Journal -坂口恭平の毎日-

Archives(過去の日記)

2010年11月18日(木)

僕はこの日を一生忘れないだろう。今まで生きてきて、こんな体験、確信を得たことはなかった。とても感じの良い綺麗な中華料理店。だだっ広い空間が広がっているが、お客さんは僕たちだけ。その時点で空間が変容しているということを知覚した。前田さんという方と初めて出会う。出会った瞬間に僕は理解した。彼女は僕の話す言葉を「まるで音楽みたい」と言ってくれた。僕からはそのことをいつも必死に説明していたのだが、それを相手からしかも初対面で言ってくれた人間はいなかった。その時点で何かが変化していた。僕は今から世界中で一番会いたいと思っている人に会うことになる。そして、それは憧れではなく、会わなくてはいけない、会うと始めから決まっていることだったのかもしれない。先日、ビートたけしさんと一緒に多摩川を歩いていたときに、回りの人間に「なんでお前はたけしさんと歩いているのにそんなに冷静なのだ」と驚かれたのだが、僕としては何も不思議なことはなく、なぜかその時、頭で鳴っていた言葉は「次のステージのための練習をしているのだから、しゃきっとしなさい」だったのだから。変えなくてはいけないのは、日本という誰かが勝手に決めた境界線によって現れた「国」なのではなく、世界中すべてのことだったことを理解した。僕はなけなしのお金で2004年にパリに飛んだ。そこで出会ったヴェネチアビエンナーレのディレクターだったホウハンルゥは僕を見て「キョウヘイ最高」と笑いながら言った。バンクーバー美術館のブルースグランヴィルは高円寺の僕のボロボロ四畳半に直接来てくれて、僕の作品を見て「グレイト」と言ってくれた。そのことなどが走馬灯のように駆け巡っていった。そして、今までの32年間が全て準備段階だったことを了解した。今までの人生、僕は小学生の時に確信した地図を持ちながら生きてきた。つまり、全ては答えがあった。もちろん、現実社会はそんなに簡単なものではないから、僕は必死に肉体労働をしてきた。しかし、それで疲れているときでも、僕は絶対に絶望せずに希望を持ち続けた。なぜならば地図を持っていたからである。僕はやらなくてはいけないことがあった。だから、ただただ歩いてきただけである。いつか自分が求めているような世界に到達することだけを信じていたからである。そして、今、僕はその場所に立っている。そこで感じたのは、自分が死にものぐるいで戦ってきたことは、実は準備段階だったんだということだった。そして、今、次の地図を渡された。地図が塗り替えられたのである。しかも、ところどころ見えなくなっているところがある。つまり、答えはない。つまり、ここがスタートなのである。今日、朝起きた時に、いつも同じように来る朝を見ながら、その朝が実は毎日違うんだ、毎日新しく生まれ変わっていることを初めて知った。その瞬間に僕が一番好きなアルバム、ボブディランのNEW MORNINGの曲が頭の中でちょうどよい音量で鳴った。そう、今日はまさに新しい朝なのである。ここからすべてがはじまる。そして、僕はやらなくてはいけないことがある。自分という存在が完全に消失した瞬間を、完全に自分の目で見てしまった。見てしまったのだから、動かなくてはいけないのだ。だから、僕は歩きはじめようと思う。今まで2004年3月から毎日、とはいいつつもさすがに絶望に浸ってしまっているときは書けなかったときもあるが、僕は日記を書いては公開してきた。今では一日に1000人以上の人たちが見に来ては、様々な感想を述べてくれたり、励ましてくれたりしてきた。そして、僕は今日この日、この7年間続けてきたjournalを公開することをやめる。僕はこの日記を、今、この瞬間、何か迷っていたり、自分がやりたいことができないと嘆いていたり、たとえやったとしてもうまくいかなかったり、自分の才能を気付いてもらえないと絶望したり、誰の目にも触れることなく作品を作り続けているような人々に向けて書いてきた。つまり、この2004年3月25日~2010年11月18日までの完全な記録は、それ自体が「生きのびるための技術(アート)」だったつもりである。何か困ったことがあったり、どうにかしたいともがき苦しんでいる人がもしもいたら、いつでもアーカイブを遡って読んで欲しい。この日記には実は時間は存在しない。それはまさに技術が書かれた説明書であると思っている。そして、僕はとうとう始めることにする。歩き始める。しかし、これからの日々はおそらく人が読んでもまだ訳の分からない世界になるのでは、と思った。もちろん日記を書くことはやめない。日記を書くことはいつも僕自身を励ましてくれた。だから描き続ける。ということを妻であるフーに伝えたら「あなたが決めたことだったら、それでいいんじゃない。7年間お疲れさま」と言われた。アオは寝ているが、今日僕が外出前にアオに作ってあげたクリスマスの飾り付け用の雪だるまを、アオは僕の外出後に影響を受け真似をしたらしく、その作品が壁に貼ったクリスマスツリーに付いていて、それを見て爆笑しながら感銘を受けた。よしよし、それでいいのである。もっと多くの時間を家族と過ごそう。さらに、僕の頭の中には「とにかくあなたの仕事を止めずにつづけなさい。とにかく机に座り続けて書き読みなさい。とにかく世界中を歩き様々な人々に会い、その人たちの言葉に耳を傾けなさい」という音楽が鳴り響いていた。いつか僕が完成したと感じた時に、また公開します。いつになるかは分からない。とにかく、僕は今すぐにやらなくてはいけないことがある。希望があるということを人々に伝えないといけない。そういう音楽が鳴ったのである。みなさん、御精読ありがとうございました。またjournalで再びお会いしましょう。よーいスタート。

2010年11月17日(水)

家に帰ってきて作曲作業。東京都写真美術館の原稿が書けない。眠くて。その後、フーアオとしばし会い、その後、すぐに外出。新宿三越のカフェにて太田出版の梅山くんと待ち合わせ。午後4時にフジテレビのディレクターの方と待ち合わせ。「ホンマでっかTV」の出演依頼。たけしさん次は明石家さんまさんである。次はタモリさんがいい。その後、TBSのディレクターの方と続けて打ち合わせ。ネプチューンが出演する新番組の出演依頼。どちらもかなり面白そうな企画である。なんだかすごいことになってきている。午後6時半からジュンク堂新宿にて佐々木中×坂口恭平のトークショー。今日、僕はほとんどノープランで何を喋ろうと全く考えないできたのだが、佐々木中兄さんを見てたら、言葉が飛び出してきた。僕は佐々木中と出会って本当に幸せな人間だと思った。しかも、こんなに違うことをやりながら同じ使命を感じていることに誇りを感じているし、だからこそ絶対に公言していることは実現せねばならんと身を引き締めた。僕は佐々木中さんの可能性を佐々木さんより感じているつもりである。そのことを伝えたかった。これは単に友達だから言っているわけではない。今、僕たちはそのような瞬間に立ち会っている、そしてそれは僕が小学生のときから夢想していた、いや具体的なイメージが見えていた躍動するような時間である。それぞれの人間が死を覚悟して、自分が感じている使命を全うするために戦っている。それをどうして助け、励まさない方法があるだろうか。私利私欲を捨て、書物の中の秘境を探検し、腹を空かせている僕に食事のための獲物を狩ろうとしている男を、僕はまじまじと凝視し、感謝し、応援しなくてはならない。そして、それは佐々木中さんも僕に同じことをしてくれている。それが僕が求めていた親友である。中兄さんはmy menというのかも。そして、そんなほぼ狂気の渦の中にいる二人の対話を見てきてくれた人々たちに対して、佐々木中さんが「明日死ぬかもしれないのに、その場に行くと予約し約束をするというのは、祈りに近い作業だ」と言葉を吐き出した時、僕は泣いていた。本当に最近涙腺が緩くてあぶないな。泣いたら狂っていると思われるから、泣かなかったけど、泣いていた。僕は、自分よりも自分のことを信じてくれる人たちによって形成されてきた。それはたぶん中兄さんも一緒だと思う。僕が築地市場で、本が完成せず絶望しそうになっていた時、お前はまだ作品は作れていないが、私はお前を信じる。君には使命がある。ヴィジョンがある。社会を変えることを実現化しようとする意志があると言ってくれた人がいた。それがフーなんだけど。みんなはバカにしていた。そんなことできるわけないと。でも、今、僕がそのことを口にしても誰も笑わなくなった。もしかしたら可能性があるのかもしれないと思ってくれているのかもしれない。実はそんなこと僕は何にも気にしていないのだが。なぜなら確信しているからである。だから、僕は磯部涼に会ったし、佐々木中に会ったのだと思う。しかも、二人ともまだ会って7ヶ月しか経っていない。トーク終了後、来てくれた人たちから多くの励ましと感謝の言葉をもらった。なんかすごい場ができていたなあと思う。しかし、僕と佐々木中がやりたいと思っていることはまだ始まったばかりだ。くすぶっている間に、肉体労働をし続けていた時に、金が無くて家賃が払えないで、電気代が払えないで、フライパンに蝋燭を立てて四畳半の家に女の子を連れてきて雰囲気あるねえと言われていた時に、それだけでは絶望し押しつぶされてしまうから、とにかく必死に考え続けていた無数の実現しなければいけないことがある。僕は今日、僕と佐々木中さんは、ただ生かされているんだと思った。生きているのではない。とかそんなことを零塾では徹底的に教育していきますので、興味がある人はぜひ。また受講希望者のメールがきた。嬉しい。零塾なんてやって、何を大変なことをやろうとしていると思われるかもしれない。しかし、どんどん放出し、贈与していけばいいのである。零塾をやると考えてから何かおかしなことが起きている。180万円が入ってきた。そんなものである。たぶん。全てを手放せばいい。オープンにして誰がいつでも割り込んできても自由に使ってくださいという精神でいればいい。だから、ご心配なく、0円で受講してください。ちゃんと生きていくためのお金、零塾の運営資金は他でしっかりと稼ぎますから。そして、自分の感覚だけを使った面白すぎる商売ではない稼ぎ方も教えます。そして、僕が一番信頼している人間たちを講師として呼んだりしたいと思っている。ちゃんとギャラは一万円払おうと思っている。それでいいじゃん、なんでもやったれ、と人生棒に降ってます。棒に振った人間は強い。そして、人はなかなか簡単に棒に振れない。それを教えたい。自分に価値があるなどと思ってはいけない。無知で、無力で、無名であることをまずは自覚すること。そこからでしか人に優しくできない。人に優しくあれ。僕はいつもその言葉を人たちから教わってきた。人の悩み、絶望を完全に自分の問題として引き受ける。もう自殺者は出したくない。死ぬ前に僕にメールしろよと思う。でも、完全に鬱状態に入ってしまっている時には誰にも相談できない。どうすりゃいいんだよ。若い人間たちは一様に自分のことしか考えていない。それが間違いであることを教えないといけない。君は何もできないんだと。そこから始めないと。僕は石山修武にも、路上の先人たちにも、サンワ工務店の山野さんにも、それを教わってきた。そして、僕に一度でも会ったことがあったら、忘れずに十年後も気が向いたら、連絡してくれよ。僕はそうしてきた。それはとても恐いことであった。自分が何も成し遂げていないのに、会えないのである。だから必死になる。それは自分のためではなく、人のためなのではないかと思った。そして、それができるようになってくると、次に社会のために人は生きるのではないか。それを教えなくてはいけない。僕、本気ですから。

2010年11月16日(火)

朝から外出。午前10時に多摩川へ。モバイルハウス作りの続き。イヤー家を建てるというのはなんでこうも楽しいのだろうか。これは人間みな体験した方がいいのではないか。映画監督の本田さん、集英社の飛鳥さん、僕と三人なにやら興奮気味。お昼は大ちゃんのところでお弁当。みなで食べる。美味。映画監督の本田孝義と映画化の話について打ち合わせ。今作っているモバイルハウスの作り方と今までやってきたトークショーなどを編集して、坂口恭平のドキュメンタリー映画が製作されることになった。多摩川文明とはまた別にです。来年11月公開予定。その後、午後4時まで家作り。その後、渋谷へ行き、エココロ編集部へ。えりちゃんと打ち合わせ。次号のエココロで建築家の石上純也さんと対談するかもしれないが、前回のように駄目かもしれない。その後、表参道へ行き、なぜか通りで先日母校、熊本高校の先輩、ダイアモンド社の千野さんとばったり会って、話す。その後、磯部涼が対談を終わってきていたので、二人でゆかりへ行き、牛鍋を食べる。ここの牛鍋美味いんだ。リトルモアの田中ちゃんと松本ちゃんと四人で。その後、先日UNITで会った大豆と会って、三人でバー語観。その後、けいすけとむげびとあへんくんが登場し、結局、気付いたら朝10時にジョナサンへ行っていた。先日購入してくれたオブライエンからメール。臨時収入!つくばでトークショーを企画される快諾。明日は佐々木中さんとトークショーだというのに、何をやっているのか。

2010年11月15日(月)

朝から外出。午前10時に多摩川へ。今日から集英社すばる「モバイルハウスのつくりかた」連載第5回のためのモバイルハウス作りを開始する。先生はもちろん多摩川のロビンソンクルーソー。まずは、足場をちゃんと整地しなさいと言われ、草を刈り、荷物をどかし、整地。ロビンソンって、本当に出てくる言葉が詩みたいなんだよなあ。佐々木中兄さんを連れてきたいなどと妄想。タクシーに乗ってコーナンというホームセンターへ。材料を購入。僕の書いた図面を元に、ロビンソンと材料選び。全部で2万6千円であった。って、これ家の値段ですからね。こんなのありえないかもしれない。興奮する。軽トラックをホームセンターで借りて、多摩川まで持ってくる。今日はこれにて終了。マルチネレコードのパーティーの余波が続く。ギークハウスに連れて行ってもらうことに。あと主宰者のtomadにもメールを送る。ちょっと色々と構想している。僕の考えていることと何か同じ匂いを感じるからだ。imoutoidについても聞きたいことがたくさんある。零塾の受講希望も来ている。嬉しい限り。早稲田大学の卒業生パーティーにて僕と現千葉市長の熊谷さんの対談が企画されている。来年の1月。こんなこといいのだろうか、と驚きつつも、もう今は何でも有り得るので、とにかく頑張ろう。千葉で0円ヴィレッジ計画をしませんかと提案してみたい。ふふふ。

2010年11月14日(日)

