2011年3月5日(土)。今日は零塾以外、仕事をしないことにした。バンクーバーの親友であるアーティスト、Paul de Guzmanがちょうど僕がオランダにいる4月上旬から中旬まで、展示のためにロッテルダムにいるらしく、会おーよとのこと。やったー、久々に会えるので嬉しい。彼は僕にアートでどうやって食っていくのかを教えてくれた人。この人がいたから、僕は自分の作品を売ることを覚えた。素晴らしいコレクターの情報など、彼からのアイデアはいつも僕にインスピレーションを与えてくれる。海外で、それぞれ別のところから来た友人に会うのは、SF映画の中のような気持ちになるので楽しい。
オランダでの都市型狩猟採集生活リサーチも、もう一ヶ月を切った。そろそろ前準備をする時間である。今、自分の仕事はほぼ自分が計画していた通り、というよりもそれ以上の広がりを見せてきている。著作、美術、メディア、映画、音楽、トーク、フィールドワーク、雑誌。このように、連続的に、同時思考的に、複数のレイヤーで、活動を続けていくと、三次元での人生ではなく、多次元生活を送れるようになってくる。こちらは南方熊楠の意志を僕は勝手に受け継いでいるつもりである。
そうすることによって、無数の星が散らばっている天空を、自らの脳味噌で編集するという「星座を作る」作業が可能になってくる。星は誰の手にも掴むことができない。しかし、思考することによって、それを自分のところへ引き寄せてくることができる。しかも、それは占有ではない。自分のものであると体感するだけである。それこそ、0円ハウスの住人が寝室ほどの大きさの家しか要らない、なぜなら都市自体が一つの大きな屋根の下だからであると認識することとも繋がってくる。
そういえば、熊楠が初めて「ネイチャー」に掲載された論文はまさに「東洋の星座」であった。とかなんとか、また勝手に繋げてみる。
今日は、フーと一緒に、たまにはリラックスしようということで、駅前のタイ古式マッサージへ向かう。ここが無茶苦茶気持ち良い。しかも、お手頃価格。フーが先に施術されている間、アオと一緒に本屋で絵本を物色。最近のアオは、ペンや鉛筆やクレヨンをよく手にするが、不思議なことに絵ではなく、文字を書いている。といっても、象形文字のような不可解な文字なのだが、あきらかにそれは「文字」である。そして、それを「仕事」であると言っている。確実に僕から影響を受けているのだろうが、面白いなあと思っている。さらに、映画に対して異常な興味を抱いている。さらには、よく何かが乗り移るらしく、誰かを演じている。僕は妄想で、バスター・キートンのようになったら面白いなあと思い浮かべる。というよりも、バスター・キートンになりたいのは僕であった。しかし、そんな妄想はやめてくださいとフー。そうだ、子供には何もしないに限る。しかし、それでは抑えきれないので、僕は自らをそのように生かし、それを間接的に見せていくという方法を採ろう、などと考えながら、ナジャで珈琲を飲む。
午後からは、零塾。今日は宮崎さんの一回目の課題を見せてもらう。
彼女は、童話を描きたいという目的がある。話を聞いていたら、神話というものを勉強したらいいのではないかと思ったので、レヴィ=ストロース、ジョセフ・キャンベル、シルビオ・ゲゼルを調べてみたらと提案してみていた。それをちゃんと実行している。自分で咀嚼し、要約も書いていた。キャンベルとゲゼルは自分の心にストンと入ってきたようだ。楽しみだ。そして、自分なりの構造体のスケッチもしていたので見る。面白いかもしれない。星座を作る話もする。こうやって、少しずつ勉強し、智慧を学び、さらに古典へと遡り、それをもとに習作を続けていくと、ちゃんと人の心にストンと入っていく、現代の神話が書けると思う。それは彼女に内的必然性があるからこそできる。
しかし、その内的必然性を確信あるものにするには、熟考した戦略が必要であり、先人の智慧が必要であり、自分の作品であるという概念から遠く飛んでいってしまうくらいの、無私の状態にならなければいけない。宮崎さんはそのようなことも勉強していたので感心した。次は、実際に昔から語り継がれている神話自体を調査する方向へ向かっていこうということになった。5つの神話を選び、自らがどのように受け取ったのか。そして、それらの神話はどのような構造体を有した建築物なのかを調べてもらうことに。
零塾が終わると、今度は僕がマッサージを受ける。なんか特別チケットもらっていたので70分もしてもらえることに。ストレッチ多めでお願いする。
帰ってきて、作業。契約書の訂正などをする。僕は自分の仕事の契約書を自ら作ることを零塾ではちゃんと教えていこうと思っている。単純な創造性だけを高めるのでは、この固まってしまっている社会の中で生きのびることは不可能だ。ありえない妄想と、ありえないくらいの戦略を同時進行させる。そのことを徹底して教えていく。というか、それは大学がやってくれという感じなのだが、僕はまだそんな大学を見たことがない。なので、零塾でやる。
ギャラの貰い方。ギャランティーは向こうから決めてもらうのではなく、こちらから決めないといけない。それの計算方法。契約書の書き方。5カ年計画の方法論。メディアに取りあげてもらう時の主導権の握り方。仕事を頼まれるのではなく、仕事を作り出し、それによってたくさんの人々と一緒に恊働する方法。つまり、企画書の書き方。フリーランスになって、仕事をもらっているようでは駄目なのである。フリーにならないと。フリーとは、起点である。自分が起点となって、あらゆる仕事を発生、生産する。しかも、それはものを売るという方法ではなく、何度も僕が言うように「態度を売る」のである。態度は売れ残ることがない。生産過剰もない。需要と供給というバランスも関係ない。必要な人は世界に必ず一人だけいる。その人にだけ届ける仕事を作り出すのだ。それだけでよい。そうすれば、人は死なない。
