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Journal -坂口恭平の日々の記録-

2008年12月31日(水)

今年は1月から本当に色々と動きまくった。本二冊出版。滋賀、阿佐ヶ谷、広島、ウィニペグ、モントリオール、東京での展覧会。トークショー。そしてアオが生まれてきた。2007年の時に、これまでの行動の総決算だなと思ったのだが、今年は完全にそこから抜け出した新しい動きの始まりになったのではないか。完全に一人の状態でも、ちゃんと仕事として成立させることができるかもしれない、と感じられたのは本当に良かった。そして、それは回りに一緒に何か有り得ないことをやってやろうと志を持っている人がいてくれたから可能になったことだ。今年、一緒に仕事ができた人には本当に感謝している。たとえどんなに小さな力であったとしても、ちゃんと良い音を鳴らすスピーカーで聴かせたら伝わる。そういう意味では、今年は自分の考えを突き通さないという方法を取ったのが良かったんだと思う。むしろ人が感じてくれていることに、自分の可能性を見つける。そこには際限が無い。音を作ることには、能動的なエネルギーを全開にさせて、逆にそれをスピーカーで鳴らすときにはゼロのエネルギーで。来年もとにかくあらゆる仕事を進めていきたい。

2008年12月30日(火)

午前4時起床。読書。おじいちゃんか、僕は。今日は姪っ子のメイとユメとアオと遊びまくる。その後は、年賀状を書きまくる。今年は全部手書きにした。手が疲れた。夜描き終わる。夕食は、北海道から毎年送られてくる、タラバガニで蟹鍋。これは旨かった。蟹雑炊まで食べる。ビールと芋焼酎を飲んで、アオをお風呂に入れて、年賀状の住所をまた夜書いて完成。呆然と過ごす。

2008年12月29日(月)

午前12時過ぎに家に到着。その後、シンガポールの建築雑誌のデータを作成し、送信し、また寝る。午後3時過ぎに起きて、しばし作業をして外出。戸塚のフー実家へ。デュシャンは語るを久々に読んでいる。やっぱ凄い、これ。で、戸塚で正月の雰囲気に浸る。トンカツを食べて、ただ呆然とまた寝る。

2008年12月28日(日)

午前中原稿。デジタル作業。午後外出し、中野駅へ午後1時から中野サンプラザ地下のスタジオにてドラマーの菅ちゃんと録音。牛深ハイヤ。3時間みっちりとやる。良いものができたと思う。その後、一度家に帰ってきて、夜8時頃再び外出。午後10時に代官山の弓人というサロンへ。いつも髪を切ってもらっているTWIGGYの忘年会。僕がなぜか司会。仮面舞踏会のようなパーティーで皆仮装してきている。僕は素面。それでも結局踊りまくって歌う。どこが司会なのか。楽しい会であった。その後、DJやユカちゃんやオクとUNICEで飲んだり、その後、BAR NOBORUへ言ったり、カレー食べたりして、午前7時に帰宅しようとしたが、テキーラの飲み過ぎで案の定山手線2、3周し、その後、高尾まで一気に行ってしまい、午前11時過ぎにようやく国立の駅へ到着した。

2008年12月27日(土)

午前7時起床。そのまま机に向かう。午前中から夕方まで原稿。太田出版用。毎回変更しながらやっているが、どうにか第四章が見えてきたか。昨日今日で50枚が完成。累計185枚。このままでいくと結構な量になりそうか。300枚ペース。しかも、今回はマニュアル本風なので、会話文ほとんど無いから、自分にとっては挑戦でもある。まだまだ細かくツッこまくてはいけないところも多いが、何となく書いていて楽しいところが多い。まとまったので送信。どうかな。その後、明日の午後に入るスタジオのための曲練習。熊本は牛深の酒宴での踊り歌「牛深ハイヤ」。日本の祭りをドラムで肉体フィールドレコーディングしようと試みる菅田光司郎の依頼で、それを僕がギター弾きながら歌うことに。で、やってみると面白い。こりゃ良い歌です。次いでに、明日の夜10時から行われるTWIGGYのパーティーでの司会で歌おうかなと思案。家でかき鳴らして歌っていたら、アオも踊っていた。牛深ハイヤ、分かってくれたのね。いいよね、これ。踊れるもんね。と親子で歌い踊り狂う。来年の1月24日には音楽家の曽我部恵一さんがやっているcity country cityというレコード屋&バー&ライブハウス&クラブのようなところでライブもやるので、そこでもこれ歌ったら面白いかも。年末までにもうちょっと頑張って原稿書いてみようかと一人で思案。関係無くただ僕は仕事がしたい。年賀状全く書いてない。どうしよう。

2008年12月26日(金)

午前7時起床。今日は一日中原稿。今年もまだまだ終らない。あと50枚は書きたいところ。お昼はコロッケを食べて、一人で家に籠って書きまくる。夕方、以前、BRUTUSで一緒に仕事をした西野入さんから突如連絡があり、今度はdictionaryで面白いことやりませんかとの誘い。話を聞いたら気になったので即答で乗った。漫画描きませんか?とのこと。どうなるかまだ分からんが、なんかやってみたい。で、その後も原稿原稿。今回第四章、書いては消してますので、もう何枚書いたのか分からんくなってきた。で、混乱してきたので、チャンドラーの長いお別れを読む。ますます複雑になってきた。その間、萩原朔太郎とデュシャンについて今度語ろうと思い、その話についての原稿を書く。夜、外出。頭がぼーっとしたまま、スペクテイターと新しく出たフリーマガジン「FREE」のリリース記念を兼ねた忘年会に顔を出す。しかし書きまくっていて偏頭痛。IAMCOCOという女の子と話す。その子の書こうとしている小説のアイデアを聞きながら飲む。なんか面白そうだ。ミネちゃんたちがいると思ったらいなかったので早めに帰宅。深夜、家の近くのモスバーガーで食べながら構想。何の?

