坂口 恭平 エッセイ

ストーンズっぽい

ふと感じた時、その感覚自体をどうにか他の人に説明したいときがある。でも目に見えないそれは、なかなか伝えることが難しい。僕はそういう時に音楽に照らし合わせて説明するとうまくいくことが多い。音楽で説明すると、かなり微妙なラインまで踏み込んで伝えることができる。
「ここの店の雰囲気、ビートルズのホワイトアルバムっぽいねぇ」
とかである。音楽的に通じてあっている人とだとすごく深い所まで感じあうことができる。これがいつも僕はとてもいいなぁと思いながらも、すごく不思議だった。音にはそういう目に見えない感覚を伝達することができる要素を持っている。それは「かわいい」とか「かなしい」とかの形容詞とは全く違うものである。もっといくつもの感覚が混じった、引っかかったものだ。

その中でも、僕は「ストーンズっぽい」という言葉が好きだ。雑なんだけど、本質を当てていて、でもそれに気づいてなくて、ただエレキギターの音が好きなんだとか言っちゃったり、でも真剣に聞くとまた違った顔を見せる、、とかそういう感じだろうか?なかなか説明はつかないが、このように言葉で伝えることができない領域までもカバーできるように思える。

そのようなことを考えながら、人というのは本当に複雑な思考をしたがるものだなと思った。説明がつかないような世界を感じようとしてしまうところがある。それはとても興奮するし、何より一新される。今まで説明できないけど感じていることがあって、それを音楽の例えによって他の人が感じることができるくらい表に現すことができた時、確かに目の前の世界が変わる勢いはあるような気がする。

音楽を聴くというのは自分の中に眠っている、存在はしているのに全く認識されていない直感や「感じることができる」部分を探すことでもあるのかもしれない。

この前、少し古めのストーブを使っている喫茶店で珈琲飲んでいたら、スケッチショーの電気的な音楽が頭に鳴った。その時、ふと「なるほど」と納得してしまった。

0円ハウス -Kyohei Sakaguchi-