零塾

第2章 2011

 2011年1月1日。鶴岡八幡宮へフーアオとフー母と4人で初詣。おみくじはここ二年大吉だったのに、今年は「凶」であった。驕らず邁進せよということだと思い込み、縛ってくる。その後、蕎麦屋で蕎麦とカツ丼を食べる。
 2010年1月2日。一日中実家でDVDを観る。
 2010年1月3日。アオと二人でアンパンマンミュージアムへ。その後、フーとタンゴと会い、ランチを食べ、ドーナツを食べる。その後もDVD鑑賞。「グリーン・ゾーン」「96時間」「マダガスカル2」「魔法のボタン」「インビクタス」「ダークナイト」「市民ケーン」「善き人のためのソナタ」「エヴァンゲリオン破」「ゲット・スマート」「海角7号」など。とにかく今は映画が観たいらしい。というか映画を撮りたいらしい。原作者ではモノ足らないらしい。

 2010年1月4日。アオと遊ぶだけ遊んで、夕方外出。国立に戻ってくる。その後、ギターを弾いて今年作る予定のアルバムの練習をする。夜、外出。終電で築地市場へ。今年刊行される築地についての本のための取材。昔働いていた「遠徳」という場内果物仲卸に出戻りのような形でちゃんと戻り、昔働いていた同僚たちと再び一緒に働く。なんだか、変な感じである。引っ越しした後に、元いた小学校で授業を受けているような気分。結局、取材といいながら、ほとんど労働をしていた。年明けで忙しく「おい、恭平、オレンジ2ケース賞味しといて」などと言われ、新人バイトのように働く。結局取材らしい取材はできず。でも、まあいいか。この話をそのまま書こう。

 2010年1月5日。前日一睡もせずに、そのまま朝10時まで築地で働いていた。電車で眠りながら家に帰ってくる。今日は青山のユトレヒトという本屋で僕も参加している本の完成記念パーティー。主宰者のナンペイから電話があり「展示する作品を持ってきてくれ、そして、歌を歌ってくれ」と言われたので、ギターと作品を持って、青山へ。
 スペクテイターとエココロのデザイナーである峯ちゃんとしょうちゃん。いつも僕に自分が作った服をくれるファッションデザイナーのシミちゃん。昔一緒にバンドやっていて、今はデコレーションで活躍している芸術家ダミ。スペクテイターの担当編集ケイちゃん。昔、ロンドンのとんでもないアパートに住んでいて、そこに居候させてもらった向井ちゃん。などに会う。もちろん歌う。MINTの「生理的に大好きPART3」とフィッシュマンズの「いかれたbaby」といつもの「TRAIN TRAIN」を歌う。その後、御供秀彦さんという詩人の方とセッション。御供さんとは初対面。御供さんは昔、一番ぶっ飛んでいた時のホットドッグプレスの編集者であり、今はそれをやめ、詩を書き続けているというありえない男。僕のギターと愛称がよくてびびった。楽しい会であった。
 その後、峯ちゃんとしょうちゃんとシミちゃんと四人でタクシーに乗って「なるきよ」へ行き新年会。福岡出身の店長がやっている居酒屋。峯ちゃんご推薦の店。おせちをちょっと食べて、いきなりマグロのカマの炭火焼。美味。刺身盛り合わせ。大アスパラガス。特製チャンポンなどを食らう。美味い。雰囲気も良かった。尾道の店や熊本の店を思い出した。写真家の梅ちゃんも通っている模様。また行きたい。
 男四人で熱く語り合う。というか、また僕だけ喋っていたのかもしれない。先日、イメージFのウェブサイトで掲載されたインタビューをしてくれたライターの人とも偶然会う。
 その後、峯ちゃんと二人でタクシーで恵比寿へ。磯部涼を呼び出して、中国茶房8へ。小さな新年会。もう、僕は前日の築地からずっと起きていて頭がおかしくなっていたのだけれど、磯部涼と何やら語りあっていたのを憶えている。磯部涼は新年もどんどん房に突っ込んでくる。僕の粗を見つけては、徹底的に攻撃してくる。で、僕はたまに反論できずに止まってしまう。ま、しかし、最良のスパーリング相手を見つけたと思っている。おかげで自分の粗が見えるのだ。矛盾も。
 朝4時半まで飲んで、今年は禁欲し、抑制し、ぶっとばすと新年の抱負を述べ、家に帰ってくる。

 2011年1月6日(木)。朝帰ってきて、少し寝る。その後、大掃除できていなかったので、仕事場の掃除。本が大変なことになってきたので、本当に必要な本以外全て処分することに。ダンボール4箱分。横尾忠則全集もバサラブックスのセキネにあげることにした。全部バサラブックスへ売ることに。掲載された雑誌などの処理もどうにかしないといかん。溜まるばかり。雑誌切り抜き担当のフーが完全にサボっている。仕事場の整理は一日で終わらず、後日に回すことに。
 その後、零塾。面接を終えた塾生の人たちから第1回目の課題が返ってきている。返ってきたレポートを元に、次の課題について考える。まずはカブヤマくんに電話をする。彼は映画音楽を作りたい人で、黛敏郎の音楽に惹かれている。ということで、彼の方法論を調べてもらい、さらに、黛が影響を受けていた服部良一のことも調べてもらった。ということで、僕が今一番気になる日本人笠置シヅ子のことも当然、調べてもらった。笠置シヅ子は最近評伝が出たので、それも読んでもらった。レポートによると、やはり黛のことを調べていたら服部良一のことを知らなければ先に進めそうにないとのこと。ということで、服部良一のことを引き続き調べてもらうことに。
 カブヤマくんがやりたい音楽は、オーケストレーションが必要になってくる。その勉強を、今さら彼は学校には簡単にいけないので(彼はサラリーマンである)どうにかして独学で学ばないといけない。ということは、JUDEE SILLだねこりゃ。言うの忘れてたけど、彼女の音楽もいいですよ、カブヤマくん。そして、一曲だけでいいからちゃんとオーケストレーションして、ビックバンドを使って音楽を作ってみようということを決めた。で、ここで誰に聴かせたいかというと出てこない。ということで、日本人の若手の映画監督で一番気になる人を見つけてほしいと思ったので、今度は映画をとことん観て、その一人の映画監督を探してくるように依頼する。
 その後、インドに行きたいと言っていた成瀬くんと電話。インドのどこに惹かれたのかと言うと、BOPビジネスだった。ボトム・オブ・ピラミッド。つまり、貧困状態の人でも起業できるようにお金が借りれるシステムのこと。インドとバングラデシュがやはり盛んであるらしい。NHKの「インドの衝撃」という番組を観て、彼は衝撃を受けたそうだ。だが、調べても日本語の記事がほとんどないらしく、大宅壮一文庫にも行ったが見つからなかったそうだ。JETROにも相談したが、彼らも情報を持っていなかったとのこと。これは逆に考えるとチャンスである。つまり、誰も調べていないことだからである。そのことに成瀬君自身も気付いている。だからこそ、インドに行ってみて、実際の状況をフィールドワークしたいと思っているようだ。NHKといえば、今、僕の取材をしているのがNHK本社の人なので、その井上さんにインドの衝撃のディレクターを紹介してもらうように依頼。あと、僕が知っているインドで起業している日本人二人を紹介することに。後、僕が一番信頼しているインド人である財団を運営しているラジャというインド人も紹介したい。このように、僕の現在ある人脈をフルに塾生に公開していく。そのことでまた新しい化学反応が起きるはず。こんなのは出し惜しみしていても仕方がない。どんどん解放していこう。
 仕事がなく困っていた武藤くんは、僕が伝えた三つの決まりを守って探したところ、面接の10日後に無事に見つかったようだ。自信を持った声になっていたので安心。しかし、この「THREE」の法則はやっぱり効果があるな。ちょっと危険なところももちろんあるが。で、無事に仕事が見つかった武藤くんは、自分が目指しているボクシングに関わるという本来の目的の方へ動き出していた。ボクシングの放送されないような無名な試合を、UTSTREAMで流す番組を作りたいとのこと。なんか、一つ実現するとやはり人間は変わる。前回の面接とは打って変わり、かなり積極的な思考をしていて楽しみである。企画書を一ヶ月後に作ってもらうように依頼。
 演劇をやっている岡部くんは、助成金の応募を始めたとのこと。従軍慰安婦のことを調べようとしている角田さんは、独自にフィールドワークや講演を聴きに行き、人に会い始めている。パオを京都に建てたい河本さんも色々と動き出している模様。みんなすごいなと思う。あと、僕は彼らの解像度を高めていくだけだ。
 明日からは奈良・大阪・京都旅行。8日には奈良県立図書情報館にて「自分の仕事を考える3日間」に参加する。300名ってのは初めてである。まあ、でも気楽にやろう。J-WAVEのディレクターの方と打ち合わせ。1月23日24:00からJ-WAVEで放送されるV6岡田准一さんとの対談の合間にS.L.A.C.Kが流されることになり、無事に提案が通って安心する。ということで、PUMPEEに電話する。僕が作ろうとしているアルバムについても話をする。ぜひぜひ、聴いてみて下さい。

