零塾

第8章 Vancouver Journal

 2011年4月17日(日)。朝8時に起きて、熊本駅へ。新幹線で福岡空港。そこから成田へ。いよいよバンクーバーへの旅が始まる。成田に人が少なすぎて驚く。あー、こりゃ大変なことになるなと思った。本当に海外から人が入って来ない。カルティエとかの免税店も死んでいる。そのうちここらへんの免税店が民芸品屋に変わってしまうのではないだろうか。しかし、空いていてモスクワの空港みたいで使う側にしては楽でいいけど。成田空港は潰れちゃいそう。。。
 JALに乗ってバンクーバーへ。こちらもガラ空き。三席分使って足を伸ばして寝転びながら、英国王のスピーチ、ノルウェイの森、ツーリスト、ソーシャルネットワークを連続的に観て、観終わるとバンクーバーに着いていた。空港に迎えに来てくれたセンターAのディクレター兼キュレーターの原さんと待ち合わせして、バンクーバー市内へ。
 三年ぶりのバンクーバー。春がちょうど訪れたようで、桜の花は咲いているは、快晴だし、無茶苦茶気持ちよい。やっぱりバンクーバーに住みたいなあと思う。今回は、こちらで住まいを確保しようとも考えている。春、夏ぐらいを毎年、こちらで暮らすのはどうかと思っている。そのように芸術家、作家は移動し続けないとこれからは生き延びていけないと思っている。どこで過ごしても、大丈夫なように人間同士の直接的なネットワークを強化する。これを徹底させたほうが良い。若い人間はもっとそうするべきだ。僕のネットワーク構築は22歳だった、2002年から始まっている。それから丸十年。その時の行動が効いて来ている。どんな状況でも萎縮せず、力強く生きていくことができるのは、こうやってどこでも楽しく活発に活動ができて、経済活動とも連関しているようなネットワークを作っているからなのだ。原さんは僕のその全てをサポートしてくれている。僕の作品、アイデア、思考の可能性を誰よりも一番始めに感受してくれたのが、原さんと小倉正史さんである。
 センターAで額装された自分のドローイングを見る。これがいい感じでびっくり。しかも、もうすでに買いたいと言ってくれているコレクターの人たちがいるとのこと。これは楽しみだ。これから数年間かけて実践しようとしているプロジェクトの資金として、今回の絵は販売する予定。義援金でもボランティアでもない、仕事として、僕は地震、原発事故にたいしての計画を実行したいと思っている。この展覧会は、そのための起点になるのだ。
 バンクーバーでは歩いていると、いつも誰かに会う。原さんの友人もたくさん紹介してもらう。そして、数日後にはコレクター主催のパーティーなどに参加する。僕は日本よりも、どう考えてもバンクーバーの方が性質が合っている。それは「理性ではない付き合い」が主流だからである。バンクーバーは60年代、ヒッピーたちの街であった。当時、ヒッピーだった若者のうち、もっと狂った人々たちがアーティストになっていった。彼らが今でも活躍しているのがバンクーバーだ。さらに、同じくヒッピーでバンクーバー産ウィードなどを販売していた彼らの中でも上手にビジネスを成功させることができる人間が、今のバンクーバー周辺のコレクターになっていることが多い。
 彼らは今では弁護士やデベロッパーやクラブオーナーなどをしているが、元々は筋金入りのヒッピーである。だから、あぶく銭の使い方を知っているし、その勢いが半端無い。投資の仕方が日本のフレームインされた萎縮した使い方とまるで違う。楽しく生きるために、お金の使い方も徹底している。それは、そういう自由な人間同士の繋がりが、60年代から今でもしっかりと根付いていることが根本にある。そういう理性を吹き飛ばした人間関係が、僕は一番好きなのだが、日本ではそういう人間は「キチガイ」になってしまい、萎縮してビビってしまう人が多い。それはそれで安定しているわけで、悪い社会ではないと思うのだが、やはりとんでもないことをしたい人間には面白くない。だから、僕は時折退屈してしまう。でも、バンクーバーの仲間たちは僕の行動に対して、いいねえ、面白いねえ、楽しいねえと笑ってくれる。さらにそれに対して投資してくれる。
 別に海外で活躍すればいいのとも違う。それぞれの国はそれぞれの国の良いところ、悪いところがある。自分がどこにフィットするのかをただ選んでいるだけだ。芸術、美術といえば、ロンドンだ、パリだ、ベネチアだ、とか言っているのは解像度が低い証拠である。ちゃんと現地で、現場で生き延びている人間たちをしっかりと直視する。そうすれば、自分がどこで行動すべきなのかがよく分かってくる。だから、移動しろ、飛びまくれ、お金がなかったら、お金を持っている人にお願いしてでも移動し続けろと僕は表現して食べていこうとしている人間たちには伝えたい。そういうことを教えていきたい。
 原さんと夜、ずっとこれからの計画について話し合う。僕たち二人の計画もどんどん面白いもの、広がりのあるもの、すごいことになってきている。でも、これは2002年からの継続である。ずっとやっているのである。そして、これからもずっとやめずに行動し続けるのである。

