零塾

第1章 行動を起こす

 2010年12月9日(木)。昨日の夜はいましろたかしさんと長電話していた。いましろさんは、僕に対してとても良い感じに疑問を持ってくれていて、それが自分のバランスを取る上で助かっている。自己実現なんてものは何の意味もない。そんなの人間のやることじゃないということで共感し、僕は嬉しかった。しかし、ならばどうするのか。いましろさんはそこである種諦観の念を持っているが、僕はまだ若気の至りなのか、希望を見せようとしている。それが果たしてうまくいくのかどうなのかは分からんということだった。しかし、僕は今、はっきりと「救う」という言葉を放っている。フライングなのかもしれない。しかし、なんにせよいましろたかしさんとの電話は充実したものになった。雑誌への寄稿も了承してくれた。文章を書こうとしてくれている。楽しみだ。僕だけでなく、彼の作品を心待ちにしている人は多いだろう。いましろさんはそんなの嫌だというのだが。
 朝起きて、今日は午前中は家族と過ごす。アオが童謡マニアなので、で、僕も小沢健二とかくるりとか玉置浩二とか歌いたくなったので、よーし、朝からカラオケ行こーぜということで、国立駅前のカラオケBAN-BANへ。平日フリータイムで一時間歌う。しかし、アオは密室が恐いということを忘れていたので、結局、アオはマイクをほとんど持てず、僕とフーで二人で童謡を熱唱し、アオが鑑賞するという図式に。その後、スコールカフェでガパオを食べる。
 午後2時に、駅前でCINRAの小林さんとカメラマンの方と待ち合わせ。ロージナ茶房へ行き、インタビューを受ける。本当に最近、零塾始めてから恐ろしいほどインタビューを受けている。一体、なんなんだこれは。というか、やはり自分の体を使って、自分から発しているからなのだろう。今までのフィールドワーク人生から変化している昨今。しかも、自分の精神上にもかなり良い。すっきりしている。小林さんから色んな質問を受ける。しかも、零塾と新雑誌についての質問がまたここでも飛ぶ。宗教観についての質問も。CINRAは今、本当にちゃんとした情報を流す、ある意味珍しいウェブサイトなので信頼できる。二時間話して、大学通りで写真撮影をし、別れて、その後、ルノアールへ。
 午後4時からルノアールにて週刊朝日の中村さんと村岡さんと待ち合わせ。彼らは今、ある雑誌の復刊を実行しようとしているとのことで、そこでゼロから始める都市型狩猟採集生活を採り上げたいとの依頼を受ける。それはありがたいのだが、話を聞いていると、ちょっとまだ練り具合が甘いのではないかと感じたので、その旨を伝える。その後、結局、今、僕が行動を起こそうとしている題材についての話にまで広がる。結局寄稿を頼まれた。僕はただの取材よりも、寄稿したい人間なので、願ったり叶ったり。台本を無視してしまう僕の癖が良い方向へ行ったパターンでほっとする。その後、午後6時に家に帰ってくる。その後、電話で新雑誌のための打ち合わせ。なにやらざわついているが、ここは一つ落ちついてやろう。太田出版の梅山くんとも話をする。明日打ち合わせをすることに。いかん、こうやっていると、またどんどんスケジュールが埋まっている。フーが不安そうに見ている。大阪のノノカと話す。12日に京都に出張するので、11日に大阪に行き、遊ぶ約束。夕食は、焼き鮭と肉団子とツナサラダとほうれん草のおひたし。美味。
 食後、河出書房書き下ろし単行本「生きのびるための技術(仮)」の原稿執筆。25枚書いて送信。13万字を突破。原稿用紙で350枚。僕は今までの著作では多くても340枚であった。未知の領域の突入している。原稿を書きながら、メールをチェックすると、また零塾の入塾希望のメール。もう20人を超えている。また京都出張で増えるだろうから、なんだか初めて二週間でえらいことになっている。NHKの井上さんと電話で打ち合わせ。零塾の取材をしたいとの申し出。京都にも行ってみたいとのこと。千葉工大の学生と電話。彼らもインタビューをしたいとのこと。しかも9人で来るというので、それは多すぎるから嫌だと言ったら、嫌ですお願いしますというので、こちらが折れた。でも、本を読んでくれて反応してくれているのは嬉しいこと。小学館の村山さんから「カリスマホームレスに訊け」と「路上力」の連載分をまとめて書籍化にしたいと正式に依頼を受ける。来週打ち合わせすることに。ニフティのサイトからインタビュー依頼。モバイルハウスの取材をしたいとのこと。もうやりますよ、やりますよ。12月26日に開催されるシナプスという東大の大学院生が主催しているトークショーの打ち合わせも近日中にやることに。対談相手の中村雄祐さんはどうやら佐々木中さんと同じ先生に習っていたそうで、楽しみ。しかし、まだ著作を読んでいないので早く資料を漁らねば。来年クランクインする予定の映画の台本第一稿が送られて来た。なにやら、えらいことが毎日起きている。蠢いている。
 そんなこと、原稿書きながら、やったりしていたら、一本のメールが。なにやら絶望を感じさせるような言葉が暗号のように書かれてあり、これは何かのメッセージなのかと返信するも、なんともコミュニケーションのできないメールが返ってきている。しかも、名無しの権兵衛。そんなのに付き合っていても、意味がないと思いながらも、心配になり、すぐに連絡しなさいと返信。すると、困ったとしても絶対に誰にも相談しません、もう返信はいりません、忘れてくださいと返って来た。「僕にメールを送ってくれた人を忘れることはできません。困っていたら相談しなさい。いつでもいいから」とメールを送る。頼むから心配かけさせてるんだから、それなら応えてくれよ。えらいところへ足を突っ込んでいるのかもしれない。

 2010年12月10日(金)。朝起きて、原稿。集英社「モバイルハウスのつくりかた」連載6回目。なかなか進まず、いつ締め切りだったっけと飛鳥さんに連絡。週明けでいいですよと言われほっとし、執筆中止し、フーアオと外出。とにかく最近毎日午後は忙しすぎるので、午前中だけは家族のための時間を取りたいと思っている。みんなで散歩。アオ楽しそう。よかった。アオが大好きなのでモスバーガーへ行き、昼食を食べる。
 その後、午後1時に駅前で藤重さんと待ち合わせ。零塾面接。駅近くのカフェでランチを食べながら話す。藤重さんという女性は、今年になってからフリーランスになった。それまでは出版社で社長室付で編集部に依頼する前の企画を担当していたという。かなり仕事はできる。そして、会社でできることを実現した後に、やはり独立したいと思い今年実行に移そうとしている。
「達人たちの技術を体験できるようなワークショップを企画したいです」
 様々な技術を持っている人の技術そのものを体験するための、体験ツアコンのようなことをやりたいとのこと。それはとてもこれから重要になってくるはずだ。狙っているところも素晴らしい。しかも、やれるのではないかという自信も持っているようで、かなり可能性を感じた。そこで僕は、
「では、一体いつまでにどんな形態で、どんなプランだとその技術体験ツアコンを設立するのか、そこをもっと具体的にしてほしい」
 と課題を出した。そのへんの掘り下げ方は自分でもまだまだと思っていると藤重さんは言う。今回の課題は、その企画のための徹底的に考え抜いた事業計画書を作ってもらうことにした。つまり、まずは、最終地点を設定するのである。それさえできれば、そこから逆算して作業を行うことができる。これは僕がいつも念頭に置いている方法論である。一体、いつまでに完成させるのか。そして、そのためにどのような動きを調査をすればいいのか。そのことだけを徹底的に考える。後は自動的に事は進むはずである。しかし、今回の零塾では、藤重さんもそうだが、みんな能動的な思考をしている。だから、この零塾はカウンセリングにならずに済んでいる。カウンセリングというものは、受動的な対話なのである。零塾はそうではない。むしろコンサルのような感覚なのかもしれない。というよりももちろん教育なのだが。
 面接中、NHKの井上さんから連絡があった。零塾生の何人かにインタビューを試みたいとのこと。零塾生は基本的にオープンソースでいてほしいとお願いしているので、もしも、インタビューをしたいと言われたら、ぜひ引き受けてほしいな。もちろん、断ってもいいのだが。井上さん、とてもやる気でこちらも気合いが入る。12日の京都出張零塾も撮影に来るとの事。まだ完全に企画は通っていないのにもかかわらず。だったら、うまくいくだろうと思う。情熱がある人間が本当に今、僕の周りに集まってきている。
 その後、午後2時半にロージナ茶房の前で、フリーライターのテイさんと待ち合わせ。高校生のためのサイトMAMMO.TVのためのインタビューを受ける。ロージナの地下って、インタビュー用にあるんだね。知らなかった。千葉工大の学生も今度インタビューに来るのだが、ロージナの地下を借りているらしい。高校生のために、いかに生き延びるかをとにかく話す。話しすぎる。一時間半ほどみっちり話し続ける。
 午後5時半に新宿中村屋の地下喫茶店で、ある人たちと待ち合わせ。新雑誌のための打ち合わせ。いよいよ打ち合わせが始まる。僕は今よく一緒にいる人たちみんなと共同して雑誌をやろうとしていたが、どうも合議制の雑誌に現実味がなかった。今日も朝からずっと考えていたのだが、最終的に結論としたのは、今回の雑誌は、みんなで作るのではなく「坂口恭平責任編集」という形をとって、僕がリーダーシップを取った方がいいだろうということだった。むしろ、僕はそれをやりたかったんだと気付いた。そのことを伝えるともちろんそうやったほうがいいはずだ、と言ってくれたので決定した。ということで、磯部涼等、みんなでやろうとしている雑誌はまた別にやります。その前に、まずは僕が責任編集で、新雑誌を立ち上げようということに。来春刊行を目指している。そこで誰に執筆してもらうかを企画会議。
 と、その前に雑誌のタイトルを付けないといけない。僕は自分が責任編集をやるのなら雑誌名は「Robinson」にすると決めていた。ロビンソン。もちろん、ロビンソン・クルーソーである。なぜなら新雑誌の中心となる思想は「死なないための雑誌」だからである。生きる技術が書いてある雑誌。現代のロビンソン・クルーソーたちが生きのびるための雑誌。その名前を出すと、いいんじゃないかと言われたので、これまた決定。
 この雑誌ではもちろん僕が信頼する作家たちに執筆依頼はする。しかし、それだけでなく、若者たちの言論の可能性を広げる役目も与えたい。つまり、浅ヤンのようにオーディションをやろうと思っている。狂人たちよ、絶望して何かやらずにはおけない人間たちよ、面白いことを考えていると自信過剰に満ちている馬鹿野郎たちよ、集まってくれ。理解してほしいのは、その作業がただ自己実現になるだけでは意味がないということだ。社会を変えるために動いてほしい。そんな人間はぜひとも僕の雑誌で暴れてくれ。もちろん金も出す。タダでは働かせない。だからこそ、やばいものを提案してほしい。オーディションの詳細は後日発表するから、何か吐き出したくてうずうずしてるのに発表する機会が全くない力が有り余っている人間は涎を垂らして待っててくれ。責任は僕が全部取ります。といいつつケツを拭くのは共謀者かもしれませんが。。。しかし、このことでとにかく人が集まってきている。
 18日に原宿のアシドリという石川直樹に教えてもらった原宿とは思えない居酒屋で20人予約して19時から企画会議忘年会を開こうとしている。もしも我慢できない人はぜひいらっしゃい。中途半端なものを持って来られたらぶち切れるけど、それも提案してみないことには分からないし。とにかく、僕はあらゆる可能性を信じたい。信じる。あらゆる人に開かれた思想の場を作ると心に決めている。テーマはとにかく「死なないための技術」である。絶望している人が思わず笑っちゃうような、泣けてくる雑誌を作ろうじゃないか。有名無名問わず、狂った人間を募集しております。人よりも狂っているということをきちんと客観的視点を持ちつつ把握している人間を。僕はそんなきみたちをまさに「正常な」人間であると認識できる自信がある。
 毎日、本当になんでこんなに動いて、人と話しまくっているのか。おそらく病気と人は言うのだろう。しかし、そんなことは置いておこう。フーからやめてと言われたときだけ止めておこうと決めている。午後7時半。今度は椿屋珈琲店で河出書房のノウエちゃんと待ち合わせ。来春刊行予定の書き下ろし単行本のための打ち合わせ。「生きのびるための技術」と仮題を打っていたが、ここに来て変化している。今日、決まったタイトルは「自己実現には意味がない、社会実現をしなくてはならない」。社会実現という言葉がここ数日で、突然降ってきた。誰から教わった言葉でもない。自分の口からふとでてきた言葉なのだ。なんなのだろう、これは。そのことについて話し合う。しかし、この本は零塾のための教科書になると思っているので、本当にちゃんとやり切りたい。おそろしく高速で今僕は毎日メタモルフォーズしているので、自分も大変なのではあるが、不思議と落ち着いている。誰にもそうは見られないだろうが。
 書店でPENを見たらディズニー特集で、あまりにもタイミングが良すぎてつい買っちゃう。しかも、面白い。ディズニーにここにきて感銘を受けているのは一体どんな意味があるのだろう。家に返ってきて、青椒肉絲とチャーシューと味噌汁と御飯を食べる。美味。家ごはんが一番美味いよ。明日は久々の休み。といっても家で原稿書きだが。そして、夕方から大阪へ向けて出発する。関西出張である。関西で零塾入塾希望のみなさん、お待たせしました。12日の日曜日は僕は6時間ずっと待っている予定なので、ぜひぜひ京都のSocial Kitchenに来てね。

