House > Journal > Archives > 2008年 > 8月

Journal -坂口恭平の毎日-

2008年8月31日(日)

午前5時半起床。照る照る坊主の効果もあって晴れ。すぐさま着替えて電車に飛び乗り南千住。歩いて涙橋まで。その路地にある玉姫公園へ取材。通称ドロボウ市。その中の何人かと話す。元ヤクザと元文部科学省の役人が話しているような異様な光景。しかし、そこに市というものの根源の匂いを感じる。一人のおじさんと仲良くなり、しばし取材。その後一緒に仕入れにいくかってことになり上野公園に一緒にバスで。仕入れ風景を見せてもらう。しかし、これが現代の生業に使えるか、しばし考える。明日も色んな所へ行ってみることにしよう。昼過ぎまで取材を行い、家に帰ってくる。本屋へ行き、気になっていた町田康氏の新刊「宿屋めぐり」を購入。分厚い、ジャケやばい。ベッドに寝転び、読みながら、気付いたら寝ていた。夕方起きて、原稿まとめる。作曲活動。今度はアルバムを作りたいと念願しながらもなかなか実現しない。頭が詰まったので、近所を散歩したり古本屋で立ち読みしたりする。引っ越すと決まったら、今度は西荻が別の街のように見えてくる。今まで、行ったこともない方向へ行こうとするから不思議だ。今は二つの街の間でふらふらと揺れているんだろう。変な気分だ。夜は、亮太の家へ行き、香港の話などを聞く。香港にいったら是非行ってみたいとおもっていた所もあり、今回は楽しみだ。夜12時に帰宅。紅女史から電話。先日のマネックスでのドローイングレセプションについての感想。彼女は僕が22歳だった頃からの知り合いで、まだ作品なんか作っていない時からよく会っていた。僕に欧米のアートシーンについてのアイデアを厳しくも教えてくれたのだが、僕は若気の至りでよく反発していたりしていた。彼女が今回の展示、そして立体読書が良かったと言ってくれた。誰もやったことの無いことをやっているのかもしれない、とも言ってくれた。ありがたい。何も分からずエネルギーだけが飛び出し狂っていた若造から8年経ってようやく作品を展示したのだ。なんちゅうタメか。タメ過ぎである。ゼロックスの宇田川さんからも、全ての事象が結びつくまでの導火線は長いねー、でも頑張ってと、励ましのメールが先日届いたばかり。いやー、ホントになかなか芽が出ない。もうこうなったら焦ることも無いのだが。色々と考え、そして現状にはちっとも満足できんのだから、もっとやって最後はちゃんと爆発させんとね、と思った。

2008年8月30日(土)

午前9時起床。その後、立体読書用の資料収集。連載用ではなくて、上智大学のアンジェラ准教授との英語版日本近代文学についての新刊に向けての準備。うまくいけば、面白い仕事になりそうである。今後立体読書化してみたい本をとにかく様々な方法で探す。とにかく図書館に行って片っ端から全集を斜め読みしながら探すしか無い。てことで、或る程度当たりをつけて、荻窪の中央図書館へ。乱歩、朔太郎、佐藤春夫、稲垣足穂、宇野浩二、立原道造、梶井基次郎、横光利一、堀辰雄などの全集をとにかくまずは題名で選んでいく、そして読む。そうやって22作品を選んだ。どれも空間についての深い関心が感じられるものである。志賀直哉とか、谷崎潤一郎なんか結構渋い作品があるものである。漱石からもいくつか選んだ。中でも今、注目しているのは宇野浩二である。この人はまた、僕が興味を持っている乱歩や佐藤春夫とも違う魅力を持っている。いやあ、こういう発掘作業はなんとも楽しいもんである。それでファイルを作り、アンジェラ准教授に送信。昼に出て、午後7時まで。土曜日に図書館に引き蘢るとは。しかし、香港前に終わらせたいから仕方が無い。帰ってきて、今度は次なる新刊用の原稿をまとめる。今回も画像たっぷりになる予定なので、そちらもまとめて春秋社の篠田さんに送信。原稿は現時点で四万二千字。まだまだ半分ぐらい取材は足りない。どんどんやっていこう。ひとまず一区切りすることに。その後、中部大学から送られてきた研究会の僕の発言速記集のチェック。しかし、ちょっと頭が疲れたのでギターを弾くことにした。出発前までにコヨーテでの二つの連載用の取材が待っている。現代の生業のほうは雨がやんでもらわないと実現できないので照る照る坊主を作製。Arvo PartのSpiegel im Spiegelを聞く。なんだこれ、凄い。ナイロビミュージックも耳にぐっと入ってくるが、ミニマムの静かな音も同じである。ロシアの作曲家。聞いていると、タルコフスキーのソラリスの最初の地球の水辺と緑のシーンの映像が浮かんでくる。僕の生まれた1978年制作なのである。イーノのMUSIC FOR AIRPORTもそうだもんね。何か気になる。寝る前に研究会原稿のチェック完了。送信。

2008年8月29日(金)

午前中、アオと戯れる。ラーメンを戸塚で皆で食べて、外出。家に帰ってくる。電車の中で加藤清氏の本を借りて読む。京都のアイソレーションタンクを思い出す。いやあ、あの体験は本当に凄かった。遮音、遮光のタンクに、超濃度の食塩水。そこに全裸で入り、寝転ぶと、完全に体が浮く。そして、30分ぐらいが経つと、目を開けたままであるにもかかわらず夢を見始める。情報が完全に遮断されていると人間はイメージを作り出すのである。知覚できるものばかりに囲まれている状態だけでは生きているのではないと再認識した体験であった。やはり一切理解できない、という感覚も漂っているはずだ。それが普段何気なく歩いている空間に広がりをもたらす。家に帰ってきて、調べもの。香港行きのチケットが取れたらしい。9月5日から三泊四日。初めてなので楽しみ。コヨーテ佐々木さんと電話し、0泊3日の話など。上智大学に提出するための資料を作る。午後5時に西荻駅改札にてBRUTUSの西野入さんと待ち合わせ。それいゆにてBRUTUS TRIP内企画についての取材を受ける。話していたら乗ってきてしまい、30分のはずが1時間も喋ってしまう。しかし、おかげで色々また新しく自分にとっても見えてきた部分あり。マネックスの金井さんから電話。打ち上げしましょーとの提案。是非皆で労いましょう。こうやっていつも仕事がぽっと突然変異のようにして生まれ、それが時間がたつと完成し、終わっていく。それが当たり前のようでいて、やる前はとても緊張感があり、いつもこれがちゃんと終わるのだろうかと考える。もちろん大変だけどいつもちゃんと終わってくれる。こうやってこれからも自分が出来るかどうか分からずに絶大な不安があるものへと突き進めて行けたらなと、超ドMで筋肉痛愛好家である僕は思うのである。キャパオーバー最高。そういったものへの欲望は相当だ。何か新しい感覚を作り出したいとか、見たことも無い表現を実現させたいとか、そういったことはむしろ考えてない。それよりも自分が今持っている力ではできないことをちょっとずつ毎日筋トレのようにやり続けて行くことに快感を感じているのかもしれん。そう言う意味で僕はシュバルの理想宮に共感を感じるのである。DIg-italの絵もそうである。リトルキャパオーバーを一生続けて行くと、死ぬ頃にはとんでもないことになるのではないかと。だから人生の目的なんてものは既に無いし、どうでもいい。仙人になろうとも思わない。ただやらなくてはいけないような作業を全て無視して自分が興味を持ち続けていることをただひたすら毎日没頭する。それに意味があるとかないとか関係無い。金がないとか関係無い。そういう意味性を持っている世界から解き放たれるぐらいに全身全霊で自分の中の先端とたとえ無意味性をもっていたとしても日々付き合う。それは僕にとって最高の贅沢であり、それが自分にとっての豊かな生活である。そうやって、海辺で皆が集まって太鼓なんかなんか鳴らしながら身を寄せ歌い踊っている太古の人間たちの営みと同一平面上に、この現代の街の中でいることを試みてみたい。中部大学からこの前行った研究会の速記の記録が送られてくる。読むの楽しみ。モントリオールから11月の展覧会についてのメール。そろそろそちらの方も頭に入れていかなくてはいけない。

