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Journal -坂口恭平の毎日-

2008年3月31日(月)

午前7時起床。朝食、玄米とオムレツ、トマトとジャガイモのサラダ。その後、お手紙を書く。小学館用の書類整理。銀行へ行く。それいゆで一服。午前11時半小学館の今川くん、来西荻、来それいゆ。手紙渡す。本、企画書などと一緒に送付することに。銀座。期待したい。一時間ほど話して家に帰ってくる。昼食はナモさんのところでタコライスを頂く。帰ってきて、読書。マイルス自叙伝。偶然を必然のように、必然を偶然のように、演じながら、川の流れのように。凄い動きはもはや参考にならないが、やはりそうやってみたいと思う所も多々。マイルスの70年代の画像を眺めながら。明日から、講談社現代新書用の原稿を書き始めようとしている。うまくいくか分からんがやってみよう。方法を考える。が、考えてもうまくいくとは限らないのを70年代の画像を眺めながら、やっぱり即興で行ってみようということになった。すると、一つ映像のアイデアが降ってきた。メモる。とかなんとか、今日はぼんやりと思考を続ける。青山出版社村上女史と電話。今日、完全に入稿される模様。その後、作曲。毎日、ギターを弾きながら一枚のアルバム分ぐらいの分量を即興演奏して音楽日記のようなものを作り続けるのは面白いんじゃないかと思いつく。アルバム名は全て年月日になっている。しかもそれが途切れなく。と途方も無いこと考えだす。大量生産せずに一つだけしかないものを無限大に作り続ける。こっちの方が性にあっている。夜は、土鍋で豚シャブをする。その後、遅くにcoyote原稿取り掛かる。午後10時に終了写真もまとめて編集部へ送信する。明日からは、久々に籠って書こうと思っている。籠ると頭は開き、体が開いていると意外と頭は閉じている。そのエンドレスな繰り返しが、ようやく思考を一歩だけ進ませる。執筆で、脳の一部分だけを使い、ドローイングで頭の全体を忘れずに使う。ギターを弾くのは頭をマッサージやチューニングしているような気分でもある。それぞれ役目がある。どれも欠けてはいけない。たまに、どうにか終らせなくてはいけない案件があったりすると、ついつい他の分野を忘れてしまう。それでは駄目なのである。常に全てが欠けないようにする。そのためには時間が必要だ。うまく時間を作り出せる人間になれば、逆に常にカオス状態でいることが出来る。その思考は常に活性化され、余裕があり、かつ緊張感がある。と、書く日々に入る前にいつものように日常を見直す。29日に執筆を終らせ、30日にカナダに行けるだろうか?5月3日はバンクーバーで寿司懐石パーティーらしい。そんなことをぼんやりと思い浮かべる。30日間の旅のようか。

2008年3月30日(日)

午前7時起床。朝食。午前10時過ぎに外出。荻窪の不動産へ。善福寺公園周辺でいくつか物件を見せてもらうが、なかなか見つからない。しかもここら辺、意外に高級住宅街である様子。二つ物件を車で見に行くがどうもピンと来ない。やっぱりこれからは不動産屋が個性を持ってくると面白いなと思う。しかも、変に古い物件を改装して高い賃貸物件にするやつではなく、だれも見捨てているような、物件からいいヤツを選択できる不動産屋。そんなのあればいいけど、そんなことやっていたら商売にならないわけで、それだったらいっそのこと商売ではなく、やってみるというのはどうだろうか?それこそウェブサイトでつくるか。0円ハウスの中のそういう1ページがあってもいいのかもしれない。大抵の人は賃貸で暮らさないといけないわけで、賃貸物件の多様性は、そのまま市民生活の多様性に繋がるのでは、ないかと妄想。その後、電車に乗って、小田急線新百合ケ丘駅近くのアルテリア小劇場へ。今日は、演劇の講演後のポストトークに出演することになっている。こんな仕事初めてだった。そもそも、演劇をやったあとに、人が話すことは演劇の作り出した空気を壊しかねないのでどうかなーと思っていたが、結局のところ、僕は一緒に話した、ドラマトゥルク(キュレーター)の長島さんにイイ感じに空気を作ってもらい、喋りまくった。しかし、今回、今まで言えなかったことが言えたのではないかという、感触があった。なんというか、よく分からないが、僕が言おうとしていることも第二段階へと突入していったのかもしれない、と自分では思った。観衆の方の反応も悪くなかったと思う。本も15、6冊も買ってくれたらしい。ありがたい限りである。阿部さん、長島さん、感謝である。全然僕のことをしらない人と話すというので、珍しく多少不安ではあったのだがなんとか仕事はできたのではないか。報酬まで頂き、家に帰ってきた。夕食は、焼鮭、茄子の酢醤油和え、ジャガイモとトマトのサラダ、玄米、味噌汁。そして、キュレーターの原さんが来る。僕のDig-Italを受け取りにきた。我が愛しの息子、Dig-ital#4をCENTRE Aで5月3日に開催される、チャリティーオークションに出品することにしたのだ。CENTRE Aというバンクーバーの現代美術ギャラリーは非営利施設であり、そして、新しいことに挑戦しようとする気持ちが強いところである。その姿勢に共感したのでDig-ital#4を提供することにした。ちょっと寂しいけど。でもこのDig-italがまた世界に羽ばたき何かぶっ飛ばしてくれるだろうよ。またフレンチのラビラントを予約しちゃった。楽しみである。その後、coyoteの原稿。休みは無い。

2008年3月29日(土)

午前7時起床。午後9時に外出。中野駅からタクシーに乗って、松ヶ丘助産院へ行き、レクチャーを受ける。当然のことを話しているにも関わらず、感動している妊婦多数。んー、何ともいえない感じであった。しかし、産婦人科でケミカルに産むより、やはり助産院で産む方がいいのかもしれないとの結論に至る。ふーも納得していた。逆子の問題もうまく対応できるそうだ。要は、日常の生活態度が、出産にも現れているくるようで、早寝早起き、冷え性改善、散歩、とかなり普通のことをきちんとやっていく必要があるようだ。これは研究する対象としても面白いとも感じた。その後、家に帰ってきて、昼飯はうどん。その後、あんまり気持ちがいいもんで、散歩。善福寺公園まで。やはり善福寺公園素晴らしい。子供を育てるにはこういう環境がいいところがいいのではと思い立ち、とりあえず物件を探す。すると、一番気になっていたところが、友人のタカが最近引っ越したマンションだということを知り、不動産を教えてもらい、行ってみるが、生憎、そこは埋まっていた。その後、懇意にしている不動産で善福寺2丁目周辺で物件探し。思いも寄らない物件探し。いい経験になった。その後、ゆっくりし、外出。新宿南口近くの台湾料理屋で、石山修武研究室から誘いがあったため、向風学校という石山研がやっているイベントに参加することに。今回のゲストは、カンボジアでお世話になった70年代からの筋金入りのヒッピー、もう70歳になろうかとしているナリさんのトークイベント。彼には、カンボジアツアーを企画した時に非常にお世話になった。が、今回は、完全にラリッてらっしゃった。20人ほどが集まってきたのだが、話は完全に支離滅裂。僕が企画したわけではないのにも関わらず、かなり心配になった。来ている人は、ラリっていることを感じたのかどうかは分からなかったが、これはあんまりだった。ナリさんはもう少ししっかりした人だった。コレは企画としてやってはいけない展開であった。もう少し企画者側がナリさんをきちんとサポートすべきだったと思う。4000円という参加費を取って、これでは僕も同じ研究室を出たものとして、何ともいえない気分だった。こういうことをやっているようでは駄目だ。きちんと何かを言おうとするならば、まずはシラフで出向く。これが基本ではないか?あまりにも散々な結果であった。この会合に意味はあるのだろうか?僕にとっては意味は感じられなかった。人にものを話すという場合、どんなに小さな舞台でも全力を尽くす、ということは決して忘れてはいけない。年輪を重ねた言葉が聞きたかった。その後、来ていた後輩と二人で飲みに行った。色々と話す。小手先でやってはいけない。やるなら本気でないと。久々に怒りを感じた。しかも、明日は僕がトークショーをすることになっている。人に話すということを考えさせられる出来事であった。

2008年3月28日(金)

午前7時起床。朝食は阿佐ヶ谷ベーグルとヨーグルト。佐々木伯父さんから電話。フーと歩いて佐々木宅へ。佐々木伯父さんは元NHKのプロデューサー。今年80歳になるようですが、どこからどう見ても60歳代ぐらいのパワフルな方なんですが、伯父さんが今回の本を大層喜んで読んでくれた。そして、NHKの知り合いの方へ手紙を書いてくれたようで、それを受け取りに行く。感謝である。伯父さんも本を出しているので、よき先輩である。とにかく元気がよく、刺激になる。その後、帰ってきてまたすぐ外出。午前11時、品川駅で小学館今川くんと待ち合わせ。こちらも手紙を書いて、土地の所有者の方に送ることになった。うまくいきますように。今川くんと色々と話す。そして、別れて、昼飯を一人で食べて、午後1時に高輪のオフィスクレッシェンドの神プロデューサーと会って話す。神さんはとても興味持ってくれており、どうにか面白いことをやりたいと思っている。1時間半ほど話し、家に帰る。その後、午後4時過ぎにcoyote稲澤さんに忘れていた用件を西荻で、それいゆで一服。色々と話し、1時間ほどで別れる。いやあ、今日も人に会いまくっている。疲れはしないが、なんか別のエネルギーが溢れ出てきた。なんというか、無償の、無分別な力である。古本屋で、坂口安吾、大友さんの「童夢」を買う。んーでもなんかまた違う、と歩きながら、信愛書店で眺めていると「マイルス自叙伝」が目に飛び込んできた。そうだ、今欲している感覚はこれだといわんばかりに即買い。とにかく、構築しようとすると、破壊したくなるのが、僕の常でもある。ここは、マイルスで行こうと思った。そして、人のモノマネを貪欲に続け、ただ自分にとって新しい感覚、音をとにかく探求するだけの体中触覚になっている人間の姿を再確認し、自分の気持ちを盛り立てる。安住してはなりません、冒険をした方が楽しいはず。と言い聞かせる。夜飯は、豆腐ハンバーグ。その後、今日は仕事一切せずに、マイルス読書のみ。充電。夜、村上女史から表紙のデータが届く。すぐ気に入った。トップページに上げる。少しづつ、進む。3歩進んだら、違う次元の道を2歩下がるようにしよう。同じ道で行ったり来たりしないように、違うところで動き続けよう。

2008年3月27日(木)