アオの最新作「シンデレラ城」。確実に技術が向上している笑。

 2011年1月7日(金)。午前10時に外出。フーアオ連れて奈良へ。新幹線に乗って。奈良駅に到着し、日航ホテル奈良にチェックイン。その後、外出。奈良散策。まずはタクシーで「くるみの木」へ。工場を改築したようなかわいい建物が建ち並び、そこに器屋、喫茶店、服屋が入っている。気持ちの良い空間。0円ハウス研究家でありながら、ありえないことにオリーブッ子の僕は大喜び。妹にお土産を購入し、喫茶店でコーヒーと南瓜のチーズケーキを食べる。これが無茶苦茶美味で、家族三人で奪い合う。奈良も楽しいな。
 その後、「くるみの木」の向いにあるパン屋「こはく」へ行く。男の人が一人でやっている小さなパン屋。クロワッサンとアンパンとこはくパンを購入し、今度は奈良町へ。古い建物が立ち並ぶなか、色んなお店が出来ている。ここも楽しい空間であった。粟という料理屋も美味しそうだったが高かったので入らず。カナカナという町家を改装したカフェも覗く。パルコという「くるみの木」の店員の女の子に教えてもらったお好み焼き屋へ行きたかったが休みだったので、明石焼が美味しいと噂の「おかる」へ。が、明石焼は売り切れていて残念であったが、ここのお好み焼きは無茶苦茶ふっくらで美味であった。食後は「PINOCCHIO」という60年代からやっている喫茶店でコーヒーとクレームブリュレ。帰ってきて、アオと「千と千尋の神隠し」をテレビで観る。明日は講演会。長い一日になる。

くるみの木。気持ちよかった。

パン屋「こはく」。

「おこる」のお好み焼きと焼きそば。

 2011年1月8日(土)。朝起きて、ホテルで朝食をとり、タクシーで奈良県立図書情報館へ。西村佳哲さんが主宰する「自分の仕事を考える3日間」に参加する。僕の講演は二番目。まずはトップバッターであるホールアース自然学校の広瀬さんの話を聴く。ヤギはとても飼いやすい動物らしい。自分の住んでいる国立周辺で土地を借りてヤギと鶏を飼ってみたらいいんじゃないか、などと空想する。広瀬さんはまさに野生児自然児である。屠殺もやる、自給自足もやる、箸も作る、洞窟探検、村を作る。痛快であった。
 会場には300名以上の人が集まっているとのこと。これはすごいことだ。しかも、みんなかなり真剣に聴いている。今日は朝9時から夜7時まである。なんと10時間。そんなに長い時間人の話なんか聴けるのかと思ったが、意外にもみんな付いてきている。
 僕は午後1時半から二時間半話した。かなり手応えはあった。最後はカントの「啓蒙とは何か」の冒頭を読んだ。電車の中でたまたま読んでいて、今回の講演会に合っている言葉だと思ったからだ。講演は盛況であった。
 講演後、喫煙所で煙草を吸っていたら、今回の催しの担当者である図書情報館の乾さんが来て、一緒に煙草を吸う。すると、乾さんが開口一番、
「私の卒論はカントだったんですよ」  と言い、そこからカントについて色々と教えてくれた。乾さんは事務担当で年輩で静かな方で真面目な方だと思っていたので、僕はびっくりした。そして、カントの「人間学」という本を読んで欲しいと言われた。こういう風に最近、僕の周りではたくさんの人が自分の知っていることを僕に伝えようとしてくれることが多い。そして、僕はなんだか哲学のようなことをやっているらしいということに気付いてきた。といってもほとんど自覚はないのだが。周りの人からの言葉に耳を傾けているとそういう感じがするのである。
 その後、川口有美子さんの話を聴く。川口さんはお母さんが重度のALSという全ての筋肉の活動が停止してしまう病気にかかってしまい、介護をすることになり、介護についての研究、運動を始めた方である。杉田俊介さんと対談した時も感じたことだが、障害者の問題と路上生活者の問題には、いくつか共通点があり、そんなこともあり、かなり共感する。
 ということで10時間経って、講演会は終了。終了後もたくさんの人から質問を受け、それに答え続ける。
 その後、ホールアース自然学校創立者の広瀬敏通さん、「逝かない身体」著者の川口有美子さん、サウンドアーティストの鈴木昭男さん、随筆家の山本ふみこさん、働き方研究家の西村佳哲さん、弘文堂編集者の加藤さん、図書情報館の乾さんなどと「くるみの木ー秋篠の森」へ行きディナーの招待を受ける。ここ、無茶苦茶気持ち良いです。もしも奈良へ寄った際にはぜひ行った方がいい。コース料理を食べたのだが、これがまた美味しかった。

 黄カリフラワーのすり流し 飯麩添え
 海老芋の揚げ団子 酒粕あんかけ
 蟹と旬野菜の土佐酢ジュレ
 数の子と菜の花の葛うどんパスタ カルボナーラ仕立て
 大和牛のロースト おろしポン酢添え
 生姜の自家製シャーベット
 御飯 お味噌汁 香の物
 頃豆のゼリー 柚子皮の密煮添え

 食事を堪能し、川口有美子さんと激論を交わし、とても仲良くなり、一緒に仕事をしましょうと盛り上がり、その後、タクシーで駅まで帰ってきて、電車で美帆が住んでいる大阪の茨木まで。

たくさんの人が来てくれた。ありがとう。

くるみの木ー秋篠の森。建築家中村好文さんがリノベーションしたとのこと。

 2011年1月9日(日)。まだ大阪にいる。お昼過ぎに外出。フーアオと美帆の家族4人と車に乗って京都へ。
 須川さんがやっている私設公民館Social Kitchenへ行き、ランチを食べる。豚丼、オムライス、ひよこ豆のサンドウィッチなど。その後、宝泉へ行ってわらび餅を食べたかったが混雑していたので、一乗寺へ。「こせちゃ」という美味しいパン屋へ行くも売り切れ、東風というパン屋へ行くも正月休み。けいぶんしゃにて、エルマーのぼうけんすごろくを購入。一乗寺中谷で羊羹とわらび餅を購入。その後、すがもち食堂という御飯屋へ行く。ここの食事がうまかった。で、猪肉のカレーとかあるからおかしいなあと思っていたら、やはりここのお肉はあの「僕は漁師になった」の千松さんが仕留めた猪や鹿が出されているとのこと。僕は全然違うものを注文してしまったのだが。今日は一日中京都三昧。