2008年8月28日(木)

午前10時に起床。今日はゆっくりと言いたい所だが、仕事。すぐ着替えて外出し、渋谷のエココロ編集部へ出勤。エリちゃんからの依頼で即日イラストワーク。15点もあった。明日までかかるかなと思っていたが、描いているうちにいつものアドレナリンが出まして、5時間かかったものの、無事作業完了。その中で、テイレちゃんという女性のキャラクターをふと創出し、なんだかそれが皆のお気に入りになっていき、イラストの中で、なんとなくストーリーのようなものが、出来上がる。この子、活躍するかもしれん。イラストの仕事もまた面白いなと思うのである。もちろん、自分の家で誰にも頼まれずに描くDig-italたちとは全く違う存在であるにもかかわらず、どことなく僕には魅力を感じさせる時がある。まあ、つまりなんでも仕事として面白いなということだ。さすがにエリちゃんの依頼でなかったら即日はさすがにやりませんが。。。で、終わってケイちゃんとも会って、今から表参道へ行く?と誘われたが、頭がぼーっとしてきたので、しかもアオにも久々に会いたいので、そのまま戸塚へ向かう。で、アオと十分戯れる。首が大分座ってきた。寝返りももう少しといったところだ。入院していた時に、医者からはこの二つ、そして歩行するまでやはり安心はできないとの忠告を受けているので、なんだか早くその姿を見たいと思いつつも、いつも徐々に尻上がりに調子を上げてくるアオさんなので、やはりここはゆっくり見守ろうではないか。まあそれにしても強運の持ち主の予感を感じさせる。夕食後、エリちゃんから来週、香港行かない?との電話。ANAの機内誌「翼の王国」での特集のための取材らしい。なんだか面白そうだ。9月のスケジュールもかなり厳しいが、ここはやっぱり行っとこーよと思い、快諾した。なんだかこうやって予想もしない所からよくぞ飛んでくるものである。このまま無計画の日常を送ろうと再度思う。カナダでの来年の展覧会も動いてきているし、また新しい風が吹き始めてきているのかもしらん。

2008年8月27日(水)

午前中原稿、午後世界堂で買物。午後6時に東京駅のマネックス本社へ。立体読書とDig-italを飾って準備完成。部屋ではケイタリングまでしてもらい、午後7時お披露目会スタート。たくさんの人が集まってくれた。金井さん司会で、松本社長のご挨拶。そして、僕も喋る。しかも、歌う。ソングオブナイロビ。ゼロックス、宇田川さん。青山出版社、村上女史、講談社、川治くん、ノブ、亮太、マコもはんなちゃんと、タンゴももちろん。ワタリさんも来てくれた。いつもお世話になっている人に初めて作品見せたと言ってもいい。タカイシイの山口さんも石井さんと来てくれる。思えば、山口さんがこのコンペが応募されているのを紹介してくれたのが事の始まり。そして、僕を本当に始めから応援してくれた紅さん、そこで会った、ルイも来てくれた。スタジオボイスの中矢さんも、リトルモアの浅原さんも、春秋社の篠田さんも南の島帰りで真っ黒になってきてくれた。みなさんありがとうございました。さらに、新しい人たちとも色々と話をした。NHKラジオの臼井さんと話す。ラジオは是非ともやってみたい。コヨーテの佐々木さんももちろん来てくれて、次いでにゲラを手に持って確認(笑)。こういうお披露目会なんてのはなんだか恥ずかしいのでやっぱりいっつも変な感じなのだが、今日は楽しかった。最後にまたまた僕が歌いまして、会は無事終わる。マネックスの方々、エイトの方々、おつかれさまでした。予想を遥かに超えて、トンでもなく面白い仕事ができたと思う。こうやってたくさんの人が関わる仕事もやはり面白い。終わった後は、南インド料理屋で、亮太、タンゴ、ノブ、カオリンの五人で打ち上げ。ここうまい。その後、西荻のまたもやインド料理屋で亮太とカオリンと三人で語り合う。午後2時まで。興奮していたのだろう、僕はなかなか帰りたがらなかった。家に帰ってきても、なんだかソワソワして家でついつい原稿書いていた。午前4時頃寝る。

2008年8月26日(火)

カナダ、ウィニペグにあるPLUG IN ICAギャラリーからメール。来年の2月から始まるDREAM HOUSEという展覧会に出品しないかとの依頼。6月にここで展示したばかりだが、またの依頼で気合い入る。今度はDig-italシリーズで行こうと思っている。2月だったら壁画も戻ってきているので、それを展示しても面白いかもしれない。来年の予定も少しずつ決まって来ている。2月、ウィニペグ、8月、尾道、9月、トロント。もう何でもやってやろ。朝からゴミ出し等。朝からソワソワしている。朝食をフー母に頂いて、早めに外出。新宿へ寄り、世界堂。明日のレセプションにて開催する第二会場用の作品を入れる額縁購入。急だが、やはり作品出すならちゃんとしようと思ったため。その後、家に帰ってきて、額装を施す。出品する作品を選ぶ。今回は0円ハウス関係のを全て外してみた。全く違う顔を見せたい。午後1時過ぎ、スタジオボイスの中矢さんがわざわざ西荻まで僕の作品を持ってきてくれる。感謝。その後、午後2時にハザマが車で迎えにきてくれる。作品を積んで東京駅へ向かう。ありがたい。パシフィックセンチュリープレイス20階へ持っていく。金井さんと設置をどうするか悩む。最終的に解決策が生まれ、それで行くことにした。その後、ハザマに送ってもらったお礼にフォーシーズンズ丸の内のレストランで喫茶。ここ、バーガー1万円というとんでもないところだが、元ホテルマンとしても気になるところ。珈琲が1500円って。あんた。まあ何でも経験である。その後、家に帰ってきて、明日の準備。東京で自分の作品を初めて発表するといっても過言ではないので、やっぱりちと緊張しとるかもしれん。夜は読書と、ギターを弾き続ける。壁画の仕事も大変であったが、明日でようやく終了である。原稿の仕事が今日はなんだか進まない。クマさんの名著「人生はデーヤモンド」を読みながら寝ることにした。これぐらい馬鹿なことをもっと自信に満ち溢れて突きすすまないとね。

