2022年9月21日(水)22日(木)
2022年9月21日(水)
朝起きて、アオとゲンの朝ごはんを作り、その後、またちょっと寝る。起きて、アトリエへ行き、原稿10枚書いて、お昼はフーちゃんとスリランカカレーを食べに行く。ゆっくりモード。午後は、museumスタッフのももちゃんがアトリエにやってきて、一緒に、ニューアルバム『海について』の発送作業。夕方までかけて注文きた分、全て送り終わる。300枚限定で、あとはmuseumに残り少しと、僕の手元に友人にあげる用のCDが少し残っているだけ。CDはこのポストカード付きのシリーズが、デザイナーのみねちゃんがやってくれたのだが、いい感じのフォーマットになったので、今後もこの形で出していくことになるかも。もう次のインストのアルバム『Music for Depression』も8曲入りで完成していて、さらに石牟礼道子歌集もほとんど出来上がっている。『海について』の追加販売をしてくれというメールが届いているので、重版ができないかと印刷所に聞いてみたりした。音楽はあくまでも作ることが楽しく、さらにCDを作るのもただの楽しみって感じがあるので、無理はせずに、今くらいの規模がちょうどいいと思う。音源自体は、無料でオンラインでは聴けるわけだし。来年の個展のために、また作るのもアリかとは考えつつ。
中央郵便局に持って行き発送を終えて、スッキリして、ももちゃんと二人で橙書店でお茶をする。今日が、橙書店、元々はorangeというカフェから始まったのだが、21周年の誕生日だというので、久子ちゃんに本を一冊プレゼントした。久子ちゃんが読みたい本を自分も読みたいので、2冊買った。ニコール・クラウスの『フォレスト・ダーク』という本。何事も10年やるのは大変だが、20年はさらにとんでもないことだと思う。僕も来年2023年は、2004年に『0円ハウス』という本を生まれて初めて出版して20年目になる。いや、よく続いたもんだ。2004年にやりはじめた時はずっとバイトをしていたし、本も当たり前だが売れるということもなかったし、別に他に仕事があったわけでもなかった。でも不思議なことに毎年、生きのびていた。いつも、そこまで何もないお金もない、と困るようなこともなかったような気がする。仕事は早朝に絞って、あとはバイトをしていたから、そりゃそうなんだけど。でも、不思議なことに、いつも、これどうなるのかな、大変なことになったりするのかな、とか不安を感じていたら、どこかから仕事をもらったり、海外から突然呼ばれて展覧会をしたり、と、お金にはならなかったが、それでも誰かが僕の仕事のことを知って、興味を持ってくれて、それで新しい何かがはじまったりした。どうやって、生きのびたのかって思い出しても、よくわからないことが多いが、しかも3年後には僕はバイトをやめ、さらに翌年2008年にはアオも生まれているが、一体、どうやって生きのびたんだろうか。しかし、たいして不安を感じていなかったのかもしれない。僕は2009年になるまでは躁鬱も激しくなくて、寝込んだりすることもなかった。なんとなく、あの頃のイメージで、もう一回やっていくのはいいのかもしれないと思っている。ほんと何にもなかったし、展望もなかったし、お金もなかったけど、その日その日で思いつくことも全然違っていたけど、その日その日頭に思い浮かんでいることをそのままやってた。それでなんとかなるもんなのである。幸運をめったに起こらないことではなく、雨を降れ、くらいの感じで思ってて、しかも、そうやって頭に入れつつ、体をなんとなく動かしていると、幸運が起きた。こっちに進んだら、木の実くらいはあるかもなあ、って感じの原始人の精神で動くことをやめなかったら、木の実くらいは平気で見つけることができる。だから、多分、これからもそんな感じで進んでいくんだと思う。東京の時は、僕はここで本当に死ぬまで生きていくんだろうか、と想像することができず、かと言って、熊本で生活することも想像できなかったので、地面がないなあと思っていたが、熊本に帰ってきてからはそのことはあんまり考えないで済むようになった。ここで暮らして、ここで死ぬんだろうな、というイメージがある。アオとゲンも、どこかに行きたいってことはないようだ。フーちゃんも生まれた場所でもなんでもないのに、熊本がいいと言ってる。不思議なもんだ。
