坂口 恭平 エッセイ

名建築スナックゴン

ゴレンジャーの総司令はスナックゴンという喫茶店のようなものを経営していてキレンジャーは初めてそこに呼び出されたときにカレーを続けて4杯も食べたらしい。ゴンの奥には秘密基地が隠されていてゴレンジャーたちはそこで総司令に指令を受ける。小学校時代ゴレンジャーを見まくっていたがこの喫茶店のイメージが頭にこびりついていた。

そのせいかはよく分からないが、僕は所謂建築家が作ったような建築にはほとんど興味を持たず、喫茶店や本屋とか普通のおじいちゃんの家とか誰が作った分からないがなんとも魅力的に感じる建物や場所ばかり気になってきた。そのおかげで今でも誰がどんな建物を作ったとかいうような知識はほとんどなく、ましてや最近の事情に関しては皆無である。でもおいしい広島焼きを焼いてくれるようなお店は僕にとっては歴然と名建築であり、珈琲はおいしくなくても座っているだけでなにもいらない喫茶店は名建築なのである。さらに自分の記憶の中で生きる知人の家、さらにそこに至までの道のりなど、頭の中でだけに存在する建築や空間も自分では名建築と呼んでいる。何でもない場所だけど酔っ払っている時には人で埋まっている居酒屋も「名建築!!」ということになる。今はもう無くなってしまったが新宿にあったリキッドルームも外観もインテリアも何もないのだが自分にとっては名建築だった。

それでも建築を学んでいるときはそれなりに悩んだりもした。だって自分がなんてかっこいいんだろうと思っているものは全くそこでは建築とはみなされず、むしろどうしようもないものとすら考えられていたように思えた。そこで僕は今学んでいるものは自分のとは完全に違う種類のものなんだと勘違いする事にした。僕がやろうとしているのは「現代建築」というものではないんだと、多少無理もあったがそう思う事にした。

でも今はその時の思いのままでいるが、無理がなくそう思えるようになった。今ではきちんとそういえる。

人はたくさんの空間に触れて生きている。というか空間に触れない瞬間など全くないわけである。そして人が常に触れる空間は勿論自分の家、知人親戚の家、そして店、そして道である。

その中でも店は僕にとって非常に重要な要素である。ゴッホの「夜のカフェテリア」のようなものとしての店。空間にお金を払って体感する。なんとも不思議な世界ではないか。僕はインテリアとかはそんなに重要ではない。それよりも一番重要なのが人なのだ。そこを営む人の動きやしぐさがその空間の広がりを変化させる。さらに味も要素となる。人と味というような不確定なものが混じりあっているから面白い。

森文具という小学校低学年時のときに通っていた文房具屋兼駄菓子屋兼町の相談役というようなかなり複雑な場所を思い出しながら、さらにテレビではスナックゴンに魅入り、果物屋になるのが夢だった頃の自分が感じていた直感とは一体何?と自分に尋ねる。

0円ハウス -Kyohei Sakaguchi-