Tamagawa Journal

2009年5月10日(土)多摩川生活最終日

最終日

朝から多摩川。畑に水をやって、自分の家の採寸作業。午後10時すぎに太田出版の北尾さんと写真家の梅川さんが来訪。本人用のロビンソン・クルーソーのポートレイトをお願いする。そのときにまた色々と話をしていたら、海の話になって、今、一番彼の興味の対象が今は海なのだそうで、そんなこと考えていたら、海底二万海里のネオ船長にも思えてきた。で、その話をすると、彼の考えていたことは明治初期であったにもかかわらず、ほとんどが空想ではなく、その後、実現しているんだからたいしたものだ、としっかりと気にしていることが判明。一体この人は何を考えてるんだ。4月11日に始めて多摩川生活も今日で、ひとまずは一度家に帰ることを伝える。家は別荘としてしばらく残しておくことに。この一ヶ月ではまだまだ全貌を知ることができなかった。まだまだ追加で調べていく必要があるだろう。とか考えていると、「ほれ、坂口さん」というので見てみると、たくさん筍が出てきている。5本ぐらいもらう。半分ヤッさんにあげて、切って、刺身にして醤油で、部屋の中で北尾さんと梅川さんと三人で飲む。その後、いつもの中華料理屋行きますか?ということで、二度目の外食「広蘭」へ。餃子も海鮮あんかけやきそばも美味。ごちそうになる。梅さんのとんでもない話を聞く。酔っぱらって家に戻って仕事を続け、コンさんのところへ挨拶に行く。コンさん「えーっ、行っちゃうの」と寂しそうになり、なんだかウルルン滞在記状態に突入。またちょくちょく来ますからと言うと「じゃ、パイナップルでも開けよう」と缶詰を取り出してきた。裏面を見ると賞味期限2005年と書いてある。しかし、なんとか食べれるものだった。途中でタローも来て、撮影もさせてもらう。コンさんの家の中にも入らせてもらう。コンさんは昨日溜まっていた金25グラムを売って、五万円を手にしている。この人もゴールドマスターなのだ。その後、家の掃除をして、自分の荷物を持って、川崎駅へ行く。なんか長い夏休みが終わったような、海に行った帰りのような、泊まり込みで肉体労働しにいった帰りのような、山の中のシャーマンを訪ねていった帰りのような、不思議な感覚に教われる。タローと川崎でなぜか八丈島料理屋で乾杯し、二人で僕の家へ帰ってくる。この体験が一体なんだったのか、今では整理がつかないが、誰からの依頼でもなく、自分からやりだしたのだが、それでがつんとやられて帰ってきた。しかし、これは絶対に形にしなくては、と思いながら、寝た。

2009年5月7日(木)多摩川生活日記第二十日目

第二十日目

さらに追加の取材。今日はロビンソンもご機嫌なので、なんだろうかと思ったら、どぶろく飲んでいた。僕も貰う。これが美味いんだ。このどぶろくはロビンソンの作ではないのだが、どうやらもう一人どぶろくを作っている友人がいるらしい。美味すぎて一気に飲みきる。で、おかわり貰う。二人でアレコレ話す。で、畑へ行って、茄子の芽が出てきているのを確認し、トマトの苗がかなり育ってきたので、竹に紐で八の字結び。八の字にするのは、こうやっていると茎が太く育ってきても、トマトに負担をかけないからだそうだ。このように彼の行動には全て意味がある。浜大根の新芽は虫がつかないのに、小松菜の下っ端を切って、土に植えて、出てきた新芽はもう無くなるぐらい虫に食べられている。その理由などを教えてもらう。やはり虫も選んでいるのだ。何でもいいわけじゃないんだよ、と。かぼちゃも枝豆も雨のおかげで育ってきた。またロビンソンの部屋で飲みながら話すと、ざるに一杯のさくらんぼ佐藤錦。これ、僕は昔築地で働いていた時に、とんでもない値段してたからね。それを三つぐらい一一度につまみ食いを何度もする。種は、そこらへんに投げとけば、また芽がでてくるさ、とロビンソン。さらに、夢の話を聞く。よし、来た、とその記憶をもとに、また部屋に帰ってきて、原稿に取り掛かる。夜は、ロビンソンに貰った肉を焼いて食べる。取材するのに追われて、色々と訪ねてきたいと言ってくれた人を断ったりしました。またの機会を。

2009年5月4日(月)多摩川生活日記第十九日目

第十九日目

で、朝方多摩川へ帰ってくる。畑の水やり。写真撮影。ロビンソンへの取材。ちゃんとやらんと。しかし、この人、話がいつも凄すぎて追いついていけてません。カラーコンピューター開発者時代には、造幣局から、農業試験場から、京都の染色界から、なんやらかんやら付き合いがあり、その都度新しいからコンピューターを開発していたらしい。色ということは光ということであるからして、光の研究もかなりやっていたとのこと。その時の頑張りの話を聞くと、かなり燃えていた青春だったようだ。しかし、今はどうなのか、そのことについて突っ込んでみた。彼にはまだ次へのアイデアを実は練っていた。そんなことを話す。夜は、タローと麦酒、黒霧島を飲んで酔っ払う。

2009年5月3日(日)多摩川生活日記第十八日目

第十八日目

朝から、書かなくてはいけない原稿に手をつけるも、何とも進まない。多摩川での生活を続けてかなり時間が経ったが、ロビンソンとの取材がうまくいっているのかどうか分からない。今回は鈴木さんの時とは全く違うのである。それは、やはり、隅田川は一時撤去するという条件があったために、何らかの抑制があったのだが、多摩川は完全に治外法権のような状態になっていることに少し、自分が気になっていることも関係していると思う。しかし、ロビンソンの生活は、何か新しい生活の在り方を提示していることは確かなのだが、そこらへんで色々考え続けている。で、うまく気分転換すればいいのに、いつも固まっておかしくなる僕である。仕方がない。その後、タローとコンさんのところへ行って気分を入れ替える。コンさんが持っているカシオギターを弾いていたら、欲しくなってしまい、貰ってしまう。その後は、隅田川へ行き、取材先を変更しようと試みるも、結局は鈴木さんのところで酒を飲んでしまい。夜まで飲んで酔っ払って、気付いたら横須賀にいた。おいおい。おれは何をしているんだ。悩みの日。

