2011年4月26日(火)、朝から少しゆっくりして、その後坪井新居へ。今回のバンクーバー旅行を経て、またさらに強くなったような気がする。すごい体験をさせてもらった。自分にとって、今までの行動が間違っていなかったという確信を得たのと同時に、新しい世界が始まっているのを感じた。今後、動き方が変わってくると思う。
これからの展開を考えていこう。
活動の幅は日本だけでなく、様々な国々へと今後さらに拍車をかけていく。バンクーバーはもちろんカナダでは今後も今回のドローイング展、そして0円ヴィレッジ計画の発表を実行していく。バンクーバー、そして僕のコレクターのシェリーの娘さんが、モントリオールにあるカナダ建築博物館のディレクターで、彼女が一番始めに0円ハウスを購入し、感激してくれて事が始まっている。彼女にドローイング展の巡回を持ちかけてみる予定。そして、原さんの親友がディレクションをしているモントリオール近郊の美術館からも興味があるとの話。トロントでのレジデンスと展覧会も計画中であり、カナダではもっと面白く動いていけることが予想される。
一昨年のトロントで開催された白夜祭という巨大なアートフェスティバルの滞在で知り得た日本人ディレクターマイコがオランダのユトレヒトへ転勤し、8月にはユトレヒトに一ヶ月呼ばれて、レジデンス滞在をしながらリサーチとインスタレーションを行う。2007年のフランス、サン・ナザールでのグループ展以来、久々のヨーロッパ行脚である。この滞在を機に、ベルリンへ行き、作品を見せて活動する場所を探す予定。しかも、ベルリンはバンクーバーとかなり濃密な関係にあり、とても良い流れがあるのでうまくいく可能性は高いと思っている。パノラマバーでも踊りたいし、、、。今年の3月から水面下で進んでいる僕のもう一つの巨大プロジェクトもヨーロッパを中心に進めていく予定なので、それらが深く結びついてくれば大変なことになる。今年中に英語とフランス語版で僕の本も出版されるので、さらに追い打ちをかけたいところ。
日本では、0円ハウスの概念をもっと具体的に社会と結びつけるための「0円ヴィレッジ計画」をさらに押し進めていく。東京、吉祥寺で実践中のモバイルハウスはもちろん、6月には表参道ヒルズにあるPASS THE BATONでの個展にてモバイルハウスを用いた「農園付き都市型小型移動式住宅村計画」を発表する予定。それを日本全国の自治体の知事、市長、町長、村長に提案していく。震災後の住宅復興の一つの案としても有用性があるものになると思う。
この展示の制作にはヨネをばんばん投入しようと思っている。模型はヨネに任せることにした。坪井新居でヨネと展示のための会議。ただの建築模型ではなく、アートピースを作るつもりでやってほしい。ちゃんとこれをまたコレクターに売ろうじゃないか。自治体なんかが買ってくれたら楽しいのになあ。モバイルハウスの模型、プラモデル式の箱入りバージョン、そして配置模型ジオラマを作ってもらうことに。あと一ヶ月そんなに時間はない。急がなくては。
日本では、今後この0円ヴィレッジ計画をもとにした、住宅というものの存在の変革、インフラとの付き合い方の代替案提案に注進してきたい。
大丈夫、ちゃんと考えて実行していけば、絶対に実現化する。自分に葉っぱをかける。
日本での執筆に関しては、色々と考えている。今回、僕は直接色々と書いてきたが、それはほとんど無に散ったと認識している。もちろん、何人かは僕の書いてきたことに反応してくれた。それはとても勇気づけられることであった。しかし、やはり無力感のほうが大きかった。というかむしろ怒りを感じてしまった。とはいっても、そんなの自分の力が及ばないからでもある。しかし、それがバンクーバーでは違った。ちゃんと伝わる実感があったのである。この違いは一体何なのか。そのことをちゃんと考えていかないといけない。書き下ろし中の本が、完成間近の河出書房「生きのびるための技術(仮)、来月から取り掛かる東京書籍の零塾教科書、筑摩書房と幻冬舎も待っている。急ぐのではなく、一冊一冊じっくり書いていきたい。ちゃんと編集者たちと議論を続け、日本語で書いているが、常に世界中の人が読めるような可能性を持たせながら実現させていきたい。無力感を感じようが諦めるわけにはいかない。しかし、それ以外にももっと良い方法はあるのではないかとも思っている。