2008年8月25日(月)

午前中原稿。その後、外出。外苑前のTWIGGYへ。髪切り。TWIGGYの方々もレセプションに駆けつけてくれるというので嬉しい。カット後、マネックスの金井さんより電話。なんと、参加者が100名に達しているようで驚く。ということは、壁画の部屋だけではとても間に合わない。ので、急遽、小さい作品展も違う部屋で出来たら面白いかもと考え出す。本も置こうということで、青山出版社、リトルモア、大和書房にも掛け合う。絵はDig-italと立体読書、それに今月号のスタジオボイスに描いた細野さんの夢日記の挿絵も出そうかな。とか色々と考える。午後6時過ぎ外出。六本木のミッドタウンにて高校時代の同級生である、稲葉氏と久々に会う。彼は心臓外科医でありながら、様々なジャンルの世界にも造詣が深く、ミックスしようと行動している。とても刺激のある会話を三時間。その後、戸塚に帰る。アオと二人で布団に寝る。やっぱり布団で一緒の方がいい。

2008年8月24日(日)

午前9時までゆっくり寝てた。アオと戯れる。もちろん仕事一時停止状態。午後4時まで戸塚でゆっくり。仕事するためにやっぱり西荻窪へ帰る。帰ってきて、そのまま原稿勢い余って25枚。最近では一番書いた。ウェブサイト上のプロフィールをふと書こうと思い、自筆年譜を作成。なんだかとんでもなく長くなった。暇な方ご覧ください。

2008年8月23日(土)

午前7時起床。起きてそのまま原稿。移動式住居について。午後2時までに原稿16枚。いい感じで10枚オーバー叩き出せている。まあ続くか分かんないけど。楽しく書けているような気がする。その後、今日のワタリウム美術館トークショー用のスライドをまとめる。といっても毎度のことですが、ノープラン。何話そうかというこの緊張がいいのである。この前中目黒ラジオでかかっていた、BECKのMIXED BUSINESS( CORNELIUS MIX)が素晴らしい。原曲よりいいと思う。BECKのミッドナイトウ゛ァルチャーズは僕の大好きなアルバムだ。ファンクアルバムなのだが、これは完全に電気的なアルバムだが、僕はアコギで作曲しているのではないかと思っていた。ファンクフォークなのではないかと。ある意味、ボブデュランのジョンウェズリーハーディングのアルバムとの共通点も感じる。その点を、コーネリアスは感じ取っているよう思えた。やっぱりこれとtenderのremixはいいな。そして午後3時に銀行。入金など。散財。午後4時頃外出。浅草駅で降り、隅田川へ。鈴木さんもうちょっと早く来ると思っていたらしく、待ちきれず寝てた。起こして、一緒に始めての外出。鈴木さんはもう8年間電車に乗ったことが無い。ドトールで一服したあと、外苑前へ。テレビ局の取材についてのちょっと酷い話を聞く。なんだかなあ。やはり、取材というものはやはり、態度、姿勢が大事なのである。それが一過性のネタではなく、きちんと自分が追い求めているものでないと駄目なはずだ。自分に対しても色々と考える所あり。やはり尊敬し合えていない関係性でないと。そんなわけで一緒に外苑前のワタリウム美術館へ。鈴木さん緊張気味。そりゃそうでしょうけど。和多利さんと、お姉さんにも挨拶。打ち合わせ。畑などを見せてもらう。美術館と鈴木さん。そしてそれが仕事として成立している。こういう瞬間を僕は追い求めていたのである。トークショーの参加者も60人ほどになっているようで、ほとんど宣伝していなかったにも関わらずこの数字は何かの意味があると思った。で、午後7時からトークスタート。鈴木さん、緊張しているとはいいつつも、かなり熱く語ってくれた。年齢層もかなり幅広く、そういった多様な人々が集まる会というのは、現在、なかなか無いものだと思うし、しかも参加者の方々が結構みんな考えて来ていて、とても刺激になった。質問も面白いものが飛ぶ。やっぱりトークショーというものはこうでないとね。知り合いもたくさん来てくれて、さらに、全く知らない人も本当にたくさん来てくれて、驚いたし、希望を感じた。2006年9月に鈴木さんと会って、もうすぐ二年。二年で大変なことになった。やはり直感に従って生きた方がいいなと実感。今日はアオも来てくれたので、ずっと寝てはいたのだが、意志を持って集まった人間の塊の雰囲気は感じてくれたのではないかと思う。終わった後は、和多利さんがカレーを作ってくれていて、オフィス内のテーブルで鈴木さんを囲んでの食事会。麦酒で乾杯。楽しい会であった。興奮したまま、今日は家に帰るはずが、結局、戸塚の家にフーとフー母とアオと一緒に戻ることにした。家に帰って、すぐ即寝。

2008年8月22日(金)

午前7時起床。起きて早々、外出。新宿駅。ミスタードーナッツ新宿区役所前にて待機し、宝くじ売り場のおばちゃんにアタック。成功。さらに、宝くじ売り場製作所の設計者とも偶然出会うことになり、可能性広がる。いい取材ノリが出てきたので、調子が上がり、大久保の第一教科書にて、高校時代の教科書を振り返る作業。でも、ほとんど当たり前ですけど変わっていた。ホックニーの回廊の絵が表紙になったりしていて、ある意味カルチャーショック。僕が影響を受けた高校時代のジョイナー写真はいずこへ。その後、大久保で探しに探していた、路上に住む、仙人のごとし画家にようやく出会う。動物のために絵を描き続ける才人。凡人の僕には言葉が一切通じなかったが、それでもどうにか食いつく。その結果、あるフレンドリーな空間が表出し、こちら畳み込み、向こう受け入れ態勢抜群なことに驚き、その隙間を、インコース高めに入り込む。結果、素晴らしいことに。手作りのキセルで新品のハイライトを一夜干しして、少々傷めさせて吸う仙人は、現代の寒山とも言えよう。そういった取材を繰り返す。興奮のまま、帰宅後、吉祥寺に行き、携帯電話を受け取り、再び家に帰ってきて、原稿。勢い余って久々の二十枚。いい感じになってきたかもしらん。その後、ワタリウム美術館のワタリさんと電話。意外に明日のトークショー、人がたくさん集まっているようで一応一安心。スライドをまとめる。明日はちょっと僕も想像できない。しかし面白くなること必至である。ふーも鈴木さんに会いたくてたまらない様子。鈴木さんもアオに会いたいといっていたので、いい出会いとなるだろう。と、いうことで、僕はちょっと忘れて仕事に没頭していたのだが、なんと明日はTOKYO0円ハウス0円生活の主人公である隅田川に住む鈴木さんと僕とのトークショーが開かれる。乞うご期待。午後7時から。月末は色々と起きるので、原稿ばっかりとはいかない。コヨーテから0泊3日の城崎温泉篇のゲラ届く、即返信。夜、また本棚と格闘。その後、亮太の家にて色々新作を獲得。さらにLOLOのジャケットを奪取。麦酒を五本持っていく。飲む。午前2時頃帰宅。ウォンカーウァイのサウンドトラックなどを試聴する。寝る前は、ミニマムテクノなどを聴く。明日頑張ろう。

