はできるだけ、具体的なアイデアをみんなで提案しあっていけるように軌道修正していく必要があるな。その後、受講生の何人かと、熊倉さん、須川さん、と焼き鳥屋台「せせり」へ、京大横の吉田山入口付近でやっていた。もう二十年以上にもなるらしい、昔からの屋台。せせりがうまい。乾杯。途中から、小山田さんと村松さんが来る。小山田さんはダムタイプの創設メンバーで舞台美術担当だった方だ。この前、行った素晴らしい料理屋「吉田屋」の内装、改装を担当した人でもある。彼と、地理について色々話を伺う事ができた。大変興味深い。現在は青森で個展の準備をしているらしく、東北についての話しも聞く。しかも、彼は鹿児島人。九州フレーバー漂う。その後、受講生一人とカメラマンタローが残り、3人で夜の京都。タローが行きたかったという店「BARしまうま」へ行く。テキーラロック。ズブロッカロック。また変な店に入ったもんだ。マスタートモさんも混じり、熱いトークが続く。しかし、今日は少し酔っ払った。午前7時にホテルに到着し、寝る。

2007年6月7日(木)

 近所にできた中華料理屋をチェックする。炒飯はまぁまぁ。そのあとに来た叉焼と葱の香港和えソバオイスターソース炒め。これがうまかった。スーパードライ。その後、それいゆでチーズスコーンと珈琲。今日は久々に林さんに電話してみる。この人は全身がアンテナだ。彼は自分では表現できないんだよとか言っているが、そんなことは関係ない。彼のアンテナは相当敏感で、しかも、日々更新されている。前まで嫌いだったものが今日は気になるものになっている。僕にとって彼のアンテナの話は大学一年生の頃からの発想の源。今日は日本映画、溝口健二とボルヘスとギリシア神話の話。彼は僕にサンタナのキャラバンサライを教えてくれたり、横尾忠則の油絵がヤバいと見つけたり、トーキングヘッズに焦点を合わせてくれたりと、僕が何かを作りたいと熱狂する瞬間を作り出してくれる。今は勉強をすることが多すぎて大変だと笑っていた。遊学を続ける林氏。そんな彼と話すために僕も日々何かを作りたいと急かされるのだ。明日は京都。何を話すとか考えるのを止めた。林さんとの会話のような瞬間を作る事ができたらいいなと思った。19歳の頃、3つ年上の彼と毎日、同じ寮で朝まで、創造とは何かと馬鹿みたいに真剣に語り合っていた。あの時代では気違いと思われていたけど、今あんな瞬間が本当に必要に鳴ってきているように感じている。

2007年6月6日(水)

 ピーターから連絡。全国各地の0円ハウスを調査する部隊を作りたいとの事。興味深い。大学の研究部を作ってやるようだ。ピーターは行動派で、かつパブリックな所でも活躍できるので頼もしい。今日も色々雑務作業をやり続ける。さらに執筆の構想。頭の中がじわーと自由になっていくのを感じ、幸福感。その瞬間を表現したい。なんで、あの瞬間は気持ちいいのか。創造の瞬間、空間が生まれてくる瞬間。DJ NAMATEEこと亮治からこの前のイベントについて丁寧なメール。こういうの大事である。こちらも返信する。関西の動きも大注目である。SAIは京都にとって凄い場所になってくるのかも知れん。京都に行く間に行きたい。夕食は玄米、豚バラとニラとエノキの目玉焼のっけ、だいこんの味噌汁、煮豆。久々の家で飯。夜色々調べもの。

2007年6月5日(火)

 ギブソンのレスポールというギターがある。このギターはレスポールさんという人が作ったものだ。この人は元々はギタリストであった。でもその天性の発明能力は彼をギタリストから遠く遠くさせていく。1940年代に様々なギターをつくっては、ギターメーカーに売り込みにいくが、ことごとく失敗。その後、自宅のガレージを改装し、自分の研究所とでもいえそうな場所を作る。ここで、マッドサイエンティストまがいの電気音楽の研究が日夜続けられていた。そこで、彼はギターだけでなく、今の基本にもなっている、さまざまなエフェクト製品、録音製品を発明した。彼は初のオーウ゛ァーダビングの曲を作り出し、大ヒットをもたらす。で、そのガレージの写真がヤバいのです。それは、リーペリーというジャマイカのレゲエの父とも言える人の変態スタジオ「Black Ark Studio」にも通じる所がある。で、今度の講座ではそういう事を喋れないかなーとか思って色々調査中。夕方からは、ハザマの家に山崎8年蒸留所限定バージョンを持っていく。ハザマの家で、ロックで乾杯。その後、勿論「桔梗」で、ざるラーメン塩の大盛り。あと、餃子と麦酒2本。ハザマと今後の話しなど話す。僕もそろそろ自分の仕事だけに集中してやりたくなっている。でもなかなか難しいのも分かる。でもやんないと始まらないのもまたまた分かる。夜9時半頃帰宅。返信しなくてはいけないメールの処理。英語メールが多いので、時間がかかる。立命館のpeterも別府でかなり面白く教授をやっているようだ。0円プロジェクトも申請しようとしているようで、何かが始まる予感。カナダのSWEET OBSESSIONというお店にケーキを頼む事にした。その注文も。今週はまた京都で講座なので、その準備もしなくてはいけない。今回は僕がスライドで講義をする番なので、、。今回はいつもとがらっと変えてみたいと思っている。しかし、受講している方達はやる気満々で向かってきているので、こちらもやる気がわく。今日は今年初めてアメリカンチェリーを食べた。うめぇ。これを食べると築地で働いていた時を思い出す。箱一杯食べてたもんなぁー。