3月に始まったまだ公開できないプロジェクトは、本日ほぼ完成した模様。こちらの動き方次第で、今後の僕の活動も変わってくる。絶対に失敗しないように慎重に、完璧に戦略を作らなくてはいけない。驚きとユーモアもしっかりと余裕を持って含めて。完成した作品はすごいものになっているようだ。楽しみ。そして、これが進んでいるときに、もうすでに次の動きを計画する必要があると思っている。とにかく、先へ進め。自分の感じたディレクションのほうへ、恐れず、ちゃんと考えて、体当たりではなく、戦略的に突き進まないといけない。安住したら、僕は終わりだ。安定したら終わりである。不安定でいろ、フラーが言ったように常にWAVINGさせていく。揺れ動くことが強さである。岡田利規さんとトークした時に言った「力強い弱さ」である。
そして、これらの完全分裂症的な動きを、全て一カ所のセンターで創造、受信、媒介、発信するためのスペースとして、坪井新居がある。
ここをZERO CENTERと呼ぶことにする。全ての起点として。
ZERO CENTERの改装第一期もほぼ終了に向かっている。今日はヨネと業務用のキッチンシンク、作業台を揃えるためにテンポスバスターズへ。かなり良い感じのセットができた。リンナイのコンロもすんごいシンプルでかっちょいいやつを発見。全てで5万円。まあ、悪くない。
今までに体験したことのない、新しい日々が過ぎていく。
なんか、まだ慣れていないので、ぎこちないが、良い感じだ。
バンクーバーの乗りがまだちょっと残っていて、とても心地よい。
気持ちよい天気。新緑が凄いことになってきている。
こちらは入口すぐの無花果の木。枇杷もあります。
お昼は老舗うどん屋「みのや」。ここにバンクーバーの人たちを連れていきたい。
ヨネとPAVAOでビール飲みにいく。おつまみをおまかせで。美味。
毎日やっている夜散歩。アオはベビーカーを新しい使い方で楽しんでいる。ブリコルールよ。
2011年4月27日(水)、お昼は、今臨時で借りているマンスリーマンションの横にあるアンティロ・カステッロというイタリアンで親父の誕生日会を催す。親父と母ちゃんを招待する。川沿い、熊本城沿いの気持ちの良い立地にある。前菜、パスタ、リゾット、メイン料理、コーヒー、デザートとたっぷりのボリューム。シャンパン飲んで祝う。大満足。
その後、ZERO CENTERのための食器を購入する。その後、ゼロセンターで作業。
今日は、トイレのところの手洗い場を創作。ブリキのバケツに穴を空けて、それをただ蛇口にぶらさげて完成。簡単なもんである。
エココロの特集用の原稿3000字、小学館「路上力」連載第22回の原稿2000字を仕上げて送信。エココロの特集用の原稿について、編集者と議論。僕はもう日本の雑誌で原稿を書くべきではないのかもしれない、などと思う。色々と考えるところあり。とりあえず、もう一度書き直して送ることに。疲労。
今は疲れている場合ではないのに。
その後、フラワーアーティストの東信さんの事務所と連絡が取れる。近日中に会って話をさせてもらうことに。バンクーバーで原さんからキューレーションやってみたらと提案されて、意外と本気になっている自分がいる。日本の学芸員に対して、大きな絶望感を持っているのならば、自分でやって示さないと。まあ、初めてなのでどうなるのかわからないが。しかし、バンクーバー美術館のシニアキュレーターであるブルースも興味を持ってくれている。東信さんの最近のプロジェクトと、どういうことを考えているかを知りたい。楽しみだ。
そして、もう一人鈴木ヒラクにも電話する。ヒラクはノリノリで嬉しかった。彼のリフレクション作品が気になる。5月は12日から16日まで東京に滞在するつもりなのだが、そのときにスタジオに行ってみることに。
何からなにまでやらねば気が済まないようだ。気が済むようにやればいい。
納得がいかないなら、納得いくまでやるしかないだろう。
今のところ、体力がかなり残っている。むしろ上がっている。力がついてきているのだろう。確実に持久力が伸びている。
このチャンスを逃してはいけない。
お昼はアルテロ・カステッロへ。奥がお堀。
バケツに穴をあけて金具を取り付けて。。。
手洗い場が完成。
2011年4月28日(木)。午前中から仕事。ドローイングを仕上げてセブンでスキャンして送信。
その後、フーアオと散歩。家からすぐの熊本城お堀沿いの遊歩道。ここが無茶苦茶気持ちよい。しかも、誰も使っていない。緑色がまぶしい。
今日は坪井のゼロセンターの近くにある子飼商店街というオールドマーケットへ。完全に東南アジア状態。しかも、魚屋とかしっかりと混んでいて新鮮な魚が買える。鯖を購入。明日、チェルフィッチュの岡田くんがはるばる遊びに来るので、刺身を注文しようとするも、明日は市場が休みらしく、残念ながら諦める。鶴屋で買おっと。
