坂口 恭平 エッセイ

自家製サンリオグッズを売ってた頃

小学生の頃、僕はサンリオグッズにハマっていた。
サンリオグッズというか、「タア坊」にハマっていた。
もう好きで,好きで、筆箱から定規からクリアファイルから、
シャープペンから消しゴム、ノートに至るまでとにかく集めた。
でも、次第に何かが物足りなくなってきた。
サンリオグッズに自由さを求めていくと、
それが結局は大量生産によって作られたものだと直感で感じてしまい、
その思いは次第に、
「自分による、自分のための、自由さをもつオリジナルグッズ」
を作る計画へと導かれていった。
そのようにして、僕は何かを買うという行為に興奮しなくなり、
何かをつくることに異常に興味を示すようになった。
当時、僕はサンリオに対抗すべきキャラクターを模索し、
小学校4年生(1987)にキリギリスのキリギリクンというキャラクターを産み出していた。
それに、当時流行っていたDRAGONN BALLの孫悟空をデフォルメして、
サンリオ風に仕立てた、そのままの「孫悟空」というシリーズをさらに開発し、
その二大スターを学級新聞や、自分のノートに、果ては友人のノート上で、
プロモーション戦略を十分行った上で、機が熟した後、
キリギリクンと孫悟空の「レターセット」と下敷きを自作でつくり、販売した。
値段は微々たるものだ。10円とかフルセットで30円とかだった。
レターセットはかなり手が込んでいて、封筒も一枚一枚手作りで、
便箋の罫線も手描きしていた。
男には全然見向きされなかった記憶があるが、女の子にはかなり好評で、
僕の意中の女の子も勿論喜んで買ってくれた。
その後、そのレターセットでフラれるという、
大惨事を招くことにはなるのだったが、、、、、。

その僕のクオリティはともかく、なんでも自作するという欲望は、
サンリオのおかげでどんどん加速することになり、その後、僕は連載漫画を描き始めた。
内容は、キン肉マンとブロッケンJrを足して2で割ったようなキャラクターを産み出し、
(実はこれはタカちゃんという小学校一年生時の親友の兄貴のパクリ)
ストーリーは勿論キン肉マンのパクリ、でそれは一回が8ページぐらいだったと記憶するが、
それをある程度まとまったら増刊号にしていた。名前は「ホップ・ステップ」という名前だった。
つまり「ジャンプ」の一歩手前というわけだ。今考えるとかなりネーミングには気を遣っていた。
それは弟が見る以外は別に誰にも見せていなかった。

弟とは色々自作のゲームを作っていて、
僕がいまでも自分がしたいと思うのは、「手描きファミコンだ。」
これはスーパ-マリオの舞台を全部自分で鉛筆書きし、弟がマリオとなって、
鉛筆をマリオとして、その紙の上を飛びながら、僕が敵役として、また鉛筆を持って、
邪魔をするという今考えると、これは Nintendo DSではないか!
と思うようなことをやっていた。

さらに僕の思いは加速をますばかりで、
小学校5年生、6年生になると今度はドラゴンクエストを
そのまま紙の上に手描きしだしたのだ。
手描きRPG!!
A4の紙を繋げて、大きな一つの世界地図を作り、その紙は方眼紙なので、
サイコロを転がして、一マスずつ進んでいく。
それで、例えば1、3、5が出たら敵と戦うと設定して、
モンスターはモンスター帳に50種類ぐらい自分で発明して、
強さなどを設定して、、とかやっていた。
これは相当面白くて、友人の家の庭でテントを張って、4人で人生初めての徹夜をした。
とにかく手作りしてたなぁと思いながら、
今やっていることはちっとも変わっていないことに気づいた。

僕の本作りの原点はここにある。
常に、自由な、見たこともないようなものを、見たいのだ。
決まりきったような商品なんか買いたくないのだ。

あの頃の直感が最近僕によく響いてくる。
少年の時に思っていたことは、細かいところはあやふやだが、
全体像は確信満ちているんだと、これは本当に最近分かった。
自分をもう一度わかるというのはとても面白い現象だ。

2006年11月15日

0円ハウス -Kyohei Sakaguchi-