2009年5月2日(土)多摩川生活日記第十七日目

第十七日目①

第十七日目②

第十七日目③

第十七日目④

昨日は夜遅くまで起きて仕事をしていたので、午前7時起床。それでも早いけど。朝起きて、すぐ春秋社のゲラのチェック。タイトル案もいくつか出てきている。読み返しながら、手直しをしていく。もう何回も読んでいるものの、これが果たして人に伝わるのかどうか、分からなくなっているところもある。まあ止まらずどんどん進めていこう。その後、午前中、ロビンソンのインタビューを実行するも、やはりあんまり調子が良くないようで、インタビューを少しの間、しないで待っているほうがいいかもしれないと思う。締め切りは迫っているのだが、それは完全にこちらの都合なので、なるようになると信じて、あれこれ対策を考える。一つ思いつく。ロビンソン以外の人物にもインタビューを試みようというものだ。それならば、あの男しかいないと携帯にかけるも出ず。その後、ロビンソンと一緒に家の庭の雑草除去を手伝う。がんがん気合いいれてやっていたら、気づいたら、イチゴの木を枯れた木だと勘違いしてしまっていたらしく、引っこ抜いていた。ロビンソンに弟子入りしているものの、畑、農業の経験が無い自分は、覚えることが多い。とてもじゃないが一ヶ月では無理であることを認識。それでもやると言うと、やらせてくれるから、ロビンソンは本当に心が広い。午後、OKショップで来週分の買い出しを行う。帰ってきたらタローがテントの中に戻っていた。彼との撮影も明日あたりから少しずつ進めていきたい。畑の小松菜を採集し、オムレツを作って昼飯にする。その後、周辺を撮影。夕方、エディロールを取りにいくのと、精神的定期検診のため、国立へ。フーと久々に会って色々と話す。この生活についてお願いされている三つの仕事を全てきちんとこなしたら、素晴らしいのだが、まだ全体像が見えていない。話していたら、少し光が見えてきた。夜、また多摩川へ戻り、バンクーバー原さん、ビル、ミキの三人にトロントでの白夜祭展覧会のための意見交換。小倉さんのパリの国立美術館についての質問。CANのFLOW MOTIONを聴きながら。やっぱりこれいいね。太田出版の北尾さんの差し入れ。感謝。原稿頑張ります。で、午後11時頃外出。たまには踊りを踊らないと、体がなまってしまうので、渋谷へ。タンゴとはらちゃんと待ち合わせしてエイジアへ。ゴッドファーザーを聴きにいく。タローも来ていた。しかし、今日の音は二人のDJどちらも、緩急がない、一直線の音楽だったので、僕としてはとくに踊れなかった。午前5時頃までいる。その後、贅沢にもスタバで久しぶりにラテを飲んでいたら、TOMYtheRoyal、井口、ジュン、と会う。WOMBに行ってたらしい。午前5時半頃電車にのって六郷土手まで行きたかったが、気づいたら、ペリー来航浦賀駅まで行ってしまっていた。まあ、ちょうど良い睡眠になったので、と思ったら、またその反対方法にまでいっていて、家に帰り着いたのは午前10時過ぎでいた。さくらんぼを食べて。ゆっくりする。このさくらんぼ、佐藤錦とナポレオンというとんでもないもので、味は本気で美味。争奪戦になっていた。まあまま、みなさん。リラックス。今日はもう寝ない。

2009年5月1日(金)多摩川生活日記第十六日目

第十六日目①

第十六日目②

午前6時起床。多摩川沿いを勢い良く散歩する。たくさんの人が朝早くから歩いている。良い光景。家に帰ってきて、ご飯とみそ汁と納豆とグレープフルーツで朝ご飯。畑に水やりして、部屋でゲラを読もうとするも、もう既に強い日差しが窓に入ってきて、コロッとしちゃう。隣のヤッさんなんて、あんまりに時間があるもんだからって、竹を切ってきてはお手製の巨大な風鈴を作っている。どこかの山岳民族のおもちゃのようになっている。しかも、下にはプロペラまで付けてる。「時間だけはたっぷりあるからねー、まだあと5つも製作中だからね、うふふ」とこの不況の時代、なんのその。この人は毎日、自生の葉っぱを食べまくっているから、食費0円の時もよくある。焼きそば食べている時はなんだか贅沢しているようで幸せそうだ。クコ茶、ヨモギ茶、柿茶、ドクダミ茶、なんでも作っている。夏はどうやって過ごしているんですかと聞くと、屋根の上に置いてあるビニール製のプールを指差して、これに水入れてさ、パラソル開いて、それで本を読むのさ、うふふと言っていた。ブックオフマニアヤッさん。午前11時半ごろ。コヨーテ編集部佐々木さんと写真家の大森克己さんが再来訪。来月号のコヨーテでのハロー!ワークス拡大版のための写真撮影。そして、ぼーっとしてアゲハ蝶が止まろうとしている僕を見て爆笑。そんな感じで写真撮影を受ける。昼食はご飯とみそ汁と浜大根のオムレツ。11日までに25枚よろしくねーとのこと。太田出版は6日までに30枚だし、よくよく考えると迫ってきている。そろそろ本気で書き始めないといけない。と、ようやく小覚醒。日記を書き始める。佐々木さんから電話があり、それって日射病みたいなもんなんじゃないの?とのこと。そりゃそうかもしれない。毎日、とんでもない太陽を浴びている。雨水だけじゃなくて、たまには普通の水も飲んでね、とのこと。とか言っていたら、雨水40リットル飲みきってしまった。ので、明日からは公園の水を頂くしかない。雨よはやく降れ。でも、雨漏りの修繕三回目が巧くいっているのかな。その後、午後2時頃、六郷土手にて映画制作会社の大作さんと待ち合わせ。たまには喫茶店にでも行きたくなって、駅横のZIONでブレンド飲みながら話を聞く。またぼーっとしてはいたのだが、とても興味深い話をたくさん話してもらい盛り上がる。お土産まで頂く。で、家に帰ってきて、ヤッさんとロビンソンと話したりする。ようやくロビンソンも復活したようだ。「本人」の30枚はロビンソンの語りになる予定なので、しっかりと話を聞きたいが、動きながらじゃないと話さないので、ノートじゃ手に負えない。明日家に帰ってテレコを取りにいくことに。ニンニクを収穫していた。これがまたいい形で美味そうだった。葉っぱが枯れそうになっているものがあったら収穫していいよとのこと。さらに、ニラもできていたので、根元から包丁でざっくり切って、夕食はご飯とみそ汁とニラ玉を作って食べたらこれが美味かった。パリの国立ケ・ブランリー美術館から面白そうな話が来た。その他、海外の方からこの家についてのメールが来ている。