ゼロセンターに着くと、購入していたキッチンセットが届いていた。これはリンナイの業務用のコンロ。1万8千円。シンプルでカッコいい。火力も良さそう。
普通の賃貸のキッチンもこれでいいのに。本当に簡単。格安。3万円台で手に入る。
ヨネが持ってきた机をダイニングテーブルにしてみた。これでいい感じ。
奥には押し入れにあった木箱をキッチンテーブルに。もうこれで十分。家具は0円で揃えた。
一階和室のテーブルは、枠だけ残っていた足に、ただ窓枠を乗せただけ。こちらも0円。かわいい。奥には、ヨネが持ってきたベンチ。
台所の床下収納に隠されていた食器類を取り出す。前に住んでいた人が忘れていったもの。いい徳利や古い和食器。一輪挿しもあった。
ということで、庭に咲いている椿などの花を摘んで生けた。明日はゲストが来るので、花で彩る。
リンゴの型のガラス皿を灰皿に。食器類もほぼ0円。
これらは昨日、食器屋で購入した白山陶器の不思議なカップ&ソーサ。新品でなんと一つ300円。5セット購入。
二階寝室の押し入れを読書スペースに。
こちらは玄関。電灯が良い感じです。今日から二日間はゼロセンターは旅館になります。これは僕の高校生の時の夢。ホテルオーナー。ゼロセンターはホテルにもなるのである。
2011年4月29日(金)。空港まで車で向かう。午後12時にチェルフィッチュの岡田利規さんご一家四人がなんと熊本へ。有り得ない展開がとても楽しみで今回は興奮している。ゼロセンター計画の第一弾である。車で街へ、とんこつラーメンを食べてシャワー通りを歩き、奥さんのケイちゃんは久々らしい買物を。かわいい服を買ってご満悦の様子。熊本には楽しい服屋が結構あるので楽しめる。その後、パーマネントモダンの有田さんと話す。有田さんは坪井の家までちょろっと寄ってくれたらしい。今度はぜひ遊びに来て下さいと伝える。岡田さんから、僕とフーとアオ、それぞれお土産をもらう。僕はラフロイグ。ありがたい。
ゼロセンターにて。木漏れ日が気持ちよい。子どもたちはみんなで絵を描いている。岡田さんの長男、ひびきがノリノリで描いている。壁に絵を貼った。
その後、僕と岡田一家で熊本城へ。ひびきが池にはまり、みんなで池でゆっくり。
夜は、実家でフーが料理をしてくれた。刺身と馬刺で岡田一家を昇天させるべく攻める笑。
2011年4月30日(土)。今日は朝から車二台で平山温泉にある一木一草という旅館付き温泉へ。ここの建築は僕の師匠であるサンワ工務店が設計、施行したもので本格的な日本家屋建築になっている。
宿泊部屋も覗かせてもらう。かなり良い感じだ。バンクーバーの仲間も連れてきたい。
ここでまずは御飯を食べることに。
こちらがお昼御膳。美味。たらの芽に刺身。
露天風呂に入る。平山温泉は泉質が非常に良い。ぬるぬるしている。岡田さんもエネルギーが充填された様子。明後日からチェルフィッチュ、ヨーロッパ&北米ツアーらしくこれで乗り切れそうと言ってくれて、僕も嬉しい。岡田さんに熊本でのチェルフィッチュ公演の話をする。
途中で雨が降り始め、雨宿りしていると隣におじさんがいる。話しかけると、おじさんは自分の作品と言って竹で作ったペンを取り出した。
無茶苦茶かっこ良いので思わず購入2000円。
その後、やっぱり岡田さんは劇作家なので国の重要文化財にもなっている芝居小屋「八千代座」へ。
ここが本当に良い建築なんだ。岡田さんも興味津々。ぜひここで公演を!
八千代座を設計したのは灯籠師である木村亀太郎。彼が気になる。灯籠を紙で作るのが山鹿スタイル。そこで灯籠民芸館へ。これも全部紙で作っているんです。僕のドローイングをここで立体化させることを閃く。すごいことになるかも。
夜は「よこばち」で御飯を食べて、その後坪井のゼロセンターへ。夜、ようやく大人だけで岡田さんに頂いたラフロイグを飲みながら、話をする。熊本市現代美術館学芸員の坂本女史も来訪し、チェルフィッチュの公演の実現化に向けて話したりする。岡田さんも熊本のことを気に入って、なんか住んじゃいそうな勢いすらあるようだ。子どもたちが楽しんでいたのが印象的。
ここには海もあるし、山もあるし、食い物はうまいし、空気はうまいし、水はうまい。可能性がありすぎる。そこに今第一線で活躍している若い作家、芸術家たちが集まってコミュニティを作ったりしたら、これこそ大変なことになるんではないかと目論んでいるのである。
たぶん、なんか起こるよ。これから!