 2010年12月11日(土)。朝からアオと散歩。近所の公園で遊んだ後、うまい棒とオレンジジュースを原っぱで飲み食いし、さらに散策。アオは遊具に全く興味を示さないので、僕と一緒にただ歩くだけ。それでも楽しそうなので、血を引いているのかもしれない。あらゆる世界のフィールドワークをやる人間になってくれ。
 お昼に帰宅し、昼食を食べた後、オランダ、ユトレヒトのアートプロジェクトをやろうとしている日本人だけど英語しか喋れないマイコと、スタッフのすみれちゃんと三人でスカイプ会議。来年の4月と10月、二度に渡ってオランダ、ユトレヒトに滞在し、リサーチとインスタレーションをやるための話をする。オランダのホームレスを徹底的に調査して、オランダバージョンの都市の幸を発見し、さらにオランダの法律を調べ、今実験しているモバイルハウスも建ててみようかななどと構想している。マイコはとても聡明な女性で、アートだけに限らない動きをするので、かなり楽しみ。僕が試みている都市型狩猟採集生活が世界中どこにでも共通するライフスタイルであることを示せればいいと思う。なんにせよ、いつも現場に行けば大変なことが起きる。マイコは昨年、爆発したトロントでの白夜祭でたまたま出会った。こんなふうにして人間の縁は繋がっていく。オランダには僕も行きたいと思っていたので、本当にグッドタイミング。
 その後、午後2時に外出し、東京駅へ。新幹線のぞみに乗り込み、新大阪へ。車中で集英社すばる「モバイルハウスのつくりかた」連載第6回の原稿を書く。今回はモバイルハウス建設記録後編で普段の量より1.5倍増しの6000字。4000字まで完成させ、気付いたら新大阪に到着。梅田で妹美帆とノノカとソウに久々に会う。妹は西巣鴨に住んでいたが、今年から引っ越して大阪に住んでいる。茨木駅へ到着し、美帆の家でノノカと遊ぶ。ノノカは首を長くして待ってくれていたようで色んな遊びを持ってくる。ノノカにディズニーランドのお土産と、フーが作ったクリスマス用のオーナメントをプレゼント。その後、UNOをやり、かるたをやり、神経衰弱をやり、知らないうちに僕は寝ていた。さすがに最近の激しい動きに体は疲れているようだ。しかも、やばいことに疲れているという自意識がない。
 深夜2時頃起きて、美帆と久々に色々と話す。明日は京都で出張零塾。どんなふうになるのか予想ができない。明後日行う予定のエココロ誌上での建築家藤村龍至さんとの対談についての打ち合わせ。こちらも大変楽しみにしている。始めは無知だったので、彼が何をしているのか分からなかったところがあるが、磯部涼から本を借りて読んでみて、かなり僕と共通するところがあるのに気付き、俄然興味が湧いている。どんな対談になるのか。うまくいけばいいなあ。12月26日の東大福武ホールでのトークについて。
 来年、僕はこれまた勝手に日本語ラップの弾き語りカバーアルバムを作ろうと思っているのだが、その情報提供を磯部涼にお願いしていたら、色々送られてきた。今のところ予定しているのは(もちろんどれも承諾を得ていないが)、S.L.A.C.Kの「Hot Cake」、MINTの「生理的に大好きPart3」、スチャダラパー「彼方からの手紙」、ポチョムキン「BRAND NEW LOVE」、SEEDA「Son Gotta See Tomorrow」、イルリメ「トリミング」、Rip Slyme「白日」、キミドリ「自己嫌悪」、Twiggy「夜行列車」、ECD「ロンリーガール」の10曲。それを全部リズム無しのアコギ一本で弾くというもの。ひとしきり興奮した後、眠る。

 2010年12月12日(日)。朝起きて、ノノカと折り紙で遊ぶ。クリスマスシリーズを折ってあげる。ゆきだるま、クリスマスツリー、縞模様のスティックなど。折り紙って、本当に子供は好きだな。自分もやりながらはまっているんだけど。妹家族と車に乗って、京都へ。今日は一乗寺観光。恵文社という洒落た本屋へ立ち寄り、つばめという食堂でランチを食べる。その後、再び恵文社へ戻り、ノノカに、せなけいこさんの双六を買ってあげる。アオへのお土産につげ義春さんの妻だった藤原マキさんのお店ばかり描いてある絵本を購入。復刻されていた。
 その後、僕だけ別れて歩いて同志社大学方面へ。友人の須川さんが運営している私設公民館「Social Kitchen」へ。今日は零塾出張篇in京都。この出張バージョンは、来年2月に東北芸術工科大学で卒業設計の講評会に行くのでその時に東北篇、来年の春頃田舎の熊本に帰る予定なので、九州篇と、全国各地へ飛び回る予定。
 須川さんと久々に会う。気付いたらこんなにでっかい公民館を運営するまでになっており、なんとも頼もしい。お金の面でも大変だろうが、それでも場が必要だと感じているのだろう。全面的に応援したい。その餞の意味としてもこのイベントはある。午後4時から零塾出張篇スタート。NHKの井上さんも来て撮影開始。まずは一時間、僕が一人で零塾を設立するまでの経緯を話す。20人近くの人が来てくれた。感謝。その後、引き続き、零塾個人面談開始。今回新たな新規入塾希望者は10人になった。東京方面で20人いるので、もう30人を超えてしまった。一応、50人限定にしているが時間の問題かもしれない。
 一気に10人の人たちを面談したのは初めてだったが、意外とやり切れた。午後5時から午後9時まで4時間ぶっ通しで。モンゴル式のパオに住みたい人や、電子書籍の可能性を探りたい人、公共としてのワークスペースを作りたい人、福岡の都市計画をしたい建築家、演劇をやっている人や、自宅で炊き出しのようなただの食堂をやりたい人、自給自足で自分の家を作っている人、人が集まる場を作りたい人、街を作りたい人、写真家として活動したい人などあらゆる、そして誰一人として一緒ではない、社会実現の可能性を知らされた。本当に毎回思うのだが、みな能動的でびっくり。おかげで僕の方が元気にさせられている。それぞれの人に一ヶ月後の課題を出した。ヨーロッパ企画の上田さんも顔を出してくれた。彼とも来年、何か面白いことを一緒にやれたらいいと思っている。
 その後、大阪から来ていたタローと、塾生のガウディと芥くんと、Social Kitchenのリコちゃんと5人で居酒屋で飲む。その後、もう一軒寄って、その後、歩いていたらサンタの格好の女子大生に呼び止められ、遊びに来て下さいという誘惑に負け、ダンスホールへ。結局、暴れまくる。しかも、周りは学生ばっかり。いつものように不審者扱い。一人、カッコいいDJがいたので声をかけると、マルチネのtomadの知り合いだった。そんな感じで繋がっている。午前6時まで踊り、そのまま新幹線に飛び乗り、東京へ舞い戻ってくる。はー、疲れた。

 2010年12月13日(月)。午前9時過ぎに東京駅に到着し、国立の家に帰ってくる。アオと遊んで眠れない。その後、シャワーを浴びて、京都で出会った零塾生からのメールを読んで、アオに泣きつかれながらも、しぶしぶ外出。辛いよ。もう明日は絶対に働かない。午後1時に渋谷駅モヤイ像前で待ち合わせ。批評家の杉田俊介さんと磯部涼と三人でセンター街の行きつけの蕎麦屋「更科」へ。カツ丼を注文し、食べながら新雑誌についての打ち合わせ。
 新雑誌は始め一つだけの予定だったが、今二つへ別れようとしている。僕が責任編集をする「Robinson」ともう一つは数人の思想家、表現者、作家たちが集まって高め合うための思想の場としての雑誌「新しい天使(仮)」。今回はこの新しい天使についての打ち合わせ。どういう形にするのか話し合う。あとは作家たちを誰にするのかも。こちらでは、梅山くんを主軸にして様々な作家たちが意見を出し合いながら進めていきたいと思っている。Robinsonは雑誌としての特色を出していきたいが、新しい天使では「場」ということに主題を置いていきたい。だから、出版だけでなく、座談会、トークショー、テレビ、新聞、ラジオ、インターネットなど他のメディアへの登場など、あとは電子書籍の実験もやってみたい。しかし、なんだか本当に今、みなが集まって社会のために何かをやらねばという意識が高まっている。それは個人的な表現とはまた違うエネルギーでお互いが喧嘩するというよりも、恊働しようという試みなのである。しかも、友達付き合いとしてやるのではなく、徹底的に社会のためにやる。そこに注目していきたい。
 充実した打ち合わせを終え、僕だけ喫茶店に残って原稿、集英社「モバイルハウスのつくりかた」残り2000字。終わったので送信。これで一つ締め切り終わり。今週はあとエココロ「家をめぐる冒険」、小学館月刊スピリッツ「路上力」、オランダ、ユトレヒトへのプロジェクトプロポーザルと意外と仕事が溜まっている。
 その後、午後5時半から渋谷の藤村龍至さんの設計事務所へ。フリーライターの村岡さん、カメラマンの米谷さんと3人で向かう。エココロ次号での特集内「男と女の在り方」というテーマで建築家の藤村龍至さんと対談。磯部涼から藤村さんとは話をしたほうがよいと聞いて、本を読んだりして興味を持ち始めた。なので、無茶苦茶楽しみだった。建築家の人と雑誌上での対談も初めて。隈研吾さんとはトークショーをやったけど、同世代の建築家の人と話すことも初めて。社会と建築ということに興味を抱いているのはという観点で見ると、僕の知る限りでは彼が一番取り組んでいるように思えた。。
 さっそく、話を始める。編集のエリちゃんには悪いが、男と女というテーマはほとんど無視して、お互いの建築観を徹底的に話し合う。結局は僕がかなり喋りすぎてしまったが。それに対して突っ込んでももらった。対話の可能性の高さを感じられた。僕はもっと建築家たちとも対話を続けないといけないと思った。藤村さんもそのことに興味を持ってくれたようで、一緒にこれから何かができればいいなとも思った。一時間半の予定だったらしいが、終わってみれば3時間経っており、しかも、まだまだ話したくなっていた。酒でも飲みに行きたいなあと思っていたが、藤村さんも仕事があることだし、しかもアオは早く帰って来いと懇願しているので、落ち着いて帰ることに。
 しかし、藤村さんの冷静さを見ながら、今回自分のことを客観的に見れたのは収穫であった。しかも、自分にはかなり強いユートピア思想があることにも気付けた。そして、藤村さんにも小学生の時からの社会に関わりたいという強い内的必然性があることも知り、とても共感した。アトリエワンの塚本さんの研究室にいたとのことだったが、僕には塚本さんと藤村さんの決定的な違いは、そこにあるのではないかと思った。塚本さんは都市にはとても興味をもっているが、それがやはり表層的で社会性まで持っているとは完全には思えない。藤村さんはそこを突き抜けていきたいと思っているのではないか。そして、それは僕が石山修武師匠に対して思うところとも共通しているかもしれない。僕と藤村さんに共通しているのは、政治性なのかも。そして、そこに僕は希望を持った。
 家に帰ってきても落ち着かず、磯部涼に電話して、落ち着きを取り戻そうと試みたが、結局落ち着かず、また藤村さんと話したくなり、つい電話してみた。こういうところが、僕のいけないところでもある。ずっと話をしていたくなってしまうのだ。でも藤村さんは大人なので、といっても二歳年上の同世代なのだが、僕にちゃんと付き合ってくれた。そして、DOMMUNEで一度話してみませんかと依頼。落ち着きがないから思いつきかもしれないので、ちゃんと考えた後で返答してくださいと言った。どこでもいいのだが、またちゃんと対話する機会を作りたい。そして僕が建築家というものを意識的に避けていた感があることにも気付いた。面白い人がもっといるかもしれない。ここは一つ、どんどん建築家にあって話をしてみるのもいいかもしれない。藤村さんに僕と対話したら面白くなりそうな人たちも教えてもらった。
 同時に藤村さんに、僕が新しく始める雑誌での執筆も依頼した。もっとどんどん書いていってほしい。藤村さんはとても誠実であった。そして、同時に冷静で、しかもかなりバランス感覚のある人だった。僕とは全く対照的。そして、共感する部分と、納得のいかない部分も同時に共存しており、ライバルであり、同時に仲間になうる可能性を感じさせた。来年は、とにかく対話する、議論する、バトルする場を徹底的に作っていく。そこにはぜひ登場してほしい。そして、個人的な思想の戦いなのではなく、いかにすれば社会が変革するのか、そのことをテーマに話をしていきたい。そして、行動をしていきたい。非常に充実していた日であった。
 帰ってきて、あまりにも嬉しくなって、妻に語り続けていた。フーはしきりに「よかったね。でも体を休めなさい」と言っている。ということで、明日は休日にする。寝る前も、空想、妄想、奇想、夢想が駆け巡っていて、得意の夢見のテクニックを奔走させた。

 2010年12月14日(火)。今日は休みます。杉田さんから先日話した新雑誌「新しい天使」のレジメが届く。こちらは少しずつ進めていきたい。京都零塾のみなさんからメールが届く。オランダのユトレヒトから今週中にプロポーザルをおくってくれとの依頼。集英社飛鳥さんからゲラが届く。
 佐々木中さんからメール。アタル兄さんと僕は今、二人であらゆる仕事に共通するような独自の契約書を作ろうとしている。本の出版って、出版社ごとに契約内容が違う。もちろん印税率も違う。太田出版は原稿を書き終わった瞬間に前払い金をくれるが、他の出版社でそんなことをやっているところはない。しかし、そんなテンデバラバラの契約はおかしいんじゃないかと二人で話し合っている。冷静に考えたら契約なんて著者主導でやらないと駄目だろう、と。
 というわけで、二人でそのへんを変えていけないかと契約書を作っちゃえという試みをやっている。これをやれば他の作家だって、参考にできるだろう。僕は今、自分の原作が映画化されるので映画の契約書も作っているのだが、今回、自分の思う通りに契約することができた。そりゃ当然である。僕の本を読んで反応してくれたのである。それが、著者の納得のいかない形で契約されることの方がおかしい。出版社で本を出すときも「あ、その契約なら出しません、だって他の出版社で欲しがるところなんてたくさんありますもん」という駆け引きぐらいさせてもらえないとおかしい。しかも、契約書って、ただの契約書なんで、まず納得いかない箇所は書き換えることもできるんです。しかし、そんなことも分かっていない著者も多い。そのへんをどうにかこじ開けたいなと二人で考えている。
 一度試してやってみよう。別にこれは反乱ではない。ちゃんと誠実に契約するための方法論である。どちらが強いわけでもない。イーブンに話し合いが行われるようにしたいだけだ。アタル兄さんは結構辛い目にも遭っているようで、余計そのへんに真剣になっている。アタル兄さんに、僕が作っている契約書のアイデアを提供する。
 ニフティからインタビューの申し込み。快諾。リトルモアの田中ちゃんから、先日のジュンク堂での佐々木アタルさんとの対談のゲラが届く。休むとか言っておきながら、朝から動こうとしている僕。アタル兄さんって書いていたら、まさにそれはキン肉マンのアタル兄さんみたいじゃないか。僕が憧れていた人間性はキン肉マンなのだから、それで全然いいんだけど。
 その後、アオと遊ぶ。外出。フー母と吉祥寺へ。フー姉とフーと会い、アオはフー姉にディズニーランドシーにしか売っていないというダッフィーのバックをもらい興奮状態。みんなで八十八夜というカフェへ行き、ランチを食べる。食後、僕とアオとフーの三人で井の頭線に乗って渋谷駅へ。
 今日は、フーがSpoken Words Projectのワンピースを買ってくれと懇願しているので、それを買いにDESPERADOという服屋へ。Spoken Words Projectはこの店と吉祥寺のTONEにしか置いていない。TONEには好みなのがなかったらしく渋谷へ。DESPERADOという店のディレクターさんが、僕とフーがありえないくらい物色していたら「コーヒーでも飲みますか」と誘ってくれたので、頂く。
 喫煙所でディレクターである泉英一さんと煙草を吸いながら話す。
「もう何年ぐらいお店をやっているんですか?」
「11年になりますね」
「すごいですね」
「やあ、細々ですよ」
「他にもお店をやってるんですか?」
「他にはですね。ディストリビューションをやっているんです。イルビゾンテとマリメッコというブランドなんですけど」
「マジですか?二つとも我が家はお世話になってます。イルビゾンテと言えば、僕田舎が熊本なんですが、シャワー通りのイルビゾンテが置いてある店とかかっこいいですよね」
「もちろん、そこにも卸してます。よく行きます。へー、熊本なんですか」
「シャワー通りには、パーマネントモダンとかダブルヴィジョンとか、東京には無いやばすぎる店が多いですよね」
「みんな友達なんです」
「マジですか?と、いうことは、サンワ工務店の山野さんのことも」
「えっ、山野さんのこと知っているんですか?」
「僕、早稲田大学の建築学科時代に働いていたんです」
「奇遇ですね。山野さんとも長い付き合いでして、僕は熊本の路地裏の店みたいなかっこいいものを作ろうとしてこのDESPERADOという店を始めたんです」
 一体、なんなんだこの奇跡的な展開は。そんな熊本の香りを持っている店に東京で初めて出会った。泉さんと熊本トーク。僕も建築関係の作家なんですが、サンワ工務店の良さを伝えたくてやっておりますと挨拶。こんなことも起こる。
 喫煙所で盛り上がっている間に、フーはハンティングする服を見つけたらしく、無茶苦茶かっこいいプリントのワンピースを購入。こうやって服を買うのは楽しい。熊本だったら普通のことなんだけど、東京ではなかなか体験できない。満足した。また行こ。泉さんは、イルビゾンテやマリメッコだけでなく、ドリス・ヴァン・ノッテン、クリストフ・ルメール、マーク・ジェイコブズを日本で初めて紹介したとんでもない人だった。それって、本当に熊本がもっとやばかった、1995年ぐらいの時の激しい時代の立役者ではないですか。中央大学商学部商業貿易学科卒業。僕の早稲田大学理工学部建築学科卒業で、馬鹿やっていることと共通するところを感じ、今後も仲良くできればいいと思った。
 その後、三人で高円寺で降り、今年の9月9日に78歳で亡くなったカンさんが眠る居酒屋「イワン」へ。洋子さんが店を引き継いでやっている。僕の家族だけがお客でまるで実家に帰ってきたようなリラックス感。アオもはしゃいでいる。幸福な時間が流れている。ビールと赤ワインとお茶で三人で、カンさんにおつかれさまでしたと乾杯。亡くなる直前には会えなかったのだが、今年のお花見の時に最後に会えた。カンさんの遺骨は海に流されて、少しだけがイワンのキッチンの棚のかわいい瓶の中に眠っている。アオは、天井を見ながら、
「カンさんがいる。ちっちゃくなって、座っている」
 と言っている。最近はまっているティンカーベルのように見えているらしい。アオはよく魂が見えるらしい。ベック=ウィズ=ヴィーデマン症候群という13700人に1人の遺伝子を持つスペシャルガールなので、当然と言えば当然か。そんなアオの話を聞きながら、僕は泣きそうになっていた。
 とにかく、最近、共同体について考え続けている。長老から赤ちゃんまでが仲良く過ごす空間を作りたい。村を作りたい。集落を作りたい。国を作りたい。世界を作りたい。死もちゃんと受け止める生も性もちゃんと受け止める共同体を作りたい。カンさんはそんな僕を応援してくれていた。どんなに無名であっても金がなくても、カンさんは僕に、
「恭平くんなら、絶対にやれる」
 と言ってくれた。それは僕の祖父からも言われていた。しかし、僕が本格的に動き出すときには彼らはこの世にはいない。そのことに悔しさもあるのだが、同時に上のほうで見守ってくれているという確信がある。カンさんこれからも見守っていて下さい。残った人間たちは、その意志を受け継いで、さらに行動を起こさねばならない。どんどんやっていこう。駄目だったら相談すればよい。
 午後8時に洋子さんと別れて帰る。
 結局、今日は休みと言っていたのだが、なんだか忙しい日ではあった。しかし、なんとも温かくなる大事な一日だった。

