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Journal -坂口恭平の毎日-

2008年7月31日(木)

午前7時起床。戸塚の家で朝から原稿。コヨーテ0泊3日。ずんずん進ませる。午後12時に終了。写真をまとめて一緒に送信。今回はなんと目当てのものとは会えずじまいの空振りだったのであるが、どうにかその体験を書いてみた。逆に面白くなったかもしらん。お昼からアオさんと戯れて、久々にギターを弾く。一人で勝手に作曲活動を1時間ほど。午後4時頃外出。渋谷駅へ。ビックカメラで買物。蛍光灯を使っていてなかなか付きが悪いときがあるが、どうやらその時はグロー管と呼ばれるものを買い替えれば直るらしい。それを買ってみた。その後、気になっていたロシアアヴァンギャルド展を見に、Bunkamuraミュージアムへ。NADIFFには隅田川のエジソンが置かれていた。村上女史が頑張ってくれている。感謝。こちらも販促頑張ってやらんとね。この展覧会はやっぱりマレーウ゛ィッチを見たかったのだが、それにも増して、ニコ・ピロスマニ。凄かった。立ち止まってみる。絵の具を塗りたくって絵を描きたくなった。もちろん、冬のモティーフもヤバかったですが。そちらも立ち止まってみる。こうやって絵をまじまじ見るのは久しぶりかもしれん。最近はアウトプットを永遠とやっていたから。インはこういうのがいい。意識しないところで入ってきた方がいい。ついついピロスマニのTシャツも購入。そしてそれを着て、シブヤパブリッシングブックセラーズへ。午後7時。今日はトークショー。けいちゃんと、写真家の石塚元太良君と三人で。ちゃんとお客さん来るかなーと思っていたが、予想外に人が集まっていた。嬉しい。で、トークは相変わらず僕はちょっと喋りすぎであったがそれなりに面白いやり取りであったのではないか。SWITCHの笠ちゃんとリーさんも来てくれていた。村上女史も来てくれてさらにしっかり本を置いてもらっていた。タンゴとちーちゃんも。本を買ってくれた人もいたので、サインをさせてもらった。その後、石塚くんと彼女、けいちゃんとえりちゃんと帽子作家のともちゃんも交えて打ち上げのようなものを。昔、無茶苦茶踊って遊んでいた仲間と今は仕事やってんだもんな。何が起こるかわからんもんです。午後11時頃まで盛り上がる。明日は石塚くんの展覧会オープニングがWHITE ROOMという表参道のギャラリーであるらしい。こちらも顔を出してみよう。年が近い表現者と出会うとやっぱりテンション上がります。今日は久々に西荻窪に帰ってきた。ここ、暑いよ。コヨーテ佐々木さんから0泊3日原稿良しとのメール。よかった。なんだか、怒濤のように過ぎ去った7月であった。話しまくって、引き蘢りまくって絵を描き続けて、病院も通ったし。なにやらよくまとまりもない日々であるが混沌のまま突き進める所まで行ってみよう。そこには何かがあるという勝手な直感がある。久々に一人で過ごす。

2008年7月30日(水)

午前7時頃横浜駅にバスは到着。そのまままっすぐ戸塚駅へ帰ってくる。朝食を食べて、ゆっくりする。バンクーバー、ジャックとのメールのやり取り。少しメールの内容についてすれ違いがあったようだ。英語でのメールはやはりいつも難しい。それでも思っていることは全て書くことが一番重要である。英語の場合は特に。新たにテレビ局からの依頼があり、内容を確認してみたが、少し違うのかもしれないと感じ、今回は遠慮させてもらった。何でもやってみるのも経験になるのだが、直感的にズレを感じたら、それを無視しないことも重要である。そこのバランスをどうやって取っていくかがおもしろ所でもある。帰ってきてすぐ、コヨーテ0泊3日の原稿に取り掛かる。方向性は決定。月末までだから明日までに仕上げる。午後4時に外出。外苑前で降りて、ドローイングやり過ぎてボサボサになっていたので、TWIGGYに髪を切りにいく。くみちゃんと色々話したり、ステファンと最近出来た壁画のことを話していると、横で切っていた人から声をかけられた。なんとその方はマネックスの関連会社の副社長をやっていて今日、ちょうど終わったばかりの壁画を見てきたというのだ。そんなことが起こるのである。っていつもそんな偶然だらけなのであるが。東京でもアフリカ化してきているように感じる。偶然の方が普通に頻繁に起こるのである。午後9時頃家に帰ってくる。夕食は生姜焼き。弓長さんから企画が通るか分からないとの電話。なかなか企画が進まないのも僕の仕事では同時によく起こる。それでも時間が経てばいつも面白くなってくる。大事なことは自分の頭の感覚だけは、常にちょっと先の場所に持っていくということである。その場で、止まったからといって気にしていては、作品として昇華できない。創作態度と創作の実体そのものは永遠に進ませておく。それであれば、事務的に止まってしまっても、その熱やエネルギーは消えることはない。僕は営業、スケジュール管理、マネージャー、経理、宣伝も自分でやっている。それをそのままやっていては面白くない。そこに狂気を潜ませる。それによって作品は多焦点を持つようになる。それを忘れんなよコノヤローと自分に言い聞かせた。明日は午後8時からシブヤでトークがある。文化村でやっているロシアアヴァンギャルドも見たいな。

2008年7月29日(火)

午前6時京都駅到着。タロと待ち合わせして、電車へいざ兵庫県の城崎温泉へ。いやいや、色々ありました。詳細は9月10日発売のコヨーテにて。午後11時に夜行バスに乗っていつものように0泊3日。月に一回この旅やっているって結構ハードだなと改めて考える。

2008年7月28日(月)

午前4時に起きて、午前4時半の電車に乗って南千住へ。午前5時半ごろ小学館の今川くんと待ち合わせ。雑誌企画の下見に行く。玉姫公園のドロボウ市へ。こんなところがよくぞ東京にあるといった風情の完全にカルカッタ状態。煙草もなぜか10~20円安い。その他、チケット、ビデオ、裏ビデオ、道具類、電化製品、普通のおばちゃんが服とかも売っていたり、貴金属類、なんでも安い。しかし、ここは主婦に向けての女性セブンでどうなの、ということになり企画としては難しいかもとの今川くんの判断。ここには、Sさん曰くプラチナや金が眠っている訳で、カルカッタ気分ではなく、ゴールドラッシュ的な気持ちで出向いたら面白いれいやーが発生しそうだなと新たな方向性。午前7時に仕事終了し、戸塚に帰ってくる。太田出版の北尾さんから目次企画概ね良好との返事。こちらの仕事も徐々にではあるが進めていこう。最近、大昔のまだ譜面じゃなくて即興演奏していたころのクラシック時代の風景が気になる。そこらへんを調べてみよう。定型化されるものの以前の原始的なエネルギーのようなもの。なんだかそこが引っ掛かる。形にできるかわからんが。その後、佐藤春夫の美しき町を読みながら、立体読書的赤を入れていく。これは読解じゃない、どこに空間が隠されているかそれだけを読み取ろうとする読書。たまにアオと戯れながら。夕食を食べて、午後10時頃外出。コヨーテ0泊3日連載用の取材旅行。横浜駅からバスに乗り込み、午後11時半過ぎ出発。

2008年7月27日(日)