おおいに希望を感じた夜だった。
鈴木ヒラクも熊本に遊びに来たいとメールしてきた。いいねえ、早くコイコイ。五月中旬には岡崎藝術座の神里くんもゼロセンターに滞在する。ここだったら、環境もいいし、なんせタダだ。
何かが動き出している。そのことに僕は興奮している。
2011年5月1日(日)。朝からヨネと親父と三人でミニで面白村ビッグライトという訳の分からないところへ。ここでは古道具のセリが行われている。一般でも参加できるらしいが、今回は見学のみ。
ビッグライトの展示コーナーでゼロセンターにお似合いの漱石風書斎机を発見。5000円で購入。さらにベンチも3000円で購入。ここ安い。
ゼロセンターに帰ってきて、作業を続ける。今日は第一期最終日。玄関の建具を取り替える。これで完全に住める状態になる。作業前に水を飲みながら一服。こちらはヨネが地元八代から汲んできている湧き水である。二種類の湧き水を汲んできている。美味。
ちゃんと保健所で確認してもらった。問題無し。むしろ最高の水質であるという。
昼飯は近所の松本家の出前。うまいし、安いし、多い。夜はちょぼ焼が食べれるし。
キッチンとダイニングの間に、元々あった建具を一部だけ取り付ける。これで、なんとなく空間が分けられる。しかも、この建具にはまっている波ガラスは、サンワ工務店の藤田さん曰く、もう製造していないヴィンテージものであるらしい。大事に使えよと助言を受ける。了解しました。
午後3時頃には西日がガラス窓から降り落ちてくる。熊本の西日はとても強く、大変なのだが、この家の設計がしっかりとされていて、気持ちの良い光が落ちてくるように角度が調節されているようだ。西日の木漏れ日が気持ちよいことを知る。
作業中のヨネ。二年前は道具の使い方も下手だったが、今回かなり急成長。頼りになります。
玄関は綺麗で大きなガラスがはまった建具が良いと、サンワ工務店の倉庫から運び込んでいたものをアルミサッシと交換する。やっぱりアルミサッシなんかよりも、木枠の透明ガラスの玄関のほうが気持ちよい。高さが合わなかったが、上部に木を付け足すと、あら不思議。いとも簡単にサイズが合った玄関建具になるのである。再生、改築は、クオリティさえそんなに気にしなければどんな素人にでもできる。本当に簡単なのだ。僕とヨネは別に技術者でもなんでもない。ただ、こういうふうにしたいというアイデアはある。そして、アイデアは実のところ簡単に実現することができるのである。これは人々に伝えたいことである。大工仕事は簡単である、と。もちろん、本気ですごいものを作ろうとすれば、やはり技術、熟練した智慧が必要だ。しかし、生活するのはこれくらいで十分なのである。「十分建築」。これこそがこれからは重要なのだ。
玄関建具の鍵を新調するために近所の金具屋へ。ここには本当にあらゆる金具が揃っている。年代物も豊富なので、沖縄などの遠方からも注文が来るという。さらに80歳にして性欲が200%溢れているという衝撃的な親父がやっている。しょうがとネギを毎日、生で食べ続けろと諭される。
2011年5月2日(月)。お昼過ぎに、ゼロセンターへ。東京書籍の編集者山本さんがわざわざ東京から来てくれた。好きなんですよね、とテキーラをお土産にもらう。感謝。こちらは来年出版予定の、坂口恭平の教科書本のための話し合い第一回目。講義形式の本にするので、ヴァーチャル講義を山本さん相手に話す。かなり良い感じで仕事が進む。二時間ほど録音し、今日の講義は終了。
昨日購入した机が到着。ゼロセンターにしっかりと合っている。ワイマックスも来て、WiFiも完備。少しずつゼロセンターが活動するためのスペースになっていっている。
無茶苦茶気持ちよい仕事場になってきた。
仕事終了後、山本さんとフーアオと四人でいつもの「辰頭温泉」へ。堪能する。一見、普通の一軒家ですが、中にはシャンパンのような泉質の泡ぶくぶくの新鮮な温泉が待っている。帰ってきて、山本さんとPAVAOで食事をして、飲んで、大いに語り合う。山本さんも祖父母、親戚の家が熊本なので、定期的に帰ってきては、いつでも生活できるように拠点作りをするとのこと。その後、ハマーで飲んで、友人と出会い、そのままゼロセンターで飲む。朝まで。
2011年5月3日(火)。朝方、山本さんと別れて、帰宅。飲み過ぎて、さすがに疲れている。しばし、ゆっくりして、ゼロセンターで仕事をする。英語版のテキストを作る。アルフレッド・バーンバウムさんが気持ちよく翻訳できるようなものができるかどうか。こちらもちゃんとやらねば。
Dig-Italシリーズの絵も10枚ほどこれから夏まで描き上げる予定。8月のユトレヒト滞在の時に、オランダ、ドイツのコレクターとのコンタクトをとりたいと計画している。カナダから保守党が総選挙に勝ち、アートにお金が流れにくくなる政策になるのではないかというメールが届く。
いやいや、世界はどんどん動いている。カナダだけが安泰だと思っていても駄目だ。バンクーバーでうまくいっても、それに調子に乗っていては駄目だ。常に新天地を狙わないといけない。次に自分の考えていることに興味を持ってくれる国、地域はどこか。そのことにちゃんとはっきりとした指針を持っていないと生きのびることはできない。