 2010年12月15日(水)。イタリア人のフランチェスカからメール。以前、僕が隅田川の鈴木さんの家を案内したのだが、その時のレポートを読んでくれとのこと。零塾入塾希望者から二通メールが送られてくる。継続的に送られてくる。先日、西村佳哲さんから受けたインタビューのゲラが送られてくる。こちらは来年「自分の仕事を考える」というタイトルで出版予定とのこと。年明けすぐには「自分の仕事を考える3日間」というイベントが奈良で行われる。300名も入るのだがもう満席とのことで、すごいことだ。26日に東京大学で行われる中村雄祐さんとの対談も200名が入るそうだが、もう満席近くいっているという。話をする場にそんなに集まってきているというのは、いい傾向なのか、それとも大変な状況なのか、よく分からないが、話をする方にとっては張り合いがあるのでよい。週刊朝日の中村さんより「朝日ジャーナル」復刊号の原稿依頼。テーマは「路上の幸福論」。快諾する。
 今日は朝から幼稚園の見学。今日は家から徒歩15分の「けやき幼稚園」。懐かしい感じの園舎と、周りに高い建物が一切建っていないのでありえないくらい広い空が印象的。アオも気に入って遊び回っていた。気持ちの良い空間であった。僕も結構気に入った。
 午後から外出。初台の研究所へ。契約書の作成と、印刷、判を押し、送付。年末に新しい試み。これまで自分でも気付いてはいたが徹底されていなかったことの解像度を高めていく実験。こうやって一つ一つ自分の手でやれるようになってくれば、自由度が増してくる。こういうことも零塾では教えたいなと思う。企業で働くことをやめて、フリーランスになりたいと言うけれども、フリーランスでも依頼された仕事ばかりやっていては、結局労働には変わらない。そのへんについてもう少し慎重になった方がいい。独立してやるということは、完全に自分から発動し、発火し、行動することだ。それをやらないと、自由にはなれない。
 研究所で原稿仕事。しかし、なかなか進まない。年末進行のペースに合わせられない。いつも20日までに仕上げるというバイオリズムでやっているので、どうも乗らない。エココロと路上力。そんなに長い原稿でもないので、早くやればいいのに。河出書房からも原稿どうっすか?電話。こちらもまだ出来ていない。週明けに書いて渡すことに。
 26日に対談するので、中村雄祐さんの著書「生きるための読み書き」を読んでいる。これが面白い。発展途上国の読み書き問題について研究している方なのだが、そのことの研究報告にはまだ僕は読み進められていないが、その前の「読み書きとは一体何か」という問題提起が、示唆に富んでいて、かなり知的好奇心をそそられる。さらに、自分の中に新しい発見も。そして、言葉にできなかったが、今まで頭の中でぐるぐると巡っていたいくつかの思案についてもはっきりと焦点を合わせてくれた。
 興奮し、佐々木中さんに電話し、語り合う。「読み書き」はリテラシーとして語られることが多いのだが、中さんは「リテラシー」の語源「リテラチュール」について言及していて、その話もまた面白すぎて電話先で夢中になる。なんだ、この贅沢すぎる生電話創造的図書館は。リテラシーとはリテラチュール、つまり「文学」なのだ、と。僕はアフリカ、ケニアのスラム街で暮らす友人たちが識字率は低いにもかかわらず、芸術的素養、踊り、歌などの能力の高さに驚き、むしろ日本よりも高度な文化的生活を送っているのではないかと思っていたが、リテラチュールつまり文学が発達していると言い換えたらなるほど納得できる。26日の対談が楽しみになってきた。渋谷慶一郎さんと池上高志さんともセッションをする予定とのこと。もうなんでもやります、はい。
 午後7時に新宿茶寮へ。零塾生の鈴木さんとNHKの井上さんと待ち合わせ。来年放送予定の零塾の特集のための打ち合わせ。井上さんが鈴木さんに興味を抱いたので、鈴木さんに撮影の許可と取材の依頼。鈴木さんも了承した。鈴木から、
「零塾に来ることで、もう実際に具体的に動かないといけなくなるなと思っていたんですが、さらに坂口さんから取材依頼が来たと電話されたことで、もう始まったんだな、やらないといけないんだなと思った」
 と言われ、僕も責任を感じた。人の人生を動かそうとしていることに恐怖も感じた。かと言って、引くわけにもいかないのだが。本当に恐ろしいことを始めたもんだ。僕は。自分のためであるとか、お金のためであるとか、そんな今までやってきたこととは正反対の、しかし、自分が本当にいつかはやらないといけないと思っていたこと。つまり、自分もついに動き始めたのである。だから、これからは間違いもすると思う。今までの、自分のことだけを徹底的に考え、慎重に進めていけば実現するというような代物ではない。他者が常に介在する。むしろ、他者しか存在しない。そんな中で行動を起こすということが、一体どんな影響、反応をするのか。僕も予想がつかない。しかし、それでも、今の自分ならちゃんとやってくれるはずだという確信はある。とにかく、零塾については逐次フーと対話をしている。こういう発言をしたのだが、それは間違っていなかったか?ここでちょっと強く否定したが、それはやりすぎだったか?など。ま、とにかくやり始めたのだから、続けてみないとな。
 鈴木さんの話に、井上さんはさらに興味を抱いたようでぜひ撮影をしてほしいとのこと。テレビというのは、予想できないことはできない。やはり、前もってこういう方向性で、こういう主張で、とあらかじめ決まっている。そんな中、どう転ぶか全く予想できない零塾を採り上げるというのは、危険なはずだが、井上さんはやりがいを感じてくれており、絶対実現させますと熱い。しかし、そこに鈴木さんのような他者を絡ませることは、僕にとっては初の試みになる。隅田川や多摩川の偉人たちは僕とかなり長い間コミュニケーションを取っていたので、大丈夫だったが、今回はどうなるか。僕は慎重に見ていきたい。井上さんはとても信頼できる人ではあるので、大きな心配はしていないが。しかも、かなり視聴率の高い番組に出るとのこと。どうなるか。
 夜、帰ってきてまたピクサー、バグズライフをアオと二人で見る。主人公のフリックに共感。これって僕じゃないかといつものように妄想した。周りのアリたちから、馬鹿野郎、ドジとしてからかわれ、笑われているのだが、それがフリックには応援しているようにしか感じられない。いじめられているのに、そのいじめに気付けない。これこそ、別のレイヤーで生きるという方法論で、僕もそのようにして生きてきた。さらに、仲間と集め、七人の侍のごとく、映画は進んでいく。こういう寓話が本当に僕は好きらしい。そういう意味でジブリよりもピクサーが好きなんです。アオと二人で堪能。

 2010年12月16日(木)。原稿書こうとするものの、全く集中できない。しかし、最近分かってきたのは集中できない時に集中しても意味がないということだ。集中できないと感じるという時には、集中しないで下さい、というメッセージであると捉えることにしている。ということで、安心して仕事をストップさせる。これが楽なんだ、本当に。そこで、ゴロンと寝転んで中村雄祐さんの「生きるための読み書き」を読む。最近は、本当に安心して5時間でも6時間でもぼーっとすることができるようになってきた。すると、自然と書けるタイミングが分かってくるようになる。かと言って、皿を洗ったり、洗濯をしたり、食事を作ったりするわけでもないので、フーには不審がられるが、アオには賞賛される。
 午後、今度は来年取り組もうとしているアコースティックギター弾き語りによる日本語ラップカバーアルバムについて構想を練る。今年の夏頃まで全く日本語ラップなど聞いたことがなかったのに驚きである。まあそれは大いに磯部涼の影響が(というか磯部涼からしか情報を得ていない)あるのだが、それに有り得ないくらいの早さで対応してしまうのが、あたしの得意科目であり、同時に当然ながら欠点でもある。しかし、今回はやると決めた。PUMPEEに電話して、今、考えている候補曲のことを伝えた。というか、PUMPEEもびっくりだろう。つい二ヶ月前ほどに知り合ったのにもかかわらず、平日昼間っからわけのわからない電話がかかってくるのだから。しかし、この企画は実はPUMPEEが僕に適当に提案したものを僕が妄信的にやるといったものなのだ。ということで、候補曲を挙げる。

1. S.L.A.C.K. Hot Cake 2009
2. MINT Where is the LUV?(生理的に大好きPart3) 2007
3. Twiggy feat BOY-KEN 夜行列車 2000
4. TAKUMA THE GREAT Sumeba Miyako 2010
5. SEEDA Son Gotta See Tomorrow 2008
6. イルリメ トリミング 2004
7. RIP SLYME 白日 1998
8. ECD ロンリーガール 2003
9. スチャダラパー 彼方からの手紙 1993
10.ポチョムキン Brand New Love 2009
11.いとうせいこう 噂だけの世紀末 1989

「なんか、選曲、芯があっていいっす」とPUMPEE。来年すぐにレコーディングしようということになった。イメージはボブデュランの1st。ローリングストーンズたちがやっていた黒人音楽のカバー集。限りなくブルースに近い、ヒップホップ。ロバートジョンソン的。そんな妄想。フーアオが家を出ていったので、一人でギターを弾きながら悦に入る。
 その後、午後2時から国立駅前で零塾入塾希望の越智くんと待ち合わせして、ルノアールにて面接。デザイン系の学科にいる大学4年生で今日大阪からわざわざ出てきたそうだ。えらいことになってきてるなあ。京都出張の時は用事があって来れなかったそうだ。まずは話を聞く。
「自分が生まれ育った街を盛り上げたいんです。再生したいんです」
 町おこし、街作り、都市計画などをやりたいと思っている人たちも多いようだ。
「どっかに就職とかしないの?」
「はい。実家の近くに引っ越して、バイトしながら、街にある色んな仕事を知りながら、どうやって街を変えられかを考えていきたいんです」
 しかし、大学を卒業していきなりバイトをしながら、果たして街作りへと発展できるのか。これはかなり困難であると僕は判断した。地方であれば、バイトだって、かなり条件が厳しい。お金も稼げないし、しかも仕事内容もかなり単調である可能性は高い。街作りだって、そんなに数年ではできないだろうから、10年かかるとして、それをバイトしながらやるのは厳しい。どうやって、街作りをしながらお金を稼いで生活していくのかと聞くと、そのへんのヴィジョンはあまり確定しないようだった。
 さらに、僕はどんな参考文献を読みながら、自分の街作りの思想を高めていこうとしているのかと聞いたが、それをまだちゃんと取り組めていなかったようだった。そこで、先日零塾入塾した京都の通称ガウディとよばれる坂田くんへ電話。
「ガウディ、都市計画の参考文献ちょっと教えて。ハード面からではなく、ソフト面から変えていこうとしている著者がいい」
「それなら、ジェーン・ジェイコブスの『アメリカ大都市の死と生』とリチャード・フロリダの『クリエイティブ・クラスの世紀』は外せないと思います」
 零塾効果。ありがたい。それを伝えぜひ読んでくれと課題を出す。さらに、30冊ほどの参考文献を見つけ出し、ちゃんと読むことを一ヶ月後の課題にした。まずは勉強。歴史を知らないといけない。まだ表面的な読書をしていたので、そこを向上していかないと。
 しかし、彼の状態を見ていると、大学教育に対してやはり不信感を抱かずにいられない。何も知らずに、勉強もせずに、卒業して、それでどこかで働けなんて、ちょっと無責任すぎないか。そりゃ、自己責任かもしれないが、それでも色んな課題やレポートや卒論などを書かせることで、少しは改善できるのだろうけど。聞くと、大学教授と僕のような関係を持っている人はいないらしい。だから、それはある意味、高校教育とも繋がってくる。ちゃんと習いたい教授を見つけてから大学に行かないと、全く意味のない大学生活になってしまう。高校生は、ぜひ入りたい大学ではなく、会いたい習いたい教授を見つけなよ。そして、そんな人がいない大学に入ってしまった人は、ならば、毎日図書館に籠ってとにかく勉強することだ。やばい教授にぶっ飛ばされないから、何をしていいかわからない、なんてことを言う学生が増えちゃうのである。それは自分で選んでしまっているのだ。でも、それはちゃんと慎重に徹底的に研究することで見つけることができる。やれば、ね。
 まだ、僕の言っていることに納得していないようだったので、まず一週間後に零塾に入るかどうかを答えてくれと言った。関わるのなら、僕は徹底して関わるつもりである。無知であったら無知であることを自覚してもらうし、そして、改善してもらう。多少辛いかもしれないが、社会に出る前に直せたらラッキーじゃないか。と、かなりしんどくなると思うので、みんなにはまず入塾するかを決めてもらっている。別れて、一人で原稿に取り掛かる。
 しかし、僕は高校時代に大学という概念に有り得ないほど不安になって、とにかく具体的なものを知らないといけないと感じ、石山修武と出会い、そこへ行き、氏に徹底的に学ぶことを選んだ。これは本当に地獄だった。彼に僕は徹底的に批判され、否定され、罵倒された。そりゃないだろうってぐらい、やられた。でもトラウマには全くならなかった。むしろ、育てようとしてくれていることを感じていた。それがバグズライフのフリック状態だったんだけど、誰でもそうと限らないからね、とフーに念を押される。今日は強く言いすぎたかもしれない。しかし、まずはあまりにも強すぎる自我を無くすところから始めないといけないと僕は思っている。それは自分の表現ではないのだ、と気付いて欲しいのだ。それは社会の一部としての思想なのだ、と。まあ、なかなか難しいけど、やるしかない。
 夜、明後日の集会のお誘い電話をかける。今のところ20名。ま、忘年会ってことですけど。夜、V6の井ノ原さんと電話。新雑誌での協力をお願いしてみた。有り得ないと思いながらの提案だったが「是非」と言っていただけた。何なんですか!イノッチ!その心の広さ!また話をしたいので、年明けにでも会いましょうとのこと。心が温かくなる。藤村龍至さんと電話で話す。DOMMUNEでの出演依頼「是非」とのこと。これまたありがたい。こちらも年明けになりそうです。来年は建築家たちとも対話をしていきたい。はー、原稿、進みません。