2009年4月30日(木)多摩川生活日記第十五日目

第十五日目

またまたえらく早く起きる。午前中、浜大根と卵でチキンラーメンを食べる。畑に水やり、ロビンソンの仕事の手伝いなどをする。少しずつロビンソンも調子が上がってきているようだ。まだ僕の頭はぼーっとしているが。午後12時に六郷土手に資生堂のPR誌「花椿」の編集部谷隈さん、ライターの萩原さん、とカメラマンの方三人と待ち合わせ。多摩川生活しながらであるが、なんだか毎日人が訪ねてきている。僕の部屋でインタビューを受ける。花椿っていうお洒落な雑誌と僕の家があまりにもシュール。ぼーっとした頭であるが、インタビューに答える。ちゃんと話せたか、ちょっと心配であるが、なんだかいつもとは違う感じのインタビューだったので新鮮であった。その後、僕の家の窓から身を乗り出したりしての、写真撮影。浜大根に囲まれての一枚もあった。ロビンソンは、撮影かー、と言っていた。その後、部屋で春秋社のゲラをチェックする。しかし、まだ活発にはなれていない。

2009年4月29日(水)多摩川生活日記第十四日目

第十四日目

快晴。しかし、体は重い。ロビンソンがソーセージと野菜炒めを持ってきてくれて、それに目玉焼きを乗っけて、浜大根のみそ汁。畑に水やり。その後、またぼんやり。もういつまでぼんやりしてるんですかー、とタローに言われる。と言われてもこういう時は仕方がないのよ。午後2時頃、幻冬舎の竹村さんが来訪。多摩川生活の様子を見に来るも、僕の頭が完全にぼーっとしているのを見て、心配そうな顔をしていた。谷中ゆべしをお土産に貰う。美味。色々話をするも、この毎日快晴続きで太陽に当たられ、取材もなかなか進まず、ぼーっとしている。このままあと二週間できるのか、自信が無くなる。でも種植えてるしな。まあ時間が経つのを待つしかない。メールには色んな仕事の話などがたんまり来ていた。バンクーバーのポールワンの展覧会があるらしい。ポールは僕の絵を買ってくれたコレクター、リックの友人。お家に遊びに連れて行ってもらったから、こりゃ招待しなくてはね。タローと六郷温泉へ行って汗を流すも、まだ本調子じゃない。あー、早くみっちり取材したい。

2009年4月28日(火)多摩川生活日記第十三日目

第十三日目

えらく早く起きる。朝食は昨日のカレー。畑の水やり。早く芽がでないかと僕が覗いているので、ロビンソンに待ちなさいと落ち着かせられる。その後、まだ取材はできず。どうにかちょこちょこロビンソンが起きてきて、畑仕事をやる時に、くっついて話したりする。よく考えたら、レコーダーがいるなと今頃気づく。何でも、彼の発言はちょっとノート取ったぐらいでは反応しにくいほど大事な言葉が入っている。しかし、基本的に時間がだらだらと過ぎ、疲れもあるんだろうか、次第に自分でもよく分からんくなってきた。タローは横で、何やってんすかー、と言っているが頭が動かない。部屋の中でもぞもぞしたりしている。お昼前に太田出版の北尾さんが来訪。6月発売予定の本人の原稿のことについて部屋で打ち合わせ。しかし、こちらは本調子ではないし、なんだか空回り続きだったため、ぐだぐだになっている。これはちゃんとしなくちゃいかん。北尾さんに景気付けに六郷土手の美味しい中華料理屋「広蘭」へ連れていってもらい、生ビール飲みながら、興味深い話を聞く。それでも僕は空元気ではあったが。北尾さんにはよく原稿が書けないと頼ってしまうのだが、いつも鉱脈に触れているから悩んでいるんですよ、と言ってくれるので、三杯目まで頂き、気合いを入れる。昼間から酔っぱらい、書こうとパソコンを開いて、少しだけ進めるも、すぐ止まる。じたじたする。タローは、こちらが立ち上がるのを待っている。昼腹一杯食べたので、夜は何も食べずに寝る。

2009年4月27日(月)多摩川生活日記第十二日目

第十二日目

朝起きて、朝食食べて、水やり。午前10時に六郷土手に春秋社の篠田さん来訪。僕の家でゲラを渡され、打ち合わせ。良い仕上がりになっているのではないか。タイトルはまだ決まっていない。どうにか最終の11日までに決めましょう。篠田さんはゆっくり寛がれていった。午後、タローが京都からやってくる。撮影をしようと僕がけしかけた。タローはイメージフォーラムフェスティバルのコンペの最終審査にまで入っているらしく、気合いが入っている。風邪が長引くロビンソンにはまだなかなか取材をしにくいので、時間を持て余す。夕方、高校の同級生の小島さん来訪。ロビンソンに農業の顧問をやってもらっているのでその話。なんだか、凄いことである。夕方、タローとビールを購入し、飲み、そのまま寝る。起きて、タローが来てくれたので、カレーを作る。