2008年12月25日(木)

午前7時起床。午前中原稿。お昼にカレーを食べて、外出。午後2時西荻窪駅で幻冬舎の竹村さんと待ち合わせ。久々にそれいゆへ行き珈琲飲みながら来年書く予定の本についての打ち合わせ。まずは、今書いている二冊をしっかりとまとめることに頭は向かっているのだが、話しながらまた色々とアイデアが出てきた。来年は、自分を実験台にして今度は挑戦してみようと意気込んでいるのであるが、その動きと連動させると俄然面白くなってくるはずである。技術でも科学でも哲学でもなく、ただそこで住んでいるということが、多面的な思考の塊なのだということを示せるといい。一時間半みっちり話して電車に乗る。次は、高円寺で一時帰国中の原さんとパートナーの小倉さんともう一度会う。アオを会わせたかったので、その後国立からフーアオも来る。皆で駅に併設されているパン屋で談笑。来年はアオを連れてトロントへ行こうという計画を立てる。そして、お腹が減ったので無茶苦茶久々にイワンに行ってみようかと向かうが、まだ開いてなかったので諦め、じゃあどうしようかと散策していたら、見たこと無いベトナム料理屋が目に入る。原さんがココにしようよと行って入ろうとするがまた開いていない。ちょっとぶらぶらして待つことに、さわや珈琲の店長に珈琲の歴史話を聞きながら待つ。ここの珈琲豆屋、もう70年以上もやっているのだ。しばらくすると開店していたので入る。ベトナム料理オーセンティックというお店。現地人とも日本人とも違うような店内の内装ディレクションを見て不思議な気持ちになるが、期待は高まる。シェフは完全な日本人であった。ベトナムのサラダ、ゴイや、揚げ春巻き、フォー、ベトナム角煮などを注文。東洋一古いというベトナムビールラルーも注文。で、食べる。これが久々の大ヒットであった。全ての料理どれも抜群に旨かった。無茶苦茶に複雑な味、なのにまとまっていて美味。店の外観、内装、メニュー表などだけを見ていてこちら完全に油断していた。ここは凄い。そんなに量は多くないのだが四人全員大満足になる。食後のデザートも注文。チェーというベトナムスイーツ。シェフの人が書いたレシピ集が出版され、販売されていたのでついつい購入。まだお店ができて一年が経ったばかりらしい。久しぶりに名店を見つけ満足で帰ってくる。原さんとは来年大きなフェスティバルにて一緒に仕事をするので頑張ろうと気合を入れて別れる。

2008年12月24日(水)

午前8時起床。午前中原稿、そして原稿を読む。大体困ったり、止まっている時はちょっと前ぐらいからの文章を読むに限る。助走みたいなもんである。そうやって、読んでいると、それだけの作業でも創造活動をしているように頭の中を誤魔化すことが出来る。毎日作業をやるということもそれに近い。で、今、思い出したが、ついこの前テレビで100歳を超えている男性がいまだに筋トレをかなりの回数やっているという特集があり、秘訣は何ですかと聞かれ、「ちょっと数を誤魔化すことです。20回くらい」と言っていたのが忘れられない。それは僕の常套手段でもあるからだ。自分に対してさばを読むという作業は意外と盛り上がるもんである。これは意識的にやり続けると無意識に当たるのだ。その後、お昼前に三人組で外出。外苑前のTwiggyまで行く。外苑前周辺をベビーカーで練り歩く。ボーネルンド本店などで遊ぶ。その後、三鷹のフー姉の家でメイ&ユメらと戯れて夕食会。

2008年12月23日(火)

午前7時起床。午前中原稿10枚。朝、昼も家カレーを食べ続ける。午後も引き続き原稿さらに書き足して、ある時間が来ると、面白いことにピタッと一切書けなくなる。こういう変化がちゃんとあることが興味深い。よし、このまま行くと今日中に書き上げるんじゃないのかと心配していると、不思議なことにピタッと止まる。ということで、歩きに切り替えた。国分寺になんだか良さそうな手作り革製品のお店があるというので、いつものズッコケ三人組で出掛けようとしたが、日が暮れたので止めた。ツタヤでDVDを借り、書店で本を買い、新しいパン屋を見つけ、はらドーナツに舌鼓を打ち、帰ってくる。夕食は、久々に神楽坂のくるみのお好み焼きが食べたくてたまらなくなり、仕方無く自分で広島風お好み焼きを作ることにした。大阪在住のフー親戚から頂いた、最新式のホットプレートセットを駆使し作製する。これが美味。くるみに一歩近づいたか。しかし、あそこは何であんなに旨いのか。夜は「ミスト」を観る。なんなんだこの映画は。しかし、それでもなぜか印象に残リ続けている。

2008年12月22日(月)