午前7時起床。朝食後、アオと十分に戯れる。お昼に冷麺を食し、家を出て、歩いてすぐのところのガスト、つまり僕の現在の仕事場へ。戸塚のこの家、まるでバンクーバーのようである。まあ何にも無い所ってことであるが、太陽は燦々と空は広い、昔は山だったらしく鶯とかも鳴いている。で、太田出版用新刊の企画案の構想を寝る。なんでこんなところのガストが満杯なのであろうか。しかも席が空いているのに、呼ばれもしない。しかたなく、待ち人用のベンチに腰掛けてMacBookを取り出して仕事開始。こういう所のほうが逆に捗る。もうこのままここでいいのになと思っていると呼ばれて、ドリンクバーとバナナパイを注文し、二時間思考。第一案として出来上がる。家に帰ってきて、ゆっくりしてドライカレーを食べて、別れを告げて西荻窪へ。明日は小学館の今川くんと一緒になんと朝五時半から取材をする。ドロボウ市の。だから近い家に帰る。家に帰ってきて、太田出版北尾氏に送信。その後、モントリオールからのメールに返信。今年の11月21日から開催される路上フェスティバルにて0円ハウスホテル的なるものをやることにした。参加の意向を送信。企画案も送る。その後、スペクテイター連載の立体読書の構想。今度も佐藤春夫でいってみようと決める。やっぱり「美しい町」かなー。川端もいいよーって言われたからねー、しかもベルギー人に。それも気になる所だが春夫でいってみることに。再度読書を始める。こちらは八月始めが〆切なので急いで。明日朝から現代の楽市楽座を覗いて、夜は0泊3日で兵庫県に行く。アオとは戯れたいのだが、最近意外に出張が多い。そうしているとみかんぐみの曽我部さんから横浜トリエンナーレと同時期に開催されるBankARTでの展覧会のお誘いがあるが、その前の執筆とその後のモントリオールの事を考えて、今回はお断りのメールを送信。いつも面白い企画に誘ってもらっているのにすんません。八月からはちょっと集中して書こうと思っているので、七月までに色々終わらせておきたい。でたった今落ち着きましたので、亮太とDENと三人でアフターグロウに言ってラフロイグを飲みに行こうとしている。

2008年7月26日(土)

午前6時起床。林さんが仕事のため早めに岐阜を出発。午前9時前に新幹線に乗り込んで戸塚へ帰ってくる。昨日寝ていないのでぼうっとしてしまっている。何にもする気になれない。いくつかのメール。スケジュールを色々と決定していく。毎日毎日、ほぼノープランの人生でありますが、それでもあんまり気にしないでいると、ありがたいことに仕事が発生してくる。本当にここら辺、隅田川の鈴木さんと相通じる所がある。安定しては腐ってしまうのだ。未来が決まっていると、爆発力や創造力に欠けるのである。人はそれじゃ不安になるではないかと言う。しかし、僕はそうではないと思う。決まっているから、不安を消すために安定を貯めようとするから、ディテールが甘くなるのである。と自分の場合はそうだ。しかし、それは他の誰かが同じようにやればいいと言うのではなく、それぞれにそれぞれの独自のやり方があると思う。重要なのは、自分というものの中の先端に入れているか、毎日エクササイズが出来ているか。先端にいれば、エクササイズを続けることで毎日変化することが可能になるはずである。それでこそ、都市狩猟民として生きることである。そこにはギブ&ギブ&ギブの螺旋があると思う。アオと戯れる。そして、色んな人々からの連絡。仕事の話、次の打ち合わせの話、友人、読者、学生。やはり色んな人々に僕は本当に助けてもらっている。そしてそこには一人という極小の形態でどこまで深く社会と結びつくかの可能性を感じている。完全にどこにも属していないタダの人間が一体どこまでできるのか。それが僕の試したいことなのである。よく聞かれる。「そんなことやっていて生活ができるんですか?」「家庭はさすがに持てないでしょう?」あまりにも創造力のないこのような質問を実際に教えたり、表現したりする人たちが聞いてくるのには驚く。僕は現に自分の仕事だけでお金を稼いでいる。バイトは一切していない。もちろん長い修業時代はあったけど。嫁もいるし、子供もいるよ。何にも困ったことなんか一度もない。結局、そういう質問をするということは、自分が教えたり、表現する立場にいるにも関わらず、どこにも属さずに生きるということをしていないからなのであろう。動物園とサバンナ。どっちが面白くて美味しいものにありつけて美味しい空気吸って精神衛生的にも良いかなんて一目瞭然ではないか。そうやってやったことの無い人が次の人に教えるもんだから、教えられた方も、どうやって稼ぐかが分からんのである。食っていけるんですか、なんて愚問以外の何者でもない。人はどんな状態であれ、絶対に食っていけるからだ。なぜなら、食いたいからだ。それと同じように、自分がやりたいことは絶対に可能にできるのである。なぜならやりたいからだ。それを僕は体験で得た。だから自分にとっては真実である。何か今日は鼻息が荒い。既成概念や、よく分からん人間が体験もしていないのに言ってくる言葉など全て無視して、裸の目で見た、独自の視点を持つ。そしてそうやって見えてきた世界を他者に伝える。そうすることで目の前の誰にも同じに見える世界の風景は、多焦点で複雑に入り組んだ高次元の変化し続ける空間へと一瞬にしてトランスする。それはとても豊かな空間だと思う。それは現実に新しい建物や制度を作ることでは実現しない。視点が無限にあるということを伝えることによってこそ可能になるのではないか。何も作る必要はない。不安の先にある希望を感じれるようになるには、本気で不安の雨を受け続ける必要がある。ひとときではなく、継続的にである。その時、新しい視点はまるで筋肉痛のように登場し、不安というものが実はキャパオーバーのオーバー部分であることを知る。そしてそのオーバー部分とは、自分が今まで直感では気付いていたが、知覚できていなかった才能ではないかと気付く。それはただ痛いだけではなく、覚えたてではあるが新しい動作の知恵がくっついている。筋肉痛ライフ。これをやり続けようと思った。何を熱くなっているのだ。僕は。夜は明石家さんまの27時間テレビの見て爆笑していた。この人こそ筋肉痛ライフかもしれん。

2008年7月25日(金)

