坂口 恭平 エッセイ

コクヨ・デスク・ショック!

小学生3年生までは、福岡に住んでいた。
新宮という海の近くの田舎で、オヤジの会社の巨大団地に住んでいた。
その団地は30棟近く建ち並んでいて、まるで都市のようだった。
僕の家は11棟というところで、仲良しの谷家の純チャンと浩チャン兄弟は、
向かいの12棟に住んでいた。
谷家は、僕の家とはまるで違う正確の家で、
そこの二人息子の純チャンと浩チャンの文化はおそらく、
僕が記憶している初めてのカルチャーショックだった。
一体何がショックだったというと、それは机だった。
僕の机は、白を基調とした木目のある机で、今考えると普通のとは違う机で、
結構よかったと思うのだが、当時はなんせ、コクヨのシステム学生机全盛期。
僕はこんなカワイイ机でなくて、コクヨの重厚な左側に4段ぐらいの本棚が付いている社長風机や、
使うときに天板を下ろし、またしまう時は元に戻せば机というよりは本棚に見える可動式机に、
完全に憧れていた。
そして、初めて純チャンと浩チャンの家に遊びに行った時、
僕は純チャンがあの欲しかった可動式机を持っているのを見て、愕然とした。
憧れがそこに普通に立っていたのだ。
しかも、純チャンは筋金入りの神経質な小学生で、
本棚は本が綺麗に収まり、天板を下ろし、机に変身すると、
中には純チャンの好きなものが綺麗に本当に綺麗に商品のように陳列されてあった。
そして、僕が見終わるとまた神経質に丁寧に天板をパタンと閉めるのであった。
なんか、その机の佇まい、純チャンの仕草、
自分の家とは違うシステムでこの家は進んでいるのだなという思いが、
頭の中をぐるぐる回転していたのを今でも覚えている。

そんなに好きな家だったので、機会があるたびに僕は谷家に泊まりにいった。
しかし、不思議だったのは、そんなに斬新で価値観を揺り動かされた純チャンの机が、
泊まりにいくに従って、今までの斬新さから、
手の届く自分の感知できる世界に変化していることが小さいながらも分かってきた。
そして、純チャンと浩チャンは彼らの空間をそんなに好きではないようなことを、
たまにちらっと言っていて、さらに僕の頭は複雑によじれてきたのを覚えている。

その感覚が僕にとって、カルチャーショックであり、
現在も続く、よくわからん不思議な思考の原点の一つであると思う。

それはこのような体験がその後の人生で度々あったからだ。
あの知らない場所や、初めて友人の家に上がる時の感覚。
あれは、その瞬間にだけ登場する不思議な知覚である。
二回目だと駄目なのである。一回目の時だけ、人間は空間を直感で把握する。

パリに初めて行って、地下鉄で空港からパリ市街に向かい、
パリの地下鉄を出て、地上のパリに出た瞬間の夜の風景。
これも僕は忘れられない風景なのだが、この時も僕は瞬間的に純チャンの机を思い出した。
一体ナンなんだ。あの感覚は。

19歳の時に熊本の廃車場で見つけたバイクで東京に向けて無謀にも出発し、
しかも台風が奄美大島あたりから時速20キロほどで向かっていて、
僕のボロいバイクは尾道で台風に捕まり、寒さのあまり服を買おうと思って
、 立ち寄った古着屋の大将こと、山根浩揮に拾われて連れて行かれた謎の雀荘。
あのときもそうだった。・・・・・って考えていくといくつかのポイントが出てくる。

僕が気になるのはその瞬間の視線が、日常の視線と明らかに違うということだ。
その風景も日常になってしまうと、泊まり慣れた純チャン浩チャンの家と同じになる。

だから僕はいつもあの時の感覚を思い出したいと思っている。
だから、いつも「迷子でいたい」し、なにも分からないでいたい。
分かってしまった瞬間に劇場にいきなり光が戻って、現実に戻るように、
すべての謎が解明してしまう。
その時に頭がいつもの構造体にグイーンとオートマティックカメラみたいに戻っていく。

日常を初めての視線で見る。
これはとても無理なやり方だが、僕は常に思うのだけは止めないことにしている。
いつかまたあの瞬間が来るかもしれないから。

2006年11月16日

0円ハウス -Kyohei Sakaguchi-