午前7時起床。午前中原稿。はじめは乗らなかったが、どうにかお昼まで10枚執筆。太田出版用も50000字を超えてきた。なかなか面白く書けていると思う。どうにか1月中には仕上げていきたい。年内にもう一章分書くつもり。今少し、点が立体的に見えてきているのでこの調子で行きたい。その後、フーアオと三人で外出。歩いて近くにある小児科へ。アオの三種混合と、僕とフーはインフルエンザ予防接種。マシュマロという不思議な名前のこの小児科のお医者さんは、注射がとても巧く、アオも泣かないし、大人も全く傷みが無かった。離島での活動経験もあるらしく、気になる。その後、バスで駅まで行き、本を購入などして、僕だけ電車に乗り東京駅へ。八重洲口南口でバンクーバーのギャラリーCENTRE Aのキュレーター原さんと小倉さんと待ち合わせ。今ちょうど帰国していてマネックスの絵を見たいと言ってくれたので一緒に見に行く。この展示も来月で終わり、次にカナダへ出張させようと思っている。原さんも喜んでくれていた。その後、焼き鳥が食べたいというので東京駅地下の焼き鳥屋で五時頃から早めの宴会。来年トロントで開催される一日だけの巨大なアートイベント白夜祭についての打ち合わせを兼ねて。この重要なイベントのキュレーターに原さんが指名され、そして原さんが僕を推してくれそれがどうやら通過したらしい。ナイロビで作った自転車のようなものをやる予定。これはがんばらないといけない。それにしても僕の周辺の人間はどうしてこんなに元気なのだろうか。原さんも僕の個展をバンクーバーでキュレーションして以来、その後カナダでの仕事を掴み取り、カナダ国内だけでなく世界中を飛び回り、その都度成功を収めている。そうやって気合入って、何事も実現できる、それしか考えられないという思考でやっているから、僕も実現できてしまうし、そうやって双方で盛り上げられていける。原さんも僕の最近の活動を喜んでくれている。原さんと出会ったのは本がまだ出る予定もなかった2002年の頃である。その時からお互い何も変わっていないが、その時点で原さんは僕たちがこうなるのを予想していたようなことを言っていたから驚く。パートナーの小倉さんと共に恐ろしいほど鋭い感覚を持っている人たちである。こういう人とツテなど関係無く、偶然出会い、そして共鳴できていることが、今の自分の活動の原点である。そんなもの何もいらないのだ。ただ本気で実現することしか考えていない馬鹿野郎は必ず生き延びるのだろう。久々に会って気合が入る。楽しい会だった。その後、家に帰ってくる。NHKの番組を作っている制作会社から電話があり、年明けてすぐの番組に出演することが決まった。何だか年末にかけてもまだまだ動きが続いている。純粋に活動をして、それを楽しむ人と会って、さらにその強さに興奮をした日であった。

2008年12月21日(日)

午前8時起床。午前中仕事少々。昼前に外出し、いんでぃ庵でまたチキンカレー大盛りを食べて、フーアオと三人で茅場町へ向かう。午後2時に森岡書店まで行き、展示していた絵の撤収作業。森岡書店での展示&トークショーはとても良い機会だったと思う。本当にいつもどんなことでも、やれば何か一つ前に進むというこの単純で当たり前のことがやはり僕には一番の原動力となる。やらない、できないなんて言っていては、土俵から下りてしまっては、何も始まらない。どんなことにでも首をつっこむ。あらゆる依頼を受ける。これが今の自分にできることであるはずだ。駄作を作ることを恐れて逃げるよりは、一部分でも自分の納得できるものだったり、今まで出来なかったことが出来ただけで、得したと思う方が、次の仕事を呼び込むのである。だから、これからもますますあらゆる依頼、仕事を受けて、さらに誰からも頼まれなくても、自分の中からどんどんと仕事を作りだそうと、ますます強く思うのである。しかし、貯水タンクに棲んで10年が経つが、少しずつ輪が広がっているように思う。昔は僕のやっていることを冗談だと言う人はいたが、誰も本気だとは思っていなかった。しかし確信を持ってやっていることは、長い年月がかかっても最後には必ず新しく道を作る。これからも何事にも一切振り回されず、自分の中に起きた初期衝動とだけ相談してやっていこう。そのためには絶対に一人でいることが必要だ。徒党を永遠に組まない。仕事の電話番も作品の梱包もFAXも請求書もやり続けてどこまでやれるか、そこが面白いところだ。そんなこと考えてたら、僕なんて一生非正規雇用人間である。誰からも求められていない。しかし、そこからでしか、本当に必要な仕事は生まれてこない。だからそれは素晴らしいことなのである。その時に、ようやく、自分がろくでもないことに無思考に操られ、やりたくないことを、しかも自分の意志でもなく、動かされていたことを知るのだ。完全に自分の意志で自らの手で操作して、自分というマシンを全開で動かさないとそのマシンはちゃんと動いてくれない。だから、今は良い世の中になっていっているなー、と僕は本気で思うのである。潰れる可能性があるところで働くということがそもそも、僕にとっては非常に矛盾している生き方である。僕が20歳の時に決めたことはどうやったら一生続けられることを仕事にするか、であった。そのためには自分で仕事を作り出すしかなかった。そして、その後、鈴木さんさんと隅田川であった時に同じことを言っていて本気で嬉しかった。そうやって、社長的、マシン的思考で動いてこそ、ようやく社会の重要性や、人との関わり方の素晴らしさを感じるのだ、と。しかし、そんなことは誰にでもできることじゃない、と人は言う。僕はそれがあきらかな勘違いであることをどうやって、人に伝えることができるか、がやりたいことなのだ。と一人熱くなっていた。喫茶店で熱を冷まし、三人で東京駅まで歩いていく。途中で新丸ビルに寄って授乳室。ここの授乳室良い。だからか、MARGARET HOWELLでフーが靴購入。夕方、丸ビルで細野晴臣さんがライブをやっているとの情報を聞いたので向かったがアオさんがちょっと疲れているようだったのでちらりと見ただけで帰ってきた。夕食は、ベーコンとトマトのパスタと、生茄子と水菜と豆腐のサラダを久々に僕が作った。最近、柳宗理の鉄のフライパンを使用しているのだが、これが使いやすい。今までテフロンばっかりだったけど、鉄の方が良かったんですね。洗剤を使わず、専用のたわしで擦って洗うだけ。そうすると油が残って少しずついい味が出てくる。お気に入りである。近頃小説を読みたい気分なのである。というかまた小説を書きたいと思っているのである。そのために気分を盛り上げている。小説の依頼は全くないが関係無い。いつか来るからしばし待たれよ。

2008年12月20日(土)