 2011年1月10日(月)。今日は大阪で遊ぶことに。まずTRUCK FURNITUREへ。以前行ったことがあったが、店が移転したらしい。家具は高いが、やはり今でもクオリティは高い。大衆化しているのに、ちゃんと保っているのでよい感じである。と言っても、フーたちは店を散策していたが、僕はアオとノノカと三人で公園係。ほとんど見れず。
 腹が減ったので「狸狸亭」という焼きそばが美味い店でランチ。ここの油かす焼きそばは美味です。お好み焼きはまあまあ。ここに来たらやはり焼きそばを注文しましょう。その後、FLAMEという照明デザイナーがやっている店。その後、カフェでお茶をして、4日間の旅行は終了。美帆一家と別れて新幹線で東京へ。充実した良い旅だった。

 2011年1月11日(火)。午前中外出。品川駅へ。改札にて、オランダはユトレヒトから来日中の韓国人ビナ・チョイちゃんと初めて会う。彼女がCASCOというアートセンターのディレクター。4月から2~3週間リサーチに行くことになっている。多摩川文明を案内することに。まずは大ちゃんに会って、いくつか拾ったものをお土産としてもらっていた。
 その後、ニフティの清水さんとライターの石原たきびさんと会い、みんなでロビンソン・クルーソーのところへ。ビナを案内しつつ、ニフティのウェブサイトでのインタビューを石原さんから受ける。モバイルハウスについて。
 終わって、今度は新宿へ。ロッテリアで食べながら、河出書房の原稿。10枚書いて、隣の椿屋珈琲店へ。河出書房の坂上さんと待ち合わせし、打ち合わせ。5月に文庫化される予定の「TOKYO0円ハウス0円生活」に掲載されたドローイングを渡す。印税の打ち合わせ。その後、書き下ろし単行本の打ち合わせ。苺のタルトを食べながら、話し合う。
 家に帰ってきて、部屋の掃除を完了させ、気持ちよく。ようやく新年がスタートできそうだ。今月も仕事がたまっていく。熊本日日新聞での新連載半生記「建てない建築家」、築地市場のムック本のためのドローイング&原稿、新雑誌「Robinson」の目次制作、立体読書のドローイング、路上力、すばる連載「モバイルハウスのつくりかた」。そろそろやらんとやばいな、これは。零塾の申し込みがさらに来る。
 塾生の角田さんと電話で話をする。少し散漫になっている印象を受けたので、とりあえずやることに焦点を合わせ、間口を狭く深く追求してもらうように提案する。そろそろみんな一ヶ月経ったので徐々に反応が来ている。一月は新規の面接も多い。しかし、みんな話をすると納得し、そして素直にがんばっているので、零塾はまずは順調なスタートを切ったといっていいのではないだろうか。

10

 2011年1月12日(水)。奈良でのトークショーに来てくれていた女性が入塾希望のメール。返信すると、さっそく電話がかかってきた。どうやらかなり急ぎの案件があるとのこと。彼女は中学校の教師をしている。学級崩壊が進んでいる中学校のようで、そのことをどのように解決してばいいかと自分で考え、手を打とうとしているものの、なかなか学校内で新しいことをやろうとすると、そのことに反対運動も起きてしまうので困っているとのこと。とにかく、新しいことやる前に、まずは先生同志の話し合いの場を作った方がいいのではないかと思い、そこから手を打ってみようと提案してみた。
 ようやく仕事を取り掛かれそうな状態になってきたので、今日は一日家で作業。河出書房の書き下ろし原稿10枚書いて、昨日の10枚分と合わせて送信。なかなか方向性が定まらないのだが、また光が見えてきたので進めてみる。ちょっと今までと違うことをやろうとしているので当然だが大変だ。しかし、こちらへ行くべきだとも思っている。どうなるか、しかし、春前には完成させなければ。
 またさらに入塾希望のメールが続いている。ちょっと今何人なのか自分でもよく分からなくなってきたので、一度まとめないといけない。早稲田大学の卒業10周年記念パーティーでの講演についての詳細が送られてくる。就職活動もしたことがないタダのプータローと呼ばれていた人間が講演するのである。それはそれで感慨深い。しかし、僕も卒業当時の自分のことを少し忘れている時があるので気を付けないといけない。今、零塾で出会っている人たちはそのくらいの年齢であることも多く、彼らに僕は要求しすぎているのかもしれない。伸びしろのことを考えてあげないと。
 はっきり言って、卒業したばかりの僕は本物の馬鹿だった。借金しかなかったし、家賃は滞納していたし、保険料も払ったことがなかったし、年金なんてもちろん払えなかった。奨学金も返済できなかったし、電気も止まっていたし、独立して本を出すことは勝手に決めていたが、将来の展望は全くなかった。お先真っ暗であった。それにしては、希望に満ち溢れてはいたが。根拠のある自信を持っていたはずであるが、それが社会で認められるかに関しては全く自信がなかった。今、その頃の状況を考えると正直、冷や汗が出る。しかし、あのときに行動していなかったら、今はない。んー、やっぱなんとかならんかなと思う。この教育期から仕事期への移行のバランスが。その二つの間にかかっている橋があまりにも古い手作りでゆらゆら揺れる吊り橋なのである。下を見ると、橋桁の隙間から下を流れる濁流が見えちゃっている。これじゃ、人は恐すぎてすぐに就職しちゃうよなあ。もう少し、こっちのほうが断然楽だよ。ちゃんと自分の頭で考える生活をやったほうがリラックスできるよと伝えないと。もちろん、それを実行するには移行期に色んな教育を受けられることが重要なんだけど。それが僕一人で零塾やっていても受講できる人間は限られているし、根本的な変革にはなり得ない。それは分かっている。しかし、なんとかしないといけないというのも分かっている。うーん。まだまだ零塾は暗中模索でございます。
 来月、香川大学で行われる零塾出張四国篇の詳細が決定したようだ。2月26日(土)の午後1時から午後7時まで。会場はselect books「なタ書」というところ。参加費はもちろん無料です。京都出張の時は自費捻出しましたが、今回は香川大学の企画で参加させてもらうので、交通費、宿泊費、さらにギャラまで発生してます。なんとなく不思議なことになってきている零塾です。理解者が増えるのはとてもありがたいこと。全国各地へ行きますのでもしも興味がある方はご一報ください。熊本市現代美術館から正式に作品を購入しますとの連絡。これまた零塾運営資金とさせてもらいます。感謝。この僕が働いていることと、貨幣を分断させることには大きな可能性を感じている。こちらは、今書いている河出書房の書き下ろし本でうまく伝えようと思っていること。がんばらんと。
 塾生の成瀬くんからインド関係で調べたことのメールが再び送られてくる。こちらをNHKの井上さんに渡してみようと思っている。