朝から起きて、多摩川に行こうとする。集英社「モバイルハウスのつくりかた」第5回。いよいよモバイルハウスを作るために。ところが結局昨日coyoteハロー!ワークスの原稿書き終わらず、それはやばいので作るのは明日と明後日の二日間にした。ちょっと仕事が溜まってる。ハロー!ワークスの原稿描く。零塾の入塾希望者からメール。原稿はすぐに進み、5000字書き終わり送信。その後、東京都写真美術館の展覧会のためのエッセイを書こうとするも、imoutoidばっかり聴いている。で、ついつい自分でもやってみたいくなってしまい、急遽ガレージバンドで曲を作る。何をやっているのだ。しかし、忙しい時にはいつも曲を作りたくなる。これは一体なんなのだろう。しかし、難しい。結局12時まで作って映像を付けていた。締め切りは迫っている。カントリーロード初音ミクver.とJAYーZのIZZOと森田療法の森田正馬の神経衰弱の治療の仕方についての肉声を混ぜてみた。トラックは全てガレージバンドのサンプルを切り貼りして作った。映像はアルゼンチンの映画「moebius」。編集はimovieで。つまり0円。

2010年11月13日(土)

午後1時に帰宅。というわけで眠くない。仕事をする。三井不動産の本のために依頼されているドローイング。三井不動産とはいつか絶対に仕事をすることになるだろう。というか今それをやっているのだが。この前、カナダ人のパトロンたちと多摩川ツアーに行ったのだが、その後、彼らはなんと豪華リムジンバスに乗り込んで大林組の社長の家へ行ったらしい。そこで、彼らは興奮して「さっき、とんでもなくやばい坂口恭平と会ってきた」と言っちゃったらしい。で、大林組の社長は「えっ?それ誰?」と当然の返答をしたのだが、パトロンたちは納得がいかなかったみたいで「おいおい、なんで知らないんだよう。それ、やばくないですか?」と言っちゃって、僕の作品について詳細に説明してくれたそうだ。社長、興味津々だったそうな。いいぞー。ゼネコンの社長たちともちゃんと話したいのだ。こちらはアイデアがあるわけで、何も巨大な建築物を建てなくても、稼げますよと話をすればおそらく納得するのでは、と勝手にこちらは妄想している。こちらを読まれた社長の方ぜひご連絡ください。ということでドローイングに取り組む。いい絵が描けたので送信。その後はずっとimoutoidを聞いて、彼の親父さんが書いている回想録を読み、本当に泣いてしまった。18歳で死ぬのはつらい。しかし、その才能がなかなか社会に伝わりにくいのはもっとつらい。彼の作品は芸術である。なんか自分のことのように悔しくなってしまった。とにかく若い人間にとんでもない可能性があることを伝えないといけない。生きのびる技術を伝えないといけない。絶望なんかしている場合ではないことを知らせないといけない。僕には希望しかない。そういう人間がいることを知れば、何かのきっかけになるかもしれない。僕は、石山修武氏からお前はすごいんだから絶対に飢え死にしないでくれと言われた時に、生きなくてはいけないという使命を勝手に感じた。隅田川の鈴木さんに会ったときに、初めて希望しかない人間を知った。そういう邂逅を作らないといけない。と勝手に使命を感じてます。僕にはそのような出会いが幸運にもあった。ならばそれを無償で提供しなければ。僕は石山修武氏に「お金が無いので、しかも卒業証書とか全く興味ないんですけど、先生のところで本気で学びたいから、0円で大学院に入れてくれ」とお願いしたら、バカやろう、と言われた。その後、彼は大学院の試験を僕が受けなかったことを知った瞬間に、直接電話してきて、おれのところでとりあえず社会というものを学べと言ってくれた。そういう人間がこの世にはいるのである。何が鬱屈しか社会だ、としか思えない。一体、誰がそんな勝手なことを言い出したのか。僕は、石山修武氏に十年後お前は絶対に食えるようになると言われた。自分はそう思っていないのに、びっくりした。そして、それを信じることにした。そして、ちょうど十年後、本当に食えるようになった。つまり、僕よりも石山さんの方が僕のことを信じていたのである。それが希望なのだ、と僕は理解した。ドローイングは終了し、送信。午後6時に駅前で読者の方と待ち合わせ。話をしたいと言われたので、ルノアールで話した。その後中華料理屋にも行って5時間も喋ってしまった。しかも、ずっと僕の話に耳を傾けてくれた。僕は今、書いている本の続きをシュミレーションしようと思い、執筆するようにただ僕だけ一方的に話させてもらった。こういうのはありがたい。おかげでまた具体的なイメージが出てくる。読者の方がやっていることもとても興味深く、もしかしたらいつか一緒に仕事をするようになるかもしれないと思った。がんばりましょう。その後、帰ってきて零塾のアイコンを作って、トップページにアップした。昨日の荒川智則祭りのマルチネクルーの糸柳くんからメール。暴れていた気違い野郎を認識してメールを送ってくるって最高じゃないか。零塾の入塾希望者がさっそく現れた。ということで開塾決定です。僕が考えている仕事と労働の違いは、別に二項対立の構図ではありません。全く別の次元のもの同士である。労働=お金、であり、仕事=使命を全うすることなのである。そのことを気付かせるための私塾なのである。だから、零塾ではちゃんとアーティストとしてコレクターに作品を直接ギャラリーを通さず売る方法ももちろん全て教えますよ。本を出したいなら、絶対に出版される方法しか教えません。海外で活動したいなら一体誰に会えばいいのかも教えましょう。でも、でもなんです。そんなのどうだっていいんです。本当は。しかも、無茶苦茶簡単だし。誰にでもできるし。しかし、それは「芸術起業論」ではなく「美術起業論」だということです。だから村上隆さんが言っていることも本当は美術起業論と名付けるべきである。芸術とは起業なんかする必要がないはず。芸術そのものが使命なのだから。食っていくために作品を売るのはとても素晴らしいことだが、それはもうそこで終わっている。美術や本という作品で、止まってしまう。僕が本当に教えたいことはそれを踏まえて、それで生き延びながら「そんで、君、一体社会をどうやって変革させたいと思っているのよ。具体的に」ということを徹底的に考えていこうということである。

2010年11月12日(金)

零塾(ぜろじゅく)という名の私塾を開くことにした。零なのでもちろん0円。教育も家と同じように誰しもが0円で受けられるようにすべきである。しかし、そんなことを言っても0円で教えるなんて労働として考えると有り得ない。しかし、僕は仕事というものと労働というものを別のものとして捉えている。仕事は自らの使命をもとに行う贈与行為で、労働は対価を得るために他人の命令によって働く行為である。零塾は当然のことながら僕にとって労働ではない。零塾は「僕の社会を変えるための一つの表現」なのである。つまり、それは僕の仕事なのである。と考えてみると、とても興味深かったので、実際にやってみることにした。年齢不問で、入塾資格は明確な社会に対する問題意識を持っていて、それを追求していきたいと考えている者。明確なものを見つけていないものは、嘘でもいい。とにかく一番自分が取り組んでいきたい事柄を一度具体的に出してもらいたい。そうすることで、本当の問題が見えてくるはずである。教育内容は、月に一度くらいの講座と、実務をやってもらう。僕は出版、音楽、映画、建築などであれば、今までの経験の中で育ててきた繋がりがある。それをフル稼働して、とにかく自分の仕事として実務を経験してほしいのだ。もちろん報酬は塾生自らが獲得する。かと言ってフリーランスの作家や芸術家、もしくは起業家などを育てたいわけではない。自分が持っている複雑な可能性を職業として単純化せずに、それこそが自分の仕事として独立してやっていけように訓練する場になればと思う。塾生との接触は、自分の仕事としても捉えられるし、また仕事をさらに進ませるための素晴らしい刺激になるとも思っている。零塾は、教育の一環でもあり同時に僕の作品でもある。もしかしたら将来的には高い値段でコレクターに売るかもしれない笑。まあ、とにかくやってみよう。もしも興味がある方はどうぞ。元手もゼロだし、塾費もゼロなので、もちろん入塾者が一名でもやります。さて、今日もまた大変な一日であった。朝原稿を書き、お昼はマガジンハウスへ。12月5日号のブルータスに掲載予定のインタビューを受ける。インタビュー相手は井出さん。彼とは0円ハウスを出版した時から会っている。でも仕事をするのは初めて。とても刺激的かつ創造的なインタビューだった。大満足。ぜひ来月号をチェックしてください。ポートレイトを撮影し、終了。マガジンハウス社屋の前の喫茶店で原稿。書いてたら電源が切れちゃったので、磯部涼に電話して、磯部邸で原稿を書かせてもらうことに。二人でそれぞれ原稿書いていた。トキワ荘じゃないんだから。しかし、横で仕事している人間がいると捗る。二時間で20枚を書く。河出書房の原稿。午後9時まで仕事をして二人で外出。恵比寿駅前の焼き鳥屋で議論。その後、太田出版の梅山くんが来て、昨日に引き続き、三人で飲む。恵比寿の24時間営業の中華料理屋で。その後、前田チンくんとタンゴと五人で代官山UNITへ。マルチネレコードのパーティーを見にいく。ラップトップやiPadを持ったパソコン野郎がフロアにいるという異常な風景に興味津々。みんな携帯電話見てるし、でもみんな現場に来てるし、その混同はとてもすがすがしいものじゃないかと思った。大好きな快快の篠田嬢も一人で汗かいて踊っていたので、やはり信頼できる人間だなと思った。ということで、僕はいつものように踊り、そしていつものように踊りすぎ、そして、やはりステージへ登り、ダンス。誰も文句をいう人がいないというなんとも幸福な現場であった。僕はよく文句を言われるのでね。むしろ上がって来いというマルチネクルーに感謝。その後、大豆にテキーラを相当数奢ってもらい、ベロベロになり、気付いたら陰毛に篠田嬢が火を点けていて、いい夜だった。その後、僕と磯部涼とチンくんとタンゴと四人でリキッドルームへ。朝5時過ぎ。K-BONEのライブがあると思っていたら、もう終わっていた。しかし、インナーサイエンスのDJがよかった。五曲ぐらいでイベント自体が終了したけど、どれもよかった。久々にFUKUYOKAに会って元気そうだったので嬉しかった。その後、僕と磯部涼と二人で梅ちゃんバーへ。朝7時頃。もう完全に終わっていて、スタッフとDJたちと一緒に、今度はOATHへ午前8時。やっぱりここはやっていて、池田正典さんがとてもよかった。心地よかった。朝9時過ぎに出る。かつやで僕と磯部涼とあと二人OATHで会った人と四人でカツ丼を並んで食べ、電車に乗って帰る。つもりが結局中央線ベッド。午後1時にようやく帰宅できた。いやーしかし、UNITのパーティー、すんごい楽しかったなあ。久々かもあそこまで汗かいたのは。僕は夭折したimoutoidのことを全く知らなかったのだけど、切なすぎるが、本当に今日知れてよかった。ということでKAMIKAZE

2010年11月11日(木)

朝から原稿。書き下ろし「生きのびるための技術(仮)」。いよいよ原稿枚数は300枚を突破しそうである。しかし、まだまだ書くことはある。とにかくどんどん進めていくことに。あらゆる仕事をストップさせているので、このへんで止めて外出。お昼に浅草駅交番前で貴金属拾いの佐々木さんと待ち合わせ。ハロー!ワークス第17回目。いやいやこの連載もよく続いてきたなあ。佐々木さんにはハロー!ワークス第一回目に出演してもらったのだが、最近、佐々木さんがさらに大変なことになってきているというので「あの人は今!」的に再び取材させてもらうことに。佐々木さんもうノリノリで本当にスゴいことになっていた。月収がサラリーマンで言えば部長クラスになっており、もちろん家賃も何も払わない生活をしているので、富豪のような生活をしていた。もう現実は、反転してしまっているのである。定食屋で豪華にカツ丼を食べながら、聞き込み調査。その後、浅草寺に場所を移し、さらに取材。佐々木さんは、今、もう直感の塊のように、思考が冴え渡っているそうだ。すごい話を聞かせてもらった。詳しくは次号で。次号で、とりあえず日本の旅は一回休みにして、次はスラム街へ!という計画が進行中です。その後、太田出版の梅山くんから連絡があり、一緒に演劇を見ようというので、東池袋駅へ。近くのビルの中で上演されるのは、なんとアンドロイド演劇である。つまりロボットが出演する演劇。しかも演出は平田オリザ。しかも、入場料は500円。上演されたホールは、通常はエントランスロビーになっているところ。その舞台構成にまずやられる。どこかは分からないが、どこかに絶対あると知覚しているような空間。それでいてSF。出演者は人型アンドロイド「ジェミノイドF」さん。美人の女性である。暗転した舞台の上で静かに椅子に座っているジェミノイドFさん。突然、首がもたれて、そのアンドロイド的人間らしさに、僕は一人で人工と自然の間にある四次元ガーデン的な世界観と共通するものを感じていた。上演時間は20分。今まで体験したことのないような空間だった。タイトルは「さようなら」。アンドロイドがアンドロイド役をこなし、さらにその動きに合わせて人間が声を舞台裏から出しているという、入れ子構造、多重なレイヤー的、空間。うまく言葉にはできない。とても充実した20分だった。その後、バスで西巣鴨へ。西すがも創造舎にて飴屋法水さんの舞台「わたしのすがた」。これは演劇にもかかわらず、舞台も無く、俳優も無く、ストーリーすら無い。僕たちは指示に従って、街を歩くだけなのである。これ以上は言えないが、僕が衝撃的だったのは、その道のりが、数ヶ月前まで西巣鴨に住んでいた妹夫婦の家の周辺で、とても見慣れた風景だったことだ。しかし、あらゆるもの、人、建物が、違う物質に見えた。貴金属拾いの佐々木さんはもしかしたらこんな世界に生きているのではないかと思った。その後、梅山くんと焼肉屋で食べながら、ゼロから始める都市型狩猟採集生活について久々に話す。息子は頑張ってくれている。もっと彼が色んなところを動き回れるように手助けしていこうと話し合う。しかし、面白いことばかり起こっているので、それは本当にすごいことだ、とも。新宿へ場所を移し、磯部涼と三人で、歌舞伎町の中華料理屋で、なぜか芸術論へ。そんなの今時の芸大生もしていないのではないか。三人で恥ずかしくなる。その後、女子が一名参加する。終電前に帰ってくる。つもりだったのだが、やっぱり起きたら高尾駅であった。仕方なく、セブンイレブンへ行き、眠りたいけど寒いのでダンボールを下さいと言うと、向こう側に漫画喫茶があることを初めて教えてもらう。なので、そこへ行き、午前6時まで就寝。これで高尾駅まで行ったとしても、もう心配無い。訳のわからん安心をして、家に帰ってくる。