僕は豊かな幸福な生き方なんかどうでもいいと思っている。ただ死なない方法しか求めない。なぜならば、もうすでに僕には使命があるからだ。使命がある人間が誰かから何か豊かなものを貰ってはいけない。与えないといけないのだ。僕はほぼ義務だと思っている。そのような精神状態にまで、零塾生を持っていきたい。死ななければ、いつか自分の放った光は人に届く。そして、それにより、自分が財産、賞賛、信頼を懐に入れなければ、それは世界中に広まっていく。僕は、まだまだヒヨッ子だが、その流れている電気信号はもうすでに知覚したつもりである。だからこそ、零塾を始めた。幸福なんかになろうと願ってはいけない。死ななければいいのである。使命を知り、突き動かされるままに社会のために行動する。それこそ幸福なのだから。それを僕は隅田川の鈴木さんから、多摩川のロビンソンクルーソーから学んだ。人から奪ってはいけない。自分のものにしてはいけない。全てを人、もの、社会に向かって放出する。しかし、解放を求めてはいけない。ちゃんと抑制する。自分の言葉では人に届かない。そこに戦略が必要になってくる。抑制する方法論。僕が零塾で伝えたいのはこの「抑制」する方法なのかもしれない。
零塾面接をしていて、いつも驚かされるのは、
「坂口さんって、恐れを知らず、いつも体当たりでぶつかって人生を乗り越えてますよね」
と言われる時があることだ。
そんな馬鹿な。僕のどこが体当たりなのだろうか。僕はそんなことをやった記憶はない。高校受験では、出題される予定の問題は全て実践し、全て記憶していた。大学受験では、大学に合格するという、まやかしに気付き、徹底して大学教授を調べ、石山修武という師匠を見つけ、高校一年性、二年生時代に徹底して勉強していたため内申書が異常に高く。結局受験をせずに指定校推薦で石山さんが教える早稲田大学建築学科へ入学した。大学での課題は、一切学生の課題とは受け取らず、絶対将来美術館で展示するという意志を持ち、そのためだけに作品を提出した。だから、規定はいつも無視していて、点数は低かったが、その時に作った作品はいまだに世界中で展示、巡回されている。コレクションもされた。それを見た、石山修武氏が「お前は十年後は絶対に飯が食えるようになる」と言ってくれたので、初めて僕の戦略を理解してくれる先人に出会ったと喜び、さらに加速させた。
卒業後はもちろん就職という他者の命令によって動くような生き方は選ばなかったし、0円ハウスを売り込みするときも、どこにでも体当たりで行くような馬鹿な真似をしては絶対に人生失敗すると直感し、本を一番読んでいた高校の同級生に0円ハウスを見せて、どこがいいかと聞き、「リトルモアしか絶対に出版されないと」と言われたので、リトルモアにしか持っていかなかった。そしたら、三回目の電話で見てくれることになり、出版は10分で決定した。0円ハウスは日本ではそんなに理解されないと確信していたので、青山学院大学の女学生にお願いして三万円で英訳をネイティヴチェック付きで注文し、そのままロンドン、パリ、フランクフルトへ飛んでった。そのおかげでポンピドゥーセンター、テイト、MOMAに本が並ばれるようになり、日本では全く無視されたが、カナダ、フランス、ベルギー、メキシコで展覧会をすることになった。そこでコレクターと出会い、金を稼ぐことも覚えた。
それはまた、たくさんの人の協力によって成り立っている。2002年に出会った、ベネチアビエンナーレのディレクターであったホウや、インディペンデントキュレーターである原さんが本を出す前だったにもかかわらず、すぐに感知してくれていた。彼らとどのように仕事をもり立てていくかをいつも作戦を練っていた。朝日新聞社の矢部さんも0円ハウスを見て、すぐに感知してくれて、いつも僕の動向に気を使ってくれていた。それらがあったので、展覧会をするようになったし、AERAで矢部さんが編集長だったときに、鈴木さんの記事を掲載してくれて、それがもとで現在の執筆活動が始まった。さらには、映画にまでなることになった。
しかも、それらの行動は全て僕は日記に書き続けてきた。だからこそ僕は確信している。これは奇跡でも、偶然でも、たまたまでも、時代の風が吹いたのでもない。
単純に、こういうふうに生きようと僕は小学生6年生の時に、熊本付属中学校の入学試験に落ちて絶望した時に、思っていたからである。絶対に失敗しない、と。
それ以来、僕は失敗していない。なぜなら、失敗するぐらいだったら、失敗しないように取り組み、戦略を立てればよいと理解したからだ。だから、これは才能でもなんでもない。
ただ「考えている」のである。体当たりなんて、勘弁してくれ。僕は全てを知覚しないと行動しないことにしている。それをただ昔は何も知らずに人は笑っていただけなのである。それは僕にとってはとても悲しいことであった。しかし、どうせ時が経てば人は気付くと思っていた。今は誰も笑わない。それが良いことなのかどうか分からないが、仕事はさらに着実に進めていくことができている。