朝起きて、アオと戯れて、泣く泣く外出。新横浜駅から新幹線で向かうは名古屋。ビックカメラ前で久しぶりに林さんと会う。伊勢旅行以来。車で中部大学まで送ってもらう。途中でダンヒルというこの近辺らしい喫茶店で珈琲を注文するとケーキが付いてきてびっくり。さすがカフェ文化。で、午後3時半に中部大学リサーチセンター到着。センターの入口に中部高等学術研究会、坂口恭平氏とか書いてあって、僕は結構気軽にみなさんでお話をするだけと思っていたので、ちょっとびっくり。で、僕はさらにちょっと勘違いしていたのだが、一般受講者の方たちが集まってできた研究会だと思っていたら、飯吉厚夫中部大学総長を始め、社会学者の加藤秀俊氏、国立民族学博物館元艦長の佐々木高明氏、など紹介されてびっくりの超アカデミックな場で緊張。今回、企画してくれた長島特任教授と初対面。しかし、呼んでもらったのだから腹を割って、いつも通りに40分ほどトークをした。みなさんに一笑されるかと思っていたが、その逆で本当にエキサイティングな議論が飛んだ。加藤秀俊氏は1990年代、磯崎新氏とディレクションしたVISION OF JAPANという展覧会で石山修武先生と一緒に仕事したことを教えられ、その展覧会は僕も図版を見て衝撃を受けていたので、なんだか感慨深かった。加藤氏も会うのを凄く楽しみしていたと言って頂き、なんだかホントよかったし、励まされ、勇気づけられた。佐藤淳二氏が鈴木さんの生活ぶりをインディアンと同等に見て言った一言に凄く深いヒントが隠されているような気がした。僕はこれまでアカデミックなものに対して、かなりアンチでいたのだが、この研究会は僕がやろうとしている感覚に近く、非常に興味深かった。そんなに毛嫌いしていては自分の可能性を拡げられないと感じた。もっと自由に楽に、本質的に人間に必要な感覚を求めるために動いていこうと思った。2時間半ほどディスカッションをして、その後、ワインを飲みながら談笑。なぜこんなところに僕がいるのか最後まで不思議ではあったが、何かのアクションであったりインパクトは伝えられたのではないかと実感している。長島先生呼んで頂きありがとうございました。さらに精進していこう。林さんがまた迎えにきてくれて車で焼き肉屋で久々の会食。僕たち二人は僕が大学入学したての18歳の頃からの仲だ。同じ寮で、会ったときは朝まで議論していた。何を議論していたのかはもう今はよく分からない。でも僕たちは凄く誠実であったのではないかと話す。その時の熱が今でも僕を燃えさせる。どんな人がなんと言おうと自分の仕事を少しずつ進めることが出来ているのは、この埼玉県の上福岡に存在していた寮の中の林さんの部屋で巻き起こった、不思議な人間たちが寄り集まっていたサロンのようなゲットーのようなインドのような茶室のような空間のおかげだと思っている。そんな話を午前1時まで。布団に入ったものの、熱くなっていたのでなかなか眠れず。エココロけいちゃんから連絡がある。僕がテレビに出演することが決まりそうだとのこと。色々巻き起こっている。

2008年7月24日(木)

午前7時起床。午前9時マネックス本社にて作業開始。なんか今日はかなり気合入っていた。怒濤のラッシュ。途中、松本社長とエレベーター前で出会い、今日終わりますよ!と宣言した。その後、作業場にて雑誌社による写真撮影。僕と社長のツーショットなど。その後、また作業に戻る。途中、この前、トークした時に聞きにきてくれたマネックス社員の女性が隅田川のエジソンを購入してくれてサインを頼まれた。感謝感激。なんだか嬉しくなったよ。ほんと。さらに途中、元コヨーテ担当編集の稲さまより電話。「なんか壁画やってるらしいじゃないですか」「今、近くにいるんですけど、、」とのこと。こちらは作業を続ける。そして、とうとう、キースジャレットのケルンコンサートpart2を聞きながら、涙を流しながら、ドローイング、五メートルの大作が出来上がりました。いやー、最後ぐっと来た。しかも、テンション上がっていき、疲れ知らずで描き切った。エンドルフィンが放出されていた。かなり危険な状態。しかし、効いているもんだからまったくきつくない。ほぼ同時に稲さま来マネックス。マネックスの久保田さんも一緒に三人でプレスルーム。しばし、呆然と街と化した超特大Dig-italを眺める。8月27日の午後7時からマネックス本社にてお披露目会が開かれるようだ。詳細は後日。とうとうマネックスに通う日々も終わりを迎え、転校するような気持ちになり、寂しくなる。そうです、結局あたしはフーテンのキョーさんなのでございます。また流浪の旅が始まるのである。帰りに、稲さまと小さな乾杯し、しかも持ち上がってしまい、とうとうと語る。すまん稲さま。最近は、何があろうと、色んなもん引きずってでも、行動を起こすのだと意気込んでいるので、回りにとっては少々暑苦しいことだろう。家に帰ってくると、アオが目をパッチリ開けて待っておられた。仕事を終えて帰ってくるのは、まるで獲物を捕まえて帰ってくるような晴れ晴れ感がある。狩猟で生きる喜びである。明日は久々に名古屋方面。中部大学研究会。その後、岐阜の盟友、林さんところにて宿泊の予定。いやあ、終わった、本当に終われてうれしい。正直、今回はでかすぎたし、やったことの無い方法だったので、無理かもしれないと多少不安でもあった。しかし、こうやってちょっとだけキャパオーバーが連続する人生であれば幸せだなと思う。無理なことに挑戦しなければ、何一つ面白みを感じないという何とも大変な性癖は、やり終えた瞬間にだけ、充実に満たされる一瞬がある。マネックスの皆さん、ありがとうございました。おもろかったです。そして、また明日からはいよいよ中断させていた本用原稿執筆二連チャンという新しいルーティンが二ヶ月ほど続くのが、始まるらしい。休息している暇は無いのである。

2008年7月23日(水)

午前7時起床。午前9時マネックス本社にて作業開始。作業始めて12日目。会社に通ってくるのも慣れた。こうやって色んな世界、組織、空間の中にお邪魔できるのは、自分の仕事ならではなのでいつも興味深い。この時の感覚は小学生の時に転校したときの衝撃をいつも思い出す。あの時、僕は瞬間的に学級委員になって、完全にいじめられたかと思われていたが、僕の中ではシメシメだった双方のズレに創造的な興奮を感じたものだった。結局、人からどう思われようと自分が楽しけりゃどうでもいいのである。それはその後、シュバルの理想宮と出会った時も同じであった。共感したのである。作業は大詰めを迎えている。調子に乗って大きく描いたところが終わるか少し不安であるが、実は〆切は一ヶ月先なので問題無しなのであった。自分の中では明後日と公言しているので、たぶん明後日に終わるのだろう。今日も残業で午後7時までやりました。まっすぐ家に帰ってくる。戸塚。アオと戯れる。バンクーバーのジャックからメール。僕の作品が届いたらしい。交渉。来月、彼の子供が日本に来るらしい。楽しみだ。銀座について色々と構想する。夕食を食べて、戯れながら、ぐだーとして風呂入って寝る。明後日は中部大学で小さな講義のようなものを午後4時からするので、昼までしか描けないので、明日が本質的には最終日。気合入れてよっと。

2008年7月22日(火)