2010年11月10日(水)

朝起きて、すぐに原稿。今日は午後から用事があるので途中で止める。22枚書いて坂上さんに送信。世田谷ものづくり学校の黒崎さんからメール&電話。自由大学での講義の余波がまだ続いているようで嬉しい。反響がすごいとのこと。さらに、次もやってくれと依頼を受ける。年が明けたらやりましょうかと投げかける。0円ハウス学もいいし、今度は未来革命学もやってみたい。佐々木中さんとか呼んで、無茶苦茶にやってみたい、などと夢想。アルゴピクチャーズの熊谷さんからメールで11月26日に武蔵野美術大学での講演の依頼、荒川修作のドキュメンタリー映画のイベントで。快諾。フジテレビのディレクターの方から連絡、ある番組への出演依頼。とりえあえず梅山くんに任せる。午後5時外出。東京駅へ。駅横のフォーシーズンズホテル丸の内一階ロビーにて原さんとリックとドナと待ち合わせ。リックとドナから最終日はぜひマキコとキョウヘイに会いたいと言ってもらったので、僕がお送りする東京観光案内に連れて行くことに。リックは僕のとても大事な支援者である。Dig-italと立体読書、どちらもコレクションしてくれている。しかも、アンディ・ウオーホールとロバートラウシェンバーグの間に飾っていて、さすがにビビる。まずは電車に乗って秋葉原へ。フィギュアがドナが好きで、リックはメイドが気になるというので、行くことにした。ラジオデパートへ連れて行くと、のっけから食いつく、食いつく。ペン型スパイカメラなどに興味津々。その後、リバティー8号店へ行き、フィギュアしか置いていない大型デパートにドナ熱狂。女子高生姿の美少女フィギュアを購入していた。その後、駅近くの@ほ~むカフェへ。もちろんメイド喫茶。平日にもかかわらず大混雑。僕たちのメイドは、ころねちゃん。この娘がかわいくて四人で興奮。リックとドナ,萌え~を連発。というか僕も初めて来ました。とても面白い。リックと二人でころねちゃんと3ショットポラロイドまで撮った。秋葉原を堪能し、次に日比谷線で銀座へ。彼らは今回かなりセレブツアーだったので銀座には飽き飽きしていると思ったので、アナザーサイド銀座を紹介することに。となると、やはり銀座二丁目の三州屋銀座店。狭い路地に建つ老舗の居酒屋。しかも、料理が本当に美味い。ドナは肉豆腐に感動していた。刺身もかなり美味。松茸の土瓶蒸しも注文。これまた美味。かなり満足してくれた。しかも、安い。そして、ツアーの最後は、スコッチでもどうですか?と、bar HEATH銀座店へ。HEATHは元々国立にあり、スコッチウィスキーを初めて日本で専門的に扱った名店である。ありえないほど狭い路地を歩く。こんなところが銀座になるのか、とリックとドナは大興奮。銀座でここだけは震災で焼き落ちなかった生き残り、80年以上も建っている古いバラックがまだ健在なのである。そこの一画にあるbar HEATH。開けて入ると、静かな音楽と狭い店内。棚には見たことも無いような種類のスコッチが陳列しており、大富豪のリックもびっくり。僕はラガブーリンを注文したが、他の三人は山崎のミズナラ樽というとんでもなくレアなスコッチをストレートで。ショットで4000円もした。その後、余市も飲む。いやいや最高の夜でした。二人も最後の夜を堪能してくれたようで大満足。こういうふうに、訪ねてきてくれた人には最大限のギブを提供する。これは世界中の友人たちに学んだことである。そうすると、また何か巻き起こるのである。その何かは知りませんが。結局12時まで遊んで、ツアーコンダクターの僕もすっかり疲れ、電車で帰宅する。家に着くと、また朗報が届いていた。確立変動中である。

2010年11月9日(火)

朝から、今日も原稿。河出書房書き下ろし単行本「生きのびる技術(仮)」。原稿の中で、ようやく大学を卒業した。これからどうやって食いつないでいたかを詳細に書いていく。今日も乗りまして、50枚書いた。全部で250枚を突破。これは一体、何枚の本になるのだろうか。もちろん、後でかなりブラッシュアップはするだろうが、長い物語になりそうだ。そして、ここからようやく労働と仕事という僕が以前から抱いているテーマについて書いていくことになる。養老さんの新聞書評で目から鱗だったのは、僕が書いていることは「モノ」だけを見ているということだった。そうだったのかと自分で初めて気付いた。僕は毎月のお給料なんかもらったことがない。そんなシステムは関係ない。しかし、僕は自分が書いたA1サイズのドローイングが一枚50万円で売れることは知っている。だから、年収とか給料とかそんなこと全く考えずに、一年で10枚売れば500万円だ、という単純なモノの計算しかしていない。一枚の絵は一週間で出来上がるので、10週間で一年は食っていける。僕はこれからの時代、都市型狩猟採集生活をするべきだと言っているわけだが、それはつまり、自分が作ったもの、自分が動くことが、一枚、一日、一分、いくらかということ、「量」を把握することこそが重要だと言っているのだ。それが分かれば、企業や社会に頼る必要がなくなる。しかも、それが分かっている人は、現代ほとんどいない。それさえ分かれば自分という人間をうまく操縦できるのに。自分の意志で、自分のディレクションで、常に主導権を握った状態で生きることができるのだ。今書いている本には、僕のギャラ、コレクターとの付き合い方、印税、本の値段の設定の仕方など、あらゆる仕事の内容、そして、すべての金額を事細かに書く予定である。常にモノとして全てをみる。システムの中の歯車としては認識しない。この方法こそ、僕たちが自由になるための唯一の技術だと思うからである。とか言っても、なかなか自分の問題として考えてくれる人はそんなにはいないと思うが、とにかく若い人たちに読んで欲しい。小説家になるには文学賞が必要だと必死に受けたり、芸術家として食っていくためには有名ギャラリーに属す必要があるので、ギャラリーに入ることが夢であるという倒錯した考え方をしたり、フリーランスなんて生きていけないから食べていくために企業に入社したり、していることに疑問を感じている人は反応してくれるんじゃないかと思っている。そして、僕は近い将来に、このような技術を教えるための私塾をつくりたいと目論んでいる。入学試験は、叶えたいと思う願望があれば合格。叶えれば卒業。授業は全て、実際の仕事。原稿書いたり、絵を描いたり、人と人をつなげたり、展覧会を催したり、しかも、もちろん仕事は僕が引っ張ってくるのだが、クレジットは僕ではなく、仕事をした生徒にして、しかも、ギャラも生徒が受け取る。これは僕がいつも不満に思っていることだった。色んな事務所で働いても、結局ボスの手柄になるのは間違いだと思う。やった人の仕事なのである。そういう学校を作りたい。だから、クビにもなる。そんな学校を。これはもう三年くらい空想しているのだが、そろそろ現実味が増してきたように思う。とかなんとか考えながら、原稿を書いていたら、中学生の読者からメール。しかも物書きになりたいと言う。楽しくなって長文のメールを返信。さらに、その後、さらに一通のメールが。開いてびっくり。とんでもないプロジェクトがいよいよ現実になるとの、衝撃的な内容。これは2007年の2月に企画を提案されて以来、なかなか実現しなかった、それぐらい大変な事案であった。しかし、このタイミングで来たののは頷ける。今、何かが蠢いている。さらに、熊本市現代美術館の学芸員坂本さんから朗報まで届く。なんなんだ、本当に。勢いよく、さらに原稿を書く。こういうふうにノリに乗っているときこそ、油断せず、どんどん先回りしておく必要がある。次の波が来た時に、乗り遅れないように、とにかく地道に準備する。ひたひた仕事をする。

2010年11月8日(月)

起床し、今日は朝からアオと外出。ルソーの散歩。児童館で二人でヤクルトで10秒チャージ。ママ友作れず。広末涼子似のママがいるんだよなー。気を取り直して、公園へ行く。どう考えても、月曜日の午前中に子供と遊んでいる父親って、失業中なのかなとか、心配されているような顔をされる。気にしないことに。家帰ってきて、準備して外出。ドローイング作品を数点持って、成城学園前へ。今日は、バンクーバーから旅行中のパトロンたちのツアーに合流。彼らはバンクーバー州立美術館に寄付をしている富豪たちで、今回のツアーはそのバンクーバー美術館のコーディネートで行く日本9日間の旅らしい。京都へ行き、直島へ行き、途中で安藤忠雄氏の事務所へ行き、カイカイキキへ行き村上隆氏と会い、宮島達男さんのアトリエに行き、隈研吾さんの事務所へ行き、日本の現代建築を見て、成城学園の横尾忠則氏のアトリエに行き、その後も色々と回るそうだ。そこに、僕と会うというプログラムも含まれている。ってか、日本人の人なら、なんでそんなところへお前が入っているのかと思われるだろうが、僕はなぜかカナダ、特にバンクーバーのみなさんに大変好かれており、好かれ方が尋常ではない。たぶん、日本人で一番好かれている笑。それぐらい、僕はバンクーバーでは居心地がよい。ということで、今回もバンクーバー美術館の方から、直接、キョウヘイと会いたい、作品見たいと依頼があり、ツアーに合流することに。横尾忠則氏のアトリエ帰りのご一行様16名と共に豪華バスに乗り込み、僕が案内する多摩川ジャングルクルーズのはじまりはじまり。バスガイドよろしく、マイクを使って、自分の仕事の説明をしながら、多摩川沿いをバスに入ってもらって、河川敷の家を眺めながら、0円ハウスガイド。僕の作品の熱心なコレクターであるリックエリクソンとパートナーのドナも来ていて、笑顔を話を聞いてくれている。バンクーバー美術館の仲の良いキュレーターたちとも久しぶりの再会。そして、とうとう多摩川文明の中心部へ到着し、みなで歩いて、ロビンソンクルーソーの家へ。みんな今日の夜は豪華なディナーがあるらしく、無茶苦茶ドレッシーな格好しているにもかかわらず、ノリノリでジャングルの中へ分け入っていく。ロビンソンと対面し、みんな熱心に話を聞いていた。ファーベラス!と感嘆があがる。時間があまりなくて30分ぐらいでツアーは終了。その後、またバスに戻り、僕も近くまで送ってもらうことに。そして、また僕はマイクを持ち、今度は自分が描いているドローイングの説明に移る。はっきり言うとここからが僕にとっての本番。Dig-italシリーズ一枚、立体読書シリーズを三枚持ってきていたので、それを一枚一枚丁寧に面白く説明していく。ここで重要なのは、どんなに英語が下手でも、横に通訳の人がいたとしても、自分の言葉で作品の説明をすること。そうすることで、相手に真意が伝わる。説明後、そわそわとし出した。成功したようだ。みんな僕の作品を買いたがっている。一人一人僕の横に来ては商談を始める。結局、三枚のドローイングが売れた。全部で9000ドル!これは早めのクリスマスプレゼントになった。これこそ、都市型狩猟採集民の真骨頂。どんなときでも狩猟することを怠らない。しかも、僕はギャラリーなんか属してないので、仲介料ゼロ。そのまんまもらえる。こういうことを若いアーティストたちにも教えたい。コレクターと直接交渉する経験は、インスピレーションについての勉強にもなる。ということで、満足し、広尾駅から電車にのって家に帰る。収穫したごちそうを待っている、フーアオ。今日は、執筆をお休みして、狩猟採集生活をした。そして、明日は熊本市現代美術館が僕の作品をコレクションするかの審査会。うまくいきますように!

2010年11月7日(日)

朝から外出し、コンビニで新聞を購入。毎日新聞の今週の本棚コーナーで「ゼロから始める都市型狩猟採集生活」の書評が掲載されていた。評者はなんと養老孟司さん。僕が伝えたい思いをしっかりと読み込んで理解してくれており、感激するばかり。これで、全ての全国紙に書評が掲載されたことになるらしい。こんなことは、出版を始めて以来、初めてのことである。ありがたい。そして、26歳の時に、初めて0円ハウスを出したときには、ほとんど相手にされなかった自分の考えが、少しずつ伝わっていっているのかもしれない、と淡い希望を抱く。しかし、まだ満足しきれない。ゼロから始める都市型狩猟採集生活を書くことによって生じた新たな問題意識を元に、また太田出版とも新作を作ろうと話し合ったので、来年中には出したい。毎度言うように、土地所有についての本を。来年は動き出している本の企画だけでも、かなりの数があるのだが、厳選して、本当にいいものを出したい。お昼前に外出。初台教会へ。ミサに出席する。そこに眠っているフーの父さんのお祈りに。その後、みんなでカフェでランチを食べて、国立駅へ。国立駅前では、今「天下市」という巨大な祭りが開催されているので、遊びに行く。抽選会のくじも引く。外れた。今日は執筆をお休みすることにした。書きたかったのだが、アオにブロックで遊ぼうと誘われたので。アオは最近、ブロックに集中している。フランク・ロイド・ライトも幼い頃、積み木遊びを建築家になるために母から渡されたそうだ。ライトの思い込みとも言われているが。ということで、アオもがんばってほしい。コーディネーターのアンさんから連絡。明日のパトロンたちへの多摩川マジカルミステリーツアーの打ち合わせ。楽しみ。がんばって作品売りたいよー。ジュンク堂新宿での「<本>と<都市>と<革命>をめぐる夜話:佐々木中×坂口恭平」トークショーが定員の50名に達したそうで、申し込みが締め切られた。ありがたいことである。しかし、先日の自由大学の参加費一万円の講義もそうだが、今、イベントごとにたくさんの人が集まってくれて本当に感謝している。何かを求めようとしていることの証であり、だからこそ、僕もがんばらなくてはといつも思う。コヨーテの佐々木さんと電話する。次々号から僕が提案していた「世界のスラム街のフィールドワークシリーズ」をやらないかと言われる。よっしゃ、きたきた。ケニアのキベラ、ブラジルのファベーラ、フィリピンのゴミ集積所。いろんなところへ行ってみたい。そして、それをハローワークスと絡ませたらと提案。こちらも書籍化へ向けて、突っ走る。

2010年11月6日(土)