11

 2011年1月13日(木)。朝から調査。吉祥寺の駐車所の件について。集英社すばる連載の「モバイルハウスのつくりかた」のための。その後、午後1時に吉祥寺駅で集英社の飛鳥さんと待ち合わせ。吉祥寺内の駐車場をもう一度ちゃんと探しまわることに。今回は井の頭公園沿いを歩いてみる。やっぱり、都市をインフラとして最大限に活用するには公園は必要で、それだったら井の頭公園こそ使い倒さないと勿体ないと思い。で、歩きながら探していると結構いい駐車場がある。まず一時間半ほど歩いてフィールドワーク。ランチを食べて、一件ずつ当たってみる。その中で一件、ありえない物件と出会った。駐車場なのに鶏が放し飼いされている。当たり!と思った。しかし、問題もあった。管理人のおじさんに尋ねてみると、かなり脈ありの様子。果たしてどうなるか?引き続き、すばるでの連載を楽しみにしてください。
 その後、立川の都立多摩図書館へ。新雑誌「robinson」のためのリサーチ。植草甚一責任編集の「ワンダーランド」を読んだり、目次チェックしたりする。その他にも「都市住宅」「遊」「ブルータス」「宝島」「ぴあ」などの創刊号を全部チェックしてみる。いやいやこの図書館素晴らしい。雑誌が全部読める。勉強になった。そろそろ自分の雑誌も目次を作らんといけない。川治くんと連絡し、来週、本格的に打ち合わせを始めることに。
 コヨーテの佐々木さんと電話で話す。まだ言ってなかったかもしれないが、「ハロー!ワークス」と「0泊3日の旅」の二つを連載していたコヨーテですが、休刊しちゃったのです。ハロー!ワークスは自分でも楽しみにしていた連載なので、無くなってしまうのはとても悲しかったのだが、朗報が入ってきた。ゾンビです。詳細は後日お伝えします。
 東京在住のフランス人キュレーターの方から、展覧会に参加しないかとの依頼。5月にロサンゼルスで開催されるそうだ。僕はまだアメリカでは展示をしたことがないので興味がある。条件が合えばぜひ参加してみたい。しかし、結構予定が詰まってきている。3月映画の撮影。4月ユトレヒトにてリサーチ。5月もしかしたらロサンゼルスでの展示。6月千代田区にある3331での個展&pass the batonでの展示(予定)。今年は海外イヤーなのかも。昨年はずっと日本で活動していたので、ちょうどよい。
 またまた入塾希望のメール。DOMMUNEの宇川さんと連絡。今月そろそろ行きましょうかーということに。お楽しみに。

12

 2011年1月14日(金)。朝起きて、原稿。河出書房書き下ろし。10枚書いて送信。坂上ちゃんから、良いとの連絡。ほっとする。なかなか終わりませんが、何か新しい息吹を感ずるので、やるしかない。その後、DOMMUNEの宇川さんと電話で話す。1月20日に「都市型狩猟採集生活」第5回目をやることになった。今回のゲストは同年代の建築家、藤村龍至さんです。これまた1月20日に発売される予定のエココロでの対談が面白くて、もっと話してみたいと思ったので誘ってみたら、快諾してくれたので実現した。しかも、その後のDJは瀧見憲司さん。これはすごいことになりそうです。ぜひお楽しみに。きっと楽しい夜になるはず。
 その後、外出し、国立駅前で塾生のあやかちゃんと待ち合わせ。19歳の女の子。ある展覧会で初めて会い、何度かトークショーに来てくれて、零塾まで参加したいとメールを受け取り、面接をすることに。しかし、あやかちゃんはもう既に、アーティストとしての活動を始めており、特に僕が何かを教えることもないように思われたが、自立、独立して、活動をやっていきたいとのことで、ならば、作品は売ったことあるの?と聞き、無いと答えるので、じゃあ作品を売ることを経験してみたら、しかもギャラリーに属さずに、自分でマネジメントして、コレクターを探して、やってみるのはどうですか?と提案する。それでいこうということになった。
 その後、吉祥寺へ。フリー編集者の井手くんと待ち合わせして、喫茶店にて築地本についての打ち合わせ。大きめのスケッチ見開き一枚。あとカット数点と原稿を書くことを決めた。その後、零塾などの話やら、大瀧詠一さんの話やら、釈迦の話やら、などに話が膨らむ。楽しい時間。
 帰ってくると、また零塾の希望者からのメール。最近、ずっと毎日一人増えている。今回の入塾希望者は、ちょっと心配になりそうなメールであったので、すぐに電話して、状況を尋ねた。大丈夫なようでほっとする。しかも、やろうとしていることがとても面白そうなので、楽しみである。しかも、最近来ているメールは、東京ではなく、地方の人が多い。東京まで面接に来ると言ってくれる人ばかりだ。いやいやこれは大変なことになっている。こちらもちゃんと責任もってやらないといけない。しかし、そろそろ締め切ったほうがいいのだろうか。まだよく分かっていない。ということで引き続き応募してみることに。
 京都にゲルを建てたいという河本さんからメール。建てる候補地は見つかったようだ。まずは場所。それさえ見つかれば、なんとかなると思っているが、インフラなどどうするのかはまだ未定。これは僕がやろうとしているモバイルハウス計画ともシンクロすると思うので、どうにか実現させていきたい。楽しみな企画の一つである。しかし、こうやって、色んな人に会い続けているが、とにかく本当に十人十色でびびっている。ちょっと実は世の中って、すごい人間しかいないんじゃないかと思っている。それぐらい固有性しかない。それは零塾に来る人だけが突起しているということなのだろうか。僕は違うのではないかと思っている。だって、会う人会う人、そうなのだから。だから、実はやりたいことなんて、みんなそれぞれ必ずあり、しかも、それは誰も真似でもない、固有性を持ったことばかりであるはずだ。これが事実なら、僕が目指している社会も実現可能なのではないかと希望をもったりしている。