午前7時起床。そのまま自動的に朝日が当たる窓辺に移動。ガラステーブルの上にケント紙並べてスケッチ開始。すべて、睡眠時に作戦を練ったかのようにただただ自動的に仕事が進む。青山出版社刊小説表紙用のドローイング。何も考えず、ただただひたすら自動筆記。30分も経たずに完成へと向う。感謝、脳。感謝、愛しのペン&インク。で、すぐ青山出版社村上嬢へメール送信。その後、しばしクールダウン。ふーが作ってくれた朝食を食べ、阿佐ヶ谷のベーグル&はるか入りヨーグルト。なんて美味。その後、いろんなメールを送信し、受信し、午後1時に西荻駅前で講談社現代新書編集部川治くんと待ち合わせ。今日はヴィレッジじゃなくて、それいゆに行って珈琲。二人でまたもや興奮のトーク、そして方向性発見、そして執筆開始のゴング。4月1日から書き始めることにした。29日までに250枚~300枚。できるか?これまでもやってきた。やってみようじゃないの。小説脱稿後、そのテンションを維持し、次へと発展。していけるかな。そういえば、昨日、ケイちゃんから深夜電話があり、四次元ガーデン書籍化へ向けて、走ろうかなとのこと。ありがたいじゃないの。もう、とにかく僕の体使って下さいな。それで戻って、講談社。どうやら不思議な本になりそうだ。僕のこれまで影響受けてきたものを紹介しながらのドキュメント的なるもの。まあよく分からんかもしれんが、とにかく書き始めることが決定。一日10枚、30日で300枚。この計算が成り立つか、自分への挑戦でもある。一つ気持ちが高まったところで、川治くんと一緒に新宿へ。新宿ベルグで、青山出版社村上嬢と待ち合わせ。今朝完成したばかりのドローイングを贈り物として進呈する。そして、エーデルピルスを一杯飲んで、話して、次回作の構想も忘れずに盛り上がり、別れる。で、家にまた帰ってきて、キヨスクで毎日新聞の夕刊を覗く。でかっ!!!。特集ワイドでの、TOKYO 0円ハウス 0円生活の記事。デカイです。感謝、田中さん。かなりいい記事で盛り上がる。親父も九州だから読んでないのに、盛り上がっていた(笑)。いよいよ大変なことになってきたな。まあどんどん先を行こうじゃないの。まだまだ辿り着きたい世界にはほど遠い。もっと何かを伝えたいという自動的な使命に突き動かされている。午後5時、今日二度目のそれいゆ。春秋社の篠田さんと待ち合わせ。色々と話す。単行本の依頼を受ける。熱い。熱くなり、僕はまたもやうるさいほど話した。すると、篠田さん側で色んなことが巻き起こっていたのだろうか、とにかく盛り上がる。5月から書き始めることにした。この企画は、この前の赤瀬川原平さんとのトークショーが発端となっていることの延長にあると思っている。うまく成功させたい。午後6時半別れて、家へ戻る。その後、またもや外出、電車で浅草橋へ。僕の20歳代前半からの理解者、原マキコ氏、小倉正史さんとお食事会。原さんは今、バンクーバーで一番乗っているキュレーターとなっている。僕の最近の日本の動きを見て喜んでくれている。この人たちは本当に僕が何をやるやつなのか、全く誰も分からないし、僕も分からなかった頃から、感じてくれていた。その人たちが喜んでくれている。これこそ最高のことじゃないか!原さんは、5月に開催される、CENTRE Aでのオークションに僕の作品を既に欲しいと言ってきている人がいると、教えてくれた。すごいことじゃないか。何だよ、一体世の中ってものは。バンクーバーの皆さんはホントに理解していくれている。そのリスペクトはとにかく勇気を与えられる。日本で、ようやく面白くなってきたところで、僕は日本だけで活動をしたいわけでなく、世界中で動き回りたいと考えている。その準備をもう始めていきたい。とにかく、世界中へ若い人間は飛び出していかんといかんのよ。失敗なんかどうでもいいのよ。というか、そういう挑戦には失敗なんて文字はないのよ。才能なんて入らない。ただやりたいことをやればいい。しかし、自分の欲望だけでは駄目だと思う。それが、何かに光を当てるものであるという直感に従い、損得を無視して、ホントにGOODなことを発信していこうじゃないの。自信がないなんて、言っている暇はない。僕はとにかくやろうと思った。ただ疑問に思うことを無視せず、尋ねて、おかしいと思ったらただ批判するだけでなく、きちんと代替案を出す。こんな簡単そうで、難しいことったらないよ。でもやるしかない。今はチャンスだと思う。そして、それは日本だけでなく、世界中で通用するはずだ。今こそ出ろ、すぐ出ろ、出ろ。と、ただただ、自分を鼓舞する今日の坂口であった。小倉さん、今日はごちそうさまでした。この店がまた凄かった。夫婦でやっている、自分で作った野菜を使い、蕎麦を打ち、儲けなんて一切吹き飛ばして、人々に料理を提供する「美登里」というすんばらしい店でございました。小倉さんはこういう店をホントによく知っている。ごちそうさまでした。

2008年3月26日(水)

午前6時半、東京駅にバスが到着。電車に乗って西荻窪まで帰ってくる。そのまま小説原稿読み続ける。その後、午後12時に吉祥寺駅でカメラマンのホカリと待ち合わせ。今日は小説用の写真撮影。井の頭公園で撮ることにした。ちょっと韓流寄りの写真になり、二人で麦酒飲みながら笑う。何枚かイイ感じのが撮れた。その後、ホカリとは別れて家に帰ってきて、今度はcoyoteの原稿のことを考える。まだ手付かずだけど、考える。午後5時、西荻ヴィレッジヴァンガードでいつものように青山出版社村上薫女史と待ち合わせ。小説原稿入稿前日、最終チェック開催。バドバーを飲みながら、一ページ目から一字一句チェックしていく。だんだんと気が遠くなる。でもやるしかありません。青森行きバスの中での苦行が功を奏したか、ちゃっちゃかちゃっちゃか進む。しかし、なんせ260ページ。最後のページに入った時はもう既に午後9時を超えていた。丸4時間。最後のフレーズまでチェックが終り、小説も僕の仕事も終った。はじめは初めての小説なので、さすがの僕も自信を持つことができなかったが、この最後のチェックを終え、本当に自信が持てる、いい作品に仕上がったと思う。今までにない、充実感。村上さんお疲れさま。ってこれからさらに編集者は大変なのよね。宜しくお願いします。と言って、駅前で別れた。家に帰ると、毎日新聞田中さんより明日の夕刊に掲載する記事がファックスで送られてきていたので見る。いい!デカイ!ほぼ一面を使った記事に驚く。田中さんに確認と感謝の電話。これは面白いことになるかもしれない。ぜひご覧ください。小学館の今川くんからも電話。銀座物語も最初の山場を迎えそうだ。不思議な土地を発見した。来月頭に動き出したいところ。バンクーバーからは、CEMTRE Aのキュレーター原さんが来日中で電話がかかってきた。明日会うことに。雑誌、日経アーキテクチャーのライターの方よりインタビュー依頼。ふ~。なんだかんだで大変なことになってきております。しかし、まだ頭は追いついているようだ。やるだけやろう。完全に脳内から色んな分泌液が溢れ出てきている様子である。僕の中のちっちゃい有能なマネージャーが忙しく動き回っている。もう今日は早く寝ます。明日も怒濤の日程なのである。

2008年3月25日(火)

午前8時半青森駅到着。午後9時50分までうろうろする。食べ歩き的取材敢行。途中で、それとは別に三内丸山遺跡&青森県立美術館にも立ち寄る。美術館は欧米のスタイルにかなり影響受けている感じがしたが、とても居心地はよかった。遺跡はコンクリート打ち過ぎだ。竪穴式住居の姿はカッコいいのに。もう少し素のままでできないもんか。あの空き地のような空間には非常に惹かれた。しかし、それらよりもその近所にある食堂の方が気合い入っていた。ぼくはそこの親父さんととにかく喋りまくった。そのことをcoyoteでは書いてみようと思う。観光は、ただ誰かが教えてくれたところ、本に書いてあるところに行くものではない。なんせ、観光だ。光を観る、わけだから自分しか見えないような光りを求めて歩き続ける必要がある。光りなんてめったに見えるもんじゃない。そんな連載なのかもしれないと考える。帰ったら、いよいよ小説入稿である。取材中も暇さえあればゲラを見ながら、チェックを続ける。いくつか訂正点がさらに出てきた。帰ってからまた直そう。田中さんより電話。原稿が遅れたとのことで、次は27日の夕刊予定だそうだ。

2008年3月24日(月)

午前8時起床。朝食は、玄米とオムレツとノリと山口の竹輪。祖母からの贈り物。感謝。午前11時頃までなんだかゆっくりして、その後原稿。雑誌ecocoloの連載「四次元ガーデン」第4回目。書きたいことはたんまりあるので、意外に早く終る。昼食はきしめん。こちらも贈り物。感謝。午後二時半に終了。そのまま外出し、駅前のヴィレッジヴァンガードで青山出版社村上さんと待ち合わせ。ここでの打ち合わせ、何回もしたなあ。もうそろそろ終わりが見えてきた。村上さんが文字組みした原稿を貰う。おー、本っぽくなってきた。文字のフォント、文字のサイズ、レイアウト、イラストの確認など。途中で、書店に寄ったりして、色んな人の小説を眺めながら、文字の性格をほぼ決定する。表紙のアイデア。デザイナーからのラフアイデアを見せてもらう。方向性決定。その後、僕の家へ帰ってきて、表紙のイメージを喚起させるような図版などを僕の書棚から引っ張りだしてくる。その途中、小学館今川くんより電話。なんだか脈ありな物件が見つかってきた。もうそろそろだ。ここからうまく詰めていけば、本当に実現するかもしれない。電話で色々と話す。その後、村上さんはインスピレーションを受け、帰って行った。明後日がいよいよ入稿だ。青森行きのバスで原稿を再度通しで読んで、最終調整することに。いやー、大変であるが、ココが重要なので。その後、ecocolo編集部エリちゃんに連載原稿を送信&電話。そして、ようやく青森的調査に入る。いい情報を手にする。楽しみだ。夕食を今から食べて、出発する。明日の毎日新聞夕刊に僕と鈴木さんの記事ははたして載るのだろうか?田中さんの原稿を読んでみたい。楽しみである。さあそろそろ出発である。東北はまだ寒いんだろうな。今回は食い倒れの旅になる予定。カナダかメールがあり、5月の開催される展覧会の日程がようやく決まったようだ。4月30日にカナダ・ウィニペグ入り。3日準備を行い、5月3日にオープニングだそうだ。初めての地。そして、今度の展覧会ではなんと結構豪華なカタログが一緒に出来上がる予定だ。僕もたくさんの図版を送ったのでどうなっているか楽しみだ。

2008年3月23日(日)

