2022年9月14日(水)
午前5時に起きたら、もうアオは起きて、顔を洗っていた。アオもゲンも朝型である。フーちゃんは寝る子は育つモードで気持ちよくすやすや寝ているので、そっとして、僕はアオに朝ごはんを作ってあげた。今日もいつもの、白ごはん、お吸い物、卵焼き、昆布。めんつゆがなくなったので買いに行こう。昆布ともう一つ、キムチがあると嬉しいかもしれない。僕は朝ごはんを最近は食べない。そのまま子供たちを送ったら、さっと仕事に入る。昔は、起きたら、そのまま仕事場に行っていた。でも、今年は違うし、今はさらに違う。子供がいるときは、とにかく仕事を一切しない。とにかく子供たちは、僕にいろんなメッセージや直感を与えてくれるので、とにかく一緒にいると決めた。それがすごく心地よい、選択が間違っていないと、その気持ちが伝えてくる。ゲンは朝からゲームをしっかり2時間やりたいらしい。とにかく、今は1日を自分のやりたいことを時間の隅々まで使い切りたいようだ。そういうことを言語化しているゲンが面白いというか、可愛い。で、ゲンは朝ごはんをあんまり食べようとしない人だから、ついつい忘れてた、僕は人が嫌がることはさっと引いちゃうので、あ、嫌なんだ、じゃあ、作らない、みたいになってしまうので、忘れてしまう。アオはパパの朝ごはんはむちゃくちゃ美味しいと言ってくれるので、作るのが楽しい。ゲンは親として何かしてほしいみたいなことは何も言わない。トイレが怖い時も「おい、護衛にきてくれ」と、やっぱり、ジョンとターミネーターの関係なのである。親友として、ずっと横にはいてほしいが、親としていて欲しいわけではない、だから何かをしてほしい、みたいなことはほとんど言わない。背中をかいて、とは毎日言ってくるけど、それは僕も毎日、親父に背中をかいてと言っていて、毎日、背中を25分割にして、3の5、とか4の2とか、座標作って、的確にかいてもらっていた。親父はちょっとそういうところが鈍いというか、毎日、文句も言わずにかいてくれるけど、正確な位置をかいてくれないことが多いので、そういうことを僕は文句は言わない、かいてもらえるだけでありがたいし、座標を作って指定すれば、勘が悪くてもかいて欲しいところをかいてもらえるので。で、僕は背中をかいてもらう達人だったわけで、どこが痒いのか知り尽くしているので、ゲンはそこじゃない、とか、一度も言ったことがない、黙ってかいてもらって、そのうちに寝る。
アオは今日も朝からテスト勉強をしていた。僕もいつも朝からテスト勉強をしていた。そういうのも不思議と似ている。アオは「覚醒」のカードを引いたらしく、ぽろっと僕に言った。アオは、僕の鬱明けから、心をどんどん開いている。そういえば、ゲンもそうだ。で、昨日はフーに僕は褒めてくれないって、少しだけ愚痴を言ってしまったのだが、愚痴を言い切ろうとする前に「あ、これをやるからだめなんだ、こうやって、誰かから褒められたり、認めてもらおうとしたりするから、おかしくなるんだ、フーちゃんごめん、自分の手柄は自分で褒める、それをやれば楽になるんだった」とギリギリのところで、フーには悪く言わずに済んだような気がしていたが、フーちゃんが「あそこでの言い直しは、とても大きい変化だと思うよ」と言った。自分で自分を救う練習である。人に欲しがらない。読者だっていのっちの電話だって、そうだったんだろう。いつも僕は与えているようなふりをして、人に何か欲していたのかもしれない。そうじゃない、欲しいものは全部自分であげたらいいじゃん、ってことに気づいた、というのが今回の鬱で持ち帰ってきたものだ。おかげで心はとても平穏である。一人でいることがよりできるようになっている気がする。僕は44歳になっても、一人でいるときに、不安で、一人でいると、自分自身でいることが崩れてしまいそうになることがあった。昨年までは。でも、それが今年は本当に芯が太くなってきている、体幹が育っているのかもしれない。心の練習である。「いい感じだと思うよ」と、安定感抜群のフーちゃんが言った。
