Ise Journal

Vol03. 奈良の奥地に桃源郷を発見!

29th NOV,2006 part.1

朝から奥の院を歩き出す。
奥の院とは高野山にある、お墓のシルクロードみたいなもの。
武田信玄や、上杉謙信から、親鸞、など、大昔からの著名人の供養塔が建つ。
真っすぐの道が2キロも続いている。
お墓のテーマパークのようでもある。
古くは何百年前からもあるのだろう。
墓石からは写真のように、苔がむし、さらにそこから植物が生えてきている。
またもや、もののけの世界。

メインストリートに面している、変なものを発見。
これは通り過ぎる人たちが、それぞれ少しづつ石を重ねたものである。
ここでは仏教というよりはもっと違う空間になっている。
だって、真言宗なのに、宗派を超えて親鸞、法然の墓まであるんですもんね。

ここもやはり、今回の旅の共通点、「木がデカイ」!異常に。
しかも、これ、渦巻いている。

ロケット型の供養塔。
こういう結構奇抜なのが多く、唖然。
墓場独特の空気はむしろ無い。

ここが三の橋、ここから先が弘法大師、空海さんのお墓。
撮影禁止である。

奥の院の後は真言宗総本山、金剛峰寺に入る。
中庭がよい。

このように縦長の廊下。
そこからの風景が歩くごとに変化する。
仏教の修行する寺というよりは、デパートのように豪華でエンターテインメントに溢れている。

国内最大級の石庭。
というか、中庭全てが石庭のようになっている。
そのため、寺が海に浮いているように見える。

部屋の一つ。全て、黄金が貼られている。

障子の取っ手には高野山の宗紋。

金剛峰寺が面白いのは、表の豪華絢爛な世界と、
その裏の地味で、簡素で合理的な舞台裏があることだ。
そのまま台所と呼ばれている。

釜。現在も書うがつなどで使われているようだ。
また天井には煙を逃がすために、トップライトや換気口があった。

さてさて、僕たちは午前中で高野山を後にし、次なる目的地、天川に向かった。
そして、その途中で、予想もしなかった出来事が起こった。
桃源郷が見つかったのである。
ここは野迫川村今井という場所である。
みよ、この風景。
一番上にはなんだか、古めかしい茅葺きの家があるぞ。
林さんと興奮した僕はさっそく探検してみることに。

中に入ると、この世のものとは思えないような、平和な風景。
しかも、少しも荒んでなく、生活が行われている。
道とは言えないような小道が縦横無尽に広がり、
家と、畑と、隣の家と、村全体が、一つの調和となっている。

道。これが道ですよ!
そして、僕も
「うん、そうだ。これが道だ。」
と心から思った。

85歳のおばあちゃんに話しかける。
彼女のお母さんが亡くなる前に住んでいたところが、上に見える茅葺きの家だ。
健康的で、頭の回転が非常速い。
僕は一瞬にして、このおばちゃんがここの生活が他のものには変え難い、
深い生活の素を持っていることに気づいていることに気づいた。
上の家はなんと300年以上も建っているという。
江戸時代だ。

遠景。茅葺きとばあちゃん。

昔は50軒ほどの集落で、そのなかに小学校があった。
いつからか、廃校になり、今は集会場になっている。

小川を挟んで向こうに又集落が見える。
一番左の家が気になる。
なんだか、気持ちが良さそうだ。
そして、一番右に見えるのは、薪を背負っているおじさんだ。
よし、あっちに行ってみよう。

全景。手前の庭がたまらん。
おっちゃんの手によって作り出されている。
全然暇じゃないというのが印象的だった。

二階部分。
僕はここに今日は参ってしまった。
もう今日は寝てもいいと思った。
夏場は最高に気持ちがいいらしい。
夏に来ますといったら、「どうぞ、いらっしゃい」と言ってくれた。

おっちゃんとおばちゃん。
二人ともナイスキャラクター。

鳥は放し飼い。
木にはたくさんの鳥箱がぶらさがっている。
ちゃんと、戻ってくるらしい。

んー、こんな家がまだ残っていたとは。
今回遠くから色んな集落を見てきて、
一度も下りようとしなかったけど、
今回は即決で撮影会が決まった。
何らかの意味があったのだろう。
画家がここ気に入って、
東京から住みついているらしい。
そういうところなんだ。

吊り橋も渡った。
その向こうに一軒だけ家があった。

その後、吉野を通り抜けていく。
吉野はいい。
今回初めて気づけた。
角川春樹さんが毎年行くといっていた意味が分かった。
サクラの季節にまた来よう。
ここには利休が作ったという、庭があるという。

(つづく)

0円ハウス -Kyohei Sakaguchi-