しかも、それは別に成功したいと思っていたのでもない。成功なんて、くだらないことだと思っている。成功というのは、人からの評価である。そんなの嘘である。まやかしである。なんの意味もない。ただ人のプライドが守られるだけである。しかし、僕にはプライドというものが存在しない。プライドというのは、自分の才能を信じている人間が持っているものである。僕は自分の才能がないことを相当昔からかなり自覚し行動することに専念してきた。才能よりも重要なのは、使命である。「自分は何をしたいのか」ではなく、「自分は何をするべきなのか」なのである。才能はたまたま遺伝子的に持って生まれた特徴である。それを使い、成功するのは素晴らしいことだとは思う。しかし、才能を使って人から奪ってはいけない。
僕は才能がないので、体当たりでぶつかってしまっていたらたぶんもうすでに死んでいるだろう。それは中学受験で思い知った。それ以来、僕は試験に落ちたことがない。つまり、落ちるような試験は鼻から受けない。僕は人から優劣や合否を判断されたくない。それは自分の使命とは捻れの位置にあるからだ。人はよく、色んな試験を受けては落ちてしまって落ち込んだりしている。それはあんまりだ。それは可哀想だ。それで、人は自分に才能がないと嘆く。それはあんまりだ。というか、そんなの嘘だ。そこで落ち込むぐらいだったら、絶対に受かるように勉強すればいいのに、審査員の癖や趣味嗜好、あらゆることを調べ上げて、人から汚いと言われても、そうやって受かればいいのに。僕は高校受験以降、受験すること自体を全く人間の人生に必要の無い、無思考のツールだと思っていたので、まず受けたことがないが。
というわけで、これから零塾を受けようとしているみなさん、僕は全く体当たり人生ではありません。徹底的に設計図を描いています。つまり、建築家なのです。もしも、面接する前に時間があったならば、2004年の3月から全て書き記しているので、チェックしてみてください。一つも偶然がないことに気付くはずです。しかし、そうやって仕事をしないと、自分の使命というものは誰もが壮大なので、一生かかっても実現することはできません。実現したいのならば、ちゃんと設計図を描く必要があるんです。なぜならば、それは実現されるべき事柄だからです。物事を単純に考えてみると、困難は困難でなくなるだろう。このソローの言葉を僕はいつも念頭に置いている。
2011年3月6日(日)。午後、元太田出版の編集者で「ゼロから始める都市型狩猟採集生活」の担当編集者で、今はフリーになって編集、執筆活動をする梅山景央夫妻が僕の家に遊びに来る。遊びに来るというか、フーに結婚指輪を注文しに来る。フー、久々の出動。久々の仕事。本当に年間に数個しか作ってくれない、近年稀に見るレアアーティストが妻なので、僕はせっせと仕事をしなくてはならないのだが、フーちゃんのジュエリーはなんだか評判が良い。でも売れない。というか売ろうとしていない。そこが僕は信じられないのだけれど、何も僕のようにうっとうしいほどに積極的な人間もどうかと思っているところもあるので、そういう側面に僕はときたまやはり安定した精神基盤を持っている人間は違うなあと見直す。抑制がしっかりと効いているのである。そこは僕も見習うべきだ。
で、二人とフーが商談をしている間、僕は部屋でアオと戯れる。
その後、梅山に教えてもらった都築響一さんのメールアドレスにメールを送る。都築響一さんは、僕と同じように自分の番組を放送しているDOMMUNEクルーではあるのだが、面識は無い。いや、無いというのは、嘘で、2001年ごろに目黒美術館で都築さんがトークショーをした時に、僕は行っていて、0円ハウスの前身である自家製本の「東京ハウス」を見せに行ったことがあるのだ。その時、都築さんは「早く出版しちゃいなさい」と言ってくれ、僕は出版を真剣に試みるようになる。ということで、その時のことなども書いて送る。
で、お願いしたのは、TOKYO STYLEの翻訳者であるアルフレッド・バーンバウムさんを紹介してくれという依頼。僕は高校生の時に、古本屋でTOKYO STYLEの大判を購入し、いたく感銘を受け、このような仕事を将来してみたいなどと妄想を抱いた。さらに、翻訳まで掲載されていることに衝撃を受け、僕もいつか本を出すときは、必ずバイリンガルにしようと決意した。結局、それは0円ハウスで実現する。で、TOKYO STYLEの翻訳をしているアルフレッドさんに興味を持った。すると、彼は僕が当時、はまりにはまっていた村上春樹さんの「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」の翻訳者でもあったことに気付き、いつかアルフレッドさんに翻訳を依頼したいとも妄想を抱くようになっていった。
そして、今年「TOKYO0円ハウス0円生活」が電子書籍で英語版、仏語版の二カ国語で翻訳されることになった。仏語版はもう決定したが、英語版はまだであったので、お願いしてみることに。都築さんは快く、アルフレッドさんの連絡先を教えてくれたので、さっそくメールを送ると、さっそく会いましょうということに。9日に吉祥寺で打ち合わせすることに。うまくいくといい。
2011年3月7日(月)。ものすごい量の仕事がほぼ無事に終わり、ほっと一安心している。とはいいつつも、今週からは集英社で連載しているモバイルハウスがいよいよ本格的に動き出す。とうとうモバイルハウス生活を実行する時が来たのである。その準備をしなくてはいけないのと、来週から始まる巨大プロジェクトにも顔を出さねばならないし、4月、5月、6月の怒濤の海外攻撃も待っているのだが、なんだか、頭が働かない。というか、ゆっくりしろと言っている。ので、ゆっくりする。
