坂口 恭平 エッセイ

秘密基地変遷記

秘密基地という言葉はいつ頃から生まれたのか?他の国の秘密基地事情はどうなっているのか?なんでこうも口承されていくのか?僕は誰から教えてもらったののだろう?とにかく秘密基地には考えることがたくさんありすぎる。それはまさに神話のように繰り返される。おそらくこのインターネット社会とか適当にいわれている最近でも子供たちは隠れてせっせと作っているだろう。それが当たり前だ。僕の秘密基地の記憶を遡ると、初めて秘密基地に触れたのは小学一年生の時だった。学校に行く途中の僕が住んでいた新社宅ではなく旧社宅に隣接されている球場の回りの松林の中だった。その中に一本だけ大きく途中から折れ曲がったように湾曲している松の木があり、容易にそこに登ることができた。まだ、僕は一年生だったので全く作っていない。その時は、3年生の先輩たちが作った基地に参加させてもらっていた。松の木の上を二階、下を一階部分とし、段ボールのようなものを拾ってきて(その裏には長崎屋酒店があった。)一階を覆っていた。二階があるということが大変なことのように思えていた。

そのうち、近く松の木にも違うグループが新しいものを作り、なんか警ドロなどをそれぞれの秘密基地を陣地にしていた記憶が残っている。その後、二年生頃には同年代の友人と組んで、社宅の横にあった謎の砂漠地帯に勝手に侵入し、蟻地獄を真似して穴を掘ってそのような基地を作った。なにも囲いも無かったようだ。しかし、その日常から飛び出したような砂漠の中で穴を掘って入り込むという作業だけで十分秘密基地だった。同時に僕は教室の後ろの棚に並んであったロッカーのような鉄製の掃除用具置き場がお気に入り、よく休み時間に入っていた。後、社宅には大抵、アパートの前に収納倉庫が一戸につき一つずつ割り当てられていた。僕は、そこの中もお気に入りだった。狭所はいまだに好きだ。

また、これは秘密基地とは違うが、二歳上の先輩で純ちゃんという人がいて、僕たちは二ヶ月に一遍くらいそこの家に泊まりにいっていた。隣の社宅に住んでいた。そこには純ちゃんと浩ちゃんという男二人兄弟がいたのだが、純ちゃんの机が、僕の普通の学習机とは違い、使わないときは閉じて、それを前に倒すと普通の机として使用できるようなもので、かなり神経質だった純ちゃんのその整然とされた机まわりが僕をいつもときめかせてくれた。

車の中も僕にとっては秘密基地だった。運転中は両親とも前向いているわけで、後部座席の僕たちは(僕と弟と妹)、といっても実際は僕がワンマンで真ん中の座席を占領し仕切って、いろんな遊びを開発し、三人で目的地までの暇をつぶした。最終的にはそれ自体が目的と化し、目的地に着いても僕は止めたくなかった。

3年生からは、自宅の自分の部屋の自分の机の中に画板と毛布を駆使して「テント」と称する小屋を作り出した。そして、そこで飯を食い、寝た。

その後は空き家に目を向けた。空き家を見つけてはその中に入ってみるという行為を続けた。そのうちの一つ、二階建ての一軒家丸ごと秘密基地にしたのもあった。しかし、中に入れたのになぜか、一階部分と裏庭を使ってやはり外に段ボールを使って作った。それはかなり長く使っていたのだが、ある日、止まっていた水道メーターが回りだし、裏庭の僕たちの小屋もズタズタにされていて驚いて怖くなって逃げた。

レゴブロックも無茶苦茶持っていた。しかも、単純なブロックばっかり。企画ものは全くなかった。僕も興味なかった。」そのシンプルさにやられていたのだ。

なんでこんなに秘密基地をつくろうとするのか?この話はどんなやつと話しても話が合う。よっぽどみんな作っている。しかも、そんなにたいしたものは作っていないのだ。それでもその時の記憶ではかなり頑丈な壁の中に入っていたような覚えがあるから不思議だ。頭の中ではしっかりとした透明な建築になっていたのだろう。

自分の住んでみたいなと思った場所を自分の空間にする本能をしっかり感じれる瞬間だったのだろう。しかも、現代の家のように頑丈な壁なんかいらない。自分の好きなものを台を作って飾るだけで最高だった「あの感じ」を忘れてはいかんと思った。

0円ハウス -Kyohei Sakaguchi-