午前7時起床。午前9時東京駅、マネックス本社。描き始める。ガンガン行く。ようやく終着点が見えてきた。落ち着く。でも、ちょっとキャパオーバーまで作っておいた。こうでないと安心してしまってどうもいけない。なので、ちょっとやり過ぎの風を。途中、視察団的な方々がいらっしゃる。今回は企業との共同作業のため、自分が今までは会うことのなかったタイプの人々とも出会っている。僕は、もうなんでも来なさい状態なので、受け入れている。しかし、本質的にヤバそうな空気は感じられたことがない。危険な香りを求めているが、みなさん、さらっとしている。もっと馬鹿な空気を体感したい。社員の方から、色紙を貰う。変なサインしてみる。午後4時で終了。電車で四谷駅へ行き、今日は上智大学の研究室で講義的なるものを。佐藤春夫ののんしゃらん記録を中心に、1920年代の近代文学について研究しているラボにて。なんで僕が呼ばれるか非常に不思議だと思っていたが、行ってみるとすぐに納得できた。ベルギー人、アメリカ人、イタリア人が集まっているのに、会話は川端の紅がヤバいだの、佐藤春夫の美しい街だの、乱歩だの、なんだかおそらく今の日本人は注目もしている人は非常に少ないであろう、さらに僕が今一番気になる人たちの作品を研究しているのである。これは凄すぎて、嬉しくなって、戦友を見つけたような気分になって、話す話す、ノンストップで、しかも日本語が皆に通じるもんだから嬉しくなってまたどんどん。みなさん聞いてくれて、さらには次にアイリッシュパブまで行って、続けて、最終的にはベルギー人のミヒャエルとアメリカ人のマイケルの二人の学生と熱い激論を交わし。家に帰ってくる。教授のアンジェラとは、1920年代の日本近代文学は今世界で熱い視線を浴びているらしく、その翻訳本&僕の考えている立体読書的な視点も盛り込んだ書籍を出版したいとのこと。うぉー、こりゃ面白そうだ。やっぱ世界に挑戦できるのは何事に変えても楽しい。久々に今日は西荻に帰ってくる。ホカリにマネックスドローイングの写真撮影以来。許諾してもらう。講談社の川治くんより電話。そういえば、ドローイングにかかりきりで、完全に原稿を放っといてしまったのである。そういえばというか、正直、知っていたのだが...。いかん。でもドローイング終わったらもう一回集中します!と言いました。焦ってはいかん、でも〆切を作らんと出来上がらん。うーん。でもドローイングやり終えたら気持ちよくなってちゃっちゃ原稿書くのではないかと妄想している。今から、亮太と久々にアフターグロウに飲みに行く。まだ詳細は出てないんですけど、7月31日にシブヤパブリッシングブックセラーズという書店にてエココロのケイちゃんと写真家の石塚氏とトークショー、することが決まりそうです。ってかなりあやふやですけど。詳細追って報告します。小説について読者から厳しい一言メール。ま、そんなこともあります。

2008年7月21日(月)

午前9時起床。ユメとメイの姪っ子コンビとアオと戯れる。お昼は冷やし中華。その後、午後一時頃外出。浅草駅へ。午後3時にノルウェー人で、ノルウェービジネスデイリーという、日経新聞のような新聞記者であるブヨルヌと会う。ホームページで僕の事を知ったらしく、ノルウェーからわざわざ取材に来た、気合いの入っている人間である。そのまま、鈴木さんの家へ行く。三人で宝焼酎で乾杯。ブヨルヌも、ノルウェーで広大な土地を600万円で購入し、そこに家を自力で建て、太陽光発電のみで電気を賄い、さらに雨水も再利用して、そこから会社にスーツ着て通っているらしい。凄すぎる。話は多いに盛り上がる。午後5時頃まで飲む。その後、銀座へ移動し、三原橋にある居酒屋でんぱちにて小学館の今川くんと打ち合わせ。彼は今週から女性セブンに異動したらしく、新しくまた何かやりましょうよとのことで、生麦酒飲みながら。今、気になっていることなどを話す。今川くんにはよく御馳走になっているものの、なかなか仕事が一緒に出来ていないので、気になっている。今度はぜひとも実現させたいと盛り上がり、今日は早めに切り上げる。電車に揺られて、戸塚まで戻ってくる。明日から、またドローイングが始まる。残り4日間。絶対終わらせよう。

2008年7月20日(日)

午前9時起床。テキサスに住むアメリカ人から0円ハウスの冒険をありがとうのメール。こういうのやっぱ凄いと思う。即レスポンスを返す。そして、ノルウェーの新聞記者の人から会って話したいとのこと。なんだか予想もしないところから連絡が来る。全てに反応していく予定。どんな依頼でもやはりどこかに面白さは存在する。それを見つけさえすればいいのである。昼飯を食べてから電動自転車に乗り込み、戸塚周辺を走りまくって原稿執筆に適した場所を探しまわる。僕が今いるところは港南区というところなのだが、上永谷駅の雰囲気がいい。緑の色がいい。図書館で一回執筆開始するが、あまりに静かすぎてキーボードを叩く音が響いてしまうので、ここではできない。結局、家の近くのガストが一番文句も言われないのでいいとなりそこに落ち着く。コヨーテの新連載「現代の生業」の原稿。これはまだどうなるかわからないので様子見のつもりで始めたが、意外にも原稿は乗ってくれて気付いたら25枚ほど書いていた。家に帰って、夕食を食べて写真をまとめて一緒に送信する。意外と西荻よりも仕事が捗るのかもしれない。ここは僕を誘惑するものもない。マネックスが終了してからの引きこもり場所はガストに決定した。ここで10日間ほど籠り、次の原稿に取り掛かる予定。その後は八月一杯は春秋社から発売予定の書籍用集中取材に入る。集中して草臥れる。午後11時頃、ふーの姉ちゃんファミリーが来訪。アオと戯れて寝る。

2008年7月19日(土)

午前9時起床。今日はドローイングは無し。会社が三連休のため僕もこれから三連休。ある意味肉体労働なんでこの休み恵みかもしれない。普段だと休みはあんまり無い方がいいのだけれど。執筆の場合、休んだら、ほんとなかなか戻れない。アオと戯れる。僕の仕事は授乳後のゲップ係、ゲッパーである。結構うまくなってきた。ドローイングが休みなので溜めていた原稿の方をやることに。作業場での仕事に慣れていたので、家ではなかなか集中できない。やっぱり朝ガンガンやらないとダメです。男の人はそういう朝型の成分を分泌しているらしい。で、昼飯食べても戯れに興じたりして一向に作業進まず。まあ、それはそれでいいとした。夕方からなぜか一気に気が乗ってきて、エココロ連載中の四次元ガーデン第8回目を執筆。3時間で完成。写真もまとめて送信。仕事完了。その後、テレビで時をかける少女をやっていたので見る。で、チャンネルいじっていると、BS11ってところで惑星ソラリスもやっていてそっちも見たかったと思ったが、もう一時間過ぎていたので諦めた。この映画のオープニングの地球の平凡な池のシーンを文芸座のオールナイトで見たが、それが今でも頭から離れない。あれは一体何なのか意外と今でも考える。とか考えていたら久々にもう一つの映画「ストーカー」を見たくなってきた。

2008年7月18日(金)

午前7時起床。午後9時にマネックスにて作業開始。とりあえず引き蘢り作業する。ここは窓も無い部屋。だから、ここに妄想の展望台を、パノラマビューを表示させようとしているのである。マッキーも一日二本は使っているので、もう20本目だね。出来上がったら、ゼブラさんに画像でも送ろうかと構想する。それにしてもマッキーというマジックは安定感バツグンであり、パイロットにもそのような極細の油性マジックはあるにはあるのだが、すぐ滲んでしまったりとペン先がおぼつかない。まっ、それでも普通に上履きに名前を書き記すぐらいならば関係無いのだろうが、最近、書けば書くほど技術的な向上が見られ、さらに細密になってきてしまっているDig-italシリーズ。しかも、今回はシティにまでなっちゃっているので、ペン先は重要な問題である。もっと細いのを探しても面白いかもしれない。超極細も出して下さい。ゼブラさん。マッキーで、キャンバスに絵を描いている訳で、つまりは、Oil on Canvas なのである。今までは Ink on Paper だったので。しかし、最近は色を付けたくなってきている。Dig-italピープルシリーズで、欧州の伯爵肖像画のようなスタイルで大きなものを描いたらどうかな、などと、得意の仕事が終わってないのに、次の仕事の発想が浮かんできている。しかし、よう考えてみれば、これのおかげで、僕の仕事は一つ終わっても、連続的に次の仕事を始めることが出来る。それはつまりは、いいのかもしれん。作業しながら、実は次の仕事の内容を考えているのだ、と今日気付いた。で、お昼まで、ノンストップで描いて、地下のタイ料理屋でイエローカレーを食し、午後12時から、なんとマネックス本社にて働いている社員の方々へ向けてのトーク。一時間。誰か集まるのだろうかと心配したが、たくさんの人が集まってくれた。自己紹介的に色々と話す。質問なども飛び、良い刺激になった。やはりいつも話をするのは難しい。しかし、その難しい感が、実は非常に重要であることを最近よく考える。聞きにきてくれた人の中には、アングラな僕の、中でもアングラな仕事の一つである四次元ガーデンを一年前から知ってました、面白いです、と言いに来てくれた方などもいて、それはそれはびっくりしました。終わってから、またノンストップで、描こうとしたが、なんか喋ったら疲れたらしく、30分寝てしまっていた。なので午後6時まで今日は残業気分で。まっすぐ家に帰ってきて、アオと戯れる。