しかも、最近、ちょっとフーアオを放っておいてしまっていたので、たまには家族でゆっくりでもしようということに。
とは言っても、零塾の面接は続く。今回は、まだ何をやろうとしているのかはっきりしていない人だったので、もうちょっと考えてから、もしも零塾が必要だと感じたのならば来て下さいと言って、とりあえず帰ってもらった。僕の本も、ホームページも読んでいないとのこと。それなのに、ラジオを聞いただけで、入塾しようとしている様子だった。それはさすがにあんまりだろうと僕は伝えた。人に会うのに、何も情報入れないのはまずいのではないか。しかし、それが普通なのかもしれない。うーん、最近、零塾が広く伝わろうとしていて、それはともていいことではあるが、同時に、色んな人が来るということも自覚せねばならない。せめて、教えてもらおうとするならば、一冊でもいいから書いた本を読んで欲しい。そして、僕が入塾に必要なたった二つの要求「社会に対する明確な問題意識があること」「それに対する具体的な解決策があること」はちゃんと答えられるようにしてきてほしい。そうでないと、何も始まらない。まずは自分の頭で考える。それでも駄目だったら、ぜひ零塾に。何もやらずに、ここで答えは見つかるわけはない。
ということで、少し変な疲れが出たが、今日はゆっくりしようということで、フーアオと三人で国立駅前の石釜ピザがえらくうまい店で夕食を食べる。
NHKの井上さんと今後の撮影について話す。
2011年3月8日(火)。アオがダッフィのぬいぐるみが欲しいと言うので、しかも、それは東京ディズニーシーにしか売っていないということなので、ディズニーシーに三人で向かう。朝9時のオープンと同時に入園。12月にディズニーランドに行ってから全く間髪入れずにシーへ。自分でも唖然とする。小学校5年生の時に、上京して行った以来、夜、酔っぱらってちょこっと覗いたことはあるが(ずっとマークトゥエイン号に乗っていた。。)、ほぼ20年ぶりにこの前行って、不覚にも感激してしまい、これから観ないで文句を言うのはやめようと教訓を得たので、今回は自信を持って入園する。シー、凄い。これって、完璧レーモンルーセルだし、江戸川乱歩のパノラマ島ですね。ランドよりも、そのパノラマ感が徹底していて、衝撃を受けた。ここには一切の芸術が存在しない。全て、人々の頭の中にある欲望である。それが具現化されている。ただひたすらに。完全なエンターテイメント。
僕たちはショーばかりを全部観た。ビッグバンドショー、レジェンド・オブ・ミシカ、マイフレンド・ダッフィ、ミスティック・リズム、ミート&スマイル。全くランドとは違う試みをしている。ランドは基本的に個人的に体験するイリュージョンだったが、シーの場合は観客席もエンターテイメントの要素として捉えており、それはチェルフィッチュの新作であるゾウガメと僕の中では繋がった。もちろん、チェルフィッチュはエンターテイメントを全て排除し、芸術性だけを際立たせようとしているが(とはいいつつも、新作は少しエンタメが入っていたのが気になる。。。)。タートルトークも良かった。僕はただシーの街に浸っているだけでよかった。もうアトラクションとかはいらない。
風力発電しているといって、大きな風車が回っていたが、どう考えてもあれでは発電していないだろう(虚構では、その地域の電気を全て賄っていることになってはいたが)。風車すら電気で回しているというありえない無駄使い。しかし、楽しい。うーん。。これはもう完全にパノラマ島である。このバランス感の無さに、自分が興味を持ってしまうバランス感の無さと相まって、色々と興味深い体験であった。しかも、来月から値上げするとのこと。これも僕が勝手に提唱している態度経済の一つの形ともいえる。ということで、そこもえらく考えさせられた。
帰ってきて、バンクーバーの原さんとスカイプ会議。4月21日からバンクーバーのセンターAで開催される予定の個展について。原さんは今、実質上このセンターAという非営利ギャラリーのディレクター兼キュレーター兼助成金書類作り担当とかなりハードワークな様子。しかし、原さんと一緒に仕事をすると何から何まで色んなことが始まるので、僕はいつもとにかく積極的に原さんと仕事をする。
スカイプで僕が最近描いた雑誌の挿絵などのドローイングを見せていたら、それいいじゃん、ということになり、最近の僕のモバイルハウス関連の仕事を紹介するよりも、ドローイングという別の側面を見せる展覧会にしようということになる。バンクーバーには唯一僕の絵のコレクターが存在している。しかも、一人二人ではない。かなりの数のコレクターがいてくれている。こんな都市、世界の他にどこ探してもない。もちろん、それには原さんという強力なサポーターの存在のおかげでもある。
コレクターたちが買ってくれた作品も展示することにした。あと一昨年マネックス証券会社のために製作した5メートルの壁画も展示する。しかもこちらはチャリティーオークションに出品し、売り上げをセンターAに寄付することに。それ以外に、僕が2001年から描き続けてきた、本当に病んでいた時の絵や、雑誌の挿絵、妄想のドローイングなども展示する。美術の世界で一番、僕の仕事に理解があるのがバンクーバーだからこそできる展示である。Another side of bob dylanのイメージで、自分の美術の仕事の幅を開拓しようという試みである。しかし、ここバンクーバーの協力の仕方は半端ない。次から次へと、新しい仕事の話が飛び込んでくる。コレクターの一人である女性は、先日、僕の立体読書のドローイングを娘のために買ってくれた。その娘というのが、モントリオールの建築博物館のディレクターで、フランクゲーリー事務所で働いていた人だという。モントリオールでもまた展示しようよとか、またどんどん広がって行く。