昼まで、ゆっくり起きて、机の上で原稿。河出書房書き下ろし単行本「生きのびるための技術(仮)」。とにかく書きまくっている。午後1時から書き始め、午後9時までノンストップ。今日も55枚書きまして、通算200枚に到達。ここままで行くと、400枚くらいになりそうな感じである。最長の原稿になるかもしれない。西荻の恩人である、元ゼロックスの宇田川さんに久々に電話をする。また遊びに来なさいと言っていただく。宇田川さんの家は、時々、「酒亭うたがわ」に変貌し、素晴らしすぎるスコッチコレクションと共に、奥さんである、ひろみさんの素材から考え込まれたコース料理が楽しめる。アオも大分成長したので、見せにいきたい。深夜、もうちょっと書きたくなったが、今日はここまで。編集の坂上ちゃんに送信。週末なのにすいません。

2010年11月5日(金)

過去、稀にみる、ライティングハイ。もう半分、頭はおかしくなっている。書いている世界にどっぷり入っている。しかし、抑制を忘れてはいかんぜよ。ということで、今日も昼までゆっくりと休み、S.L.A.C.Kのカバーを一人で練習し、平日昼間から、歌声を国分寺の空に飛ばしながら、部屋を締め切り、原稿開始。アオから「原稿がんばって」と葉っぱをかけられる。はい。で、そのまま止まらず、ずっと書いています。今日は、ありえないことに、66枚書いたよ。こんなこと人生で初めてです。もう原稿用紙にして150枚を超えてきた。とりあえず、仕上がった分を河出書房の坂上ちゃんに送る。しかし、なかなか手を止めることができず、落ち着かない。echoを吸いながら、落ち着かせる。フーにもうやめなさいといわれたので止めることに、午後11時執筆停止。また明日一日使って書く。今、全ての他の仕事をストップさせている。大丈夫かな。コヨーテとか大丈夫かな。しかし、あと二日ぐらいは集中したい。とにかく、この勢いを止めたくない。まれにみるどころか体験したことがないような状態になっている。それがいいのか悪いのか分からない。しかし、今までとは全く別のベクトルを向いていっていることは確か。今は酒を飲みたくない。夕食は、フー母が来てくれて作ってくれた。家内制手工業的雰囲気。それもいいじゃない。母校である熊本高校の会報誌ができたとのことで送って下さるとのこと。親父がよろこべばそれが一番いい。熊本日日新聞の浪床さんから電話。熊本日日新聞の1月3日売りの新年号の特集で僕の原稿を掲載したいとのこと。これも親父がよろこべばそれが一番いい。ので、快諾し、1000字月末までに書くことに。奈良図書館から来年のトークショーについての情報。ギャラがいい。ありがたい。J-WAVEの小松崎さんから連絡。11月下旬に収録することに。V6の岡田准一さんとの一時間対談。こちらの予想をはるかに超える有り得ない展開。なんだなんだなんだ、なんなんだ。一体、何が起きているんだ。しかし、それどころではない。僕は今、原稿を書いている。全ての記憶を洗いざらい思い出して、記憶装置を一つ一つ部品を修理しながら、ブリコラージュしている。明日もやる。机の上で発火している。ほんとは寝ずに書きたい。しかし、寝よう。もう寝よう。

2010年11月4日(木)

朝起きるも、風邪気味で、しかも連日飲み続けているので治るわけはない、というか、最近暴れ回っていたので、少しぐらい体がだるいぐらいがちょうどいい。昼までとりあえず、寝る。その後、起き出して、河出書房の原稿を今日は15枚書く。その後、ゆっくりして、外出。午後7時に、原宿へ。SMOKEへ行き、黒崎さんと待ち合わせ。黒崎さんのスタッフ二人と四人で一緒に、代々木上原の蕎麦屋へ。そこで、ある会社の社長とスタッフの方と会合。というか、なんで僕がここにいるのかよく分からないのだが、結局、話していると、社長と意気投合。多摩川へぜひ行きたいといってくれた。黒崎さんは何考えているのか、いまだに分からないところ満載なのだが、とにかく面白いので、僕はどこにでも付いていくことにしている。しかし、話していたプロジェクトはビックプロジェクトで、これが実現したら大変なことになる。しかも、それは僕が集英社すばるでやっている「モバイルハウスのつくりかた」と直結してくる。社長に、キセルの吸い方を習う。刻みたばこもいいかもね。しかも、この蕎麦屋がまた美味い。刺身もうまいし、鶏もうまい。最後にでてきたせいろも美味。午後11時まで飲む。僕が伝えようとしていることが、少しずつ少しずつ伝わっているような実感がある。とにかく毎日、突き進むのみである。12時に家に帰ってくる。ふたたびテレビ番組の出演依頼。今回はどうなるか。ちゃんとどういう番組にできるか話し合った上で出演は決めることに。さらに以前から出たかったラジオ番組での一時間の出演依頼。こちらはとても楽しみなので、快諾。地元の新聞、熊本日日新聞から年明け号の原稿依頼。故郷にはお世話になっているのでこちらも快諾。なにやら、まだまだ蠢いている。磯部涼からもらったPSGを聞きながら、眠る。明日は一日、原稿書くつもり。とかいいながら、ハローワークスや0泊3日やすばるやら、書かねばならない連載は、追いかけてくる。脳味噌だけは眠らせてはいけない。

2010年11月3日(水)

朝起きて、原稿。10枚書いて、坂上ちゃんに送信。よしよし原稿は進んでいる。しかし、えらく長い物語を書こうとしている。うまく、操作できるといいけど。その後、外出。僕とフーとアオと三人で。原美術館へ。今日は僕がいつも髪を切っているTWIGGYの20周年記念パーティー。最近、パーティーにはまっているアオももちろん参加。原美術館に着くと、なんかいきなりスゴい行列。何が起こるのだろうか。いつもお世話になっているスタッフと挨拶。そして、受付を済ませ、中に入ると、美術館の庭が大変なことになっている。そして、エントランスでいきなりブーブクリコのシャンパン。飲み放題。やばい。庭は、今、話題のキャンドルジュンさんが作ったデコレーション。とても長い机の上に飾られたキャンドルと植物。これはすごいかも。どんなものを作る人なんかと思っていたが、作品は力があります。ということで、庭は夢の中のような世界になっている。原美術館内では展覧会が、外では野村友里さんがケイタリングしたフードコーナー。どれも美味。しかもUAさんとか小島聖さんとかがなぜか働いている。700人くらいいるんじゃないだろうか。インドのアーメダバードの祭りを僕は思い出した。タップダンサーの熊谷さんのライブと、舞踏が踊っていて、異様な雰囲気。亮太とゆうちゃん、なり、井田、土井ちゃんなどに会う。その後、午後9時まで。帰りにヘアパフュームまでお土産にもらう。こんな美容室は見たことが無い。といっても、僕はここしか行ったことがないから知らないけど。素晴らしい夜。

2010年11月2日(火)

朝7時に起きて、原稿。家で家族二人が風邪引いているためか、喉が痛い。頭も痛い。まあ、昨日興奮しすぎたので、知恵熱もあるのかもしれない。ということで、今日はゆっくりと書く。その後、外出。多摩川で集英社の飛鳥さんと待ち合わせ。すばる「モバイルハウスのつくりかた」連載第5回目の打ち合わせ。ロケハン。飛鳥さんは集英社文庫のほうに異動したのだが、僕の連載は今後も付き合ってくれるとのこと。第5回ではいよいよモバイルハウスを作りはじめることになりそうなので、飛鳥さんを多摩川文明に案内し、材料を頂くタカノさんという熊本出身のおじさんとロビンソンクルーソーの家を案内した。うまくいきそうである。その後、大ちゃんのところへいってまた話す。なんだろうな、このあまりにも温かいコミュニティは。まあ3年も通っているからだろうが、みんながとても優しく、来るたびに胸が熱くなる。こういう人間関係は消えることがない。多摩川文明のほうもちゃんと本に書いて記録に残さないと。こちらも幻冬舎で書き下ろし単行本として年内に書くと竹村さんと約束しているので、ちゃんとやらねば。とりあえず河出書房を仕上げよう。そして、次に向かおう。自由大学の生徒からまだまだ感想のメールが届く。感謝です。今、僕は東京に潜む地下生活者のことを調べようと思っているのだが、ちょっと恐すぎるという話をしていたら、みんな一緒に探検隊を組んでやりましょうと言ってくれている。これは大変ありがたい。近いうちに呼びかけて、みんなで行くので、ちょっと待ってて下さい。その後、磯部涼から電話がある。暇なら飲もうと僕は言うと、磯部涼「おれは暇じゃない。ただ、お前が昨日興奮しすぎているから心配になったんだ馬鹿野郎。大丈夫か?あんまり上がりすぎると、また落ちるぞ」という優しいお言葉。でも、ちょっと飲もうよと誘って、恵比寿のpile cafeで待ち合わせして、二人で麦酒とワインを飲みながら、ポテトソテーをたべる。その後、二人で高級居酒屋「さいき」へ。ここ、本当に雰囲気も良く、しかも料理が抜群に美味いのだが、高い。ということで、ササオに電話して、三人で飲む。豪華なお通し、卵焼き、銀ダラの煮付けなどを食べる。美味。三人で一万六千円って。夕方から何をやっているのか。その後、磯部涼は奥さんのために食事を作るからと行って帰ったので、ササオと立ち飲みやでさらに飲む。サイゾーで一緒に仕事をした編集者、中矢くんも呼ぶ。僕は、つい中矢くんに悪態つく。ごめんね。その後、三人で久々にDOMMUNE。L?K?Oがやっていた。しかし、すぐに風邪の具合が悪くなり、僕だけ早退。家に帰ってくる。

2010年11月1日(月)

昨日、一昨日の0円ハウス学講座が僕に全く別の脳回路を作り出しているようで、朝起きて、突然興奮。オープン。感覚体が敏感に反応している。突然、書くべきテーマが見つかり、それを確認するために、とりあえず朝起きて、石川直樹くんに電話。「石川くん、昔、ホームページのプロフィールのところが無茶苦茶面白いって言ってくれたよね」「うん。もっと細かく知りたくなった」「それを石川くんに言われてずっと気にしておったのだが、いよいよ書こうと思ったんですよ」「いいじゃん、やんなよ。でもお前、いっつも持続力がないから、ちゃんと書けよ」「はい」というわけで、一人で外出。もちろんエクセシオール。まずは、河出書房新社の坂上ちゃんに電話をする。彼女とは、以前「仕事と労働」というテーマで半自伝のようなものを書きませんかと依頼を受けていたのだが、それはどうなのかなと思っていたので完全にストップしたのだが、一昨日の講座内で僕が今まで自分がいかに生き延びてきたのかを話したのだが、それが僕の新たなゲートを開けたような気がして、あっ、そうか、僕は今こういうことを話さなくてはいけないんだ、と閃いたというか、ちゃんと気付いたので、それをやりますよ、やりますよ、坂上ちゃん、いいですか、覚悟してくださいよ、毎日原稿送るもんねー、しかも、大量に書けるような気がしている。二週間もあれば、全部書き切ってしまうくらいのスピードでやるからね、と脅迫すると、坂上ちゃん「今、電話しようと思っていたところなんですよ、ちょうど。なんですか!その嬉しい福音のような発言は」ということで、執筆をスタートさせることに。とりあえず、タイトルを決めた。「生きのびるための技術」これは僕の師匠である石山修武氏が書いた「生きのびるための建築」という本へのアンサーでもあり、生きのびるための技術とはすなわち「アート」である。つまり、都市型狩猟採集民を調査する坂口恭平は「アート」なのであるとありがたくもリトルモアでのあトークショーで言ってくれた「切手」が大変なことになっている佐々木中さんへのアンサーでもある。とかいいつつも、そんな大袈裟なことが書けるわけもないので、平易な言葉、文体で、とにかく僕がいかに生きのびてきたかを書きはじめる。午後2時半、執筆スタート。午後6時半までかけて、原稿30枚書いた。一度、落ち着かせるために、家に帰ってきて、夕食を食べる。その後、すぐに第二弾開始。さらに24枚も書いた。で、今、午前12時半。今日一日で54枚も書いた。これ過去最高記録。ちょっとおかしなことになってきとる。頭が開放されすぎて、制御がきかない。しかし、これもチャンスではあるので、そのまま放っとくことにする。自由大学を受講してくれた方々から大量のメールが届く。みなさんありがとう。逆にこちらがお礼を言わねばならない。おかげで、僕は執筆が始まったのだから。今月中には絶対に書き上げる。明日も書こう。明後日も書こう。とにかく書こう。トップページにイベントの告知をアップ。まずは11月17日、ジュンク堂新宿店にて午後6時半から<本>と<都市>と<革命>をめぐる夜話、佐々木中さんとのトークセッション。これたぶん、やばいですから、ぜひご参加を。その後、11月23日に上映される「怒る西行」のアフタートーク。監督である沖島勲さんと対談します。その後は、12月26日に東京大学福武ホールでのトークライブ。渋谷慶一郎さんと池上高志さんのトーク&ライブなどもあるらしい。福武ホールは安藤忠雄さんの建築。ぜひ。そして、年が明けてすぐの1月8日から三日間開催される西村佳哲さん主催の「自分の仕事を考える3日間」の初日8日の二番目にトークをします。他の日には建築家の中村好文氏や、ミナペルホネンの皆川明さんなども参加する予定とのこと。そして、これはシンポジウム終了後、西村さんの編集によって書籍化されることも決まっているようです。書いても、書いても書きたくなっている。おいおい、どうした。これは最近では珍しい徴候。しかし、こういう時にはいつも作品が産み落とされるので、しっかりと付いていくことにしよう。受講してくれた生徒たちに感謝のメールを送る。と、今、日記書いていたら、54枚読み切った坂上ちゃんから電話があり、あまりにもテンションが高すぎたのでどんな原稿を来るのか、大いに不安ではあったが、これなら大丈夫!はじめに、は完璧!だから明日もとにかく頑張ってとのこと。しかし、不思議と浮き足立ってはいない。非常に落ち着いてはいる。前回の超躁状態の時とは全く違う。筋肉のついた躁である。

2010年10月31日(日)