僕はドイツなんじゃないかと勝手に思っているのだが、別に何か確証があるわけでもない。ただ、僕の仕事に興味を持ってくれている人たちの地域を見ているだけだ。バンクーバーとの関連性も重要である。トルコ人とバンクーバーで話したことも面白かった。ドイツとトルコは経済でかなり絡んでいる。そのことに対して、彼女は嫌になりどこか遠くへ行きたかったということでバンクーバーに来ていた。で、僕はそんなトルコに行ってみたい、そこと絡むドイツを見てみたいと思った。
原さんからメールがあり、ジェネレーションXという小説を書いた小説家であり芸術家でもあるダグラス・クープランドが僕の展覧会、トークにまで来てくれて、相当気に入ってくれたらしく、どうやらトークの次の日に家に招こうと掃除までしてくれていたらしい。今回は生憎会う機会がなかったが、こうやって表現者が直接コンタクト取れるのもバンクーバーならでは。
夜、散歩しながら、僕だけ離れ、中学生の時の同級生らと酒を飲む。朝まで。
2011年5月4日(水)。今日は朝からフーアオと一緒に散歩する。蝶々がたくさん飛んでいる。気持ちの良い晴天。
アブラカタブラというお店に行く。ここに並んでいる服がいい。僕がはいている弟からもらったオランダヒッピーたちが作っているピンク色の豚革パンツもここで購入。グラス5個セットとホーローのティーポットを購入。
モバイルハウスのアイデアを無印良品にポロポーザルしてみればという原さんの助言を真に受けて実践してみることにする。ヨネにそのためのプレゼン用ブックを作成依頼。家を自力で財布の中に入っているお金で建てることが日常的になればすごいことになる。
吉祥寺で実践しているモバイルハウスを置かせてもらっている駐車場の管理者から電話があり、騒音で警察が来ているとのこと。なんじゃそれ。ちょうど、スペースシャワーTVが撮影で使いたいとのことで貸しているところだったので、スペースシャワーの担当者に事情を聞く。どうやら、撮影のために数日間生活していた人たちが路上で酔っぱらってライブをやっちゃったらしい。勘弁してくれよ。この企画が無くなってしまったらどうするの。
ということで、怒りの電話をテレビ局に伝え、即刻中止してもらうことに。もう人には貸せない。なんで、こうやってほどほどの感覚が分からないのだろう。馬鹿じゃないんだろうから。残念ですが、全ての人に開放していたモバイルハウスですが、それができなくなってしまった。
人間は本当に勝手な生き物である。
それにもかかわらず、何かが起こるとすぐ凹む。
警察に言われて凹むなら、始めからやらないほうが良い。
やるなら、警察から何言われても、政府から何言われても、通さなきゃ。
筋を通さないと駄目だよ。
2011年5月5日(木)。ゼロセンター第一期工事が終了したので、ようやく作業開始。原稿を書きはじめる。河出書房の書き下ろしも止まっていたので、再びスタートさせないといけない。東京書籍の先日の録音のテープ起こしもやる。さらに、英語版の絵本の下書き。やることはたくさんある。時間を決めて、どんどん実行していかなくては。
ゼロセンターの周りにはたくさんの鳥が飛び交い、歌っている。さらに、昆虫たちも何食わぬ顔で家の中を遊んでいる。蝶々も部屋の中を飛んでいる。内と外の空間が曖昧に混ざりあっている。僕が求めていた空間の姿である。夕方にはコウモリたちが飛び交い、庇からは毛虫が、庭にはアシナガバチが巣をどこに作ろうかと物色している。庭の花は、前の住人が好きだったのだろう、季節ごとに綺麗な花が咲くように設計されている。今は鉄仙が咲いている。綺麗なむらさき色をしている。
PAVAOのオーナー、えりなちゃんと細川護煕さんの陶芸家である息子さんのところの弟子であるタカヨシくんと、PAVAOでバイトをしているユキちゃんが遊びにくる。今度、みんなでバーベキューをしようという話に。みんなでビール、テキーラを昼間から飲む。仕事にならない。ユキちゃんはタイ古式マッサージをやっていて、そろそろお店をやりたいというので、ゼロセンターを使えば良いじゃないと提案する。家賃は0円でいいよ、と。そのかわり専属マッサージ師になってくれとありえないお願いをする。どうなるか。とりあえず、マッサージを体験してみる。とても上手。ゼロセンターで施術されたら気持ちよいだろうなあ。本当にマッサージ屋をやってみようかな。
廃材を使って、柵を作る。手を痛める。でも、完成。
庭仕事の次いでに、花を生ける。花と遊ぶのが日課になってきた。
2011年5月6日(金)。ゼロセンター工事第一期が終わって、ちょっと仕事に集中しようと思っているが、ついついまだまだやろうとしている。ということで、引き続き第二期を始めることに。午前中はヨネに指示をして、工事をしてみる。僕は原稿仕事をやらないと終わらない。まずは、庭に突き刺さっていた石柱のようなものにゼロセンターの看板を取り付ける。
郵便ポストも昔からあったやつをそのまま利用。針金で取り付ける。看板を付けると、なんか本格的になってきた。ゼロセンター始動開始。数人人が訪ねてくる。不思議な場所になっている。しかし、こちらも仕事をやらねばならないので、ほどほどで仕事場に戻る。