午前7時起床。午前中原稿。エココロ四次元ガーデン第13回目。今度も変な庭。1000字仕上げて送信。その後、取り掛かっている単行本の原稿。夕方までやって、来年1月にやる予定のライブのために曲の構想を練って、午後6時過ぎに外出。茅場町の森岡書店まで。午後8時から文筆家大竹昭子さんとカタリココという朗読会&トークショーを行う。大竹さんも空間にかなり興味を持っていて、話は非常に盛り上がった。朗読という始めての作業もやってみると面白い。30人ほど集まってくれたのだが、皆さん熱心に話を聞いてくれて楽しい会だった。終ったのは10時過ぎ。本を買ってわざわざ持ってきてくれている人もいた。その後、大竹さん、僕、森岡さん、太田出版の北尾さん、大竹さんの従兄弟の方二人と彼女、亮太、タンゴの9人で近くの居酒屋で打ち上げ。そこでも、かなり熱い話が繰り広げられた。北尾さんとも、原稿を送ったばかりだったので色々と盛り上がる。面白い本が来年できるはずだ。終電で帰ってくる。こういう素晴らしい会をこれからもどんどんやっていきたい。本当のことを喋れば、実は人は嬉しくなって盛り上がるのである。

2008年12月19日(金)

午前7時起床。午前中原稿。その後、3人で外出。北口のCiel de Lyonで昼食。若鶏のロースト。美味。その後、今日は歩きまくることに。まずずっと南下して谷保まで行き、ステラという面白そうなパン屋で買物をして、谷保天満宮へ行き、昔、遊んでた道であることが判明し、そのまま田圃と畑の間を練り歩き、保存されている古民家の縁側で休憩し、パンと茶を飲む。って、ここどこ?というくらいの田園風景。ここで、僕は20歳の頃、自然詩人ゲーリースナイダーのような奈良の畑から戻ってきた三線を弾くタカという達磨バムに会って、小川に流れ込んでいる湧き水を使って、近所の農家が作っていたレモングラスを入れてティーを作ってもらったり、モロッコはタンジールのベルベル音楽を三線で弾いて見せてもらって一緒にあぜ道で踊ったりしていた。タカが住んでいたのは森の中に建つ柔道場に併設されている元師範の六畳間の家で、僕はその頃、ケルアックの本を読みまくっていたので、それを地でやっている人間と会ってとても驚いた。で、そうやっていく中で多摩川に二十年以上も住む0円ハウスの住人と出会い、僕の仕事が始まった。東京という都市にも、たくさんの空間層があると感じたのはその時からだ。で、家に帰ってきて、思案中のタイトル、四次元ガーデンの原稿に取り掛かる。とりあえず、歩けば、何かに気付く。夕食は、伊豆のアジとエボダイの干物、熊本の茄子のサラダ、サツマイモはケベック産メイプルシロップで大学芋にした。美味。明日は森岡書店でトークショー。

2008年12月18日(木)

午前7時起床。午前中原稿。お昼外出し、いんでぃ庵でチキンカレー大盛りを食べる。ここやっぱり旨い。その後、電車に乗って取材のために浅草へ。今日は日頃歩いていないところを調べてみる。昔、子供の頃に買いたかった、机と二段ベッドが合体している、秘密基地風の学習机があったが、それとよく似た形状の0円ハウス発見。住人がいなかったので話が聞けなかったが、また今までに見たことが無い形状をしていた。また話を聞きに行ってみよう。電車に乗る前、古本屋をフラフラしていたら多木浩二「生きられた家」の岩波現代文庫版があったので購入。学生時代に、一人で図書館で60、70年代の建築ばっかり見てた時に読んでいたが、今、改めて読んで、すとんと、頭の中に入ってきた。ここで、ハイデガーの「建てること・住むこと・考えること」という講演についての話が出てくる。僕は、哲学なんて全く読まないのだが、以前、週刊新潮で福田和也さんが僕の本について書いてくれた時にも同じく引用されていたので、これは何かのヒントになるかもしれない。と思って調べたら、今年の11月にその講演の翻訳が出ている。ちょっと高いが。また、その中に、18世紀の建築家、画家であるジャン=ジャック・ルクウという人の話が数行出てくるのだが、その中で様々な様式の建築が重なり合って塔になったというDIg-italのような建築の絵について書いてあり、それが「ベルウ゛ィルランデヴー」という名前らしい。これと同じ名前の映画をまた見たくなって今日ツタヤで借りてきたばっかりだったので、色んなことが同時にシンクロしたような気分になり、嬉しくなった。この映画、音楽も良い。これって、まさに昨日のMatthew Herbertとも繋がってくる。やはり何か自分の中に引っ掛かってくるものの中には共通の言語のようなものがあるのだろう。それらを構造体にした建築を体の中に建てたいということか。午後6時から外苑前まで銀座線で向かい、TWIGGYにて、散髪。TWIGGY主催の忘年会の司会をなぜか頼まれる。で、断れない性格なのでしっかりと受けてしまう。ユーカリのシャンプーを購入。夕食は、牛ひき肉とごぼう丼。美味。

2008年12月17日(水)

午前7時起床。原稿を書く。都市狩猟採集生活について。今日はキーボードが軽い。夕方までかけて、30枚。第3章までなんとか形になったので、太田出版北尾さんに送信。とにかく、今は書く気満々のようなので、進めていこう。しかし、書けば書くほど取材がさらに必要になってくる。その後、四次元ガーデン第13回目についての構想。菅ちゃんが進めている、日本の祭り大全集のために牛深ハイヤの練習。ループが永遠と続くミニマムダンスミュージック。絵本、安西水丸「がたんごとん がたんごとん」と林明子「おつきさま こんばんは」を購入。どちらも色がいい。夕食は、フー母が来てくれてハンバーグと昨日の野菜たくさん。小松菜も生で食べられる。しかも甘い。ラジオで深夜、The Matthew Herbert Big Bandの特集をすると言っていたので、The Audience聴きながら本読んでいたのだが、寝てしまってた。