2008年7月17日(木)

午前7時起床。アオと戯れて、出発。午前9時マネックスにて作業開始。午後5時までノンストップ。半分を過ぎてきた。出来上がりも半分を過ぎてきた、はずだ。その後、午後5時半、一階にあるPAULにてコヨーテの佐々木さんと打ち合わせ。新連載「現代の生業」について。カラー4ページ。頑張らねば。次いでに0泊3日も。今度は兵庫のストリップ劇場に行くことに。で、その後、次いでなのでと、20階に再び登り、佐々木さんに作業場を案内する。このDig-Ital CITY、出来たらトンでもないものになる予定なのである。そうしなくちゃ、面白くない。プレッシャーもあるが、それより今は面白い。佐々木さんも興味を持ってくれたようだ。で、電車に揺られて戸塚へ戻ってきて、アオと戯れる。夕食、ゴーヤと豚肉のごま油炒めなど。麦酒。風呂。メール。早稲田大学校友会編集部から、エッセイのゲラ。確認。今日はゆっくり出来た。明日、ドローイング今週最終日。いよいよ佳境である。

2008年7月16日(水)

午前7時起床。出発。午前9時マネックス。作業開始。今日も。進む。一棟分完了。次々。しかし、腰は痛い。立ちっぱなしで8時間はホテルのバイト時代を思い出させる。しかも脚立の上でだし。それでもなんとか進む。作業後、お茶の水に行き、買物などを終わらせ、六本木へ向かい、ABCで立ち読みなどをする。エココロ編集局長のけいちゃんより、トークショーの参加依頼。参加の意向を示す。スペクテイターからは立体読書の催促。次、何やりまひょか。その後、午後7時、アマンド前にてタンゴと待ち合わせし、近くにあるとあるカフェへ。今日は、なんと細野晴臣さんが普通のカフェで練習のような、会合のようなライブを、通常営業のレストランにて行うとの情報を、マネージャーのさとみちゃんより。で、行ってみることに。白ワインボトル飲む。アンド、バーガー類。湘南のユニットやら、漫談師やら、弾き語りやら、飛び入りやら、変なマジシャンやらの後、ワールドスタンダード。こちら、凄かったです。はい。その後、細野さんのバンド。こんな音楽がガンガン鳴っているレストランとかあれば最高なのに、と思った。まるで、ジャックケルアックの地下街の人びとでのジャズクラブのように。終演後、初めて挨拶もする。緊張。で、家に帰ろうとするが、戸塚にまだ慣れていないために、なんだか、バスは終わってるわ、地下鉄は逆方向に乗るなどのてんやわんやを繰り返し、虚脱して帰宅。即寝。

2008年7月15日(火)

臍回りがなぜか痒く目が覚める。久々の西荻。出発。朝からもちろんドローイングin マネックス。今日は松本社長もちらりと作業場を見に来てくれていた。何だか作業はじゃんじゃか進む。ラフロイグの嵐だった昨日の二日酔いは水を1リットル飲んで消滅させた。やっぱり水は偉い。お昼は下のタイ料理屋のレッドカレー。食べてすぐ又作業。きょうは午後5時までやった。その後、東京駅のカフェにて原稿等の作業。ドローイングを一日の中心の置いている最近では、終わってから原稿にとりかかる余裕全く無し。太田出版の北尾さんに、遅延のお知らせ。すんません。で、午後7時東京駅にて従兄弟のソウと待ち合わせ。約束していた新曲を聞かせてもらう。やるじゃん。十代でしっかりプレッシャーを作れれば、大きくなると思う。次の指令を考え出す。しかし、一日終わるとぐったりである。戸塚のふーの実家に戻る。鳥海夫婦が来訪中。アオがちらりと目を開けた。白ワイン。風呂入って撃沈。体は大変だが、ドローイング、これは出来たら大変なことになるかもしれん。今までに見たことのない大作が出来る確信を今日持った。こうなりゃ強い。青山出版社村上女史よりメール。紀伊国屋のウェブサイトにて、隅田川のエジソンの気合いの入った書評が掲載されたらしい。by 大竹昭子さん。嬉しい。その後、タイミングよくエココロ担当編集のエリちゃんより、隅田川のエジソン、ヤバかったという電話。素直に喜ぶ。なかなか小説を売るのは難しい。宣伝もなかなか難しい。しかししかし、このリアクションは、やっぱりなんかあるんだろうと僕は勝手に自信を持ったよ。どうにか売り込み気合い入れたいのだが。ドローイングもあるし。とりあえず25日でこれは絶対に終わらせなくちゃね。エジソン、ここに来てグイグイ成長してきている感あり。アオの姉ちゃんみたいなもんか。

2008年7月14日(月)

少々眠いが、7時起床し、出発。東京駅に午前9時前到着。さっそくドローイング開始。いよいよ積み重なるビルディングの制作が始まる。もう何も考えず、がしがしやる。なかなかいいペース。午後二時にリュウ・エンタープライズの弓長さんが作業場に来る。ビデオカメラで撮影開始。僕はひたすらドローイング。二時間撮影される。ようやく形が見えてきた。後、一週間。なんとか終わりそうである。午後4時終了。家に帰ってくる。証明書作成。送信。バンクーバーのJackからメール。写真購入の件。無事うまくいったようだ。そして、再び外出。初台駅へ。ハザマの家へ立体読書のドローイングを持って行く。家の廊下に飾る。新しい絵の打ち合わせもする。こうやって色々試せることは非常に嬉しいことだ。その後、お決まりの桔梗で、瓶麦酒3本と板ワサ、茹餃子、桔梗塩ざる大盛りを食しながら、話す。僕とハザマのコンビも9月で丸二年である。この二年で大変なことになってきている。さらに引き締めるための飲み会のようでもあり、ただの馬鹿話のようでもある。この際、どっちでもいい。ラフロイグを揃えていたのでロックで飲み始めると、楽しくなって、勢い増して5、6杯飲んじゃって、終電で帰ったものの、当然のごとく、眠ってしまい、気付いたら日野駅にいたよ。びっくり。おまけしてもらって、高速でタクシーに乗って家に帰ってくる。旅してるんじゃないよ。おいおい。

2008年7月13日(日)

ゆっくり起きて、お守。体調があんまりよくない。ドローイングがさすがに応えているようである。寝転がって過ごす。これはちょっと仕事も置いておいた方がいいかもしれん。7月25日まではドローイングに集中することにした。昼過ぎタンゴが来戸塚。夕方まで。深夜の授乳もついつい僕も起きちゃって寝ていない。

2008年7月12日(土)