2007年6月4日(月)

 午前中書き物。昨日一昨日で体は完全にバテてしまった。午後はゆっくり。その後、新宿紀伊国屋で買い物。そして、巣鴨の美帆の家までいく。今日はスーツの試着。義弟に借ります。ついでにノノカに会いにいく。ノノカ今日もご機嫌。僕とも大分、感覚で喋れるようになってきた。今日の講座は、「バナナ」。でもバナナと続けては言えない。バと言って、その後、ナーナ。意外と発音いい。その後、童謡とふうと僕とノノカで熱唱。マイクはバナナ。ノノカは今、マイクを持って歌う事にハマっている。外まで、無茶苦茶響いていたらしい。リキが言っていた。美帆が作ってくれた飯を食べる。

2007年6月3日(日)

 昼の12時半に起きる。まだ、DJは音を出している。その目の前で寝ていた。はは。そのまま顔洗って湖沿いを一人で歩く。気持ちいい。と、今日午後1時に横浜駅でジョー&ジョン米兄弟に会うのを忘れていた。あと30分。ココからだと3時間はかかるだろう。彼らに電話して、時間を変更してもらった。ジョー&ジョン快く承諾。ほんといいヤツ。それで、そのまま皆にさよならして、LAKE ISLANDを徒歩で出発。ずっと歩いていたらバス停があったので、それに乗って伊東駅へ。午後4時20分横浜駅到着。ジョー&ジョンとお好み家に行こうと思ったら店休日。でも近くに神戸風お好み焼きやがあったので、そこに入る。出汁に付けて食べるお好み焼き。コーラで3人で乾杯。今年は弟のジョーも中学校の英語の先生になれて、二人とも晴れて夢の兄弟日本移住計画が実現できたわけだ。要は願いを持つ事だけである。そして、それに向かって淡々といきるだけである。彼らはそれぐらいゆっくりだけど着実に、周りの空気を気にせず淡々と生きている。それが興味深いし、またその正反対の僕の話しもよく聞きたがってくれる。ジョーは「恭平を僕の中学校に読んで子供たちの前で話させたい」と言っていた。この人だったら実現させるだろう。その後、6時半駅で別れる。今度は8月に京都連れてあげる事にした。そのまま電車で新宿へ。そして、渋谷へ。今日は夜はスペクテイターの出版記念パーティーが青山の蜂であっていたので、参加する。ギブソンのレスポールが重い。みねちゃん、大樹、けいちゃん、えりちゃん、片岡さん、そして、編集長の青野さんに挨拶。麦酒とテキーラロック。そしたらまた「STOP BAJON」がかかっていて、興奮。イタロディスコ。大樹とサウンドシステム話やら盛り上がる。DJはまた石黒さんがやっていて、彼はケイちゃんの結婚式でもDJをやっていて、それが凄く良くて僕はまたそこでも興奮して、ステージ上がってまた踊ってしまった。それで、あの時はお世話になりましたと挨拶。他にも初めて会う人たちもいたが、みんなカレー屋や、店舗設計など、それぞれ自分の仕事をうまくやっていて、その姿見てたら、僕もまだまだだなと思い、頑張ろうと思った。でも身近にこういう好きな事を真剣にやる事が仕事である人間がたくさんいて、それはとても刺激になり、そして、日本や、東京がまだまだ無茶苦茶面白いという事を実感した。みねちゃんもスタジオヴォイスのアートディレクションを来月号から任されるらしく、これは大注目である。みんなだんだんとビッグになっていっている。それはとても興奮する事である。昨日からの激しい二日間が終わる。くたくたで帰宅。小倉さんから電話があり、別府についての話。PETERが別府にある立命館大学で僕のプロモーションをしてくれているとの事。これはとてもありがたい事である。いつか彼とはなんかやりたい。そして、さらに別府で僕の展覧会をやりたいと言ってくれている人がいるので話しをしてみなさいとアドバイスっを頂く。小倉さんにはいつもお世話になりっぱなしである。アートの世界を、アートとは違うような視点で人を紹介してくれるというかなんというか、とにかく僕のこの不安定で曖昧で原始的な感覚をもう5、6、年前から絶対に面白いと有名無名関係なく言った人だ。その確信が、その時は不思議でしょうがなかった。でもあれは本当に勇気づけられた。

2007年6月2日(土)