午前6時起床。外出し、多摩川へ。多摩川のロビンソンクルーソーと待ち合わせ。電車で渋谷へ。自由大学特別講義「0円ハウス学」第二日目。雨もやんだのでよかった。ロビンソンの話を中心に、最後の授業を行う。二時間みっちり。いやー、さすがロビンソン。70年培ってきた生きる「野生の思考」と「野生の技術」を全開にしてくれて、サバイバルシャワーを受講生に浴びさせている。こんな人、日本中探しても、見つけることはできないだろう。そんな人と、講座で会えたのだ。そりゃ、興奮するでしょうよ。やはり、教育の問題は僕ももっと真剣に取り組んでいく必要があることを再認識。とは言っても、教えるというのは大変摩耗する作業であることも同時に再認識。しかし、大満足で0円ハウス学を終了した。これは僕にとっても変わるきっかけになりそうな機会だったので、とても嬉しいし、充実している。ロビンソンにたくさんの質問が飛ぶ。みんな遊びに行きたいと言っている。ぜひぜひ今度行きましょう。しかし、ロビンソンの話を聞いていると、一体、人間というものはなぜ、資本主義なんかやっていると思っているのだろうと感じた。なにが人間の生産物だ、と。何一つ人間が作ったものなんかないじゃないか。どれも自然が人間に与えたものではないか。そのことをロビンソンは熟知している。人間よ、驕る事勿れよ、と。人間たちが住む土地も、その上に建つ家の材料も、着ている服も、食べるものも、飲むものも、吸う空気も、はたまたコンピューターも、インターネットも全て、自然物によって生成されているのですよ、とロビンソンは説く。そのことを絶対に忘れてはならない。僕が土地の所有について話すと、大いに共感してくれた。「働かざるもの、食うべからず」という言葉はレーニンの言ったものであるらしい。つまり、働かざるもの、とは、路上生活者のような人のことを指すのではなく、不労所得を得ている人、つまり大土地所有者であったり、資本家であるらしい。何か、僕が今考えていることと直結した。その後、受講生みんなに卒業証書を渡し、二日間という短い時間であったにもかかわらず、なんか本当に卒業という雰囲気が出ていて、こちらも感慨深い。みんなの感想も聞く。その後、懇親会。みなで御飯を食べて、さらに3時間も語り合った。計9時間も喋り続けたことになる。完全に虚脱し、帰りに飲みに行こうかと思ったのだが、頭がぼうっとして、学校から帰り道、迷ってしまう。気付いたら中目黒駅。一体、どこを僕は歩いていたのだろうか。今日はまっすぐ家に帰ることにした。国立駅に着き、昨日と今日のギャラを貰ったので、フーとアオとタンゴを呼んでイタリアンを食べにいくことに。その前に、一人でFLOWERSという喫茶店に初めて入り本を読みながら珈琲飲みながら、昨日と今日を振り返る。素晴らしい体験であった。黒崎さんから電話で、すぐ次やろうぜ、と言われた。が、今日は疲れすぎていて、即答できず。呆然としながら、喫茶店内のテレビからはイームズの「パワーオブテン」の映像が流れていて、ふと感銘を受ける。テレビは無音で、店内に流れていたのが高木正勝さんのwatch the worldという音楽で知らぬうちに涙ぐむ。感覚を開放しすぎて、感覚体剥き出し状態になってしまっている。珈琲飲んで落ち着かせる。6時半から、みなで麦酒のんで、マルゲリータ・プロシュート・エ・ルッコラを食べて、手作りラザーニャを食べて、ビスマルクを食べて、なんかやたらめったら美味い、前菜を食べて、そのレシピを聞いて、楽しく、食事をした。とても幸福であった。受講生から、感想のメールがたくさん届く。どうもありがとう。また会いましょう。家でマッサージを受けながら、眠る。明日から11月。ANAの機内誌「翼の王国」にて僕のフランクロイドライト建築旅行記が16ページ特集されています。建築を訪ねる旅シリーズ第二弾。ANAに乗られた方はぜひ読んでみて下さい。

2010年10月30日(土)

午前6時半起床。外出し、浅草へ。隅田川の鈴木さんのところへ迎えにいく。今日は自由大学特別講義「0円ハウス学」第一日目。あいにくの雨。しかも台風が来るかもしれないとのことで、受講者が集まるか心配になったが、到着してみるとそんな不安も一掃。40人近い人々が一万円という大金を払ってきてくれた。午前10時から一時間目スタート。始めに 黒崎さんが僕を焚き付けてくれ、それにより、発火。0円ハウスの話と言うよりは、僕がどうやって食ってきたのか。どうやって、自分の表現をするための土台を作ったのか、どうやって売り込みをしたのか、どうやって作品を売るのか、など、自分のサバイバル技術についての話をしてみた。これを人前で話すのって、意外と初めてなのかもしれない。受講者も興奮してくれ、弾丸トークのまま、気付いたら二時間が経過していた。お昼御飯を食べて、二時間目は隅田川のエジソンこと鈴木正三氏を迎えて、0円で生きるための技術についてのレクチャー。こちらも、かなり盛り上がり、質問も多く飛ぶ。合計4時間、ぶっ通しで喋り続けた。ちょっと今までにないくらいの熱気のあるレクチャーだった。その後、黒崎さんと受講生たちと一緒に、事務所にてお酒を飲みながら話す。その後、家に帰って来る。家には、はんなちゃんが遊びに来て、アオと遊んでくれている。その後、僕がまた家に帰らないだろうと、勝手に心配してタンゴもやってきた。みなでカレーを食べる。その後、午前3時まで、今日のレクチャーで発火した思いの丈を話し続ける。充実した一日。エココロから校正が送られてくる。河出書房新社の阿部さんから連絡があり、佐々木中さんとのトークショーが決定したとのこと。11月17日(水)午後6時半からジュンク堂新宿店にて。佐々木中さんの新刊「切りとれ、あの祈る手を」刊行記念として開催されます。題して「<本>と<都市>と<革命>をめぐる夜話」。電話予約は03-5363-1300。入場料1000円です。トップページに詳細はアップします。話題沸騰中の中さんとの話。二回目になるが、次回は一体どうなるのか。非常に楽しみである。

2010年10月29日(金)

お昼前に外出。外苑前のtwiggyへ。くみちゃんに髪切ってもらう。結構刈り上げた。来月の頭に開催されるtwiggyの20周年パーティーに招待された。なんかスゴそうなパーティー。その後、新宿茶寮へ。そこで、コーディネーターのアンと初対面。アンは、今回のバンクーバー美術館主催のパトロンのためのジャパンツアーのコーディネートをしていて、そのツアーの中で、僕の作品を観るというのも含まれているとのことで、その打ち合わせ。京都、直島、東京をツアーするらしく、東京では、横尾忠則氏のアトリエ、村上隆氏のアトリエ、宮島達男氏のアトリエなどに行くらしく、ちょっとハイソすぎるので、やっぱり、多摩川文明めぐりもしなくちゃと言うと、かなり興味津々で、結局横尾忠則氏のアトリエを見た後に、多摩川に連れて行くことに。これは楽しみになってきた。僕の絵のコレクターでもあるリックも来ているので、ぜひ僕の現場を見せたいと思っている。アンはとても聡明で、日本語も完璧なので、僕はとても嬉しくなり、ずっと話していた。いやいや、最近、集まってきてくれる人たちの感覚がスゴすぎて、毎回驚く。こういうときは、次のステージに入ってきていることの証。結局3時間くらい一緒に日本美術、日本現代建築などの話をする。僕がとても興味を持っている、建築家三分一さんのことをよく知っているらしく、絶対、あなたは会ったほうがいい、と言われた。その後、家に帰ってくる。アオが、最近僕と遊び足りないと思っているのか、夜散歩しようというので、家族三人で真っ暗な公園で遊ぶ。佐々木中さんの担当編集の河出書房の阿部さんからメール。来月、佐々木中さんとトークイベントをすることが決まった。これはとても楽しみ。近日中に詳細をアップします。BRUTUSの編集をやっている井出さんからメール。BRUTUS誌上での特集内でインタビューをしたいとの依頼。快諾する。毎日、何かが動いている。人が集まってくる。面白いものが寄ってくる。こりゃ、逃しちゃいけない時期なのだろう。扉を全開にして、確変に備えよう。明日から二日間、待ちに待った自由大学での0円ハウス学。気合い入れよう。

2010年10月28日(木)

お昼前に帰宅。帰宅後、少しゆっくりして、また外出。品川駅へ。構内で、カナダのバンクーバーから来ている、原さんとパートナーのランディと待ち合わせ。久々の再会。彼らとは、昨年、100万人を動員したトロントでの白夜祭と呼ばれる巨大なアートイベントで一緒に仕事をした以来。その時の日記を見てくれた人にはご存知の自転車整備工でありながら、シネマコレクターであり、グレイトフルデッドを撮影してたこともあり、夜12時以降はマルティーナという女性に変貌する、静かなジェントルメン、我らがマーティンを僕に紹介してくれたのが、ランディ。原さんは、バンクーバー美術館での僕の世界で初めての個展を企画してくれたキュレーター。この二人には、本当にいつも助けられている。彼らが紹介してくれる人たちは本当にいつも刺激的でクリエイティブで普通に生きていたら絶対に会えない。と、そんな二人が日本に来てくれたのだから、やはりこちらもとびきりの世界を紹介してあげたいと、もちろん多摩川文明へ。のっけから、大ちゃんがぶっとばしてくれて、二人は感動しちゃっていた。その後、ロビンソンクルーソーの家へ。あたたかい部屋の中で、柿を食べながら、話を聞く。なんか知らんが、三人とも泣きそうな気持ちに。やはりここには人間がちょっと忘れそうになっている、しかし、絶対に失うことがない大事なことが散りばめられている。僕はロビンソンと会うといつも、自分の道を信じてやってきてよかったなと心から思える。それが海を渡って、カナダの親友たちにも伝わって、本当に嬉しかった。いきつけの中華料理屋で、三人でとにかく語り合う。またバンクーバーで一緒に仕事がしたいね、と。僕はふと、ひょっとすると、世界が変化しようとしているときっていうのは、こういう瞬間なのではないかと思った。今、あらゆる方面から、面白すぎる人たちが集まってきている。とても勇気づけられた日だった。ロビンソン、大ちゃん、ゴリさん、ありがとうございました。

2010年10月27日(水)

お昼頃に帰宅。まだ眠くて、家で布団敷いてゴロゴロしながら本を読む。怠惰な日。フーアオは読み聞かせ会に行ったので、一人でぼーっと暮らす。夜までゆっくりして、今日は平穏な日を送ろうとしたが、食事も終わって風呂も入った後に、磯部涼から電話があり「佐々木中さんと今からeleven行くから、お前もすぐに出て来い」と指令があり、完全にフーは呆れてしまっているが、家を出てしまった。終電で、六本木へ。中さんと磯部涼とクララちゃんと待ち合わせして、まずは中さんのオススメの焼き鳥屋へ。ここ博多スタイルで、キャベツに甘酸っぱいタレつけるという九州スタイルで、もちろん豚バラがあるので、それを注文。中さん、新刊5日目にして重版が決まったらしく、そのお祝いもかねて。いやいや、こうやって、いつも会っている男がかっとばしているというのは、痛快で刺激であり、嫉妬もするよ。で、午前2時頃、西麻布のelevenへ。RAUDEFという20歳の若いMCのライブ。これがやばかった。しかし、途中で一緒に歌ったS.L.A.C.Kがもっととんでもなくやばかった。彼もまだ23歳。これどんな世界だよ、とまた嫉妬。DJはPUMPEE。S.L.A.C.Kの実兄であるPUMPEEに、僕はゲイ心満載なので、初めて会って話をする。すると、PUMPEEもDOMMUNEの都市型狩猟採集生活を見てくれていたらしく、オザケン歌ってましたよねーとか、盛り上がる。今度一緒にでようよと持ちかける。しかし、恐るべきこの兄弟。こうやって、今、色んなところで、色んな才能が爆発しそうになっている。その後、ECDさんのライブも聞く。その後は、いつものように磯部涼と一緒にテキーラをたかり、ショット飲み続ける。K-BONGもいた!中さん、かなり出来上がっている。朝方、クラブを出まして、中華ラーメン屋で、僕と磯部涼と佐々木中さんと三人で、チャーハンとラーメンを食べる。その後、さらに飲みに行った。

2010年10月26日(火)

午前中、ゆっくりして外出。午後1時半、清澄白河にて編集者の上條ちゃん、写真家の大森克己さん、そして、石川直樹くんと待ち合わせ。エココロ11月号に掲載される予定の対談。清澄白河を大森さんに写真を撮られながら、歩く。その途中で、SNACを横切ったので、ちらと覗くと、先日一緒に飲んだ桜井さんがいて、さらによく見ると小田島等さんたちもいて、ついつい立ち寄る。その後、赤々舎のギャラリーへ行き、さらにじっくりと石川直樹くんと話す。ほんといっつも、全く考え方が正反対なので笑っちゃう。一時間ほどで仕事終了。僕と大森さんだけになり、一杯飲みますかってことで、神田へ。途中、銀座で乗り換えてたら、またここにも小田島等さんが。一緒に飲もうよと誘うも、仕事とのことで断念。しかし、こういう偶然は面白い。大森さんと神田の魚料理屋にて麦酒乾杯し、話す。この前の、swich誌上でのDOMMUNE中沢新一さんとの対談の記事に掲載された大森さんの写真がスゴく良かったのでお礼を言う。プリントくださいとおねだりも。一緒に飲んだのは、僕が多摩川生活をしていた時以来。ということで、なんか盛り上がり、さらにもう一軒行こうということで、西麻布へ。焼き鳥屋へ。コヨーテの佐々木さんも呼んで飲む。佐々木さんに、次の連載企画を伝える。今度は世界中のスラム街をフィールドワークしたい。前向きに検討とのこと。その後、東京都現代美術館での今週末からの展示の搬入を終えた石川直樹くんも参戦し、なんだか、いつも通りすごい議論。12時過ぎて焼き鳥屋を出て、もう一軒、落ち着いた感じの居酒屋へ行き、そこでは石川直樹くんと二人で議論。2時過ぎまで飲んで、大森さんと石川くんは帰って、僕と佐々木さんはタクシーで恵比寿駅へ行き、磯部涼を呼んで、ももたろうへ。飲もうとするも、午後3時から飲んでた僕はグロッキーとなり、オレンジジュース。朝方、磯部邸横のインターネットカフェに連れて行かれて、朝9時まで眠る。

2010年10月25日(月)

