坂口 恭平 エッセイ

上京1997

1997年春、僕は熊本から上京して来た。
大都会の東京に行くつもりで来ていた、そんなところで繰り広げられるであろう、
大学生活を思い描いていた。なんだかワクワクしていた。
僕は、高校生の時、地元の図書館で見つけた、「幻庵」という作品を作った、
建築家、石山修武に会うために、その大学に入って上京して来た。
なんかこれから凄いことが起こるんだろうとばかり思っていた。
東京で。

でもなんかおかしいなと思っていた。
なぜなら、僕が住む予定であるはずの部屋の住所が埼玉となっているからだ。
でも、まわりの人に聞いて見ると、埼玉といっても東京の一部みたいなもんだ、
たいした違いじゃないと言っていた。僕もそんなもんだろ、と思って行った。
僕は、親父の紹介で、ある寮に行くことになっていた。
で、上京した日に勿論、自分の住んでいる寮に行くわけで、」
池袋から「東武東上線」という電車に乗った。
「あれっ」と単純に思った。
なんだか、地元の電車より古くさいぞ。なんだか、おかしいぞ。
以前に乗った、「山手線」や、「京王井の頭線」とは違うぞ、うん明らかに違うぞ。
僕は一瞬にして、悟った。
「これは、ヤバいぞ」 と。
どんどんその電車は北へ進む。
ビルディング達はどこか遠くへ離れていく。
おいおい、どこへ行く。
自分が住むはずの「東京」が離れていっている。
そして、僕は、なぜか九州の香りたっぷりの、
「上福岡」という駅で降りた。そりゃ、福岡の上といえば、上だけど、と
愚痴を言っても始まらない。
とにかく、その寮までとにかく早く着いて、どうにか落ち着こうと、
歩けども,歩けども、、、着かない。
着かない!  30分以上歩いたか。
ようやく社宅が並んでいる場所に着いた。
おっ、ここか。寮は。「ノルウェーの森」は。
そうそう僕はこの時ハルキにカブれていた。
着いたのは病院みたいな真っ白な寮だった。
この時の匂いは今でもそれに似ているのを嗅ぐと、
すぐ思い出す。
部屋は変則的な6畳間、台所はない。僕は4階だった。
便所は一階ごとの共同。家具は全部作り付け。
4階だから眺めはいいが、そこからは日清製粉の工場が目の前に見えた。
「これはヤバいな。」
それだけ思った。

入学式まではあと3日くらい残っていた。寮生に色々挨拶をする。
でも、面白くない。ぜんぜん駄目だ。そうずっと思っていた。
なんじゃ、これは! 怒りさえあった。2日にして、いきなり文化的なものに飢えた。
とにかく、これは音楽を聴かなくては!と僕はSMALL FACESのCDを聴いた。
ホントは、LPで聴きたいんだけどな。まだ荷物が届いてないから。
聴きながら、先行きに不安ばかり感じていた。
夜、寮生全員、集合がかけられた。集会場に。
歓迎の酒宴が始まった。僕は、当時、酒豪と思っていたので、
一気飲み大会に参加し,先輩どもには負けんと、飲み続けていた。
そして、酒宴の始まりから気になっていた、いい顔している先輩が出て来た。
そして、飲み比べをすることになった。で、最後はよく覚えていない。
そのまま、ベロンベロン状態で、その先輩は、
「お前面白いやつやな」と言って、家に入れよと言ってくれた。
そして、部屋に上がった瞬間、ビビったわけです。
なんと、僕がその日聴いていたSMALL FACESのLPが玄関入ってすぐのところに、
飾られていたのだ。そして、その横にはサージェントペッパーが!
酒宴当初の直感が通じたものと見て、僕は興奮し、しかも、そこにギターが
あるのを発見し、
「ギター弾くんすか!!!」ともう興奮状態。
飢えていた僕に泉のような音楽話をしてくれた。
彼の名は林さん。
その後、というか今にまで至り、付き合うことになる。よき相棒である。
林サンと僕はそのまま天然ストーンド状態に陥り、
二人で、即興の曲を作る。
「熊の海底探索」
その曲は今でも忘れることができないフレーズだ。
この偶然による必然を目の当たりにし、僕は東京バッキャロー状態で、
埼玉の外れで、林サンと、ビートルズ、ボブデュラン、横尾忠則、テクノ、サンタナ、
禅、ビートジェネレーション、仏教、バックミンスター・フラー、それを元にまた作曲、
そして、会話、と、とにかく、何かやらねば、この二人の直感をどうにかしなければ、
と二人は常に言い合っていた。
埼玉の外れである、必然性を持つことができて、よかったとその日にもう思えた。
そして、僕は今はこういうわけのわからん仕事をしているのも、
このときのおかげであると思っている。
林サンは岐阜の山の中で、写真家として身を立てている。
今でも、二人が話すと、そこには不思議な空間が広がる。
一瞬にして、あの寮の林サンの絨毯の敷いてある、部屋に戻る。
その瞬間は今でも続いている自分の中の思いと陸続きであるばかりか、
もうお隣さんなわけです。

今度、林サンと、ほんとに久々に会い、初めて、一緒に旅行に行く。
これはまた新しい何かの兆候である。

2006年11月20日

0円ハウス -Kyohei Sakaguchi-