 2010年12月17日(金)。朝、家のベランダから富士山を見る。ここ一週間ほど毎日、くっきりと富士山が見える。素晴らしい。アオがブロックで神殿を作っている。ブロックの使い方がうまいなあ。しかも、いつも建築を作っている。写真を撮っていたら、自分でも撮りたいというので貸してあげると、ティルマンス風でびっくり。ただの親ばかの可能性もアリ。午前中、原稿。エココロ「家をめぐる冒険」連載第5回。今回は、フランク・ロイド・ライト自邸。ライトの家は完全に実験工房になっていて興味深い。ライト自身の脳の思考回路を空間として実体験できるたいへん貴重な建築である。2000字。ようやく原稿も書く気になってきたようで、終わらせる。あとはスケッチが一枚残っている。その後、路上力も取り掛かる。こちらも明日中には終わらせないといけない。オランダのユトレヒトのコスカに来週中にプロポーザルを送りますと遅延のメール。オッケーとのこと。よかった。
 零塾希望者からメール。もうこれで何人目だ?ちょっと分からなくなってきている。僕は今回、面接などでも一切のメモを取っていない。名簿も作っていない。システマティックにやるのではなく、有機的にカオスにやってみたいと試みている。塾生はそれぞれは基本的には会わないのだが、僕を通して、それぞれ補う必要があるときには結びつけようと思っている。
 河出書房から「TOKYO0円ハウス0円生活」の文庫化の件でメール。さらに幻冬舎から「隅田川のエジソン」が文庫化される予定。どちらも来年で丸3年が経つので、早ければ来春には文庫化される。そうなれば、また新しい読者が増えるだろう。とても楽しみ。来年は、この二冊と、河出書房から書き下ろし単行本、そして小学館から「カリスマホームレスに訊け」と「路上力」の連載がまとまった単行本の4冊がまず夏前頃まで出版される予定。筑摩書房の「異色住」も早くやらないといけないのだが、ちょっと焦らずゆっくりいきたい。そして、土地所有論も。出しすぎてもいけないので、とにかくじっくりと書き進め、ちゃんと資料を調べて、土地所有論についてはしっかりとした論文として書きたいと思っている。
 午前11時に国立駅前で千葉大の学生9人と待ち合わせ。そのままロージナ茶房へ行き、地下にてインタビューを受ける。彼らが自分たちで作っている雑誌に掲載するためのインタビュー。しかし、なんで9人もいるのか、こちらは分からず、一度は断ったのだが、それでも意味があるのでと言われ引き受けたものの、やはりこのインタビューに9人もいる必要性は感じなかった。9人なんかで喫茶店でインタビューしたらびっくりされるだけだし、しかも人間同士の初対面で9人と出会っても僕は名前は覚えられないし、顔すら記憶できない。一人のインタビュアーがカメラを持って、録音機もってやれば、僕だけでなく、9人の建築家たちにインタビューできるのになあ、もったいなあ、と思いながら、それでも会いたい人がたくさんいるらしいとのことを聞いていたので、なんか質問でも飛びまくるのかと思ったが、それも無し。僕は見せ物じゃありません。学生のやはり学生らしさに呆然とした。誰か一緒に茶でも飲んで帰ろうか?と誘ったものの、誰も来ないので、駅まで送り、僕はエクセシオールで原稿を書くことに。一体、なんだったのだろう。張り合いがなく、疲れてしまった。
 一人で注文していたら、さっきインタビューしてくれた学生が一人来て、一緒にちょっと話したいというので、話を聞く。学生なのに色々大変そうだった。がんばれー。社会に出たら、自分で作品をつくりだしたら、出版なんかしちゃったら、教育をする側に回ったら、もっととんでもなく大変だから、早く大変さに慣れようじゃないの。でも、一人でもちゃんとがっついて来てくれる人がいたのでほっとした。
 その後、メディスンマンに会い、様子を聞かれる。フーから何と言われているかと聞かれたので、
「地に足は着いているものの、テンションはやはり高い」
 と言われたと伝える。今の状態は、一年に一度必ず来る、クリエイション祭りの時期。つまり、眠くないし、朝まで仕事していても疲れないし、さらに発想、着想が浮かび、今まで離れていた物事たちが、シナプスたちの活発な動きによって全て繋がって感じられる。これはとても爽快でたまらない。しかも、そのシナプスの動きは万能感を導き出してくる。完全に、麻薬が効いている時と変わらない状態のはずだ。つまり、後で、疲れがどっとくるはず。そのとき、いつも僕はドン底に落ちてきた。しかし、ここ二年はメディスンマンと一緒に体を調整しているので、うまくバランスよくできている。まあ、つまりは躁状態なのですね。
 メディスンマンはそこで色々とヒントをくれた。メディスンマンと付き合い始めてもうすぐ丸二年になるのだが、完全に僕のトレーナーになってくれている。僕も自分のことをアスリートのように捉えている。クリエイションというアスリート。ちゃんと徹底してトレーナーと一緒に体と脳味噌の動きをチェックしながら、この二年は活動している。そして、フーがマネージャーである。この三角形スタイルでやってから、僕の仕事は有機的に絡まりだした。そして、一つの建築物を作るように、構築してきた。だからこそ良い結果が出ているのだと思う。しかし、今は少し飛ばしすぎである。うまく抑えていこう。自分のスケジュール帳を見ながら、定期的に休みを取り入れていく。
 僕は人間の体というものをマシンであると捉えている。デュシャン的な思想のつもりなのだが。マシンなので、人間の精神ですら機械的に判断する。自分の才能の無さに絶望するのではなくて、自分の体というマシンの性能をただ機械的に確認する。すぐ故障するところをチェックする。そして、うまくゴールできるように少しずつチューンナップしていく。僕はベンツでもなく、ポルシェでもない。イメージとしてはチキチキバンバンのあの車なのである。マシンは自ら破壊したりしない。ただちょっとプスプス言っては止まるだけだ。そして、修理する。手入れする。僕という意識はそのマシンに乗って、楽しい風景を見ていくだけだ。車に乗りながら、次々と姿を変えていく風景を見るのはなんであんなに楽しいのだろう。そういう感覚を意識と体に置き換えて、僕は捉えている。
 しかし、たまには車から降りて新鮮な空気を吸ったり、草原に生えている草花を近くに寄ってみたりしたい。マシンから降りて。意識だけの状態。つまり、それは「考える」ということである。それは直接的な体験だから、車から眺めているのとは違う体感である。そして、またマシンに乗って走り出す。最後に、マシンは自ら破壊なんてしない。マシンは動けるだけ何万キロでも走るだけである。そして、寿命が尽きたところでピタリと止まる。止まったら何をするか。運転手は、つまり意識は車をようやく降りて、再び歩き始める。意識は生きる前から存在し、死んだ後も存在するものとして捉えている。しかし、それは僕ではない。僕はマシンなのである。僕という体は、マシンは、死ねば当然のように無くなってしまう。無くならないものは何か。それこそが、僕にとってのクリエイションなのである。つまり、それは自分自身の表現ではなく、自分というマシンを動かしてくれた運転手なのである。死んでいく仲間を見ていくうちに、僕はそのような思考をするようになった。
 そうすると、もっと徹底して生きていくことができるようになった。楽になったわけではない。責任を持つことができるようになったのだ。運転手を次の目的地まで届けないといけない。僕の妄想では自分というマシンの運転手は、これまで鴨長明というマシンに乗り、非実在ですがロビンソン・クルーソーというマシンに乗り、ジュール・ヴェルヌというマシンに乗り、ヘンリー・デビット・ソローというマシンに乗り、バックミンスター・フラーというマシンに乗り、南方熊楠というマシンに乗り、マルセル・デュシャンというマシンに乗り、トール・ヘイエルダールというマシンに乗り、今和次郎というマシンに乗り、バーバード・ルドフスキーというマシンに乗り、猪谷六合雄というマシンに乗ってきている。たいぶん長い旅を続けているらしい。そんなこと考えていると、悩みとか本気で無くなる。そのかわり、とんでもない責任感が襲ってくる。こちらの方が大変なのだが、別に辛いわけではない。ただ大変というだけだ。やらなくてはいけないのだから。人間マシン「ヒューマシーン」論でも書こうかな。などとまた色々浮かぶ。いけないいけない。
 その後、電車に乗って東大へ。生まれて初めて東大の中へ入る。やっぱり気持ちの良い大学だな。ま、夜だったのでほとんど見えなかったけど。26日のトークのための打ち合わせ。研究棟にて東京大学教授中村雄祐さん、今回のトークイベントのスタッフの方々にも会う。中村さんの著書に感動したので、その感想から話し、色んなことを話す。詳しくはトーク当日を楽しみにしていてほしいのだが、ちょっと有り得ないくらい盛り上がった。予想通り、僕と似た視点を持ち、共通する問題意識を持ってらっしゃった。本当に嬉しかった。なんで、最近、こうも人との出会いが素晴らしすぎるのか。結局2時間ほど二人で議論、話し合い、語り合った。楽しきかな、学問。中村さんから「一回くらい、大学みたいなところでゆっくり教えたりしているのを見てみたいもんだね」と言われ、今まで大学の先生なんて嫌だと思っていたが、一時的だったら、それもまたありかも、などと思った。まあ、お願いする大学も無いだろうけど。
 というわけで大満足のまま東大を出る。これは大変なトークショーになりそうです。もう満席らしいのですが、ちょっと分かりませんが、まだの方は是非!しかも無料です。
 家に帰ってきて、鯖のみりん漬けの焼き物を食べる。美味。J-WAVEから連絡。V6の岡田准一さんとの対談の模様は、2011年1月23日(日)の24:00~25:00に放送されるらしいです。かなり面白かったので、ぜひ御視聴ください!でも東京だけなのかな?


アオが作った神殿


photo by AO Sakaguchi

10

 2010年12月18日(土)。午前中は家で呆然と過ごす。午後外出。有楽町にて磯部涼と待ち合わせして、二人で日比谷の高橋コレクションへ。カオスラウンジの展覧会がやっていて、磯部涼が行こうというので付いていってみた。タイトルが「新しい自然」と銘打っていて、ある意味、都市型狩猟採集生活的な感覚なのかもしれないと思いながら。高橋コレクションに行くと、そこは完全にギャラリー。手前にナディフの本屋があって、著名なアーティストの作品集などが陳列されており、少しあれ?って思った。そこで並んでいる本一冊一冊も、全部カオスラウンジクルーのものを並べた方がいいのではないかと。で、無茶苦茶普通の受付嬢にお金を払い(ここもオタクな美少女なんかがいるのかと思ったらいなかった)、白いビニールシートをくぐって中へ。梅ラボのいつも見るタイプの大きな絵が飾られている。この絵のクオリティはとてもいいと思う。しかし、それが芸術の歴史の中でどのように語られるかと言うと難しいなあと思った。むしろ、これは村上隆さんに僕が先日サイゾーで書いたような、かなり高度なデザイン力なのではないか。それはある意味、大竹伸朗さんにも共通ものを感じた。なぜ、ネットのアーキテクチャーをアートというコンテクストで具現化する時に、固定した作品を手作業が丸見えのかなり文化祭的な方法論で展示するのか、そこに論理的な思考はあまり感じられなかったのが正直なところ。デジタルっぽい、ネットっぽいことを、手作業によって具現化するのでは駄目で、もっとネットの構造体そのものを芸術へ昇華していかないといけないはずだ。それだったら、都市型狩猟採集生活のおやっさんたちの都市での生活の方が、完全に具現化できているのになあ。うーん、期待はしていたので、かなり残念。もう少し、解像度をあげて欲しいな。やろうとしていることには共感してます。
 30分で見終わり、その後、有楽町のガード下へ行き、磯部涼と二人で酒を飲む。一時間ほど飲んで原宿へ。今日は、僕主催の新雑誌「ロビンソン」のための決起集会兼忘年会。原宿一古い居酒屋という「あしどり」へ。その途中に、今年亡くなった僕が組んでいたバンド「MAN」のドラマー菅田光司郎のお父さんから電話があり、広島から来たばかりで、たまたま原宿で飲んでいて日記読んだら坂口くんも原宿で飲んでるっていうから、あしどりに顔出しますというので、僕の方からそちらの飲み会の方へ顔を出す。久々にお父さんに会う。零塾がんばれと励まされ、感謝である。お父さんも元気そうで、こりゃ僕もがんばらないかんと引き締まる。前ちゃんと菅ちゃんの彼女にも会う。挨拶を終え、あしどりへ。
 坂口恭平、太田出版梅山、磯部涼、佐々木中さん、批評家杉田俊介さん、漫画家長尾謙一郎さん、CGデザイナー笹生、アスペクト編集者チンさん、川治くん、アーティスト大原大次郎、写真家石川直樹、リトルモア編集者浅原さん、エココロ元編集長けいちゃん、漫画家ITさん、漫画家大橋裕之くん、バサラブックス店長関根と嫁さん、タンゴ、まきちゃん、らが参加。僕が宣言するつもりが、結局いつものように、それぞれで激論を交わすことになり、収拾がつかない状態で、しかし、しかし、楽しかったよ。石川直樹とも久々にちゃんとしゃべったよ。中沢新一さんも新雑誌に興味を抱いてくれていると教えてくれた。これは朗報である。絶対にこの妄想は実現せねば。長尾さんとは初対面だったものの、かなりこちらも熱く話し合い。長尾さんやばーいです。しかも、出たばかりの新刊「PUNK」の第1巻を頂く。読んで昇天した。やばーいとは聞いていたが、まさかこんな内容とは。むしろ、これこそ「ロビンソン」で掲載したかった!!!
 二次会はもちろん向かいの「誤解」へ。ここに来ると、東京にいることとか、時間の概念とか、空間の広さとか、ぐちゃぐちゃになる。なんか知らないうちに、でかすぎるグラスにカクテルが入っていて、それを誰かが飲んでいた。なんだったんだろう、あれは。結局、一切の打ち合わせはできず、まあそれは仕方なかったが、顔合わせということでご勘弁。しかし、なんか始まる前ってのはゾクゾクします。そして、やらねばならぬと緊張感たっぷりでもあった。なんか最後は色々と大変なこともありましたが、楽しい宴でございました。参加してくれた方感謝です。

