2022年9月15日(木)

   

 朝4時に起きて、原稿を書きに行こうとしたら、ゲンも起きた。

「おい、早すぎやろ、学校で寝ちゃいそうだから、もう一回寝なよ」

「いや、僕は二度寝はしないから。もったいないじゃない。しかも、今日、行ったら、連休始まるし」

「えっ、金曜日も休みなの? 月曜日が祝日なんじゃないの?」

「金曜日は、自分の中では明日から土日が始まるから、自分の中では毎週休みってことになってるの」

 朝から笑った。ゲンはいろいろと捉え方が独特だ。僕が笑うといつも「ま、僕は独特的なので」とゲンは独自の言葉で言う。この人、ほんと面白いと思う。ゲンは学校は嫌い、じゃないけど、好きではないし、休めるなら休みたい、が、休む理由がないと、先生には怒られちゃうから、まあ、学校には行くけど、友達がいない、わけでもないけど、別に好きじゃないので、学校にはまあ行くけど、金曜日は、そんな学校が終わる日なので、ご機嫌すぎて、休日に感じられるらしい。金曜日の夜から土曜日、日曜日と、ゲンは何をするってわけでもないんだけど、でもとにかく幸せなんだそうだ。ずっと家にいるから、昔は気にしてたけど、でも嫌そうにしているわけではなく、どうやら家にいたくているらしいので、それで安心して楽しいと思えているならいいじゃん。でも、僕も作品を作る日々はそれなりに大変ではあるので、週末どこかに連れて行ってよ、みたいなアクティヴな小学生だったら、今頃疲れ切っているかもしれない。僕はついつい連れて行ってしまうタイプではあるので。ゲンは何かしてあげるみたいなことが必要ないとよく言う。それよりも、一緒にいたい、だけみたいだ。猫がいてくれたらなあ、ってゲンは言う。

「原稿書いてきていいかな?」と僕が聞くと、「ま、いいっちゃいいけど、もしいてくれたら、それはそれで嬉しい」とゲンはいつも答えるが、今日もそう言った。というわけで、朝から至福のゲームタイムを味わうゲンの横で、僕は煙草でも吸おうとベランダに出た。

 すると、一匹のトカゲが足元をペコペコ通り過ぎて行った。なんかこれはトカゲじゃない感じで、あ、そうだ、ヤモリだ、とすぐに思い出した。小さなヤモリはきっと赤ちゃんだ、それくらい小さい。僕はふっと、ゲンがまだ幼稚園に入ったばかりくらいの頃、よくヤモリとかイモリを捕まえようとしていたことを思い出した。ゲンは今では立派な虫嫌いなのだが(とは言いつつ、釣りをするときに餌であるゴカイというあのミミズみたいな生き物は平気でちぎるのだが)、幼稚園の頃は虫が好きでカブトムシとクワガタも飼育していた、で、なぜか二人で散歩してたら、よくイモリかヤモリかを見つけて、それを触りたいから、お前捕まえろ、とゲンは僕に命令し、僕はなぜか捕まえるのがうまいので、さっと捕まえて、ゲン先輩に手渡していた。見た瞬間、僕はあの時を思い出し、この子は必ず、僕が捕まえて、久しぶりにゲンに触らせるんだろうなあって確信した。なんかこういうことがよくある。何かが起こるときに、僕はいつも少しだけ先の未来がはっきりと見える。これは少しだけ特殊能力なんじゃないかって最近時々思う。