朝、興奮冷めやらぬまま、佐々木中さんに電話して、読後の感想を述べる。その後、駅前でフィルムアート社の薮崎さんと待ち合わせ。ルノアールにて打ち合わせ。恵比寿映像祭という東京都写真美術館で来年開催される展覧会のために、エッセイを書くという依頼。「デイドリーム・ビリーバー」と名付けられた展覧会とのことで、僕の夢日記を読んで興味を持ってくれたとのこと。そんな依頼初めてで面白いなあ、と。先日、ワタリウムで見た、中原昌也さんの「IQ84以下」という絵本もフィルムアート社とのこと。なんか物事が少しずつ連続性を持っている。今週末から開催される自由大学での特別講座「0円ハウス学」が50名ほど集まっているとのメール。これはとても嬉しい。そして、面白い講座にしなければと責任も感じる。家に帰ってきて、エココロ「家をめぐる冒険」のドローイング。熊楠の庭の配置図を描く。吉阪隆正のヴェニス・ビエンナーレ日本館の配置図に影響を受けて。そういえば、僕が新刊で書いた高解像度で都市を捉えるという感覚は、この吉阪の図面に描かれた詳細な植物の絵がインスピレーションになっている、と僕は思い込んでいる。吉阪隆正賞というのが、今年から始まったらしい。その後、月刊スピリッツ「路上力」の絵も描く。二つとも終わらせて送信。

2010年10月24日(日)

朝からエココロ「家をめぐる冒険」連載第4回目の原稿。南方熊楠の家について。2000字。今日は調子がいい。書き終わり、えりちゃんに送信。カナダのバンクーバー美術館と連絡を取る。今度、バンクーバー美術館主催のコレクター、支援者たちのための日本ツアーがあるらしく、その中で、僕のスタジオ見学をしたいとの依頼。快諾するも、スタジオって、ただの僕の家なんだけど、しかも国立なんだけど、いいのかな。しかし、コレクターたちに会えるのはまたチャンスにもなると思うので、しまい込んでおいた作品を引っ張り出す。さらに、dig-ital#4を買ってくれたバンクーバーのコレクター、リックも上海ビエンナーレの次いでに日本に来るらしく、僕にも会いたいと言ってくれているとの情報を今度、久々に日本に帰ってくる原さんから。なんか、現代美術と最近関わっていないなと思っていると、このように話が出てくるから面白いな。いましろさんの作品も紹介したいところだが、どうかな。その後、アオが寒そうなので、ジャケットでも買いに行こうと思い、フーアオ連れて買物へ。国立駅前のセレブ御用達子供服屋を見物しにいくも、ベルギー製のジャケットとかあるけど、高価。見物だけはして、購入はGAPで。ドーナツ食べて帰って来る。家帰ってきて、北尾さんから頂いたゲゼルの本読む。いやいや、これはスゴい本です。興奮する。その後、さらに何か読みたくなり、佐々木中さんの「切手」を読む。僕の横で中さんがあたかも熱弁しているような、空間的な本。さらに、興奮し、ずっと読み続け、深夜読み終わる。いやいや大変な本が生まれちゃったな。そして、同じ時代にものを作っているものとして、大いに嫉妬する。中さんと飲みたいよ。

2010年10月23日(土)

朝、なかなか起きれず、昼前に起床、外出。午後12時、飯田橋のカナルカフェへ。上野の結婚式。この店、みんな好きだなー。上野のおばちゃんと会う。この前、茂木健一郎氏とのトークショーに来てくれたので、おつかれさまと言う。早稲田の同級生と会う。先週も会ったけど。ボートに揺られて上野とミキちゃんが運ばれてきて開始。音楽隊が演奏。お米を引き出物に。その後、ちょっとみんなでお茶して、帰ってくる。アオの体調が良くない。エココロ誌上で石川直樹くんと話をすることに。撮影は大森克己さん。これは楽しみ。フィールドワークについての対談とのこと。バンクーバーの原さんから連絡。来週、東京に来るので会おうということに。ちょっと最近、アートの方のウェイトが軽いので、刺激を受けて、また仕事をやってみたいところなので、よいタイミング。パートナーのランディも来るので、楽しみ。昨年のトロントでの白夜祭を思い出す。いやあ、あれは楽しい思い出である。フィルムアート社の編集者の方から東京都写真美術館で行われる映像際のカタログに掲載するエッセイの依頼。面白そうなので、受けた。エココロの原稿、頭が冴えず、明日へ延期する。

2010年10月22日(金)

結局、家に辿り着いたのが、12時。家に帰って、布団に包まる。今日は、フーアオと外出の予定であったが、僕だけ家にいることに。寝ながら、カール・マルクス伝を読んでいるが、これ、無茶苦茶面白いんですけど。革命家が革命家になるまでの過程が描かれている。しかも、かなりフラットに書かれているので読み心地良し。佐々木中兄さんから新刊「切りとれ、あの祈る手を」が郵便で送られて来る。感謝。なんか、いっつも飲んでいて、ある意味戦っている人間がこうして、まるでリアクションをするように新刊を出す、というのは、とても緊張感があり、かつ興奮する。ちゃんと口だけじゃなく、行動を起こさないといけないと、気を引き締める。ちらりと読むが、のっけから面白そうで、焦る。ちゃんと椅子に座って読もう。小学館村山さんからカリスマホームレス連載最終回の校正が送られて来る。これで、ウェブ連載も終わり。後は、スピリッツで連載している「路上力」と合わせて書籍化へ向けて頑張らねば。スピリッツの豆さんとこの前、飲んでいて、とても面白い本の構想を聞いたので、これは楽しみである。

2010年10月21日(木)

朝起きて、原稿。月刊スピリッツ「路上力」連載第16回目。今回は多摩川のコルビュジエについて。路上のデザインについて。1800字。書き終わり送信。編集の豆さんから連絡があり、オッケーとのこと。後は、スケッチ。その後、集英社すばる「「モバイルハウスのつくりかた」連載第4回目ゲラチェック。直して、送信。飛鳥からオッケーとのこと。そろそろ家を作らなくてはいけなくなってきている。次回、始まるかも。その後、エスプレから頼まれている、三井不動産のムック本のための原稿。四次元ガーデンについて。1200字。すぐに書いて送信。えりちゃんからオッケーとのメール。午後6時、外出し、高円寺で磯部涼と待ち合わせ。二人で、座・高円寺へ向かう。今日は、宮沢章夫さんが主宰している遊園地再生事業団の公演「ジャパニーズ・スリーピング」を観に行く。先日、SNACでの杉田俊介さんとのトークショーでお世話になった桜井さんと会う。今回の公演の音楽を担当されているそうだ。で、演劇を観る。眠りについての演劇であった。インセプションのエレベーターで象徴化されているような垂直的な構造ではなく、いくつものレイヤーが混ざりあっているような眠り、夢の表現にはとても共感した。無意識の話でありながら、最後まで意味性からは離れない構成に、僕は勝手に先日見た建築家の藤本壮介氏の展覧会と重ね合わせていた。チャプターが毎回変わっていたら、どうしよう、それはとても面白いと言っていたのだが、役者の方に聞いたら、そうではなく、毎回同じ順序らしい。舞台はもっとシンプルでもよかったのではないかと思った。床と壁の素材が違うのはなぜだったんだろう。言語化できない気になることが、頭に引っ掛かっていて、それは、まさに夢の感覚だった。物語というよりも、感覚自体を演劇化しているから、僕はとても興味を持ったのだろうと思った。所々、岡田利規さんが主宰するチェルフィッチュの影響が見えたのはとても気になった。終わって、磯部涼と二人で駅前の大将で飲む。途中から、ダブマル参戦。桜井さんが、役者の方と音楽家の松倉如子さんとかを連れてきた。あとで、おまちかねの佐々木中兄さんも。明日、待望の新刊「切りとれ、祈りの手を」が発売されることもあって、気合い十分の中兄さんに、僕は結構絡んでいた。その後、みなで、グラスルーツへ。朝方、電車にのって帰るが、丸ノ内線を何回も往復してしまっている。まだ帰れていない。

2010年10月20日(水)

クラブキングのことで、完全に摩耗してる。仕事していてこんなこと初めて。桑原茂一さんがまた僕に対して言っているようにしかとれない呟きをしていたので、そういうこと言うのなら直接僕に言ってくれと思ったので、クラブキングに電話して、桑原茂一さんに代わってくれと抗議したのだが、電話に出てくれないので、メールで伝えた。主語を消した状態で、文句を言うのはフェアではない。言いたいことがあるのなら、直接言って欲しいし、ちゃんと反論を聞けるような環境を作ることは表現者として最低限のルールである。こちらはいつでも話せますので、気が向いたらよろしくおねがいします。で、代わりにクラブキングの今回のトークショーの企画を担当した森脇さんが国立まで来てくれたので、話をする。茂木健一郎さんがトーク前から完全に酔っぱらっい、とても議論ができる状態ではなかったことに対して抗議する。それは理解してもらった。しかも、茂木さんのこのような顛末は、僕とのトークショーだけでなく、先月行った、アーティストのヒロ杉山さんの時も全く同じような状態であったらしい。がくっ。もうお酒はトーク前には出しませんと、森脇さんが言ったので、今回は納得することにした。で、次に太田出版の北尾さんまで来て「ごめん」と。ということで、これにて終了。もうこんな無駄なことはしない。その後は、北尾さんと作戦会議。ゲゼルの著作を頂いて、土地についての本も進ませていこうということに。これは、ワタリウム美術館でシンポジウムも開く予定。まだまだうまく書けるかわかりませんが、もしもちゃんと書けたら、成長するはずなので、がんばろう。で、家に帰ってきて、原稿を書く。午後9時から、TBSの「ビートたけしの究極の大疑問スペシャル」を家族と観る。9時50分頃から0円ハウス特集。僕のインタビューから始まり、DOMMUNEの模様など紹介され、隅田川のエジソンこと鈴木さんの特集、そして、多摩川のロビンソンクルーソーをビートたけしさんと友近さんが訪ねるという有り得ない特集。今回は、構成段階からかなり綿密な対話を制作会社と行っていたので、ほとんど思っていた通りの編集でとても良かったのではないか。柿をむきながら、ロビンソンに共感するたけしさんに、ウルッと来る。いやいや、本を書いている時には、こんなことが起こるなんて想像もしなかった。しかし、人間動いていたら、どんなことでも実現するのではないか、と勇気づけられた一日であった。午前中は疲れたけど、それは一瞬にして吹き飛んだ。

2010年10月19日(火)

朝起きて、外出。家の前の図書館にて「カール・マルクス」E・H・カー著、石上良平訳の本を見つけて、なんか気になったので借りてみた。これは面白そう。それ読みながら、電車に乗って広尾へ。都立中央図書館へ。エココロ「家をめぐる冒険」連載第4回目の原稿のための資料集め。第4回は南方熊楠の家を取りあげようと思っている。熊楠関連の本を虱潰しに眺めて、家に関する記事を片っ端から見つけてはコピーする。家自体は、普通なのだが、いかに書けるか。熊楠の家には二回直接行っているので、頭の中にはしっかりと入っているのだが。庭と家の絡みについても書いてみたい。東京大学の学生から連絡。12月26日に開催されるイベントにて対談をしてくれとの依頼。対談相手はオリガミ工学博士の方らしい。テーマは空間について。なんかおもしろそうなので、即快諾した。本屋で立ち読みしてたら、美術手帖でも村上隆氏の特集がされていたので読む。うーん、これは面白いのだろうか?芸術という側面から捉えているというよりも、村上氏の人間について取りあげている。まあ、サイゾーでの取りあげ方も変な感じではあるが。とか言っていたら、村上氏がサイゾーの僕と暮沢さんとの対談について、コメントしていた。まだ読んでいないから、さっそく買いに行くと言う。これはとてもよいことだ。僕は今回初めて、自分についての話ではなく「村上隆」という他の芸術家について批評的な対談をした。こんなこと、この記事の担当だった中矢くんからお願いされなければやらないのだが、今回は思い切ってやってみた。それを直接、本人が読んでくれるというのだから楽しみだ。僕は正直な意見を述べたつもりだ。批判的っていう人もいるけど、僕はむしろ共感もしているんだけどなあ。まあどんな返答がくるのか楽しみである。こんなこと、そんなにできるもんじゃない。その後、エココロの原稿に取り掛かる。なかなか進まない。明日までに仕上げればいいからいいけど。とか言っていたら、今度はクラブキングのラジオの件について。結局、ラジオ放送は中止にしてもらうようにしたのだが、まだちょっとこじれているらしい。なんだか周辺でざわざわとざわついている。しかし、こういうのは僕の場合、結構好きなので笑、逆にエネルギーになっている。摩耗はするけど。。さあ、さらに明日はお待ちかねの特番での多摩川文明潜入レポートwithビートたけしさん。騒がれることはよいことなので、とりあえず落ち着いてやっていこう。

2010年10月18日(月)

午前中、家でしばし作業をして、外出。エクセシオールにて原稿。集英社すばる「モバイルハウスのつくりかた」連載第4回目。4000字。今日は、頭が冴えているようで、勢いよく原稿は進む。無事に終了。これで21日までに残り三本。一番大変なのが終わったので、ほっとする。昼飯は、いんでぃ庵のチキンカレー。美味。その後、太田出版から連絡があり、先日のクラブキングの対談のラジオ放送の件についての経緯の説明。えらく面倒なことに巻き込まれてしまっている。はあー。どうしよー。北尾さんに任せて、次の原稿。書いていたら、フーアオが邪魔しに来たので、つい喫茶店ひょうたん島へ行ってしまう。珈琲と栗ケーキを食べる。その後、アントルメで明日食べるパンを購入し、家に帰って来る。その後も原稿。しながら、時折北尾さんから電話が入る。最終的に、クラブキングのスタッフの一人が、提出すべき企画書をまだ送っていないという有り得ないことが発端となり、今回の問題が発生していることが判明。とりあえず、19日に放送するのはやめてもらった。で、とにかく企画書を送ってくれとお願い。それを見てから、後日放送するかは判断します。今後、絶対に気を付けてほしい。夜、早稲田大学卒業10周年の集まりについて、正式にオファーが入る。しかし、僕なんかでいいのだろうか。誰も知らないだろうに。でもオヤジの命令なので、やります。そこで、もう一人呼ぶからその人と対談というのはどうかとの話。それがかなり面白そうで、突如盛り上がる。まだ参加してくれるかの了解がとれていないらしいのだが、実現したら結構面白いことになりそうな組合わせ。ということで、勝手にモチベーションがあがる。サイゾーが送られて来る。美術評論家の暮沢さんとの対談が掲載されています。お題は村上隆氏について。正直に思うところ書いてます。日経プレミアシリーズの「梅棹忠夫 語る」という新書を、駅構内の書店でふと見つけ買って読んだ。で、これが良かった。若い人は読んだらいいんじゃないか。一切の引用を信用せず、自分の足を動かして見たことしか書かない精神。人に分かる文章しか書いては駄目だ。村上隆氏の芸術起業論の元ネタであるのかと僕は勝手に睨んでいる「情報産業論」。メモとスケッチと写真についての考え方。とても共感するものがあった。そして、自分の今のやり方でいいんだと自信がついた。一人で興奮して寝転がって本を読んでいると、気付くと横でアオも僕の文庫本を持ってきて真似して寝転がって読んでいる。いや、本当になんでも真似するのである。梅棹さんは学ぶは「まねぶ、真似ぶ」だと書いていた。しかも、アオが持っている書名を見たら「方丈記」であった。こりゃやばいな。