11

 2010年12月19日(日)。朝帰ってきて、頭は痛いものの、意外にも頭は冴えているのでそのまま継続的に仕事に取り掛かる。エココロ「家をめぐる冒険」連載第5回目。フランク・ロイド・ライトの家。残りの2000字を書く。書き終わる。その後、月刊スピリッツ「路上力」連載第18回目。こちらも結構続いているなあ。来年、単行本化が決定した。こちらも2000字完成し、さらに、続けてエココロ連載用のドローイングに取り掛かる。ライトの頭の中の空間絵図。酔っぱらいの効果もあり、ふにゃふにゃといい絵が描けたんじゃないか。ユトレヒトから連絡。来年早々、ディレクターのBinnaが東京に来るので会うことに。で、全部終わってほっとする。夜、フーアオが帰ってくる。フーアオがいないと朝まで飲んでしまうので、二人にはぜひ家に居てもらいたい。アオとゆっくり時間を過ごす。

12

 2010年12月20日(月)。先日お会いした東京大学の中村先生から初顔合わせ楽しかったとのありがたーいメールが来てほっこりする。まゆみんから電子書籍に興味あるのなら、最近電子書籍会社を設立した友人を紹介したいとのありがたーいメールが来て、頼りになるなあとフーの大学の同級生に感謝する。香川大学の津島さんという方から、零塾に共感しており、来年2月に今度は香川出張篇をやってくれないかとのありがたーいメールに本気で泣きそうになった。こんなことってあるんですね。やっててよかったと家でフーに熱弁する。全国に広がっていけばと思ってます。ソトコトの仲田さんから電話。ソトコト誌上にて、僕と多摩川のロビンソンクルーソーの鼎談を掲載したいというこれまた有り得ない展開。こんなことも起きる。しかし、僕は数年前からソトコトで環境問題取りあげるなら、早急に都市型狩猟採集生活に注目してほしいと言っていたのだが、事実そうなった。よかった。録音技師の塚田さんから、長野の実家が持っている牛舎をなんとかしたいんだがなんとかならないか、そして一度現場を見てくれという建築設計的依頼。建築の依頼まで来ちゃっている。しかも0円でって笑。当然のように快諾する。年末に長野の現場へ行くことに。藤村龍至さんとか協力してくれないかなあなどと妄想を抱く。2006年からずっと日記を読んでますというありがたーい読者の方から感謝のメールが届き、こちらからも感謝でございます。フリーライターの村岡さんからエココロ来月号に掲載される藤村龍至さんとの対談の原稿ゲラが届き、チェックし、即返信。米谷さんの写真もグーです。しかも、写真見開きページでドドーンと出てます。そういうのが結局大好きな自分に呆れ返る。全労済の村田さんから先日のインタビュー原稿ゲラが送られてきたので、直しをして送信。真夜中次号にて掲載される先日のジュンク堂での僕と佐々木中さんの対談の原稿ゲラチェックし、直して送信。
 と、色々と仕事をして、フーアオと天気もいいことだし、出掛けよーぜと外出。コンビニでサラダ巻きを食べたかったので買って、隣駅の西国分寺駅へ。歩いてすぐにあるずっと気になっていた都立武蔵国分寺公園へピクニック。座ってサラダ巻きを食べる。広い芝生のある公園。犬が走り回り、つまりアオ最高。大木があり、木登り名人なのでもちろん登る。アオも一緒に登らせるも泣かれる。その後、西国分寺の大好きな喫茶店「クルミドコーヒー」ここ、本当にいい喫茶店なんだよねえ。ジブリ的な店。ブリコラージュされていたり、子供のための小さな部屋とかあったり、クルミが食べ放題だし、クルミ割り人形のコレクションもいいし、自家製アイスクリームの木の実アイスが絶品だし、ケーキも美味で、空間も良い。ということで、ゆっくりして満喫する。で、夕方になり「クルミ繋がりってことで、夕食は神楽坂の『くるみ』の広島焼きお好み焼きでも食べようか」などと構想するも、アオが既に眠気眼なので、仕方なく帰ることに、帰りに「カーズ」を借りてしまった。どんだけピクサー好きになっちゃっているのだろうか。
 夜は結局、家でカレーを食べる。美味。朝、実家熊本より送られてきたクリスマスプレゼントフルーツを頂く。なんとスイカ。クリスマスヴァージョンということで、ハウスでしかも立体栽培された豪華な代物。今年はずっと熱かったのでスイカもよく育ったらしく、冬にもかかわらず糖度が異常に高く、三人でもう既に一玉近く食べちゃった。ある映画について協力してくれとの要請。しかもITさんから。もちろん快諾し、僕なりにできることをしますと伝える。今週までちょっと仕事が残っていて、日曜日には東大福武ホールでのトークショーが待っているが、それ以降の年明け6日までは完全に原稿執筆タイムにすることにした。ちゃんと集中して原稿書かないと、河出書房が終わらない。それをやんないと、次の筑摩と幻冬舎が始まらない。
 深夜、なんか居間でトンカチやっているなと思って覗くと、フーがボロボロになって困っていた椅子の座面をなんと自前で張り替えていた。なんでも業者に頼もうとしたのだが、一万円かかると言われて馬鹿らしくなって自分でやることにしたらしい。ここにもいたブリコルールが!僕、呼ばれて鋲を打つバイトをさせられた。で、打ち終わり完成。素晴らしい出来映え。椅子の座面張り替えって、こんなに簡単にできるものなんですな。いくらかかったのかと聞くと、布は自前のもの、クッションはユザワヤで200円。鋲は真鍮製で15本入りを二個買って300円。つまり500円で出来ちゃった。なんでも自分でやれば安いのである。で、フーちゃん器用なんだから、兼業主婦として工務店みたいなものをやれと命令。FU WORKSHOP突然開設。椅子の座面張り替え5000円でやります笑。半額です。お好きな布で、しかも半日で出来ます。もしも興味がある方は是非。完成度は多少低いです。しかし、愛嬌あります。

13

 2010年12月21日(火)。録音技師の塚田さんよりメールがあり、明後日一緒に車で長野の建築現場の視察に行くことに。ここで0円ヴィレッジ計画の実験を行うのはどうかなあなんて構想中。茅野には藤森照信さんの作った空中茶室があるそうなので、ぜひ見てきたい。12月24日のクリスマスには久々に荻窪のル・クール・ピュでディナーを食べることに。3800円で有り得ないコース料理が食べられる。フーアオとフー母と四人で行くことに。久々なので楽しみ。零塾入塾希望のメール。最近は建築系の学生からのメールが多い。快諾し、面接日を決めてもらう。どうして0円で塾ができるのかとの質問。簡単な話である。ただ僕が稼いだお金を注ぎ込んでいるだけだ。しかも、別にお金はかからないし。僕が欲しいと言わなければいいだけなのである。お金だったら、別に塾生から貰わなくても、他で色々採集する方法論は持っている。ただそれだけなんです。別にカラクリがあるわけでもないし、クリス・アンダーソンのいうフリー経済のように、はじめタダで釣っておいて後で請求するなんてことはしないのでご安心を。本当にただの贈与なんです。
 読者からメール。生きる希望が湧いたとのこと。やってきたかいがあったと嬉しくなる。かなり精神的に大変な状態になっていたらしく、通院もして、引き蘢っていたそうだ。それが少しずつ外に出れるようになり、大学に戻れるようになり、自分がやるべきことを見つけようと試みるまでになったとのこと。僕の日記が発奮材料になったとのことで、やってきてよかったなあ。返信をする。というか、僕も二年前は毎日自殺願望に苛まれ、とても大変だった。フーにも両親にも迷惑をかけた。アオを育てることができないんじゃないかと、毎日、意味の無い徹底した悲観的な思考に蝕まれていた。誰も信じてくれないけど。結局、病院に運び込まれ治療をすることになり、数ヶ月後回復した。その時は、日記すらほとんど書けていない。やってもやっても、社会には届かないのかと絶望していた。しかし、その過程で「ゼロから始める都市型狩猟採集生活」が産み出された。結局、産みの苦しみであったのだと理解した。そして、今年は出版し、様々な仲間に出会い、尊敬する先人たちに出会い、モバイルハウスを作ろうという計画が始まった。そして、零塾を始めた。
 つまり、それは「創造的な病」「クリエイティヴ・イルネス」であったのである。僕はそれを鬱病なんて言ってもいいのか分からない。鬱病なんてものは存在しないと僕は思っている。病と呼ばれるこの時期も、僕の言葉で言えば「高い解像度」でちゃんと直視しないといけないのだ。誰しも人は、自分のやっていることに納得いかない、もっとこうしたい、もっと創造的でありたいと願うものである。だからこそ、そういう時は誰とも話をせずに自分自身と向かい合って、独り言セッションを続けようと試みる。それこそ、創造的な人間の行為なのではないかと僕は考えている。
 だから、引き蘢りや自殺や麻薬という問題は、僕にとってはもちろんその結果は問題であるが、それを行おうとする過程自体は創造、クリエイションなのではないかと思っている。ただベクトルが間違っているだけだ。エネルギー量としては、創造している時と変わりはない。つまり、それは自分自身と対話をしている瞬間なのである。その後には、必ず新しい朝が訪れる。僕はそう思っている。今の社会問題が、本当に問題なのか、いや、もしかしたらクリエイションなのではないかと感じていることは、もっと実際にフィールドワークをして本を書きたいとすら思っている。そのために、これからは0円ハウスに住む人々のフィールドワークを少し抑えて、鬱病と言われている人、引き蘢り、自殺願望がある人へと向かっていく必要があるかもしれない。もっと解像度高く、人々の悩みや問題を見ていけば、必ずそこには希望がある。僕が路上生活者たちから話を聞いてみて理解したことはそのことである。社会の闇には必ず光が存在している。0円ハウスを調べていく上で身につけたこの技術を、どうにか次へと繋げたいと思っている。もしも協力してくれそうな方は連絡してください。と言いつつも、そんな時にはメール一つ送れないのは知っているが。
 午後1時に神保町へ行き、小学館へ。「カリスマホームレスに訊け」の担当編集村山さんと、「路上力」の担当編集豆野さんと二人で打ち合わせ。来年出版される予定の連載をまとめた単行本の企画会議。かなり面白そうなアイデアが出てくる。これまでの本とは違う毛色の本になりそうだ。楽しみである。
 その後、歩いてアートスペース3331へ。island mediumのディレクター伊藤さんと久々に会う。来年の6月下旬頃開催する予定の僕の個展の打ち合わせ。個展では「0円ヴィレッジ計画案」を提示し「住宅革命宣言」をしようと思っている。そのために、市民農園の開放の作業に早めに取り掛かる必要がある。今、そのための研究室を作ろうと考えている。若い建築学科の学生で、住宅を0円で提供するということに興味を持っている人間がいたら声をかけてくれ。0円ハウス研究室では、日本全国に点在する市民農園、農地を、可動式の住宅を建てる場所として開放するための実験を行おうとしている。さらに、3万円でホームセンターにあるものだけで素人でも建てられる家の研究や、12V電気システム、インフラフリーの建築などを研究していく。もしも興味をもったらぜひ。まずは、来年の一月早稲田大学で行われる、僕と千葉市長のトークにて、千葉市にある市民農園を開放してもらうようにお願いしてみる予定である。千葉市長は僕と早稲田の同級生。これは何か可能性があるかもと思っているのだ。農地に目をやるなら、国ではなく、地方自治体を攻めていかないといけない。そのためのリサーチを協力して欲しいと思っているのだ。ピクサーのジョン・ラセターの「ディズニーでもアニメーションは作ることができる、しかしピクサーなら歴史を作ることができる」という言葉をもじって、「どこの事務所でも建築を作ることができる。しかし0円ハウス研究室なら歴史を作ることができる」と銘打つことにする。現状の建築システムに全く納得がいかない、社会を変えないとどうにもならない、人間にとっての根源的な意味での家、巣を研究したいと志高く、夢を抱いている人と一緒にやりたいと思っている。そして、これはかなり実現可能な方法論、政策であると僕は信じている。
 で、帰ってきてピクサーの「カーズ」を観て、全く期待していなかったのにもかかわらず感動してしまった。この映画、スゴすぎる。ピクサーの中である意味一番好みかもしれない。絵の美しさは群を抜いている。つまり、何かというととにかく「解像度が高い」のだ。車体など金属の具合、速度の表現、光の表現などが的確であり、かなり細密に表現することで自然さを獲得している。しかも、ストーリー自体も、僕が都市型狩猟採集生活で描いている構造とほぼ同じのように感じられた。ただのスローライフ礼賛ではない。根源的な営みを現代にどのようにして取り戻すかという方法論を徹底して考えようと試みている映画なのだ。いや、びびった。0円ヴィレッジ計画案を作る上でとても参考になる映像作品であった。