午前8時起床。熊本蜜柑の名品「はるか」を朝食に頂く。昨日そんなに飲んでいないが、ご飯喉通らず。熊本日日新聞に書評が載っていたらしい。親父から電話。その後、午前10時半外出。西船橋駅で、フー母と待ち合わせ。三人で八柱駅へ。今日はお墓参り。八柱霊園。お墓参り後、霊園内で弁当を食す。稲荷寿司。鶏の唐揚げ。おはぎ。その後、午後3時原宿駅へ。ノノカと美帆と待ち合わせ。代々木公園で遊ぶ約束。ノノカと戯れる。子供と遊びながら一瞬仕事のことをすっかり忘れリフレッシュ。必要で重要で楽しい忘却の時間。濃密な思考はこの遊び無くして不可能である。午後5時頃、亮太も参戦。みんなで歩いてリトルモアにいく手前にあるいつも気になっていた、地下の喫茶店へ。コーヒーとチーズケーキ。ノノカも受け入れてくれて、優しい対応でかなり好感触。内装の具合も雰囲気もいい。ここは原宿駅徒歩5分なのに閑静で落ち着く。兄弟妹嫁姪の五人組。ハイスクール奇面組みたいでいいじゃないか。その後、歩いて明治通りに出ようとすると途中に感じの良い店発見。Tas Yardという店。気になったので迷わず入店。みんなで夕食。僕はカレーライス。美味。その後、みんなはタクシーに乗って、僕は別れて、表参道へ。毎日新聞社会部記者の田中さんと待ち合わせ。昨日の引き続きというか、やり直しというか、取材。ジョナサンにて。パワーフルーツジュースを飲みながら。僕の考えていることをとにかく話す。熱い議論。とても自分としても冷静に己の仕事を見つめ直すいいキッカケになった。25日の夕刊に特集される予定。非常に重要で楽しい新聞記者と出会えて、僕は幸運だ。今後も色々と面白いことを話しあえたらと思う。二時間ほど話して別れる。その後、ギャラリーMOGRAに久々に行って生麦酒で喉を潤す。隣の郡山のおばちゃんと話し込む。すぐその場は離れて、交差点にまた戻って、コヨーテ編集者、佐々木さんと待ち合わせ。明日からのバス旅の打ち合わせ。明日の夜から、今度は青森である。何をするかはお楽しみ。もちろんまたまた0泊3日である。月に一回はこうやってどこかへバスで行っているというのも面白いし、日々の生活に張りが出る。何でも続けることはなんて楽しいんだ。大変だけど。僕はとにかく止めないことが趣味である。続けるのが趣味である。その先には面白いことが待っている。いつもそう思っているし、いつもそうだった。続けられないこともあるけれど、僕はそれを考えることは止めていないつもりだ。いつかまたやり始めようと思って培養しているアイデアもたんまりあるわけだ。とにかく止めない。それしかないと思っている。考え続けることができる頭の筋力トレーニングだけは怠ってはいけない、と考える。電車で家に帰ってくる。

2008年3月22日(土)

午前8時起床。午前10時半、銀座で小学館今川くんと待ち合わせ。今日も空き地探し。色々と見つかる。そして、宝くじ売り場の親父の小屋がえらく気に入り、話し込む。情報を頂く。この小屋を引きずりながら、銀座に住んでも面白いかもしれない。午後12時半まで歩く。これが日課になっているのはとても面白い。銀座は変な街だ。興味は尽きない。その後、電車に乗って久我山駅へ。ふーと吉祥寺で一緒になって久我山病院へ。今日は出産前の両親学級。二十数組の夫婦が集まり勉強会。なんだか恥ずかしいが、そう言ってられない。これを受けないと立ち会えないらしいので行く。目の前に見たことがあるなーと思われる人発見。しかし、そんなわけないと思っていたら、後で声をかけられ、リトルモアレコードの圓谷さんであることが判明。こんな偶然があるもんですな。休憩中いろいろと話す。ドキュメンタリー映像に感動してしまう。出産モチベーション上昇してくる。力は入れない、痛ければ痛いほど赤ちゃんに出会う時は近くなっている、というこの二つの明言を助産婦から頂き、納得する。その後、僕だけ阿佐ヶ谷へ向い、香染美術へ展示していたDig-Ital三枚を取りに行く。家に帰ってきて、夕食は中華丼。美味。そのあとすぐに外出。新宿紀伊国屋本店前で毎日新聞社田中さんと待ち合わせ。居酒屋で取材。乾杯。話はのっけから盛り上がり、途中で、田中さんが「もう今日は盛り上がっちゃっているから、取材なんかじゃなく、飲みましょう!」と予想外の転換、展開。もちろん僕は自動的に波に乗って行くことに。とにかく田中さん、熱いんです。彼は鈴木さんに衝撃を受け、なので僕は隅田川まで連れていき、紹介し、さらには空き缶拾いまで一緒に付き合い、鈴木さんと大いに飲み明かした男である。で、今回は僕と鈴木さんの記事を書いてくれることになっている。その後、ゴールデン街へ足は向い、クラプトンバーという謎のSLOW HANDへ。マスターのマーヒーさんを紹介される。そこからは田中ワールド前回で、オフィス北野の方も混じって、なんだか大変なクラプトンデーへと変貌していった。僕もちょっと忘れていたヤードバース魂を思いだし、家に帰って、ギターを弾いた。田中さんは、バーの中でギターを弾いていた。面白い人である。ご馳走になり、タクシーで西荻まで帰る。なんだかみんなが盛り上がっている。それ見て僕も盛り上がっている。

2008年3月21日(金)

ソウはふーの朝食を食らい、引っ越しの準備のため、朝9時前に外出。僕とふーはその後9時過ぎに外出。新宿武蔵野館へ。今日はウェス・アンダーソン監督のダージリン急行を観に、銀ブラの前に詰め込むことに。ダージリン急行、周りで評判高かったので見に行った。天才マックスの世界しか観たことは無かったが、このダージリン急行、よかった。江戸川乱歩かと思った。いや、別にサスペンスでもなんでもない、ある意味ハートウォーミングな作品なんであるが、この人はそういうストーリーだとか、設定なんかは、じつはどうでもいいのではないかと思ったのである。それよりも、映画の中でしか描けない、映画という素材を使ったうえでしか表出してこない、いつもの僕の理論でいうところの「空間」を表現しようとしているのでないか、ということであります。江戸川乱歩の小説を読んだ時に表出する、文字で描かれることでしか表現し得ない「空間」、ボブデュランが詩と音楽を同時に合体させることによって浮き上がってくる、音楽としての「空間」、デュシャンが行った芸術作品の中に見えてくる4次元といったものと同じラインで観ることで何か言えないかと、勝手に妄想した。それはマックスの中での劇中劇でもそうだった。というかこれはむしろデヴィット・ホックニーの思想に影響を受けているようにも感じられる。まあそんな風に考えた。なぜ、世界にはこんなに無数の表現方法があるのかと言うと、それはある限定した方法でしか、「空間」は感じれないからである。といっても、僕たちは日頃毎日、この「空間」の中でいきているわけであるが。それは二次的に表現することは不可能なのである。だから、人は必死こいて、ある間隔を遮断し、限定し、どうにか「空間」を「体感」することによって、理解しようとしているのではないか?これが僕の仮定であります。いやいや、こんなに朝から難しいことを考えてはいけません。ただのお馬鹿な映画かもしれないのです。よって、映画館から飛び出し、二人で世界堂へ行き、コピーやら、大好きなノート類を購入したりする。コピーを待っている間に、僕の好きな御苑横の道を歩きながら、気になる中華料理屋があったにもかかわらず、イタリアンを食べる。その後、一人で銀座線に乗込み、いつもの銀座へ。今川くんは今日は来れず。寂しい。一人で二つもの空き地を発見する。持ち主も周りに聞き込みし発見する。さらに最近気になる銀座8丁目を入念に歩きながら調査していると、一人の路上生活者らしき人発見。何やら、誰かと喋っているような感じである。しかし、横には誰もいない。つまりは独り言である。要はちょっとおかしな感じである。普通で言うところの危険人物である。行けません、変な人に声をかけては!って言われるところである。しかし、僕は気になり、「おじさん、どうしたの?」と声をかけた。で、そこからが凄かった。なんでも彼は大正天皇の子供らしいのだ。普通に考えたら、嘘を言っている事になるが、何だか、いきなり、その話しが出たのと、ボロボロに破れた服を着ているにも関わらず、なぜか、胸には葵の紋章を付けていたので、これはタダモノではないと思い、色々と話していると、出るわ出るわ。ここでは書いてはいけないことなんか無いのであるが、そんな僕でも遠慮しちゃうことばかり口からでてくる。嘘であってほしい。が、僕にはただの嘘には聞こえなかった。もしかして本当かもしれないとまで思った。僕の好奇心はもうこうなったら、止められるわけがない。このおかげで、貯水タンクにも住めたし、鈴木さんにも会えたわけだ。この異次元、郷に入りては郷に従え、でありますから、ココは「とりあえず、喫茶店などにいって話しましょう」と誘いまして、おじさん、「ルノアールがあるよ」と言うので、そこに言って、おじさんアイスコーヒー、僕はバドワイザーを飲む。店員ビックリ。でもきちんと対応してくれた。ルノアール素晴らしい。で、さらに話を聞く。僕メモる。あまりにも面白すぎて3時間話をしてもらった。ありがとう、タダヒト天皇さん。再会を誓い、取材費ですと言って、千円札を渡すと、それで、コーヒー代を払ってくれた。よく分からんが、切符が良かった。今日はとちゅうで「たちばな」というなんだか凄いかりんとう屋さんで、カワイイ缶入りのかりんとうがあったのでお土産にかったり、タバコ屋の名物お母さんに会ったりと、またまた銀座の空気に触れられた。一体、僕は本当に東京の銀座にいるのだろうか?とふと思った。へんなワープにねじれみたいなところに紛れ込んでしまってはいまいか?帰ろうと思った途端、いつも銀座は今まで僕が感じていたイメージ通りの銀座に戻る。ああ摩訶不思議。熊楠さん、これこそ摩訶不思議なんでございますね。家に帰ると、高校の時の同級生だった女性からメール。さらに、熊本日日新聞の23日(日)の書評欄に掲載されることになるとのメールも届く。感謝。青山出版社村上さんから、「すばらしい!」との件名でメールが届き、追加原稿喜んでくれたようで、ホッとし、嬉しくなる。僕はいつもこういう言葉はありがたく頂戴することに決めている。謙遜するのはもったいない。褒められたらありがとうを言う。あまりにも変な一日のため、日記が長めです。ゴール。おつかれさまです。

2008年3月20日(木)