アオとナチャソを中学校に送って、帰ってきて、原稿を10枚書いて、明日からニューアルバム『海について』のオンライン販売が開始するので、museumスタッフと打ち合わせ。僕じゃなくスタッフが前回のパステル販売から全部やってくれている。しかも、僕はtwitterにログインするのをやめているので、今回は初めてスタッフだけでやってもらう。ま、大丈夫でしょう。どんどん好きにやってねと伝えといた。何か問題が発生したりしたら、僕が出ることにしよう。というわけで、いのっちの電話とtwitterから離れて、まだ三日くらいなのだが、本当に僕は一体、どれくらい他の知らない人たちと、話そうとしたり、繋がろうとしていたのか、驚く。一日三十人、死にたい人からの電話を受け、twitterでは毎日30枚くらいの原稿を書いていたし、ずっとオンライン状態だった。それが10年近く続いていたわけで、そりゃ大変だったはずだ、そりゃ鬱にもなるな、と、今なら色々とわかる。そして、もう充分やったし、とても満足している。これからは全く違うことをしよう、というか、近くにいる人とまっすぐその人のことだけ考えて過ごそう。一緒にいるのに、電話で、ぶつ切りになるということが続いていたんだなと気づく。今回の気づきは僕にとってとても大きい。作品にも反映していくだろうし、もっと作品を作っていきたい。人に見せるための作品ではなくて、作りたくてたまらないものに向かう、僕が追い求めているそのことにこれからは向かうことができるのかもしれないと自分で自分に期待している。ま、気分屋なので、気が変わったら、また再開したらいいだけなのも、またそれはそれでいい。
その後、スタッフと珈琲飲みながら、つい水墨やりたくなったので、描いてみることにした。きっかけは僕の水墨の猫の絵が好きな、橙書店の久子ちゃんが僕の水墨の猫の絵を使って、橙書店用の便箋を作りたいと言ってくれて、最近は、入稿データを見せてもらったりしているのだが、それで僕が猫の一番の理解者であると思っている久子ちゃんから「恭平の猫はほんとにいい、猫を知っている人なら本当に嬉しくなるような動きが描かれているから、もっと描きなよ」と言われたからである。僕は素直なので、信頼する人から言われたことはほぼ100%試してみる。信頼していない人からの助言は一切受け付けないので、人から嫌われることもあるが、僕の素直は信頼をもとにしているので久子が言うなら、やってみるのである。と言うことで、一年半ぶりに水墨をした。すると、また描き方が変わってる。楽しかった。僕はパステル画を毎日一枚、描かなくちゃいけないみたいに、仕事になっちゃうと、本当に退屈してしまう。今日やりたいことを、とにかく自分に聞いてみるのが一番で、聞いてみて、感じたことを「でも、それはなんとかかんとか」みたいに頭でこねくり回すと、拗らせるので、感じたまま、体をふっと動かしてみるのが一番楽だし、一番、いい作品ができるし、いい作品作ると、売れたりするから、お金にもなるし、多分それが一番いい。そうやって、生きるのは不安定だが、僕は不安定じゃないと安定しないのだから、人が不安そうにして、もっと定期的にお金が稼げる方法を見つけた方いいんじゃないかと僕を見て、昔からよく言っていたが、言うことを聞かないで、自分のやりたいようにしてきてよかったなと思う。というか僕は楽しくないと何もうまくいかないから、人から言われた通りにしても楽しくないから、しっかりと鬱になるし、鬱になれば、その道はさっと諦めるので、結局、自分がやりたいようにしかできないし、結局自分がやりたいようにしか稼げないので、楽しく思いついたまんまにやったこと全部を「仕事」と名づけることにしたのである。それで一番上の娘のアオなんかもう14歳になって元気に過ごしているんだから、100点である。
で、できた水墨画はとても僕が好きな絵になった。水墨もまた再開しよう。気持ちが楽なときに水墨はどんどん流れていくので、ま、気楽に。好きなだけやってみよう。イメージとしては久子ちゃんのために描いてあげるみたいな感じで。描く対象は僕が一番信頼している猫である、畑のシャンカルである。彼が今回、僕の鬱明けにもかなり大きな役目を果たしているような気がしている。僕みたいに生きればいいのに、とシャンカルが言ったのを聞いたと言えば嘘になるが、感じた。彼はいつも素直でまっすぐで特に笑顔でもないし、疲れてもないし、近づきすぎないし、離れてないし、怯えてないし、飄々としているし、でも僕のことを心から信頼しているのが見てわかる。