今回、滞在するWALDORFhotelは、コレクターのリックの親友が作ったホテル。

受付にはしっかりと僕の展覧会のフライヤーが。

原さん。ホテルのスタッフを紹介くれた。アーティストのポールも電話で、キョウヘイの世話をしっかりとしてくれとスタッフに伝えたよと言ってきた。手厚い歓迎を受ける。

ホテルのレストラン。気持ちよい空間。

ホームレスたちがドロボウ市を開いている目の前が、、、

今回展示するセンターA。最高の立地である。中華街と高級観光地とホームレス地帯の中心に位置するバンクーバーの臍のような場所である。元々駅だったところをリノベーションしている。

5メートルのドローイングも展示する。これはオークションに出品する予定。

コレクターたちが持ってきてくれたDig-Italシリーズも展示する。久々に会う。

2001、2年ごろに描いていた病んでいるときのドローイングも展示。

レーモンルーセル「アフリカの印象」の挿絵100枚シリーズも。

10メートルの特製キャビネットで展示。かっこいい。

センターAのすぐ近くの店。ここで普通に買えます。

ガスタウンの美味しいレストランで原さんとランチ。

その後、かわいい生活用品店で不思議なフランス製のスプーンとおやつフォークを購入。フーへの土産。

長いテーブルでダブルエスプレッソ。

再びドロボウ市へ。

アオから犬を買ってきてと言われているので、犬バックを二つで2ドルで購入。

坪井新居用にホーローのポットを購入。1ドル。

蔡國強キュレイションのすごい展覧会の図録。

中国の無名の市民たちによるブリコラージュ乗り物。これモバイルハウスにそっくり手作り飛行機。やばい。

こちらは手作り潜水艦。本当に潜っているし。

本当に飛んでるし。

その後、アーティスト村のような通りであるキーファー通りを歩く。静かで気持ちよい。

カフェで原さんの友人と出会い、家に遊びにいく。ここはリンゼイのアトリエ兼住居。元教会の建物。

中が気持ちよいのよ。ビールを頂き、三人で原発について話し合う。

ディナーは、大好きな中華料理屋「又一村」へ。ここ知る人ぞ知る名店。バンクーバーに行った際には是非。

この混雑っぷり。辺鄙なところにあるのに。

ここ、夜12時になるとバンクーバーは店内で禁煙なのだが、ここでは吸える。さらに、このクロスを剥がすと麻雀もできる笑。フレキシブルな店。こういう自由なところが僕は大好きだ。店員も素晴らしい。