この街では人を紹介するのに、出し惜しみをしない。そして、ちゃんと起点である人間にそれぞれリスペクトしている。これはバンクーバーという都市柄なんだろう。他の都市ではここまで、コレクターや路上生活者やゲイの人や無茶苦茶なアーティストたち、しかも老若男女問わず、入り乱れている環境は見たことがない。とはいいつつも、あるバンクーバーの人と話したが、そんなことはないというので、僕が遭遇しているコミュニティだけに特化したことなのかもしれない。とにかく、今、芸術家で活動しようと思ったら、バンクーバーに行った方がいい。ここでは成功することが目的な人間ではうまくいかないが、ただ態度を持って、生きようとする人間には、本当に活動しやすい場所である。
フーアオも当初、オランダへ連れて行こうと思っていたが、急遽バンクーバーに行くことになったので、みんなでバンクーバーに滞在することに変更した。僕とフーは結婚式もバンクーバーでやっているので、懐かしい面々に会いたいだろうし。
いかん、まだ確定申告していない。しかも、明日からまた多摩川、モバイルハウス計画が始まる。同時に動け。同時に。
2011年3月9日(水)。午前中、外出。新宿のビックカメラで12ボルトバッテリー用、 シガーライターソケットでiPhoneとiPadが充電できるものを購入。1280円。その後、多摩川へ。
集英社「モバイルハウスのつくりかた」連載9回目の原稿のための作業。今日は、まず、先ほど購入したシガーライターソケットをバッテリーに繋いでみる。かといって、ここは家で、車ではないので、シガーライターなどない。けど、使えるよ、とロビンソン。ライターソケットの真ん中の部分が+、周りの二つのボタンがアースになっているので-らしい。そこでバッテリーから電線を伸ばして、接続して、iPhoneを繋げると、ピコンと充電を始める音がするではないか。なんともあっさりとapple対応のモバイルハウスになりました。
その後は、モバイルハウスを動かすために、草が茫々と生えた道を歩きながら、草刈りをしていく。そこで多摩川の作業は終了。いよいよ動かす時が来た。
午後6時から吉祥寺で電子書籍出版社社長のアイサさんと翻訳家のアルフレッド・バーンバウムさんと待ち合わせして、公園通りの飲み屋でビールを飲みながら、アルフレッドさんに翻訳を依頼する。アルフレッドさん、藤森研究室で建築史の専攻していたという建築人間でもあった。完全に話が合い、びびる。だからこそ、TOKYO STYLEの翻訳を担当したのである。さらにはメディアアーティストとして活動もしており、ダムタイプを海外へ紹介しようとした先駆者でもある。さらには、バンクーバーの原さんの上司であったハンク・ブルの知り合いでもあり、僕のバンクーバークルーとも知り合いというとんでもない繋がり具合でこちらはどんどんと乗っていく。
アルフレッドさんは僕の英語のサイトの英訳がひどすぎる(僕が訳しました。。。とほほ。。。)と言い、自分が0円でやってあげるから、早く変えて欲しいと言われた。ありがたいことである。さらに電子書籍の「TOKYO0円ハウス0円生活」の英訳ももちろんおねがいする。一度本を読んでみて、決めてもらうことに。絶対に気に入ると自信は持っているのだが、どうなるか。楽しみである。アルフレッドさんと言えば、やはり世界で一番始めに村上春樹のことを英語で紹介した翻訳家でもあり、その興味深過ぎる話も聞かせてもらい、なんとも贅沢な時間を過ごさせてもらった。ぜひとも、アルフレッドさんに翻訳してもらいたい。どうなるかなあー。まあ、なるようになる。あとは、ゆっくりと待つのみ。
また色んなことが広がり、ありえないところで、それぞれが繋がったりしている。
家に帰ってきて、バンクーバー個展用の今までのドローイングを眺めながら、選んでいく。そういえば、僕が小学生四年生のときにぼんやりと思っていたのが、新聞小説の挿絵画家だったこと。なんというか、そのまんまなっちゃっているところが、面白いを通り越して、笑っちゃえるし、というか恐い。久々に自分の絵を見返して、全く進歩していないことにがっくりもするが、絵のことは嫌いではない。しかし、これらは芸術ではないと僕は思っている。それはまだよく説明できない。
2011年3月10日(木)。朝は引き続き、バンクーバーの作品選び。自分のドローイングの作品は、出来上がれば完全に僕から離れているように感じられるので、他人の作品の中でどれがよいかを選んでいるようなもんなので、とても気が楽だし、心地よい。
その後、吉祥寺で銀行で記帳をして、集英社の飛鳥さんと待ち合わせ。集英社「モバイルハウスのつくりかた」の取材。今日は駐車場探し。井の頭公園の変な駐車場を見つけたので、そこにしようと思ったのだが、それ以外にもあるかなと前々から調査していたところに電話して見ると、笑っちゃうくらい、親切なのである。
いやいや、駐車しようとしている車が、えー、普通の車ではなくて、手作りの車で、しかもキャンピングカーで、という通常の不動産ならば、確実に速攻で切られるはずの会話だが、なぜか電話口の向こうのお兄さんは快い対応。これってもしかしてもしかする?と飛鳥さんと顔を見合わせ、とりあえず不動産があるという渋谷駅へ井の頭線に飛び乗り向かう。