2008年12月16日(火)

午前8時起床。朝日見逃す。午前中、原稿。次は太田出版用。どんどんやっていくことに。10枚書いて様子を見る。とにかく毎日10枚書いていく。この日課が積み重なるとなんだか気付いた時には結構な量になっている。今年を振り返ってみると原稿書きまくった年であった。書籍用だけでも1000枚を超えていた。ボツにしちゃった原稿もあるが。。。それに日記用と雑誌用も足すと僕にとっては去年までとは考えられないほどの量になっている。今年ももうちょっとであるが、残りもペースを変えずにやってみよう。昼過ぎに終了。お昼に卵焼きとざるうどんを家で食べて、外出。先日、国立の「農家の台所」というレストランで食べた生のキャベツが美味くて唸っていたらなんとそのキャベツは僕の住む国分寺市の中村安幸さんという農家が作っていることを知った。彼は完全に無農薬で野菜を作っているらしく、さらに絶滅しかけていた小松菜のある品種を復活させたりと、とてもクリエイティブに農業をやっているようだった。これは是非チェックしなければと、またフーアオと出掛けていった。着いたところはウチから徒歩で20分くらい行った農村のような地域。こんなところがあるのかと驚くほどのどかな場所。道を聞くと、皆さん中村さんのことを良く知っているようでアソコ、と指差して教えてくれた。行ってみると、無人販売所があったので買おうかと思ったら、おばちゃんがいたので、この前キャベツを食べて感激しましたと言うと、喜んでくれて、なんとそのまま畑から採れたてのキャベツを分けてくれた。さらに、長い形のカブも譲ってくれた。すると、中村さん本人もリアカーにブロッコリーを山盛りに積んで登場。なので、また感想を言うと、喜んでくれて、ブロッコリーまで分けてもらった。さらに小松菜は買って全部で250円。しかも、全て無農薬。しかも、全部今日収穫されたものなのだ。こんなの有り得ない。これから出来るだけここで野菜を買おうと思った。中村さんのご家族、姪っ子たちとも遊んで帰ってくる。アオと同級生の赤ちゃんもいた。また国立に来たら来たでこうやって新たな面白いことが起きるものだ。魚力といい、中村さんの無農薬野菜といい、最近食材が凄いことになってきている。空気も美味いし、僕にとっては仕事をするのにちょっと遠いのだが、やっぱりいいかも。帰ってきて、その野菜で夕食。キャベツはそのまま、この前高知県で買ってきたじゃこ味噌と一緒に。甘いキャベツ。ブロッコリーも茹でて食べる、甘い。カブは味噌汁にした。しかも、カブは生でも甘かった。美味。やっぱり野菜も創造性と共に作っていると、こちらも盛り上がってくる。中村さん、いい顔してたな。隅田川の鈴木さんと同じような穏やかな顔をしてた。アーサー・ラッセルに盛り上がった翌日に、今日は国分寺無農薬野菜。何か僕の中では同一線上にあるような気がしてならない。そして、さらに隅田川でどこの公園の柿の葉っぱが天ぷらにしたら一番旨いかを研究している鈴木さんともやはり同じ空間層にある。

2008年12月15日(月)

午前7時起床。さらにもう少し付け足してもう一回原稿送信。とりあえずこれで終わり。タイトルはまだ浮かばずだが、惜しいところが出てきたので、それをもとにまた考える。いつか出てくるはずだ。そうやって、いつもギリギリで登場してくる。今日は、午前中で仕事を終らせて、その後、立川へフーアオと。フーは用事があったので、アオと二人でHMVへ行って散策していたら、Arthur Russellの新しい未発表曲集「Love is overtaking me」が置いてあったので購入。その後、パスタを食べて、魚力へ寄ってまた秋刀魚を買って帰る。今度は、Arthur Russellの70年代中期にフォーカスを当てたものも入っている。カリフォルニア時代の作品もあり、フォークからダンスへと転換していく間の音楽。カリフォルニア時代はアレン・ギンズバーグのバックでも演奏をしていて、それがN.Yに行き、ジョン・ケージに影響を受け、そしてダンスカルチャーに入り込んでいくという、僕にとってはホントに涎ものの横に越境し続ける音楽。今回、これを聞いて、なぜ魅かれたのかがよく分かった。ダンスミュージックを作ったときでも、シンガーソングライターとして作り上げていたのだろう。良いアルバム。夕食は塩鯖。その後、ゆっくり構想。次は都市狩猟採集生活について書き始める。年末までやれるところまでやろう。

2008年12月14日(日)

午前6時起床。午前中原稿。お昼までさらにもう少し書き加えて一応流れは出来たので春秋社篠田さんに送信。ようやく送れた。これで一段落。その後、すぐ準備をしてドローイングの絵をカートに積み込んで外出。雨が降っているからどうかなと思っていたが、止んでくれた。タクシーで駅まで行き、電車で茅場町にある森岡書店へ。森岡さんと会い、一緒に展示の設営。速攻で終る。本当にこの書店はいい空間だと思う。DIg-italと立体読書たちも映えている。腹が減ったので、近くの立ち食いうどんを食べて戻ると、文筆家、写真評論家の大竹昭子さんが到着していた。20日にここで行われるトークショー&朗読会「カタリココ」のための打ち合わせ。立体読書についての説明などをする。かなり興味を持ってくれ、さらに空間について話す。これは当日面白くなるだろう。「隅田川のエジソン」の中から選んで朗読したりもする予定。定員には達していて立ち見にはなるかもしれないが、当日も入れるそうだ。ドローイングもあるのでもし興味のある方は是非。その後、家に帰ってきて、帰る間に色々また閃いたので、続きの原稿を書く。まだタイトルが出てこない。いつも題名つけるのは一苦労なのである。しかし、一番面白い作業でもある。なんか、ないかな、いい言葉。夜はボーっと過ごす。夕食はレタスチャーハンと立川の魚屋魚力の秋刀魚の干物。ここの魚は美味い。