「あ、ヤモリだ」と僕が言うと、ゲンはすぐにベランダに出てきた。捕まえて~、と昔みたいに僕に言った。しかし、ヤモリって、ほんとすばしっこくて、捕まえるの結構難しい。捕まえるには心と心を通じ合わせることが大事だと思う。このアパートの近くで生まれたんだろう。でも、このアパートの一階の床下には猫がいる、このままだと猫に食べられてしまうかもしれないから、観念してうちに来なさい、毎日、美味しいご飯あげるから、と僕は言葉を送ってみた。ヤモリは逃げた。でも、隣の家のベランダに逃げ込む方向じゃなくて、さらに家の中に入ろうとしているのか、ベランダの窓際の隅っこにそそくさと歩いていった。あれ、これは本当に、こっちにくると決めてるのかもしれない。とりあえず、一回も捕まえる作業はしない方がいい。やるのは一回、あとはとにかく捕まえやすい環境を作るために、ベランダの隅の適当に置いてある、ゴミとして出す前の、空き缶や空き瓶、電池類などをゆっくりと移動し、隠れる場所をなくしていき、ちょうどゲンが我が家の大好物の熊本産スイートチリソースが入っていた、長細の小さなガラス瓶を持ってきたので、とにかく目をヤモリに集中し、お互い、静かに牽制しあっている雰囲気を出しながら、手で触ると、赤ちゃんすぎて、潰してしまいそうな気がしたので、瓶を近づけて蓋をするようにヤモリに被せた。パニックにはなっていないように見えた。ニホンヤモリのようだ。触るとストレス感じそうなので、すぐにラップを二重にして爪楊枝でいくつか穴をあけた。

 ゲンと無言でハイタッチした。ニホンヤモリの赤ちゃんにはヨーサックと呼ばれる栄養袋が体の中にセットされているので、内側のお腹が赤く見えるときはまだヨーサックが機能しているとiPhoneで検索したら出てきた。猫を飼いたいゲンは、このアパートでは猫が飼えないし、しかも我が家は僕以外みんな猫アレルギーなので、多分、みんな飼うと大変だと思う、だから、僕は畑でシャンカルと会い続けているんだと思う、でもゲンはきっと、ずっと一緒にいてくれる動物がいると嬉しいんだと思う。なんかそういうゲンのちょっとした一言が素直だなあといつも感じる。さすがは自分がやりたいこと好きなことしかやらない人だ。僕はそうではなかったと思う。僕はそんなわがままなことは言えなかった。僕はすぐ周囲の反応を気にしてしまうので、家の中ではそれなりにわがまま言わずにやって、自分の机の上でだけはわがままに好きなことをやっていた。そして、朝早く起きたら、みんな寝ているので、机の上でさらに好きなことができると思った。だから僕も小学生の頃から早起きだった。日曜日はそこで漫画を描いたり、白い紙に罫線を引いてオリジナル便箋を作ったりしていた。そのとき、確かに僕にとって土曜日は日曜日の休みに重なっていて、もうすでに休日になっていた。サンリオが好きで、サカリオと名付けた自分の文房具メーカーを作って、OPP袋に入れて、売るといっても数十円とかだけど、なんか商人みたいなこともやっていた。あれが僕が11歳の時だ。今、ゲンは9歳。家にはOPP袋に入った、僕のニューアルバム『海について』が置いてある。限定300枚。今日、発売の日だ。このアルバムは録音も楽器演奏も全部自分でやった。しかも印刷も自分で頼んだし、デザイナーも自分で選んだし、何より全部自分でお金を出した。つまり、あのサカリオを作っていた、僕とやっていることは変わらないなと思った。そんな変わらなさがたまらないなとも思った。あの時、僕は未来の自分が、ずっと同じように何かを作り包装して人に売っている、という明確なイメージが見えていたから。あのときに見ていたイメージよりもずっと面白くなっていると思う。僕はおそらく9歳、10歳からやっていること、考えていることが変わっていない。ずっと同じことをしている。それは懐かしむことよりもずっと強く僕を穏やかにさせてくれる。懐かしむってことは今はやっていなかったり、今はそこにいなかったりするから、僕は今もずっとやっていることの方が、懐かしむことよりも自分を救うと思っている。だから、今でも僕は引っ越すことができない。もうちょっと広くていい感じのところに引っ越したいというのもあるけど、僕が9歳のときに福岡から熊本へ引っ越したときに、根っこから全部引っこ抜かれたような気がしたから、僕はゲンが生まれた時から住んでいる、アオが2歳の時から住んでいる、この家から引っ越すことができない。子供たちは動物が飼えるもっと広い家に引っ越したい、というから、僕は探してあげたりはしているけど、実は引っ越す気がゼロだ。しかし、それは間違いないと思っている。移動しない方が心はどこまでも自由に飛び回ることができる。引っ越すたびに僕は何か僕の心の中の故郷が減っていくような気がしているからだ。人は懐かしむことで自分を癒す。しかし、懐かしむことよりももっと大事なことがあるような気が僕はいつもしている。ずっと変わらないこと。それを続けるためには徹底して、自分自身を変化していく必要がある。そうしないと継続していかないからだ。でもそうやって継続することで、心はずっと心地よく、素直なままで、いてくれるんだと思う。だから、アオとゲンには悪いけど、僕は引っ越しを決めないと思う。その代わり、家の中のインテリアを少しだけ変えようと僕は提案した。むちゃくちゃかっこいいテレビ台と、子供の時にみんなにフーちゃんが読み聞かせていた絵本を入れる本棚を組み合わせた独自の家具をみんなで設計し、それをmuseumを始めたときに二つのテーブルを僕が設計し作ってもらった、福岡県うきは市にある杉工場さんに作ってもらおうと僕は言った。僕たちはハイアットホテルのなんてことないけど心地よいインテリアが好きだから、あれを参考に、もちろん、自分たちの感覚で、気持ちいい、ホテルみたいなずっといたいと思える空間に変えようと言ったら、みんなご機嫌になった。