 2011年4月18日(月)。結局、昨日は原さんの家で酔っぱらってしまい、そのままソファで寝ていた。でもソファが寝心地が良く、巣のような感覚で、色んな不思議な夢を見ていた。起きて、歩いてすぐのホテルに戻り、またちょっと眠る。その後、部屋で仕事をしばしやる。
 ヨネから熊本の坪井新居の改装写真が送られてくる。かなりいい感じになってきている。これは帰国してからも楽しみだ。
 熊日の連載原稿オッケーとのこと。一安心。その後、零塾のレポートに対して、返信をする。
 東大で講義をしてくれとの依頼が、北海道のトークの日程を決めたのと被っていたので、どうなるか。でも快諾した。
 ロスでの展覧会についてアントニンと連絡。今回、ロサンゼルスには行かないことにした。
 ゆっくりして、展示会場であるセンターAへ。額装された絵を見ながら、どのように壁に展示していくかを考える。大体決まり、テクニシャンのディランに伝える。
 その後は、絵の値段を考える。これは原さんと協議しながら。今回は、絶対に売れる確信がある。
 だからこそ、その後の僕の仕事の展開が非常に重要である。今回の展覧会は、完全に投資をしてもらうための展覧会である。オープニングの時に、僕がこれから実践していきたいHouse at ground ¥0 projectの活動資金になると銘打っている。それはもちろん坪井新居の0円集落計画、被災地もしくは避難先でのモバイルハウスヴィレッジ計画、西日本での市民農園をモバイルハウスヴィレッジに転用する計画。表参道ヒルズでの6月の個展「0円ヴィレッジ計画」、インフラフリーの住宅案などの資金だ。
 ただの募金ではなく、僕が自分の作品を売って、お金を受け取って、それをどのように使うか。それを全て公開して、収支決算、具体的に何にいくら使ったかまでを公開していこうと考えている。で、僕はボランティアという考え方があんまり好きではなく、いつでも仕事でやりたい。で、スタッフもボランティアじゃ駄目だ。僕がお願いする時にはちゃんと給料を払いたい。そのような活動をするために、ドローイングを売ろうと思っている。そううまくいくもんかと思われそうだが、いつでも僕の場合、うまくいく(と勘違いしているだけなのかもしれないが)。明日の夜は、バンクーバー有数のすごいコレクターたち(彼ら全てが僕の作品をコレクションしてくれている)が集って、ジャック&メイヨン夫妻(僕のDig-italシリーズ第一号のコレクター。彼が僕の部屋のベッドの下に眠っていたドローイングを引きずり出し、これが欲しいと言ってから絵を売ることを僕は覚えた)主催で僕の歓迎パーティーをしてくれることになっている。原さんと一緒に、しっかりと今後のプロジェクトのプレゼンしてこようと思っている。
 広告体になってお金をもらうのは本当に嫌だ。自分の可能性に賭けてくれる投資でないと駄目だと思う。それをビジネスではなく、芸術の世界で実現するのだ。僕のコレクターたちは、有名な人間の絵を買いたいというよりも、若く無名の人間で面白いやつを探している人が多い。そこがまた面白い。僕は0円ハウスも好きだが、それと同じくらいコレクターたちとの仕事も楽しい。そういうギャップを僕はギャップと思っていないところがある。どちらも心は一緒だ。つまり、どちらも同じくらい自由な人間たちである。そういえば、それはホリエモンの拝金のブルータスでの書評で書いた。
 その後、オープニングの時にトークショーをするのだが、そのときに通訳をしてくれる日本人のカズホさんと初対面。僕の作品のコンセプト、僕が考えている空間に対する思考について長く説明する。原さんも交えて、ワイン飲みながらブレインストーミング。多摩川文明も上映する予定。モバイルハウスや熊本での坪井新居の話もする。とても楽しみだ。今回はたくさんの人々が来てくれるような予感がしている。
 原さんと坪井新居をセンターAのレジデンスにするという計画について語り合う。坪井新居をカナダの芸術家たちが滞在する場所にする計画を来年の春頃から始めようと思っている。これが実現すれば、すごいことになる。僕の家に、熊本人やらカナダ人やら、上海やソウルにアートを観に来たコレクターたちが坪井新居にも寄ってくれるようになるかもしれない。変なことができそうだ。地元の人からはただ奇異にしか映らないかもしれないけど。だから、ひっそりと変なことを少しずつやっていこうと思っている。ぐふふ。
 坪井新居の計画がカオスだ。バサラブックスには古本屋の分店を出せと言っているし、タイ古式マッサージも予約制でやろうとしている。一階の押し入れは三段ベッドでドミトリーになるし、弟子もそこで暮らす。生活研究所を設立し、モバイルハウスも建てる。家の前の小屋を改装してバーをやろうともしている。つまり、僕が若い頃から夢想していた「九龍城砦のようなホテル」を作りたいという計画を実現しようとしているのだ。そのための資金でもある。とにかくやるぞ。僕は興奮している。