13

 2011年1月15日(土)。朝から外出。多摩川へ。今日は集英社すばる連載「モバイルハウスのつくりかた」のためのモバイルハウス作り。大詰め。で、それをNHKが取材に入る。本田さんもドキュメンタリー映画のための撮影。なんだか、文芸誌の連載の企画なのだが、えらいことになってきている。明日もインタビューのための取材が入る予定。こうやって、色んな人が一つの連載記事のために絡んでくるのは、とても興味深く、それはまさに僕がやりたいことである。
 今日はベッドを作る。折りたたみ式がいいなあとぼそっとロビンソンに言ったら、それをやりましょう、ということになった。本当に夢を叶えるおじさんである。ロビンソンは。というわけで、折りたたみ方を教わりながら、作っていく。午後3時までかけてベッド完成。もうモバイルハウス自体も完成間近である。あとドアを付ければ建物的には完成で、その後、電気系統の整備をして、本棚でも作って、外壁を白くペンキで濡れば、もう終わりである。しかも、吉祥寺、しかも井の頭公園横に停めても良いと言ってくれる駐車場を見つけたので、これはひょっとするとひょっとする。誰もそんなの可能だと信じていなかったが、ひょっとするのである。実現したらやばいことになるよ。興奮する。
 その後、新宿へ行きビックカメラで電気系統をチェックする。ソーラーパネルを使って自家発電して、12Vバッテリー2~3台に蓄電し、そこから電灯を一つ灯す。そして、シガーライターのソケットを使って、iPhoneの充電をする。iPhoneで原稿を書いてもいいんだけど、いっそのことiPadを買おうかと思案している。それだと、12Vで充電できる。iPadはシガーライターの充電器も周辺機器として普通に販売されている。Macbookはそれが無い。なので、iPadで3Gを契約すれば、12Vで充電もできるし、しかもインターネットもできるし、もちろん原稿も書ける。これで電気のインフラは完璧になる。ソーラーでできるのだ。井の頭公園のすぐ横なので、水道、便所は完備。暖房は七輪を使って豆炭でやろうということになった。風呂は銭湯。あとはなんだ冷蔵庫か?冷蔵庫も使おうと思えば車用のが売ってある。そんなこと考えていたら、100Vの電源がなぜ必要なのかすら分からなくなってきた。12Vでいいんです。しかも、それだとソーラーパネルで自家発電できる。カネかからないじゃない。盛り上がり、帰宅。
 零塾の茶谷くんと電話。彼はファッションデザイナーになりたいとのことで相談にのっている。ギャルソンに一番影響を受けているというので、ギャルソンの方法論を学んでいこうとしている。まず僕はギャルソンが発注している生地屋をとにかく調べてとお願いした。それに加え、日本中の生地屋で興味深いところも調査してほしいとお願いする。何かを作ろうとする時に一番大事なものが発注先にオリジナリティを注ぎ込むということだ。
 僕の師匠である、石山修武氏は、とにかくそれにこだわった。ただのカタログを見て発注するのではなく、ありえない人にありえないことを注文する。それを表現にするのである。彼の自邸である世田谷村は、通常のゼネコンなんてこれっぽっちも入っていない。温室会社に発注し、温室のガラス壁を作ってもらい、構造は気仙沼で造船業をしている会社に注文している。部屋のドアは、僕も一部設計に携わっているが、全てアルミ板から切り落として作っている。韓国の換気扇を発注し、そこに発電システムを絡ませ発電しようとしていた。ソーラーパネルは使わず、パネルが高いということを突き止め、ソーラーのシリコンだけを発注し、それを窓に貼付けた。全てが成功しているとは言えないが、どれも通常では発注されない方法で設計しているのである。世田谷村の独自性はまさにこれなのである。発注の方法を変えた。というか、それだけでオリジナリティが追求できるのだというメッセージなのである。ということで、茶谷くんもこういうのを追求していくと、川久保さんみたいに、一切デザイン画を描かないで発注だけでデザインするという方法論が可能になる。まあ、それを真似しても仕方がないので、独自の方法論を身につける必要はあるんだけど。がんばれ。
 奈良のフォーラムから本が送られてくる。何の本かと思ったら、来てくれた人からのトークの感想をまとめたものだった。こんなものを作ってくれるなんて、ちょっと感動した。感謝です。とても好意的な感想に喜ぶ。その後、BBCセッションのジョン・ピールについて調べる。そこで見つけた現代のアーサーラッセル。James Blake。こういう音楽を僕もやりたい。やられたなあと思う。そんなこと考えながら、岡村靖幸の「真夜中のサイクリング」を聴く。これもやばい。歌詞がスゴい。ギターで弾けるように練習する。一番新しい息子「ゼロから始める都市型狩猟採集生活」がどうやら日本を飛び出し、活動するかもしれないとの連絡が梅山くんより入る。いいよ、いいよ、どんどんやってくれ。ここ最近は、自分が作り出したものたちが、それぞれ独立して、自分から離れて、活発に動こうとしているようなイメージを持ちながら、活動している。そうなってくると、ありえないことが起こる。
 僕は、同時にあらゆることを行うワンマンバンドのような活動をしたいと思っていた。しかし、大学卒業したばかりの僕にはそんなことができるわけがない。ということで、まずはその片鱗を感じてもらうために、かなり間口を狭くして発表せざるを得なかった。それが「0円ハウス」である。22歳に卒業して、出版が可能になったのは26歳。その片鱗だけを表現するのにも4年間もかかってしまった。しかし、そのときに描いていたメモには1「僕が組み合わせた二人の対談映像集をつくる」2「雑誌を作る」3「音楽アルバムを作る」4「小説を書く」5「映画を撮る」6「九龍城のようなホテルを作り出す」7「絵を描いて海外の美術館で展覧会をする」8「私設の大学をつくる」という当時では妄想としか思えないようなことが記されていた。0円ハウスだけで終わってはいけない。そこから無限大に引き延ばされる宇宙のように、無尽蔵に活動を広げないといけないと強迫観念のごとく思い込んでいた。
 しかし、そのような無名の人間の死にものぐるいの妄想は恐ろしいもんである。1は昨年DOMMUNE、UNIVERSITYをいう二つのトークライブを実行した。2はRobinsonという雑誌として今年産声をあげる予定である。3も今年日本語ラップのカバーアルバムを作るということをまだ妄想ではあるが決定した。4は隅田川のエジソンになっている。5は今年TOKYO0円ハウス0円生活の映画がクランクインする。7も実現している。8は昨年末「零塾」を開いた。あれを書いていたのが、22歳の時だからやはりちょうど十年かかった。そんなものなのだろう。だから、十年後やることはいつも書くようにしている。
 となるとあと6ができていない。九龍城砦のようなホテル。できるかな。そして、最近では、政治哲学へとぐんぐん興味を持ち始めている。これは全く予想していなかったことだが、15歳の時に、ある予知能力のあるおばちゃんに言われてた。21歳の時に、恵比寿に昔あった古道具屋「宝の山」のやばすぎる店長が実は占い師もやっていたのだが、お前の眉毛は完璧に政治家だと断定されていたので、念頭になかったとも言えない。
 分身の術という技が昔から好きで、この分身というイメージはずっと持っている。僕は0円ハウスの人かもしれないが、その前には南方熊楠がいて、今和次郎と吉阪隆正がいて、マルセルデュシャンがいて、アーサーラッセルもいる。バックミンスターフラーがいて、つげ義春がいて、アーキグラムがいて、毛綱モン太もいる。ソローからケルアックからスチュアートブランドの流れもあるし、宮本常一、宮武外骨、赤瀬川原平からネオダダがある。23skidoやSlitsも忘れ難いし、ヒミズとシガテラはいつも読みたい、栗本慎一郎の都市論と江戸川乱歩と佐藤春夫萩原朔太郎と一緒に街を歩き、芥川龍之介のトロッコにはいつも心を奪われる。ディックとアボットのフラットランドとウスペンスキーの四次元世界からレイヤーというアイデアを頂き、千利休とフェラクティとデビットバーンのルアカバップレーベルからシャギーオーティスを繋げては興奮しつつ、やっぱり結局カンのフューチャーデイズを聴く。ボブ・デュランとジャリとカフカとレーモンルーセルの共通点を探して、エルマーに乗って旅に出る。とか、そんなわけのわからん、しかし、じぶんとしてはしっかりと道になっている道を未知のままに、みちびかれるように歩いているつもり。
 というような感じで、自分の仕事にも適用していく。0円ハウスがある。軸にはフィールドワークがある。それで執筆とスケッチがある。執筆によって本を五冊書いてきた。スケッチは、その後発展し、「立体読書」という近代文学空間を描く仕事や「Dig-ital」というドローイングの仕事に繋がっていった。それにより、展覧会もするようになった。展覧会は0円ハウスからも繋がってきている。美術というフィールドが接点となり、自分の絵と建築に対する思想が全く別のところから繋がる。それにより、コレクターに絵を売るという仕事も発生してきた。0円ハウスからの続編で彼らが作っている「みえない空間」に焦点を合わせると、そこから「一坪遺産」という本の主題が生まれ、同時に「四次元ガーデン」という庭のフィールドワークに繋がっている。庭を調査することで、路上生活者だけでなくフィールドワークの幅が広がっていった。0円ハウスから、建築的な思考も発展していったが「都市型狩猟採集生活」では都市のレイヤーという概念、「ハローワークス」では人にクローズアップしていった。学生時代の二つのビデオ作品「貯水タンクに棲む」と「移住ライダー」は、僕に初期衝動が映像作品だったことを思い出させる。昨年「多摩川文明」というう映画を撮り始めた。「TOKYO0円ハウス0円生活」が原作となり映画にもなる。今年は映画にどんどん焦点を合わせていくことになるだろう。さらに、0円ハウスから教わったことと、今の自分の仕事の仕方で思うところあって、しかも昔から大学を自分で作りたいという思いから、「零塾」を開く。さらに新雑誌「Robinson」、展覧会はただ作品を展示することから発展し、今では海外から呼ばれてリサーチをしながらインスタレーションをするようになってきている。昔から話すのが一番得意だったので、話す仕事も主流にさえなってきている。DOMMUNE、その他トークショー。しかも、それが訳分からず存在しているのではない。分裂しているのではない。それらが安定して、繋がり合っている。僕は、つまり、こういう状態が自分の脳味噌の状態なのだ、だから無茶苦茶のように見えていてもある種の秩序があるのだと思うようになった。