今日は完全に休みの日にした。碧と初めて終日一緒にいる日なんで。家でちょこちょこMacを出しては触るが、落ち着かず。まあ、今日は諦めて何もしない。何もしないと落ち着かない、完全な仕事中毒なのである。これは。お昼過ぎに、母、美帆、ノノカ、リキの四人が戸塚まで遊びにきた。ノノカと遊ぶ。しかし、いきなり、ホリック状態からのんべんだらりとなったために、体の調子がおかしくなるというもう訳のわからんくなってしまい、途中寝たりしながら、お医者さんごっこなどを行う。上智大学の教授から、立体読書についての話をしてくれとの依頼。再来週。本当に不思議な仕事の依頼が来るもんである。その週は、名古屋にある中部大学の研究会もあり、また違う角度の人々と話す機会ができた。夜も、皆で碧の退院祝い。鯛一匹をオーブンで焼いたり、ミートローフ、バンクーバーから持ち帰ったアイスワインなど盛りだくさん。途中で草臥れて寝転ぶ。

2008年7月11日(金)

午前8時半起床。ちょっと寝坊。満員電車に揺られていつものように東京駅へ。午前10時前から作業開始。ずんずん進ませる。マッキーももう10本ぐらい使った。お昼はタイ料理屋の弁当で、グリーンカレー。午後、AITの塩見さんが様子を見に来た。ふーから電話があり、碧が無事に退院したとの事。今日から、戸塚にあるフーの実家で僕も一緒に暮らすことになる。午後5時に終了。五メートル分の街を無事描き終える。後は、上に伸びて行くビルディングを来週から。ここは会社なので、僕の仕事も土日は休みになった。この間に、溜めているいる他の仕事を一気にやろう。電車で戸塚まで帰ってくる。碧が家にいた。退院祝いで麦酒と南アフリカの赤ワインを飲み、ステーキを食す。夜、チェルフィッチュのフリータイムの演劇と大江健三郎氏との対談の番組を見ながら、あやす。ここまで、このやり方で持ってくるのは相当の力が無いとできないと思う。非常に参考になる。やはり今までの流れとは違う、独自の成長をしている創造のエネルギーがそこら中でふつふつと湧いてきているような実感をした。僕も、もっと頑張らねば。

2008年7月10日(木)

午前7時起床。しばし原稿。午前8時過ぎ外出。東京駅、マネックス本社にてドローイング、今日も何の変化も無く、淡々と始める。僕は不思議なもんで、レストランでのメニューも毎回一緒だし、珈琲とか飲んで一服して、作業してとか全く興味無しで、ただちに作業開始だし、その間のお昼ももう決まった弁当コーナーへ走り、15分で食べ、また作業。つまり淡白でルーティンで刺激が少なく、ゆとりもなく、リラックスタイムも無い。しかし、それが非常に落ち着くのだから、それは僕にとってはリラックスと言えるのか。しかし、一人で作業に没頭していると、あー、こんな画家みたいな人生も悪くないのかなー、とか思うのだが、やはり、無理だなと思う。僕はこんなとこに籠って作業はしたくない、とも思っている。しかし、籠りたい。つまり、一定期間だけ限定して、集中的に引きこもりたい。後は、裸で走り抜けたい。そのバランスでどうにか人生を渡り歩いているといった風情でござる。だから、職業をひとつに限定しないというのも、そうやらないと、ただ僕は生きていけないからなんだ、と今、気付いた。それを僕は人間こうあるべきだ、とか言っちゃう時もあるのだが、それは違うのかもしれん、と今思った。ただ、自分の趣向なのだ。何を言っているのだ、次だ、次、という訳で、作業は相も変わらず、従順に自分で課したノルマを淡々とこなす日々。そんなもんだから、当然、進む。途中、施工業者の方が修理に来てくれた。その後、担当の藤沼さんも見にきてくれて、お世辞かもしれんが、絵を見て気に入っているような顔をしてくれた。僕の法則で、施工業者の担当の人に気に入って貰えば、その仕事はうまくいくというものがあり、法則に勝手に従わせて頂き、一安心してみた。しかし、まだ、Dig-italの本丸は顔を出してこない。これは来週取り掛かる。まずは、パノラマビューの街並を完成させなければ。今日も7時間。しっかり働いて、帰ってくる。もちろん、国立国際医療センターへ直行。アオは元気、溢れすぎて、母乳飲み過ぎて、爆睡している。医師のオッケーサインが出たので、明日、よっぽどのことがないかぎり晴れて退院ということになった。皆さん、心配かけました。これで入院日記も終わりを迎えるか。アオは、少し珍しい特徴があるかもしれないということで、今後も通院はしなくてはいけないようだが、今のところ症状も無く大丈夫なようである。午後9時に一人で家に帰ってくる。明日からはようやく家族団欒である。人生初の。今の集中的な仕事が自分の気持ちに作用しているようだ。自分の仕事の仕方を変えるきっかけになりそうだ。あれもこれもやっててはいかん、時間を決めて、目の前の仕事を一つ一つ終わらせていくほうが、今の感覚ではいいような気がしてきた。まっ、それもどうせまた変わるんだろうが。

2008年7月9日(水)

午前7時起床。タンゴ用に、推薦文執筆。朝食後、すぐ外出。午前9時に東京駅横のPCP到着。20階のマネックス本社へ。今日も、作業、作業。またまた休憩無しでぶっ通しワーク7時間。その後、日経デザインの編集の方が取材のようなものを。色々と喋る。一時間後、終了。今日も一メートル進んで、これで三メートル。明日、明後日かけて下の街の絵を完成させなければ。その後、ようやく上に伸びるモンスタービルの制作に入る予定。うまくいけば二週間でばっちり終わる。人間、二週間ぶっ通しでやれば、何でもできるという感覚が身に付いた。原稿だってそうである。二週間一気にやった方が何でも終わる。もちろん、それまでのジトジトタイムが長くあるのだけれど。その後、国立国際医療センターへ。アオさん、出てきました。未熟児室から。普通の病室に。隣の病室はタックン、三歳。三の時、アホになっていた。どんだけ、浸透してるんか。僕も三十なので、アホ返し。午後9時まで一緒にいて、ふーはお泊まり。僕は帰ってくる。このまま行くと、金曜日、大丈夫そうである。ドローイングは調子がいいか、原稿はまだまだ進まず。どうですか?とメールなど来てる。25日まではなかなか難しいかも。しかし、それが終わったら、集中してやろう。現在みたいにカンヅメになれば何とかなるだろう。カンヅメ場所を探そう。今年中に後、二冊執筆の予定がある。普通だったら、無理かもしれないが、今はなんとなく試したいのである。

2008年7月8日(火)

午前7時起床。朝食後、すぐ出発。東京駅。午後9時からマネックスにて今日も制作。マッキードローイング。なかなか順調である。下のコンビニで弁当買って、15分で食べて、そのまままた続きのドローイング。原稿と違って、ドローイングは休憩がいらないのはいつも不思議である。脳味噌だけ使う訳じゃないからだろう。手と頭を同時に動かすのは疲れないのである。キーボード打っているだけじゃ、ちょっと違うのだ。そんな訳で今日も午後4時まで7時間ほぼぶっ通しで作業終了。街の絵が二メートル分完成。五メートルだからね。まだまだ油断できません。で、新宿へ戻り、国立国際医療センターへ。現地制作がとうとう始まってしまったのでアオの見舞いに行けないと思っていたが、僕が今まで皆勤賞だったので、特別に午後6時以降でも見舞いに行けるということに。しかも、アオの調子がよく、明日、未熟児室を卒業できることに。しかも、調子がそのまま続けば金曜日に退院!ようやく光が見えてきて、テンションが上がる。でも、何度も山、谷あったので、あんまりはしゃがないことにしよう。とは言っても、気分はいい。15分抱っこして家に帰ってくる。ドローイング中は疲れないが、帰ってきたら疲れている。午後11時頃風呂にも入らず爆睡。