静かで落ち着いていて、生きることを肯定している。いのっちの電話やtwitterをやめようと思ったのも、シャンカルの姿を見て、僕のように生きたらいいのに、と言ってもらえたからである。シャンカルに感謝である。だから、シャンカルばかりを、シャンカルの僕の好きな動きを、水墨で描いてみよう。あ、これでまた新しい絵のシリーズが始まった。100枚くらい描いてみたい。久しぶりに表具屋さんにも会いたいしな。日本橋の音丸さんに久しぶりに会いたい。あそこでやってもらった、シャンカルの水墨の掛け軸もかけて、茶会でもやってみたい。僕の作った器で、ガラスの器も使って、今度はやかんを作ってみたい、銅を叩いて作ってみたい。そういえば、熊本で、銅を叩くワークショップがあったことを思い出した。調べよう。
「日陰のシャンカル」2022/09/14 墨、紙 © KYOHEI SAKAGUCHI
水墨画は3枚描いた。描いたら、今度は、何がしたい?って思って、鬱になっていくときに、ピークから少しずつ落ちていくときに、しゃべらずに一人で、自分にとっての懐かしい風景を写真に収めたらいいんじゃないかと思って、カメラを買いたいと思っていたんだ、CONTAXを、と思って、スタッフを車に乗っけて、二人で坂梨に行った。明治4年からやってる写真店。ここに中古のカメラが売ってて、CONTAXも絶対にあるはずだと直感したので、見てみると、CONTAXのTシリーズがあった!T3でもT2でもなかったけど、T VSⅡってシリーズで、むちゃかっこいい。しかも、T3みたいに高騰してなくて、値段を聞いてみると5万円だったので、即決して買った。フィルムも36枚入り2本買って、もちろん向かうは、僕が9歳から18歳まで生まれ育った家、そこから歩いて直径5分くらいの、当時の僕の小宇宙。僕は最近、自分の家族、親父、母ちゃん、弟と妹、五人でグループメールを設立して、みんなで懐かしい話をメールで話し合うという企画をやっているのだが、僕が登下校ルートを歩いて写真に撮って、メールで送ると、大阪にすむ妹と、東京にすむ弟がむちゃくちゃ懐かしがっていた。しかも、気づいたのは、僕がこれまでパステル画を描いてきたのは、いつも新鮮な風景で、こんな景色あったんだという驚きから描いていたので、自分が慣れ親しんだ昔の懐かしい風景というものは一枚も絵にしていない。これはもしや、と思った。しかも、フィルムで撮影した写真をもとにパステル画を描くという試みもやったことがなく、いつもiPhoneで撮影したものばかりだった。これももしや新しい絵のシリーズになるのかもしれない。水墨にパステルに、僕の場合はいろんなことを分裂しているばかりに好き勝手にやって、それぞれの分野でそれぞれに友達ができて、そうやって、交差していくとより健康になる。もうそのときは病気とかではなく、自分の思うままに生きる人間の塊になる。僕は16歳のときにオリンパスペンを中古カメラで購入し、街をぶらぶらしながら写真を撮り始めた。中平卓馬と森山大道とスティーグリッツが好きだったからだ。鬱の時、なぜか僕は何を思ったのか、スティーグリッツのニューヨークの写真だけを集めた写真集を購入していた。購入していたことを忘れていて、鬱の時、アメリカから届いた。それが心の穏やかさにつながるとても良い本だったのだが、写真が何か今、心に入ってくる。撮影してて16歳の時を思い出したし、僕は元々写真家として活動を始めたのだった。いろんなことを思い出して嬉しかった。昔の知り合いにもあった。みんな、いつ会っても普通に、驚きもせずに、話してくれて、嬉しい。午後3時に家に帰ってきて、ゲンを待ち受けてゲンを一枚撮らせてもらって、フーちゃんとタッチして写真を一枚撮らせてもらって、今度は橙書店に行って、久子ちゃんを一枚写真撮らせてもらって、その後、ピクニックに行って、かおるにニューアルバムを2枚届けて、写真を撮らせてもらって、アオと友達二人の三人組の写真を撮らせてもらって、車でみんなを送って、家に帰って、鍼治療をして、夜はフーちゃんがお稲荷を作ってくれたので、僕は唐揚げをあげた。とても美味しかった。夜8時には疲れて眠った。12時に起きたけど、またすぐに眠った。