朝、気持ちよくてS.L.A.C.K.のhotcakeを爆音でヘッドホンで聞きながら歩く。

CENTRE Aでの作業。これらは最近の立体読書作品。

これらは雑誌でのカット集。雑誌のカットはそんなにいいギャラではないけど。僕は気にしない。なぜなら、こうやって印刷終了後、僕はコレクターに売るからである。原画を大事にして、それを作品化して、売っていく。これは日本の漫画家やイラストレーターたちはもっと徹底すべきではないかと思っている。僕は彼らの原画の展覧会をこちらで開きたいと思っている。

立体読書シリーズ。

こちらは若い頃、本当に鬱屈していた狂っていた時代の作品。意外と人気があってびっくり。

こちらはバンクーバー在住の韓国人カン・リーの作品。滞在中、彼の家でパーティーを企画してくれている。この人はバンクーバーで一番成功しているアーティストであるJEFF WALLの工房で働いている筆頭。なんでも作ることができる。彼に坪井新居に滞在してもらって、空中回廊を建ててもらおう。これはマスキングテープだけで作った彫刻。

マスキングテープ一つだけしか使っていない笑。

バンクーバー産の手描きDIYブックスを見せてもらう。

若い時バリバリのヒッピーだったフランク・ゲーリーも執筆している!

カズホさんと原さんと打ち合わせ。

展示会場。デカイです。

夜は、近くの洒落た中国BAR。ウォン・カーウェイの花様年華の雰囲気。

カクテルが名物。料理も美味。深夜自転車でホテルまで帰る。

 2011年4月19日(火)。朝から自転車でギャラリーへ。写真は今回の額装を全てやってくれたトッド。しかも無償でやってもらった。なんてことだ。この人の仕事は最高。自分の作品を額装してもらうと、いつも新しい発見がある。今回も色んなことを教わった。

 ソーラー0円ハウスの図面。これは2001年に、仕事もない、未来もない、金も無い22歳の時に描いた作品。これは来年、センターAに寄付する予定。ギブ&ギブ&ギブである。態度経済の根源は、このセンターAで、原さんから学んだのである。

レーモン・ルーセルの「アフリカの印象」の挿絵100枚ボックスセット。そういえば昔、白水社の人に見せたことがある。さすがに、僕の挿絵を入れて出版したほうがいいという僕の妄想まじりの企画には全く見向きもされなかった。ここは、フィリップ・K・ディックが住んでいた街。だからどうかは知らないが、レーモンルーセルに大きな影響を受けた人が多い。そういう場所では、この作品も大きな意味を持ってくる。日本では無視、だけどバンクーバーでは好意的に受け入れてくれる。別に海外だからと言っているのではない。僕の場合、日本では作家としての活動はとても受け入れられている。国民性や場所の持つ固有性に合わせて、自分自身をギアチェンジしていくことがこれから生きのびるためには、というか昔から必要なのだと思う。

空いた時間を利用して、バンクーバーの街を散歩する。人に会うことが主なので、いつも散策している時間がない。近くをうろうろとする。変なボタン屋を見つけたので、たくさん購入。お土産に。

その後、古本屋へ。この店、無茶苦茶本が乱雑に積み上がっているが、興味深い本がたくさんある。

センターAがある通りは、たくさんのホームレスが通りを徘徊している。バンクーバーの持つ問題が凝縮されているような場所である。みな、劣化したクラックという麻薬を摂取している。しかし、よく見ていると、ただの絶望的な人々ばかりが生きているのでもない。みな笑って、コミュニティを作っており、一瞬幸福のようにも見える。センターAというギャラリーには、彼らもたくさん訪れ、関わり合っている。とても不思議な自由さが充満した地域なのだ。