午前11時まで寝てた。その後、起きて、鮭おにぎりを食べる。昼飯は西荻、夢飯でフライドチキンライス。その後、外出。午後1時に銀座三越前で小学館今川くんと今日も待ち合わせ。またうろうろする。本当に銀ブラオモロいぞ、コレは。空き地もいくつか見つかる。しかし、まだ完全には土地が見つからない。雨なのでほどほどにする。また明日行く予定。その後、タリーズコーヒーで、大好きなここのアイスクリームとダブルエスプレッソ飲みながら今後の打ち合わせ。この企画はどうにか土地を見つけて実現させたい。しかし、とにかくこの銀座で歩きながら出会う人々たちのストーリーが面白すぎて、またノンフィクション書きたくなっている自分がいる。おいおい、僕の企画のアイデアはどんどん膨らむ。面白い冒険活劇になりそうだ。銀座の土地を持っている人はみんな、ちょっと何か隠してそうなんだよなー。そこが気になる。東京都が持っている土地も非常にグレーな感じがする。一体土地というのはいつ、誰が、その場所を自分の土地だと言い出したのか?非常に気になる命題である。その後、家に帰ってきて、ちょこっと作業。雑誌ブルータスよりメール。小さな依頼。即返信。久々のリラックスモード。夕食は焼き鯖、味噌汁、玄米、叉焼サラダ。夜、従兄弟の18歳のソウが上京初日、アパートにまだ荷物が届いてないらしく、うちに泊まりに来た。ソウの今後の活躍を期待したい。家で、最近、ソウが聞いている音楽を教えてもらう。その後、早めにゆっくりした。銀座だ。最近は銀座のことが頭から離れない。何か隙間が見つかりそうで、もうちょっとのところで手が届かない。しかし、諦めんよ。

2008年3月19日(水)

午前7時起床、そのまま机に向って原稿。最後のシーン。書いていると、もうちょっと詳しくそこの風景が見えてきたので書き足していく。原稿は気付いたら360枚になっていた。これじゃ、前より多い分量である。はじめは200枚書くのが精一杯だったのに、意外にも成長してくれた。よろしい。ほぼ完成したので、村上さんにメールを送る。とりあえず、またこれで落ち着いた。入稿は26日でも間に合うということなので、あとまた一週間考えられる。ぎりぎりまでやっていこう。その後、電車に乗って銀座へ向う。銀座一丁目で小学館SAPIO編集部今川くんと待ち合わせ。今日ももちろん土地探し。色々と脈蟻な場所見つけたので、当たってみる。まあなかなか難しいが、とても面白い。一体、土地ってなんであるのか、大いに考えさせられる。銀座の全ての部分が、当たり前だけど、人のもんなわけである。今川くんは途中で仕事に戻っていった。僕の仕事は、いつも有り得ないことをするわけで、うまく行くばっかりじゃない、僕の提案に銀座の人は驚き、呆れるだろう。しかし、一人ぐらいいるだろう、そんな酔狂な人が。それが僕の狙いである。その後、今川くんと別れて、一人で色々と回る。そして、腹が減ったので蕎麦でも食べようとある店に入って、海老天丼とざるそばを注文。すると、店長と思われるおじさんに、「おー、あんたいい顔してるね」と謎の発言。でも嬉しい。すると、帰り際に、ラップに包まれた無数の天麩羅たちが。「あんた、一人暮らしかい?」「いや、嫁も腹の中に生命も誕生しております」「へえ、そうかい。じゃあこの天麩羅、おうちに持ってかえってあげなよ」との事。「オーナーには内緒だよ」うーん。銀座。やっぱり何かあるよ、ここには。おれは盛り上がって、その天麩羅を貰い、次は銀座線でそのまま浅草へ。鈴木さんへ二回目の印税を払いに行った。鈴木さんはぶったまげてた。すぐ、みっちゃんに取られてたけど。三人で飲んだ。小説の原稿も渡す。今度の本は、「隅田川のエジソン」というタイトルになりそうだ。まだ仮だけど。4月下旬に発売予定。内容は鈴木さんにインスピレーションを受けた、オン・ザ・ロード(隅田川版)である。その後、家に帰ってくる。そして、ちょっとやれてなかった、ライブの練習。ってライブは今日。夜10時に下北沢ROOMへ。午前2時から僕は歌った。概ねいい感じか。今度は、リズム付けないで、ギターだけで試してみようかな。午前5時に帰る。見に来てくれたタンゴと唯一開いていたマクドナルドで百円珈琲飲んで話す。眠い。疲れた。よくやった今日は。そうやって、一日は過ぎていく。

2008年3月18日(火)

午前7時起床、朝食後、iBookに直行。書く、追加原稿分。とにかく読む、書く、読む。お昼は、焼うどん。そして、間髪入れずに書く。窓辺で、書き続ける。外は、天気はよく、気持ち良さそう。僕は引き蘢り。ある出版社の編集者よりメール。単行本を作りませんか?との提案メール。ありがたい。速攻でメール返信。しかも、最近、僕がこういう本を作りたいなと想像していたものに近い案だったので驚く。どうなってくるか楽しみである。その他、来週の予定が少しづつ埋まっていく。来週はまた色んなことが動きそうな予感である。今日は、小学館の連載のための銀ブラに行きたかったが、原稿が進んでいるので、急遽、止めて家にいることに。夕方、マタニティヨガ帰りのフーにそそのかされ、どんぐり舎で、珈琲で一服する。帰ってきて、また始める。明日のライブのための音源をヤスが作ってくれて、送ってくれた。しかし、今はライブの練習ができない。明日やらないと。夕食は、鯵の梅生姜煮、玄米、味噌汁、ホウレン草の白和え、切り干し大根。午後11時まで書く、が終らない。明日へ持ち越し。ベットに入った瞬間に眠りについた。 今日は頭がしびれた。

2008年3月17日(月)

午前8時起床。原稿。昼食、うどん食べる。午後12時外出。午後一時に小田急線登戸駅で、Web Designingインタビューのため、フリーライター、小泉さんとカメラマンの女性と待ち合わせ。車で川崎の多摩川沿いの0円ハウス探訪をする。なんと川崎では1キロ190円で取引されているという衝撃の事実を発見する。これは鈴木さんに是非とも伝えないと。やはり、まだまだ東京でのネオ生活の極意は色んなところに隠れているのかもしれない。もう少し広い視点でみた、東京生活についての文章を書いてみようかと思う。で、多摩川の草原の真ん中でインタビューを受ける。のっけからいつものごとく、僕の話しは壮大に壮大に広がってしまい、申し訳なくなるが、小泉さん、予想外に、僕を止めずにそのまま話させてくれる。だもんで、調子のったまま、3時間ほど喋り倒す。よく喋る人間である。自分が、女だったら絶対こんな人間嫌だ。もっと人の話も聞いて欲しい。とか一応鳥の目でも考察する。が、止められない。そんなこんなで、その後、ファミレスで生麦酒を頂き、クールダウンをしてもらって、終ったのが4時半。3時間半の長旅でした。しかし、その途中、小学生たちの下校に立ち会い、色々と話したら、秘密基地を持っていそうだったので、今度、川崎の小学校巡りをしてみようというアイデアも勃発。何だか色々とスパークしたな。写真撮影も行われた。今回はかなり色んな所で、寝転がったり、木の上に立ったり、川の上に浮かんだり、飛んでみたり、としてみた。まあたまにはいいじゃない。意外と面白く感じた。家に帰ってきて、原稿を書こうとするが、今日、さすがに喋りすぎたのか、帰ってきてもなかなかゆっくり原稿に向えない。夜御飯は鮭とショウガスープと海苔と漬け物と玄米。コレがやっぱ一番。

2008年3月16日(日)

午前8時起床。小説のゲラ読む。オムレツバーガーを作成、朝食。その後、ぼーっと。赤瀬川さんとの対談を考え直す。やっぱ、凄かったな。今回のトークを発端にまた色々と閃きそうである。来てくれた方々へメールを送る。午後12時西荻窪駅で名古屋から来た若者二人と待ち合わせし、夢飯でランチをする。生麦酒で乾杯。本を読んで、メールをくれて、そしてさらに会って話したいという方がいる。それはありがたいことなので、全て、会うことにしている。会ってみないと分からない。そこから仕事に発展する場合もあるわけである。しかし、それとは違うことも多々ある。私はこういう人なんです。それで作品はこういうものなんです、という方たち。あーそうだった。僕もそうだった。一度だけ持っていったことがある。僕は、大竹伸朗さんに相当熱中していた時期があり、2002年、NADIFFで「18」刊行記念トークショーが行われた時に、0円ハウスの元本である東京ハウスというデカ過ぎる手製の本を抱え、トーク後、是非見てくれませんか?と尋ねたことがある。その時に、僕はおそらく見てもらえると思っていたんだと思う。しかし、大竹さんは、「見ないでもいい?」と一言。愕然とした僕は苦笑いを浮かべその場を去った。そして、帰り際にようやく僕はそこで見せても何の意味も無いこと、それよりも自分は、自分の作品を発表出来るところを探すしかないんだよ、ということを、本当に勝手な妄想かもしれませんが、教えられた気がした。そして、自分が何かやっているんだということを人に見せて納得しようとしたことを恥じた。最低で自分勝手な考えだった。そして、僕は表現者の人に自分の作品を見せることを、完全に止めた。そして、その出来事が起きた半年後、僕はリトルモアという出版社に持っていき、本になるのである。と、それを思いながら、僕が今どう接しているのか考えた。で、お昼後駅で別れて、家に帰ってきて、その後、フーとあまりにも気持ちのよい日曜日の西荻窪を散歩する。沈丁花の香りが凄すぎて、僕は町中がトイレの香り、いやいや春の匂いに包まれた。30分ぐらい歩いて、午後3時半、青山出版社村上さんとヴィレッジヴァンガードで打ち合わせ。昨日の赤瀬川さんとのトークでさらに生まれた考えを小説の中に盛り込むことにした。さらに追加原稿。入稿まであと5日。3日間でつい原稿を書くことにした。麦酒を飲む。午後5時帰宅。その後、雑務。午後7時京都からタロが来ており、うちで夕食を食べる。その後、亮太も誘い4人でメキシコ料理屋へ。で、その後bar bitchへ向い、ヴァンモリソン、VELVET UNDERGROUNDの4枚目LOADED、最後にサンタナのキャラバンサライのA面を通しで聞かせてもらい、焦点。家には午前1時30分到着し、寝る。

2008年3月15日(土)