2008年12月13日(土)

午前6時起床。今日も原稿。午前11時まで書いて200枚を超えてきた。今回の予定枚数が200枚ぐらいでと言われていたはずなので、いちおう達してきたが、まだ終っていないので書き足す。あと数日で終りそうだ。ようやく自分のやりたい方向も見えてきた。面白くなってきていると思う。お昼にざるうどんときんぴら天ぷらを食べ、熊本のノノカ嬢とスカイプで中継し、外出。立川の世界堂でまた今日も額装。その後、伊勢丹にてアオの買物。そして、喫茶して額を受け取って帰ってくる。夜は、亮太が遊びに来る。フーがトンカツを作ってくれたので、それ食べながら麦酒飲みながら、最近僕が調べているアシッドフォークの色んな音源、トルコや韓国やキャサリン・ハウやカレンダルトンなどを聴く。その後、これまた最近気になっているクセナキスの音源も聴く。この人は数学者でもあり、建築家でもあり、音楽家でもあるというまさに僕が憧れる多焦点の仕事をしている人であるのだが、今まではそこまで調べてこなかった。フランスにある彼がコルビジェのところで設計を担当したラ・トゥーレット修道院は見に行ったのだが、その時に感じた原始的というか、初めて風景を見たような感覚はいまだに忘れられない。それでも彼の音楽は聴いたことが無かった。しかし、このRebondsという曲。これは凄かった。まるで0円ハウスの建築のように、不安定で振動を続けていることが自然界にとっては安定しているということを感じさせてくれるような音楽。また元のループに戻る瞬間の音がたまらない。他に高橋悠治さんが弾いて解説までしている、Hermaもすごい。ここで言っている「音の雲」という概念は自分の中で本当に納得してしまった。Dj KOZEもいいけど、クセナキスもこれは調べないといけない。

2008年12月12日(金)

午前6時起床。ちょっと原稿。そして準備してフーアオと三人でお茶の水の順天堂病院へ。アオの定期検診&予防接種。経過問題無し、薬の量が減った。そして体重が増えている。平均値超している。まあ元気な証拠であるから良しとのこと。それにしても順天堂病院は患者が多すぎて朝一に行っても昼間でかかってしまう。あんまり腹が減ったので病院に併設されている山の上ホテルのレストランにて親子丼大盛りを食べる。その後、フーアオと別れて新宿駅へ。15日から始まる森岡書店でのドローイング用に額装を注文する。出来上がるまで二時間かかるというので、その間に幡ヶ谷のハザマ宅へ行き、こちらでもキャンバスに描いた絵を借りる。そこで色々と今年のまとめをリッチャン、ハザマと三人で僕だけウィスキー飲みながら。来年はもっともっとイメージを膨らませて羽ばたこうじゃないかと独りで盛り上がってしまうが、良しとした。その後、額を受け取って帰ってくる。もう一枚額が足りなくて明日立川に行かなくてはいけなくなった。帰ってきてさらに原稿。じりじりと進んでいる。すると、突然いつもの偏頭痛が発生し、そのままベッドの上でダウン。午前1時頃がばっと起き上がり、ラップをかけてある夕食を食べて、また寝る。

2008年12月11日(木)

午前6時起床。今日は原稿を書き続ける。書きながら少しずつ変化している。現在170枚まで進んでいるので年内には仕上げたいところ。コヨーテの最新号が送られてくる。ハロー!ワークス第四回目が掲載されている。玉姫公園について。ここはいまだに原始の香りが漂う。網野善彦の「日本の歴史をよみなおす」には、平安時代頃には虹が立つとそこに市を開かなくてはいけないという慣習があったと書いてある。そのように本来、市というものは幻のようなもので、河原、川の中州、海と陸の境である沖などで開かれてきた。そして、虹が立っても、時間が経つと消えてなくなるように、市も終ると何も無い土地に戻る。玉姫公園では毎日朝5時から7時までドロボウ市が開かれるのだが、7時を過ぎると公道上にあったたくさんの店は全て消えてなくなり、普通の道路に戻るのである。そこではゴミとして捨てられていたものが、一瞬、その市が立つときだけ誰のものでもなくなり、そこで取引が行われる。 ゴミを商品に変えるということは、そういう意味で考えると経済の起源が垣間見られるような気もしてくる。貴金属拾いのSさんには最近お世話になりっぱなしなのだが、あの人を完全密着して調べてみたら、それはまるで石ころや貝殻を貨幣にしていた頃のような時代を調べるのと同じようなものになるのではないか。尾道大学の小野さんから、来年の八月に予定されているレジデンスについての資料が届く。来年の夏から秋にかけては忙しくなってきそうだ。TCCの植田さんから来年1月のトークショーの詳細が送られてきたので、自分でフライヤーのようなものを作成する。情報をトップページに掲載する。鈴木さん、さらに路上から、天才貴金属拾いのKさんも参加し、太田出版hon-nin編集長の北尾さんも司会として出てくれる。こんな0円生活会議を定期的に続けていったら面白くなりに違いない。特殊なものではなく、普遍的なものとしてやりたい。

2008年12月10日(水)