昼飯を食べた帰り道、ヨネが拾ってきた椅子の枠に床材を貼った時に余ったステイン塗った板をコラージュして作ったゼロセンターファーニチャーシリーズ第一弾「椅子」。座り心地が良い。こうやって家具制作もやっていくつもり。次はベンチとソファ。そして、今度バーベキューをやるのでバーベキューセットもドラム缶を転用して鉄工所の親父と組んで作ろうと思っている。全てをここで作る。自力で作る。洋服も食材も何もかも作ってみようと考えている。ダッシュ村みたいになったらどうしよう。
パーマネントモダンのカズちゃんが来訪し、先日のゼロセンター宴のお礼にとワイン赤白を持ってきてくれた。感謝。PAVAOのえりなちゃんが生けて、途中で投げ出した緑が良い感じで映えていて、ブリュッセルで行ったカフェのことを思い出した。酒、食器なども徐々に揃ってきて、落ち着いてきたゼロセンター。若い陶芸家の展示会をやりたいなあとふと考える。箱根の石井ちゃんとか、昨日会ったたかよしくんとか、常滑の僕が買った陶芸家とか、ナベもコーディネーターで呼べるし、母ちゃんは陶器コレクターだから何かと助けてもらえそうだし、バンクーバーには現代美術としてのセラミックもあるし、色々と広がりそう。骨董嗜好ではなく、今使うための陶器。ジャン・プルーヴェ、イームズの流れ、0円ハウスからの流れも組み込めると思う。さあ企画書を書こう。今度、東京で会う東信さんにも尋ねてみよう。のらぼうのマキオさんの料理と一緒にしたりしてもいいなあと勝手に妄想。
第二期はこの家の前の納屋を改造する。ギャラリースペースにしようと思っていたが、それはゼロセンターの家全体がギャラリーなんだから必要ないということになり、ここはアフリカとパリの僕が大好きなカフェの良いところを取り入れたスペースにする予定。カウンターも付けてみる。ここで展示の時はチケットのモギリやれるしなあ、なんてことを考える。家なんて自分の好きなように徹底的に変えるべきだ。それは自由な行動であることを今回知った。鈴木さんたちがあんなに自由なのは、家が自由だからだ。しかも、簡単すぎて、誰にもできるし、少しやれば技術は格段に上がる。大工の小言もとても有益だが、こうやって自分で好き勝手やっても同じくらい素敵だ。
2011年5月7日(土)。朝から自転車に乗ってゼロセンターへ。朝から原稿。昨日から少しずつ原稿のノリが出てきた。ゼロセンター設立のためのエネルギーにほとんどを集中させたまま、バンクーバーへ行って無茶苦茶になってたから、原稿を書く気になれなかったが、ようやく落ち着いたのだろう。酒を飲むよりも、原稿を書きたくなってきている。
雑誌連載は全て終了させ、次に単行本の書き下ろしをスタートさせる。五月中に勢いにのって一冊は終了させ、もう一冊はかなりのところまで進ませる予定。
まずは河出書房「生きのびるための技術(仮)」の原稿。20枚ほど書く。零塾について。集中して書けている。こういう時はどんどん進ませよう。
その後、友人が尋ねてきて、フーアオたちと一緒にちょっと遊ぶ。
遊んでばかりはいられないので、原稿仕事に戻る。
今度は、東京書籍「零塾教科書(仮)」の第一回分。録音したテープを聞きながら書いていく。これがまた面白く、これまで話してきたことをちゃんと原稿化することは初めてなので、自分にとっても新鮮である。描いてきた原稿と、話してきたことがちょっと違うので、いつもそのギャップを埋めたいと思っていたのだが、それが実現できそうだ。15枚書いて山本さんに送信する。山本さん、すぐに電話してきて、これでいきましょう、とのこと。よし、いける。
零塾入塾希望のメールが相次ぐ。また最近、ちょこちょこと増えている。とにかく、真剣にやりたい人だけ求めている。僕は本当に口うるさく、普通の人にとってはうっとうしく感じてしまうところも多々あるので、それで良ければと念を押しておく。
僕は、ゼロセンターも開放し、零塾も0円でやってますけど、ただ0円で何でもやっていいよというのではありません。僕がずっと言い続けている「態度経済」の中での0円なのだ。だから、ただ体験しよう、とか興味本位で来られても困る。何人か、それでせっかく来てくれたのに怒ってしまったことがここ数日あったので、色々と考えさせられる。興味本位だけはいけない。そういう人は、一生の付き合いができない。一緒に恊働できる人間を求めている。そういう人に対しては徹底してタダで贈与したいと思っている。
バンクーバーの原さんから連絡が。絵が凄い勢いでさらに売れているとのこと。なんだかえらいことになってきた。巡回の話も決まりそうだし、ドローイングの可能性を今回は大きく感じた。
JNBYという中国・上海のファッションブランドのオーナーが5枚買って帰ったそうだ。しかも、5メートルのドローイングにも興味を示しているとのこと。ありがたい。JNBYは日本ではほとんど知られていないが、中国、アメリカ、特にカナダではかなり盛り上がっている服屋である。東京には店舗がなかったが、熊本の鶴屋にはある。熊本はそういう場所でもあります。また新しいコレクターが増えた。しかも、かなり頼もしい。毎日、遠く離れたバンクーバーでも事が起きている。