2008年7月7日(月)

午前7時起床。朝食後、すぐ外出。午前9時に東京駅横のPCP到着。20階のマネックス本社へ。先週施行してもらった壁に貼られたキャンバスを確認。バッチリ。さっそく、新品の油性ペン、マッキーを袋から出しまして、作業開始。そのまま、何も考えず、一心不乱で描き続ける。昼飯も15分くらいでささっと食べて、また取り掛かる。午後5時ちょうど、約7時間半かけて1メートル分の街が完成。このペースで行ければなんとか期間内に終わるかもしれない。久々にここまで集中して作業した。滋賀県での段ボールDig-Italを思い出す。あれが1月。次は、11月のモントリオールでの現地製作。定期的にコレやっておくと、大分、力がつくように思う。普段の生活では考えられない集中。これだったら、家で作業するんではなく、毎日作業場でやれたらかなり効率がよくなるんかな。家にいたら、原稿書きながら、キースジャレット聴いていたら、なんだか音楽が作りたくなってきて、ギターを持ち出し、弾いていたら、録音してし始めたり、えを描きたくなって、ついつい世界堂まで出掛けていって、紙を買って帰ってきてしまう。この分裂も自分にとっていい刺激にもなるのだが。やはり時間を決めて、完全集中を行うと、とんでもないものが出来上がることを考えると、魅力的だ。その後、丸ビルのH.P.Franceに行き、買物。ベルギー製の帽子。そして、新宿駅で、ファミリー六人と待ち合わせ。恵比寿へ。この前、村上女史に連れて行ってもらったイタリア料理屋タベルナが美味しかったので、またみんなで行く。僕、親父、母ちゃん、ふー、ふー母、美帆、ノノカ。イタリア麦酒で乾杯し、白ワイン。やっぱりここ美味しい。そして、バンクーバーのスペイン料理屋を思い出されて、尚良し。で、そのまま帰ってきて、うちに皆で泊まる。途中、今日の集中で完全に僕は果ててしまい、11時頃には寝てしまっていた。初日、上々の滑り出しである。

2008年7月6日(日)

午前8時起床。ゆっくりする。朝食をじっくり四人で食べる。その後、国立国際医療センターへ。アオはここのところ調子をぐんぐん上げてきている。近いうちにふーも再度病院に戻り、アオも未熟室を出て、病室で何日か一緒に暮らすらしい。まっすぐ家に帰ってくる。明日からとうとうマネックス本社での五メートルドローイングが開始する。どんどん自分も分からない領域へ突入している。かといって、止まっている場合ではないので、突き進むことにしている。そうやって諦めていくことに、面白さを感じている。自分に自信を持ち続けてはダメだ。むしろ自分の中で一番恐れているもの、自信の無いもの。それらに向かうことの方が、気分的に不思議といいことに気付いている最近の動向。なんだなんだ。家で親父と麦酒を飲む。日本のダンスミュージックというコンピレーションアルバムがあることを知り、注文していたが、それが届く。ダンスミュージックという名前で、なんと中身は盆踊り。日本の踊りについてのコンピレーション。しかし、やはり九州、しかも熊本の牛深ハイヤが最高だ。海洋民の大漁のための踊りには、グルーヴがしっかりある。縦のような横のような、それはつまりアフリカのケニアで体験したような不思議な一拍でズンズン深みに入っていく、日本特有のだとかは、もうどうでもよくなるようなリズムが存在している。一人で踊った。明日からは、一日8時間ドローイングに集中することになる。14日間。112時間で何ができるか?楽しみである。

2008年7月5日(土)

午前8時起床。ジョナサンに行き原稿。10枚書く。まだちょろちょろ書いている。景気づけに生麦酒を朝から飲む。その後、昼食を食べて午後12時に外出。午後1時に東京駅にあるパシフィックセンチュリープレイスへ。マネックス本社。来週からいよいよ開始する現地DIg-Ital製作のための施工をするために業者の方の作業。世界堂で買ったロングの5メートルキャンバスを手渡す。壁に直接糊付けすることになった。六ヶ月後にはきちんと取ってくれるのだという。美術系の施工会社とはまた違う業種の人との仕事も何か面白そうな感覚を感じさせてくれる。アオの見舞いのために僕だけ早く切り上げる。午後3時頃国立国際医療センターへ。アオは今日も母乳を飲みまくっていた。血糖値も安定している。80mlしっかり飲んだ。その後、病院回りをふーと散歩し、マンション探検をして、また母乳をあげるために病院に戻ってきて、午後5時授乳。今度は100ml。過去最高。家に帰ってきて、午後7時西荻にて、タンゴとチーちゃんと待ち合わせ。ふーと四人でナモさんのところで夕食。食後、熊本から親父と母ちゃんが上京してきたので亮太まで来て7人で麦酒とか白ワインとか飲みながら話す。熊本土産のいきなり団子を食す。

2008年7月4日(金)

午前7時起床。机に向かうが集中できず、朝飯を食べてそれいゆへ向かう。珈琲飲みながら久々にそれいゆで原稿。講談社現代新書用。もう一回新しく書き直すことにしたものの、なかなか執筆が進まず、苦しんでいたが、少しずつまた車輪が回り出したような気がする。今度こそ納得のいく原稿を書こう。原稿10枚書いて、喫茶店を後にして国立国際医療センターへ。娘アオの見舞い。今日、血糖値が少し下がっていたようでまだ完全には安心できないのか。しかし、母乳は初の80ml超えでこれはグッドニュース。退院が近いような遠いような。まだよく分からん。アオが終止起きてくれていて、元気な様子。その後、家に帰ってくる。帰ってきてもまた原稿。今日は、久々に15枚書けた。よしよし。転がってでも前進あるのみである。小学館の今川くんから久々に電話がある。なんと女性セブンに異動になったらしく、また何か面白い企画考えましょうよ、とのこと。面白そうじゃないの。近々会って話をしましょうということに。トルコ音楽の映画を見る。なんかこういう真似だろうがそうじゃなかろうがもう関係無いだろ、という勢いのある新しいオリジナルな考えはやっぱりいいなと思う。本当にどうでもいいと思う。ただ楽しめているのか、それを自分の中でどこまで内的必然性のうちにやれているか。それだけなんだと思うのである。手法はなんでもいいはずだ。で、夕方はゆっくりキースジャレットのThe Melody at Night,with youをずっとループでかけながら原稿。マネックスやりながらどこまで書く時間も作れるのかが今月の仕事の鍵である。またお得意の時間割を作らんとね。

2008年7月3日(木)