ハチ公口を歩いていると、肩にぶつかってくる人がいたので、誰だよと見ると、佐々木中兄さん。いつもの帽子と肩掛け小さなバッグスタイルで一人で闊歩していた。一体、こんな平日の昼間に渋谷駅周辺で何をしているのだろうか。とは僕もそうだが、何も語らず兄さんは去って行った。
気を取り直して、不動産へ。すると、ありえないことに僕が座った席の後ろには壁一面のワインセラーがあり、ずらりワインが並んでいた。そんな不動産、僕は初めて見ました。その瞬間、僕はガッツポーズを挙げた。これはいける。案の定、すぐさま契約書を出してくれ、さっさと僕が書き上げると、その瞬間に契約が成立してしまった。
一応、大家さんに確認をするとのことだが、ありえない早さで決まってしまう。飛鳥さんと二人で微笑を浮かべる。
とうとう始まる。どうなるか。武者震いである。
映画監督の本田さんとNHKの井上さんに伝える。12日にさっそく持っていくことに。零塾生を四人呼ぶことにした。これからはここが零塾になるのだから、観ておくのは経験になるだろう。
その後、渋谷のセンター街の蕎麦屋「更科」で、Robinson会議。目次がおおよそ完成する。これを持って三月中に完全決定させ、その後、原稿依頼に突入したい。こちらも武者震いしてきた。もしも、この目次が実現したら大変な雑誌になるはずだ。これは絶対に実現してみせる。すこしずつ本を書くという仕事から幅が広がって行っている。とにかく星座、星座を作るんだと思い込ませながら、自分を動かしている。
家に帰ってきて、迫っている確定申告。作品作るのも好きだが、事務仕事も最近本当に効率があがってきた。ということでしゃっしゃと確定申告の書類作成。
今年度はとにかく働いた。それが報われているのかどうか。収入をチェックする。なんと、昨年の収入よりも1.5倍増していた。ちょっとびっくり。本一冊しか書いていないのに。零塾を始めちゃっているので、まずは僕が自ら仕事を発明し、それで運営していけていないと駄目だ。なので、これは嬉しかった。
作家なんてベストセラーにならないと食っていけないということをよく言われていたが、言っている人は誰一人作家ではなかったので、どうせ迷信だろうと思っていたが、たぶん迷信である。僕は2008年初めて原稿350枚を書いて本を出して以来、作家活動をして四年目だが、もうすでに十分食えている。かと言って大金をもらっているわけではないが、元々お金がほとんどかからない生活をしているので、余る。だからこそ、0円の学校を始めることができた。今年は零塾やっちゃっているので、もっと他で稼ごうという気になっているし、2010年よりも忙しくなるはずだ。ちゃんとやり方次第では、作家活動でも、しかも特に売れていなくてもやっていけるはずである。大事なことは才能を使わないことである。才能を使えば、それはいつか枯れる。才能を無視して、無い力を才能を使って掘り起こすのではなく、自分の持っているノーマルな力を、いつでも出しやすい力のクオリティをあげていくことに集中していく。そうすると、才能が枯れることがない。才能は最後に取っておけ。そう僕は決めている。で、才能は実は無いというのがオチなのだが。
一生懸命にやったって、原稿なんて書けない。とにかく気楽に、それでいて超行動的に、昨年の群馬でDJ HARVEYに合わせて気が狂っているほどに踊るごとく、働けばいいのである(クイックジャパンで石川直樹が踊り狂っている危険な状態になっている僕を激写しているのが掲載された{フーにはとにかく不評だったが}。あっ、石川直樹、土門挙賞おめでとう)。弛緩と緊張を同時に連動させる。大便をしている時にそれを閃いた。そんな話はどうでもいいか。
ということで、光速で書類記入を終わらせた。税金を払いすぎているので、返してもらいにいかねばならぬ。明日行こう。
日本たばこから仕事の依頼。快諾。ロサンゼルスの仕事についてのメール。映画監督の鎌仲さんからまた映画上映しているユーロスペースで上映後トークしようとお誘いがあったのでこちらも快諾。契約書について訂正した部分について承諾したとのメール。築地の本が出来上がったとの報告。また、何やら色んなことが動き出している。なにか生物のような日々である。
2011年3月11日(金)。ナジャで家族全員で珈琲を飲んだあと、一橋大学で散歩していたら、突如、地面がぐらぐらと揺れ出した。街中がパニック状態。恐れていたことが現実に起こってしまっている。家族は無事だが、家に帰ってテレビを見てみると、東北地方が大変なことになっている。こうなってしまったら、都市型狩猟採集生活もなかなか太刀打ちできない。地震が起きる前に、家に対する考え方、生活そのものに対する意識を変化させなければいけない。多摩川に電話すると、ロビンソンは「何にも変わらないよ」と飄々としている。僕の家ではガスが動かず、水道の水は茶色に変色していた。「水道は鉄管だから、揺れで鉄錆が落ちたんだろう」とはロビンソン。やはりこういう時でも彼は本当に落ち着いている。多摩川には津波は来ていないとのこと。隅田川のことも心配だが「東京湾で繋がっているのに、多摩川が大丈夫で、隅田川が駄目なわけないだろ」とロビンソンが言うので、とりあえず落ち着くことに。東京電力の福島原発のことも心配だ。ここでどう動くか、ちょっと考えてみよう。ロビンソン、鈴木さんにもアイデアを聞いてみることに。こういう時、一番、都市型狩猟採集民たちが落ち着いている。僕たちは本当にもろい。12日にモバイルハウスを吉祥寺へ動かす予定だったのだが、とりあえず一日ずらすことに。モバイルハウスに関しても、これからもっと重要性が増すだろう。とにかく、東北が心配だ。とりあえず、12日はモバイルハウス移動をとりやめ、多摩川、隅田川へ行くことに。