午前7時起床。やばい、緊張してる。そう、今日は赤瀬川原平さんとのジュンク堂にてトークショー。どう考えても緊張するよ。僕は高校一年生の時、美術の先生に「宇宙の缶詰」を見せられてから、僕は爆発してしまって、何か見ちゃいけないものを見てしまったと思い、馬鹿だから、いつかこの方と話したいと思ったのでありました。そして、あれから13年。とうとうその日は来たのでありました。ソンな日って、普通来るもんでしょうか、いやいや、来ないもんです。でも、来ちゃった。その興奮を鎮めるために、ぼくはペンとインクを取り出して、スケッチを始めた。これは小説用の挿絵スケッチ。やり始めたら、いつものごとくノリに乗っちゃって、40枚のオーダーのところを、80枚も描いちゃった。村上さん、好きなのを選んで下さい(笑)。そのスケッチのおかげで、時間はあっという間に過ぎ去り、午後4時に外出。池袋へ。東武百貨店15階にある、中国湖南料理屋「華湖」にて大和書房第二編集局局長、古屋さんと、編集の増渕さん、営業の山田さん、そして赤瀬川原平さんと5人で会食。緊張する。生麦酒で乾杯。しかし、赤瀬川さんは優しく、しかも、無茶苦茶0円ハウスに予想以上興味を持ってくれていたらしく、僕の緊張はほぐれ、というかそれどころではなく、盛り上がり、なんだか、トークが楽しみになってきたのです。なんだか、定員オーバーなのに、さらに問い合わせが凄いらしく立見も入れているらしい。みなさん来てくれて、感謝です。この湖南料理美味すぎた。で、時間が訪れたので、タクシーでジュンク堂へ、会場となる4階のcafeへ。なんだか凄い人である。控え室で赤瀬川さんと話していたら、いきなり控え室に小松義夫さんが入ってきた(笑)。最高っす、小松さん。緊張が一気に武者震いへと変わっていった。トークスタート。赤瀬川さんとのトークは、簡単には書けないが、とにかく今まで体験したことが無いタイプのもんだった。既存ある、知っていることではないところへ行くぞ、ということを赤瀬川さんのほうからけしかけられた。コクピット、落合風、などキーワードもたくさん溢れ出て、有意義な時間であった。リトルモア、浅原さん、青山出版社、村上さん、小学館今川くん、講談社川治くん、コヨーテ、稲澤さん、佐々木さん、と勢揃い状態で、それだけでもなんか僕は盛り上がった。遠くから見に来てくれた方もいて、ただ感謝でございます。トーク後、村上さんより小説の原稿のプリントアウトを手渡され、僕はお礼に80枚のスケッチを手渡す。赤瀬川さんとはまださらにいくつか質問を投げかけてくれた。次もまたご一緒できたらと僕は願いました。で、その後、近くの居酒屋へ場所を移し、ふー、亮太、タンゴ、というレギュラーメンバーと、編集軍団、浅原さん、今川くん、石山修武研究室の後輩、光嶋の7人で飲む。途中から増渕さんも参戦してくれて、飲む。午後11時過ぎまで。また色々と発想が浮かび上がった日だった。もっともっと仕事を進ませたい。

2008年3月14日(金)

午前7時起床。今日はもう原稿から解放された。といっても、もっと書きたいからまた次の本の内容についてもそろそろ考え始めよう。今度は大冒険だ。建築の。空間の。今まで建築的、空間的と思われて来なかったものたちの響宴になる。それに僕が今まで考えてきた原始的、根源的、野性的、本能的である、家、空間に対する考えをぶつける。学者みたいなことは書かない。直感に従って書く。それはこれからの人間が持つ、新しい感覚なのではないかという希望的観測を元にね。ルイヴィトンの新作のコレクションも完全に空間的、建築的、幾何学的である。ロシアンアヴァンギャルドみたいだ。ロシアの芸術家たちは明らかにピカソ、ブラックたちのキュビズムの考えとは違っていた。それは農村、農民の姿を立体的に描くことで僕はそう感じた。そして、それは僕の中では0円ハウス、鈴木さんの生活風景と重なり、それは狩猟民族的発想でもある。立体的に物を見るという視点は何も新しい発想ではなく、狩猟民族の人たちは必然的に備えていた感覚だったのではないか。だって、あんなに動くものを知覚しているわけだから、脳は今よりも随分発達していただろう。そして、そのDNAは必ずや今生きている全ての人類の頭の中に詰め込まれているはずである。だってみんな狩猟民族であったからだ。そして、定住し、安定した幸せな生活を送るに従って、人間が持っていた空間的立体的な感覚は一度封印されてしまった。しかし、千利休、キュビズム、ロシアアヴァンギャルド、などの運動には必ず立体的な香りが詰め込まれている。これは芸術や、茶や、文学などの縦割りの感覚では理解することができない。ここで、その太古の人間が持っていたであろう、立体的な建築的な洞窟的な横の流れを感じることにより、現代の我々は新しい解釈ができるのではないだろうか。それが昨今の人間のより立体的なものに向おうとしている趣向ともシンクロしてくるのではないか、とかつらつら考える。よし、ここらへんを書いてみよう。しかしそのへんはむしろ、明日お会いすることになっている赤瀬川原平さんと無茶苦茶喋ってみたい。超建築について話しあってみたい。楽しみだ。全く何喋ろうか考えていない。しかし、ずっとこういうことを考えている。それでいいや。もう。今日は作業はないので、朝9時にフーと一緒に外出。久我山病院へ。フーの定期検診。もう六ヶ月を超えました。予定日は6月下旬。もうすぐ産まれてくる。早く産まれてこい。でもほんと早いな。こりゃ。仕事ももっとドンドン頑張らないかん。何でもやります。面白ければ、ね。帰りに、吉祥寺スーペルバッコでパスタを食し、家に帰ってくる。その後、小悦内に挿入する予定のカット絵を描く。午後4時頃外出。外苑前のTWIGGYへ、髪のカット。クミちゃんにいつものようにお願いする。今日は少し実験的にしてもらった。ちょっと立体的に、キュビズム的に切ってもらった。後ろの方は、積み木みたいになっている。とても変。いいじゃん。で、そのまま銀座線で銀座へ。プランタンの裏の銀座二丁目にある三州屋銀座店。でシャーリーンのお別れ会。ふーと僕とシャーリーン、ヒロミさんとコノミさんとキミさん。ってまた女の子ばっかり。男はみんな忙しい。ウーン。ここのカキフライ、アジフライ、肉豆腐、鳥豆腐、なんでも絶品です。銀座では有り得ない、値段、しかも味は最高。シャーリーンも1968年創業のこの店を気に入ってくれたようだ。午後10時過ぎに別れる。今度は5月に僕がカナダに行く予定なので再会を誓う。その後、フーと二人で珈琲屋でエスプレッソを飲んで家に帰ってくる。青山出版社村上さんより電話。小説直しほぼ完成の模様。明日トークショー来てくれるのだそうだ。コヨーテからメールオモロいとの反応。ありがたいです。原稿へと育っていきそうな展開。クレッシェンド神さんよりメール。とうとう、明日はジュンク堂池袋店にて赤瀬川原平さんとのトークショー。知り合いもたくさん来てくれそうなので、会うのも楽しみ。なにか来てくれた人たちがスパークするような知的にも肉体的にも感覚的にももりあがるようなトークをしたい。TOKYO0円ハウス0円生活依然頑張ってくれています。今日は吉祥寺啓文堂でびっくりするような特集されてました。感謝。

2008年3月13日(木)

午前7時起床。そのまま机に自動的に向い、小説原稿。最後のシーン。頭は痛い。書く。原稿は結局330枚を超えてきた。午後12時に全ての直しを終了させる。青山出版社村上さんに送信。そのまま外出。新宿駅でハザマと待ち合わせ。ハザマの車に乗込んで銀座の三越前まで送ってもらう。そこで降りて、小学館SAPIO編集部今川くんと待ち合わせ。新連載に向けて、銀座で0円ハウスを建てれる土地を無謀にも探す。詳しくは連載で書き始めようと思っているが、これが実に面白かった。午後3時に今川くんと別れ、一人で色々と探す。居酒屋「三原」のおやじと知り合う。この人が銀座の歴史の案内人になりそうだ。いろんな話を聞く。その後、区役所、東京都第一建設事務所へ。その後、三原へ帰ってきて報告会。生麦酒、芋焼酎、肉じゃが。これからうまく土地が見つかれば銀座と長い期間付き合うことになるが、これはいい本拠地を見つけたかもしれない。再会を誓い店を出る。ふーの母さんから報告があり、今日の朝日新聞の朝刊一面の書籍広告に僕の本が載っていたらしいとのこと。確認。なんだか凄くなってきたな。コヨーテ編集部佐々木さんより、電話で頓智問題。何が起きるんだろう。家に帰ってきて、夕食。焼鰤、玄米、味噌汁。青山出版社村上さんより電話。今後の話。次は僕は本の中にいれる挿絵を描き始める。40カットぐらい欲しいのだそうだ。やってみよう。シャーリーンと電話で話す。明日送別会することに。銀座の居酒屋「三州屋銀座店」を7人分予約する。夜、どんぐり舎にて、ふーとゆっくりする。こうやって、外に出てゆっくりしないとついつい原稿書こうとしてしまう今。メリハリもつけんと。しかし、今日はさらに新しい仕事が始まる予感がした。本の重版分は19日に出る予定。

2008年3月12日(水)

午前7時起きて原稿。今日はずっと家に籠って書き続ける。気付いたら午後7時までずっとやっていた。午後7時半、タンゴとホカリとサメがやってきて、ふーと僕と5人で久しぶりの「のらぼう」へ行く。春ののらぼうは最高である。エーデルピルスで乾杯後、苺も入った豆腐サラダ、豚の生姜焼き、旨過ぎる出汁巻き卵、レンコンと鳥そぼろの炊き込み御飯、しめ鯖焼き。途中から芋焼酎ロックへ。ホカリはTOKYO0円ハウス0円生活の著者写真を撮ってくれた。久々ののらぼう、絶品でした。また見えなくなるまでお店の三人が外へ出てきてくれて送ってくれた。なんというかお店に行って美味しいだけでなく、気持ちがいいというのはなかなかないのではないか。その後、家に戻ってきて、みんなでサメとホカリが買ってきてくれたインドネシアの珈琲を飲む。話す。午後11時半解散。原稿は明日が〆切。しかし、今日はもうできない。明日しよう。

2008年3月11日(火)

午前7時起床。そのまま机に自動的に向い、小説原稿再度直し。三度目。TOKYO0円ハウス0円生活は一切原稿直してません。思考したまんま、書き連ねている。今回はそれをちょっと変えてみている。僕は自分の原稿が完璧などとは永遠に思えないだろう。心がけていることはただ、自分の考えていることを人に話して聞かせるがごとく、である。技法なんか持っていないし、小説なんか通しで読んだことなんて、あんまりないわけで、そうやるしかないのだが。しかし、なぜかなぜか、書きたいと思うことはちょっと尋常ではないぐらいある。自分でも今までは書くことが仕事になるなんて考えたことも無いし、そんなの無理だろうと思っていたから全然書かなかったわけであるが、その分、腹や頭の中には膨大な欲求が充満していた。だから、こういう方法もあるんだと気付いた時はビックリしたし、ほっとした。書くという作業は作家だけにあるのではない。長年考えていることが、水道の水のようにピタピタと一滴づつ落ちていってバケツ一杯にたまったときに、人はただ書くんだろう。ストーリーとか、伝えたいこととか、どうでもいい。そんなん信用にならん。技法、いらん。とか、考えながら、プリントアウトされた315枚の原稿を一枚づつ確認、手直し。このディスプレイ上でみている原稿と、プリント出力された原稿もまた違う。それが気になる今日この頃。お昼はカレー。その後、あんまり天気がいいもんだから、そそのかされて、外へ出る。ふーと散歩。小一時間歩く。帰りに田楽で青森大蒜購入。絹豆腐購入。その後、久々にどうなっているかなと、本を大量入荷してくれた町の本屋、ブックスオオトリ西荻店に行ってみる。あっ、店長。「どうですか?調子は?」と恐る恐る聞くと、「完売です。もう出版社の方に在庫無いんじゃない?早く重版してよ」とのこと。あら、本当に無くなっている。注文をしているが、本が無いので応じられないとのこと。店長、感謝です。なんかこういう関係面白い。しかし、これは僕としても対応せねば、と大和書房の増渕さんへ電話。その後、電話を切り、また原稿直ししていると電話。増渕さんより。「重版決定しました!」と喜びの声。僕のとって、初めての重版。発売されて一ヶ月半。予想外の展開。気持ちを引き締め、さらに原稿。しかし、途中からイマイチ乗って来なくなったのでギターを持ち始め、ライブの練習。夕食はちらし寿司byふーの母さん。焼き鮭と共に。午後9時外出。池袋駅近くのスタジオ・ノアでヤスと待ち合わせライブの練習。スタジオに二時間入る。大筋が見えてきたような見えないような。まあどうにかなるさbyムッシュ。ヤスのオペルアストラ赤で西荻まで送ってもらう。家に帰って、風呂入って、即寝。最近スイッチをオフにすると、瞬間的に寝る。寝るまでの余韻を楽しみたいのに。