公園へ。ちょっと歩くと、このような静かな風景が飛び込んでくる。ここでちょっと一服。

その後、原さんと一緒にコレクターの一人であるジャックとマリヨン夫妻の家へ。僕のウェルカムパーティーを開いていてくれるという。バウハウス風の古いけれども洒落たアパートメントへ。集まってくれたのは、僕の作品を買ってくれたことのあるコレクターの人たち。とにかく彼らは僕を応援してくれている。僕は別にアートマーケットで活動しているようなアーティストでもない。別に僕の絵の価値が今後上がっていくわけでもない。でも投資してくれているのである。何の投資なのか。僕はそのことをいつも考える。だからこそ、誰もやったことのない仕事をいつかしたいし、しなければいけない。みんな、不可知な僕の今後の活動に対して共感してくれている。作品というよりも人間に対して投資してくれている。しかし、それはとても緊張する。僕はもっと自分が気付いていない力を出していかないと。彼らを驚かせ、楽しくなっちゃうような仕事ができているか。この緊張感こそが、とてもよいバロメータになっている。

前菜。

こちらがマリヨン。今日は彼女お手製のフルコース。

夕日が綺麗。

無茶苦茶美味しかった。

デザートまで。

2011年4月20日(水)。午前11時にセンターAへ。作品の展示はほぼ完成。すると、オープニング前にもかかわらずたくさんの友人たちがやってきてくれた。彼はポール・ウォンというアーティスト。日本でも会ったことがある。コレクターのリックの親友。いつもテンションが高い、どこにでも連れて行ってくれる。僕が泊まっているホテルのスタッフにも、ちゃんと世話してやってくれと電話をかけてくれるし、すんごいお世話になっている。作品を購入してくれた。土曜日、一緒に面白い展示をしているギャラリーに行くことに。

彼女はシャーリン。僕のバンクーバーで一番の親友である。バンクーバーで催した結婚式にも来てくれた。彼女も作品を購入してくれた。金曜日、一緒にドライブに行こうと誘ってくれる。シャーリンは「ペーパー屋」というかわいい文房具や紙などを売っているお店のオーナーであり、アーティストでもある。僕の家族は両親、兄弟、フーとも仲がよい。本当に素晴らしい人。

完成間近の展示。すごくなりそうだ。ジャックとマリヨンもやってきてくれて、三つの作品を購入してくれた。勇気づけられる。

夕方、スタッフのみんなとメキシコ料理屋でマルガリータを飲みながら話す。階下ではファーストネイションの酋長が歌を歌っていた。

トロントでお世話になったヤンも来てくれた。花を頂く。

夜は、韓国人のアーティスト、カンとジンのスタジオに原さんと遊びに行く。今日は、みんなで木彫りをしようという集まりらしい。自分もやってみる。バンクーバーはアジア人の街でもある。彼らはとてもアグレッシブに活動しており、とても感化された。その後、僕が泊まっているホテルへ行き、ちょっと飲んで、原さんの部屋でまたちょっと飲みながら、宇多田ヒカルなどを聞きながら、話をする。いよいよ明日はオープニング。トークもある。映画「多摩川文明」も上映する。

 2011年4月21日(木)。とうとうオープニングがやってきた。準備も万端。元センターAのディレクターであるハンク・ブルが自分の家からレーモンルーセルの「アフリカの印象」の英語版のファーストプリントを持ってきてくれた。それも一緒に飾る。ハンク・ブルは、ウエスタンフロントというアートスペース、レジデンスを60年代に興したアーティストで、そのウエスタンフロントには、ウィリアムズ・バロウズが何度も訪れていた。ローリー・アンダーソンの初めてのパフォーマンスもここで行われた。本当にやばいところなのである。バンクーバーがアートの濃いところだということはほとんど誰も日本人は知らないけれど、無茶苦茶ディープで、僕が好きな人はみんなバンクーバーを通過している。バロウズ、ローリーアンダーソン、ジミヘン、フィリップ・K・ディック、ウィリアム・ギブスン(しかも、ギブスンは僕のバンクーバー美術館での個展を何度も訪れてくれたという。しかも、今度出る本のタイトルにはZEROという言葉が含まれているとのこと)など、とにかくやばいんである。知ってもらいたいが、説明しても意味がない。ここに来ないと駄目だ。