2010年10月17日(日)

朝起きて、コンビニで新聞を買う。東京新聞の日曜版で、「ゼロから始める都市型狩猟採集生活」の書評が掲載されていた。いやいや、ゼロ君すごいですよ。あんたは。新聞社全制覇しちゃいそうな勢いです。評者は土佐有明さん。かなり読み込んでくれていて、とても嬉しい書評。週刊朝日が送られて来る。忘れられない一冊というテーマで、浮谷東次郎のがむしゃら1500キロについて書いてます。すぐに外出。浅草の鈴木さんの家へ。一緒に銀座線にのってワタリウム美術館へ。今日は「アート一日小学校」というワタリウム美術館主催のイベントで、小学生20名に0円ハウスのつくりかたを教えるというワークショップ。美術館近くの公園にて制作。太田出版、北尾さんの娘(なんとアオちゃん)さんも参加。半分に分かれて、二軒の家を作る。鈴木さんチームと、僕チームで。はじめは引っ込み思案だった子供たちも、全ての行程をゼロからやらせていたら、次第に興奮してきて、積極的になってきて、自ら手をあげて、トンカチ叩いたり、鋸で木材を切ったりと、大活躍。しかも、誰一人としてけがもしなかった。子供たちも、ちゃんと信頼して任せたら、なんでもできるのである。二時間で無事に家が完成。子供たちの顔を見ると満面の笑みで、こちらもやったかいがありと喜ぶ。鈴木さんは子供たちに教えるのがさすがに疲れたようで、草臥れていたが、満足そうであった。その後、ワタリさんとワタリさんの家族と、僕と鈴木さんとタンゴと本田さんとみんなでイタリア料理屋でパスタを食べて、報酬を二人頂き、それ持って蕎麦屋へ行き、焼酎飲みながら、色々と話す。今回、子供たちに教える経験は僕にとって初めての体験だったが、これがとても疲れたのであるが、同時にとても楽しく、充実した時間となった。鈴木さんと二人で全国の小学校を行脚するのもいいねえ、なんてことを空想したりしながら、昼間から酒。その後、みんなと別れて、また次に飲みに行こうとしたが、いきなり睡魔が襲ってきたので、今日はちゃんと家に帰ることにした。オヤジから電話があり、ビートたけしさんと友近さんと恭平が一緒に歩いている番組のCMが流れていたよと連絡。20日、楽しみである。

2010年10月16日(土)

朝から原稿。その後、外出し、亮太の家でスーツとか借りて、着替えて、駅で、オヤジとフーアオと待ち合わせして、皆でお茶の水の山の上ホテルへ。原ちゃん、栄吉、ひろ、上野、大学の同級生と久々に会う。タンゴもなぜか参加。マコトとはんなちゃんの結婚式。穏やかでほんわかした結婚式。とてもよかった。で、アオの大舞台。お祝いの挨拶。マイクを向けると、しっかりとした声でおめでとう、乾杯と言った。拍手が鳴り響き、それに興奮している様子。こりゃ、癖になるぞ。その後、オヤジの相撲甚句も。これはマコのリクエスト。結婚式は無事終了。その後、居酒屋で二次会。久々に会ったので、建築の話をしようとしたが、ちょっと僕だけ熱くやりすぎたかなと思った。最近、やたらと熱くなる男たちとばかり話していたので、ちょっと肩すかしだった。終電で帰って来る。

2010年10月15日(金)

午前中、原稿。来週中頃までに仕上げないといけない原稿がちょっと溜まっている。集英社すばる「モバイルハウスのつくりかた」連載第4回目。担当の飛鳥さん、文庫部に異動になったらしいが、引き続き担当するとのこと。今回は、材料集めの巻。4000字。まだ完成せず。路上力第15回目。多摩川のコルビュジエについて。こちらもまだ終わらず。エココロ連載「家をめぐる冒険」第4回目。今回は南方熊楠の家について。2000字。エリちゃんからの依頼で、なぜか三井不動産の本の中で、四次元ガーデンについての論考。不思議な仕事だが、受けることに。というのが、全然終わっていない。午後外出。中野の島忠へ。日曜日に行われるワタリウム美術館でのこどものためのワークショップ用の材料。今回は拾わずに買いました。家二軒分。でも五千円。こんなふうに家が出来ていくと世の中無茶苦茶面白くなるのにな。で、中野で親父と待ち合わせ。親父は明日のマコトの結婚式のために相撲甚句を歌う目的で熊本から上京。で、二人で帰宅。丸岡の餃子を持ってきてくれていて、それを焼いて麦酒飲む。早稲田大学の卒業10周年の記念パーティーにて代表で小さな講演をするという依頼。最初、ちょっと恥ずかしいから断ろうとしていたが、親父がやれというので、引き受けた。来年1月。早稲田には在学中も卒業後もほとんど関わりなくやってきちゃったのに不思議なもんである。上條ちゃんからエココロにて、どこかに散歩しないかという依頼。11月23日、TAMA映画フォーラムにて「怒る西行」という映画上映後にトークショーをするという依頼。一体なんで僕に?と思ったが、師匠、石山修武氏のご令嬢が映画に出演しているのを発見。それが理由?か分からずも快諾。熊本市現代美術館の坂本さんからメール。昨年作った僕の作品をぜひ購入したい、とのこと。来月、収集委員会にかけるという。健闘を祈ります。夜、NHKの松本人志のコントを見る。僕がボケているのだろうか。全く笑えず焦る。夜、桑原茂一さんのtwitterで、先日茂木謙一郎さんと行った対談をラジオで放送するという情報を確認するも、僕には事前連絡が全くなされておらずびっくり。それは困ります笑!僕としては、あの対談を編集して流したら、全く意味がないと思っているので、やめてくださいとメールした。ということで、ラジオでは放送しませんので、あしからず。明日はマコトの結婚式で、なんとアオがお祝いの言葉を壇上で話すという大舞台があるので、家で稽古。マイクを向けると、即座に言葉が出てくるという、しっかりとDNDを受け継いでいるので、速攻で練習は終了。

2010年10月14日(木)

朝からエクセシオールへ行き、原稿。「モバイルハウスについて」連載第4回目。しかし、なかなか進まん。午後、フーがtwiggyに髪を切りにいったので、僕がアオを子守り。しかも、アオは体調が優れず、咳しては吐いているので、仕事を中断し、子守り専念。夜まで。疲労。ずいぶん前にクイックジャパンで掲載された雨宮処凛さんによるインタビューの記事が書籍になるらしく、掲載許可のメール。快諾。夜、太田出版の梅山くんから電話があり「今、石川直樹くんと飲んでるけど、四谷来ない?」という誘いに一瞬、揺らぐも、今日はやめておいた。

2010年10月13日(水)

朝、帰宅後。昼から、外出。多摩川へ。集英社すばる用の取材。ロビンソンクルーソーに会い、モバイルハウスを作りたいと言うと、家の作り方の講義が始まり、ありがたいかぎり。私のまわりには、とんでもない酋長たちがわんさかいる。これは現代では、ありえないことだろう。多摩川で家を作ればいいじゃないかとまで言ってくれた。これで、製作場所は確保。さらに、材料集め。熊本出身の高野さんという多摩川に十年以上も住むオヤジと久々に会うと、いらない材料が一杯あるから、リアカーもあるし、持っていっていいよという天の声。材料も確保。その後も、色んな家へ訪ねては家の建て方、材料の集め方など教えを乞う。

2010年10月12日(火)

午前中、原稿。また色々仕事の依頼。引き受けるか、ちょっと考えよう。他にも映画の試写のお誘いなど。昼前に外出。午後1時に原宿へ。ワタリウム美術館へ。今週の日曜日に行われるこどものためのワークショップ「0円ハウスを作ろう」のための打ち合わせを和多利さんと。和多利さんとは久しぶりに会うが、本当に僕の仕事をずっと応援してくれているので、とても心強い。ワークショップをする予定の場所の下見。面白くなりそうだ。鈴木さんと一緒にやる。その後、カフェで珈琲飲みながら、近況などを話す。その中で、僕が今、土地の所有について考え続けていると言ったら、ワタリさん、ピンと来たらしく「じゃあ、ワタリウムで土地についてのシンポジウムとかやってみればいいじゃん」と、提案された。これは無茶苦茶ありがたい。そうすると、ワタリさんのお姉さんが「この前、建築家の伊東豊雄さんもそんなこと言っていたわ」と教えてくれて、これはぜひ話をしてみたいと思った。もちろん、菅直人総理大臣も。すると、またワタリさんがありえないことを。「管さん、昔若い頃、ワタリウムで講演してくれたんだよ」とのこと!なんか、スゴいことになるかもしれない。大地をめぐるレクチャー。乞うご期待。10回ぐらい、DOMMUNE方式で対談できればと思う。政治家、経済学者、民法学者、芸術家、建築家、百姓、路上生活者など色んな分野の人間を呼んで話をしてみたい。その後、新宿へ。暮らしの手帖の編集者、村上薫女史と椿屋珈琲店にて待ち合わせ、久々に近況を話し合う。カレーを御馳走になる。暮らしの手帖でもなんかやってみたい。その後、代々木へ行って、幻冬舎の竹村さんと喫茶店ロードにて書き下ろし単行本「多摩川文明(仮)」の打ち合わせ。一度270枚ぐらい書いたのだが、ここは思い切って、全部捨てて、もう一度最初から書いてみることにした。今の思考で、書かないと意味がないと思ったから。そんなわけでまた長い旅が始まることになる。コンラッドの闇の奥を読んで、今回の本のインスピレーションにしている。その後、磯部涼と原宿で会う。「ゆかり」へ行き、牛鍋をつつきながら、二人で酒を飲む。牛鍋って明治時代みたいじゃないか。何やっているのか。で、磯部涼が「この前、杉田俊介さんが、坂口恭平、磯部涼、佐々木中、石川直樹、岡田利規などを集めた雑誌をつくるべきなんじゃないか」と言っていたと教えてくれて、僕、勝手にピンときちゃいまして、自分たちの手で雑誌を作ろうじゃないかと磯部涼と盛り上がる。ということで、すぐに佐々木中兄さんに電話すると、「それなら雑誌と党派について、君たちに教えないといけないことがある」と知のパトロンの本領発揮。というか、中兄さん、最近いつも誘うと飲みに来てくれるので嬉しい。さらに、石川直樹に電話すると、面白そうじゃないかと盛り上がってくれて、参加の意向を示す。その後、言い出しっぺの杉田俊介さんに電話すると、彼も承諾してくれた。さらに、DJ Shhhhhにも電話して、祝祭について書いてくれてとお願い。彼も承諾。その後、漫画家のいましろたかし氏にも有り得ないと思うけど、打診してみた。すると、なんと参加してくれるとのこと。こりゃえらいことだ。さらに、磯部涼にS.L.A.C.Kにも参加してもらえるように言ってくれと依頼。さらに、編集は今回声をかけたほとんどの作家の担当編集をしている梅山くんにお願いすることに。すると、梅山くんがもし雑誌を作るときは長尾謙一郎さんがアートディレクションをさせてと言っていたというさらに有り得ない展開。さらに、どういう方法論で雑誌を作るかを磯部涼と二人で練る。さらに、僕のパトロンの一人に電話をすると、出資してもいいとのありがたい一言。そんなところで、佐々木中が合流。みんなでいつものようにデルアミーゴへ。今日はマスターが休みらしく、変な親父とおばちゃんが店番。佐々木中の雑誌と党派というテーマの演説を聞く。一体、いつの時代なんだ、今は。しかし、楽しい。フーが風邪をひいているらしく、帰って来いと言われたが、二人に引き止められて、結局磯部涼の家へ。さらに、以文社編集の前瀬くんと、梅山くんが合流。ハイボール飲みながら、さらに議論。ということで、来年春頃を目標に、今、一番信頼している作家たちと組んで雑誌を出すことにした。朝方、みんなで富士そばに行き、僕はもちろんカツ丼を食べて、帰って来る。

2010年10月11日(月)

朝なかなか起きれず10時起床。外出。多摩川へ。集英社すばる連載「モバイルハウスのつくりかた」のための取材。第4回はいよいよ家作りに取り掛かる。まずは、材料集め。ということで、多摩川沿いを歩きながら、さらには集落を一軒一軒訪ねながら、材料を探す。ロビンソンクルーソーとも会う。先日のビートたけしさんとの対面についても話す。とても満足してくれていて安心。その後、モバイルハウスのつくりかたについて一緒に考えてもらう。その後、多摩川のコルビュジエにも会いに行き、教えを乞う。みんなほんとにすごいな。こんなおやじたちがいると思うと日本も心配ないと思う今日この頃。午後4時半ごろまで取材を行い、無事終了。その後、友人に誘われて今度は登戸の多摩川河川敷へ。20名ほどでやっている休日のバーベキュー大会に参加。肉や焼うどんやピザなどを食べる。美味。その後、電車を反対に乗り間違えたりしながら、午後11時ごろ帰宅。ワタリウム美術館の和多利さんと電話で話し、来週日曜日のこどものためのワークショップの打ち合わせを明日することに。DOMMUNE宇川さんから連絡、都市型狩猟採集生活第5回目、やろーよとのこと。

2010年10月10日(日)