2008年3月10日(月)

午前7時起床。コンビニに週刊プレイボーイを買いにいく。著者インタビューコーナー確認。で、家の掃除をちょこちょこと。今日はバンクーバーから、シャーリーンが来日してくるので、盛大なパーティーがウチで繰り広げられる予定。で、そのための買物。日南水産でカンパチとマグロの刺身。鮭の切り身(ここのは本当に旨い。しかも100円)。だし巻き卵。家に帰ってきて、ちょっと作業。外出。表参道へ。スイッチ出版社へ。コヨーテ稲さまが、本日で退社されるので挨拶と引き継ぎ的なものを。雑誌コヨーテのモノクロ1ページ。少ねぇ!と思われるかもしれないが、僕と稲さまは何とも必死にやっていたのでありました。0泊3日。月に一回は夜行バスに乗り続けて5ヶ月。稲さまの退社と共に存続が危惧されていた、この小さいがデカイつもりの企画は、その後編集狂、佐々木さんに引き継がれなんと絶滅することは免れたのでありますが、しかし、稲さま、こと稲澤真利女史がいなくなることは非常に寂しい。で、3人で打ち合わせのような自己紹介のような、むしろタダの僕のおしゃべりに付き合ってもらったかのようなミーティング。その中で、佐々木さんと次第にスパークしていく自分を感じた。この編集の人と喋っていて高揚する場合は僕のリトマス試験紙的に言えば、直感的ではあるが凄いことになりそうな予感。いくつかの幻の企画などの話。こうなったら全ての都道府県制覇しようじゃありませんか、との盛り上がり。感謝である。二時間半みっちり話し、佐々木氏所有のイガヤクニオさんの古い著書を二冊も拝借し、非専門家による深い遊びのような建築、生活空間の創作などについてのことを研究することにした。僕はイームズとイガヤクニオさんは一つのライン上にある。そこには隅田川の鈴木さんも、もちろんいる。それは昨今の日本のマダムたちの執拗な和食器、北欧家具への興味などとも必然的にシンクロする。それを僕はフラーが言った、鉛筆で直線を引いてもそれを顕微鏡でみれば、ガタガタの線に見えるという感覚なんかともダイレクトに結びつけられないかという妄想と言えば妄想を話した。いつか、「何だよ、君たちも好きだったのか、僕も好きだったんだよ、そうだよな、なあそうだよなあ」とか言いあえる日が来るんじゃないかと思っているのよ。僕は顕微鏡は持っていないけど、顕微鏡と同じくらい精度のいい感覚は持ち続けたいと思っている。って、何のことか分からなくなってきたが、そんなこと考えながら、会話を聞いていると、おそらく欧州人たちが群がっている表参道沿いを歩く。家に帰りつく。Amazon上では、いまだ健闘が続いている。ガンバレ我が息子TOKYO0円ハウス0円生活。いくつかのメールの返信。家ではフーの母さんがシャーリーンパーティーのためのちらし寿司や牛肉のたたきなどの名作を盛りつけている。感謝。フーの姉ちゃんと娘ユメ、メイ、も参戦。僕は新宿駅へ、ノノカと美帆を迎えに、そして、シャーリーンとも新宿駅で再開。このバンクーバの太陽であり、しっかりとした実業家でもあるシャーリーン。彼女といると、なぜこうも落ち着く。故郷のような人。しかも、しっとりし過ぎていない。しっかり斬新である。カサンドラウィルソンのアルバムがしっかり家の中では鳴っている人。家に連れて帰る。タンゴも参戦。麦酒で乾杯。ってよく考えたら、ここには僕だけ男であとは全員女性。フーの母さんは「ハーレムだね」とポツリ。途中でハザマ社長がオーガニックシャンパンと赤白ワインを持参して参戦。亮太も来た。マユミンも来た。総勢12人。ギターをかき鳴らしノノカ、ユメ、メイと踊った。そんな夜。大和書房増渕さんからメール。やはり読売新聞の反響は凄いようだ。毎日新聞の田中さんと電話。アルミ缶拾いを手伝いにいくそうだ。なんか僕の中では今、東京がナイロビに見える。みんな集まって面白いこと考えながら、それをひたすら実現しようとし、友人なのか、仕事なのか、公私混同、踊るような日々。ひたすら踊れ。軽い。とりあえず、体が軽いのだ。すんません、最近いつも日記が長くて。ヴェルヴェットアンダーグラウンド ウィズ ルーリード1969の第二集を聞きながらだからかな。現在曲はI can't stand itに入りました。変などう考えても中学生なギターソロが鳴ってます。いつも心にルーリード。僕はアンディ・ウォーホールのファクトリーや彼が企画したクラブイベントPlastic Inevitableを空間的に考察したい。

2008年3月9日(日)

午前7時起床。コンビニに朝刊を買いにいく。読売新聞。書評、しっかりと出てました。凄い。本を是非買って読んでみて下さいと書いてくれている。なんだか反響があったようで、何軒か電話もかかってくる。読売新聞はギネス記録だもんな。発行部数。それは凄いだろう。よく分からんがとりあえず、Amazonのランキングは急上昇を続けている。僕が確認した最高位は120位だった。800万冊中だからAmazonのシステムがよく分からないにしても、健闘していることには違いない。今週は露出ラッシュである。序盤から盛り上がってくれている。その興奮はとりあえず置いておいて、午後12時にフーと恵比寿へ外出。リュウ・ハーバーにてランチ。タラバガニとホウレン草とブロッコリーのパスタ。僕は打ち合わせがあるので、その場で別れて代官山の青山出版社へ。村上薫女史と小説の原稿手直し。推敲に推敲を重ねてくれた彼女から色々と注文が飛ぶ。なるほど。僕は感心しながら聞いている。自分が作ったのをこうやって編集者が必死になって編集してくれている様はいつ見ても感謝であり、心強く、何といってもワクワクする。新作が産まれる瞬間のエネルギーっていったらそれは何かいい感じである。午後2時から3時間みっちり出版社のソファに座りながら手直しを続ける。疲れたが、さらに濃密な内容になってきたのではないか。これをまた僕は家に持ってかえって、12日までに一回仕上げることに。今回は小説である。全く僕の体験したことの無い世界。とても面白いものができたのではないかと思ってはいるが、これを読んだことがあるのは僕と編集者だけ。当たり前だけど。だから、いい具合に不安と自信が入り混じっている。タイトルもほぼ決定した。打ち合わせ後はさくっと家に帰ってきて、作業。小学館の今川くんと電話。連載の下見の約束。バンクーバーから来日しているシャーリーンと電話。明日はシャーリーンを僕の家に呼んで、バンクーバーグループと一緒にパーティーをすることに。僕も原稿がヤバい状態であるが、忙しい時ほど、パーティーを繰り返せという、僕が作った謎の法則に素直に則っていくことにした。DJ, Yashitと電話で話す。3月19日、これまたおそらく大変な時期に僕は下北沢でのライブを入れてしまっていて、その練習のこと。忙しい時ほど、仕事の合間でも何でもいいから、とにかく歌を歌い続けろというこれまた謎の法則に従うことに。この状態で曲を作らないといけない。できるだろうか。でもいつもどうにかなっているから、大丈夫。最近こんなことばっか言っている気がする。さらに会計の勉強をする。ただの読書だけど。夜は亮太とルーリードのサンプリングのトライブクエストの曲を聴いたり、ヴァン・モリソン聞いたり、空気公団の新しいアルバムを聞いたり、アフリカ人のピアノジャズを聞いたり、しながら近況の話。漫画を斜め読みin亮太の家。何だ、この混沌。深夜家でギターの練習。パソコンの前で。その合間に書いたり。しかし、また基本的には作業は停滞。明日から3日間は原稿のことだけ考えて下さい。明日は週刊プレイボーイに出ます。

2008年3月8日(土)

午前7時起床。朝食後、再度田崎市場へ。中村漬物店にて「つぼ漬昆布」を2キロ業務用購入。コレが旨いのよ。やっぱり何でもこういうのを買う時は市場よね。で、家に帰ってきて荷物を詰める。とうとう今日は最終日。荷物を送って、ランチを食べに上の裏通りへ。今日のランチはフレンチの「る・ぼわそ」にて。赤ワイン。にんじんのポタージュ。地物野菜の彩りサラダ。カブが旨かった。メインは、阿蘇自然豚の新玉葱とモッツァレラチーズ焼き。劇旨。フーと母は、スズキのホタテと春菊のクリームソース仕立て。こちらもいい。それにここは、光りが燦々と差し込んで気持ちいい。九州の光。もう完全に春である。その後のデザート。苺のタルトと、蜂蜜と牛乳のシャーベット。これ、ただのランチセットのスウィーツではありません。本気モード。珈琲と一緒に。母推薦の店。オヤジは初めて来たらしい。ガンバレオヤジ。その後、フーと最後の熊本ブラブラ。午後4時、新刊の本にも登場してくるサンワ工務店を10年前、僕に紹介してくれたルミちゃんと久々に会う。林檎の樹にて、白ワイン。ルミちゃんはカレー。近況を話す。ルミちゃんに大口を叩き続けて早10年。僕は今まで大口を叩き続けてよかったなと少し思った。この人たちのおかげで、僕のモチベーションは永遠に落ちることは無いのである。新刊を喜久屋書店にて購入し、ルミちゃんに手渡す。そして、歩いて家に帰って、荷物を取って空港行きのバス停へ。阪神の地下でおにぎりセットを購入後、バスに乗込む。お世話になりました。空港で、おにぎり食べて、妊娠中のフーのおかげで優先的に飛行機に乗込み、帰京。深夜12時、家に帰ってくる。さっそく仕事始める。毎日コミュニケーションズWeb Designing編集部の方よりメール。なんとカラー6ページインタビューの依頼。いつも本当に色々と面白い仕事が入ってくるものである。ほんとありがたいものである。即承諾メール送る。新刊の効果は絶大なようである。明日は読売新聞書評。楽しみ。熊本旅行、大満喫でありました。その分仕事今まで以上に全開にしていく予定。今、自分の頭の中に18歳の頃の馬鹿野郎だった自分が再び顔を見せ始めている。落ち着いた30歳手前の人間の中に発狂寸前だったあの頃の自分がいる感じである。恐ろしいが楽しみである。明日から、4月発売予定の小説の怒濤の仕上げが始まる。もう寝よう。

