坂口 恭平 エッセイ

脳と建築と僕

脳味噌の中が都市みたいだなと思うことがある。
そして、そう思うときは非常に心地よい気分になる。
とても創造的な瞬間なのだ。
最近はさらに脳味噌がコンピューターとも合体して、
自分の頭がディスプレイに投影されているようにも見える。
コンピューターもまた都市に見えてくる。
しかし、そう思って考え直すと不思議なことに気づいた。
もしかしたら、僕がそう思っているのは実は逆なのではないだろうか。
都市が人間を模している。
よくよく考えるとこちらのほうが辻褄が合うんじゃないか。
僕が建築、都市に興味を持ち続けているのは、
その逆の視点で見るととても興味深い。
つまり、僕は建築や都市が自然に模してしまっている「人間」の構造のことを、
考えようとしていることかもしれない、ということだ。
今まで自分の向かおうとしている方向が、建築・都市に限らず、
音楽、本、写真、スケッチ、ヒッチハイク、料理、など多岐に飛び出していこうと
している状態がいったい何なのだろうと思っていたのが少しだけわかった。
それまでは、自分の追求しようと思う世界の先には何があるかを考えつづけてきた。
しかし、今思うことはそうではない。
つまり、全て逆だったのだ。
全ての事象が、人間自身を模しているとすると、
僕はその先に何かを掴みたいのではなく、人間を知りたいだけなのだ。
それを考えていくと、僕の中でもすごく説明ができる。
僕は、かねてから建築物に興味があるわけではなく、
建っている建築物、そしてその周りの環境、風、周辺の環境が作る音、そして、
その建築の中で動く人間、気分によって変えようとするカーテンの色、
みんなで料理を食べるときの器、そして、そのときかけようとする音楽、
本棚にある本、そして、寝る前にみる映画、、、
それら全てが建築であると思ってきた。
しかし、それは今の「建築」というフィールドではもう抑えきれない状態であると、
僕は自分自身の表現方法を見つけねばと、今日に至っている。
しかし、逆に考えるという方法で、今の僕の複雑で、まとまりがなく、
矛盾だらけで、答えも見つからないやり方でも、もしかしたらいいのではないかと、
なんだか、望みが出てきた。
それは人間の「コード」を考えているからであると。
僕たちは頭の中のコードを外側に出そうとしている。
外側に出して、客観的に自分自身を覗こうとしている。
それが、「空間」なのではないか。
「空間」とは、自分の中の世界をコード化して、外側に出してきたものである、
かもしれない。
そうやって考えると、
3次元はそのように自分の中の世界を具現化したものであるわけで、
じゃあ、いつも気になっている4次元はというと、
その思考でいくと、頭の中の世界そのものということになる。
しいては、4次元への興味は、建築の興味を超えて、人間内世界を、
何か具体物を作るということでは無しに理解しようとすることなんだろう。
なんだか、ますます不思議になってきた。
自分の身の回りのものはすべて、自分の内側のものが出てきたものと、
考えるならば、どれひとつとして、自分と関わりがないものはないのかもしれない。
人間は自分の口から出る言葉、手の動き、描いたもの、捨てたもの、など全てにおいて、
もう一度注目する必要性がある。

2006年11月18日

0円ハウス -Kyohei Sakaguchi-