「私は机の上に棚が欲しい」と5時から今日もテスト勉強中のアオが言った。それじゃ、キングサイズベッドも作っちゃおう。僕は杉工場の永井くんにメールした。永井くんは即レスで、もちろん、やりましょう!と言って、早速板見本を送ってくれることに。きっと、僕たちが好きなアルダーの材木を使うことになると思う。museumもFUの家具も全部、オーダーして作ってもらっているのだが、どれもアルダー。一番安いし色味がいい感じで、僕たちは好きだ。museumのドアだけは、これも僕が設計したのだが、材料はタモにしている。僕のパステル画の額装はいつも同じなのだが、この額装の材がタモだから同じにした。こういうちょっとしたところに気を遣うことが僕は大好きである。大好きなことをあれこれちょっとずつやっていくと、無理のない、僕の生活が出来上がる。僕は別に何か才能に溢れた人間ではないので、こうやって、いろんなものを、まるでインテリアを整えるようにして、あっちこっちに配置することで、僕という空間を作る、作品を作るというというよりも、作った作品たちを配置していく、歌、本、絵、畑、料理、僕が作ったものを、心地よく感じるために並べていくのが僕は好きで、そうすることで、僕は自分を表現していく。傑作は作れないかもしれないけど、帰りたくないような心地よい場所は作れていると思う。それでいいのだ。僕と関わる人は、一人の人間なのだから、直接手を触れ合って生きる人は数えるくらいなのだから、その人たちが宇宙を感じてもらえるようなことをすると、気持ちの良い、関係が出来上がる。そうすると、困った時は助けてくれるし、僕も助けるし、その関係さえあれば、あとは何がどうなっても心配ないのである。フーちゃんがいうところの「困ったらその都度対処する、一つずつ整理していけば、できないことは何もないし、いつ始めてもなんとかなる」ってやつである。家のインテリア改造計画も楽しみだ。

 で、ヤモリを眺めながら、ゲンは今日、弁当なので、昨日フーちゃんが準備してくれた稲荷と唐揚げをベースに弁当箱に詰める。山梨のギャラリーTRAXのえっちゃんが送ってくれたシャインマスカットも入れといた。贅沢な弁当だよこれは。