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 2011年1月16日(日)。今日も朝から外出。多摩川へ。集英社すばる「モバイルハウスのつくりかた」のためのモバイルハウス制作。もう終わりを迎えている。折りたたみ式のベッドは金具も取り付けてくれていた。ロビンソンも楽しんでくれているようだ。何よりである。今日は、ドア部分を作る。ベニヤ板に下地を打ち込み、蝶番を取り付けて、入口に嵌め込む。ドアはずれると大変なので慎重に。お昼にはドアが完成。
 これで、形としては無事に完成した。一日の作業時間は少しだったので結構時間がかかったが、丸三日分ぐらいの分量であった。つまり、家は2万6千円でできるし、丸三日でできる。それぐらい簡単なものである。それだけでも伝わればよいなあ。ニフティの清水さんとフリーライターの石原たきびさんも午後から来る。取材を受ける。ロビンソンとツーショットの写真を撮る。この後、白いペンキを塗り、電気系統の整備をしようと思ったが、今月の原稿はここまで行くことにしてので作業を終え、家に帰ってくる。
 家に帰り、雑誌「Robinson」の目次を作成する。明日打ち合わせの予定。夜、DOMMUNEで公式に第5回目の「都市型狩猟採集生活」の内容が発表された。藤村龍至さんは建築学科の学生たちのスターみたいになっているので、学生たちがたくさん来ちゃったりするのだろうか。その後の、瀧見さんもすごいので是非踊って帰ってくれればいいけどなあ。丸4ヶ月ぶりのDOMMUNE。歌っちゃおうかなあ。

モバイルハウス第1号完成。

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 2011年1月17日(月)。朝起きて、原稿。河出書房の書き下ろし本。調子良く、20枚書き送信。その後、外出し駅前でRobinson編集長と待ち合わせする。ロージナ茶房にて。目次についての作戦会議。特集の内容を決める。執筆陣についても再考。やりながら、これが実現したらかなり面白いことになるのではないかと興奮する。雑誌のプロではないので、難しいこともあるだろうが、独自の方向性は見せられるのではないか。二人でかなり熱中して話し合う。面白くなってきた。2月上旬頃には雑誌刊行を正式に決定させたいところ。その後、作業を始めたい。
 その後、フーアオと待ち合わせして、喫茶店「書簡集」へ行き、キリマンジャロとチーズケーキ。キースジャレットの82年のポスターを眺める。その後、たこ焼きを食べて帰宅。集英社すばる連載「モバイルハウスのつくりかた」第7回の原稿10枚。書き終わり送信。久々に30枚オーバー。
 イタリアのフランチェスカから雑誌のゲラが届く。イタリアの雑誌で0円ハウスについて紹介してくれるそうだ。ありがたい。J-WAVEから連絡があり、S.L.A.C.K.の情報を下さいとのこと。パンピーに電話して品番などを送る。零塾入塾希望からのメール。本当に毎日来る。ソトコトからインタビュー記事のゲラチェック。スペクテイター編集長の青野さんから立体読書今週中によろしくとのこと。がんばらねば。
 零塾生の武藤くんからメール。彼は4ヶ月ほど無職でしかも引き蘢りに近い状態で生活をしていたのだが、零塾に入り、自分の希望するところで働く場所を見つけた。しかし、それは生活を安定させるためのもので、武藤くんの真の目的は数年前に諦めざるを得なかったボクシングトレーナーに戻り、選手を育てることであった。先日話したところ、トレーナーでは誰かの下で働くということなので、そうではなく、自分なりにボクシングに関わる方法を模索しているとのこと。そうこなくっちゃ。で、今のところ考えているのが、USTREAMでメインイベント以外のボクシングの試合を放送するチャンネルを作るというもの。ボクシングに独自の形で関わり、広めるというのは面白い。
 で、その武藤くんから、2月に昔在籍していたボクシングジムの選手がタイトルマッチの試合をすることになったので、一緒に遊びに行きませんか。とのこと。快諾して、行ってみることに。少しずつ自信を持ち始めている姿を見て嬉しい限りである。初めての面接の時には正直どうなるのかと思っていた。やはりまずはちゃんと自分の生活を自力で立て直すという行為だけでも人間は自信をつける。もちろん、そこからもっと自由で責任ある社会的な人間として行動するには、自分なりの関わり方を模索しないといけないのだが、ちゃんと階段を登っている感じがする。
 幻冬舎の竹村さんからメール。「隅田川のエジソン」の文庫化について。こちらもTOKYO0円ハウス0円生活とともに盛り上げていきたい。映画とも絡めていく予定。

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 2011年1月18日(火)。朝から原稿。その後、ゆっくり過ごし外出。渋谷駅へ。磯部涼とモヤイ像前で待ち合わせして、二人で歩いて藤村龍至さんの設計事務所へ。20日のDOMMUNEの打ち合わせ。どういう方向性の話をするのか、それぞれの意見を交わす。藤村さんと話すのは二回目だが、全くやろうとしている方法論は違うはずなのだが、向かっていこうとしている方向性に似たものを感じるのかなんなのか分からんが、とにかく話していて面白い。DOMMUNEもとても楽しみだ。建築の世界で発言をしている人が少ないと僕は常々思っていたので、藤村さんはそんな僕の探していた人なのかもしれない。といいつつも、やろうとしていることには確固たるズレが生じているので、それもまた興味深いのだが。
 20日のDOMMUNEだけでなく、同じ20日に発売されるエココロでも長い対談が掲載されますので、もしも興味が有る方はぜひ。
 その後、磯部涼と二人で近くの居酒屋へ。銀行に行ったが、口座に500円しか残っていなかったので涼ちゃんにおごってもらう。二人でなんかまたえらく議論していたが、一体何の話しだったのかよく憶えていない。僕が責任編集しようとしている「Robinson」の目次を渡したが、色々と指摘、アイデアを貰った。そして、いつものように僕の仕事のやり方、考えているコンセプトについて、徹底的に批判される。まあ、これは普通の人間同士だったら喧嘩になっちゃうんだけど、僕としては磯部涼の意見は、自分の暴走を修正する客観的な自分と同一化しているところがあるので、いつも良い結果をもたらす。と僕は思っている。とはいいつつも、ただ彼は好きなことを思うままに喋っていて、別に僕のことを考えているわけではないということも考えられるのだが。
 まあ、なんにせよ、自分にとっては効果的なのでそれでよい。
 最後の方で、僕と磯部涼と二人で、色んな人たちと昨年は飲み続けてきたのだが、それこそが生々しいリアルな思考そのものなんじゃないかということになって、お前のサイトで色んな人と飲みにいってとにかく話すという雑誌を作ろう、と提案され、それもそうだな、それこそが一番リアルタイムの雑誌としてふさわしいのかもしれないと思ったので「新しいライフ」というタイトルの雑誌をスタートすることにした。議論を全て録音し、ポッドキャスト&文字起こしするだけの雑誌。僕たちの周りに蠢いている様々な人間たちが登場し、シーンができていく過程や、喧嘩をしていく過程、思想が変化していく過程などを実況中継していけたら面白い。まあ、どうなるかわからんけど、楽しみにしていてください。結局寝過ごす。午前1時ごろ帰宅。