2008年8月21日(木)

午前8時起床。メール等。朝から外出、フーとアオ連れて。国立に見つかった気になった物件を見に行く。それがすんごいよかったので、予想外ではあったが、即決してしまった。仕事場を作ろうと思っていたので、ちょうどよい空間。上京後、上福岡(埼玉)、下北沢、高円寺、西荻窪、そして今回五軒目、国立駅と、確実に西方へ向かっており、天竺にでも行く気なのであろうか。アオが一瞬孫悟空に見える。田園風景と小学校が眼下には広がっており、のどかである。しかし、僕の職業はなかなか的確に伝えること困難であるため、まあたまに本とか、絵とか書・描いてます。えへへ、とか、なんとか説明を試みる。すると、担当の人が興味を持ってくれたのか、ネットなどで見てくれていたらしく、仕事頑張って下さいと励まされ、そこはお任せ下さいとの、心強いリアクション。で、そのままなんなく、大家さんのオッケーでまして、引っ越すことに。9月下旬予定。仕事はたて込んでいるというのに、何をさらに混沌をとは思うが、新メンバーも加入したことだし、ここは変化しようと思うことにした。親父の大好きな山口瞳氏が暮らしていた町なのだそうだ。しかし、僕は南じゃなくて北なのである。調べたら、北口は、国立のチベットという異名を持つような、ほのぼの地帯であるらしい。よくわからんが、なんでもいい。知らない所へ飛んでいきたかったのだ。とか言っていたら、西荻に住んでいる佐々木夫妻が家に遊びに来る。佐々木さんも国立に住んでいたらしく、山口瞳さんの家によく言ってたわよ~と驚きの発言。佐々木さんやっぱり色々と不思議なこと多し。今日はNHK FMで午後11時から中目黒ラジオをやっていてゆっくり珈琲を沸かして聞く。ベックのREMIXとローリーアンダーソン(たぶん)最高であった。夜はその後も、自分の本棚を引っぱり出してきては、ああでもない、こうでもない、と今度の雑誌用のアイデアを練る。どうやって、サーフィンしていったのか理解不能なんであるが、いつのまにか江頭2;50の東京FMのピーピーピーという番組をYOUTUBEで見ることになって、そこでエガチャンが点描の絵を描いていることを知った。それが凄い絵で、0.05ミリの極細ペンで下書き無しでヤーと叫びながら描くのだそうだ。それって、僕がいつも言っていることでもあり、妙な共通点を感じる。何でも30点ぐらい絵があるらしく。誰か画集でも出してくれないか、と思った。

2008年8月20日(水)

午前中はアオと戯れる。久々である。その後、ガストにて原稿6枚。森岡書店の森岡さんより連絡。12月20日に写真評論家の大竹昭子さんと「カタリココ」というトークショーをするのだが、それに合わせて写真展をしませんかとの依頼。0円ハウスという写真集を出しているにもかかわらず、30分プリントのL判しか持っていないので、それだったらドローイングなら結構あるんですけど、と返したら、それで行きましょうと決まった。立体読書、そして、Dig-ital。今回の細野さんの夢日記もそうだし。これだったら色々と展示できそうだ。さらに、それに合わせてDig-italの新作もまた3、4点作ってみよう。こういうきっかけがあるといつも作品が生まれるわけで。また新作をやるタイミングが来たね。11月のモントリオール帰ってきてからか。しかし、思い出したらモントリオールの展覧会は、路上で0円ハウスを作って小さなホテルを経営するというとんでもないものなので、無事に帰って来れるか不安ではあるが。まあいつものことである。何とかなるのでしょう。マネックスからレセプションについてのメール。なんだか様々な方々が来てくれることになりそうで、ちょっと緊張もしている。でも楽しみ。BRUTUS TRIP編集部から取材依頼。面白そうな企画である。即返答。夕方からは読書。そして戯れ。結局家には帰らずに戸塚に居座ることにした。

2008年8月19日(火)

午前8時起床。起きたまま机に向かい原稿。午前11時まで書いて外出。今日はアオの定期検診フー&アオと新宿駅にて待ち合わせ。大江戸線で若松河田、国立国際医療センターへ。小児科。異常なし。その後、入院病棟に行き、懐かしの看護士さんたちと面会。入院していたタックンは外泊中で会えず。で、まっすぐ戸塚へバック。アオはこの間、一切の泣き無し。偉い。青椒肉絲を食し、その後、原稿の続き。今日も15枚完成。まだ行き着く先はよく分からんが、なんとか指は進んでいる。

2008年8月18日(月)

午前7時起床。そのまま起き抜けに原稿。お昼までに17枚。少しずつ原稿は乗ってきている。フラフラしていた自転車がちょっと安定してきた気分。焦らずやろう。昨日の取材は本当に素晴らしかった。久々の体験であった。モスバーガーに寄ってその後、東京駅まで向かい今日も取材。マネックスに描きにいっている時に出会った靴磨き職人のところへ八重洲南口にて。村田さんという方なのだが、前会ったときに兄ちゃん靴磨きやりなよとも言われたので、すんなりと取材を受け入れてくれた。その間にも5人のお客さんを相手していた。ここの靴磨きのシステム、許可などは本当に摩訶不思議であった。公共とは本来、直感的なのである。そのことがとても自分の仕事にヒントになるような気がしている。村田さんの仕事の終わりまでずっと付き合わさせてもらう。午後六時家に帰ってくる。夜は、久々に食べたくなったので、カンランまで歩いていって広島焼きを食べる。ここの下の生地が固くて以前は合わなかったのだが、ここは箸で食べずに、ちゃんと広島式にヘラを使えば、逆に固い方が食べやすく美味しいということが初めて分かり、それでやってみたら美味であった。その後、ののかと熊本東京間でスカイプして、二人でポニョを歌いまくる。二歳児の頭にも残る名曲である。結構難しいコード進行なんだよなあ。夜も余力残っていたので原稿書けるかと思っていたら、歌い疲れしてしまった。

2008年8月17日(日)