 午後12時にヤスが赤のオペル、アストラで迎えにくる。実家の車もこれなので変な気分だ。今日はトミーのイベント「SUPER FRESH」の出張版、伊豆半島伊東の山奥の湖横にある「LAKE ISLAND」というカウンター付きの家みたいな、見晴らし絶景の場所で招待されたメンバーだけで、パーティー。久々に海を見て、喜ぶ。僕はDJたちに混じって、毎度日本語の歌を歌っている。よくやらしてくれるもんだ、トミー。でもみんないつも喜んでくれるのでやりがいがある。会場に着き、トミーとハギー、そして、あーちゃんとアニキがもう準備をしていた。おにぎりも作っている。唐揚げもある。絶景のお風呂も着いている。二階が玄関で、一回には皆が雑魚寝できそうな、広いスペーズと布団も。駐車場に落ちていた、切り株にスピーカーを載っけたりと、手作りで、サウンドシステムを作っていく。次第にみんな集まって来た。何かヤバい場所になってきた。そして、始まりました。DJ 井口、ヤス、が回し始める。井口がかけた、「STOP BAJON」というラテンっぽい曲がやばかった。ヤスは今日は僕が聞いてきたなかでもぴか一でした。とにかく発想が広がる。いろいろなアイデアが僕の頭の中と、外のリズムで絡み合う。最近のハウスは本当に凄いと思う。僕にとっては、原始の頃の人間の祭りと、マルセルデュシャンが合体したようなイメージ。で、そのまま午前二時から僕のライブが始まる。みんな集まって来た。一曲目は「ANOKOE」、そして「ACOUSTIC GUITAR」そして、ケニアで憶えてきた。「 KIKUYU SONG」、そのままメドレーでくるりの「ハイウェイ」のカバー。ありがたくもアンコール。曲は「KIRI」。今回も聞いてくれる人によって、僕の音楽は変化してくる。僕のあとは、DJ ナマティー。彼は大阪の味園で活躍しているDJで、今日は大阪から新幹線で駆けつけてきたらしい。そして、彼のDJがまた凄かった。久しぶりにこんなに興奮した。とにかく色んな曲を教えてもらった。特に、MR.V。これは凄い人です。そして、FUKUYOKA。彼らは二人でDJをする。音の知識が凄い彼らは頭脳プレイ。いやー、こんなに凄い人間があつまるイベントは僕は他に知らない。こういう時間を過ごしている事は本当に贅沢だと思う。最近の僕の仕事の方の勢いもいいが、音楽ももっと活発に動きたい。無茶苦茶カッコいいハウストラックで、僕の日本語の歌が載っているイメージを創造する。それを畳の上で歌っている。いいと、思うよ、僕は。途中で、お風呂に入って、日は明けて、トミーのDJスタート。いきなり、アコギの音の断片をループした曲で、キタ。なんかもうどんな音楽のジャンルをかけるとかそういう問題じゃなくなっていて、その人の脳味噌の中が覗けると言うか、その編集している過程をみながら(つまりレコードを入れ替えたり、スピードの調整、音質の調整)、音という、超右脳的な、つまりは四次元的なものを体験するというのは、音楽を通して、何かを感じようとしている行為なのだろう。その直感は、今のようなかなり現実的すぎる社会では、忘れ去られようとしているし、むしろそれだからこそ何よりも求められている事だと思う。そこまで遊びに真剣になってしまう。結局朝8時までノンストップ。しかもいい音楽を聴きながら踊った時には、まったく疲れを知らない。足も平気なのだ。これこそ脳が作るエンドルフィン、ランナーズハイ。さらに、亮治くんから興味深い新情報が入った。大阪の難波にあった前述した「味園」というキャバレーにあったクラブが無くなり、今度は京都に「SAI」という名前で、復活するらしい。亮治くんはオープニングパーティで回すそうだ。6月中旬。ということは7月と8月はいけるな。京都がこれから熱くなっていくようだ。トミーのイベントからは、DAVID MANCUSOの薫りがします。小さな所で、ちょうどいい人数が参加する。そして、その中では他の所ではどこでも聞けない音楽が鳴っている。それが一番である。来ていたみんなが、今までのパーティーとは全く違う新しい領域を体験している事に興奮していた。

2007年6月1日(金)

 数年ぶりに村上さんから電話がある。彼女は、以前講談社の文芸誌「群像」に僕の漫画を掲載した僕にとっては奇跡の編集者。その後、紆余曲折あり今は青山出版社に勤めていると電話で知り、僕の最近の話をしたら、ぜひ会いましょうということになって、青山出版社がある代官山で待ち合わせ。喫茶店で打ち合わせ。本題は、本の企画。テーマを聞いているとこちらも興奮してくる。また面白い仕事が一緒にできそうだ。途中からフーも仕事帰りに寄ってきた。創造的な打ち合わせ。これは何かがまた始まりそうである。僕の現在進行中の仕事とも関連してきそうで、かつまた新しい局面も見えてきそうで。これだからやめられない。その後、ふうと恵比寿と言ったら「天童」なので、五目炒飯、五目焼きそば、回鍋肉を食べる。帰ってきて、明日のライブの練習。間に合うか?しかししかし、また動き出してキタぞい。

0円ハウス -Kyohei Sakaguchi-