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 2010年12月22日(水)。朝から原稿を書き、ゲラを直して、メールの送信をしていたら気付いたら午前11時を回っており、12時にソトコトの編集者と待ち合わせをしてことに気付き、急いで外出。結局1時間15分遅れて多摩川に到着する。まずはいつもの中華料理屋で僕だけインタビューを受け、その後多摩川のロビンソン・クルーソーと一緒にインタビューを受ける。来月号の「省エネ特集」でのインタビュー。省エネという概念には僕は全く意味が分かっていないのだが、卓ちゃんの依頼があったので受けてみた。しかし、省エネって一体何なのだろう。僕は省エネの車や冷暖房危惧や冷蔵庫などを見たり、電気を付けたり消したりしたり、ビニール袋を貰わなかったり、割り箸を使わないと言い張っている人などが不思議でたまらない。まあ、分かると言えば、分かるのだが、それは一割引という宣伝文句に釣られて必要のない高い買物をする人と同じではないかと反感買うのを当然だと思いながら、そう認識している。その前に、本当に電気は100V必要なのか、水道がお金を出せばいくらでも使えるというのは本当に問題がないのか、ソーラーパネルを設置するマンションを作る前に、住宅がこれ以上必要なのかどうかを、僕はいつも考えたいと思っている。しかも、それは地球に優しくというようなスローガンではなく、そう考えたほうが、効率がよいからだと思っているだけだ。
 編集者の方に「地球に優しく」とか考えたりはしないんですかと質問され、そんなことを考えた。うーん、考えたことがない。それはやばいことなのか。地球に優しくって、どうすれば可能なのだろうか。優しくって、どのような数値に置き換えられるのか。僕は今までの人生で一度も地球に優しくなんていうボキャブラリーを使ったことがないので、とても不思議な気持ちになった。しかし、それを信じて、活動を続けている人がいるというのももちろん悪くはないと思う。しかし、人間が新しく商品を作る限り、地球に優しくなんてことはできないのではないか。そのことをちゃんと認識しながらやるしかないのではないかなどと考える。
 僕は先日、ある住宅メーカーの偉い方と話しましたが、彼らは完全に家を新しく建てることに意味がないということを認識していて、少し安心したものだった。つまり、彼らはあくまでも利潤が目的なので、建てなくて利益を創り出すことさえ出来れば、今すぐにでもやめたいと思っているらしい。だからこそ0円ハウスが注目されているところもある。利潤だけが目的だったら、商品を作らないでもなんでもできる。現に僕は別に商品を創り出しているわけではない。話したりしているだけだ。もちろん、小さなドローイングや本は作る。しかし、いずれはなんにも創り出さずに利潤を追求できるようにチェンジするつもりだ。つまり、その偉い方と同じ考え方であった。
 省エネの前に、どれだけエネルギーを使っているのか、そしてどれだけのエネルギーが一人の人間には必要なのか。そのことを厳密に考えていかないと、省エネという概念は矛盾するような気がする。そもそも起点がないからだ。
 昔からの友人であるナンペイが始めたBOXOBというアートプロジェクトがようやく完成したらしい。20人くらいのアーティストたちがエディション作品を提供し、それらが集まった箱を売るというもの。ナンペイって最近元気だなー。昔は本当にいつも眠そうで変なヤツだったけど。来年、ユトレヒトという書店で展示をするらしい。僕もDig-italのプリント作品を展示する予定。長尾さんにメールを送り、返ってくる。やはり似たことを捉えており、共感する。小学館から単行本の企画のレジメが送られてくる。こちらも面白くなりそうなので、ちゃんとやらねば。と言いながら、どんどんと仕事が溜まっていく。早く、溜まっているものを完成させないとこれは大変なことになりそうな気がしてきた。
 フーから「零塾やっているんだし、無償で働いたりするのはやめたらいいじゃないか」という提案。僕はほとんど全ての仕事はギャラを請求しているが、インタビューとやらはどうやらなかなかお金を払ってくれない。もちろん、お金を持っているところは驚くほど取材費をくれるところもあるのだが、大抵は0円である。しかし、インタビューって、僕にとっては原稿書くよりも大変な時だってある。しかも、インタビュー記事に取り組んでいるライターやカメラマンや編集者はお金をもらっているはずで、なんで僕だけ0円なのかとフーは言っているのである。僕としては毎回仕事をする前には必ずいくらですかと聞いている。しかし、それでも0円で受けることもある。インタビューというのは、大抵、ただやらないといけない仕事というよりも、ライターや編集者が会いたいと思っている場合が多い。だから、雑誌や新聞やテレビやラジオの媒体としては、お金を払って頼む前に会ってみて、様子をうかがってみたいということなんだろうと予想する。というわけで、一切の営業活動をしていない僕は、このインタビューという仕事は、変わりに営業をしてくれる、しかも、出版社や制作会社と会うための重要なきっかけにもなっているので、0円でやっているわけだ。
 しかし、フーは首を振る。0円でやる仕事は責任が持てないから駄目だ。そして、お金を払わない人は絶対にそのメディアの中でもお金を払っている人よりも扱いが悪い。ちゃんとリスペクトされる仕事をした方がいい、と。まあ、納得できるので、今後その考えを少し取り入れてみよう。しかし、フーは僕の原稿を一切、本も一冊も読んだこと無いのに、結構言うことは的を得ていてびびる。いいぞ。でも、僕は自分の考えていることを伝えたいという欲望が強いので、実は本なんてタダで配りたいくらいである。それで百万人が読んでくれるなら、そちらを選ぶ。まあ、それとインタビューを受けるのは違うといったら、違うかもしれない、かな。というか、僕はお金を持っている人から貰えばいいと思っている方なので、お金が無い人からは取る気が実は全くない。でも、お金がないなら、そんなことを吹き飛ばすくらいぶっとんだことを依頼してほしい。正直、お金を持っていない人は考えていることも中途半端だったりするから大変な状態だと思う。むしろ、0円の僕の先人たちはお金を大量に持っている人と同様にやばいのだが。そのへんは今出ているブルータスに書いたつもり。このブルータスの記事、あちこちで反応がよく、嬉しいかぎり。
 みどり荘アートプロジェクトというアートイベントでのトークショーの依頼。条件が示されていなかったが、とりあえずは快諾する。荒川修作の映画のトークショーの依頼。こちらは僕が提示した金額では無理だというので無しになった。映画を撮っているのに、お金が無いというのはどういうことなんだろうかなどと、勝手な心配する。別に高い値段を言ったつもりはない。僕に払うお金がないだけじゃないのとフー。おいおいそれは言うなよ。でも、そりゃそうか。ちょっと今日は色々と不思議なことを考えてしまった。いかん、いかん。

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 2010年12月23日(木)。朝7時に起きて外出。8時に国立駅前で録音技師の塚田さんと待ち合わせ。塚田さんのフォードに乗って今日は二人で男だけのドライブ。塚田さんの実家がある長野県は原村へ向かう。塚田さんとは、今から6年前に、出会い、その日に先日亡くなったカンさんがやっていた高円寺の店「イワン」を紹介してくれた。しかも、僕が2004年当時必死に作っていた自宅録音によるアルバムを聞いてくれ、数少ない評価してくれた人である。その後、ずっと連絡を取らないでいたのだが、最近、塚田から建築に関して依頼があったため久々に会った。久々のドライブ。やっぱり車はいいなあ。先日38万円のベンツに興味を持っていてずっと調べていたが、フーに反対された。天気も良く、素晴らしい日和。
 塚田さんとは、今回は建築の依頼でもあったのだが、それよりも二人で音楽の仕事を一緒にしようという打ち合わせをしていた。来年、僕は先日も書いたように日本語ラップのカバーアルバムをボブデュランの4thのごとく作ろうとしているのだが、それの録音、ミックス、マスタリングのエンジニアとして塚田さんにお願いしたいと考えたのである。塚田さんは快諾してくれた。しかも、驚いたことに、今回の僕のアルバムはPSGのPUMPEEが言った一言が発端となっているのだが、塚田さんはPSGが唯一出しているアルバムのマスタリングを担当しており、PUMPEEとも既知であった。こんなことってあるのだろうか。というわけで、かなり最強の布陣でアルバムを作れそうな妄想が広がってきた。まずは2月頃に全部録音して、マスタリングまでやってしまって、その後、レコード会社を探そうよいうアイデアを塚田さんより頂戴。なんか面白そうなことがここでも始まろうとしている。
 朝から出たので二時間強くらいで長野に到着。八ヶ岳が見える。まずは塚田さんの建築依頼物件を見る。そこは牛舎だった。これを何かにリノベーションできないかとの依頼。しかも0円で。ちょっと色んな人に聞いてみよう。おじいちゃんの家で炬燵に入り、お茶を飲み、また車に乗る。
 次に、尖石遺跡を見に行く。資料館へ。ここが無茶苦茶面白かった。無数にある縄文式土器。土偶がやはりかっこいい。そして、土器の網目を自分たちでデザインできるワークショップもあり、夢中になる。さらに、縄文時代のファッションを体験できるスペースもあり、僕は裸になって、着て、弓を引いて写真撮影。竪穴式住居も見て、ご満悦。しかし、縄文人の芸術性や文化などを研究した著作ってないのかな。今度、中沢新一さんに聞いてみよう。縄文式土器の文様ってシロシビンという幻覚成分が生み出す幾何学模様に近い、しかも、尖石遺跡の手前には巨大な白樺林があり、白樺林では毒キノコであるベニテングタケが採れる。ベニテングタケの幻覚成分はムスカリンでシロシビンと似た成分。しかも、これは現在問題になっている鬱病とも関連性がある脳内物質セロトニンと似ているのだ。まあ、これは専門家に任せよう。
 その後、藤森照信さんの高過庵を初めて見に行く。建築はやっぱり本物を見ないと分からない。高過庵はツリーハウスのように見えるが、実はあれはツリーハウスなのではなく、高床式住居の発展形である。つまり、下で支えている木は生きているのではない。地中にはコンクリート基礎が埋め込まれている。さすが藤森さん。徹底して、本物志向ではない。しかし、シェイプは人々の感動を誘う。原始美術の香りはプンプンさせるのだけど、現代美術としての完成度も持っている。しかし、これが建築で、ジブリ美術館が建築ではないというような建築論は違うなと思った。評価するのが難しい。しかも、その隣に建っている神長官資料館という処女作もやっぱり表層、シェイプはかなりそそられるのだが、やはり建築的構成を考えると、疑問符は出てくる。しかし、見てよかった。なぜなら、僕も藤森さんについ共感してしまう、ある種の原始美術性を持っていることを自覚しているからである。それを追求してもいいのかどうか、僕は自分のことを顧みて、それでは駄目だろうと感じた。もっと、社会性を、抽象性を持った表現をしていく必要があるな、と。
 その後、塚田さんおすすめの「ハルピンラーメン」へ行き、ニンニクラーメンと豚飯を食べる。美味。食後、ドライブの途中で見ていた「放浪美術館」へ行くことに、ここはみんなが知っている山下清の原画がコレクションされている私設美術館なのである。放浪美術館っていう名前はまずやばすぎる。ネーミングの妙に、何かキラリと光るものを感じた。秘宝館のような怪しげな雰囲気を漂わせている。おにぎりをペイントされた石が並ぶ階段を上り、締め切られている玄関から美術館へ入る。それはキヨシミステリーツアーの知覚の扉でもあった。
 入ると、すぐに初老の男性が近寄ってきた。おそらく、この美術館で働いている人だろう、彼は開口一番、
「あのね、山下清さんの絵が実は動いているって、知ってる?」
 訳の分からない質問に、僕は路上生活者をフィールドワークしている時とほぼ同じ匂いを嗅いだ。これは大変なことになる。そう瞬時に分かった。
「い、いえ、知りません。そんなことって有り得るんですか?」
 僕がそう言うと、おじさんは僕の体を引っぱりながら、ある箇所へ立たせた。
「はい、そこから壁に飾ってある左から四番目の絵を見て」
「はい」
「その絵の構図をよーく確認してね。右手に船があり、川の流れは左から右へ流れている。で、この絵を見ながら、反対側の一番端っこへ歩いていってごらん」
 とにかく、おじさんの言う通りに歩いてみる。歩いている場所をかなり細かく指摘されながら。
「はい、到着しました」
「じゃ、そこから絵を見てごらん」
 すると、びっくり、今まで右手にあったはずの船は左端へ動き、河の流れも反対方向を向いている。これは一体、どういうことなのか。僕がびっくりしていると、今度はまた違う絵でおじさんの説明が始まった。そうやって、どんどんオートマチックにおじさんに動かされるまま、僕は山下清の絵が持つ、空間の広がりのようなものを体験させられた。
「すごいでしょ。これが山下清の芸術性なんですよ」
 つまり、山下清は絵を常に立体的なものとして捉え、描いていたのである。絵は平面であるが、それらの要素の距離感は徹底的に空間的に立体的に把握しながら配置していっている、と。さらに、目というものが脳の動きによって錯覚するものだということも把握しており、それを踏まえて、絵を構成させている。彼には目だけでなく、もう一つの空間を認識する知覚があったというのだ。しかも、それがただの妄想ではなく、彼自身の絵によって、具体的に提示されている。僕が今、興味を持っている、深い空間が含められている絵という観点からも興味深い美術館であった。一体、ここはどこなんだ。
 塚田さんと僕はあっけにとられながら、結局最後までおじさんのディレクションによる美術館ツアーに参加してしまっていた。山下清が乗り移っているとしか思えないほど、山下清の言葉が彼の口からほとばしり、まさにイタコのように、彼は動き続ける。すると、彼はまた僕をある地点に立たせ、
「ちょっと待ってね。はい、照明消しまース」
 といいながら、部屋はまっくらになった。
「はい、少しずつ照明をあげていきます。よーく見ていてね。清さんは、朝の光、夜の光もちゃんと考えて、光自体をきちんと捉えて絵を描いていたことが分かりますから。はい。どうですか?」
 もうそれはおじさん自体の芸術表現でもあった。DJプレイをしながら照明を駆使していたラリー・レヴァンのようでもあった。
 そして、帰り際、おじさんはベンチに腰掛け、僕たちに清さんの書いていた日記の暗誦をそらで読んだ後、ぼそっとこう呟いた。
「でも、全然理解されなくて、お客さんも来ないんですよ」
 悲しい言葉にもかかわらず、なぜかおじさんは笑っていた。
「いや、これはとんでもなく重要な美術館ですよ。美術館でこんな立体的な空間的な広がりを肌で感じることができるところなんて、そうそうないですから。清さんもずっと理解されなかった。だから、おじさんも続けないと!」
 零塾入りますか?ともう口の入口まで出かかっていたが、やめた。しかし、どうにかして彼に協力したい。そんなことばかり考えていた。
 ということで、この美術館やばいです。様々なメディアのみなさん、どうかご協力ください。NHKで取りあげましょうよ。彼が説明する山下清の立体性を!!キュビズムなんです。彼の絵は。もっと本質的なアヴィニョンの娘たちなんです。しかし、ここにも同時に原始美術性も含まれていて、なんだか、それが共通する。
 とか、なんとか色々ありましたが、かなり楽しい長野の旅でございました。声をかけてくれた塚田さんに感謝。
 家に帰ってくると、熊本日日新聞社から新年号のゲラが送られてきた。かなりデカイ寄稿になっている。原稿チェックして送信。2011年1月3日号の新聞をチェックしてみて下さい。これで学校時代の恩師などが見たり、熊本時代にお世話になった人に、元気であることが伝わればいいと思う。ま、親父が喜べば、それが一番いい。しかも、来年から始まる連載についても打ち合わせ。連載案を提出すると、通過した。二月から始まる予定。タイトルは「建てない建築家」。僕の半生記を新聞で書くことにした。そんなこと妄想でしか考えたことがなかったので、びっくりである。気が引き締まる。熊本の方、ぜひチェックしてみてください。