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 2011年1月19日(水)。朝から、築地のスケッチをやろうとするも、全然進まない。最近、原稿については毎日常に思考しているので、書こうと思ったらすぐに書けるのだが、やはり絵は大変なのである。やろうと思ってからやはり数日はただ頭の中で絵を描くことをやらないと、実際に手が動かない。なので、今の無為の時間は無為ではないはずだと思うようにしている。締め切りが21日。大丈夫かな?遅らせようか?
 午後1時から国立駅で零塾面接。今日は34歳の会社員である池田さん。東京大学卒業し、NHKに入社、その後飲食業会へ転職と異色。
「日本酒を広めたい」  それが目的であるそうだ。いつかは独立して日本酒に関わる仕事をやってみたいと漠然とではあるが考えている。
 アイリッシュパブはあるが、日本酒を簡単に飲むことができる店はあまりない。そして、ワインショップのように、日本酒を楽しく選びながら買える場所が少ない。店をやりたいが、それ以上に日本酒をもとにした場所、コミュニティのようなものが形成されていくことに興味がある。
 僕はとても興味深く聞いていた。アイデアとして色々と頭に浮かんできたので、それを伝える。  まず、日本酒をやろうとしたら江戸の食文化や、店文化を調べてみるのはどうか。江戸時代は寿司だって安くて誰でも簡単に食べることのできるものだった。その時に日本酒も飲んでいたんだろう。その頃にあった店の形がどのようなものであるかを調べたら面白いのではないか。そんなものが現代の日本で再現されたら僕だったら行きたい。先日、JT関連会社の社長さんと会食をしたときに、今キセルがはやっているという話を聞いて、江戸の頃の文化がやはり今興味深いなあと思う。江戸の頃は、ただ経済のためだけに働くのではなく、粋という言葉にあるように、もう一つの価値観が存在していた。それは生活に対する感受性の解像度が高かったと言えるのではないか。店の雰囲気なんかもかっちょよかったのでないか。それを調べてみてはと提案。
 僕は江戸東京たてもの園が大好きなのだが、そこに角屋という明治時代の居酒屋の建物があって、これがたまらないのだ。こんな店あればいいなあと思う。しかし、現代そんなものは雰囲気だけを模したものはあるが、本質的に研究し、作られたものは皆無である。そんなものをやれば、面白いなあと。
 町人文化にもっと目を向けていく。みんなが適度な価格で適度な美味い店や酒を飲み、ざわついている。そんな空間を作って欲しいなあと。
 池田さんも興味を持ってくれた。来月までに、今後一年間どのように調査、企画していくかの計画書を書いてもらうのと、江戸時代の店を調査してもらい、先人となるような衝撃的な実在した店を見つけて欲しいと提案。楽しみである。
 その後、新宿へ行き、磯部涼と待ち合わせし、ベルクで連日の議論。
 零塾の入塾希望者が後を絶たない。やはり、零塾をやり始めてよかった。ちゃんと受け皿になり得ているという実感がある。もちろん、これを続けていかないといけないのだが。しかし、できるという小さな確信がある。
 僕の原作の映画化について色々と動いてきている。なにやら大変なことになってきた。ここからはまたこれまでの人生で体験したことのない世界へ突入していく。ゆっくり観察しようと思う。これからのありえない体験も全て、零塾へとフィードバックできると思うからだ。僕の全ての体験が、次の人へと流れていくことを前提として、僕の体に沁みていく。ふと生きるということはこういうことだったんだと思った。DOMMUNEを見ながら作業するもDJがスゴすぎて仕事ができない。明日は僕の番。ぜひみなさい見て下さい!

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 2011年1月20日(木)。午前中原稿書いて送信。午後1時から国立駅にて鈴木英さんと待ち合わせ。零塾の中で鈴木さんが増えてきたので、名前の頭文字も入れていくことにした。鈴木さんは大学院で貨幣について学び、その後大学に残って貨幣論を書きたいと思っていたが、なかなか大学の職に就くことができず、今は英語講師をやっている。ボッグスという赤瀬川原平さんと同じように自分でドローイングで全くそっくりの貨幣を描き、しかも赤瀬川さんもびっくりなのはそれを実際に日常生活で使用し、生活もしているという芸術家に鈴木さんは興味を持ち、貨幣そのものに疑問視を持っている。とても面白いと思った。しかも、大学で研究をしていきたいわけなので、論文も書けるはずである。それならと、頑張って一冊本を書いてみたらと提案。ボッグスさんと同じく、貨幣そのものに問題提起をしようとしている人物を10人集めて、それをみっちりフィールドワークしていこうと決めた。
 その後、家に帰ってゆっくりして、外出。ギター抱えてDOMMUNEへ。今日は「都市型狩猟採集生活」の第5話目。ゲストは建築家の藤村龍至。司会はいつも通り磯部涼。僕の本の感想をききつつ、藤村さんの「神の都市」のプレゼン、で、僕のモバイルハウスのプレゼンを行い、三人で議論する。藤村さんを興味深いと本を貸してくれたのは磯部涼だったくらい、今、磯部涼は建築へ何か向かっているような気もするのだが、それだからこそ、彼は今日はいつもに増して発言してた。それがとても良かった。藤村さんとはかなり打ち合わせしたので、逆に難しくなったというのも事実だが、聞いてくれた人のリアクションは良かったので、一応ほっとする。藤村さんとはこれからももっと議論を重ねて、都市計画、個人住宅計画を恊働できたらいいなと思う。0円ヴィレッジ計画もちゃんとやっていかないと。
 〆はいつも通り歌で。今日はMINTの「生理的に大好きPART3」と少女時代の「Gee」の弾き語り。好感触であった。もう歌うのはやめようかなと思ったけど、やっぱりまだ続けてみよう。本当は岡村靖幸の「真夜中のサイクリング」だったのだが、途中でGeeに変えてみたのであった。
 その後は、藤村さんと打ち上げを少しして、下で瀧見憲司さんの音楽で踊る。やぶのけんせいが来ていた。零塾の塾生も来ていた。瀧見さんの奥さんとも挨拶。瀧見さんはDOMMUNEの僕と、いつも瀧見さんの前で踊っている僕が一致していなかったらしく、初めて挨拶。Crue-LのCDまで貰っちゃった。DJ終了後も、僕と磯部涼と宇川さんと瀧見さんと4人で濃い話を。午前3時過ぎまで。その後、磯部涼と二人で途中にあるラーメン屋で食べて、家に帰ってくる。

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 2011年1月21日(金)。色んな仕事が溜まっていてやらねばと焦っているのだが、なんか今週は頭が働かない。ということで、締め切り遅れてもいいですか連絡をして逃げる。寝てないので、眠る。5月に参加する予定のロサンゼルスでの展覧会についての連絡。0円ハウスを展示したいとのことだが、今の僕としてはちょっと違う方向へ持っていきたいところ。企画を提案してみよう。
 その後、外出。渋谷へ。スタバでマユミンと内藤さんと待ち合わせ。内藤さんはマユミンの友人で最近電子書籍だけを専門に扱う出版社を立ち上げたらしく、僕も自分の著作の英訳を電子書籍で出版することにはやたらと前向きなので、紹介してくれとお願いし、会うことに。内藤さんは英語の翻訳もしつつ、大学で法律も学んでおり、つまり、僕が海外でこれから挑戦したい、しかも、そのことをサポートしてくれる人がいないかと探していたところだったので、かなりピンポイント。彼女もまだ始めたばかりだが、チャレンジ精神がないと電子書籍は面白くならないだろうと僕も思っているので、良い機会だからとぜひ一緒にやりたいと答える。彼女は翻訳に関してもアイデアを貰えそうなので、とても心強い。面白くなるはずである。
 その後、ちょっと帰る前に一服してからと思い、ハチ公の喫煙所で煙草を吸っていたら、目の前に見たことある女の子がいると思ったら、エビオちゃんだったので、一緒に飲むことに。三軒茶屋へ行き、ハマがやっているラジオ焼屋でお土産買って、ゆっこの家へ。久しぶりに息子のコタロウとも会う。コタロウにトイストーリーのウッディの実物大の人形をもらった。これはお返ししないと。途中から、彫り師のあーちゃんも来訪し、みんなでゆっこの家の前の松田聖子的居酒屋で飲む。終電まで飲み、帰ってくる。