午前8時起床。準備して外出。午前10時に国分寺の不動産屋へ。気になっていた物件を三軒ほど見させてもらう。引っ越し計画は前々からあって色々探すのだが、結局は現在の家がやっぱり気合入っているので、それを超す興奮が無いので最終的には決まらない。今日もそんな感じではあったが、一軒気になるのを発見。どうしようかな。その後、午後2時に東急世田谷戦に乗って上町まで。約束していたピアノ調弦師のお宅にてインタビュー。この人、本当に凄すぎるんです。妹の子供のために、部品から何から何まで手作りでランボルギーニカウンタック500Sを1/3スケールで作っちゃう人です。その他もミニチュア作品がどんどん出てきてこちら感動。また出会いました。天才と。この人の話だけで一冊の本になりそうです。また。しばし、興奮。すると、オジさんがちらっと可愛い顔をして「奥に凄いのあるんだけど、見る?」とのこと。裏庭に入って見せてもらってまた仰天。これは面白くなってきた。記念に、ランボルギーニの写真をもらってきた。やっぱり日常には四次元的な思考を持った人々が埋もれています。僕はもっと歩かなくてはいけないと思った。どうにか探し出さなくては。この作業は、まるでフランスのアンドレブルトンたちがシュバルや、ルソーを見つけ出したり、デュシャンがルーセルのアフリカの印象に作品のインスピレーション与えられたり、ロシアアヴァンギャルドがピロスマニと出会ったり、したことともシンクロしてくるのである。いまだに「光り輝く憧れ」が世の中には転がっている。高揚したまま家に帰ってくる。

2008年8月16日(土)

午前8時起床。午前中ゆっくり過ごす。昼前に外出し、午後12時過ぎ東京駅へ。丸善に寄って、その後、タクシーでペニンシュラへとお願いすると、運転手はヘイ!と即答し車を発進させた。なんだかやたらノリノリで急発進急ブレーキな姿に多少不安を覚える。そんなに距離は無いのに、待ち合わせの時間に遅れていたので乗ったつもりがいつまで経っても到着しない。すると、いきなり「お客さん、着きました」というので見てみると、何とそこは運輸省だった。ペニンシュラをウンユショウを間違えたらしい。爆笑。なんかおもろいオヤジだった。ペニンシュラなんて高すぎて誰も行かないから分かりませんでした、との事。僕も行ったことないです。で、引き返して、しかもタダでいいですって、言われた。というわけで大分遅れてペニンシュラホテルにてジャックの息子であるアレックスと奥さんのエムジェイと初対面。何を食べたいかと聞くと、トラディッショナルというので、銀座の古い蕎麦屋「よし田」へ連れて行く。ここは安いし、雰囲気もいいし、おばさんたちも活発でいい。アレックスたちも車海老天ぷら蕎麦を食べ、ご満悦の様子。北京の開会式凄かったらしい。でも相変わらず大気は最悪であったらしく、奥さんは気管支炎になったらしい。二時間ほどとにかく色んなこと話しまくって、秋葉原に行くというので別れる。Dig-Italのことを凄く気に入ってくれていて、そういう人が違う国にいるということはやはり驚くべきことだし、とても勇気の湧くことだなと改めて思う。その後、家に帰ってきて、すぐ原稿に取り掛かる。今日は色川武大「狂人日記」について。8枚ほど書く。夜は亮太と久々にハンサム食堂へ行き、シンハを飲む。亮太はGIANT ROBOTという昨日連絡が来たロサンゼルスの雑誌が前から気になっていたらしく、実物を持ってきてくれて、さらにそこからコンタクトがあったことを喜んでくれていた。こういうことはとても面白いし、自分にとって創作のヒントになる。よく考えると、僕は人の言うことばっかり聞いているようにも思える。というかそれをヒントに自分の好きなように解釈しているとも言えるのだが。やはり物事を知識で理解するのではなく、直感で理解するべしなんである。夏のハンサムはホント、タイに来ちゃっているみたいになる。シンハ三本飲む。で、次いでに家に帰ってきて、ストーンズのアンジーREMIX未来バージョンやら、ビーチボーイズペットサウンド合唱団バージョンなどという変態サウンドを聴きながら竹鶴12年をロックで飲む。窓全開にして商店街を覗きながらこちらもタイ風で。とか言いながら僕はタイに行ったことが無い。でも感じるタイ風っていうのが不思議である。そこは一体どこなのか。午前3時頃までついつい飲む。

2008年8月15日(金)

午前7時起床。午前原稿。その後、外出。有楽町に取材に出掛ける。が、取材先が盆休み。あれれ。その後、銀座を調査。午後1時前に東京駅にてフーとアオと待ち合わせ。一週間ぶりぐらいに会う。抱擁。そして、パシフィックセンチュリープレイスにて写真家のホカリ&サメ夫婦とも待ち合わせ。今日はマネックス本社にて写真撮影。子連れで出向く。松本大社長と挨拶。久々にDig-ital cityと対面。写真撮影。マネックスの金井さんはアオを抱っこ。その後、部屋を貸してもらい授乳。無事撮影は終わり、一階の気持ちいいPAULにて食事しながら、ホカリたちの結婚指輪のデザイン会議。デザイナー、フーが本当に久々に出陣。無事話はまとまる。その後、新丸ビルで買物を済ませ、久々に戸塚の実家へ帰る。なんだか無性にトゥルーマンショーを見たくなり、借りてきてみる。これ、立体読書的だなあと思う。アレックスから電話。彼は美術コレクターであるジャックの息子さん。なんと北京オリンピックの開会式に行ったらしく、その帰りに日本に寄ったので明日食事をしようということに。夜、Dig-italシリーズについての構想。やはり#4をもっと伸ばしていきたい。先日、中部大学でお世話になった社会学者の加藤秀俊先生からメールがあり驚く。都市狩猟生活という僕が最近使っている言葉についてのご指摘。採集の方が適切なのではないかとの事。考えてみればそうである。先日も、頑張れーと励ましてもらい本当にありがたい。

2008年8月14日(木)

午前8時起床。朝から調べもの。ブリヂストンの昔の自転車について。あの、スーパーカーみたいなデコデコの自転車を今もう一度見てみたい。そして図面描いてみたいと思っている。今、あるのかと思って、ブリヂストンに電話するが、世の中は盆休み中なのであった。宮田自転車も丸石自転車も。ヤングウェイモンテカルロという車種なんだよね、見たいのは。小学生の頃の憧れの自転車。ある意味、今の自分とも繋がっているように思う。午前11時から原稿。庭について。原稿10枚。その後、DJ KOZEで少し踊る。午後は都市狩猟生活についての原稿6枚。とにかくジリジリと書き進めていこう。来週からは取材も本格化していきたい。ロサンゼルスの雑誌、GIANT ROBOT MAGAZINEからインタビュー依頼。とても面白そうな雑誌なので即承諾する。夜は読書。

2008年8月13日(水)