さらに、Dig-Italのを買ってくれたコレクターの一人がアフリカの印象の100枚ドローイングをボックスセットで買いたいと言ってくれたそうだ。なんなんだ、これは。しかも、30部のエディションまで作ろうとのこと。
ここバンクーバーでは、レーモン・ルーセルに共感して、作品を作った。ルーセルと0円ハウスの考え方や、僕の都市型狩猟採集生活でのレイヤーの話の概念が、同じところから来ているという説明が、ちゃんと伝わっていく。こんな話が社会の中でちゃんと成立して、仕事として繋がっていくところがこの街のすごさである。
もうアートシーンは完全に新しく生まれ変わっている。ヨーロッパで起きていることだけが、アメリカで起きていることだけが、主流ではないのだ。そこはただのスタジアムで、芸術家たちが育つための「巣」のようなスペースは、もう全然違うところで発生している。その一つがバンクーバーなのである。
そういうことに、若い芸術家はちゃんと気付かないといけない。どこどこのギャラリーに属したいなどと会社員のようなことを言っている人間はちゃんと淘汰されていなくなってしまうだろう。人に会え、ちゃんと真っ正面から会って、自分の作品の説明を無名だろうと、金が無かろうと、不安だろうと、死にたい気持ちで充満してようと、伝えなくてはいけない。
シーンの中に入っていっては駄目だ。常に独立独歩で、その状態で人に会って、自分の考えている可能性を自分よりも信じてくれる友人を見つけろ。彼らは一生、きみにとって強い見方であり続けるだろう。そのかわり、毎日、作品の駄目なところを文句言ってくるだろう。そのことに耳を傾けよう。信じてくれている人間を信じる力を身につけなくてはいけない。
それがないんだ今の人間には。僕が才能あるなと思って、若い人間にそれを伝えても、いやいやそれほどでもないんですよ、と言って、本気でそう思っている。それじゃ駄目なんだ。信じている人間のほうが見えている。そのことに身を任せろ。それは楽をしているのではない。ギアが入ったということだけだ。5速にしているのに、馬鹿にみたいにアクセル踏むかい。踏まないだろう。そのことと同じである。自分にしか作れない可動式の車のような機械を作るつもりで、人と付き合う。これが、新しい態度経済では最低限必要な技術である。その後、どうやって創作哲学を作り上げるかは、後の話。
でも、言っても言っても分からない。
でもこちらも言うことを諦めたくない。話せば分かると信じているところもある。
しかし、なかなか難しいことも分かってきた。変わろうと思っても、人間そんなに簡単に変わることができない。それはもちろん自分も同じである。
ということで、自分を変えてみたのである。だから、熊本に移住した。
それで分かった。自分も既成概念に結局は囚われていたことを。
熊本でも東京でも変わらないものを、今度は作り上げないといけない。
それはそれで大変だ。そんな時にバンクーバーのノリは僕を肯定しているような気がした。
ということで、人に直接変われと伝えていくのではなく、僕自身が徹底的に変化していく。自分でも驚くような速さで変化していく。その過程を、人に伝えていくという方法論に変えたのである。態度経済のことを直接言葉で伝えるのではなく、自らの態度経済そのものを実況中継していく。
これが、僕が移住し、ゼロセンターを設立した、本当の理由である。
だから、もう人に会って、伝えていかなくていいんだと思えた。
僕がこれからも会わなくてはいけないのは、自らを変化させてくれる人間である。
人々に必死に言葉で伝えて、変わらないことで絶望するよりも、自らを徹底的に変化、変革させる。革命は自らの内にこそ必要なのだ。
ということで、零塾入塾希望者第一期生の募集を終了します。
これからは第一期生だけはしっかりと第二段階へいけるように教育していきたい。その中でほんの数人であるが、行動することができるかもしれないと思える人材も出てきている。これは僕にとって大きな希望である。
ということで、この日記は態度経済の実況中継として変化していく。
これを読めば大抵のことは伝わるはずだ。
別に僕に会わなくても良くなるはず。
僕はとにかくひたすら前を向いて、恊働できる人間を、いつか変革を起こすタイミングが来たときにちゃんと一緒に楽しく戦える人間を探しに行こう。その姿を見せ続けるという態度そのものが「教育」になればいいと思う。
今、東京にも熊本にもバンクーバーにもナイロビにもインドにもフランスにも、僕の周りにはとんでもない才能が集結している。創作することがうまい人間、プロデュースがうまい人間、料理がうまい人間、人と人を結びつけるのが天才的な人間、事務処理がすごい人間、一緒にいるだけでほっとできるリラックス人間、そんな人と出会うとき、僕はいつも勝手に妄想だが、自分の政府を思い浮かべている笑。
いつかみんなでゼロセンターで、人種問わず集めて、作戦会議と称したパーティーをやってみたい。うちの二階の縁側にDJブースを置いたら、庭がダンスフロアになる。国境関係無く、誰とも、とにかく変えるために行動をするために、指揮棒を振ってみたい。