展示風景。まるでコマーシャルギャラリーのようになってる笑。展覧会オープン前にもかかわらず、たくさんのコレクターの人が来てくれた。しかも、新しい人まで。しかも、ちょっと狂った人が。なぜか僕の周りにはいつもちょっとストレンジな人がやってくる。かなり絵が売れた。やばい、妄想が現実になっていっている。テンションが上がり、そのまま乗り心地の良い狂った車に乗ってドライブしているような、気分になってきた。2009年のトロントの白夜祭の興奮も思い出す。大変なことが起こっているのだろう。でも、もう何でも良くて、とにかく僕はハンドルを握り、ドライブする。

午後6時からトークをした。一時間半も話しちゃったのだが、それが大受けでびっくりした。どうやら少しずつ英語でのトークが上達しているようだ。それはとても嬉しい。溢れるほどたくさんの人が観に来てくれた。多摩川文明もかなり衝撃を受けてくれたようだ。トーク終了後もみんなが質問などをしてくる。展覧会の成功を確信した。

シャーリーン、マキちゃんも観に来てくれた。

親友ポールとパシャ。ポールもバンクーバーでは著名な写真家なのだが、僕は近所のおじちゃん(ゲイだからおばちゃん??)のように付き合ってしまっている。まあ、なんでも楽しければいいのだが。ポールはいつも僕に優しい。色んな情報を教えてくれる。今日はかわいい靴のブランドを教えてもらった。

バンクーバー美術館のキューレーターであるブルースと、アーティストのエリザベスの夫婦と。ブルースが僕を発見してくれてから、人生の全てが変わった。とても僕にとって特別な人。二人とも、展覧会をとても気に入ってくれて喜んでくれた。

アフターパーティーは僕が泊まっているホテルの下にあるクラブで。踊りまくって、また一騒ぎする。

コレクターのリックとドナカップルもやっぱり来てくれた。バンクーバーに行ったとこはいつも多くの人が集まって来て、歓迎してくれる。一体、なぜこんなに歓迎してくれるのか、いまだに謎の部分は多いのだが、確実にこっちのかなり限られたディープな人間たちの集合体と、僕の適当でなんでも良くて、どんなものでも受け入れるのが大好きで、楽しいことしかやりたくない正確がどんぴしゃりなようだ。結局、朝まで踊り狂う。

2011年4月22日(金)。昨日の興奮も覚めやらぬまま、今日はシャーリーンの車に乗って本当のドライブ。滝を見に行こうと誘われる。日本人のマキちゃんとユウタくんと一緒に。朝食はバンクーバー郊外の絶景が広がるレストランでそば粉のパンケーキ。美味いんだ、これが。

スコーミッシュという街にある大きな瀧の前でシャーリーンと。僕のバンクーバーの母のようであり、小学生の同級生のような人でもある。バンクーバーでフーと結婚式をあげたときはアフターパーティーを自宅でやってくれるし、僕がバンクーバーに滞在するときには、下の階の部屋を貸してくれる。いつもどこか車で連れて行ってくれて、二人で一緒にリラックスする。とても素晴らしいアーティストなのだが、恥ずかしいからといって作品を見せてくれない。で、ありながら才能の実業家でもある。僕の奥底からの心の支えなのだ。

川べりでゆっくり。気持ちよい空気を吸い込んで、展覧会後の疲れを癒す。

ホテルに帰って来てからは、原さんの家へ。今日はたくさんの人をまたまた招いて日本食パーティーを開くことに。原さんとともちゃんとヤンが準備して、おでん、卵焼き、おひたし、マグロのたたき、サーモンの刺身など豪華。

食後お汁粉も。美味。苺とかクランベリーとかブルーベリーとかブラックベリーとか入れて食べる。これが美味い。

オープニングも来てくれたポール・ドゥ・グズマン。ポールもとても才能溢れるアーティスト。昔からの友人。初めて来たのが2006年。それから色んな友人が出来た。みんなとずっと付き合っていこう。長く長く、一緒にバンクーバーで遊ぶように仕事をしよう、と思った。ヨーロッパの今の動きなどを教えてくれた。8月にユトレヒトに行く。その時に、今度はヨーロッパでの活動を開始する予定だ。お前はいける、とポールが言ってくれたのでやるしかない。