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 2010年12月24日(金)。朝から原稿。あんまり進まない。いつも年末は仕事が進まない。まあ仕方がないけど。自殺島という漫画を買った。誰からか忘れてしまったけど、僕が今取り組んでいる零塾とか、都市型狩猟採集生活とか、最近、気にしている自殺の問題とかが、全て集まったような漫画あると聞いたので、今のところ4巻出ていたので、全部買って読む。
 自殺志願者たちが戸籍を抹消して、つまり、死んだということにして、死なないで島流しにあうところから物語は始まる。主人公はその後、なぜか突如として、死ぬことをやめ(目の前で飛び降り自殺の現場を見て、その惨さにびびってしまう)、生きることに取り組み始める。でも、そこは完全に荒れ果てた島で、ロビンソンクルーソーよりかは少し程度がいいものの、原始生活に近い状態に置かれる。
 そこから漁をしたり、狩猟をしたり、サバイバル生活をするというもの。まあまあ面白かった。しかも、協力の欄に「ぼくは漁師になった」の千松さんがクレジットされており、かなり本格的である。しかし、漫画とは言え、ちょっと極端過ぎるのではないかと思った。それよりも、もうちょっと都市型狩猟採集生活の方が現代性があるはずだけどなあ。などとも思う。でも面白い漫画ではある。
 先日の決起集会で杉田俊介さんが話していたので興味を持ったベーシック・インカムについて色々と調べている。その過程で、関廣野さんという在野の思想家のことを知る。彼が行った「生きるための経済」という講演会の全文がネットに上がっており、それを読むと、無茶苦茶興味深い。ぜひ「robonson」でも書いて欲しいなどと妄想。そんなこともあり、それを読んで感想を知りたいと、杉田さん、梅山くん、磯部涼に電話する。梅山くんの情報によると、私塾などもやっており、弟子が色々と育っているとのこと。零塾とも接点があるかもしれない。しかも、在野ってところががんがんひっかかる。彼の銀行に対する考え方とかは、僕はあんまり意識せずにいたので、とてもためになった。
 午後外出し、外苑前のtwiggyへ。くみちゃんに髪を切ってもらう。短くした。愛用していたAVEDAのワックスが販売中止になってしまい、残念。かわりにtwiggyオリジナルのナチュラルスプレーを購入。完全に自然物だけで作られているスタイリング。それを美容室が独自で開発して商品化しているのだからスゴい。
 その後、荻窪へ。クリスマスということで、フーアオとフー母と四人でディナーを食べにいくことに。久々のル・クール・ピュへ。フレンチのコース料理が食べれて、しかも3800円。数年前は毎年行っていたんだけど、子供が出来てから行ってなかったので久々に挨拶をする。アオを連れていてびっくりされる。
 シャンパン飲んで、キッシュと南瓜のさらさらスープ、帆立と蟹のラザニア、ブイヤベース、メインの前に口直しで、パッションフルーツのシャーベット、そして、メインは牛頬肉の赤ワインソース煮込みパイ生地添え。3800円と思えないほどのボリュームで本気で腹一杯になる。その後、コーヒーとタルトタタン&バニラアイスまで付いてくる。安い、美味い、雰囲気はパリの小さなカフェのようなので楽しい。
 満足し、家に帰ってくる。腹一杯になって知らないうちに寝てた。起きたら、アオの枕元にはクリスマスプレゼントが。サンタが来たらしい。トイ・ストーリーDVD3巻セット。二歳のプレゼントではないが、好きなのだから仕方がない。と珍しくクリスマスらしい過ごし方をしたら楽しかった。子供がいるとそのように昔の体験と再会できるのはとても自分の思考にも役立つ。大人と子供では当然ながらレイヤーが違う。しかも、子供よりも親の方が興奮している瞬間もある。興味深い。
 零塾の茶谷くんから与えていた課題が送られてきた。誤字脱字が目立ったので、それは指摘。全体的にはよくまとめていたが、まだまだ学生っぽい仕上げ。つまり、色々書いているんだが、焦点がなく、ふわふわと落ち着きがない。そして、なにより言語化できていない。まだ抽象的すぎる。抽象化している思考を、ちゃんと具現化するのが、言語化という作業である。もっと解像度を上げないと、人には伝わらない。ということで、ちょっと厳しく返信した。その指摘をちゃんと受け取ってくれたようでほっとする。ギャルソンの川久保さんに見せられるような文章を書いてみようという目標を立てる。がんばろ。

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 2010年12月25日(土)。朝から外出。築地市場へ。昔働いていた場内果物仲卸店「遠徳」へ行き、頼んでおいたお歳暮セットを買い、配達してもらう。頼んでいたのは、ル・レクチェという幻の洋梨と言われる果物。これが美味いんですよ、本当に。築地で働いている頃は毎年傷んだものをタダで貰って帰っていた。果物好きで幼稚園の夢が果物屋だった僕は築地で果物屋で働き夢を叶えてしまったわけですが、それはそれは夢のような日々だった。もちろん仕事はむかつくぐらい大変だったが、果物が毎日食べられるのは幸せだった。で、一番美味かったのがこのル・レクチェ。三越とかで見たら2kgで4000円ぐらいです。それを4kgも送った。しかも、破格の値段。働いていてよかったー。フー母にも送ったので、正月食べよう。ラ・フランスとは比べ物にならんくらい美味です。久々にマーちゃん、伊藤さん、さとるさん、けいちゃん、専務、神田さん、隣の店のカネ勝の中村さん、などに会う。築地はいつ来てもウェルカムなので楽しい。そして、年明け、築地について原稿を書く仕事まで貰っているので、また来よう。本当に、0円ハウスを出版する前の一番苦しい、精神的にもかなり疲弊していた時期に働いてたのだが、働いてよかったなあと思う。
 その後、場内のカレー屋「中栄」のインドカレーを久々に食べて、三井ガーデンホテル銀座の喫茶店で原稿を書いて、国立に戻って、エクセシオールで原稿を書いて、家に帰ってくる。夜、河出書房の原稿を書き終わり、送信する。しかし、こちらがまだまとまらない。何か感じていることがあるんだけど、うまく構成できない。悔しい。

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 2010年12月26日(日)。朝、中村さんの本「生きるための読み書き」を再読しながら、質問等を考える。午後からアオと一緒に外出。公園でどろんこ遊び。終わって、出発。本郷3丁目へ。 東京大学にてSYNAPSEというトークイベントに参加する。学生主体のイベント。安藤忠雄氏が設計した福武ホール。石山修武さんは絶賛していたけど、僕にはその良さがあまり伝わって来なかった。もちろん感じの良い建築であることは間違いないのだが、絶賛する理由は感じられなかった。僕は本当に建築の善し悪しの見方が変わっているのかなあ。うーん。
 午後5時から僕と東大教授の中村雄祐さんのトーク。観衆は200人。満杯。とてもありがたいことである。中村さんがやられている読み書きというテーマと、僕がやっている路上生活者の話を織り交ぜながら、話を進めていく。中村さんが、発展途上国のフィールドワークから、今度は東京大学周辺の自分の身の回りのフィールドワークをやっているようなものといっていたのが興味深かった。中村さんの出しながらも、全部ださない、ちゃんと人が抽象的な思考ができるように余白を取りながら話をしている技術にはやられた。僕はなんでも全部吐き出してしまう。そういう性格なのだから仕方がないが、それでも、もう少し大人になって、ちゃんと喋らなくても伝えられるような人間になりたいとちょっと思った。本当に僕は我ながら、漫画に出てきそうな人間だなあと思った。しかし、トーク自体はとても楽しいものになった。中村さんとは今後も対話を続けていきたい。
 質問者の中で、早稲田の学生がいて、しかも、建築学科で、来年、僕と石山修武さんのトークイベントを開催したいと言っていたので、僕はもちろんやってみたいので、絶対に実現してくれよと言った。言ったことは実現しなくてはならない。その命題を持って、ものを作る人間は臨まないといけない。ただの大口では馬鹿なのだ。大口を叩きながら、本当にその大口を実現するようでなければ、人を感動させることなんてできやしない。そのことを徹底して、やるなら、絶対やってみろと叱咤激励。やると言って、やった学生を知らないので、本当にがんばって。お願いだから。
 その後、渋谷慶一郎さんと池上高志さんのトークイベント。正直、難しすぎて、馬鹿な僕にはほとんど理解ができなかった。言おうとしていることは分かるのだが、途中途中で固有名詞が出てきて、しかもかなり早口なので、大変だった。観衆の人はちゃんと分かっているのだろうかとちょっと心配になったぐらいだ。しかも、なぜか途中で質問がこちらに振られ、ちゃんと話したいと思っていた僕はこれチャンスと思って、前へ出ていって、結局、僕と渋谷さんのトークイベントに一瞬なってしまった。すんまっせん。出しゃばりで。池上さんが僕に提起した問題も良かった。僕はどうせ矛盾をはらんだまま、突き進んでいるのだから、もっとみんな突っ込んだ方がいいのだ。池上さんはかなり冷静な判断をして対応したのだと思う。
 僕が言っていることに、反論がなかなか起きないのは、問題だと思う。藤村さんも完全に指摘していたが、僕の論にはかなりの矛盾が存在している。僕もそれを理解しているつもりだ。でも、そこを突破したいから、議論になるように、その矛盾をさらけ出して見せているわけだが、意外と納得してしまう人が多いのも確か。もっと、きみ間違っているよ、と言われたい。そういう場所にもっと出ていって、訓練、修行、練習、経験しなくてはいけない。でも、別に無茶苦茶言っているわけではない。ちゃんと時間が経てば整合性が取れる、論理的に破綻していないことを言っているつもりだ。
 池上さんと渋谷さんとの議論では「芸術家というものは社会を変える、社会性を自覚した、社会のための作業でないといけない」という僕の意見が発端となり、お二人から徹底して否定された。彼らは二人とも、
「好きなことだけを追求しているだけで、別に社会のためなど思ったこともない」
 というスタンス。それはとても共感できるのだが、僕の中ではそれはもう終わったのである。僕は自分とアウトサイダーアート呼ばれるものの違いを感じ、そう考えるようにした。つまり、ただ好きなことを好きなだけやっているとアーティストや研究者であれば、それはヘンリーダーガーの作品となんら変わらないのである。それはもちろん、完全な美術表現ではあるが、そこに他者性もないし、抽象性もないと僕は感じている。ただ絵を描きたい、描かずにおれないからやるだけでは自閉した表現になってしまう。そこから、芸術家は向け出さなくてはいけない。ヘンリー・ダーガーの絵と、ピカソの絵の違いは把握しないといけない。まあ、しかし、このあたりの議論はまだ僕もうまく研究しきれていないところがあり、やはり論が弱い。もっと勉強しよう。だが、それが正しいことだけはまたまたフライング的に感じているのだが。どうかわからんが。でも、最後の方で渋谷さんとは一つの接着点があったように思える。彼は確実に音楽という世界を変えたくて作業をしているはずだ。もちろん、音楽を作るという行為は純粋な追求かもしれないが、音楽でもって活動しているその行為自体は僕とそう変わらないスタンスなのではないかとも思った。
 渋谷さんはとても興味深かった。「Robinson」でも執筆を依頼したいとお願いした。本当にトークは楽しかった。
 席に付くと、中村さんから「いいねえ、自分から出ていってそれで勉強しているんだ、その方法論面白いね」と言っていただき、嬉しかった。僕はそれがやりたいだけなのである。別に誰かを批判したくて話しているのではない。対話という空間の中で、どのようにあらゆる人の思考が絡み出すかを実験しているだけだ。そして、同時に、自分が考えている論を通用するのかを試しているだけだ。考えていることは、人前でちゃんと分かりやすい言葉で伝えきれないと、育っていかない。それは常に人前に出て、話すことで、鍛えていくしかない。僕にとってトークショーとは、筋トレのようなものである。日々邁進するしかない。
 観客の人から多く声をかけていただき、それはとても嬉しかった。お仕事になりそうな話もちらほら。その後、打ち上げ会場へ。渋谷慶一郎さんと僕と池上高志さんと中村雄祐さん、しかも横には脳科学者の藤井直敬さんもいた(しかも、僕は藤井さんのことを知らなかった。無知を恥じる)。打ち上げでずっと話していたのは、その藤井さんであった。藤井さんは脳科学の分野で何を研究しているのかと聞くと、
「坂口さんがまさに興味を持っている『社会性』です」
 ということで、当然ずっと話していた。僕の市民農園0円ヴィレッジ計画がどこまで有用性があるのかという話も。そういうことを東大で、しかも、最先端で研究している人たちとの間で議論が交わされるようになってきたことは完全に進歩である。もっともっと僕は中に入っていきたいなと思った。アンディ・ウォーホールのinterviewの大学教授バージョンをやる予定です。まずは、東大の全ての教授を調べて、フィールドワークしてみようと考えている。
 漫画家の長尾謙一郎さんに誘われたのに、二次会の高円寺の飲み会に行こうとしたら、長尾さんがもう既に帰っていたので、無念だが、家に帰ることに。当然、乗り過ごしたが、終電で帰って来れた。

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 2010年12月27日(月)。午後から外出。多摩川にて、NHKの井上さんと、集英社の飛鳥さんと、映画監督の本田さんと待ち合わせ。多摩川横の喫茶店で打ち合わせ。来年放送されるNHKでの零塾、0円ハウス特集のため。話し終えて、みんなでロビンソンクルーソーの家へ。井上さんは初めてなので、ロビンソンの家を案内する。モバイルハウスを見せる。NHKにもロビンソンは出演してくれることになった。零塾と0円ハウスと僕とがどのように絡み合って構成されているのか、そのことを伝えられるといい。来年すぐに放送する予定だったが、モバイルハウスが吉祥寺移動して、零塾と名乗って塾生が来る時も撮影したいとの申し出があったので、おそらく2月以降になる模様。
 その後、新宿へ。椿屋珈琲店にて、河出書房の坂上ちゃんと待ち合わせ。なぜか、この前に打ち合わせをしていたらしい、磯部涼も一緒で三人で打ち合わせ。磯部涼は初の書き下ろし単行本を書こうとしているらしい。がんばれー。
 坂上ちゃんと「生きのびるための技術改め、社会実現(仮)」の件について、昨日書いた原稿がまた新しい方向性を見せたので、そのことの返答を待つ。感触は良い。自分が決めていた始めのタイトル「仕事と労働論」へとようやく向かっていこうとしているようだ。360枚書いてようやく。お疲れさまだが、おかげで向かっていくベクトルは掴めたので、年末&年明けもちょっと書いてみよう。
 家に帰ってきて、昨日の渋谷さんと池上さんから言われたことが気になっているので、どうしたものかなあと考えていた。やはりまだ僕には説得する言語能力がないのである。しかし、好きだから好きなだけやるだけ精神では、表現者として、思想家としては、自閉した状態になってしまう。そのことを気付かせるためにも自分はもっと力をつけないといけない。
 と、思っていたら、内田樹さんがブログで「才能の枯渇について」という文章を書いていて、それがまさに僕があの対談で言おうとしていたことを、ちゃんと具体的に文書化していたのでびっくりした。そして、やられた。言いたかったことはこれに限りなく近いです。BECKの音楽を初めて聞いたときのような感触を受けた。そういう音楽をやりたいと誰もが思っていたのに、誰も作れなかった音楽。痒いところに手が届いた。これにより、焦点が合ってきたので、大変ありがたい。