2011年3月12日(土)。手伝ってくれることになっている人へ。モバイルハウス移動は本日とりやめます。午前8時半、今から隅田川へ行く。東北地方へ0円ハウスを作りに行くことを考える。何ができるか分からないが、停電しているようなので、バッテリーで電化製品を使える方法だけでも知らせれば、効果があるかもしれない。雨水も二時間目一杯降ったあとは、溜めれるし、飲める。壊れても、たんこぶしかできない、力強い弱さを持った家。日本人はそんな家こそが、一番重要なのだ。とりあえず、都市型狩猟採集民の人たちと相談をすることに。
隅田川の鈴木さんの家へ。当然のことながら、無傷であった。部屋に入って小型テレビを見ながら、話をする。東北へ行って作業をするかどうか相談する。まだ今は救出作業、救援物資を送ることが先決だろう。今すぐではないかもしれない、ということに。しかし、避難場所で長い時間過ごすのは必ず大きなストレスになる。やはりプライバシーが必要だ。こういう時だからこそ、それぞれに家が必要になってくる。そのことを鈴木さんも危惧している。僕が行くなら、鈴木さんも行くよと言ってくれた。とりあえず1週間ほどは様子を見ることに。
零塾生の東大生、尾崎くんも鈴木さんの家に来たので、三人で話をする。その後、帰りに浅草駅近くで、一人の野宿者と出会う。ダンボールに必死に文字を書き続けている。タケダさんという60歳の男性。彼が言ったことがとても印象的であった。彼は家を持っていない。むしろいらないのだそうだ。そして、お金も持っていない。何もいらないのだそうだ。そして「不便」というものに興味を持っている。「愛しさ」まで感じるとのこと。この状況の中、彼の言葉は、ただの妄想には聞こえない。本当に人間にとって必要なものは何か。そのことを考えさせられる。
今回の地震は、家の倒壊、インフラの破壊、そして原発、と都市型狩猟採集生活とドミューンで取りあげてきた問題が全て現実に表出してきている。だからこそ、何かせねばならないと思っている。多摩川のロビンソン・クルーソーに電話すると「いや、今行っても邪魔になるだけだ」と言う。それも分かる。ちょっとまずは考えよう。宇川さんとも電話で話す。原発の問題も大変なことになっている。原発問題のドミューンの回を再放送するかどうかを話した。しかし、現地の人は見ることができないだろう。うーん。
家に帰ってくる。明日はモバイルハウスの移動を実行することにした。
2011年3月13日(日)。地震のこともあり、なかなか気が進まなかったモバイルハウス実行。しかし、いや、今だからこそやるべきだろうと思い直し、急遽、朝起きて今日、モバイルハウスを多摩川から吉祥寺へ移動させることを決めた。
すぐに零塾生2人、カブヤマくん、寺田くんに電話をし、福岡からたまたま来ていたコウダくんにも電話をし、映画監督の本田さんにも電話をし、多摩川のロビンソン・クルーソーにも電話をし、川崎駅近くのトヨタレンタカーにて2tロングのトラックを借りて、一人で運転して多摩川へ。
ロビンソンも晴れ晴れとした顔で、いってらっしゃいと言ってくれた。トラックの荷台にモバイルハウスを乗せて、吉祥寺へ。あっけなく駐車場に到着した。駐車場にモバイルハウスを停めると、これがびっくり、全く違和感無し。吉祥寺徒歩8分のところにある閑静な高級住宅地の中にぼっかりと空いた大きな駐車場(横には綺麗な公園)にモバイルハウスはしっかりと馴染んでいた。
このモバイルハウスは、僕とロビンソンの二人で完全に手作りして建てた。延べ24時間で完成する。8時間働いたとしても3日で出来上がるお手軽ハウスである。材料はホームセンター「コーナン」で全て購入可能でしめてお値段2万6千円。とにかく安い。リアカー用の車輪が四つ付いているので、法規上これは住宅ではありません。車両なんです。ということで、駐車場でも不動産がオッケーしてくれたら駐車することができる。僕は4つの不動産や大家さんを回ったが、そのうちの2軒が了承してくれた。つまり5割の確率でそのような心の広い楽しい不動産が実は日本には存在している(と思う)。駐車場は月に2万円。
いつでも動かすことができるので、土地に定着していないので、宅地以外でもどこにでも置くことができる(通常、住宅は宅地以外には建てることができません)。
これだけでも十分嬉しいのだが、さらにこのモバイルハウスは秋葉原で一万円で購入した小型ソーラーパネルで自家発電されている。自分が生活するのに必要な電気は実のところこの小型ソーラーパネルで発電し、12ボルトバッテリーに蓄電する分で十分に賄える。もちろん、エアコンや大きな冷蔵庫や洗濯機は使えないが、エアコンは僕は上京してから一度も使ったことがないし、冷蔵庫は車用の冷蔵庫を使えばよいし、洗濯機は銭湯に入ったときにコインランドリーを使えばよい。
ソーラーパネルで自家発電した電気は一度、12ボルトの自動車用のバッテリー一台に蓄電される。このモバイルハウスは楽しいことに屋根は透明なので、お日様が青空が丸見えなのだが、ということで室内にソーラーパネルを置いていてもしっかりと充電してくれる。つまり、壊れない。夏の日差しよりも冬の緩やかな日光のほうが充電しやすいとは、この前のクリスマスプレゼントに僕が鈴木さんにソーラーパネルを贈ったのだが、彼が実践して実感したこと。ちょっと弱い光ぐらいがちょうどよいのだ。つまり、日中はいつでも充電してくれる。