2008年3月7日(金)

午前7時起床。朝食を食べて日課の散歩。白川沿いを歩いて熊本駅まで。その後、オヤジたちの車に合流し、田崎市場で彷徨う。また家に帰ってきて昼食後、また散歩。シャワー通りのPERMANENT MODERNにまた行く。フー我慢できずに、やはりベルリンのかっちょいい服を購入。高い。しかし、この店、良過ぎる。ベルリン、やはり気になる。今年試しに短期間、僕一人でアート、出版、ドローイングなど視察に行こうと思っている。ピンと来ている。来年頃、本格的に乗込んで挑戦したら非常に面白くなるのではないかと睨んでいる。その時に自分にとって武器になってくるのは、やはりDig-Italであろう。なんだかわくわくする。誰もベルリンに知り合いいないけど。そんなの関係無い。いつもそうだ。なんとかなる、から要はただ実行すればいい。それを誰もしないのだ。やれば凄いことになるのに。ならば自分の体を実験台にしてやってみよう。常にそう思っている。ただ僕の体は実験台なのだ。それもまた、そう思わせることによってなり振り構わずやりやすいように自分を騙しているのだが。PERMANENT MODERNに触発されて、僕は自分で服を作れないか?と思った。今度の新シリーズは「服」なのかもしれない。とりあえず手帳にメモして、忘れることにした。発酵させて気になるようであれば、今怒濤のごとく盛り上がっている執筆の次に始めてみよう。とりあえず自分のシャツ、ズボン、靴、帽子とか作ってみようかな。東京で作れる服、家、生活の可能性。それを全て自力で作れないかという挑戦。どうかな。ただとりあえず作品としてやってみるということで、これまた自分を騙して進めてみようと思っている。なんとでもなれ。夕方から、河内のおばあちゃんの家へ。おばあちゃんと家族4人とみんなで寿司きよまで。満腹寿司をオーダー。生麦酒。美味。その後、那古井館へ行き、温泉に浸かる。これで5日間連続温泉三昧。よく入った。今回はフーのアトピーの湯治が目的だったのであるが、ここまで温泉に入って、午前中は散歩しまくると気持ちいい。本当に気持ちよかった。東京でも少しはこういうことやろうかなと。でも深大寺温泉なんか値段異常に高いもんな。はー。辰頭なんて200円だよ。泉質完璧なのに。その後、河内の特産の蜜柑衆を頂き、家に帰ってきた。とうとう明日は東京に帰る。そろそろメール上では何人かの編集者より連絡、催促等ざわついてきた。もう仕事に戻ろう。来週は露出も多いが、やらねばならん仕事も熊本にいる間にがんがんと増えてきた。新作へ取り組むことばかり。DAVID BYRNE RADIOは今月の特集がJAZZなので、iBookから流し続けながら色々と考えている。明日は映画見よっかな。

2008年3月6日(木)

午前6時起床。ゲラチェック。原稿。日記。やっぱり早起きしちゃうし、仕事しちゃってる。好きなんですね。コヨーテ。講談社。エココロそれぞれ確認。色がそれぞれ違うのでそれを見るのも面白い。概ね良好。朝食後、ふーと外出。熊本城方面散歩。あまりにも気持ちよいので、前川國男さんの県立美術館とかも歩く。浜田知明さんの版画とか見る。その後、また歩く。さらに歩いて、セカンドサイトまで。サンワ工務店の藤田さんと待ち合わせのはずが、行き違いになっちゃって昼過ぎに会うことに。そのまま、また熊本城に戻って、フーが見たいというので、何年ぶりでしょう、城の中を見る。天守閣は三階までしか見れず、納得がいかなかったが、迫力は満点。さらに宇土櫓が凄すぎて興奮。撮影。焦って買った写ルンですで。梅の花も綺麗でした。家に帰ってきて、昼飯。食後、また歩いてセカンドサイトへ。藤田さんと会う。近況の話。この人はなんでいつもあんまり説明しないのに感覚で分かり合えるんでしょう。なかなかいない素晴らしい人。なのに、僕は18歳の馬鹿やろうの時に幸運にも出会うことができた。それが今の原動力になっている。サンワ工務店のことについて記述したTOKYO 0円ハウス 0円生活の部分を自分で朗読して聞かせた。うんうんん、言いながら頷いてくれていた。文章が巧いとも言われた。僕はそういうのは素直に聞き入れて、感謝することにしている。藤田さんとも、もう10年がすぎた。よく生きてるな、と感心された。その後、再開を誓い別れて、鶴屋の地下食品売り場でお土産などを購入し、家に帰る。その後、お決まりの辰頭温泉へ。これで、熊本に来てから毎日温泉に入っていることになる。明日も河内の温泉に入るし。ほぼ日で始まった田口壮選手の連載の第二回の4晩目の外野手という感覚にかなり共感する。控えなのに、自分が一番巧いと思っている。自信をもった4番手。なぜなら僕もその感覚でいつもいるからだ。僕はいつも一番ではなかった。それどころか、金でも銀でも銅でもない。でも一番面白いのになーと思っている。でもまだ控えは控えなのである。それでもいい。控えがこんだけ高いモチベーションでいるんですよ!みなさん!頑張って下さい!勝手だがそういう気分なのである。なんか自分が言いたかった何かを言い当てられた感じであった。帰ってきて、もう耐えられず仕事をし始め、コヨーテのゲラ直し。青山出版社とは、帰ってきてからのスケジュールをフィックス。中旬過ぎには入稿の予定になってきた。いいね。こういうプレッシャー。今、こうやって時間で攻められるのが心地よい。ドMです。大和書房からメール。今度の日曜日の読売新聞の書評欄になんと本が紹介されるらしい。なんだか、なんだかである。来週は露出多めです。まるで露出狂です。新聞に雑誌にトークショーに、わんさか出ます。しかも、一発一発がかなり強烈な感じです。日曜、読売新聞、月曜、プレイボーイ、火曜、SPA!エッジな人々、で土曜はメインイベント、ジュンク堂での赤瀬川原平さんとのトークショー。なんかまた起きるね。この勢い。というか、だんだんとまた頭が仕事モードになってきている模様。明日はおばあちゃんの家に行き、寿司屋へいく予定。温泉も。寝る前にコヨーテの原稿を返す。

2008年3月5日(水)

午前7時起床。父母ふ僕の4人で車に乗って辰頭温泉へ。200円。素晴らしい値段。もちろんのこと平日の午前9時だっていうのに、風呂桶には満タンの人間。洗い場のシャワーの前も当然のごとく満席である。素晴らしい光景。またまたもちろんのごとくじいちゃんばっかりであるが、隣のじいちゃんは、日本にもケンブリッヂみたいな大学ができなくてはいかん!とか熱く教育論を語っている。僕とオヤジは改装されて広くなった露天風呂で、それを聞きながら朝日を浴びていた。東京にはない時間の流れ方がある。それもまた当然ではあるが。最近僕が忘れていた感覚でもある。昔、祖父母の家に遊びに行った時を思い出した。僕は小学3年生頃。祖父母の家には子供にとっては何にも無い場所だった。何か見たいのに、じいちゃんは演歌とかニュースとか相撲とかのど自慢とかばっかり見てる。民放ゼロ。全てNHKを中心に組み立てられていた。今だったらその意気も分かるが、当時の僕にとっては娯楽ゼロ。じゃあ何か読もうと思って色々と探すが、あるのは女性自身やセブンとか。面白いわけないのに、まだマシだと思って必死に読んでいた。そういう時間が多くなってくると、じわじわと次は何しようとか、これをこう使ったらもしかして面白くなるのではないかという工夫の創造が始まってくる。この工夫を作り出そうとする時間が始まる瞬間が何ともいえない気持ちの良さをもたらしていたことを久々に思い出す。そういうことを考えながら温泉の中。じっくり40分ほど浸かって出る。しかし、こうやって、家族で普通に温泉というのも、昔では考えられなかった。僕は20歳すぎたあたりから気が狂い始め、卒業と同時にそれは頂点を極め、以前からよく分からないと当然のことを言っていた家族衆は、僕が学生でも会社人でも何でもなくなった瞬間から、おそらく完全理解不能になった。僕も実家に帰るのも悪いなと、滅多にすることのない、気というものを遣い、帰らなくなった。僕としては、必死に自分の考えていることを伝えることを自分の仕事とできないか?というテーマのもとに、生きていたつもりであったが、そんなことをこの世の中でするのは、あまりにも無謀で可哀想と思ってくれたのであろう、当時の家族はヤメナサイと言い続けていた。僕も自分のやっていることが訳分からなかったのに、他の人が分かるはずが無い。すんまっせん、と思っていたが、言い続けられようが、心配だろうが、当の僕は変えることなど、微塵も無く、しかし言われるのは仕方がない、あんまり顔を見せない方がいいのだろうと、ゆっくり実家に帰ることなんて全くといっていいほど無かったわけであるが、最近では、ようやく、よくは分からんが何かをやっている人なのかもしれん、というようなスタンスにシフトチェンジしてきているようだ。オヤジはよく僕の載っている記事をチェックし、連載を書いているスペクテイターだって買っている。さらに、自分は変わっていなくて、周りが変わったのだ、と思っていたが、どうやらそれも違い、僕自身も変化しているのである。直感だけで動くのではなく、それをどうやって人に伝えていくかをよく考えるようになった。それは、祖父母の家で、手持ち無沙汰で面白くない状態から、工夫を重ねて何らかの娯楽を発明する瞬間に似ているのかもしれん、とさらに思った。そうやって考えると、今の状態はすこぶる面白い。不理解と理解が微妙な均衡を保っている。温泉後、今日は、熊本の中心部を散策。お店とか覗く。PERMANENT MODERNという店がいい。あるのは、アルゼンチン、ブラジル、ベルリン、オーストリアなどのデザイナーが作った、服や靴。どうやって仕入れているんだろう。無茶苦茶カッコいい。南米は、わざと60年代に回帰しようとして、それをネジッて違う場所に来たような感覚。ベルリンは、90年代のテクノを、四畳半で聞いている時のベルリンのイメージから暗い感じを抜いたような、新しい目と耳で体感したテクノみたいな服。オーストリアのrosa mosaというブランドの靴がいい。でも高い。しかも、男ものはほとんどないし。こういう女性用の服屋は本当に頭が刷新される。店員の女性は、丁寧に一つ一つ全部デザインから哲学まで説明してくれた。自分の着る服ぐらいヘンテコでもいいから作るのはどうだろうと考えた。その後、エスプレッソを飲んで家に帰り、タクシーに乗って久々の十年ぶりに焼き鳥屋の名店「炭屋」へ。豚足が食べたい。僕が最後に行ったときの炭屋は小さいお店だったのに、今やビルを建てちゃっていた。そうなるだろうという感じのおっちゃんだった。島美人飲みながら、なつかしの焼き鳥。そして豚足。新しく、もつ鍋。そしてキャベツ。豚足のタレはなんであんなに旨いのか。山芋のステーキも。最後は檸檬のシャーベットまでサービスして頂き。大満足で帰る。家に帰って、コニャックをドライマンゴーと一緒に。熊本の友人にも会いたいが、僕は昨年パリに行ったときにタクシーの中に携帯を忘れて依頼全ての電話番号を無くしてしまいました。ので連絡取れません。ウェブでお店とかチェックして電話してみた。サンワの藤田さんに電話。明日会おうということになった。今日は帰熊日記のつもりが、これじゃ帰熊論文じゃなかね。