昨日の夜、NHKで永井荷風の特集をやっていて、断腸亭日乗についてであった。バックにはコーネリアスのSENSUOUSの鐘の音とアコースティックギターの音が鳴り響いており、こちらそれをしっかり受信する。永井荷風の日記というのは知っていたが、それが40年以上もの長い間一日も途切れること無く続いていたものだとは知らなかった。僕の日記はまだ丸4年。まだまだである。とにかく続けようと思った。自分の仕事もそうだけど。午前8時起床。そのままベッドの上で読書。デュシャン全著作と村上春樹の短編を引っぱり出してきて。午前中は作品についての事務処理メール。原稿。午前11時に外出。渋谷へ、そこから三軒茶屋へ。世田谷線に揺られて、世田谷駅で下車。以前ボロ市で会った、ミニチュア職人のオジさんにインタビューの申し入れをしにいく。オジさん、快く受けてくれた。17日の日曜日に決行することに。この人は本当に凄いのである。ピアノ調弦界の鈴木さんのような人。不思議な話が聞けそうである。その後、世田谷周辺を散策。ここら辺はなんだか妙な時間が流れている。ストレスがかかっていない町。で、自転車屋さんとかはヨーロッパにありそうな感じだし。ボロ市の日じゃない方がいいかもしれない。その後、駐車場で店を出しているタイ焼き屋の親父と話し込む。店の出し方などを教わる。なるほどである。三茶に戻り、闇市の雑踏の中にあるラヂオ焼き屋に行く。ラヂオ焼きというのはたこ焼きよりもっと前に存在していた元祖であるらしい。中身は蛸ではなく、牛スジとこんにゃく。友人であるハマが始めた店でやっと行けた。ラヂオ焼きとたこ焼き二連発食べる。隣には高校生がいて、ハマにあげた隅田川のエジソンを僕たちが喋っている間に、全部読んじゃってた。で、ワインを飲む。午後5時頃店を出て、家に帰ってくる。取材の予定を立てる。今回は商売をやっている人たちも多いので、なかなか集中して取材することが難しい。作戦を立てなければ。夜は、またDJ KOZEを聞いている。beta Loungeというネットラジオ局があって、そこで三時間のMIX動画が見れる。盛り上がりが曲を聴きながら分かりすごくいい。また一曲いいのがあった。こういうMIXのようなもの、ラジオ的なものを一人でやってみても面白いかなあと思う。

2008年8月12日(火)

午前7時起床。ぼうっとする。なんというか合宿中のような毎日である。なんのための合宿か。午前中は、書こうとしながらもなかなか手が付かず、必要な資料集めに時間を使う。そうやっていたら、図書館に行く必要が出てきたので、午前10時頃外出し、荻窪駅下車し、大好きな中央図書館へ。資料請求して無かったものがない。凄いと思う。狩猟採集民族が一日に労働時間が3時間だけだったという文章を思い出し、それの出典であった、レヴィ=ストロースの講演集「構造・神話・労働」を借りてくる。コレを読みながら現代の隅田川周辺を考えることは非常に面白いことだと思う。次いでに、「マルセルデュシャン全著作」と「人はなぜ歌うのか」の二冊も借りてくる。帰りにそれいゆへ寄って、珈琲を摂取しながら読書後、チーズカレーを食す。帰ってきて、コヨーテの現代の生業の原稿五千字。どうにかまとまってくる。午前3時頃完成、送信。その後、コンパクトなるものについての原稿九枚書く。少しずつ進めていこう。合宿の効果もあって原稿のノリが出てきた。午後5時からエココロ連載の四次元ガーデンを早めであるが取り掛かり、原稿二枚完成。送信。全ての活動を無視して作業に打ち込めたら、それは仕事を飛び越して遊びになる。そうなるのは難しいが。今の瞬間にしか出来ないことを、今の瞬間のためだけにやる。後々のことは無視してやる。狩猟採集の話を読んでたからか。その後、らっきょを食べ、マルセルデュシャン全著作を読む。これは、昔どこかで気になっていた、デュシャンの言葉があって、それが何だったのかを調べるために。捜査っぽく。で、最後の最後のページにあることを発見。しかし、それ以外にも色々と気になるフレーズが発見できたのでよかった。「寂しい海岸には快楽がある。道のない森には歓喜があり、だれも干渉しない社会がある。」一瞬にして頭に空間的な余白が生まれる。僕は芸術家の作品が好きなのではなく、そういう人がいたということを考えた時ににゅるにゅる出てくる創造的な感覚が好きなのである。

2008年8月11日(月)

午前8時起床。朝から読書。色川武大「狂人日記」。銀行。昼から原稿六枚。三時間。その後、エココロ四次元ガーデン二枚分選択、構想。夕方から、立体読書シリーズを進ませようと狂人日記の中のカードゲームシーンの下描き。このカードゲームの話は、僕が小学生の頃にやっていたドラクエ風ペーパーファミコンとも類似点多し。そして、これはジャックケルアックの孤独の天使という単行本に載っていた野球ゲームの話とも繋がってくる。一体この欲望はナンなのだろう。僕の建築に対する思考とも重なってくる。ある一定の時間だけ集中して時間が過ぎたらパッと終わらせて次のアイデアに取り掛かるようにやってみている。こうやって仕事のやり方はいつも定まっていないのである。整体のような感じか。その都度、調整、チューニングしていくことがおもろいのか。夜、レンタルシップに久々に行き、映画を一本見ようとする。とにかく60年代以前ぐらいの古い映画にしようと決めていた。で、古いコーナーで適当に選んで裏側の内容紹介を見ていて気になったサミュエル・フラー監督の「ショック集団」という怪しい名前の映画を借りてくる。精神病院内で起きた事件を探りに新聞記者が精神異常者になりすまして入院し、探っていったら自分が狂ってしまったというすんごい内容。病棟内の廊下建築がいい。ある意味デュシャンの言うところの音楽が鳴り響いている。途中、コヨーテの佐々木さんから「あれ、原稿、今日〆切なんだけど」という電話。イラストだけでいいものと僕が勘違いしちゃってた。明日まで6000字を5000字に圧縮。ちゃんとやりまーす。といって仕事に取り掛かろうとしたが、今日は映画を楽しむことに。映像が頭に焼き付く。

2008年8月10日(日)

午前7時起床。朝から調査。賃貸住宅について。一つ取材対象発見後、電話する。近所を散歩し、文庫本、漫画全集などを購入し、イメージを高める。昼はミルチにてインドカレーとナン。午後外出。目黒駅近くの不動産にて取材一件。とんでもないものが見つかる。その後、渋谷へ行き、ABCにてもう一件気になっていたオバちゃんに会いにいこうとするが、今日はいなかった。ので渋谷を散策し、家に帰ってくる。どこで出会うか分からないので、いい緊張感。家に帰ってきて、長大なドキュメンタリーを観る。刺激。今後の計画表を立てる。今やり始めていることも、手前のテーマと、もっと奥にあるものとのギャップが面白いはずである。現代の生業にも通じるのだが。ずっと机に座ったまま考える。

2008年8月9日(土)