ももちゃんと別れて、午後6時頃から畑へ。雲が薄く、秋の空になってる。描きたいと思う空を見ながら、畑、秋冬はどうしようかなあとしばし土の上で考える。ヒダカさんが寄ってくる。
「草刈ったなあ、いい土になるぞこれは、刈った草を横にどかして、土を掘って、穴に草を放り込んでまた埋める。一緒に石灰くらいは撒いて。そうすると、またこれはいい土になるぞ」とヒダカさんは自分の畑でも見るように言っていた。ヒダカさんは体調があんまりいいわけではないと聞いて、この広大な畑を一人で管理するのは大変なのかなあと思いつつ。「誰か引き継いでくれたらいいけどなあ」とヒダカさんが言った。
シャンカルとフラン、紺ちゃん、シャネル、四匹は元気だ。ノラ・ジョーンズはずっと姿を現してくれない。シタールはヒダカさんの家にいる。
描きたい絵のイメージがある。書きたい本の中の文章の感じが頭の中で動いている。音楽もそうだ。
やりたいことを色々メモをしておく。でも今は体を無理してまで、それをやろうという感じではないっぽい。徐々に体を現実にならしていきながらやっていこう。
2022年9月22日(木)
朝6時に起きて、アオとゲンの朝ごはんを作る。アオはいつもの卵焼きと雲仙ハム焼いたのとキムチとかぼちゃスープ。ゲンはおにぎり一つ。今日は仕事は休みの日。『ゾミア』が読んでて面白い。国家がどのように成立して、国家ではないものがどのようにあり得るのかってことが今は気になるらしい。ということで、ゾミアの中に出てくるピエール・クラストルの『国家に抗する社会』も買ったのが届いた。午前中はずっと本を読んでた。本を読んでると、必ず僕は寝るので、そのまま寝てた。僕が活動の最初に路上生活者たちの生活を調査していたことの、解説を読んでいるような気分になる。そして、それが今の僕の自分の経済の作り方ともつながっているなと思う。この辺、もっと勉強してみたい。そういえば明治の新政府に最初に抵抗したのも熊本だった。これは渡辺京二さんがしっかりと研究しているので本もある。でも僕は別に抵抗運動をしたいわけでもない。全然、違う層で勝手に生活をしたいと思ってやっている。それは0円ハウスを書いていた頃から変わっていないし、独立国家のつくりかた、で書いたこともその連続だし、意外とずっと同じこと言っているのかもしれない。と、自分ではよく自分のことはわかっていない。はっきりいうと、僕は別に考えて動いているわけではなくて、ただ気分のムラに従ってやっているだけだ。でもそれが何か、その気分のムラが、まとまろうとするエネルギーを拡散させるのかもしれない、それは太古からずっと続いている、国家にしようとする力が湧いた時に、さっと逃げてた人たちとつながっているかもしれない、とゾミアを読みながら思う。ゾミア、むちゃ分厚い本だけど、今度は読了できるかもしれないと思ってちょっと楽しみ。読書ができないと言ってきたけど、最近、本読めてるかもしれない。ま、面白い本なら、昔から、読んでたから、当たり前の話だけど。面白いことなら、なんでもやり通せる。面白くないと思ったら、すぐにやめることを、さっとできるようになると楽になるってことか。日記も書くと、面白いから、ついついやりすぎるけど、適当にやろう。
で、午後は熊本在住のシャーマンに会いにいく。2時間ほど話して帰ってくる。たまにここで会って話すのは刺激になるし、安心する。
夕方から、フー、アオ、ゲンと外出し、電気館へ。中村哲さんのドキュメンタリー映画、劇場版『荒野に希望の灯をともす』を観る。