2009年4月26日(日)多摩川生活日記第十一日目

第十一日目①

第十一日目②

第十一日目③

朝起きて、ビニール袋で布団をカバーするための道具を作り、それを持って、多摩川へ。ロビンソンに挨拶。部屋に戻ると、やはり雨漏りをしている。ちょうど落ちるだろうと予想していたところに洗面器を置いていたのだが、水がしっかり溜まっていた。補修作業。かなり微細な穴からも水は染み込んでくるようだ。さらに入念にやってみる。その後、布団カバーを洗濯して、ビニール袋で防備した。こちらもこれでなんとか対処できるかな。午後は、畑作業。昨日の雨のおかげで大部分は水をあげる必要はないが、蒸発と猫が入ってくるのを防ぐためブルーシートを覆っていた茄子コーナーの手入れ。その後、今日は夕方まで原稿に取りかかる。ロビンソンと話をすればするほど、色々な話題が飛び出してきて、しかも、それがかなり豊富な知識と経験に裏付けされたものであるため、それをまとめるのはかなり難しい。どこかの大学の教授をしていてもおかしくないのだ。コンピューター開発者時代には、早稲田大学理工学部で色彩の講義をしたこともあるとも言っていた。仕事を終え、野草を摘んで夕食は野菜ラーメン。食後、隣のヤッさんとお酒を飲みながら、話を聞く。彼はもう五年もロビンソン師匠と付き合っているらしいのだが、それでも、謎に包まれていると言っていた。水平器が壊れているときに、ロビンソンがどうやって水平を測ったか、また、雨水が溜まっているところに夏はヤブ蚊が卵を落とすらしいのだが、それをどうやって対処したかなど、衝撃を受けた体験を話してくれた。午後10時頃まで話して、就寝。ロビンソンはまだ風邪を引いている。

2009年4月24日(金)多摩川生活日記第十日目

第十日目①

第十日目②

第十日目③

午前5時起床。あまり天気は良くない。家で作業。昨日ロビンソンと話したこと、畑について、思い出したことを手帳に書いていく。その後、ご飯を炊いて、ベーコンエッグ丼をつくり、ネーブルと一緒に朝食。今、飲んでいるアップルティーや、みそ汁、ご飯などすべての水をこの前貯めた雨水で作っているのだが、完全に濾過された何の不純物も入っていない真水であるらしい(ロビンソン談)ので、癖が無く美味なのである。水についていろいろとロビンソンと話していると、本当に勉強になる。天災なんかが何も飲む水が無くなったらどうするんですか?と聞くと、朝方、植物の葉っぱの上に溜まっている露滴を飲めばいいのだそうだ。これは、植物の中を抜けて濾過されたものなので、栄養分も入っていて雨水よりも美味とのこと。ロビンソンは南方熊楠のごとくとにかくあらゆることを同時に思考している人である。こんな人は本当だったらもっと人のために活動してほしい、なんてことを僕は夢想するのだが、そういう人が、一番近いけど、一番見えにくいところにいるというのが、逆に面白いのかもしれない。僕たちはもっともっと街を歩きながら、日常を生きながら、解像度を上げていかなくてはいけない。とかなんとか考えていたら、腕、手が痒い。むちゃくちゃ痒い。見ると、見たことの無い形の刺された痕跡がある。ロビンソンに見せても「こんなの見たことねーよ。この周辺の人間もこんなには刺されないよ」と言われ、ヤッさんの腕を見ても何も刺されていない。ロビンソンに貰った布団はずっと外に置いたままにしていたものらしく、どこか外で刺されたというより、やはりその布団が怪しい。こりゃ布団を換えなきゃ駄目かな?誰よりもやられている僕。がっくり。お昼前から畑仕事。今日は、キュウリの苗と、茄子と、枝豆と、かぼちゃを植える。これで五種類になった。畑は夕方前に完成。ロビンソンも仕上がりを見て喜んでくれている。今日は久々にアオタイム。夕方、戸塚の実家に帰る。虫のことを伝えたら、急遽厳戒態勢に入っており、すぐ玄関で服を脱がされ、風呂に入れられる。なんだか収容されたような状態であるが、仕方ない。夕食後、多摩川タイムに慣れてしまっている僕は午後8時前ごろに睡魔が襲ってきて、気づいたら寝ていた。