午前8時起床。朝食後、午前10時に外出。西荻へ帰ってくる。とりあえず二週間ほど集中してこっちで作業することにした。家に帰ってきて、昼飯を食べた後、外出し、新宿へ取材。三時間。考えながら町歩きながら。二件ほど。BECKの新作が出ていたのでついつい買ってしまう。取材後、家に帰ってきて、書籍構成案。BECKのアルバムを聞いていると、TAKIMI KENJI氏がインタビューで言っていた「昔は人が知らない良い曲を紹介することをDJでやっていたが、今は行間や塊を伝えるようになってきている」という言葉を思い出した。なんとなく、自分の今の動きもそういうことのような気がしたのでよく覚えていたのだが、BECKも最近では、一曲という括りでは捉えられないような音楽になってきているように思う。思考の塊が音となっている感覚。表現自体が、さらに個人的な体験になってきているということなんではないか。とか考えていたら、そうやって見ると宮崎駿氏なんかはまさにそうかな、と思い、調べたら吉祥寺で夜8時からだと安かったのでついポニョまで見に行く。並んでいた。ま、とんでもない映画ではあったのだが、やはりその塊感というのは感じられた。自由のもうちょっと手前で蠢いているような。多焦点さに溢れている。ベックとTAKIMI KENJIとジブリでそんなこと考える。死んだ後に評価されるようなものとしての表現ではなく、もうその瞬間に消えてしまうかもしれないが、目の前で体験した人間だけが一瞬感じるものも力を持つ出したのかもしれん。菌類がキノコを生やす瞬間のドキュメンタリー映像のようか。

2008年8月8日(金)

アオの日。家で一緒にゆっくり。そろそろ作業に徹し始めようということで、明日から戸塚を離れて西荻窪へ一人で戻ることにした。ギターを弾く。絵本を見ながら、DIg-italの映像を32ページ描いてみるのは面白いかもしれないと思う。イメージのスケッチを行う。今発売されているスタジオボイスは細野晴臣さんの特集なんであるが、その中で僕の絵も一ページ出てきている。夢日記を絵にしたものである。立体読書とDig-italの合体バージョンみたいな絵にしてみました。印刷されたものを初めて見る。いい感じである。立体読書も、もう三年ぐらいやっているにも関わらず、まだ六回しか出来ていないが、そこをなんとか集中してぎゅっと進めたいものだなあ、とか進行中なものをとにかく考えている。右から左へと、次から次へと仕事を終わらせていきたい。そうやっていると、夢想も出てくるから大変なのだが。メイ&ユメともしっかり遊ぶ。ギターを弾いていたら、ユメが作詞作曲し出したので、手伝う。とんでもないことを創造している。家出の物語。

2008年8月7日(木)

午前7時起床。朝から一遊びして、午前11時半ごろ外出。東京駅へ。その周辺で働いている靴磨きのおっちゃんの取材を兼ねて歩く。その後、午後1時にハザマとりっちゃんと、講談社の川治くんと待ち合わせ。20階にエレベーターで向かい、マネックス。ちょうど、招待状の印刷が上がってきたので見せてもらう。仕上げは上々である。これだけでも面白いことになりそうな予感がする。その後、一階のPAULにて昼食と雑談を四人で。そして、駅近くの喫茶店にて川治くんと新書の打ち合わせ。何度も待たせているので、ここらへんで一つ決めていきたいところ。また最近出てきているアイデアについて話し合う。方向性が変化しているが、面白そうなベクトルを持ち出したかもしれない。今度はきちんと成功させたい。秋頃メドで予定を立てる。その後、渋谷へ向かい、コヨーテの佐々木さんと東急前で待ち合わせ、カフェにて打ち合わせ。現代の生業用挿入するドローイングを渡しながら、さらに現代の生業の方向性を煮詰めていく。やはりこれも奇抜なものの紹介では終わらせてはいけない。僕が今感じている、人間の持つ多焦点さをどこまで伝えられるか。がんばろっと。そして、渋谷のエココロ編集部へ。仕上がったドローイングを手渡しに。そして、次の挿絵の注文。アメーバのような様相。何が自分の中の新しさと引っ掛かってくるか分かったもんではない。どんな小さなことにも同じ倍率で臨むという、ある意味分かりきったことをちゃんとしなくてはいかん。シブヤパブリッシングブックセラーズの岡村さんと電話。次のトークショーの話。8月は話し過ぎなのでズラしてもらった。その後、表参道のマリメッコへ行き、物色後、買物。今日、佐々木さんと話していた、印刷物の些細な挿絵の持つ何かについて、帰りの電車でふわふわと考えながら、戸塚へ帰ってくる。

2008年8月6日(水)

朝起きて、そのまま自動的に動く、外出。歩いてガストへ。午前7時の開店と同時に入店し、ピザトーストセット。ピザトーストとサラダとスープ飲み放題と、ドリンクバーで390円って。なんでこんなに安いの?瞬時に目の前のピザトーストを口にいれるのが不安になる。しかし、食う。美味。もう本当に自分の舌は何でも旨いと思ってしまう。さっそく、昨日の下書きを元に、ケント紙に本番を描き込んでいく。いいぜ、ガスト日限山店。日の光が気持ちよく差し込む。店内には僕と作業着を着たおっちゃんと二人。静寂な書斎。ずんずんいくよ。盛り上がってきた。午後12時過ぎインクは盛り上がり、紙の上に塗られていくが、昼時になるとファミリーたちが騒ぎ出し、当然僕たちが追い出される。で、出てきた。家に帰って、姪っ子のユメとメイだけではなく、巣鴨からは美帆とノノカまで登場してくる始末であるが、ここで負けてはいられないのでそのまま作業続行。すると、三人の子供たちが横でお絵描きシンクロを始めた。なんか面白くなってきて、僕がそちらに入り込んでしまった。で、午後6時頃立体読書ドローイング第6作目が完成。今回もいい感じ。その後、鳥海家のおっちゃん、おばちゃん、マキちゃんまで入り乱れての、大パーティーへ。こうやって立体読書は、4日間ぐらい何も出来ない日々が続くが、ペンが乗ったら丸一日だけで出来てしまう。5日間を自分の中で計算しながら出来るようにはなってきたつもりだが、いつも4日間は勘違いする。大家族状態で寝る。

2008年8月5日(火)

午前中起きて、スペクテイター立体読書のアイデア構想。ようやく動き出した。下書き進む。その後、それいゆにて新しいアイデアを考える。これは何に使えるかわからん。午後2時すぎに外出。午後3時、新宿ベルグにて太田出版の北尾さんと待ち合わせ打ち合わせ。新刊の構成案をもとに色々とアナーキーな感覚が飛び出てくる。国家論という本を頂き、参考にして読む(笑)。いいね、この感じ。その後、電車が止まっていたので、丸ノ内線で東京駅へ、午後5時過ぎにマネックスにて待ち合わせ。幻冬舎の竹村さんと一緒に。ドローイング作品がぜひ見たいというので。その後、銀座のインド料理屋へ行き、竹村さんと今後の本の構想などを兼ねての食事会。美味。そして色々と発端は見えてきた。後はどうやって時間を作って、集中していくかである。どんどん仕事は動いていく。時間の使い方、力の入れ方を本当に真剣に考えなくてはいけない。午後8時過ぎまで。その後、戸塚駅に帰ってくる。