午前6時起床。ハロー!ワークス用のスケッチの続き。午前10時に五点ほど出来上がる。封筒に詰めてcoyoteへ送付。これで連載分は無事終了。毎月0泊と生業の二つの連載は大変ではあるが、毎回最後にはきちんと終らせられている。海外での現地制作時なんかも同じような感覚なのであるが、とりあえず土俵から降りなければ最終的にはどんなに困難な仕事でも終るらしい。そんな妙な確信がある。当たり前とも言える。でもそれが僕にとっては非常に重要なことのように思える。カナダはウィニペグにあるギャラリー、PLUG IN ICAから連絡。来年の二月に行われる展覧会の正式なオファー。承諾する。ここは今年の五月にも出品しており、こんなに短期間でまた呼んでくれるというのも珍しい。気に入ってくれているようで非常に嬉しい。頑張らねば。前回のテーマはINFORMAL ARCHITECTUREで、今回がDREAM HOUSE。ここのディレクターであるアントニーは本当に建築、空間に関心を持っている。面白いセレクトをするので今度も楽しみである。その後、今日はゆっくり過ごすことにした。立川中華街でチャーハンを腹一杯食べ、フーアオと三人で昭和記念公園へ。普通の公園かと油断して行ったが、とんでもなくデカかった。広大な原っぱなどをベビーカー押して練り歩く。頭の中でArthur RussellのThat's Us/Wild Combinationが鳴ってた。そういえばまた未発表曲集が出たらしい。しかも、ドキュメンタリー映画はどうなったと思っていたらそのDVDも出てるらしい。買わないと。Liquid Liquidも出てたし。僕はArthur Russellが好きな人と彼の音楽について喋っているときいつも脳味噌に電気が走る。何でだろう、今までずっと聴きたいと思っていたのに、存在しないと思い込んでいた種類の音楽だからだろうか。直感を方程式のように具体的に目に見えるものに耳に聞こえるものに感じられるものに変換しようと試みているところに衝撃と、喜びを同時に感じる。僕もそんな感覚を与える作品を作っていきたいものだなと思う。中にある駄菓子屋で少年に混じって駄菓子を買う。ヨーグレット久々に食べる。二時間半ほどみっちり歩いて帰ってくる。夕食は家でヒレカツと恵比寿麦酒。美味。青山出版社の村上女史と電話で話す。その後、来年1月にライブをする予定なので曲を考える。福岡に住む、若い青年から自作の曲が入ったCD-Rが送られてくる。僕は別にレコード制作会社ではないのだが聴く。よかったのですぐ電話して激励。何言われても自分しか出来ない仕事をとにかく続けるんだと思いながら動いてると知らぬ間に回りの方が変化する。アオとゆっくり風呂に浸かる。

2008年12月9日(火)

午前6時起床。コヨーテ、ハロー!ワークス第五回目原稿5000字に取り掛かる。昨日の話は非常に面白かったので、夜、夢の中である程度文章は組み立てておいたので、そのまま自動的に書く。午前10時半まで13枚かいて少し手直しして佐々木さんに送信。BGMはHEIKO VOSSのI Think About You (dj koze mix)。やっぱDJ KOZEいいなあと思っていたらHEIKO VOSSの原曲もいい。その後、お昼にカレーライスを家で食べて、外出。午後2時に広尾駅まで行く。駅近くの麻布コートというホテルでフランスから来ているアーティスト、ローランとミッシェルの二人と出会う。彼らから来年、ナントに来ないかと誘われているので作品のプレゼンをしに行く。かなり興味を持ってくれているようだ。二時間半ほどみっちり話して別れる。その後、買物して家に帰ってくる。マユミンが遊びに来ていた。夕食は僕がお好み焼きを作る。たこ焼き機まで付いているなんだか凄いホットプレートを頂いたので、それを使う。美味。食後、提出する書類などを作成。送信。12月20日に茅場町の森岡書店で開催される大竹昭子さんとのトークショーが満席になったとのこと。森岡さんと電話で話す。でも、当日にもし来てくれたとしてもたぶん入れると思います。いや絶対入れます。これ僕が勝手に言っているのですが、、、。トークショーは、毎度たくさんの人が来てくれるので本当に嬉しい。その後、TOKYO CULTURE CULTUREでの来年のトークショーの概要を書いて送信。こちらもまたとんでもないイベントになりそうです。乞うご期待!今から、スケッチの仕事三点に取り掛かる。

2008年12月8日(月)

午前7時新宿駅に到着。そのまままだ家には帰らずに南千住駅へ。今度は現代の生業の取材。Sさんと再会。第一回目に出てもらったのだが、雑誌に載ってからというもの、とにかくツキが回ってきているらしく、先日もプラチナと18金を同時に拾ったとのこと。こりゃ追加取材が必要かもしれない。今日は、Sさんの友人で、Sさんよりもさらに稼ぎのいいらしいKさんの仕事を取材させてもらう。夜行バスの疲れは爆睡してたため意外と無く、Kさんの自転車に徒歩でくっついていき3時間ほど一緒に回る。これまた面白い体験であった。その途中にもSさんから「また18金拾ったよー、坂口さんにありがとうと言っておいて」とのKさんにとっては悔しい報告がKさんの携帯に入ってくる。二回も続いた。ここには生業が確実に息をしている。そう実感する取材であった。その後、お昼過ぎに帰宅。昼食に焼き鮭と玄米味噌汁。その後、しばしゆっくりして、フーアオと一橋大学構内を散歩して、喫茶して、0泊3日第13回目の原稿4枚書く。送信。この連載もなんだか妙なベクトルを向いている。TOKYO CULTURE CULTUREの植田さんから連絡でトークショーの詳細下さいとのことで、今日取材したKさんにも声をかけてみる。なんと出演OK。太田出版の北尾さんに司会を依頼する。1月11日に開催される0円生活ナイト。詳細は近日中に発表します。大和書房の増渕さんから連絡があり、ダヴィンチの書評で紹介されたとのこと。もう一年経つというのにこういう反応はありがたい。シンガポールの建築雑誌Singapore Architectのライターの方からメールがあり、TOKYO0円ハウス0円生活のレビューを載せたいとのこと。英語版なのに。アジア太平洋各国で配布しているとのこと。やはりモントリオールで動くと日本だけでなく海外からも反応が来る。この本は絶対に翻訳を出したいので非常に興味深い。どんなに小さいことにでも参加する。自分が考えていることをとにかく世界に伝える。常にブレずに正確に。それが難関であろうとなんであろうと気にせずにやった方がいい結果が出る。鈴木さんはこのアルミ缶暴落の時期に、今週、一週間で153キロ拾うという過去最高記録を更新した。もちろん最盛期より半値以下になっているから稼ぎは少ないのだが、それが問題ではないのだ。それよりも自分が考えてそれを実行してそれが成功していると自覚できていることに、僕は衝撃を受けた。世間、アルミ缶の価格は変動するけど、自分の中では変わらず成長し続けているのだ。これって、僕がやっている仕事でもよく感じることだ。だから回りの反応とは関係無く、自分を進ませる方が重要なのである。時々、アルミの値段は上がったり、僕の本が受け入れられたり、するときもあるかもしれないが、それよりちゃんと前にいること。また今度の0円生活ナイトではその後、色んな話が出来るのではないかと楽しみにしている。