2009年4月23日(木)多摩川生活日記第九日目

第九日目①

第九日目②

第九日目③

第九日目④

第九日目⑤

午前5時起床。読書をしてたら二度寝してた。心地よい朝。鳥の声で朝が来たのを感じると、まるで東京ディズニーランド、いや、東京ロビンソン・クルーソーランドに入園しているような気分になる。現実とは思えない。本当にロビンソン・クルーソーランドってやったらかなり盛り上がると思うんだけどなー。多摩川の一角を使って、新時代の生活に向けて少しずつ準備できるように、生活体験ができるランド。とかなんとか頭に思い浮かべる。起きて、朝食の準備。今日はご飯を炊いて、納豆と混ぜる。さらに納豆には自生の浜大根をみじん切りして混ぜる。みそ汁も。ベーコンエッグも作り、グレープウルーツも食べる。豪勢な朝食。腹一杯になる。全く痩せない多摩川生活である。三食自分で作り、しかも、残すわけにはいかないので全部食べるので、普段より食べている可能性あり。ロビンソンは肥料を調達しに行っている。午前中畑仕事。今日はトマトの苗を植えることに。まず耕した大地に石灰と化成肥料と鶏糞を混ぜる。とにかくロビンソンに鍛えられている。汗びっしょりかきながら、穴を掘って、そこに草と堆肥とロビンソンが正月からしっかりと熟成した貴重な人糞を分けてもらい、それも混ぜる。これが効くらしい。そして、畝を作って、トマトの苗を六つ植える。そして、竹で支えになる柱を作り、完成。お昼過ぎに今日の作業は終了。畑にまいた肥料がなじむように、そんなに焦らずに、ゆっくりと植えていけば良いのだそうだ。お昼は今日も焼きそば、卵とベーコンと自生の浜大根に今日は自生のソクズもヤッさんにもらって入れてみる。美味。昼食後、ゆっくりギターを弾きながらメールの処理など。午後から、コヨーテの佐々木さんと、写真家の大森克己さんが来て、畑、家、浜大根に囲まれて写真撮影。僕の家の中でビールでお昼から乾杯。牛深ハイヤを歌う。ジャマイカにしか思えん。この生活を25枚くらい書くことに決定。ロビンソンの生い立ちの取材をする。午後4時過ぎに六郷温泉へ。3日に一度の贅沢。温泉。しっかりと垢を落とす。佐々木さんから蕎麦をもらったので、夕食は蕎麦。蕎麦だけじゃ寂しいので、家の前にある柿の葉っぱと浜大根を摘んで、卵と小麦粉をつけて天ぷらを作製。天婦羅蕎麦にする。美味。また佐々木から電話があったと思ったら、今度は違う佐々木さん。隅田川在住の金拾いの名人の方の佐々木さん。「坂口さん、多摩川住んでいるって鈴木さんに聞いたよ。やってんの?」「やってるよ。何だよ、佐々木さん」「いや、さっき、多摩川の水が汚染されてるってニュースやってたよ。いひひひ」この男、とにかく電話魔でよく変な電話してくるのである。隅田川から多摩川へ。一体、何なんだ、これは。そんな感じで、今日も一日がすぎていく。幻冬舎で書き下ろす予定のこの多摩川生活。一体、どんな形にすればよいのか、訳が分からないまま進んでいるが、なんとなく、今日また一つ思いつくことがあった。

2009年4月22日(水)多摩川生活日記第八日目

第八日目①

第八日目②

第八日目③

第八日目④

午前6時起床。昨日は雨漏りしないと思っていたら、結局してた。しかも、自分の頭の上にぽつんぽつんと落ちてきていた。ちょっとずれて横に洗面器を置いといたらばっちりだった。朝から、ソーラーパネルをセットして自家発電開始。うまくいくといい。朝食はバナナ食べて、ご飯とみそ汁。朝から少し原稿の仕事をして、外出。ホームセンターのコーナンへ歩いていき、長靴と種を購入。これだけは買う必要がありそうだ。本格的に畑に進出する気満々でロビンソンの家へ行く。僕のための畑の場所を指定されたので、そこを耕していく。といっても、区民農園とは違い、雑草がぼうぼう生えているので、開墾作業から始まる。初めてやったが、ヤブガラシというザ・キング・オブ雑草の根が深く、強く、やたらと時間がかかる。こりゃまるでダッシュ村状態である。横には野いちごの実がなっていて、食べる。美味。ここは一体どこなのか。コヨーテの佐々木さんから電話。次号のコヨーテでは僕が作った家と多摩川での次世代生活についてハロー!ワークス拡大版をやろうと決まる。はい、がんばります。春秋社の篠田さんから電話。ゲラが来週頭に出てくるそうだ。いよいよ、コンパクト革命(仮)も産まれそう。多摩川に持ってきてもらうことに。発汗。お昼休憩。今日は野草とベーコンの焼きそばを作る。美味。すっぱい味のする野草も入れた。午後3時過ぎにはロビンソンもヘルプに入って、耕し続ける。夕方5時にようやく終了。こんなに大変だとは思わなかった。非常によい経験となる。その後、隣人のヤッさんの描いた漫画などを見せてもらい、ご飯を炊いて、納豆ご飯とチキンラーメン卵入り。雨水で冷やしていたアサヒビールと共に。食後、お湯を沸かし、体を洗う。家、雨水飲んで、野草で飯作って、ソーラーパネルで充電し、コンピューターを駆使し、畑を耕す。一体何時代の生活様式なのか訳のわからないままであるが、僕にとっては実践してみたかった生活が今、目の前で繰り広げられている。何でもやろうと思えば、できるもんだ。明日は茄子とトマトとかぼちゃの種や苗を植える予定。なかなか原稿には置き換えられていないが、とにかく今は体験しつづけていこう、と方針を決めた。

2009年4月21日(火)多摩川生活日記第七日目

第七日目

午前5時頃起床。戸塚の家。エココロ四次元ガーデンの原稿。午前8時に完成。送信。その後、午前9時過ぎに外出。仕事も落ち着いてようやく多摩川生活を再開させる。お昼前にロビンソンの家へ。まだあんまり調子がよくないらしい。自分の家に帰ってきてみると、なんと作らないといけないと思っていた雨樋が出来上がっている。えっ?と思っていたらロビンソンが訪ねてきて、作っといたよー、とのこと。僕は多摩川の父からちょっと過保護に育てられているのかもしれない笑。今日は雨が降りそうだったので、これで雨水を貯めることが出来る。楽しみである。お昼過ぎに京都からタローが訪ねてくる。多摩川、隅田川で映画を撮影してみるという試みを一緒にやってみようと思っている。ビール買って、部屋で飲む。ヴァンダの部屋みたいになるんじゃないすかーとタローは興奮していた。やってみよう。資生堂の雑誌「花椿」の編集部から電話。インタビューをしたいとのこと。多摩川に近日中に来てもらうことに。面白くなってきたもんだ。その後、ナベも彼女のブーちゃんを連れてやってきた。みんなでアフタヌーンティー。バンクーバーの原さんとスカイプ。9月に参加する白夜祭の打ち合わせ。多摩川の家を見て、興奮していた。こんなところでスカイプで仕事ができるというのは本当にSFのようだ。ロビンソンからバッテリーとコンバーターを借りる。本当に何でもこの人は持っている。これで、僕が持ってきたソーラーパネルを使えば、パソコンが永遠に充電しながら使えるのである。これであれば、何も家庭用の電源が必要ではないし、さらには太陽光で発電しているので、もちろん0円である。これは実験して調査していきたい。今日の写真はそれ。とにかく多摩川での生活は可能性を感じさせてくれる。夕方はロビンソンの畑仕事を観察。僕も畑を与えられているので、明日ぐらいから作業に取り掛かってみたらと言われている。夏野菜を育てる予定。タローとロビンソンの育てた小松菜とからし菜を摘んで、そのほかに自生している浜大根とクコの葉っぱも摘んで、ご飯を土鍋で炊いて、野菜塩ラーメンを作って食べる。美味。珈琲をのんでゆっくりする。午後6時過ぎにタローは帰っていった。雨がちょっと降ってきた。今度は雨漏りはしないようだ。部屋で執筆をして、ゆっくり過ごす。