 アオとナッチャソを中学校に送り、二人にテスト頑張って!と伝えて、アトリエに帰ってきた。アオはきっとこのテストでさらに覚醒するんだろう。アオは高校進学どうしよっかなあ、まあ、高校は行きたいけど、受験はしなくてもいいかなあ、通信とかでも全然いい、というモードでその感じが素敵だなあと思う。とにかく、あんまり受験受験みたいにやってもろくなことはないので、というか、我が家は旅一座なので、とにかく自分たちでやりたいと思っていることを事細かく仕事としてやっていく方が重要度が高い。アオはおそらく、絵を描いてそれでお金を稼ぎ、無償で占いをやっていくようになるんじゃないだろうか。アオは幼稚園の頃から、人の名前に興味があり、人名辞典を分厚いものを2冊も読み潰している本物である。絵もポパイでずっとイラストレーターとして、今でも毎月仕事をしている。面白いな、と思う。たぶん、僕の会社のグループ会社を運営するようになるのではないか。ま、大学とか、行きたいと思ったときに行けばいいし、そのために学費とかもしっかり貯金しとこう!ってなってる。家族関係を飛び越えて、会社の関係になれば、アオにお小遣いはあげないが、外注仕事はお願いすることができるし、そうやって、外注費ってことで、アオに月10万円くらいの学費貯金することができたら、経費も落とせるし、一石二鳥かな、なんてことを、やっぱり僕の心の中の事務員ジムさんが考えてたりする。てか、おれは何するんだろ、ってゲンはよく言うのだが、あなたはさらにいろんなことができると僕は思ってるけどな、何よりも歌声がいい、それはアオも同じで、二人とも奇跡的に歌がいい、うまいっていうよりも味わい深い。涙が出てくる。

      

 歌も絵もずっとみんなでやってきたしね、と思う。アオは来年、またmuseumで絵の個展をやりたいのだそうだ。どんどんやったらいい。好きなときに好きなように飽きるまでやる。それが実現するために、僕は勘違い野郎と思われつつも、自分で自分の美術館を作ったんだから。失敗してもいいからなんでもやってみよう。試さない人生など生きるに値しない、というソクラテスの言葉が、僕は嬉しくなる。試していいんだ、と嬉しくなる。

「小鹿田の皿と山梨からの贈り物」2022/09/15  pastel on paper © KYOHEI SAKAGUCHI

 アトリエで原稿を書いて、今日はパステルも描いた。昨日食べたえっちゃからの贈り物ぶどうの絵。なんかアオの絵からの影響があるかもしれない。そこで12時。昨日、フーちゃんが、恭平、ちょっと仕事量多くなってきてるから調整してもいいかもね、と提案があったので、今日は12時で仕事を終わらせることにした。二人でドライブ。手取神社横にある洋服屋「Debby」へ。頼んでおいた服を取りに行く。ずっと前に到着していたが、鬱だったので、取りにいけなかったのだ。店主のイズミさんは僕の読者でもあるので、わかってくれているので、いつでもいいですよ、と優しく言ってくれていたそうだ、フーちゃんに。頼んでいたのは、COMOLIのブリーチジーンズ。超感じ良かった。ジーンズ見てたら、フーちゃんもジーンズが欲しくなったらしく試着していた。今日の夜、ニューアルバム売るから、頑張って、完売させるから、完売している絵が見えているから、フーちゃんにもプレゼントするよ~と伝えた。フーちゃんには誕生日プレゼントも買っていたのに、僕が鬱の時にはおしゃれする気にもなれないと箱の中にずっとしまっていた、マルジェラの足袋ブーツを今日も履いてた。おしゃれする気になってるフーちゃんは鬱明けの疲れも少しずつ取れてきたみたいで、ほっとした。LENOのジーンズがはいてみたら可愛かったので、それにするっていうので、買ってあげた。鬱の時はみんなで大変だが、鬱が明けたら、みんなで人生を楽しむ。これが僕は自分が死ぬまで続くんだと思うと、大変ではあるが、楽しみでもある。死ななきゃなんでもいい、というのはソクラテスではなく、フーの至言である。はい、わかりました。といつも思う。あの死にたいほど、苦しいときに。

