京都は東山の山腹にある高台寺には、
千利休の作と考えられている茶室が二つある。
それは、傘亭(からかさてい)と時雨亭(しぐれてい)である。
僕は3年前にこの二つの茶室を見たのだが、
その二つが未だに僕の中でぐるぐる回っている。
それは茶室ではない、と僕は思った。
なにか未来の住宅について何らかのメッセージを送っている、
そういう不思議な力を持っていた。
僕は千利休を茶人とはまったく思っていない。
僕はマルセルデュシャンと千利休が一緒に見えて、仕方がない。
しかし、安土桃山時代には「芸術」という枠がなかった。
ただ、それだけで、実は利休は「茶」はどうでもよかったのではないか、
というのが、僕の少し早とちりな考えである。
傘亭は、傘が広がったような形なので呼ばれている名前で、
茅葺き屋根の八畳間の茶室である。
これはこの高台寺に来る前は、
なんと池に浮いていたそうだ。
つまり、「ボート茶室」である。
そのため、ここの玄関は引いて開けるのではなく、
扉を前から押して、下から上に上げて、
船ごと入れるように設計されている!
茶室というか現代建築のような遊び方である。
そして、時雨亭は、なんと
二階建ての茶室である。一階は、待合所。
ここで、待って、呼ばれると階段を上って二階に上がる。
二階は壁が全部上に上げられるようになっていて、
完全に開けると、まるで壁がまわり一面無いように見える。
屋根が浮いているように見える。
以前はそこから京都が一望できたそうだ。
そして、そこはお茶会だけでなく、むしろ
酒宴や歌会に使われてたようなのである。
まだ、茶の道が確立される前の、不確定な芸術であった「茶」の
弾け飛ぶような勢いがあったんだと想像できる。
この二つは元々は違う場所にあり、(伏見城との説、他色々あり)
秀吉夫人、ねねが持って来させた。
傘亭と時雨亭は二つが横一列に並んでいて、
二つの茶室の間には、小堀遠州作による、渡り廊下がある。
そして、一歩下がって見てみると、
何かに気づいてくる。
それは屋根が深く大きい傘亭と、
二階建ての時雨亭が、
何かに見えてくるのである。
傘亭は、まるで竪穴式住居。
時雨亭はまるで高床式住居。
そうこの二つの茶室は、
縄文時代と弥生時代の住居を原型に持っているようにみえるのである。
勿論、これは僕がただなんとなく気づいたことなので、
正しいとは全く言えない。
でも、僕が始めの方に、茶室に見えないといったように、
これらの茶室は、何か変なのである。
その後の、いわゆる利休作でない茶室は、
見れば見るほど、「茶室」なのであるが、この人が作ると、
あら不思議、茶室に見えない。
でも、これは矛盾している。
茶室の原型を作ったのは「利休」のほうであるからだ。
その後の追従者は、何らかの間違いを犯したのではないか。
僕はそう思っている。
利休が残そうとした、概念を残さず、
利休が無視しようとした、形に囚われた。
それはデュシャンにも当てはまる。
彼は便器を「泉」として発表したが、
それが芸術になったからといって、便器を次も出せばいい、
というのは違うわけである。
それと同じことを利休も言っているのだと、
だから、彼が作った茶室はどれも定型がなく、
常に遊び、回転している。
それは今までガンジガラメだった、当時の住居を、
革新しようという思いだったのではないか。
いわゆる本当の意味での「デザイン」をしたのではないか。
利休作の茶室で残っているのは、数少ない。
その中で、ここに二つの茶室が並んで残っているのは、
何かの暗示であろう。
それが竪穴式と高床式住居を利休なりに解釈したものだったら、
その暗示はいっそう光を放つ。
当時のいわゆる日本式の柱、梁、屋根の家ではなく、
もっと土の中から自然と浮き上がって来たような家。
そういうものを利休は出したかったのではないか。
前衛的なものと思われていた彼がインスピレーションを得たのが、
「縄文」と「弥生」だったら、
日本の建築の歴史をもう一回考え直す必要があるのかもしれない。
現在は、あまりにも原始住居と,現代の関連が言及されていなさすぎる。
0円ハウスのなかで、僕が感じたことは、
このような竪穴式住居や、高床式住居と関連性があるということだ。
人は文化的なものに左右されやすい。
つまり、江戸時代にあったものが、僕たちの原点だと思うということだ。
僕はそうは思わない。
もっと、もっと昔に考えていたもの。
影響されて作り出す前の、原始の住居。
利休はそれを感じれたのではないか。
彼が作ろうとした器も、縄文土器と並べると、
ぜんぜん変じゃないことに気づく。
デュシャンもそれを芸術でやっていた。
職業としての、商品としての、芸術を超えるための、
原始的エネルギーを具現化するという芸術。
芸術のまるで反対側にいってしまう、ブラックホール。
まんまの茶室でなくて、ブラックホールの中の茶室、
それを見なくてならない。
2006年11月21日