2009年4月16日(木) 多摩川生活日記第六日目

第六日目

午前5時起床。気持ちがいいのですぐ起きて多摩川沿いを散歩する。その後、帰ってきて饂飩を食べる。ロビンソンの風邪がなかなか治らないらしい。様子を見に行くが、体が動かないとのこと。ディスカウントショップOKへ行き、アミノバリュー二箱購入。薬局に行き、風邪に効く滋養ドリンクを購入。持っていく。張り切って、毎日一緒に作業してくれたから疲れたのかもしれない。雨が降った後なので、畑の水やりもしなくて大丈夫そうなので、今日も一日ゆっくり寝てるとのこと。僕は自分の家を手直しして、トイレをしたりする。その後、部屋で原稿を少し書いていく。バンクーバーでのオークションにまた出品することに。明後日、京都でトークショー&ライブがあるのだが、その参加者が100名を超えているのだそうだ。参加費2000円でこれは凄いんじゃないだろうか。ということで、ライブがんばらなくてはいけないのでひたすら野原でギターをかき鳴らす。午後2時頃、コヨーテ編集者佐々木さんがビールを持って視察に訪れる。6月号で、多摩川生活の特集をハロー!ワークスの番外編でやることになった。本人でも書くことになっているので、月末までに結構な原稿の量が必要になってくる。佐々木さんと飲みながら気持ちの良い昼下がり。午後4時過ぎに佐々木さんと一緒に多摩川を離れる。明日はフーのおばあちゃんの告別式、明後日は京都なので今日から一時帰宅する。その前に、恵比寿で降りて、ミネちゃんの事務所へ行く。ケイちゃんにイラストを頼まれたので得意の即日目の前イラスト作成。ケイちゃんが寿司を買ってきてくれた。食べると、胃が少しびっくりしている。楽しいイラストを数点描いて、家に帰ってくる。スペクテイターの立体読書新作、バンクーバーに送る絵、ロンドンに送る資料、色んなことが同時進行している。作業をするも午後9時に寝るのに慣れているので眠い。

2009年4月15日(水) 多摩川生活日記第五日目

第五日目①

第五日目②

午前3時頃目が覚めると、雨がほどほど降っている。気づくと、ポタポタと水の音。来た来た、雨漏り。それが嫌じゃなくて、イベントのように感じられるから不思議である。普通に家を借りていたら怒るんだろうけど、自分で作ったら、そうも言ってられないのである。とりあえず、鍋を持ってきて、それを置いて、寝る。午前6時頃また起きると、雨はすっかりやんでいた。これまたロビンソンの予報通り。なんだろうこの人は。もう既に、僕の師匠でありながら、父親のようでもある気がする。いっつも怒られるんだけど、その後、フォローしてくれる。挑戦しようとしていることは認めてくれているらしい。朝、陽気。雨の後に、天気がよくなることがこんなに気持ちのよいこととは。鳥が喜んでいるように歌っている。虫たちももちろん交尾をどこそこで行っている。とりあえず、ご飯を土鍋で炊きまして、みそ汁を作って、その辺から、また自生の浜大根の新芽と花を摘んできて、みそ汁の中へどぼん。ソーセージも湯がいて、珈琲入れたら多摩川モーニングセットの出来上がり。おーうまそうだなとロビンソンに褒められる。うれしい。その後、昨日の雨漏りの修繕作業。ロビンソンに雨漏りしたら、その部分よりも高いところに穴があると教えられたので、脚立を使って屋根の点検。あったあった三つも小さな穴が雨漏り部分よりやや高いところにあった。こうやって知識と実体験が合体する瞬間は、子供の時に自分がやろうと意識したものを上手にクリアできたときの興奮に近い。喜んでロビンソンのところへ走って修繕完了しました!と言いにいく自分がいる。こんな陽気は素晴らしい。おもわずフォーションのアップルティーを開ける。コンさんのところへ遊びにいくと、ペプシの1.5リットル新品をくれた。落ちてたそうだ。坂口さんには何でもあげると言ってくれた。こんな友人がいるのは心強い。彼はロシアの血が入っていて大男。映画に絶対出てきそうなキャラクター。その後、川崎駅まで行く。今日は、誕生日を祝いに、フーアオが来てくれる。喜んで駅まで迎えにいく。久々に行く駅は大きくてちょっとびっくり。歩いて僕の家まで。ロビンソンに挨拶して、フーが焼いてきたチーズケーキを渡す。どうやらロビンソン、連日の僕との小屋作りに疲れたのか風邪引いたらしい。すんません。今日は僕も作業はやめて、ゆっくり。というか全く原稿を書く気になれない。そんなことより、外を歩いて、新緑を味わう方が先だと思ってしまう。ここでは。フーアオと三人で家の前でピクニック。柿、レモン、梅、スモモ、桃の木に囲まれながら三人でアップルティーを飲みながら、チーズケーキを食べ祝う。アオは柿の新緑を触りながら楽しそうだ。こんなところで子供が育ったならば気持ちのよい人間になるだろうな。しばし、ゆっくりして、その後六郷土手駅まで送っていく。バンクーバーの原さんからメールがありやり取り。それがこの多摩川で出来るというのも面白い。さらにMONOCLEというロンドンの雑誌から0円ハウスの写真を掲載したいとのオファー。この雑誌はWALLPAPERの編集長がやっていて気になっていたのでとてもうれしい。すぐに画像を送る。山口県の大島から紅さんがメール。新しい仕事の依頼。なんだか、多摩川なのに色んなことが蠢いている。ロビンソンに栄養ドリンクの効き目の強そうなものを買ってきて持っていった。そしたら、ロビンソンが起きてきて、なんと肥だめ用の白バケツをとうとう僕に渡してくれた。それまでは、まだまだ、と言っていたのに。少しずつ認められている。これで排泄物を肥料に変える実験を始めることができる。後はゆっくり窓を開けてパソコンし、読書。日が暮れる前に日記が書き終わる。生活の時間帯が少しずつ変化している。何人かの知り合いから多摩川生活日記面白いですとのメール。感謝。夜、試しにバケツでトイレをしてみた。さすがに家の中だと匂いが残りそうなので、これからすべて外に出て貯めることにした。一ヶ月後にロビンソンに肥料としてプレゼントできれば素晴らしい。