バンクーバーの伝説的なアーティストがどんどんやってくれる。その一人、グレン・ルイスは60年代に熊本に行ったことがあるという。バーナード・リーチの最後の弟子でもある(!)グレンから当時の色んな話を聞かせてもらう。ポール・ウォンは16歳の時から、このグレンにお世話になっているという。二人ともゲイ。しかも、当時はゲイである事自体が犯罪であったのだ。彼らも不幸なことに何度か逮捕されている。そのような弾圧を受けながら、それでもどうにか作品を作って来た。だからこそ、芸術に力があるのだ。どんな状況でも創造的に生きることをやめない人間たちが、今日、原さんのところに集まっている。そして、それをサポートしてくれるコレクターたちも。そこに、なぜか九州男児の僕まで入り込み、しかも馴染みすぎて、ローカルの人間みたいになってしまっている。心の中で、観劇して、泣いていた。

リックは今日も来てくれて、しかも、キョウヘイはクレイジーテキーラだからといって、スペシャルなテキーラを持ってきてくれた。

ハンク・ブルとドナとリックと僕とヤン。幸福な時間。飲んでいるんだけど、どんどん新しい仕事が生まれていく。これが「仕事」だと思う。誰からも指示されない。自分で自分の頭を使って、素晴らしいパートナーたちと一緒に面白いことをする。酒を飲む。それをもっと徹底するぞと思った。

2011年4月23日(土)。午前11時にバンクーバー美術館へ。懐かしい。大好きな美術館のカフェでブルースと原さんと御飯を食べながら、ミーティング。原さんから今度、キュレーションをやってみたら?と言われる。日本人で面白い狂った作品を持ってくるのはどうか、チェルフィッチュの岡田さんにも提案してみようと思った。鈴木ヒラクのことも興味を持っていた。ファッションの面白い人たちもいいなと思ったり、陶芸も最近、かっこいいしなあと初めての構想。ちょっと楽しみである。ブルースと話して、バンクーバー美術館とセンターAのコラボレーションするのはどうかと。こうやって、夢のような話をしていると、いつも叶う。そうやって、今までやってきた。

ポール・ウォンがお薦めしてくれた靴。Native。水の中にも入れるスニーカー。色がかわいい。僕の分に二足。フーに一足。アオにも一足買うことに。

こちらは僕が大好きでいつも行く靴屋「umeboshi」。

アオには変な紫色の靴を。

その後、リックとポールと原さんとヤンと僕と五人で、僕の立体読書のコレクターであるシェリーとラリー夫妻の家に遊びに行く。ラリーはガスタウンと言ってバンクーバーの観光地があるのだがそこを作った人である!つまりとんでもなくお金持ち。で、僕は思うに、ありえないほどのお金持ちと多摩川や隅田川の鈴木さんとロビンソンクルーソーは一緒なんだようなあと思う。どちらもリラックスしている。ギブ&ギブ&ギブなのである。中途半端が一番いけないのだと常に僕は自分を振り返る。400年以上前にイングランドに建っていた納屋をそのまま輸送してきて移築しているというとんでもない建物。

庭がやばすぎる。

リビングルーム。あまりにも凄すぎて思わず笑ってしまった。暖炉や建具は全て南フランスのアンティークをこれまた現地で見つけて来て輸送しているらしい。シェリーはとても美しいマダムで、アンティークのディーラーでもある。

シェリーとポール・ウォン。

庭にはワニまでいる笑。

その後、シェリー&ラリー夫妻の息子である、バーナビーのアトリエへ。彼は今、カナダでかなりクールに売れまくっているリサイクル素材を使ったバック屋「RED FRAG」のデザイナーをやっている。日本にも少しずつ入って来ているようだ。輸送の関係でかなり高いっぽいが。かっこいいんだよなあ。しかも、それがもう全部友人の友人で、いつでもアトリエに来いとなっていく。もう訳分からないけど、ドライブは続く。

彼がバーナビー。

バックがかわいすぎて、二つも購入。

その後、リックと別れ、ポール・ウォンと別れ、ヤンはトロントに帰り、僕と原さん二人でお疲れさん会を。美味しいイタリアンを食べに。

本気で美味かった。

途中にある、ジミヘン寺院。???何???