2008年12月7日(日)

終日高知。最後に、鰹の塩タタキ、マグロの刺身、クジラの舌、四万十海苔の天ぷら、鰹の煮込みなどの郷土料理を日本酒と一緒に食し、またバスに乗って帰ってくる。

2008年12月6日(土)

午前7時起床。原稿書く。その後9時外出。午前10時に鈴木さんの家で集合。一緒に99円ショップへ買物の取材。なんだか大量に買っている。それでもってその後、宴会。99円で買ったもの勢揃い鍋などを食す。その後、家に帰ってくる。フランスから来た人たちは来週会ってプレゼンテーションをすることに。駅前で喫茶をして帰ってくる。夜、新宿まで行きコヨーテの佐々木さんと待ち合わせ。0泊3日の取材。今回は高知県へ。何だか有り得ないものを探しに行くので全く前途不明。しかし、いつも何とかなっている。今回もまた面白いものと出会うのだろう。午後8時半夜行バスに乗り込む。

2008年12月5日(金)

午前7時起床。原稿再開。午後12時まで10枚。その後、外出し「ひらよし」でトンカツ定食食べて浅草へ。現代の生業の取材のつもりで行ったのだが、先に鈴木さんのところにモントリオールのソーラーパネルをお土産に持っていくことにした。すると、案の定、一杯始まってそのまま午後5時半頃まで飲んでしまった。あれー。鈴木さんのところには今月も人が訪ねて来たらしい。しかも若者ではなく同じくらいの年齢のオジさんたち。本を読んだ人がぞくぞく鈴木さんのところに集まってくる。嬉しいことだ。鈴木さんも盛り上がっていた。本を出して1年がもうすぐ経つが、じりじりと頑張ってくれている。そして、また99円ショップの話を聞き、それを取材してみることに。明日また行ってみよう。家に帰ってきて夕食を食べる。ロールキャベツ。リトルリチャードのオリジナルマスターレコーディングを聴いている。その後、ドローイングを進ませ、また時差の谷に落ちる。アオよりも先に爆睡。

2008年12月4日(木)

午前7時起床。モントリオールからさっそく展示を見たというメールが入る。反響があるのはやはり嬉しい。そして、その中で来年の二月にロンドンで行われる展覧会に出品しないかという依頼。なんだか面白そうなのだが、二月には展覧会、映像化など色々と動くことが予定されているためどうなるか。でも出れるなら出てみたいと返信。とにかく何でもやってみる。先には面白いことが待っているはずだ。それは今回のフェスティバルで改めて痛感した。その後、頼まれていたドローイング二点を描き上げる。昼食は皆で農家の台所へ出掛けて僕はタイカレーを食べる。そこで国分寺の農家中村さんのキャベツと小松菜を食べる。家からそこまで遠くない所で直売もしているらしい。気になる。今度行ってみよう。帰って来て、ドローイング手直しして送信。エココロゲラチェック。で、時差ぼけでいきなりストンと落ちる。寝たり、起きたり、15日から始まるドローイング展用の新しい立体読書に取り掛かりたいが寝る。アオを風呂に入れてそしてそのまま寝る。

2008年12月3日(水)

2日は朝まで徹夜で起きていて、朝五時ホテルからタクシーでモントリオール空港へ。まずバンクーバーへ向かい降りずにまっすぐ成田まで帰ってくる。3日午後3時半に到着。家に帰ってくる。福岡のショウから電話。曲を作ったのでCDを送りたいとのこと。いいじゃない、いいじゃない。そうやってどんどんやっていって欲しい。ケイちゃんからさっそくドローイング依頼。到着し、久々にアオの顔を見る。舌をブルブルさせるのが癖になっているらしい。舌が長いので音色が出ている。フー、フー母と四人ですき焼きを食べる。コヨーテの佐々木さんと電話で少し話す。0泊3日も近日中に行く。今度はどこに行こうかな。フランスのサンナザールでのオープニングで出会っていたナントのギャラリーから連絡があり日本にいるので最近のプロジェクトについて会って話そうよとのこと。尾道からも連絡。こちらは来年もしかしたら現地制作をするかもしれない。トロントもあるし、来年の夏から秋にかけては少し忙しくなりそうだ。モントリオールで始めは原稿書いていたが、途中から全く作業が出来なかったのでこれからさらに力を入れていこう。とりあえず今日はゆっくり。

2008年11月23日(日)~12月2日(火)

MONTREAL JOURNAL

0円ハウス -Kyohei Sakaguchi-