午前起床。原稿を書いて、外出。フーアオと。駅前のひらよしでトンカツ定食を食べて、銀座へ。資生堂ギャラリーでやっている石上純也氏の展覧会へ。大学の同級生などに会う。人が多い。展示されているのはかなり小さな模型。僕は、もっと自然や環境のことを考えた建築をやろうとしていると思っていたが、プロジェクトなどを見る限り、それよりも60年代に活躍していた、アーキグラムやスーパースタジオなどのプロジェクトに近いのではないかと感じた。むしろスーパースタジオだな、と。それはとても興味深いというか、ある意味強いかもと思った。なるほどなるほどと一人で納得していた。僕と似ているようなことを考えているかもしれないと思っていたが、たぶん、全く逆のベクトルを向いている。行って見てよかった。その後、銀座に来たのだから、三越に行きたいというフーに連れられて、新しくなったらしい三越へ。9階に庭があったので、そこでアオを遊ばせると、知らぬうちに同じくらいの女の子と手をつないで、二人で走り回っていて、いやいやこどもはそんなことができるのか、すごいな、と思った。そこでクルミアイスを食べて、帰ってきた。家に帰ってきてメールを見ると、またまた面白い案件が動き出している。いやいや、この流れ、なかなか止まらない。行くとこまで行ってくれ。

2010年10月9日(土)

午前中、原稿。その後、フーアオと外出し、鉄道総合研究所で行われている祭りに参加。露店で飯買って、昼飯食べる。その後、午後2時国立駅前へ。僕の母校である熊本高校のOBの先輩、千野さんと待ち合わせ。エクセシオールカフェへ行き、同窓生のための会報誌のインタビューを受ける。なんか面白そうだったので受けた。千野さんから普段のインタビューとは違った切り口で、結構色々と聞かれる。仕事の内容というよりは、どういう過程を経て、今のような仕事をするようになったのかということを聞かれたのが興味深い。意外と盛り上がり、二時間近く話をする。その後、夕方から家で一人で子守りをする。ササオから、ビートたけしさんと僕とのツーショット写真が送られてくる。いやー、これは宝物になります。肝心の放送は、10月20日(水)午後9時からTBS系列で流れる「ビートたけしの究極の大疑問SP」という二時間の特番です。隅田川、多摩川の都市型狩猟採集民両横綱が登場する予定。僕のインタビューも少し流れると思います。ゴールデンタイムのテレビで流れるのはもちろん初めてのことなので、どのような反響がくるのか想像はつかないが、後はうまくいってくれと願うだけである。しかし、民放で多摩川文明が流れるのは、衝撃的なはずだ。ぜひごらん下さい。

2010年10月8日(金)

まるで夢の中にいるような、現実感のない、しかし一生記憶に残るだろう、特別な一日。朝からちょっと原稿を書いて、お昼前に外出。都市型狩猟採集民たちの暮らす場所へ。太田出版の北尾さん、梅山くんと待ち合わせ。なぜか野次馬でササオも参加。さらに、有り得ないことに漫画家のいましろたかしさんも参加。一度、都市型狩猟採集民の生活を見てみたかったとのこと。現場へ直行。テレビ制作会社の方々と会い、打ち合わせ。今日もテレビ特番のための撮影。なんと、あのビートたけしさんと一緒に、都市型狩猟採集民を訪ねるという、有り得ない企画。まさかまさかですが、いよいよこんなところにまで来てしまいました。ビートたけしさんと友近さんと僕の三人で、草むらの中に潜入。それを総勢20名ほどのクルーが付いてくるという、まさに夢の中のような世界。僕の友達の都市型狩猟採集民たちにも話をしていたので、沿道で応援される。その後、一時間以上ぐらいみっちり撮影。たけしさんのトークに痺れる。感動。希望を抱いていたが、その通りに、たけしさんは都市型狩猟採集民たちに共感してくれていた。撮影終了後、二人でツーショット写真をササオが撮ってくれた。ササオの野次馬に感謝。たけしさんは終始、穏やかで僕には楽しんでいるようにも見えた。撮影していないときでも、気さくに話をしてくれて、僕はわけが分からなくなった。本当に夢かと思った。たけしさんはとんでもなくデカイ超高級車の窓を開けて、帰り際に挨拶までしてくれた。おいおい、こんなこと起きていいのか。なにかとんでもないことが始まるような予感に満ちた、希望だらけの一日。最近、疲れ気味だったいましろ先生が、テンション上がったと言ってくれたのも嬉しかった。たけしさんが帰り際に、僕にぽつんと、「こういう番組作ったら、世間の見方が変わるかもね」と言ってくれたことに衝撃。それこそ、僕がやりたいことなのである。その後、僕と北尾さん、梅山くん、ささお、そしていましろたかしさんの五人で、夢心地のまま、ぼーっとして、品川駅の地下の居酒屋へ。しばし、感慨に浸る。その後は、いましろ先生から多数の質問、叱咤激励を頂く。僕は幸せもんです。たぶん。みなさんとお別れして、ササオと二人で、飲み足らなかったので、その後恵比寿へ。ということは、当然、磯部涼に電話するわけで、三人でタクシーで原宿のBEAMSヘ。そこでパーティーをやっていたので顔を出す。何年かぶりに、俊くんと会う。佐藤ケイちゃんも来ていた。とか色々人に会い、麦酒とワインを飲んで、いつものデルアミーゴで、メキシコ料理を食べる。僕と磯部涼とササオとあやちゃんとたけちゃんと途中からナリまで参戦。もう一軒行こうかと思ったが、アオから帰ってきて下さい的電話が入ったので、終電で家に帰ってくる。酔っぱらって、気付いたら全裸で寝てた。

2010年10月7日(木)

午前8時過ぎに外出。東横線白楽で降りて神奈川大学へ。建築家の曽我部昌史さんの研究室へ。今日は朝から曽我部さんの授業にゲストで呼ばれて講義をする。三年生に向けて。僕のことを知らない人たちばかりだろうから、はじめっから説明した。寝てる人がいなくて安心したけど、やっぱり大学よりも、トークショーの方が断然面白い。そりゃ当然か。一時間半ほど話す。僕がやりたいと思っているのは、トークショーの時に来てくれるような人たちが集って学べるような学校を作りたい。むしろそれこそ大学と言えるのではないか。とか、そんなことを考えた。しかし、曽我部さんは定期的に忘れずに呼んでくれるのでありがたいかぎり。教授になって、会議ばっかりで大変そうだったけど。その後、牛丼食べて、国立で原稿。サイゾーのゲラを読むも、やっぱり納得がいかないので、中矢くんと電話で話す。ちょっと強く言っちゃった。しかし、おかげで光が見えた。その後、翼の王国のゲラ直しもやる。どちらも、終わらせて送信。小学館のウェブサイトのゲラ直しも。

2010年10月6日(水)

朝8時過ぎに家に到着。そのまま眠ろうとするもアオに起こされ眠れず。午前9時過ぎにようやく眠る。午前11時に起床。外出。新宿へ。ベルクにて映画監督の本田さんと待ち合わせ。カレー食べながら色々と話す。本田さんは独自に土地について調べてくれていて、僕に二冊の参考文献を教えてくれた。これがとてもありがたい。僕は次に何をやるか、何を書くか、ほとんどオープンにしているので、こうやってみんなが情報を教えてくれる。調べなくても、人が教えてくれることもある。その仕事のやり方が今面白いと思っている。その後、今までのトークショーの全DVDを焼いてもらった。11回分あった。この半年分のトークショーだ。いやいや結構歴史を感じる。色んな人と話してきた。茂木さんとのトークショーについて、本田さんはもう一度見返してくれたらしく、僕と茂木さんのひどくかみ合わなかったと思われた中に、一カ所だけ接着点があったとのこと。興味深い、もう一度見返して自分でも調べてみることに。失敗と思った部分の中からでも、可能性を見つけよう。本田さんと別れて、その後、浅草へ。テレビ制作会社の久留島さんと待ち合わせ。一緒に鈴木さんのところへ。前回の撮影時に一カ所忘れていたカットがあったとのことで、その撮影。その後、サイゾーの原稿。送られてくるも、納得がいかず、中矢くんと電話で話す。今日は早く寝る。

2010年10月5日(火)

朝外出。午前11時に、テレビ制作会社のスタッフの方々と待ち合わせ。太田出版の梅山くんも。多摩川での撮影のためのロケハンと多摩川のロビンソンクルーソーに出演依頼。ロビンソン、快く受けてくれた。8日に撮影を実行することに。甘柿をもらう。ロビンソン、退院後初めてあったが、少し元気になっていて安心した。これは面白いことになるはずだ。ロビンソンの生活が映像になって放映されたら、人々は驚くだろう。乞うご期待。その後、梅山くんと駅近くの中華料理屋で昼飯を食べて、麦酒を飲んで、僕だけ再び多摩川に戻って、多摩川文明のための撮影開始。今回は僕が自分でカメラを回すことに。今まで行ったことのない場所へも潜入する。また烏骨鶏を飼っている人がいてびっくり。しっかり卵を一つ貰って来る。その後、大ちゃんのところへ行くと、一杯飲もうというので、麦酒を頂く。一杯飲んで、渋谷へ。みねちゃんの事務所で喋る。しょうちゃん、シンゴ、しみちゃんらと話す。その後、べるまっしゅへ。翼の王国の卓ちゃんとエココロの担当編集えりちゃんと飲む。えりちゃんから仕事の依頼。三井不動産関連。そんなのを僕がやっていいのかと思ったが、やってみることに。翼の王国での建築の旅シリーズ第3回目についての構想も。僕はとんでもないジャングルの中の集落を提案すると、卓ちゃんが鋭い反応。これはもしかするともしかするかも。その後、ブラジル居酒屋へ行き、テキーラを飲んで、卓ちゃんとえりちゃんと別れる。その後、恵比寿へ行き、磯部涼を呼び出し、ササオを呼び出し、24時間営業の中国茶房へ。さらに、思想家佐々木中さんも呼び出し、ヤロー4人で熱く語り合う。さらに中さんを口説き落とす。その後、もう一軒飲んで、朝7時頃帰る。

2010年10月4日(月)

家で読書。闇の奥。映画「ハートオブダークネス」。やっぱりこれ何度見てもすごい。コッポラのドキュメンタリー。その後、カードゲームについて調べもの。僕が大学時代に中毒になってしまったトランプゲーム「ニッパチ」。あと地方札について。つまり全くいつもと関係ないことばかり考えていた。ぼーっと過ごす。

2010年10月3日(日)

午前中、家の前の図書館へ。亮太が教えてくれた内田樹さんの「街場のメディア論」を読んで、そこに出てきた宇沢弘文さんの「社会的共通資本」という本が気になったので、借りに来た。その中には、土地や住宅というものも含まれているはずだ、と思って読み進めていくが、書かれていなかった。残念。ル・コルビュジエが考案した輝ける都市という都市論を批判している。そのもとになったジェイコブズという都市論者がまた気になる。その後、エクセシオールで原稿。幻冬舎で書こうとしている多摩川文明をちょっと進ませてみようかと、長く放っておいた原稿を開く。リハビリ。とりあえず今日は読むだけ読む。10月22日に新刊「切りとれ、祈りの手を」を出版する佐々木中さんにお願い事をする。でもうまくいくかわからん。アオの幼稚園、どこにいれるかなあと考えてながら調べたりしてたら、どうやら、僕の家は忌野清志郎さんの実家とピンポイントに近いことが分かった。知らなかった。うちから一番近い幼稚園は「みふじ幼稚園」で、家の目の前は国分寺第二小学校なのだが、どちらも清志郎さんの母校なのでした。僕の家の周辺は全く文化の香りのしない地帯だと思っていたので、嬉しくなって気持ちが高ぶったので、つい書いてみた。

2010年10月2日(土)

メイとユメが通う小学校の運動会なので、フーアオ、フー母と向かう。一日、運動会見物。終了後、みなで吉祥寺のダーチャへ行き、喫茶して落ち着く。ずっと立ちっ放しで疲れた。バサラブックスのセキネから有力情報。うまくいくといいが。0円ハウス出世払い制度のお申し込み。なかなかいいペースで参加者が集まってくれている様子である。嬉しい限り。鈴木さんやら、多摩川で20年間自給自足し続けているロビンソンクルーソーなど、スゴい人が集まって来る予定。10月30日、31日の2days。お時間のある方は是非。ゼロから始める都市型狩猟採集生活がもれなく一冊付いてきます。先日の鈴木さんの撮影に続き、多摩川のロビンソンクルーソーにも出演を依頼。しかも、とんでもないゲストが多摩川まで来てくれることになりそうだ。ロビンソンクルーソーは出演を快く受けてくれた。近日中に打ち合わせをすることに。しかも、彼のアイデアをもとに、僕の友人の小島さんが横浜市が主催するビジネスコンペに応募したら、なんとグランプリをとったとの朗報も。彼の農業に関する独自の経験に裏打ちされた技術は、やはりとてつもないようだ。今度のテレビでもそういうところが伝えることができればいい。東西の都市型狩猟採集民両横綱が出てくれることになった。こりゃすごいことになるんじゃなかろうか。

2010年10月1日(金)

朝4時に起きるつもりが、二度寝してしまい、寝坊。午前8時過ぎに浅草駅へ。鈴木さんの家へ。鈴木さんとテレビ制作会社のディレクター久留島さんとカメラクルーが自転車に乗ってやってくる。今日は、10月20日午後9時から放送予定の特別番組用の撮影。僕の本を取りあげてもらえることになり、さらに鈴木さんの0円生活についての取材。鈴木さんの一日を追っている。僕が時折、解説したりしながら。鈴木さん、恥ずかしながらもちゃんと話してくれている。お昼はみんなで弁当。その後、鈴木さんと二人で晩酌しながらの模様を撮影。僕のインタビューも。午後5時頃無事撮影終了。その後、ギャラを手にした鈴木さんと二人で、打ち上げしようということになり、鈴木さんどこに行きたいと聞くと、スナックで8年ぶりにカラオケを歌いたいというので、浅草駅近くのスナックひばりへ。繁盛している。鈴木さんのっけから、渥美次郎を熱唱。さすが、昔、浅草で行われたカラオケ大会で優勝したことがあるカラオケキング。ママさんびっくり。隣の客もびっくり。その後、三橋美智也、千昌夫、吉幾三、北島三郎などを次々に熱唱。鈴木さんがタンゴと飲みたいというので、タンゴ呼ぶも、仕事で来れず。鈴木さん残念がる。坂口さんも歌いなさいというので、僕も久方ぶりのカラオケ。二人で、焼酎ボトル二本空けて、大いに酔っぱらい、5時間ほどみっちり歌って店を出る。しかも、鈴木さんに奢ってもらった。あちゃちゃ。その後、鈴木さんと別れて、もう一軒遊びに行こうとするも、電車の中で眠ってしまい、起きたら高尾だった。ぎりぎり終電で家に帰り着けた。

0円ハウス -Kyohei Sakaguchi-