まさに指揮棒「TACT」である。タクトになりたい。
日本の出版のことも考え直そう。
もう連載は増やさないことにした。よっぽど面白そうなものがあったら気が変わると思うけど。雑誌の仕事も極力減らして行く。
書き下ろし単行本に集中していく。
自分で時間が制御できるのだから、毎月の締め切りで行動する必要がなくなってきたからだ。
そして、完全な創作に集中していく。
働き方も完全に変える。それはこの移住で分かった。表面的に変化させるのではなく、根本的に生き方そのものを変化させる。そうやって自分自身をビビらせたい。そして、その変化自体を作品にしていこう。
もう無理矢理、人々の頭をこじ開けて何かを伝えようと試みるのはやめよう。
態度そのものを見せるだけに徹する。
問題を解決するのではなく、無数のレイヤーが存在しているということを伝え、単純に自分の頭こそが問題を作り出している固体だったんだと気付かせる。そこにこれからの活動をフォーカスしていく。
そっちのほうが簡単に変わるかもしれないと思っている。
新しく、また動き出している。
今回の全ての発端はバンクーバーである。
一体、何が動いているのか。原さんも僕も分かっていない。
いつでも、どんなことでも、新しいものを見たとき、人はそのようなリアクションをするんじゃないか。
そんなことを考えて興奮している。
とか考えていたら、メールが来て、ドローイング展の巡回したいという新しい申し出が。カナダの建築系ギャラリーである。どうするか、こちらも作戦を練ってみよう。もう、すでに動き出している。使命ハイウェイを光速で走り出している。
2011年5月8日(日)。朝から自転車でゼロセンターへ。
朝から原稿。生きのびるための技術。15枚書いて送信。その後、東京書籍のテープ起こし。
お昼過ぎに伝統工芸館へ。先日メールをくれた中田さんに会いに行く。帽子の展覧会を観に。そこで帽子作家の熊谷さんと初対面。面白い方であった。久々に原発の話をする人と会う。
熊本に帰ってきて、僕が政府に対して危ない怒りを持っているのを両親たちが警戒を強めている笑ので、ずっと黙っている。冷却中である。
しかし、隙を見つけては、一人でどうしようかなあと考えている。
でも、まともな方法で変わるとはとても思えない。
それぐらい腐っている。システムっちゅうもんは。
僕たちはブリコラージュ思考によって、生き抜かないといけない。
ちゃんとした言葉で話しても、分からない人たちにはどう対処するのか。
法律で訴えるか、お金で解決するか、他の人に諭してもらうか、無視するか、叩くか。
法律は彼ら自身が作り上げているものだからやっても意味がない。お金あげてもあげてももっと欲しがるから駄目。他の人に諭してもらうのは意外と効いていたんだけど、震災以降は諸外国の意見にも聞く耳を持たなくなった。みんなで無視すれば焦るが、家庭内暴力をする夫のことを信じ続ける妻っぽく、いまだに信じている人が結構多いので、無視戦法も無理だ。
ということは結局叩くしかない。
でも、周りに言っても、エジプトやチュニジアのような暴力革命は、発展途上国がやる行為であって、自分たちみたいな高度な文化を持っている先進国がやることではない。それは古い反抗の形である、という。
僕には、ある意味、チュニジアのほうが日本よりも先進国に見えるのは勘違いだろうか。
文句を言っても分からないから、叩くのは当然の結果である。
こんなにおかしいのに、しかも、原発の被害に遭って困っていても声が全く政府、東電に届かない、もしかして無視しているんじゃないかと思えるような状況であるのに、抵抗しない。
今、僕たちは言っても分かってもらえないシステムの中にいるのだ。
だから僕はレイヤーが無数にあることを認識し、レイヤーを飛び越えながら生き抜こうと書いてきた。
東京電力が電気代をあげるなら、あなたたちが作る電気は使わない。モバイルハウスで自家発電するからもう大丈夫。
電気もちゃんとレイヤーが存在する。もちろん、モバイルハウスの電気量は無茶苦茶少ないけれど、自分が暮らすには十分だ。
しかし、それだけでは足りないことも自覚してきた。
気付く人だけにアイデアを提供するだけで果たして自分はいいのだろうか。
被災し、そして保障を求めても、事実がどうなっているのかの説明を求めても、全く政府、企業が聞かずに無視している状況を見て、いつも飄々としてますけど、今回ばかりは怒りが溢れている。
でも、その怒りのストッパーを外すと、自分の行動力から考えて、ちょっと心配でもある。
こいつやっちゃうんじゃないかと思っている。
だから両親は警戒しているのかもしれない笑。
よく分かっているのかもしれない。
そりゃそうか、自分の親だもの。
ということで、今日の夜は母ちゃんを誘って、母の日ということで、niniというとんでもなく美味しい、しかも器が無茶苦茶かっこいい秘密のお店に行きまして、食事をした。フーも母なので一緒に。アオも。なぜかヨネも笑。
しかし、まずは落ち着こう。
完全にスイッチが入ってしまったら、僕は常に確実に行動に移してしまうので、
まずは準備をしよう。
風呂入ってゆっくり寝よう。
ユーモア溢れることをやろう。
でも、本当のことを言おう。