2008年3月4日(火)

午前7時起床。メール返信。山へ行ったら、次は海だ。オペルアストラに乗って、フーと天草へドライブ。久々の天草。片道2時間半かけて下田温泉まで。ここの近くに、今回僕たちが宿泊する予定だったリゾートスパ「五足のくつ」があるらしい。地図を見て向う。予約してたが、妊婦なのでちょっと心配になって一泊するのは止めたのだ。でも諦めきらず、一応スパの中は覗いてみることに。雰囲気抜群にいい。天草の岩壁の上に建っている。泊まりたい。食事だけでもできないかと尋ねたら、3日前までの予約が必要らしい。その本気モードに納得。しかし、コンシェルジェが非常に優しい人で美味しいお寿司屋さんを紹介してくれた。そのまま本渡に戻って、教えてもらった「奴寿司」へ。入ってすぐ分かる名店の香り。なんだろね。いつもこの雰囲気。いい店だとすぐに直感。内装も洒落ている。カウンターに座って、もう一番豪華なおまかせ握りを注文。横には、山本益博さんの記事が。なんと、ここは日本三大寿司屋の一店として選ばれたらしい。なるほど。期待は膨らむ。まずは、採れたての雲丹。醤油も何も付けずに食べる。なんと、この後も僕は一度も醤油をつけることは無かった。その後、比目魚を岩塩で。河豚の青唐辛子のせ。貝柱のからすみのせ。なんか信じられんくらい旨い。赤身以外すべて、この天草の漁師が今朝採ってきたものだ。二日前から予約しておくのだという。全て生きたままの魚。引き続き、蛸の黒七味のせ。アラの炙りはタレで。カサゴの昆布〆。で、コハダ。シマアジの炙り、中にはなんとガーリック。最後に、トロのまた炙り、上には天草産、スリおろしたばかりの山葵を山盛り。でも辛くない。旨い。なんじゃここ。居心地もいい。マスタ-もいい感じ。優しい。全部教えてくれる。天草へ行った際にはぜひ奴寿司へ。えっ、こんなところにというほどのホスピタリティ。そして、僕たちはもう一度、海沿いの下田温泉へと戻っていく。白鶴浜の海岸へ降り、外海を眺める。そして、山沿いにある隠れキリシタンの大江天主堂、海沿いにある同じく、崎津天主堂。二つとも違う顔色。その後、下田温泉に戻ってきて五足のくつの同じ系列である伊賀屋旅館に行くと、温泉だけ浸かれるというので入る。内湯とさらには露天風呂まで。貸切にしてくれた。桧の風呂桶には薔薇の花。何をこんなにリラックスしようとしているのか、僕は。まあたまにはいいか。下田温泉もかなりいい湯。毎日温泉三昧。帰りに、JA天草に寄って、物産店にて果物や、レモングラスや、桜えびなどを購入。フーの母さんに、天草の「天草」というネーブルと蜜柑の間のような僕の大好きな銘柄発見。送付。など色々満喫し、午後8時に熊本に到着。夕食は、家で、けんちん汁、鶏肉のチリソース炒め、白菜の漬け物、ハートランド、白米。美味。TOMYから3月19日に開催される、SUPER!FRESHのライブ出演の依頼。即答で承諾。仕事一切してません。ゲラは見ます!明日はうどん食べて、名湯、辰頭温泉行く予定。

2008年3月3日(月)

午前8時起床。朝食を食べて、フーと散歩。また古い街並を歩き、そのまま白川という川に出て、野原に出て歩く。気持ちいい。川が横切っている町はやはり気持ちがいい。フーと二人で、ぼーっと歩いていると橋の下に0円ハウス的な建物を発見し、そのまま行ってみる。オヤジが二人でこれまた気持ち良さそうに寝ており、一人のオヤジが起きたので話しかけてみる。なんだかとてもいい感じで、いい顔していた。話してくれて感謝である。その後、また色々と朝っぱらから歩き回り、家に帰る。午前11時にオヤジと母ちゃんも合流し、みんなで車で阿蘇、黒川温泉へ向う。車で約2時間。黒川温泉郷に到着、玄河という50年以上も続いている旅館の食事処で佐賀牛ハンバーグランチセット。生麦酒2杯。美味すぎた。その後、気になっていた、「耕きち」という温泉へ。家族風呂に入る。これがよかった。横には、小川が流れ、そこにせり出した露天風呂。泉質は硫黄たっぷり。湯の花たっぷり。贅沢な温泉である。でも安い。素晴らしい。五十分ほどゆっくり入る。大満足。その後、KIMURAYAで麦酒を買って帰る。ここは、ルーリードが出てくる、ブルーインザフェイスを彷彿とさせるワインショップで、なんか嬉しい。夕食は、丸岡の餃子。久々の丸岡。旨過ぎる。ハートランド。その後、芋焼酎赤兎馬。怜くんに貰ったまま飲めていなかった銘酒。旨かったです。感謝。大和書房から石山修武氏による書評の掲載文が送られてきた。文を読んで感動してしまった。何回も読んだ。なんというか、また今まで苦労してやってきたことが繋がった気がした。今までの疲れなんか吹っ飛んでしまった。師匠が、小さな可能性を感じてくれている。これは本当に死ぬ気でやらんといかん。身が引き締まる思い。オヤジも興奮して読んでいた。

2008年3月2日(日)

午前8時起床。準備して、午前9時にフーと出発。羽田空港へ。今日から一週間熊本に帰る。仕事終えたんで。温泉とか、山とか、海とか、刺身とか、焼酎とか、行こうかと。とか言いながらいつもぼーっとして終るが。午後1時に熊本着。オヤジと母ちゃんが迎えにきてくれたので車に乗って昼飯を食べに、中華料理屋「秀峰」へ。蟹チャーハン、酢豚、海鮮と野菜の炒め物、エビチリ、春巻、水餃子、きな粉餅、と怒濤のランチ。こりゃ太るな。食べ終わり、ドライブをしながら久々の実家。その後も熊本産の果物を食べ続ける。苺、パール柑。で、食べてばかりでもいかんので、歩こうと、3人で外に出て歩く。まずは唐人町などの古い街並を歩き、河原町の商店街も見てみる。そして、シャワー通りを歩いて、お店を物色したりして、電器屋でmacを眺めたりして、orangeというお店でスムージを飲み、家に帰ってきた。夕食は日本酒「深雪」と一緒におでん。美味。最後の締めに、ひじき御飯とつぼ漬けと梅干し。茶を飲んで風呂に入る。今日、おそらく今年に入って初めてだと思う。一日何もしないでいた。今日も新聞の書評が出たのだろうか。アマゾンの順位はまた伸びて、900位まで来ていた。うーん。あともう一押しである。来週からの攻勢が楽しみだ。今日は早めに寝よう。

2008年3月1日(土)

午前8時起床。書こうとするが、進まず。午前11時ふーと外出。新宿高島屋で明日の帰熊のための買物。煎餅屋。その後、僕だけ中央線で神田で乗換え浅草へ。うどん屋で、きつねうどんと稲荷寿司。稲荷かぶり。午後1時に浅草駅で毎日新聞の田中記者と待ち合わせ。そのままドトールへ行き、とりあえず二人で話す。どんなページになるかの話。僕は僕が考えていることを話した。新聞でどうとりあげることができるかは非常に興味深い。田中さんはかなり異端の人間でした。そのため、話は噛み合い、これはかなり面白くなってきそうだなとこちらも盛り上がった。田中さんも僕の話をしっかり聞いてくれた。そして、では行きますかと、一時間ほど話して隅田川の鈴木さんの家へ。そこでももう一度話す。田中さん、ここでもまた何か感じてくれたようで、一回の取材では終らせたくない様子。そう来なくっちゃ。また僕が東京に戻ってきたら二回目の取材を行うことに。鈴木さんも了承してくれた。新聞という大きなメディアで、僕が持っているような社会的視点をひっくり返した考えがもしも伝えることができるなら、まず見たことがないし、読者も逆に食い入るように読んでくれるのではないか。僕はそこに希望を持っている。鳥の眼で社会を俯瞰するのではなく、現場で、観測者の視点で見続けていこうと自分でも思った。その後、別れて阿佐ヶ谷駅へ飛んで帰って、でも30分ほど遅刻してしまって、香染美術へ。今日はギャラリーでのアーティストトークがある。出品者の方、キュレーターの小倉さん、評論家の方が集まり語り合った。僕はアートだけの視点ではないので色々と噛み合ないところもあったが色々と話すことができいい経験になった。フーとタンゴが見に来てくれた。その後、家に直帰。夕食は、豚とキャベツの味噌炒め。阿佐ヶ谷パール商店街で購入した焼き鳥、味噌汁、海苔、納豆、玄米。美味。そして午後9時からなかなか進められなかった講談社「本」用の原稿八枚。書き始めたらいつものごとく、さらさらと行き、それでも3時間かけて午前0時すぎに終了。送信。ようやくこれで帰熊までの全仕事を終える。次は小学館への提案か。これは熊本で温泉にでも浸かりながら考えることにする。いやあ、それにしても有り得ないほどに忙しい一月二月でございました。予想を遥かに上回る展開に忙しくもあるがとても充実している。プレッシャーと緊張の連続でもあるが、マークジェイコブスに比べたら屁でもない。もっと泣きそうなぐらいのプレッシャー&緊張を体験していかなくてはこれからの仕事を乗り越えられないだろう。ただ単に目の前の仕事をこなすようになってはいけない。一回ごとに驚けるように、自分で自分でをドンドン裏切りたい。しかし、今日は毎日新聞の田中さんと会えてなんか嬉しかった。久々に手応えがある話ができた。この仕事はいいものにしたい。明日の準備は完全にフー任せである。燃え尽きて、寝た。

0円ハウス -Kyohei Sakaguchi-