2009年4月14日(火) 多摩川生活日記第四日目

第四日目

午前6時起床。雨が降りそうだったが、ロビンソンが絶対に降らないと言うので安心してたら本当に降らなかった。この人海洋気象もやっていたので、とにかく人肌で天気予報ができるのだそうだ。そこらへんのテレビに出てくる数値だけしかみれない予報士は駄目だ、と言っていた。その通りかもしれない。彼は外にでて15年、その前は船員だったこともあり、とにかく天気は当たるのだ。近所に住むおばちゃんもロビンソンさんの予報は当たるからねと自慢していた。幸せそうなロビンソン。で、朝から昨日太田出版の北尾さんからの差し入れである新井英樹氏の「宮本から君へ復刻版第四巻」を読みながら朝焼けの涙。多摩川暮らしをする自分とついつい重ね合わせてしまった。とかやっていると、ロビンソン。朝食食べたかー?といいながら野菜炒めを持ってきてもらう。僕は貰った土鍋でご飯を炊いて、それとハムで朝食。美味。雨が降る前にやっちまおーということで、すぐ午前9時より仕事開始。今日はなんと窓を付ける。しかも、「可動式にしたい」という僕のわがままを文句言いながらも喜んで受け入れてくれた。レールまで作って、窓を開けられるようになった。感動。これはもうイガヤクニオの家ではないですか?H.D.ソローのウォールデンの小屋ではないですか。興奮して、座ったり、眺めたりする。三畳間なのに。こんなに興奮するのである。人間これでいいじゃないか。というかこれが一番いいじゃないか。僕は31歳にして自分が一番満足できる小さな空間を手に入れた。コルビュジェの小屋の気持ちもよく分かった。写真見てくださいよ。いいでしょ。ぐふふ。午前10時からテレビディレクターの津金さんも入って、撮影。というかもうロビンソンと僕との仲間入りなので、撮影というかなんというか。津金さんも感動してくれていた。部屋の中へ入って、珈琲飲みながら、牛深ハイヤを歌ってあげた。これは来週の京都でのライブの練習も兼ねて。その後、コンさんから預かっていた金と白金をもって質屋へ。なんと本物の18金であった。7000円換金。それを持って、コンさんのところへ行くと喜ばれ、しかも1500円お駄賃くれた。なんとここで仕事まで見つけたのである。金売りの代行。コンさんは一つ500円で業者に売っていたらしいので、これからは全部坂口さんにあげると言っていた。稼いだので今日はご褒美で、六郷温泉へ。こんなにお風呂が気持ちのよいものだとは。一時間浸かる。疲れを癒し、部屋へ戻り、ランプに灯をともし、読書。ソローの気持ちが身にしみる。誕生日を祝うメールがいくつか届いた。感謝。家はほとんど完成。明日は最終的な仕上げ。ここが今月と来月の坂口恭平研究室兼打ち合わせ事務所となる笑。看板を作らないと。とか言っていたら、雲行きが怪しくなり、雨が降ってきた。ちょっと怖い。雨がこんなに怖いものとは、しかし、それは雨水を飲むロビンソンにとっては恵みの雨でもある。初めての雨の夜。ロビンソンといることがとても安心なことであることを実感する。

2009年4月13日(月) 多摩川生活日記第三日目

第三日目

午前6時起床。天気がよい。鳥のさえずり。ロビンソンは朝はゆっくり過ごされているので、僕もゆっくりする。多摩川沿いを散歩。本当に贅沢な日々である。そりゃ生活は便利ではないけれど、自前の場所があって、周りには緑が恐ろしくたくさんあって、アゲハチョウは僕の目の前で交尾をしている。春まっさかり。そして、今日は僕の誕生日。といっても何にも関係なく、多摩川な日々を送る。フーアオはもうちょっとしたら来るといっていた。31歳にもなって、嫁と子供を置いて多摩川で小屋建てて、それが僕の本業なのだから、人生とは面白いもんだなと歩きながら思う。野草図鑑を借りたので、それを手に、自生している浜大根の花と新芽が道に繁殖しているので、トムソーヤのごとくそれらをつまみとって生で食べながら家に帰ると、隣人のヤッさんが、「おっ、生で食べておいしいんなら、この生活合ってるかもね」と言われる。なんだかアフリカでの日々を思い出した。ヤッさんは僕がコンさんに貰った、ブレンディーとフォウションのアップルティーに興味があるらしく、これまた自生しているクコを乾燥して煎って作ったクコ茶と交換。クコ茶、甘い。美味。ヤッさんは絵描きで、興味深い絵を描いている。次は絵本のコンペに出そうと意気込んでいた。愉快な人。食事はほぼ0円で、自生の野草でお茶を作り、おひたしを作り、炒め物を作って生きている。5年目になるそうだ。ロビンソンにすべてを教わったそうだ。そろそろ小屋作り作業。今日は勢いづいて、一気に屋根と壁も出来上がった。かなりいい感じである。横にはレモンと芭蕉が植わっているし、なんだか南国の集落の小屋のようだ。お風呂のドアまでつけちゃった。ヤッさんが嫉妬している。31歳にして、自前の一戸建てを持つことになった笑。とにかく色んなことを吸収しよう。ディズニーランドよりも、ロビンソンランドっすよ、と興奮して言うと、ロビンソンは笑いながら、まんざらでもなさそうで、「エコ、エコっていうけど、あれはエコノミックアニマル、つまり日本人自分たちのことを言ってんだよ」と言った。彼には思想がある。小屋を早く作り上げて、ロビンソンの取材をしたいと早まっていると、ロビンソンは落ち着いてまずは自分の住処をちゃんと作りなさいと言われた。ヤッさんは「おいおい、これじゃ、十年戦士用の家じゃないかよーー」とまた言っていた笑。春秋社の篠田さんから単行本のレイアウトが送られてきた。月末には校正が出てくる。そんな作業やりながら灯油のランプの中、仕事をする。

