坂口 恭平 エッセイ

オレンジのビートルで歌う都はるみ

生まれてからずっとアパートに住んでいた僕には、ガレージ、倉庫、そして平屋が建つ祖父母の家はとても興奮する世界だった。さらに、祖父自体がかなり自分にとって興奮する人物だった。この熊本の河内という海沿いの田舎にある家と祖父は、自分が今なんか訳の分からないことに夢中になっていることの基礎になっているのではないかと時たま思うことがある。

入り口を抜けると左にガレージ、右に倉庫として使われている平屋がある。そこからちょっと坂道を登りながら、左手に庭を見ながらぐるっと左廻りしていくと玄関がある。玄関の右を行くと、もう一つの扉がありそこはちいさな倉庫の役割をなしている。そこを抜けると台所に繋がる。

玄関に行く手前には、なにやら水が流れてきていてコンクリートで自力で作ったであろう水瓶のようなものがあり、そのよこには水瓶と同じ時期に作ったであろうコンクリートの階段があり、そこを登ると上には蜜柑畑がある。そこからは後ろの山に繋がっていて隣の家の屋根とかにも繋がっている。家が三層になっている。その空間のズレは子供心をとにかくくすぐり続けた。

一番下の層にあるガレージは高さが4メートルほどあり、つまりはガレージどころじゃなくて一つの家のようなものだった。車を止める場所ではあるが下は土が固めてあり、内壁、屋根は汚れで黒く燻りまるで竪穴式住居のようなイメージだった。祖父が使っていた道具類が所狭しと並べられその埃臭さに子供の僕は一人グラッときていた。さらにはそこは普段は車を停めるために使われていたが、縄と木で作られたブランコが設置されていて、そこは色んな使い方が出来る変則的な場所だった。そのガレージもおそらく祖父が設計したのだろう。後に祖父が以前運送会社をやっていたらしく写真で見たら、昔のむちゃくちゃかっこいいトラックがあってそれをいれていたのかなと思った。

平屋作りの倉庫は以前は家だったらしく、新しく坂の上に新築する際に他の人に貸したりしていたらしい。今は内部はまさしく家なのに、とにかく色んなものが所狭しと詰め込まれている。僕はここで昔の漫画とかを見るのが好きで正月とかに入っていた。そこでダメオヤジやサバイバル、さらにLET IT BE , JOHN COLTRANEなどに出会っておりこんなど田舎に文化があることが僕を興奮させ、つまらないと思われている所でツマルものを見つけることがいかに人を次にすすませてくれるかということをそこで学んだ。しまいにはそこでその当時何も知らなかったTALKING HEADSというバンドのレコード「REMAIN IN LIGHT」に会っており、これなんか今でも僕の愛聴盤となっている。

そして不思議だったのはこの家は平屋ではあるが、ひとつちいさな階段があってそこから大人が立ったらすぐ上が天井というちょっと小さめの部屋が手作り感覚抜群で取り付けられていたところだ。ここがとにかく僕を励まし続けたように思う。面白い場所は一杯ある!とにかくそこの4畳半の茶室のような空間はそういっているように見えた。

ソンな場所を何も自慢しないでさらっと作っている祖父に僕はかなりそういったことでの信頼を持っていた。ゲームとかアミューズメントパークとか行ってる場合じゃないよ、自分の周辺で遊べ。そういうことを見つけたと思っていた。居間に飾ってあった北極探検の時なのか流氷の中の黒い軍艦のようなものが走っている写真。イタチの剥製。緑色の球体の貯金ガラス。毎年餅つきをしていたがその時に使っていた年期が入りすぎた釜の質感。

そして何より祖父のトレードマークが愛車であるオレンジ色したフォルクスワーゲンのビートルだった。ハンドルは革製、日本車にはない変なウィンドウ、何よりエンジン音、さらに極めつけは電線剥き出しのカセットデッキ。どっからどうみても自分でやっただろうと分かってしまうその取り付け方が僕にはかっこ良く見えた。しかも、農業もやっていた祖父はワーゲンに乗るとき麦藁帽子に茶色のサングラス、手には農業用手袋さらに腕には黒いカバー。そしてその未来世紀ブラジルの中のようなカセットデッキからは都はるみがかかっていた。それはまるで未来都市の歌手のようにも聞こえてくる。なんともいえないオリジナリティ。狙っては絶対にできないであろう組み合わせ、さらに空間の感じ方。そして、さまざまなものを許容すると言う姿勢。こっちはどんどん深読みしていった。世の中は複雑だ。でもそれは同時に笑いを含んでもいる。祖父が亡くなってからはそれらの感覚の記憶が強くなっていくのを感じる。

0円ハウス -Kyohei Sakaguchi-