午前7時起床。原稿。昨日、一昨日の出会いについてと、現在進行中のもの。熊本日日新聞文化部の勝木さんから先日掲載された隅田川のエジソン書評の日の新聞が届く。早めに切り上げて「ささら亭」という店に初めて行き、釜玉うどん、カツ丼を食べる。午後から国立国際医療センター。娘アオの見舞い。母乳を今日は56mlも飲んで看護婦もびっくり。相変わらず元気。早くお家に連れて帰りたいもんであるが、もうしばらくの我慢である。その後、一人で家に帰ってくる。午後5時に西荻駅改札にてテレビ制作会社リュウ・エンンタープライズの弓長さんと再会。彼とは以前、AERAに掲載された時にドキュメンタリーを撮りたいと依頼され受けたのだが、色々あり一度断っていたのであった。一年半ぶりにやっぱりやりたいと依頼された。もう一回言ってくるのは凄い度胸がいる。のでまた受けてみた。ヴィレッジヴァンガードにてバドバー飲みながら話をする。今回は面白くなるかもしれない。そんな気がした。ドローイング現地制作、鈴木さんとのトークショーもあり、またそこでも何かが起きるだろう。よい会合であった。その後、家に帰ってくる。夕食はコロッケ定食。夜、この前ベルリンから来たCOCO夫婦が教えてくれた、キースジャレットの彼らが好きだというアルバムを借りに行く。吉祥寺へ。キースジャレット「The Melody at Night,with you」、ブライアン・イーノ「Music for Films」、ポール・マッカートニーの「裏庭の混沌と創造」とか、ウェス・アンダーソンの映画とかトルコの変な音楽団のロードムービーとか借りてくる。

2008年7月2日(水)

午前6時起床。午後7時過ぎ外出。上野駅へ。隅田川の鈴木さんの紹介でSさんという人に会う。不忍池にある野外音楽堂で待ち合わせ。「現代の生業」取材。彼も隅田川沿いに家を作って住んでいるのだが、彼は鈴木さんとは違い、アルミ缶を一切拾わない。しかし、鈴木さんの二倍以上月収がある。それはいかにして可能になっているのか?ということを調査するために、仕事風景を取材させてもらう。Sさんも鈴木さん同様、気持ちのいい人で今日は4時間も話してくれた仕事ぶりもしっかり見せてくれ、秘密もたくさん教えてくれた。コヨーテの9月売りの号で書く予定。さらにSからまた面白い仕事をしている人も教えてもらった。彼はなんと50万円以上も稼いでいるそうだ。そんなん、もうサラリーマンもびっくりじゃないかい。いやいや底を知らない路上世界。まるでジャングルでも探検しているみたいな気分である。仕事が終わり、上野公園で二人でコンビニで買った麦酒で乾杯し、さらに話を聞く。なんと僕が学生時代、金が全く無い頃、助けてもらっていた日雇いの仕事があったのだが、そこにSさんも行っていたらしい。で、よく考えると見たことがあった。不思議なもんである。また近日中に再会を約束し、別れる。そのまま大江戸線で国立国際医療センターへ。娘アオの見舞い。今日から、一定量を一定の時間感覚で母乳を与えるのではなく、アオの飲みたいだけ、母乳を与えるようになった。こうやって少しずつ色々変化させていくというわけだ。午後3時まで。今日も体調は全く問題無し。僕だけ家に帰ってくる。午後5時に近所のクワランカカフェで幻冬舎の竹村優子さんと待ち合わせ。なんと熊本出身でびっくり。面白くなりそうな話も出てくる。一時間半ほど話す。本当に僕のところに来てくれる編集者はどの人も何か冒険話でも持ってくるみたいに企画の提案をしてくるのでまるでインディジョーンズにでもなった気分である。自分の中の、自分がやれないと思っている辺りをチョンチョンと突いてくるので、緊張するが、興奮するのである。何かまた面白いことができるといいい。そして家に帰り、鳥のつくねバーグのサラダタマネギ和え、ほうれん草のじゃこ和え、カボチャの煮物、味噌汁、玄米を食べる。その後はゆっくり。取材するばするほど、ブラックホールのように広がり続ける人曼荼羅。僕は日常に対して嫉妬しているような気がする。僕が平日の昼間ぐらいに出会う日常のワンシーンは、まさに真空のオリジナルの姿を垣間見させてくれるのである。これはまさに嫉妬モンなんである。表現している場合ではない、と思わせる。一番自分に近いところに恐ろしいほどの創造の塊が転がっている。飛行機チケット買って行く先では、ただの日常にただ興奮してしまう。これもいいことはいいが、それはただ一瞬の快楽なんである。本当のオルガズムは一瞬ではない。ずーと鐘を打ったように響くのである。それは自分がいつも鼻で笑っているような日常の中に埋没してしまった遅延した知覚が見る、見慣れた空間の中にある。何の話をしているのか分からなくなってきたが、そんなことを色々と考えた。トップページにワタリウム美術館での鈴木さんとのトークショー情報をハザマにアップしてもらう。1500円とちょっと高いですが、ワタリウム美術館でやってるトークショーとしては安いらしいのでこの値段で落ち着いた。色んな議論ができればと思う。8月23日土曜日に行われる。乞うご期待。

2008年7月1日(火)

午前6時起床。作業を少ししまして、すぐ外出。午前7時に中野駅。昨日の四次元ガーデンの家に取材再び。今度は、お父さんがでてきて話をしてくれた。これがまた凄いんだ。お父さんは鈴木さんのような人で、ドンドン話してくれ、僕に対して、よく取材してくれた的に喜んでくれた。政策なんかじゃ変わらねえよ、路地から創造で変えてくんだよ、と意気揚々でございました。こうでないと。やはり今路上が熱い。人それぞれ違うことで表現しようとしている。しかも損得の世界を飛び越えた。それよりもっと面白く、生きる喜びを得られるワールドなんである。やっぱそうだよな、と平日昼間っから暇人たちは笑っているのである。人間味のある表現活動を基にした日常生活。これはやはり路上では今もひっそりと営まれているのである。私たちはやはりその姿を脳裏に焼き付けるべく、いま、歩かなければいけないのではないか。と僕が熱くなっていると、「いやー、坂口さん、そんなに押しつけちゃだめだよ。こうやって、お花や野菜なんかの植物をさらっと庭先で展示するだけで、人の気持ちはくすぐられるってわけよ、と諭される。ごもっとも。家に中にまで上がらせて頂き、お茶を貰う。お母さんも喜んでくれ、取材した甲斐があった。その後、近所に住む小倉さんのところで一服しにいった。この庭情報は、小倉さんのものであり、その報告。こうやって、あそこの庭は凄いですよ、と人が教えてくることが多い。そういう情報は、やっぱりググっても出てこないのである。その後、国立国際医療センターへ。娘、アオの見舞い。アオの母乳の吸い付きもみるみるうちに凄いことになってきた。もう心配はなさそうだ。後はゆっくり退院に向けて頑張ってね。午後4時に家に帰ってくる。ノノカと美帆が久しぶりに西荻に遊びに来た。家でひとしきり玩具屋さんごっこを窓越しに仮想レジなどを使用しながら濃密に行い、その後、タカの店によって、奥さんと子供のチーちゃん10ヶ月と一緒に、善福寺公園へ。その後、タカがモロッコ式ミントティーを作って公園に持ってきてくれたので、みんなでお茶会。ノノカ、タカのスペシャルティーの味に魅せられてしまい、二歳にしてミントティーの虜に。その後、善福寺公園内(!)にあるタカの家で桃を御馳走になり、家に帰ってくる。夕食はふーも加わってKIKUにて食べる。遊びすぎて、疲れて午後10時に寝てしまう。やはり取材すると体と脳が興奮している。僕は図書館で本を読んでいる時間があったら、やっぱり取材に行く方がいいみたいである。取材だけをし続けて、その世界を紙の上に定着させるぞと、高揚し、夢の中。

0円ハウス -Kyohei Sakaguchi-