2009年4月12日(日) 多摩川生活日記第二日目

第二日目

午前6時起床。鳥の鳴き声で目を覚ます。曇っておりちょっと寒い。ガスコンロでお湯を沸かし珈琲を飲み一服。ロビンソンのところへ行くと朝食をごちそうになる。炊きたてのご飯とみそ汁と野菜炒め。みそ汁の作り方にまた発見がある。今日は僕の小屋作り。滞在する約一ヶ月間の間だけ住めるための場所を作る。今回はロビンソン師匠にゼロから小屋作りのイロハを教わりながら制作する。まずは縄張りという作業。建築学科を出ているのにもかかわらず、大工で家を二軒ほど建てるのを見ているにもかかわらず、そういった決まった行程ではない状態で人間が住む家を作ることの現実感が無い。これはいかんな。しっかりとロビンソンに叩き込まれる。取材に来たつもりが、完全に弟子入りである。しかし、今回は完全にそこに入り込んで体験し、その中でロビンソンが人々に伝えようとしているものを感じ取ろうと思っている。昼過ぎに太田出版の北尾さんが家族を連れてやってくる。その後、亮太も来て、作業を一緒にしたりする。二軒隣のコンさんとも話す。周りの人にも挨拶などをする。猫を世話しているおばちゃんに自家製カブの漬け物を貰う。ここでは、僕も自立してやっていかなくてはいけないと実感。そして、そんなとき、どうすればいいのか、なかなか実体験を伴っていないのですんなりアイデアが出てこない。まあそうやって少しずつ勉強していくんだろう。天変地異が起きたときの話、ロビンソンの生い立ちなどを取材しながら小屋作りは午後5時頃まで行う。夜は白飯を分けてもらい、みそ汁、焼きそばを自分で作り、これまた貰ったビールも。まだまだお世話になりっぱなし。隣人に、自生している植物の見分け方なども教わる。一体ここはどこなんだ。取材より先に、まずはここをしっかりと体験するのが先決だ。

2009年4月11日(土) 多摩川生活日記第一日目

第一日目

落ち着かず午前3時起床。そりゃ落ち着くわけない。興奮して目が覚める。その後目をつぶってイメージトレーニング。全く準備していない。どんな生活を送るのかも分からない。第一、煙たがれる可能性大。でもそんなの気にしない。これは未来の住宅へのヒントが隠されているのだ。私欲を無視してほっぽり出して、未来の人間の為に可能性を探しだそうと思う。午前9時前に戸塚を出発。フーアオとしばしの別れ。といってもすぐに僕の誕生日が訪れるので、多摩川に遊びにくるらしいが。アオにも見せたい。色んな生き方があるんだということを。何でも駄目駄目言ってんじゃなくて、何でも体験させて育てたい。それでないと嫌か好きかなんて理解できる訳が無い。そのためには親が何でも恐れずに体験しないといけないのだ。それを信じて身を以てあらゆることに挑戦していきたい。で、午前10時前に川崎駅へ。テレビディレクターの津金女史と待ち合わせ。彼女も僕のドキュメンタリーを撮りたいと考えてくれているぐらいなので、挑戦そのものだと思う。ぜひ成功してもらいたい。で、多摩川のロビンソンクルーソーの家へ行く。今日からお世話になりますというと、本当に快く受け入れてくれた。彼は僕を買ってくれている。これは本当にがんばらないとな。ゾクゾクする。今日はまず、この間ロビンソンを紹介した高校の同級生である小島ちゃんのやっている畑の顧問をロビンソンがすることになったので僕も手伝いに行く。横浜のいずみ野へ。初めて畑を耕す。その後、いろいろな植物、野菜の名前と形状を教えてもらう。これはとんでもない体験になるかもしれない。とにかく興奮する。二時間ほど作業をして多摩川にかえってくる。その後、僕の仮小屋の作成。すぐにできあがりびびる。インターネットを試すと、イーモバイル完璧につながる。電源もロビンソンの発電機を使うとばっちりであった。これがアップルが60年代にやりたかったことだと確信する。夜はロビンソンがラーメンを作ってくれた。豚の脂も入っていて美味。ビールも4本も貰う。なんだなんだ。この生活はいよいよはじまる。だから日記も即日更新ができるのである。明日は太田出版の北尾さんと亮太が遊びにくるらしい。二件隣のKONさんのところへ遊びにいくと、ギターを貸してくれた。これで来週の京都のライブの練習もできる!!!。いやー、坂口さん来たのー!なんて喜ばれ、この社会に認められたことを実感。午後8時前ですが、ビール飲んでもう寝ます。朝は鳥の鳴き声がすごいらしい。ジャングル生活はじまりはじまり。

0円ハウス -Kyohei Sakaguchi-