バッテリーには原付バイクのライトが二つ設置されている。一つは書斎用のデスクランプ。もう一つは部屋全体を明るくするライト。それぞれ10Wと20W。これで夜も十分なのです。100Wとかいらないです、はい。さらに、ビックカメラで1200円で購入したシガーライター用のiPhone&iPad充電器がこれまたとても使える。USBで差し込める12ボルト用のもので、二口あるので、iPhoneもiPadも同時に充電しながら使用することができる。これらのモバイル機器は本当は一〇〇ボルトの家庭用の電気システムでは電気量が多過ぎるのです。もっと少なくていいのだ。なんたって、モバイルなんですから。12ボルトバッテリー一台あれば、停電になろうが、かまわず使うことができる。で、僕の場合、電灯とiPhone&iPadさえあれば、あとは電気製品が必要ないことに気付いた。これで仕事もできるし、連絡も取れるし、S.L.A.C.K.の音楽も聴けるのである。
神様はそんなモバイルハウスにもっと頑張れって言っているようです。奇跡的なことにここでは野良Wi-Fiが生きていて、使えました。これで、もう何も要りません。隣の公園からお水は拝借して、歩いて3分のセブンイレブンではいつでも快く笑顔でトイレを貸してくれます。というか、歩いてすぐ吉祥寺という素晴らしい街があるので、たぶん何にも困りません。
新築祝いに、磯部涼、梅山景央、ささお夫妻、まりちゃん、その友人、吉祥寺クルーなど総勢11人が来てくれました。みんななんだか興奮気味です。何かが始まったような気がします。ということで、勢いにのってピザハット吉祥寺店に電話して、デラックスMを一枚注文してみましたところ、30分後トントンとノックの音がして、笑顔のお兄さんはホカホカのピザを送り届けてくれました。まずはピザクリア。あとは住民票とか、郵便物とか、amazonとか、これから少しずつ試していきます。
モバイルハウスを実際に建て、しかも敷地を借りて、実践するという試みは恐らくまだ誰もやっていないでしょうから、まだ前例がありませんから、これから色んなことが起こると思います。たぶん、怒られたり、怪しまれたり、ふざけんなと突如壁を叩く人も現れるでしょう。でも、その都度、真摯に受け止めて、対応していきたいと思います。これはまだ実験段階。家というものが、あまりにも固定化し、ただ重いコンクリートの箱しか作れないのが現状です。このように駐車場で実践しないかぎり、農地などに置いてみない限り、軽い安い、お財布の中に入っているお金で手に入れられるような家は手に入らないのが現状です。しかし、そのような家は一度、何か災害が起きたりしてしまうと大変なことになってしまい、ゴミになってしまう。そして、ローンだけが残っちゃったりする。まあ、でも豪華なマンションを買うという欲望があることも知っています。そういう人はぜひ買った方がいい。しかし、中にはそんなものいらん、もっと小さくて安くて、でも自分の息吹が感じられるものがいいと願う人もいるでしょう。そう言う人には適した住宅だと思う。
まだ実験中ですけど、これがもっと一般化するように普遍性を持つように、どこまでありえるかということをちゃんと確認していきたいと思う。だから、僕のやっていることに矛盾があることを発見した人は、ぜひ教えて下さい。それをクリアできるようにがんばりたいと思います。でも、やるんです。自分で家を建てるということが、これまで僕たちが住んできた家に常に求めてきた「完璧」であることの不毛さに気付かせてくれると思う。不便であることの愛しさに気付けば、セブンイレブンまでのトイレの散歩が楽しくなる。12ボルトバッテリーに蓄電された電気だけしか使えないのなら、そのバッテリーの中にしっかりと詰まってくれている電気さんたちに愛着が湧いてくる。僕はそこに戻れと言っているのではない。戻るもなにも、僕たちはたぶん何も知らない。ただ知ろう、と言っているのだ。
地震後、twitterで僕の著作のスケッチ等をスキャンしたものが流れているということを聞いた。少しでも役に立てるのなら何でもしたい。もっとスキャンしてください。電気が通っていないのなら、車のバッテリーを使って電化製品も動かせるはずです。電化製品はたとえ濡れていても、電源オンになっていないならショートしていません。ちゃんと乾かせば使えます。僕も多摩川で洪水したときに流れてきたラジオを稼働させました。
災害時を念頭に置いて書いているわけではないので、僕の本が被災した人にすぐに役に立つのかは分かりません。しかし、生活するということはただ一通りの方法しかないのではなく、実は色んな方法の可能性が常に広がっているということに気付くだけでも何かの希望になればと思います。
自律した家、生活、インフラをできるだけ可能にすること。
これこそこれから考えていかないといけない主題だと思っています。
明日から1週間ほど仕事で東京を離れ西方の某所に向かう。これも、その主題をとにかく伝えるためのとても大きなプロジェクト。
シリアスな問題に取り組めば取り組むほど、ユーモアを失ってはいけないと、自らの舵を取る。
駐車場に馴染んでいるモバイルハウス。
iPhone充電中。
簡素ですが、綺麗な部屋です。
笑顔のピザ屋さん。