これが寺院笑。ジミヘンのおばあちゃんの生家である。だから、ジミヘンもここで育ったに違いないということが元でここが寺院になったという。夏の間はみんなでBBQをするというかわいい寺院。そう、ジミヘンもバンクーバー絡んでいるのである。

今日は最終日なので終わらない。夜9時からは、韓国人ジンとカンリーがやっているインスタントコーヒーにて、ダンスパーティー。

原さんの家に帰って来て、最後に二人でテキーラを飲みながら、トロントのマーティン(ずっとこの日記を読んでくれている人はわかるでしょうか?夜12時からマルティーナに返信するマーティンです)がイングランド時代にコラージュして作ったフィルム作品。彼はグレイトフルデッドと一緒にツアーを回っていた映画技師なのである。マーティンのことを話しながら、涙を浮かべて、テキーラ飲みながら、知らぬうちに僕は寝ていた。とても幸福な時間が流れている。大きな自信と深いリラックス状態が混ざったような精神状態である。日本に帰って、また新しい仕事に励もう。素晴らしい一週間だった。

 2011年4月24日(日)、25日(月)。今、飛行機の中である。バンクーバーでの旅を振り返る。色んな仕事が動いた。
 新しいコレクター二人とストレンジな出会いがあった。
 センターAのレジデンスを僕の熊本の坪井新居の庭にある小屋を改装して作ることにした。しかも、ここを映画館にもする計画が浮上。トロントのマーティンを呼んでサイレント映画ばかりを流す不思議な映画館にしたい。子どもはタダ。全部手作りの映画館。絶対やばい。
 バンクーバーで僕のキュレーションで展覧会をやることを打診された。帰国してからはキュレーターとしての仕事も実現させてみたい。楽しみだ。
 上海ガール、ヤンと一緒に2013年にトロントで再びドローイング展とインスタレーションをすることが決定した。これも楽しみ。
 もう一人の上海ガール、デボラからは中国での開拓に向けて重要な情報を頂いた。僕が全ての活動の元になった中国人キュレーター、ホウ・ハンルゥの第二世代、オウリンというキュレーターがいるとのこと。彼に会えと言われた。いつでも紹介してくれるとのこと。上海ではなく、ガンジョウというところらしい。中国にも活動の領域を広げたい。
 0円ヴィレッジ計画を徹底的に進める。
 8月のユトレヒト滞在では、ベルリンにも行くことを決めた。バンクーバーはベルリンと密接に関わっている。そのコネクションを頼りに、また新しい世界へと向かっていこう。
 日本だけで仕事をしていても駄目だということを徹底的に理解できた今回の仕事であった。英語で笑わせることはできた。それなら、今度はちゃんとテキストを書けるようにしよう。もっと、誰でもアクセスできるような人間になろう。一つの言語だけでしか受け入れられない仕事では足りない。できるなら、国境なんて軽く飛び越えて、色んなところで爆発したい。やらないといけない。そして、その拠点が熊本になることに僕はとても興奮している。もちろん、東京のモバイルハウスも重要な拠点になってくる。バンクーバーももちろん。ようやく裏面のRPGが始まったような感覚である。もっと大きく物を考えろ、そしてもっと細部に目を向けろ。
 リラックスして、でも感情はフリーにして、喜怒哀楽そのまま出して良いじゃない。無知であることを知り、人にどんどん聞いていこう。
 エネルギー問題にももっとぐっと取り組めるような確信があった。日本で一番自家発電している熊本はエネルギー的に言えば、かなり先進国なはずである。何と言っても、阿蘇山、元世界一の火山がある。マグマ。
 僕のマグマが蠢いている。で、ポール・ウォンがダンスしながら笑って寄ってくる。昨日、最後の最後、ポールがやっぱりもう一度会いたくてと、夜、車で迎えに来てくれたシーンを思い出し、僕は泣いてます。

0円ハウス -Kyohei Sakaguchi-