 で、家に帰ったら、外が暑すぎることに気づき、僕はついつい中学校まで迎えに行った。アオは人前では恥ずかしがるけど、二人になると、迎えにきてくれてありがとう、と言ってくれるので、今日も一回ハグしといた。今日は帰りに、みんなにクオーレでシュークリームを買ってあげた。みんなは最初、シュークリームいる人と言っても手を挙げなかったので、僕は遠慮とか本当にわからない人だから、そのまま素直に食べたくないんだと受け取ってしまうから、と伝えると、アオの友達の二人も突然手を挙げて、食べます!と言ったので、この送り迎えの日々のおかげで、少し僕のことが伝わったかもしれない。みんな食べて美味しいと言っていた。そりゃそうだよ、クオーレのシュークリームが熊本で一番美味しいんだし、家から一番近くにある洋菓子屋なんだから、なんだか、ただの嬉しい話なんだから。帰ったら、フーちゃんに言われた通りに2時間ソファで昼寝してたら、本当に寝ちゃってたみたいだ。

 熟睡したら気持ち良くなって、畑に行って、草刈りの続きをした。新人の女性の方たちと久しぶりに会う。しばらく見なかったから、と言われたので、正直に、鬱だったので、これなかったんです、と伝えた。僕の正直な言葉に反応したのか、その子たちも、毎日行こうと思って、頑張ってたけど、途中で私も鬱っぽくなって、と。それ、今年の夏が暑いから、たぶん夏バテですよ、でもここの畑はヒダカさんも優しくて、全体を見てくれているから、僕なんか鬱のときは1ヶ月もいかないんですよ、それでも3年も続いてますから、自分のペースで、めんどくさいなと思った時は自信持って休んだほうがいいですよ、と声をかけたら、なんだかほっとしてくれたようだ。

 畑で友人のまさあきに会って、新しくはじめたこの日記がいい感じだ、と言ってくれた。そういえば今日、Debbyでもイズミさんにも同じことを言われた。twitterアプリ消したので、ネットでの反応はわからないけど、こうやって、身近な友人が、反応をくれることが、なんだかとても大事な気がする。いのっちの電話をやめて、友人に電話することが多くなった。仕事の具合もtwitterで書いて、それまでにしていたこともあるし、友人たちも読んだとしても、twitterで話しているような気になっていたのかもしれない。こうやって、直接口で言われることがありがたく、かけがえのないことに感じる。

 夜はフーちゃんが古代小麦のスパゲッティでトマトパスタを作ってくれてた。アオはテストがすごくうまくいったみたいで、ホッとしてたし、嬉しそうだった。覚醒カードだったもんなあ、としみじみ。夜7時にニューアルバム『海について』の発売が開始、しかも1時間半でなんと限定300部がmuseumに残っている30枚くらいを残して、全て、完売してしまった。これには驚いた。完売するイメージはあったものの、こんなに早く売り切れるとは。デザイナーのみねちゃんに電話してお礼をすると、友人の料理家の竹花いち子さんのところで宴を開いていたみたいで、いっちゃんからもおめでとうって言われて、嬉しかった。僕はいのっちの電話とtwitterの謎の自分ではじめた修行を、ようやく終えて、これからは目の前の大事な友達たちと一歩ずつ、面白いことをやっていくぞ、とまた強く思えた。まわりのサポート体制は、過去最強クラスに整っていると思う。museumスタッフにも電話し、お礼を伝える。みんなのおかげです。

 夜は、みんなで早く寝た。僕はアオの両足を持って、John Carroll Kirbyの「Meditations in Music」をかけながら体を揺すった。足を温めた。アオはすぐに寝た。僕とゲンはニホンヤモリの赤ちゃんをしばらく見てた。今回はいつも名前をつけるアオではなく、ゲンが「ファーちゃん」という名前をつけた。今日の素晴らしい1日はファーちゃんがもたらしてくれたように僕は思った。