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 2010年12月28日(火)。午後1時に国立駅前で飯田君と待ち合わせ。零塾面接。今年最後の面接。ルノアールにて。
 飯田君は唐突に、
「あのう、今、トイレが問題だと思っているんです」  と言った。僕は正直馬鹿にされているのかと思う。
「トイレって、何が問題なの?」
「トイレって、みんな長過ぎると思うんです。使用時間が」
「トイレだもん」
「で、トイレに入ったら、カチャッて鍵かけるじゃないですか。赤色になって」
「うん」
「で、赤色になっているのを見たら、トントンって叩きにくいじゃないですか」
「僕は、一応待ってますということを伝えるために、トントンしちゃうけどね」
「でも、周辺の人に聞いたら、やっぱりみんなやりにくいって言うんですよ」
 というようなことを解決したいと思っているようだ。うーん。こちらは困る。もちろん、話は分かる。でもトイレが渋滞してしまうって問題は、単にトイレが少ないだけなのではないか。先日、ディズニーランドに行ったが、あそこはおそらく東京で一番人が多いところだと思うが、トイレは全然渋滞していなかった。単純に数が多かったのだ。それで解決できるんじゃないのか。
「佐藤雅彦さんにトイレを変えてもらいたいんです」
 と、彼はさらに付け加えた。彼は現在大学3年生である。僕が貯水タンクに棲んだ時と同じ年齢。考えは突飛だが、そこに可能性はないのか。
 よく考えていくと、色々感じることはあった。トイレというのは、都市空間の中で外部に出ているのにもかかわらず、匿名性を持っている。その中に入ることで、人間は自分勝手な作業をしている。出てこないのもそうだが、落書きなんていうのもそうだ。エロ本が読める唯一の外部空間でもある。そこから社会性ということを掘り下げていったら、面白いのかもしれない。などと、かなり遠回りのようだが、思った。
 ちょうど、手には講談社の川治くんが送ってくれた脳科学者藤井直敬さんの「ソーシャルブレインズ入門」を持っていた。これも、人間やサルの社会性について調べている本。タイミングがよかったので、その本を伝える。他にもいるだろう。そして、佐藤雅彦さんもそういうことを考えていることは確かだ。氏に対して僕はちょっと批判的な意見もあるのだが、可能性はある。とにかく、先人でそのようなことを研究している人を探すように、参考文献を30冊挙げてもらうことを課題にした。
 色んな人がいるもんである。しかも、飯田君は最近、家具屋で働き始めたらしく、家具を作りたいとのこと。トイレ職人になりたいのか?君は?
 ちょっと課題をやってもらいながら、その持久力を試してもらうことに。
 その後、今日は子守りなので、アオと渋谷へ繰り出す。
 ディズニーストア渋谷店の充実ぶりにびびる。トイストーリーのアンディの家の原寸再現模型まであるじゃないか。もちろん、部屋の前で記念撮影。その後、好物であるクリスピークリームのドーナツを二人でベンチに座って食べる。その後、東急本店でボーネルンドのおもちゃ屋で遊ぶ。渋谷ゴールデンコース碧ver.夜、フーとまゆみんに会い、家に帰ってくる。
 夜、映画「esエス」を見る。たまたまツタヤで見かけたから借りたのだが、これが面白かった。この映画は、ドイツで新聞広告に載った人体実験の話。給料が4000マルクで今の30万円弱。期間は二週間。大学の施設で行われる以外何も書いていない。そこに、元記者のタクシー運転手がスクープを求めて参加する。そこで行われていた実験は、10人ずつのグループに分け、それぞれを看守チーム、囚人チームとする。そこで刑務所ごっこをするのだ。そのとき、人間にどのような心理的作用が起こるのかを実験するわけだ。そこで、二日目にしてありえないことが起き、それはどんどんエスカレートしていくというお話。これがフィクションならふーん、で終わるのだが、これの元ネタは実話である。もちろん、かなり脚色は加えられているのだが、実際に1971年にスタンフォード大学で行われた「スタンフォード監獄実験」という人体実験が行われている。禁止されていた看守による暴行まで行われ、しかも、大学教授は監獄長になったような錯覚に陥り、止めることを忘れて大変なことになったという実話。そんなことになるのは当たり前だと思うのだが、やはり興味深い。
 個人の資質に関係なく、環境が人間を看守のようにもするし、囚人のようにもする。これは監獄だけの話ではなく、現在世界中で行われている戦争時もそうだし、そこまで大袈裟ではなくても、今、日本で問題になっている児童虐待、家庭内暴力もそうだし、学校のいじめもそれにあたるだろう。僕には、これは企業の状態にも思える。サービス残業がそうだし、給料の上げ下げも完全に企業側にイニシアチブがあるのもそうだろう。企業の中でしか発生しない人間関係もそうだ。つまり、みんな囚人である。で、さらにこの教授は「英雄」の研究もしていて、興味深い。英雄は社会から逸脱した人間がなるというのだ。
 勤めていないと生きていけないと思ってしまうのは、この映画の中の囚人の動きとほぼ同じ行動である。隅田川に住む鈴木さんには全くそのような思考がない。彼はもう既に監獄から脱走してしまっている。
 しかも、囚人たちに、脱走しようと言っても、捕まった時の罰を恐れて、人は動こうとすらしない。
 そのような人間の頭の中の構造を、実話をもとにしたフィクションという映画に置き換えて表現している。映画の中にはいくつものレイヤーが存在し、その切れ目もちゃんと映像として表現されている。面白かった。そして、自分もこのような構造的な表現をしてみたいとふと思った。

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 2010年12月29日(水)。朝から仕事。来年発刊する予定の新雑誌「robinson」の目次を作ろうと試みる。来年は一体、どんな状況になるのかまだ予測はつかない。僕が書いた原作の映画化、新雑誌創刊、そして零塾。そこにオランダ、ユトレヒトでのリサーチ&インスタレーション、6月に日本での個展、そして4冊の書き下ろし本、2冊の文庫化。今のところ決まっているのが以上であるが、おそらく今までだったらキャパオーバーでパニックになっていたと思われるが、今年OSをバージョンアップしたつもりなので、大丈夫のような気がしている。来年は行動方針を変えていこうと思っている。今年よりも、もっと創作、リサーチともに強化していこう。
 その後、藤井直敬さんの「ソーシャルブレインズ入門」という講談社新書を読む。これはかなり面白い。というか、やっている内容は全く違うが、捉えようとしている感覚は僕がやろうとしている仕事にとても近いような気がする。今年、僕はこれまで行ってきた人類学のようなものだけでなく、社会学に触れそうなこともやり始めている。そのこととどうもシンクロするのである。ぜひ新雑誌で書いて欲しいと思い、川治くんに電話する。
 さらに、驚いたことに、昨日観た映画「es」の元ネタとなったスタンフォード監獄実験についても言及されていて、そのシンクロっぷりにびっくりする。なんなんだ、最近のこの色んな偶然は。
 その後アオに見せようと借りてきた「ヒックとドラゴン」というアニメーションを観て、僕がハマる。なんじゃ、このおもろい映画は。その後、本を読みながら、だらだらと過ごす。

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 2010年12月30日(木)。お昼に外出。有楽町へ。遊玄亭へ行きランチを食べて、TOHO CINEMASにて「ゴダール・ソシアリスト」を観る。チェルフィッチュを観た後のような感覚になった。映画の中で時折しか垣間みれないストーリー。それよりも、人間の知覚、聴覚、視覚、感情などを映画という方法論で構築しようとする。意味は確かに分からないのだが、普段とは違うレイヤーの思考を使う。それだけで成功と言えるのかもしれない。その後、銀座の蕎麦屋「よし田」で蕎麦焼酎飲みながら肴を食べて、軽い忘年会。その後、恵比寿の24時間営業中華料理屋にてタンゴとササオと磯部涼と忘年会。その後、恵比寿に住んでいる録音技師塚田さんの70年代の洒落たマンションへ行き、忘年会。午前1時半までその後、僕と磯部涼とタンゴと三人でタクシーで渋谷のWOMBへ。tomadが主宰するマルチネレコードのパーティを見に行く。スゴいお客の数。来ているお客も21歳の学生ばっかり。オタクも多数。イベントの雰囲気はいいものの、なかなか踊れる曲がかからないので、その後、また3人でOATHへ。ゆうたろうとかのうえちゃんがいた。DJ女装が無茶苦茶よかった。午前9時まで踊り、磯部涼と二人でらんぷ亭にて牛丼を食べて、なんか話す。今年は磯部涼と4月に会ってから色々と事が動いた。それはとてもありがたい。午前11時ごろ家に帰る。

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 2010年12月31日(金)。高円寺でセキネと会って、頼んでおいたフーの年賀状を受け取る。今年も僕は年賀状は書かないことにした。セキネから新井英樹氏の漫画、根本敬氏の「真理先生」、1Q84を借りる。真理先生は面白かった。この本を読んでいる時にデジャブがあったのだが、それは大竹伸朗さんの「既にそこにあるもの」を読んでいるときだった。似た論理でモノを考えているのではないかと思った。これはとても人に共感されるだろう。そして、僕の考えていることはそこからちょっと外れていっている。その後、戸塚の実家へ。映画を観て過ごす。「月に囚われた男」「インセプション」「グリーン・ゾーン」「ザ・ウォーカー」と四本連続で観ている。紅白も観たけど、なんか面白かった。桑田さんのエレキギター弾き語りは自分が今興味持っている方向性だったので、やたらと気になる。そして、トイレの神様はジョーン・バエズのように見えた。寝ている間に新年が来ていた。

24   2010年譜

 1月。宇和島へ旅行、大竹伸朗氏に会う。明治大学にてトークショー。高円寺、素人の乱の山下陽光くんと。太田出版「ゼロから始める都市型狩猟採集生活」脱稿。結局二年かかった。
 2月。柏にあるギャラリーislandにてトークショー。islandの伊藤さん、芹沢高志さん、水戸芸術館の高橋瑞木さんと。
 3月。映画監督の本田さんに会い、僕のドキュメンタリー映画を作りたいとの依頼を受け取材開始。思想家、理論宗教学者である佐々木中さんと初めて会う。VACANTにて劇団「快快」のアフタートークに参加する。そこで、音楽風俗ライター、批評家の磯部涼と初めて会う。磯部涼にそのまま恵比寿のDOMMUNEに連れていかれ、宇川直宏さんとも初めて会う。その場で、DOMMUNEで番組を持つように依頼を受ける。三軒茶屋の世田谷シアタートラムにて芸術家の鈴木ヒラクくんと初めて会う。小説すばるにてインタビューを受ける。劇作家岡田利規さんと初めて会う。大阪へ旅行。夢の島アリーナにて東京都文化発信プロジェクト「BOSAI展」にて僕と隅田川の鈴木さんと二人で0円ハウスワーウショップ。
 4月。宇川直宏氏が主宰するUSTREAMプログラム「DOMMUNE」で番組を持つ。タイトルは「都市型狩猟採集生活」。出演は僕、司会が磯部涼。毎回、最後にギターを弾き歌う。第一回目は電気グルーヴの「虹」。その後も、DOMMUNEに通い詰める。水戸芸術館にてトークショー。毛利嘉孝さん、音楽家の大友良英さん、アーティストの藤井さんと。熊本へ旅行。師匠、石山修武氏の新刊「生きのびるための建築」の書評を書く。高尾山に登る。
 5月。僕と磯部涼と写真家の石川直樹と太田出版梅山くんなどと群馬へ旅行。沖縄へ旅行。吉祥寺バウスシアターにて上映されている映画「ライブテープ」のトークショー。映画監督の松江哲明さん、音楽家の前野健太くんと。実話ナックルズの取材で多摩川へ。写真家梅川良満、ライター磯部涼、アテンド坂口恭平。アークヒルズにてトークショー。海猫沢めろんさんと飲みながらアイソレーションタンク綺談。民主党秘書の渡辺満子さんと会う。リトルモアで僕主宰のトークイベントUNIVERSITYが始まる。第1回目のゲストは佐々木中さん。世田谷ものづくり学校にて石川直樹と対談。エココロにて新連載「家をめぐる冒険」がスタート。
 6月。森岡書店にて森岡さんの連載「月刊百科」に参加。土地所有について急激に興味を持ち始める。DOMMUNE「都市型狩猟採集生活」第2話はゲストに宗教学者の中沢新一さん。もちろん初対面。ほんとに貴重な出会いであった。トーク後「TRAIN TRAIN」。土地の研究のために都立図書館に通う。リトルモアでのトークイベントUNIVERSITY第2回目。大失敗をする。筑摩書房の書き下ろし単行本の取材のために劇作家、芸術家である飴屋法水さんと会う。衝撃を受ける。タイ人映画監督、コンマン・ローに会う。
 7月。DOMMUNE「都市型狩猟採集生活」第3話のゲストは養老孟司さん。今回も衝撃を受ける。奈良へ旅行。ほぼ日クルーと多摩川マジカルミステリーツアーへ。映画監督のペドロコスタ氏と会い、0円ハウスについて語る。
 8月。太田出版より新著「ゼロから始める都市型狩猟採集生活」が出版される。集英社すばるにて新連載「モバイルハウスのつくりかた」がスタート。初監督作品「多摩川文明」の撮影開始。DOMMUNE「都市型狩猟採集生活」第4話のゲストは隅田川のエジソンこと鈴木正三氏。さらに多摩川文明のパイロット版も上映する。HMV渋谷の閉店イベントでトークショー。音楽家の曽我部恵一さん、音楽評論家の北沢夏音さん、磯部涼と四人で。NITというトークショーに参加。写真家の小山泰介さん、建築家の谷尻誠さんと。七尾旅人くんと飲む。翼の王国の取材で、アメリカ・シカゴへ旅行。フランク・ロイド・ライトの建築群を見学する。三省堂本店にて建築家隈研吾さんとトークショー。
 9月。アイドルグループV6の井ノ原快彦さんと原宿のカフェで会う。僕の著作を読んでくれており、ぜひ会いたいとのありえない依頼。大分へ旅行。川口メディアセブンにてトークショー。SNACにて批評家の杉田俊介さんとトークショー。クラブキングにて茂木健一郎さんとトークショー。大喧嘩しちゃう。
 10月。神奈川大学にて講義。TBSの番組の撮影でビートたけしさんと会う。しかも多摩川で。しかもたけしさんはロールスロイスでご来訪。がんばって世の中変えなさいとアドバイスをもらう。母校、熊本高校の会報誌のインタビューを受ける。新雑誌を作ろうと思い立つ。ワタリウムにて子供に0円ハウスの作り方を教えるワークショップ。エココロの雑誌にて石川直樹と対談。音楽家、S.L.A.C.KとPUMPEEに会う。自由大学にて「0円ハウス学」開講。
 11月。養老孟司さんが毎日新聞紙上にて書評を書いてくれた。バンクーバー美術館主催の日本パトロンツアーでガイドをする。作品大量に購入してもらう。熊本市現代美術館も個展で制作したモバイルハウスを購入してくれた。零塾を開塾する。ブルータスにてインタビュー。マルチネレコードのtomadと会う。「TOKYO0円ハウス0円生活」が原作となり映画化されることが決定する。ジュンク堂新宿にて佐々木中さんとトークショー。7年続けてきたjournalを終わらせるも、その瞬間から零塾という新しい形式の日記をスタートさせる。J-WAVEにてV6の岡田准一さんと対談。多摩映画祭にて映画監督の沖島勲さんとトークショー。武蔵野美術大学にて荒川修作シンポジウムに参加。
 12月。シネカノン代表で映画プロデューサーの李鳳宇さんの復活祭にて「イムジン河」を歌う。NHKより零塾について取材を受ける。オランダ、ユトレヒトでのリサーチプロジェクトが始まる。新雑誌を坂口恭平責任編集で作ることを決定する。タイトルは「Robinson」。京都にて出張零塾開催。エココロにて建築家の藤村龍至さんと対談。原宿「あしどり」にて決起集会。参加者は、坂口恭平、磯部涼、佐々木中さん、杉田俊介さん、石川直樹くん、いましろたかしさん、長尾謙一郎さん、大原大次郎、大橋裕之くん、梅山くん、川治くん、けいちゃん、浅原さん。長野へ旅行。東京大学にてトークショー。東大教授の中村雄祐さんと。音楽家渋谷慶一郎さん、複雑系研究者池上高志さんとも話す。脳科学者の藤井直敬さんと会う。零塾の面接を続ける。

0円ハウス -Kyohei Sakaguchi-