2008年8月4日(月)

午前7時起床。朝食後、午後10時外出。午後11時過ぎに銀座到着。新刊用の取材。しかし、猛暑の昼間で、予想通り撃沈。これじゃいかんとまた出直すことにする。朝、もしくは夕方にしないと話を聞いてもらえないかもね、これじゃ。午後1時過ぎに西荻に帰ってくる。それいゆへ行き、朝食と麦酒飲みながら、スペクテイター用の立体読書新作を練る。頭の中には絵が出来上がっているのに、それがなかなか表に出せない。しかし、これは毎回毎回の儀式であるので仕方が無いと思いつつも、いつももう描けないのではないかと思うから不思議である。この新作が出る直前は、そう考えると出産に似ているのかもしらん。男の出産疑似体験であるのかも。では分娩室へということで家に帰ってきて、ケント紙に墨を入れようとするが手が進まん。まだ陣痛が弱いのである。なので、放っぽりだして寝た。で、また起き出してちょこちょこ。今日は駄目かも。途中で諦めた。いや、コレ考えたらよくマネックスの壁画は一度も止まらずに五メートルも描いたなと自分の仕事ではないような感覚。こうなったらと、デビッドバーンラジオのアフリカ特集を聞きながら踊る。頭の日照りに恵みの雨を。渋谷パブリッシングブックセラーズの方から再びトークショーの依頼。こうやって一つ仕事をしたことが広がって次の仕事に繋がることはとてもいいことだと思う。快く返信。喋ることは、執筆、ドローイングよりも好きかもしれない、ので困ったもんである。

2008年8月3日(日)

午前8時起床。朝食後、ゆっくりして午前10時頃戸塚駅へ向かい、文房具屋で買物後、ジョナサンにて仕事。コヨーテ新連載用に使うイラストレーションを大小9点ほど。午後2時半頃に終わる。現在、生活している所が定まっていないので、どうやって仕事をやっていくかを工夫する必要がある。ま、そういう時の方が捗るということもあるのだけど。家に帰ると、フーの友人、トモコとマイコが遊びにきていた。その後、夜までユメメイと遊び倒す。夜、日曜美術館にて石山修武先生の特集を見る。僕がいた頃よりもさらに空想や夢の比重が大きくなっているように感じる。

2008年8月2日(土)

午前8時起床。作業。その後、ふーのアトピーの調子が良くないので、碧連れて三人で遠くの国領へ向かう。なので作業は停止。病院の待合室に碧といると、たくさんのおばちゃんたちが集まってくる。赤ん坊のエネルギーを味わう。あんまり外に出ないから分からなかったが、やっぱり生後すぐの赤ん坊は何か放っているんだろう。色んな人と話す。赤いきつねを腹が減ったので病院で食べる。帰りにルミネで物色後、戸塚に帰ってくる。メイとユメが夏休みで泊まりにきて、またまた大変な暴れよう。仕事はもちろんできない。しかし、今回はなんと小学生と幼稚園児にマッサージをされるという展開で逆に疲れ癒される。音楽エンジニアの塚田さんからメールがあり、僕の従兄弟であるソウを現場に連れて行ってくれるという内容。18歳の若者にチャンス到来である。頑張って欲しい。こうやって機会をどんなときも作りたい。現場を見れば、必要な技術は一瞬で覚えるもんだ。重要なのは、自分の力がどこで使えるのかということだ。その高速道路が出来上がれば、後は体験していけばいいだけ、、、、と言いたい所だが、またそこからも変則的な動きをするのが、面白いこと。まあ何でも体感してみるのが一番。

2008年8月1日(金)

午前8時起床。雑務を行い、原稿を始めようとするが頭が痛いのでEVE飲んでゆっくりする。気晴らしに散歩した。郵便局へ行き、海外に住む、大事な理解者へ向けて、アフリカのポスターと写真のプリントをギフトとして送付する。無事に届け。帰りに、文房具屋でスペクテイター連載用の立体読書を描くためにケント紙を購入、切って使う。下書きなどをしながら、腹が減ったのでそれいゆへ行き、そぼろご飯を食べる。家に帰ってきて、またドローイング。原稿も少し。さらにギターも少し。ついついうとうとしてしまい午後4時過ぎに起きて、それはつまり寝坊。すぐ外出し、午後5時半にタクシーでSWITCHの事務所地下にあるカフェでコヨーテ編集の佐々木さんと待ち合わせ打ち合わせ。現代の生業について。面白そうなページにはなりそうだが、まだ仕事は残っている。ここからうまく詰めないといけない。麦酒を頂く。横では、冒険家の石川直樹さんがいて、初対面。少し話す。石川さんも同年代。なんかみんな元気にやっている。途中で青山出版社村上女史から電話。小説周辺で新たな展開があったようでおもしろい方向にいけばいいなと思った。歩いてリトルモアの事務所へ行き、自著である0円ハウスを僕現在持っていなかったので、買う。そして、リトルモアの編集の方々と車に乗って、すんごくバブリーな表参道ヒルズの向かいのジャイロという建物へ向かう。石塚元太良くんの個展オープニング。昨日会ったばかりなのに、なぜか級友のような感じになっているのは、誰も知らないはずのナイロビのクラブの名前を知っていたからだ。それはもう、つまり、有り得ないのである。オープニングでは、あらゆる知り合いにあったので嬉しかった。楽しくなっちゃって、なかなか家に帰ろうとできなかった。それにしても、最近の僕の周辺の人々の元気の溢れんばかりさは、これは何かとんでもないことが起きるに違いないと思わせてくれる。僕も次いでに突き進みたい。みんなそれぞれ自分の看板しょって、楽しみながら戦っている。それは本当に勇気が湧くことだ。なんか巧く言えませんが、希望に溢れております。ついつい長居をしてしまう。タンゴと一緒に帰ってくる。家に帰ってきてが、碧はもう寝ていた。メールをチェックすると、マネックスから8月27日のお披露目会のインビテーション案が4パターン送られて来ていた。まじかっこいいです。今、客観的に自分の絵を見ても、二週間で描いたことが信じられません。何だったんだ、7月の日々は。考えて、選んで、返答する。さらにさらに、件名に熊本ってかいてあるから、んんっ、と思い、見ると、熊本現代美術館学芸員の方からのメール。なんだかとても熱い内容。さらに、自分の中の色々が有り得ない所で繋がってきている。何かやりましょうとの励まし。即、返信する。故郷で何かがやれたら、それはとても素晴らしいことである。高校生のころの、全てをゼロにして、変化させたかった、けど、何にも知らないもんだから、悶々としていた頃を思い出した。でも、今はもっと悶々としているぜ。そう、そこが人生面白い所である。8月入りましたが、まだまだ皆さん元気溢れています。バテてなんていられない。しかし、じっくり黙って原稿と向かい合うことも忘れずに。静と動、いや、静静動とか動動静とか静動静とかなんやそれ。

0円ハウス -Kyohei Sakaguchi-