20

 2011年1月22日(土)。築地の絵が描けずに困っている。どうも最近は原稿ばかりに力を入れすぎていて、絵を描くのが少ししんどくなってきている。これはどうにか改善したい。絵を描くことがむしろ生業だったりするんだから、頼みます。というわけで、全く仕事が出来ず、井出くんに泣き言言って来週に引き伸ばさせてもらった。
 その後、外出し早稲田へ。早稲田大学大隈講堂にて、早稲田卒業10周年会の幹事伊藤さんと待ち合わせ。伊藤さんは建築学科だったのだが、僕は初対面だった。しかし、その後同窓生が「お前、何言ってんの。オレらが試験前に配ってもらっていたノートのコピーのほとんど全てが伊藤くんのノートだったんだよ」と教えてくれた。何ということだ。伊藤さんのおかげで僕は4年で卒業できたのである。伊藤さんに感謝を述べる。彼は副主席で卒業したとのこと。恐れ入ります。
 乾杯し、しばし歓談して、午後4時半から僕が壇上で話す。ほとんど早稲田には絡むことなく卒業してしまったのでお断りしようと思ったのだが、親父が出ろというので出た。すると、本読んでますと言ってくれた全く別の学部の人とかもいて、それはとても嬉しかった。建築学科の同窓生はほとんどいなかったが、久々に井田と一歳のリンタロウに会った。ヒロは綺麗な奥さんを連れてきていたので挨拶をした。
 僕の後、千葉市長である熊谷さんが挨拶。立候補するまでの話はとても興味深く、とても共感した。誰も支持者がいないゼロの状態から熊谷さんも始めている。挨拶が終わると、伊藤さんが熊谷さんを紹介してくれた。熊谷さんの方から話をしてみたかった、ブログも読みましたと言ってもらい嬉しくなって、さっそく0円ヴィレッジ計画の話を持ちかけてみた。小さなプレゼンをさせてもらった。興味をもって聞いてもらい、これからの若い人たちで作り上げる社会というのは、やはりとても希望に満ちているのではないかと僕は興奮してしまった。後日、直接企画を提出しますので、よろしくおねがいしますと挨拶する。
 藤村龍至さんにも0円ヴィレッジ計画のことを話す。何か恊働してやれたらいいと思うのだが。どうなるか分からないが、まずはちゃんとした企画書を作ってみよう。面白くなってきた。
 その後、渋谷へ行き、熊本料理の「寅や」というお店で本日二度目の同窓会、熊本高校の同窓会に参加。懐かしい面々と再会する。ビートたけしさんの番組に出演したのを見てくれた人が多く、驚いた。その後、昔同じクラスだった中井さんとかなり熱く話し合う。彼女は今高校の担任をしているのだが、そこに何かの形で協力してくれないかとのこと。僕はむしろ行ってみたかったので、いつでも呼んでほしいと伝える。桝谷やイデチンなどとも再会。僕は楽しくなり、ついつい喋りすぎる。最近、磯部涼とありえないくらい議論ばっかりやっているので、その癖で激しくなってしまい、みんなも困惑しただろうが、付き合ってもらったのでありがたかった。
 その後、シロクマでまた飲む。朝、渋谷を出て帰る。

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 2011年1月23日(日)。朝、家に帰りしばし休息。午後1時に国立駅にて零塾生希望のOLとして働いている篠田さんと待ち合わせ。ルノアールで面接を行う。彼女の夫がアーティストで、日本でのアーティストの環境の悪さなどに問題意識を持っているのと、それと同時に篠田さん自身が何か発することを求めていることに気付き出しているようだ。何をやっていた時に、自分の仕事と思えたのは何かと聞くと、取材やインタビューをしてした時とウェブサイトのコンテンツを考えているときだというので、アーティストに対する問題意識と合体させて、日本でいかにしてアーティストは食べているのか、食べていけるのか。しっかり稼いでいる人はどのような方法論をとっているのか、など実践編をちゃんと取材して、自分のウェブサイトを作り、そこで公開して発表していくのはどうかと提案してみた。とても面白くなりそうなので、実現できるといいけどなあ。二時間話して別れる。
 その後、また駅前で待ち合わせし、東京大学の学生である寺田くんと待ち合わせ。今度は珈琲館にて面接。彼は自分の友人が鬱病にかかっていたり、家族が同じく苦しんでいたりする様子を見て、それを解消する、救済する建築の在り方がないのかを模索していた。彼はモバイルハウスのごとく、自分の手でみんなが集まれる場所を作りたいとのこと。駒場東大の周辺の地図をくまなく調べ、空き地を探して貰うことにした。最近は、建築学科の学生でも僕の本などを読んでくれ興味を持ってくれている。時代がそのように確実に建てない方向へ進んでいるのだろう。しかし、それをやって食べていくのは本当に辛く、大変であるので、簡単におすすめすることはできない。そして、やると決めたらやめることはできない。そこまでには至っていない場合が多いが、しかし傾向としては大変興味深い。
 その後、家に帰ってきて築地の絵を描く。ようやく乗ってきた。 明日の朝までに仕上げないといけないので、徹夜でやろうとしたが、結局寝ちゃってた。
 寝ていると、七尾旅人くんの「どんどん季節は流れて」がかかっている。大好きな曲。とか思ったら忘れていた。今日はJ-WAVEにてV6岡田准一さんがナビゲーターを担当している「Growing Reed」で僕と岡田さんが話したときお収録が流れる日だった。あちゃー、ほとんど聞いていない。でもどうやらS.L.A.C.K.の夕方はかかったようだ。なんとアーサーラッセルまでも!シドヴィシャスのMY WAYも。なんだかスゴいラインナップでJ-WAVEすごいなあと思った。リアクションはどうだったかなあと思っていたら、大量のメールが送られてきて、反響を知る。零塾入塾希望者も多数あった。好意的に受け取ってもらったようで、嬉しい限り。しかし、岡田准一さんは本当に冷静沈着で恐ろしいほどであった。でも、最後のなんか応援したくなっちゃうと言ってくれたのはとても嬉しかった。こいつやばいんだよって、人に紹介したくなっちゃうとも感じてくれたようで、ぜひお願いします笑。フーは聞いていたらしいが、結構厳しくて「ちょっと躁が出過ぎじゃないかな。もうちょっと抑えた方がいいんじゃない」とのアドバイス。参考にします。メールをくれたリスナーの皆さん感謝です。アクセス数が4000になっていてさすがにビビる。ウェブサイト始まって以来の人出である。
 朝までかかって、築地を仕上げる。
 ということで、零塾を書いている今とにかく眠い。もしかしたら、無茶苦茶な文とかあるかもしれませんが、どうぞご勘弁を。

0円ハウス -Kyohei Sakaguchi-